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第17話

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 修という名前は母が付けてくれた。身体が弱く入退院を繰り返していたけど優しくて、困った人がいたら真っ先に手を差し伸べる――そんな女性ひとだった。
 “困った人がいたら助けなさい”それが母の口癖だった。
 経営者の父は家庭を顧みず朝から深夜までずっと仕事をしていて、俺は母を大事にしない父に嫌悪感を抱いていた。
 俺が小学生の時、母が亡くなった。ずっと入院していて危ないと分かっていたのに父は一度も見舞いには来なかったし、母の最期を看取ることもしなかった。そのことがきっかけで俺と父親の溝がより一層深まった。

 経営者として成功している父は顔が広く人望もあったため、息子の俺は何かと周囲の大人から期待されていた。
 中学高校では生徒会長を務め、地域活動には積極的に参加してきた。それは、“困った人がいたら助けなさい”という母親の教えを守っていたからだ。しかし、周囲の大人は揃って「さすがあの父親の息子だ」「さすがあの父親の後継者だ」としか言わなかった。
 本当の自分を誰も見てくれない――そう、沸々とした不満と苛立ちを感じていた時、高校卒業後の進路相談が行われた。どうせ父親の跡を継げとでも言われるんだろう。俺の夢も希望も聞かないで。
 しかし、その進路指導の教師は違った。
「柊は経営者より弁護士の方が合ってそうだけどなぁ」
 その教師の一言に、俺は目を見開いた。
「どうして、そう、思うのですか」
 初めて大人からそんなことを言われて、俺はロボットのような口調になった。
「だってお前、困った人がいたらいつも助けているじゃないか。まぁ、人を助ける仕事というと弁護士の他にも色々あるけど――」
 後半、先生の話は耳に入らなかった。ただ、やっと、俺自身を見てくれる人に出会えた……。俺は感動に打ち震えていた。
 それから俺は何かとその先生に相談した。先生は親身になって俺にアドバイスをしてくれた。そして、難関大学の法学部に俺は志望先を決めた。
 法学部の大学に行く、と言った時に見せた父の、鳩が豆鉄砲を食ったような顔は今でも忘れられない。父は俺が跡を継ぐと思い込んでいたし、経営学を学ぶために大学へ進むと思っていたはずだったから。結果、俺は父に罵倒され殴られたが、初めて父親に反抗できたのが可笑しくて痛快だった。
 俺が無事大学に合格すると、先生はまるで自分のことのように喜んでくれた。そして高校を卒業する時、先生は泣きながら「お前が俺の娘の婿だったらどんなに良いか」だなんて言う。俺は苦笑しながらも、尊敬する人にそんなことを言われて嬉しかった。

 そんな、先生が心不全で亡くなった。突然のことだった。
 通夜に参列すると、先生の娘さんがいた。泣き腫らした目をしながら頭を下げる姿が痛々しかった。
 参列者が帰った後、一人会場で小さな背中を丸く屈めて、パイプ椅子に座っている彼女を見て、泣いているのかと思った。
「大丈夫?」
 声を掛けてから、今の言葉は適切ではなかったと悔いた。父親を亡くしたばかりの彼女が大丈夫なわけがない。
 俺の言葉に彼女の背中がピクリと動いた。ゆっくりと顔をあげる。
「ひとりぼっちになっちゃった」
 そう言うと彼女は眉をハの字にさせて困ったように微笑んだ。
 その表情に不意を喰らい戸惑っていると、「心配しないで下さい。大丈夫です」と続ける。
 どうして微笑んでいるんだ? 涙が、声が、枯れるほど泣けばいいのに。
 どうして大丈夫だなんて言うんだ? 本当は必死に誰かに縋りつきたいはずなのに。
 あぁ、この子のことを全力で助けてやりたい――。俺は拳を握りしめる。
「これ俺の連絡先だ。君が困った時は助けになりたい」
 それから何度か連絡をやり取りしたけど、彼女が俺に何か助けを求めてくることはなかった。

 月日は流れ、三年後。俺のスマホに電話が掛かってくる。出てみると周防春妃からだった。
「あの、ちょっと頼みごとがありまして……」
 彼女が頼み事だなんて珍しい。訊いてみると進学のために家を出たいとのことだった。俺は彼女の新居を見つけ、何かと世話を焼いた。
 最初は世話になった恩師への恩返しくらいにしか思わなかった。彼女のことは妹のような存在だと思っていた。
 
 しかし今は、別の感情が芽生えている。裁判所の帰り、理由をつけては彼女のいるホテルに足を運んでいる。彼女の顔を一目でも見たいがために。柊さん、と俺の名を呼ぶ彼女の声をききたいがために。


 
 
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