上 下
3 / 36

第3話

しおりを挟む
 
 その日以来、夏樹くんの態度が変わった。親の前以外では私と関わろうとしなかったのに、二人きりでいる時も夏樹くんは私に話し掛けてくれるようになった。そして雨の日は必ず私のそばにいてくれた。私と夏樹くんは本当の姉弟かのように仲良くなった。
 だけれど、私が十五歳の時――今度は父が亡くなったのだ。それも、雨の日に。
 父が亡くなって精神的にまいっている私をお義母さんと夏樹くんは支えてくれたけれど、あの家に居づらくなった私は大学進学を機に家を出た。
 それからというもの、家には帰っていない。


「周防さん、お客様のチェックイン落ち着いたから今日はもうあがっていいよ」
「では先に失礼します」
 私の仕事はホテルのフロント受付だ。宿泊業というだけでハードワークに思われがちだけれど、バンケットやレストランのサービススタッフと違って宿泊が少ない日は残業もなく定時で帰れるし、休みもちゃんと週休二日ある。幸い上司や同僚、後輩にも恵まれて楽しくやっている。

 雨はやんでいて、街は夏の蒸れた空気に包まれていた。
 最寄駅から歩いて家に帰ると玄関前に男が立っているではないか。背が高くスラリと伸びた手足はまるでモデルのようだった。
「あの、ウチに何か……」
 怪訝に尋ねると男は私の顔を見て二ッと口角を上げた。
「久しぶりだね、春妃」
 私は目を見張った。この男を、私は知っている。
「夏樹……なの?」
「そうだよ。八年ぶりだよね? あれから家を出て行ったきり一度も帰ってこないなんて薄情にも程があるよ」
 そう言うと夏樹は肩をくすめた。
「どうしてここにいるの」
「実は仕事で本社に異動が決まって」
「そうじゃなくて……どうして私の家を知っているの? お義母さんにも居場所を言ってないのに」
「探偵を使って探したんだよ」
 ギラリと夏樹の目が光ったように見えた。恐怖で喉の奥がヒュッと鳴った。
「――というのは冗談で、たまたま街で春妃の姿を見掛けたから後をつけたんだよ。で、ここのマンションに住んでいることを知ったんだ」
「何それ……まるで――」
「ストーカーみたいって思った? ひどいな。俺たち姉弟なんでしょう? ねぇ春妃」
 夏樹が私を見つめた。
 姉弟。そう姉弟だ。でも夏樹はそうは思っていない。だって――。


 十七歳の秋――。

 その日は静かな雨が降っていた。薄暗い部屋で床に座りながら、いつものように夏樹が私に寄り添ってくれていた。
「雨が降る度にいつも夏樹に甘えちゃってごめんね。いつまでもこんなんじゃダメだよね」
 私は隣に座っている夏樹の肩に頭をもたれながら言う。
「別にいいよ。俺はずっと春妃の隣にいるから」
 いつの間にかお互いのことを“春妃”、“夏樹”と呼ぶようになっていた。
「それは無理でしょ」私は弱々しく笑うと、夏樹の肩に預けていた頭を起こした。「だって夏樹にいつか彼女ができるだろうし、私だって――」
「春妃、彼氏が欲しいの?」
 そう言った夏樹の目が熱を帯びていたから、私は思わず目を伏せた。
 私の手の上に重ねている夏樹の手が目に映る。ゴツゴツとして骨ばっていて男性の手をしていた。
 静かな部屋に、外で降る雨音が聞こえる。薄暗い部屋に、雨粒が付いた窓の影が落ちる。
「春妃――」
 夏樹が腰を浮かせると私の顔を覗き込む。最初に会った時はお人形のような可愛い顔をしていたのに、高校生にもなった夏樹の顔は可愛さなどなく彫刻のように綺麗で端正な顔をしていた。そして、その瞳は何かを狙っているような鋭い眼光がさしていた。
 夏樹の顔が近い。これじゃまるで、キスをするかのような――。
「いやっ」
 私は夏樹を突き飛ばした。
「春妃。俺――」
「いい。何も言わないで。私、これからはちゃんと雨の日でも大丈夫になれるようにするから……夏樹の――お姉ちゃんなんだもん。姉らしくしなきゃだよね」
 それから私は夏樹のことを避けるようになった。そして、進学を理由にあの家を出たというのに。

「そうだ、春妃」
 夏樹の声で私は現実へと戻される。
「俺、まだ住むとこ決まってないんだよね。しばらくの間、泊めてくれない?」
 雨音が聞こえる。また、雨が降り出したようだ。

 雨の日は嫌いだ。思い出したくない記憶を引き出させるから。私の心をかき乱すから。
 

 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

彼氏が完璧すぎるから別れたい

しおだだ
恋愛
月奈(ユエナ)は恋人と別れたいと思っている。 なぜなら彼はイケメンでやさしくて有能だから。そんな相手は荷が重い。

やさしい幼馴染は豹変する。

春密まつり
恋愛
マンションの隣の部屋の喘ぎ声に悩まされている紗江。 そのせいで転職1日目なのに眠くてたまらない。 なんとか遅刻せず会社に着いて挨拶を済ませると、なんと昔大好きだった幼馴染と再会した。 けれど、王子様みたいだった彼は昔の彼とは違っていてーー ▼全6話 ▼ムーンライト、pixiv、エブリスタにも投稿しています

冷徹上司の、甘い秘密。

青花美来
恋愛
うちの冷徹上司は、何故か私にだけ甘い。 「頼む。……この事は誰にも言わないでくれ」 「別に誰も気にしませんよ?」 「いや俺が気にする」 ひょんなことから、課長の秘密を知ってしまいました。 ※同作品の全年齢対象のものを他サイト様にて公開、完結しております。

隠れ御曹司の愛に絡めとられて

海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた―― 彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。 古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。 仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!? チャラい男はお断り! けれども彼の作る料理はどれも絶品で…… 超大手商社 秘書課勤務 野村 亜矢(のむら あや) 29歳 特技:迷子   × 飲食店勤務(ホスト?) 名も知らぬ男 24歳 特技:家事? 「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて もう逃げられない――

【完結】maybe 恋の予感~イジワル上司の甘いご褒美~

蓮美ちま
恋愛
会社のなんでも屋さん。それが私の仕事。 なのに突然、企画部エースの補佐につくことになって……?! アイドル顔負けのルックス 庶務課 蜂谷あすか(24) × 社内人気NO.1のイケメンエリート 企画部エース 天野翔(31) 「会社のなんでも屋さんから、天野さん専属のなんでも屋さんってこと…?」 女子社員から妬まれるのは面倒。 イケメンには関わりたくないのに。 「お前は俺専属のなんでも屋だろ?」 イジワルで横柄な天野さんだけど、仕事は抜群に出来て人望もあって 人を思いやれる優しい人。 そんな彼に認められたいと思う反面、なかなか素直になれなくて…。 「私、…役に立ちました?」 それなら…もっと……。 「褒めて下さい」 もっともっと、彼に認められたい。 「もっと、褒めて下さ…っん!」 首の後ろを掬いあげられるように掴まれて 重ねた唇は煙草の匂いがした。 「なぁ。褒めて欲しい?」 それは甘いキスの誘惑…。

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

新米社長の蕩けるような愛~もう貴方しか見えない~

一ノ瀬 彩音
恋愛
地方都市にある小さな印刷会社。 そこで働く入社三年目の谷垣咲良はある日、社長に呼び出される。 そこには、まだ二十代前半の若々しい社長の姿があって……。 ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

処理中です...