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妹でもなく、彼女でもなく
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メンズフロアからレディースフロアに移動すると、巧は真尋より少し年齢層が高めのセレクトショップへ向かった。そこから洋服を物色し始める。
「た、巧くん、私、今日自分の洋服を買う予定はないよ」
「俺が買う。ネクタイを選んでくれたお礼だ。それから、このあいだの定期試験の成績があがったって父さんから聞いた。そのご褒美とでも思えばいい」
巧はハンガーにかかった服を真尋にあてては戻す動作を繰り返していく。
確かにこのあいだの定期試験は、結愛と一緒に勉強して互いに成績があがった。成績表を見て義父も母も喜んでくれた。義父に関して言えば、成績が上がろうと下がろうと「真尋ちゃんは頑張っているね! ご褒美なにがいいかな?」というコメントになる。
女性スタッフがすかさず近づいて「お預かりしましょうか」と巧が手にしていた服を受け取りに来た。そうして巧に促されるままに試着室で着替えて、着せ替え人形になる。
もともとの年齢層が高めの設定なため、どれを着ても大人っぽい。真尋だけでは絶対選ばないテイストのものだ。それでも頑張って大人びていますという感じでもなく、高校生かな大学生かな? と思わせる雰囲気になった。
「ああ、やっぱりその組み合わせのほうがおまえらしいな」
総レースのワンピースは、長袖にも関わらず両腕が透けて見える。体のラインにそったデザインでスカートは膝丈のタイト。履いてきたサンダルにも合うし意外に大人っぽくなった。これに巧はカーディガンではなくノーカラーのジャケットを合わせてきた。裾がペプラムになっているためかわいらしさがあり、オフィススタイルとは一線を画している。
巧は真尋の全身を見た後、小物を飾っていた棚からきらきらのヘアバレッタを持ってきた。そうして店のスタッフに大人っぽくまとめなおすよう依頼する。
ポニーテールだった真尋の髪はふんわりとおろされて、ハーフアップにしてバレッタでまとめられた。
「とてもかわいらしく大人っぽくなりましたね」
「ああ、いいな。とても似合っている」
巧は真尋のふわふわの髪を掴んで、そっと背中に払う。眩しそうに見つめる眼差しに囚われて、真尋も目が離せない。
ほんの少しの間だけ二人で見つめ合った。
目を合わせて見つめるだけで、気持ちを伝えあう恋人同士のように甘く揺らめいている。
先に目をそらしたのは巧のほうで、彼は「このまま着ていきますので、着てきた服を包んでください」と告げる。
真尋は胸元でぎゅっと手を握り締めた。今日はなぜか心臓が痛い気がする。ドキドキと早く動きすぎて疲れているのかもしれない。
そしてショップバッグを渡された巧とそのフロアを出た。
不意に鏡を見れば、巧の隣にいても遜色ない自分の姿がそこにあった。
「どうだ、これで妹には間違われない」
「うん」
「なんだ? 気に入らなかった?」
「うんん、なんかちょっと恥ずかしい、のかな? でもありがとう」
「……そんな服一つで借りてきた猫のようになるんだな。ほら」
巧に手を差し出されて真尋は戸惑った。荷物を渡せとか、なにかくれとかそういった手でないことはわかる。
「『彼女』だろう?」
「え?」
「今日は『彼女らしくする』んだろう? もう子どもっぽいなんて思われないから安心しろ」
巧の台詞とその仕草から、おそらく手を繋ごうと誘われているのだろう。かといって素直に応じられるほど、真尋は巧のように開き直れない。なにより、巧と手を繋ぐという行為が恥ずかしくて仕方がない。
真尋がわたわたしていると、焦れた巧は問答無用で真尋の手をとった。そのまま自然に重なった後、なぜか指を絡めて繋ぎなおされる。
「手を繋ぐより、腰を抱かれたほうがいいならそうするが」
もっと怖い提案をされたせいで、真尋はその手を振り払うことも、文句を言うこともできなかった。
『妹さんですか?』
そう聞かれたとき、即座に答えられなかった。
真尋の今の立場は確かに巧の『妹』だ。でもそれを学校以外で自ら第三者に告げる機会はあまりなかったし、いまだに『妹』という感覚は薄い。だったらなんなのかと言われれば、やっぱり『妹』だとしか言えないのだろう。
『妹の振り』もうまくできない、かといって『彼女の振り』なんてもっとできない。それなのに巧は勝手に真尋を『彼女』に仕立て上げた。
巧は途中で化粧品売り場にまで進出して、真尋にグロスをプレゼントした。
「その格好だと少しメイクも施したほうがいい」と言って。
そうして淡いピンクベージュのグロスを塗って、ほんの少しチークもしてもらった。たったそれだけで、自分が少し大人びた気分になった。
巧の手によってどんどん変化していく。
プレゼントは嬉しい。『彼女の振り』は恥ずかしい。
でもこんな扱いをされることにどこか違和感がある。
小さな棘が喉の奥に刺さっているような痛みがある。
服を選び、髪型を変え、グロスまでプレゼントしてまるで魔法のように女の子を変身させる。指を絡めて手を繋ぎ、真尋の歩調にあわせて歩き、人にぶつかりそうになれば庇う。女の子の扱いに手慣れた――女の子だったら誰だって舞い上がりそうなシチュエーション。
義理の妹相手に披露したって無意味の手練手管だ。
巧のこれまでの『恋人』たちは、みんなこんなふうに甘やかされてきたのだろうか。彼の隣でお姫様のように扱われてきたのだろうか。
なんやかんや悪態をついたって、巧は真尋を『妹』として特別扱いしてくれた。でも今のこの状況はきっと『妹』以上のものだ。
「真尋、どうした? 疲れたか? どこか店に入る?」
「うん……喉渇いた」
喉の奥に刺さった小骨を流してしまいたい。何より繋いでいるこの手を離してしまいたい。
『彼女』だから許されるものを追体験していることに、真尋は苛立ちと困惑を抱いている自分を認めざるを得なかった。
巧が選んだのは女の子が好きそうなかわいらしいカフェだ。表の看板に、チョコレートとイチゴのパフェの写真があって、真尋の視線が思わず向いたことに気づいたのだろう。イチゴは季節的に終わりだから、その煽り文句も気になってしまった。
女の子が好きそうなカフェだから、当然店内には女の子がたくさんいた。カップルもいないわけではないけれど少数だ。
こんな店、むしろ巧は嫌がりそうなものなのに。
案の定、席に着けば女の子たちの囁き声が耳に入る。集団になると彼女たちは遠慮をなくしてしまうのか、真尋の耳にも、当然巧にも聞こえてくる。
「すごい、かっこいいね」
「彼女年下かな……でもかわいい。お似合いだね」
巧が注目されるのはいつものことだ。そこに自分についても言われて、どうやら好意的なコメントが多くほっとした。巧が変身させてくれたおかげで、一緒にいても釣り合いがとれているようだ。
「真尋、どれにする?」
小さな丸テーブルのため、メニューを一緒に見ると距離がぐんっと近づいた。咄嗟に避けたくなるのをなんとか堪える。これ以上意識していることを巧に悟られたくない。
「チョコかイチゴ……どっちにしよう」
「おまえはいつもそれで悩むな」
巧の言う通りだ。真尋は甘いものの中でチョコレートが一番好きだし、フルーツではイチゴが好きだ。だからケーキやアイスクリームもいつもその二種類の味で悩んでしまう。
「両方頼め。手伝ってやる」
「巧くん、甘いもの得意じゃないのに?」
「得意じゃないが、これぐらいの量なら大丈夫だ。まあ、せめて両方パフェを選ぶのは避けてほしいが」
巧の切実な言い方に真尋は笑った。
意を汲んでひとつはチョコレートパフェにして、もうひとつはイチゴのアイスクリームにした。
巧と一緒にいるのはラクだ。気を使わなくていいし、悪態もつける。それは家族という関係があって、そこに信頼関係が生まれているせいだ。言い合っても、怒られても、結局は家族の関係に戻ることができる。
それなのに、奇妙な緊張感もある。
『彼女の振り』を命じられたせいだけではない、自分の中で生まれはじめたあやふやな感情。
「巧くんは、彼女にいつもこういうことしているんだ……」
「は?」
「洋服選んであげたり、バレッタまで買ってあげたり、苦手なのにこんなおしゃれなカフェ選んだり……意外に至れり尽くせりなんだね」
口にした後で、なんだか口調が嫌味っぽいと自分でも思った。
巧の歴代彼女もこんなふうに甘やかされたのだと思ったら面白くない。
そしてそんな気持ちを抱いている自分が愚かだと思う。
(……これって嫉妬?)
チョコレートパフェが運ばれて、真尋は咄嗟に浮かんだ考えをすぐさま打ち消した。
嫉妬なんて感情も、それが生まれる源を探るのも危険だ。
イチゴのアイスクリームもすぐにきて、それは巧の前に置かれる。
「真尋」
名前を呼ばれて顔をあげれば、アイスののったスプーンが目の前にあった。
「ほら、口開けろ」
命じられて反射的に口を開けると、イチゴの冷たいアイスが口の中で溶けていく。そして同じスプーンで巧は自分もアイスを口に運んだ。
(え……今の何?)
「まあ、甘さは抑え気味か。そっちは?」
真尋が呆然として固まっていると、巧はパフェ用の長いスプーンを手にして、同じように生クリームとチョコレートアイスをすくったものを真尋の口に向けた。
「真尋」
名前を呼ぶだけで命じて、真尋は無意識に口を開ける。巧に食べさせてもらっているのだと認識するまで少し時間がかかった。同じスプーンを口にしていることに気づいたのはさらにそのあとだ。
「おまえ、ずっと俺に食べさせてもらうつもりか?」
はっとして真尋は巧の手からパフェ用のスプーンを奪い取った。ついでに、そそくさとチョコレートパフェに飾られたバナナを食べていく。 時折、巧がイチゴのアイスクリームを差し出して、真尋はもう何も考えずにそれを口にした。
どうも自分たちが互いのスプーンで食べさせ合う様子に、周囲がざわついているような気もするが、もう気にしたくない。ここで抵抗するのも、恥ずかしがるのも、すでに手遅れだからだ。巧は時折「俺にも」と言って、チョコレートパフェを催促する。真尋は悩まずにそれを食べさせる。
とにかく完食してしまえばいい。こんな茶番はさっさと終わらせるに限る。
「女の服を選んだことなんかない。おまえだけだ。ヘアアクセサリーを選んだのも初めて。俺が苦手だと思う場所でも、おまえが行きたいならどこへでも連れていく」
淡々と並んだセリフが、さっき真尋が呟いたことに対してのコメントなのだとわかった。
「ついでにこんなふうに食べさせるのも初めてだな。他人がやっているのを見るのはバカバカしいが、おまえ相手なら悪くない」
巧はにやりと笑う。
からかわれていることには気づいていた。
巧は真尋の顔が青くなったり赤くなったり、狼狽えるのを我慢していたりするところを楽しんで見ているに違いない。
「わざとだ。やっぱり巧くんは意地悪だ。『妹』だからってからかうなんて!」
「からかう、か……」
巧は小さく呟くと、真尋の口の端についていたクリームを指で拭って舐めて見せる。
「こうするのはおまえが『妹』だからじゃない。こんなこと『彼女』相手にだってしない」
空になった器にスプーンがそっと置かれた。
巧は真尋をじっと見つめる。
甘く揺らぐ眼差しは、からかいを含みながらもどこか優しい。
真尋の口の中もチョコレートで甘ったるいけれど、それ以上に今のこの空気が甘く感じる。
「おまえだからだ。おまえにしかこんなことしないよ、真尋」
もやもやと燻っていた嫉妬がその瞬間優越感に変わる。
そしてそんな風に思う自分に真尋は戸惑う。
泣きそうなくらい恥ずかしいのに、心臓の鼓動だってうるさいのに、それでもこの男から目をそらせない。
「おまえだけが俺の『特別』だ。それを忘れるな」
もう『彼女の振り』をしているのか、そうでないのかわからなくなった――――
***
真尋は過去を思い出して思わずうなだれる。
あの頃にはすでにもう、巧はかなり際どい関わり方を自分に対してしていたんだなと、あらためて思った。
あの時真尋が選んだネクタイを、巧は高い頻度で身に着けた。そんな彼を見るたびに『彼女の振り』をした日のことを思いだして悶えていた。
「とっくに篭絡されていたんだよね……」
あんな甘ったるい接し方にも慣れて、だんだん感覚が麻痺して、あたりまえのように受け止めてきた。『妹だから特別』なんて言い聞かせることで誤魔化して、そのぬるま湯にどっぷりつかってきた。そんな居心地のいい場所から逃げられるわけがなかったのだ――――最初から。
「ただいま、真尋」
「え? あ、おかえりなさい」
玄関ドアが開いたのに気づかなかった。巧は真尋を見てそして視線をヘアバレッタに向けた。
「それ――」
「あ、うん、巧くんがくれたものだよ、覚えている?」
「忘れるわけない。まだ持っていたんだな」
「あたりまえだよ。髪を短くしたから使わなくなっただけだもの、ちゃんと……大事にしていた」
いまさらに恥ずかしくなってうつむいた。
瞬間、強く抱きしめられたかと思えばすぐさま唇を塞がれる。舌を絡めた激しいキスに驚きつつ、真尋はなにがなんだかわからないままにキスに応えた。そのまま床に押し倒されて、胸をまさぐられる。
「た、巧くんっ、待って」
「待たない。煽ったおまえが悪い。あの頃は我慢した――もう耐えたりしない」
そんな風に言われると、真尋は抵抗できなくなる。
こういう言い方はずるいと思うのに、あの頃から『おまえだから特別だ』と言われていたのを思い出した今、愛しさだけがわきあがる。
「巧くん……大好き」
「おまえっ!! 俺に壊されるの覚悟しろ!」
「……うん、巧くんだから……許してあげる」
妹だからじゃなく、彼女だからでもなく、おまえだからと言ってくれるから。
だから真尋も、あなただからと、伝える。
どんな形でも名前でも、特別なのは「あなた」だけ――――
「た、巧くん、私、今日自分の洋服を買う予定はないよ」
「俺が買う。ネクタイを選んでくれたお礼だ。それから、このあいだの定期試験の成績があがったって父さんから聞いた。そのご褒美とでも思えばいい」
巧はハンガーにかかった服を真尋にあてては戻す動作を繰り返していく。
確かにこのあいだの定期試験は、結愛と一緒に勉強して互いに成績があがった。成績表を見て義父も母も喜んでくれた。義父に関して言えば、成績が上がろうと下がろうと「真尋ちゃんは頑張っているね! ご褒美なにがいいかな?」というコメントになる。
女性スタッフがすかさず近づいて「お預かりしましょうか」と巧が手にしていた服を受け取りに来た。そうして巧に促されるままに試着室で着替えて、着せ替え人形になる。
もともとの年齢層が高めの設定なため、どれを着ても大人っぽい。真尋だけでは絶対選ばないテイストのものだ。それでも頑張って大人びていますという感じでもなく、高校生かな大学生かな? と思わせる雰囲気になった。
「ああ、やっぱりその組み合わせのほうがおまえらしいな」
総レースのワンピースは、長袖にも関わらず両腕が透けて見える。体のラインにそったデザインでスカートは膝丈のタイト。履いてきたサンダルにも合うし意外に大人っぽくなった。これに巧はカーディガンではなくノーカラーのジャケットを合わせてきた。裾がペプラムになっているためかわいらしさがあり、オフィススタイルとは一線を画している。
巧は真尋の全身を見た後、小物を飾っていた棚からきらきらのヘアバレッタを持ってきた。そうして店のスタッフに大人っぽくまとめなおすよう依頼する。
ポニーテールだった真尋の髪はふんわりとおろされて、ハーフアップにしてバレッタでまとめられた。
「とてもかわいらしく大人っぽくなりましたね」
「ああ、いいな。とても似合っている」
巧は真尋のふわふわの髪を掴んで、そっと背中に払う。眩しそうに見つめる眼差しに囚われて、真尋も目が離せない。
ほんの少しの間だけ二人で見つめ合った。
目を合わせて見つめるだけで、気持ちを伝えあう恋人同士のように甘く揺らめいている。
先に目をそらしたのは巧のほうで、彼は「このまま着ていきますので、着てきた服を包んでください」と告げる。
真尋は胸元でぎゅっと手を握り締めた。今日はなぜか心臓が痛い気がする。ドキドキと早く動きすぎて疲れているのかもしれない。
そしてショップバッグを渡された巧とそのフロアを出た。
不意に鏡を見れば、巧の隣にいても遜色ない自分の姿がそこにあった。
「どうだ、これで妹には間違われない」
「うん」
「なんだ? 気に入らなかった?」
「うんん、なんかちょっと恥ずかしい、のかな? でもありがとう」
「……そんな服一つで借りてきた猫のようになるんだな。ほら」
巧に手を差し出されて真尋は戸惑った。荷物を渡せとか、なにかくれとかそういった手でないことはわかる。
「『彼女』だろう?」
「え?」
「今日は『彼女らしくする』んだろう? もう子どもっぽいなんて思われないから安心しろ」
巧の台詞とその仕草から、おそらく手を繋ごうと誘われているのだろう。かといって素直に応じられるほど、真尋は巧のように開き直れない。なにより、巧と手を繋ぐという行為が恥ずかしくて仕方がない。
真尋がわたわたしていると、焦れた巧は問答無用で真尋の手をとった。そのまま自然に重なった後、なぜか指を絡めて繋ぎなおされる。
「手を繋ぐより、腰を抱かれたほうがいいならそうするが」
もっと怖い提案をされたせいで、真尋はその手を振り払うことも、文句を言うこともできなかった。
『妹さんですか?』
そう聞かれたとき、即座に答えられなかった。
真尋の今の立場は確かに巧の『妹』だ。でもそれを学校以外で自ら第三者に告げる機会はあまりなかったし、いまだに『妹』という感覚は薄い。だったらなんなのかと言われれば、やっぱり『妹』だとしか言えないのだろう。
『妹の振り』もうまくできない、かといって『彼女の振り』なんてもっとできない。それなのに巧は勝手に真尋を『彼女』に仕立て上げた。
巧は途中で化粧品売り場にまで進出して、真尋にグロスをプレゼントした。
「その格好だと少しメイクも施したほうがいい」と言って。
そうして淡いピンクベージュのグロスを塗って、ほんの少しチークもしてもらった。たったそれだけで、自分が少し大人びた気分になった。
巧の手によってどんどん変化していく。
プレゼントは嬉しい。『彼女の振り』は恥ずかしい。
でもこんな扱いをされることにどこか違和感がある。
小さな棘が喉の奥に刺さっているような痛みがある。
服を選び、髪型を変え、グロスまでプレゼントしてまるで魔法のように女の子を変身させる。指を絡めて手を繋ぎ、真尋の歩調にあわせて歩き、人にぶつかりそうになれば庇う。女の子の扱いに手慣れた――女の子だったら誰だって舞い上がりそうなシチュエーション。
義理の妹相手に披露したって無意味の手練手管だ。
巧のこれまでの『恋人』たちは、みんなこんなふうに甘やかされてきたのだろうか。彼の隣でお姫様のように扱われてきたのだろうか。
なんやかんや悪態をついたって、巧は真尋を『妹』として特別扱いしてくれた。でも今のこの状況はきっと『妹』以上のものだ。
「真尋、どうした? 疲れたか? どこか店に入る?」
「うん……喉渇いた」
喉の奥に刺さった小骨を流してしまいたい。何より繋いでいるこの手を離してしまいたい。
『彼女』だから許されるものを追体験していることに、真尋は苛立ちと困惑を抱いている自分を認めざるを得なかった。
巧が選んだのは女の子が好きそうなかわいらしいカフェだ。表の看板に、チョコレートとイチゴのパフェの写真があって、真尋の視線が思わず向いたことに気づいたのだろう。イチゴは季節的に終わりだから、その煽り文句も気になってしまった。
女の子が好きそうなカフェだから、当然店内には女の子がたくさんいた。カップルもいないわけではないけれど少数だ。
こんな店、むしろ巧は嫌がりそうなものなのに。
案の定、席に着けば女の子たちの囁き声が耳に入る。集団になると彼女たちは遠慮をなくしてしまうのか、真尋の耳にも、当然巧にも聞こえてくる。
「すごい、かっこいいね」
「彼女年下かな……でもかわいい。お似合いだね」
巧が注目されるのはいつものことだ。そこに自分についても言われて、どうやら好意的なコメントが多くほっとした。巧が変身させてくれたおかげで、一緒にいても釣り合いがとれているようだ。
「真尋、どれにする?」
小さな丸テーブルのため、メニューを一緒に見ると距離がぐんっと近づいた。咄嗟に避けたくなるのをなんとか堪える。これ以上意識していることを巧に悟られたくない。
「チョコかイチゴ……どっちにしよう」
「おまえはいつもそれで悩むな」
巧の言う通りだ。真尋は甘いものの中でチョコレートが一番好きだし、フルーツではイチゴが好きだ。だからケーキやアイスクリームもいつもその二種類の味で悩んでしまう。
「両方頼め。手伝ってやる」
「巧くん、甘いもの得意じゃないのに?」
「得意じゃないが、これぐらいの量なら大丈夫だ。まあ、せめて両方パフェを選ぶのは避けてほしいが」
巧の切実な言い方に真尋は笑った。
意を汲んでひとつはチョコレートパフェにして、もうひとつはイチゴのアイスクリームにした。
巧と一緒にいるのはラクだ。気を使わなくていいし、悪態もつける。それは家族という関係があって、そこに信頼関係が生まれているせいだ。言い合っても、怒られても、結局は家族の関係に戻ることができる。
それなのに、奇妙な緊張感もある。
『彼女の振り』を命じられたせいだけではない、自分の中で生まれはじめたあやふやな感情。
「巧くんは、彼女にいつもこういうことしているんだ……」
「は?」
「洋服選んであげたり、バレッタまで買ってあげたり、苦手なのにこんなおしゃれなカフェ選んだり……意外に至れり尽くせりなんだね」
口にした後で、なんだか口調が嫌味っぽいと自分でも思った。
巧の歴代彼女もこんなふうに甘やかされたのだと思ったら面白くない。
そしてそんな気持ちを抱いている自分が愚かだと思う。
(……これって嫉妬?)
チョコレートパフェが運ばれて、真尋は咄嗟に浮かんだ考えをすぐさま打ち消した。
嫉妬なんて感情も、それが生まれる源を探るのも危険だ。
イチゴのアイスクリームもすぐにきて、それは巧の前に置かれる。
「真尋」
名前を呼ばれて顔をあげれば、アイスののったスプーンが目の前にあった。
「ほら、口開けろ」
命じられて反射的に口を開けると、イチゴの冷たいアイスが口の中で溶けていく。そして同じスプーンで巧は自分もアイスを口に運んだ。
(え……今の何?)
「まあ、甘さは抑え気味か。そっちは?」
真尋が呆然として固まっていると、巧はパフェ用の長いスプーンを手にして、同じように生クリームとチョコレートアイスをすくったものを真尋の口に向けた。
「真尋」
名前を呼ぶだけで命じて、真尋は無意識に口を開ける。巧に食べさせてもらっているのだと認識するまで少し時間がかかった。同じスプーンを口にしていることに気づいたのはさらにそのあとだ。
「おまえ、ずっと俺に食べさせてもらうつもりか?」
はっとして真尋は巧の手からパフェ用のスプーンを奪い取った。ついでに、そそくさとチョコレートパフェに飾られたバナナを食べていく。 時折、巧がイチゴのアイスクリームを差し出して、真尋はもう何も考えずにそれを口にした。
どうも自分たちが互いのスプーンで食べさせ合う様子に、周囲がざわついているような気もするが、もう気にしたくない。ここで抵抗するのも、恥ずかしがるのも、すでに手遅れだからだ。巧は時折「俺にも」と言って、チョコレートパフェを催促する。真尋は悩まずにそれを食べさせる。
とにかく完食してしまえばいい。こんな茶番はさっさと終わらせるに限る。
「女の服を選んだことなんかない。おまえだけだ。ヘアアクセサリーを選んだのも初めて。俺が苦手だと思う場所でも、おまえが行きたいならどこへでも連れていく」
淡々と並んだセリフが、さっき真尋が呟いたことに対してのコメントなのだとわかった。
「ついでにこんなふうに食べさせるのも初めてだな。他人がやっているのを見るのはバカバカしいが、おまえ相手なら悪くない」
巧はにやりと笑う。
からかわれていることには気づいていた。
巧は真尋の顔が青くなったり赤くなったり、狼狽えるのを我慢していたりするところを楽しんで見ているに違いない。
「わざとだ。やっぱり巧くんは意地悪だ。『妹』だからってからかうなんて!」
「からかう、か……」
巧は小さく呟くと、真尋の口の端についていたクリームを指で拭って舐めて見せる。
「こうするのはおまえが『妹』だからじゃない。こんなこと『彼女』相手にだってしない」
空になった器にスプーンがそっと置かれた。
巧は真尋をじっと見つめる。
甘く揺らぐ眼差しは、からかいを含みながらもどこか優しい。
真尋の口の中もチョコレートで甘ったるいけれど、それ以上に今のこの空気が甘く感じる。
「おまえだからだ。おまえにしかこんなことしないよ、真尋」
もやもやと燻っていた嫉妬がその瞬間優越感に変わる。
そしてそんな風に思う自分に真尋は戸惑う。
泣きそうなくらい恥ずかしいのに、心臓の鼓動だってうるさいのに、それでもこの男から目をそらせない。
「おまえだけが俺の『特別』だ。それを忘れるな」
もう『彼女の振り』をしているのか、そうでないのかわからなくなった――――
***
真尋は過去を思い出して思わずうなだれる。
あの頃にはすでにもう、巧はかなり際どい関わり方を自分に対してしていたんだなと、あらためて思った。
あの時真尋が選んだネクタイを、巧は高い頻度で身に着けた。そんな彼を見るたびに『彼女の振り』をした日のことを思いだして悶えていた。
「とっくに篭絡されていたんだよね……」
あんな甘ったるい接し方にも慣れて、だんだん感覚が麻痺して、あたりまえのように受け止めてきた。『妹だから特別』なんて言い聞かせることで誤魔化して、そのぬるま湯にどっぷりつかってきた。そんな居心地のいい場所から逃げられるわけがなかったのだ――――最初から。
「ただいま、真尋」
「え? あ、おかえりなさい」
玄関ドアが開いたのに気づかなかった。巧は真尋を見てそして視線をヘアバレッタに向けた。
「それ――」
「あ、うん、巧くんがくれたものだよ、覚えている?」
「忘れるわけない。まだ持っていたんだな」
「あたりまえだよ。髪を短くしたから使わなくなっただけだもの、ちゃんと……大事にしていた」
いまさらに恥ずかしくなってうつむいた。
瞬間、強く抱きしめられたかと思えばすぐさま唇を塞がれる。舌を絡めた激しいキスに驚きつつ、真尋はなにがなんだかわからないままにキスに応えた。そのまま床に押し倒されて、胸をまさぐられる。
「た、巧くんっ、待って」
「待たない。煽ったおまえが悪い。あの頃は我慢した――もう耐えたりしない」
そんな風に言われると、真尋は抵抗できなくなる。
こういう言い方はずるいと思うのに、あの頃から『おまえだから特別だ』と言われていたのを思い出した今、愛しさだけがわきあがる。
「巧くん……大好き」
「おまえっ!! 俺に壊されるの覚悟しろ!」
「……うん、巧くんだから……許してあげる」
妹だからじゃなく、彼女だからでもなく、おまえだからと言ってくれるから。
だから真尋も、あなただからと、伝える。
どんな形でも名前でも、特別なのは「あなた」だけ――――
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