イケメンとテンネン

流月るる

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1巻

1-2

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 みんなのものであったはずの王子様の変化に、牧野も周囲も、すぐに気がついた。牧野相手では不発が多かったイジメは、夏井さんに命中する。それは女のやっかみ、ねたみがどれだけ他人を傷つけるか、よく知っていたオレでさえ驚くほどのものだった。透はできるだけ排除しようとしていたけれど、女の世界には男が入り込めない場所がいくつかある。女子トイレだとか、女子更衣室だとかだ。
 牧野が、透の想い人である彼女をどうするのか興味はあった。他の女と一緒になって邪魔をするのか手を差し伸べるのか。でも牧野は放置を決めた。
 オレはちらりと夏井さんを見る。
 透と付き合いはじめても相変わらず垢抜あかぬけなくて純朴じゅんぼく、けれど彼女のめげなさや元気のよさやキラキラした裏のない笑顔は、綺麗なメイクや服装にも負けない武器だ。
 嫌われているとわかっていても、牧野を慕える強さも。

「荷物持とうか?」

 エレベーターから降りて非常階段のドアを開けると、オレは声をかけた。夏井さんはびっくりしたような表情をしたあと、とんでもないと言わんばかりに顔を横にぶんぶんと振る。

「大丈夫ですよー、軽いですから。それにこっちは今宮さんに持っていただくにはかわいすぎます」

 彼女はもうひとつカラフルな袋を持っていた。オレンジ色のリボンに小さな白い花が飾られている。

「牧野さんへのお礼です。牧野さんっぽくてかわいいでしょう。フルーツのキャンディの詰め合わせなんです。すごくかわいくてたくさん買っちゃいました。牧野さんに『かわいー』って言ってもらえたらいいんですけど」

 牧野っぽいというのがよくわからなかったけれど、オレは曖昧あいまいうなずいた。透に会えるのが嬉しいのか牧野に会えるのが嬉しいのか、その両方みたいに夏井さんは階段を跳ねるようにかけのぼっていく。扉を開けて廊下に出ると、彼女はその足をふっと止めた。

「夏井さん? どうした?」

 彼女が見ている方向にオレも視線を移す。薄暗い廊下の奥が、そこだけふんわり温かな明かりに包まれ、丸い椅子が浮かび上がっていた。白いカップを手にした二人は椅子には座らずに、窓辺に立って何やら話をしている。
 透は誰にでも見せる優しい眼差しの中に、どこか甘いものをただよわせて牧野を見ていた。あいつは誰にでも優しく穏やかに接するけれど、牧野にだけは振りではない表情をよく見せる。甘えたりすねたりしたような口調で話すのも、牧野にだけだ。
 牧野も牧野で、普段の肩肘かたひじを張った表情じゃなく、「ふにゃり」といったすきのある笑みを浮かべている。
 こういう牧野はあまり見られない。透と二人でいても周囲に人がいるときには見せないからだ。
 あの二人が恋人同士でないなんて信じられないくらいに、ただよう空気は甘い。
 恋人が自分以外の相手を愛しげに見ているなんて、夏井さんだってあまり気持ちはよくないだろう。そう思って彼女を見ると、夏井さんはうっとりとした表情で二人を眺めていた。

「かわいい、かわいいです、牧野さん! あんな牧野さん貴重ですよねえ。私にはなかなか見せてくれないですもん、今みたいな笑顔」

 小声で力説する彼女にオレは脱力する。こんな場面で嫉妬しっとをするどころか、牧野を見てもだえるなんてやっぱりこの子は変わっている。

「今宮さん、もう少し二人を堪能たんのうしていいですか? あんな優しそうな透さんも、かわいい牧野さんもなかなかおがめないんですー。私がいると絶対牧野さん、いっつもこーんなふうに眉が寄っているので」

 眉が寄っているのは夏井さんに対してだけじゃない。オレにだってそうだけどな。
「かわいい」ね。
 夏井さんの言う通り、おそらく誰にも見せることのないやわらかな表情は、いつもよりあいつを幼く見せる。
 もだえて妙な動きをしている夏井さんに牧野が気がついて、嫌そうに顔をしかめるまでのわずかな間、オレは二人を見つめていた。
 透以外には決して見せないだろうそれに少しだけ興味を抱いたのは、きっとただの好奇心。


   * * *


 はい、私は今日高級レストランでフレンチのコースをいただくことになりました。十九時半にレストランのウェイティングバーに集合だ。
 もちろんこれは透のおごり。
 この間テンネンちゃんをかばい、さらにブラウスまで貸したお礼をしたいということだったので、ここぞとばかりに要求してみました。いいんだ、幸せカップルには何したって!! かわいらしいキャンディの詰め合わせセットはテンネンちゃんにもらったけどね。
 透とテンネンちゃんと三人というのがなんとも微妙だけれど、美味しい食事には代えられない。この際、目の前でいちゃつかれても気にならないように、高いワインを頼んで気分を上げちゃうのもいいかも。
 今日の髪はハーフアップにして、毛先はくるんと大きめに巻いた。カメリアの花の形のベージュのバレッタは、花弁の先にきらきらがついていて上品で華やか。プッチ柄のラップワンピースに、底が真っ赤なパンプスを合わせ、気合を入れる。香水はワインの香りを損ねないよう、かすかに感じる程度にした。大人びた色っぽさの中にかわいらしさをひそませる。
 カップルに負けないためにはパワーが必要だ。
 確実にぼっちなのは私だし。
 かといって自分の恋人を連れてくるわけにはいかない。だって透のおごりだから。
 ベージュの刺繍ししゅうが上品な、濃いグリーンのふかふかの椅子に腰を下ろす。壁に掛けられているのは高級そうな絵。この雰囲気だけでも気分はお嬢様だ。
 優雅な気持ちで待っている間、シャンパン頼んでもいいかなあと考えていたら、目の前に影ができて顔を上げる。

「早かったな」

 その言葉に私は思いっきり顔をしかめた。
 なんで、おまえがここにいる。今宮ー!


 にこにこ、にこにこ。
 透がコーディネートしたついでにテンネンちゃんにプレゼントしたんだろう。ボートネックの濃紺のワンピースは、彼女には珍しくタイトなライン。金色の飾りボタンは何気に某ブランドであることを示している。彼女自身では決して選ばない服。でも、こういう大人っぽいワンピースも彼女の清楚な雰囲気を引きたてている。
 目元中心の薄化粧。でも明るいチークの入れ方はなかなかうまい。髪もアップにしていて、おくれ毛のかかるうなじと白い鎖骨のラインがわずかな色気も感じさせる。
 やればできるじゃんね、と心の中で褒めてやる。もしかしたらどこかのプロがほどこしたのかもしれないけれど。
 えりのラインぎりぎりにある赤いのはキスマークかなぁとか勘ぐって見ちゃうのは、普段と違う彼女の雰囲気のせいだろうか。
 少しばかり興奮したような彼女を、いつも以上に甘い目線で見つめる透。四角いテーブルの向こう側で彼らが並んで座っているということは、私と今宮も並んで座っているということだ。

「牧野さん、いつも以上に素敵ですー。ほんっとうに美人さんです! 私ドキドキしちゃいます」
「あなたも馬子まごにも衣装で似合っているわよ」
「透さんが選んでくれたんですー」

 私の嫌味、スルーしやがった。

「それに今宮さんもかっこいいです、素敵です。お二人並んでいると美男美女のお似合いのカップルみたいですね」

 無邪気という邪気を感じるのは、私がひねくれているから!? 本当にそう?
 私は口元だけ笑みを浮かべて、目で透をにらんだ。
 咲希ちゃんごめんね、と目で訴えているからには、これはおそらくテンネン娘の謀略ぼうりゃくなのだろう。
 今宮は「ありがとう」と言ったあと、ワインリストに視線を落とす。傍に立つソムリエに、今日の料理には合うのか、ビンテージが若すぎないか、など色々聞いている。
 ジャケットにシャツにネクタイという仕事のときと変わらない組み合わせなのに、フォーマル感がよく出ているあたり、センスはいい。透はもともと板についているから違和感ないけど、この男も見た目通り、やっぱり場数を踏んでいるんだなと感心する。
 私の彼氏なんか、こんなところ連れてきたってワインリストも読めないよ。テーブルマナーだって微妙だよ。
 私はと言えば、一般庶民だけど、透と一緒にいたからこういう場にも馴れている。だって、透はおぼっちゃんだからねー。それを知ったのは、就職が決まってからだった。けれど、ああ、やっぱりという感じで驚きもなかった。ちなみにこのことは会社には知られていない。もし知られていたら、透の周囲はもっと騒がしかっただろう。

「牧野、このあたり選ぼうと思うがいいか?」

 今日は透のおごりなので、ワインも好きなものを選ばせてもらっている。個人的にはボルドーが好きなんだけど、今夜は飲み慣れていないだろうテンネンちゃんもいるので、今宮が提案してきたブルゴーニュがちょうどいいだろう。
 というか――
 なんでこいつまでいるんだろうねえ。
 テンネンちゃんはどうして呼んだんだろうねえ。
 この子、私に彼氏いるって知っているよねえ?
 色々ぐるぐる考えながら、ワインリストに目を通す。今宮とちょっと距離が近くてどきっとするけど、平静を装って口を開く。

「ええ、いいわよ」

 もう一万ぐらい高いやつにしようかと思ったけどやめた。
 ウェイティングバーで会ったとき、「なんでここにいるの?」とつい今宮に言ってしまった。今宮は私が来ることを知っていたんだろう、「透と夏井さんに誘われたからだ」とすんなり答えた。
 でもたぶんそれは嘘だ。
 透じゃなくて、誘ったのはこの夏井莉緒だから。
 だって、私たちを見る目の中にお星さまがきらきら輝いている。

「今宮さんと牧野さんのツーショットって素敵です!! 写メ撮りたいぐらいです!!」
「莉緒、それはやめようね。咲希ちゃん、写真嫌いだからさ」

 空気読めこの女、と怒鳴りたいのを抑えた私を褒めてほしい。

「夏井さん。私、恋人いるんだけど知らなかった?」
「知っていますよー。っていうか、牧野さんに恋人がいないわけないじゃないですか! でも私は、二人が仲良くしてくれたらなって思います。透さんにとって今宮さんも牧野さんも大事な人だから」

 爆弾落としたよ、この子。
 後半しっとりと言われて、何も考えていなさそうなのに、実は色々考えているんだと思って、びっくりする。というより、私と今宮が仲良くないことわかっていたんだ、この子。
 でもだからって、そうだねとは言えない。

「私にとっても、透は大事だよ。でも、ごめん。夏井さんや今宮くんのことはそれほどでもないから」
「咲希ちゃん……」

 透が困ったように呟く。だって言わないとわかんないじゃん、この子。傷ついた顔してもダメ。

「わかっています。でも、牧野さんにどんなに嫌われても、私は牧野さんが好きです」

 本当にツワモノだなあ、この子。だから嫌なのよ。この場合悪者になるのは、どうしたって私になるし。

「うん、それはあなたの自由だから否定はしない。でも今宮くんと仲良くしてほしいという願いは悪いけど叶えられないわ」
「オレは牧野と仲良くしたいけどね」
「そんな胡散臭うさんくさい笑顔で言ってもダメ。今宮くん、私のこと嫌いって思ってるじゃない。そういうオーラばんばん感じる」

 いつもならここまで応戦しないけれど、ここが個室だということと予想外の彼の出現とにちょっと苛立っているから、許してほしい。
 だって私、透とテンネンちゃんと三人で食事だって思って。
 だから色々考えて。
 なのに狂わされちゃって。
 ものすごく意地悪な嫌な女になっている。
 透の前なのに。

「あの、私。ごめんなさい。そういうつもりじゃなかったんですけど」
「莉緒、大丈夫だよ。この二人のやりとりは、いつものことだから気にしなくていい」
「そうよ! 今から美味しいもの食べるんだから、めそめそしない!」

 個室の扉が開いて料理が運ばれてくる。それをきっかけに私は気持ちを入れ替えた。
 テンネンちゃんはすこーし、微妙だったけどね。


「結婚しようと思うんだ。色々心配かけたから、二人には一番に伝えたかった」

 目の前には黄色いマカロンとトリュフ、クッキーが載ったお皿。私の手にはハーブティー。
 うん、こんなお店を指定された時点で、ただのブラウス貸したお返しじゃないことぐらい予想はしていたけどね。予想外だったのは今宮がいたことだけど、そんな報告ならば呼んだ理由がわからないでもない。

「おめでとう、透」
「よかったな、夏井さん」

 私が透だけにお祝いを述べたのに気がついたのか、フォローのように今宮が付け加えた。どうせ、どきどきわくわく状態のテンネンちゃんには、私の嫌味なんかわかっていないだろう。

「ありがとう。咲希ちゃん、朝陽」
「ありがとうございます」

 大好きで大事で、ずっと傍にいた男友達。
 私にとっての桜井透は言葉にするなら、そんな存在なのかもしれないけれど……それだけでは表せない感情が私の中に波のように湧き起こる。
 初めて顔を合わせた高校の教室。
 志望大学の見学説明会で一緒になって以来、毎日のように放課後勉強していた学校の図書館。
 二人で見た合格発表。
 大学の四年間を共に過ごして、サークルもゼミも同じだった。
 初めてにも近い恋と苦い失恋。二人で泣いて苦しんだ夜。
 泣きそうなのをごまかしたくて、ハーブティーを飲み干す。
「おめでとう」とは言えても、心からの笑顔まで付け加えることはできなかった。透とテンネンちゃんが一緒にいる時間が長くなればなるほど、私は心のどこかでいろんな覚悟をしてきたはずだった。これまでも透の傍に女がいなかったわけじゃない。けれど、テンネンちゃんと一緒にいる透は、私でさえ知らない顔を時折垣間見かいまみせていたから。
 いつか、こんな日が来るって。
 そうして、長くも短くも感じるデザートタイムが終わる頃。

「莉緒……朝陽と一緒に先に出てくれる?」

 柔らかな優しい声が聞こえて、レストランの個室に私は透とともに残された。

「泣かないでよ、咲希ちゃん」
「泣いてないわよ。おめでたいのに泣く必要ないし」

 いつの間にか椅子から立ち上がった透が、座ったままの私をそっと抱き寄せた。泣いてなんかいないはずなのに、言葉にされたせいで、白くてハリのあるテーブルクロスがにじんでぼやける。
 こらこら、彼女(いや、もう婚約者かな?)以外の女に触っちゃダメでしょう?

「咲希ちゃんに泣かれると、僕はどうしていいかわからなくなる」
「放っておけばいいのよ。透はあの子だけをなぐさめればいいんだから」

 ふんわりといつもと同じ透の香りが鼻腔びこうをつく。優しく包むような腕からはぬくもりが伝わってきた。私の世界にいつもいて、それを守ってくれた人。この腕を離さなきゃと思うのに、私は透の腕に手を伸ばしてしまう。

「こんなことしていたらあの子、嫉妬しっとするか不安がるよ。もう私とは会わないでとか言われるかも」

 彼女なら当然気になる、恋人の女友達なんて。
 それが理由で、透は昔、恋人との関係がぎくしゃくしたこともあった。結婚するなら、もうそういう関係は許されないだろう。
 私にとって夏井莉緒は、私から透を奪う嫌な女。
 でも透にとっては一番大事な女。

「莉緒は言わないよ。僕が咲希ちゃんと二人でいても、あの子は何も言わない」

 知っている。
 あの子は一度も私たちの関係を疑わなかった。嫉妬しっとさえしなかった。それが本心なのか疑って、私はわざと透の傍にいたこともあったけど、彼女は私たちの関係をありのまま認めた。その強さが憎らしくてうらやましくて。
 だから透は彼女を選んだのだろう。

「結婚しても咲希ちゃんと僕の関係は変わらない。僕は君の友達で、一番の味方で居続ける。それはずっと僕たちの間にある約束だ」

 私たちは深く傷ついた。互いを傷つけあってしまった。
 だからもう二度と透をそんな目に遭わせたくない。

「透……幸せになってね」
「うん」
「私も、幸せになるからね」
「うん、咲希ちゃんは幸せになれるよ」

 一瞬のためらいののちに、抱きしめる腕にぎゅうっと力が入った。私はとっさに立ち上がって同じように透を抱きしめる。あまり触れ合うことのなかった私たちは、これが最初で最後みたいに互いに腕をまわす。
 透、透、透。
 恋人でもないのに私たちは抱き合う。それは血の繋がった者同士が交わし合う抱擁ほうように似ているのにどこか違って、この腕の強さを、胸の広さを、匂いを忘れないでおこうと思う。込みあげてくる涙を逃がして、私は吐息とともに言葉を吐き出した。

「透。私と夏井さん、どっちが大事?」

 透は腕をゆるめると私の顔をのぞきこむ。そして幸せそうな笑顔ではっきりと言った。

「莉緒が一番大事だ」

 うん正解だよ、透。
 すかさず答えを出すことができる相手を、あなたは見つけたんだね。


   * * *


「おめでとう、透」

 そう言った牧野の横顔は今までに見たこともないほどはかなげで、微笑んでいるのか泣きそうなのかよくわからない表情をしていた。
 いつかは結婚をするんだろうと、最近の透たちを見ていて想像はついていた。だから、そのときは牧野もちょっとは悔しそうにするかもなと思っていた。
 実家に帰るという夏井さんと、酔ってふわふわと危なそうな牧野をタクシーに乗せたあと、オレと透は二人でバーに入った。牧野は一人で大丈夫なんだろうかと心配したけれど、「一人で帰りたい」とかたくなに突っぱねられれば、何もできない。
 グラスをゆらりとかたむける透を横目で見る。黒いカウンターが淡い光を反射して影を作る透の顔は、珍しく読めない表情を浮かべていた。結婚が決まってはしゃぐでもなく、いつもの優しい穏やかさもなく、どこか覚悟を決めた落ち着きがにじんでいる。
 グラスの中の氷がからりと音をたてて溶けた頃、透が切り出した。

「莉緒は……僕が守るよ。朝陽に誓ってやろう。だから朝陽には咲希ちゃんを守るチャンスをあげる」
「……なんだ、それ」

 ふざけているのかと思えば、グラスをカウンターに置いた透は真剣な目でオレを見ていた。いつもは穏やかなくせに、こういうとき本性を現してくる。
 優しげな仮面を脱いだ腹黒王子。
 夏井さんを手に入れたから、牧野はもういらないってことか? そんなことをオレに言われてもどうしようもない。牧野は初対面のときからなぜかオレを嫌っているし、オレも彼女に特別な感情はない。だから思ったままに、そう言ってやる。

「ふーん。朝陽、気づいてないんだね。咲希ちゃんはかわいいよ。スタイルもいいし仕事もできるし、気はちょっと強いけど面倒見はいい。ああ見えて意外に家庭的でさ、あまり他人には作らないけど料理も得意だし、たぶんお嫁さんにするにはああいう子が一番いい」

 透の言葉にオレはわけがわからなくなる。おまえはさっき夏井さんと結婚宣言したばかりだ。そりゃあ牧野のことを特別に思っているのは知っているけれど、そこまで褒めるなら夏井さんじゃなくて牧野を選べばよかったんじゃないか? 不快なものが腹の中からせりあがってくる。
 それを抑えこむべく、オレはグラスの中身をぐいっとあおった。
 始終にこやかだった夏井さんとは対照的に、牧野は気分のムラが激しかった。「オトモダチ」をどんなに強調していたって、牧野が透に特別な感情を抱いていたのは今夜の様子で立証された。たぶん。
 そして、こいつもそれはわかっているはずだ。

「僕はね、朝陽。大事なものはずっと手元に置いておきたいタイプだ。どんな手段を使ってもね。そうして咲希ちゃんを縛ってきた。大学は偶然だったけど、同じサークルやゼミを選んで傍にいたし、就職先を一緒にしようと誘ったのも僕だ。結婚しても傍にいる。咲希ちゃんにはそう言い聞かせている」
「さっそく、浮気宣言か?」
「違う。愛しているのは莉緒だ。たとえ、莉緒と出会わなかったとしても僕は咲希ちゃんとは結婚しない。だから咲希ちゃんにどんなに好きだって言われても拒んできたし、これからもそうする。たとえば、僕は莉緒を失ってもまた別の誰かを愛するだろう。結婚もするかもしれない。でもね、咲希ちゃんを失ったら誰もその代わりにはなれない。僕は一生、咲希ちゃんを失いたくない。だから絶対に恋人や伴侶はんりょの位置には置かない。ずっと傍にいることができる友達の位置に置き続けるんだ」

 淡々とそう言い続ける透に、オレははじめて恐怖を覚えた。腕にざわりとまとわりつく震え。こいつは、夏井さんの代わりはいても、牧野の代わりはいないと宣言しているのだ。 

「……それで、オレになんでそんな話をする?」
「さすが朝陽だね。僕が見込んだ通りだ。こんな話を聞かされたら、普通はふざけるなとか最低だとか罵声ばせいを浴びせるだろうけど、君はそうはしない」
「残念ながらオレは、おまえと牧野の関係をずっと見てきたからな」

 ――大事な友達だから、遊び相手としては手を出さないでね。
 社員研修で知り合ったときから、こいつは感情を読ませない口調で、牧野に興味を抱いた男たちに釘をさしていた。変な男が近づかないように、それも牧野本人には気づかれないように予防線を張る。「咲希ちゃん」と名前で呼んで、自分にとって特別だと周りにアピールする。
 牧野が透にすり寄っていると見ていた連中が多かったようだけれど、透と一緒にいることが多いオレからすれば、むしろ透の方が牧野に固執こしつしているように見えた。
 そう、二人の関係は互いへの想いで成り立っていた。牧野は透を男として好きだし、透はそれを超えて牧野に執着しゅうちゃくしている。だからいずれ二人は、友達の一線を越えるのではないかと思っていた。

「おまえが牧野を好きだって言っても違和感はない。むしろ他の男のものに平気でできることが不思議だったよ」

 そう、そこまでの想いを牧野に抱きながら、たぶんこの男はそういう意味では指一本彼女に触れていないはずだ。たとえ隠された欲望があったとしても。
 透は髪に指を通すと、そのままひじをついた。珍しくだらしない仕草で自嘲じちょうするように口をゆがめる。結婚すると伝えた席で、透が牧野と二人きりにしてほしいと頼んできたときから、こいつからは幸せなオーラとは違うものがただよっていた。

「平気じゃなかったよ。でも、それは咲希ちゃんも同じだ。僕たちは互いに想い合いながらも傷つけ合っている。それでも僕は彼女を手放せなかったし、彼女も逃げなかった。もし咲希ちゃんが抱いてなんて言ってきたら、キスもセックスもするけど恋人にはしない最悪な関係になっていただろうね。咲希ちゃんの気持ちを絶対に受け入れないこと。カラダには触れないこと。それが僕が自分にしたかせだ」

 言わなかった牧野がえらかったのか、言わせなかった透がすごかったのか。
 この二人の関係も、牧野にこれだけの感情を抱きながら夏井さんを選んだ透の気持ちもオレにはよくわからない。
 ただ、夏井さんはそれをどこかでわかっているのかもしれないと思った。彼女はこの話を聞いても傷ついたりはしないのだろう。おそらく、だったら私は長生きしてずっと透さんと一緒にいますよ、ぐらいは言いそうだ。だから透は彼女を選んだ。

「僕はね、朝陽が咲希ちゃんを守ってくれたらって、そう思っている。ずっと咲希ちゃんにふさわしい相手を探してきた。一番ふさわしいのは君だ。だから僕は君が咲希ちゃんに近づくことも、莉緒に近づくことも許した。君なら咲希ちゃんを任せられる」
「…………」

 すぐには言葉が出てこない。こいつは牧野の相手まで探していたのか? 自分が夏井さんを選んだとき、一人になる牧野のことを考えて?

「嫌いじゃないでしょう? 咲希ちゃんのこと」
「……嫌うほどの感情はないが。というか、牧野の方がオレを嫌っているだろう? そりゃあ、無理だ」

 そう、牧野がオレを嫌っているのは自分でもわかる。あいつも隠していないし。

「咲希ちゃんが嫌いなのは朝陽じゃなくて、朝陽に付随ふずいする面倒くささだよ。自分を嫌っている相手を自分のものにするぐらい、君なら簡単にやれるはずだろう? 咲希ちゃんはああ見えてものすごく初心うぶだし、男慣れしてないからね。落としがいあるよ」

 おまえ、本当に牧野のこと大事に思っているのか? なんだかよくわからなくなってきた。

「まあ、いいや。どうしても気が乗らないなら無理いはしない。咲希ちゃんのことを心から大事にしてもらえないと意味ないし、君が無理なら別の男を選ぶしね。咲希ちゃんは強引にいけば、たぶん情にほだされるタイプだから難しくはない」


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