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第二十六話
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午前中、美綾は真夏に頼んで、数時間だけ休みをもらって美容室に行った。いつもの美容室だと勘繰られそうだったから、駅ビルに入っていた美容室を初めて利用した。不揃いに切られた髪に、どことなく不安と好奇を混ぜつつも、美綾も笑顔を心掛けたので相手も特に追及してこなかった。
そして遅れて『SSC』に行って事務的な作業を終えた後、ほぼ内装が出来上がった『青桜』の新ビルに向かった。
『青桜』の社員に案内されながら、バイトスタッフの控室の確認や、救護室や裏動線など使用可能な場所をチェックする。
週間天気予報は迷うことなく晴れを示しており、この晴天は週末まで続く。幸い台風もこない。よって予定通りビル内外を使用してイベントを実施することになっていた。
ビル内で行うのは新ビルお披露目に関するものがメインだ。こちらは基本的には『青桜』社員が中心となって対応する。他企業の上層部も来賓として招いているので、一階にもティーンズラインのブースは設置予定だ。また熱中症対策としての休憩スペースも臨時で確保している。もしもの場合の救護体制についても確認をした。
ビルの一階はイベントができる大きなスペースだとは聞いていたし、図面でも見ていた。でも実際足を踏み入れると、空間の大きさは図面だけではわからないなと美綾は思った。
三階までは吹き抜けとなっていて、一部は全面ガラス張りだ。遮光と遮熱がきちんとされているので眩しさや暑さはあまり感じない。
『青桜』本社ビルは豪華で洗練された雰囲気でどことなく立ち入りをためらってしまうが、こちらは天井や壁の一部に木を使用しているためか、温もりを感じさせる空間になっている。
そして『夏祭り』をテーマに開催される新商品イベントは外のスペースを使用する。商品ブースをはじめ催しものを行うためのステージも設置する。当日は軽食提供可能なキッチンカーも来るので、食事休憩できるパラソルつきのテーブルや椅子も置くことになっていた。
結局、外構工事はいまだ途中で、特に植栽関係は終わっていない(急な変更だったから当然だ)。その代わりイベント時は制約なしに自由に使えるらしい。
急な工事変更に伴い、現場には『SSC』の社員やバイトスタッフが手伝いと称して入ったと聞いている。外構工事担当の現場監督が、せっかくだから職場体験でもしろという名目で人手として学生を使ったらしいが、美綾はむしろ未経験者の指導に手間をとられたのではないかと思っていた。
けれどそれを知った『青桜』側の担当者が、学生が入り乱れている現場を見て怒るどころか、夏休み中でゲームばかりしてる息子にも手伝わせたいと言いだした。
最終的に『SSC』など関係なしに学生が集まって工事が進められた。
そういった内容を、美綾は仕方なく連絡先を交換した郡司から、報告とも文句ともとれる文面で知らされていた。
ちなみにそれは現在進行形で続いている。今も、外の会場設営をボランティアとして手伝ってくれているらしく、貴影や司はその指示に追われていた。
「九条、そっちはどう?」
美綾の姿を見つけた貴影がビル内に入ってくる。臨時でミストシャワーを設置して、試験稼働を兼ねて使用しているが、炎天下での作業は暑いだろう。夕方近くになっても気温は高いままだ。
「こっちはほとんど終わって、いろんな確認も済んだところ……御嵩くん水分補給した?」
腕で汗を拭うのを見て、美綾は真新しい受付カウンターに置かれた箱の中からスポーツドリンクを取り出して手渡した。
「これは?」
「さっき届いた『青桜』の社員さんからの差し入れよ。外にも今持って行ってもらったけど」
「そうか、後でお礼を伝えないと」
貴影が喉をならしてスポーツドリンクを飲んだ。そんな動きにどきっとするのは、彼と肌を重ねたせいだろうか。
「外はまだかかりそう?」
「ああ、ある程度はキリがついている。あとは明日のリハーサルの準備に各部署が動いていく。これ以上会場準備にこだわらなければね」
「……そうね」
イベント会場の準備は、突然参加のボランティア学生の声もあって、どんどん変更しているらしい。真夏が判断して許容できるところは許可を出しているけれど、抑えるほうが大変なようだ。
「御嵩、ちょっと!」
声をかけられて貴影が肩を落とす。本当に休む暇もない。こんな状態のまま本番の明日を迎えることになるのだろう。貴影は「じゃあ」と言ってスポーツドリンクを持ったまま呼ばれた方へ向かった。
二人の間にあったことなど夢か幻のように、彼はいつもと変わらなかった。
いつもと同じように接してくれることがありがたかった。
美綾の髪を見て、明らかに動揺したのは一瞬。周囲が驚愕の声を上げる中、仕事に集中しろと諫めてそして小さく『似合っている』と囁いてくれた。
少し悲しそうに見えたのは気のせいかもしれない。
美綾は再度進行表を広げて、ひとつずつ確認しようとペンを探した。ポケットにいれていたつもりだったのに、またどこかへやってしまったのだろうか?
気持ちが慌しくなると物品管理がおろそかになってくる。逆に、それによって自分には余裕が失われているのだというバロメーター代わりにもなっていた。
「準備状況はどうかな?」
男性に声をかけられて、美綾は慌てて振り返って反射的に答える。
「はい。こちらはほとんど終わっています。後は外のイベント会場の準備が少し残っているだけです。予定通り進行しています」
そこにいたのは今回のイベント統括責任者である部長の時任だった。直接顔を合わせるのはホテルのカフェで別れて以来だ。頭を下げて挨拶しようとした矢先、
「おい! どういうことだよ。この頭は!」
と、時任を突き飛ばしかねない勢いで、前に出てきた郡司が美綾の肩を掴んだ。
郡司の行動に驚いていた時任も、この場にいるのが美綾だと気づいて大きく目を見開く。
「まとめているんじゃないのか? 全然ないのか? あんなに長くて綺麗だったのに、なんで!」
「イベント成功を願って気合いを入れてみました」
「はあ? バカなことを言うなっ!」
今日はその台詞で押し通している。周囲は興味津々の視線までは隠せないけれど、あえて直接美綾に触れてくる輩はいなかった。
女の子が長かった髪をいきなりばっさり切ってくるのだ。さすがに気遣って誰も詮索してはこない。
だから郡司のようにわかりやすい反応をされるのは新鮮だった。
「九条さんかね……女の子はまたいきなりだねえ」
時任がしみじみと呟きを漏らす。
郡司はもの言いたげに口元を歪めると、美綾の頭に手を伸ばした。そしてそっと撫でる。なくなった髪を惜しむような手の動きが優しくて美綾はされるがままになった。
しかしすぐさま美綾の体は後ろにひかれて腕の中に庇われた。
「申し訳ありませんが、そのように触れるのはやめてください」
「ああ、すまない。この方は――」
「存じています。社長のご子息の青山郡司さんでしょう? オレは『SSC』代表の玖珂由功です。今回はイベントのご依頼をしていただきありがとうございました。また先日はお電話までいただいて……彼女もお世話になったようで」
美綾を後ろ手にかばって、うやうやしく頭を下げながら由功は名刺を取り出した。
「ああ、先日はどうも。君が玖珂由功ね。噂はかねがね聞いている」
郡司も名刺を出して二人はスマートに名刺交換した。けれど初対面のはずの二人は見るからに険悪な空気を醸し出している。ここまで好戦的な由功は珍しい。
「時任さん。申し訳ありませんが、仕事以外で彼女を個人的に呼び出すのはやめていただけますか? それから青山さんも、地位ある男性が女子高校生を相手にするのは問題があると思います。彼女の評判にもマイナスになり兼ねない。ぜひ控えていただきたい」
由功がここぞとばかりに不遜な態度を崩さずに、言いたいことを言い放った。それが自分のためだとわかるから、美綾は由功の背中のシャツを掴むぐらいしかできない。
「その件については本当に申し訳なく思っている。すまなかったね」
「いえ、謝罪はその時にいただいていますので、お気になさらずに」
時任の謝罪に美綾は慌てて答えた。なにより、いまだ周囲の目がある中での謝罪など正直困る。
それに由功の口調だと、郡司と食事へ行ったこともどうやら知られている気がしてならない。
「君に指図されることじゃないと思うが」
「郡司くん! ほら外の会場も確認しないと」
一触即発のような二人に気づいたのか、時任が郡司に声をかけて先を促す。由功もそれ以上の発言は控えたようだった。郡司も小さく息を吐き出すに留めたものの、去り間際美綾の耳元に近づいて
「ショートも似合っているよ」
と囁いた。挑発的な視線を由功に送ることは忘れずに。
「時任さんって、社長の息子にあんな態度で大丈夫かしら」
なんとなく少しでも話題を変えようと、美綾は気になっていたことを呟く。
「あの人は社長の妹の夫だ。だから、青山郡司は甥にあたる」
それであんな風に親し気な雰囲気だったのかと納得する。そうなると時任の息子とはいとこにあたるのか。
郡司が美綾を警戒した理由のひとつはそこだったのだろう。
「いろんな噂は耳にしていたけど、実物は想像以上だな……そのうえオレの牽制はもはや手遅れか」
由功は負けずに郡司の背中を睨み続ける。そうして美綾を見てやるせなさそうに目を細めた。
「髪切るにしても……もう少し長くてもよかったんじゃないか?」
「中途半端にしたくなかったから」
美綾は小さなころからロングヘアだった。ショートヘアにしたのは本当に生まれて初めてだ。
肩につくぐらいの長さだったからボブにすることもできた。でも潔く切ってしまいたかったのだ。それで自分が生まれ変われるような気がした。
あたりまえだけれどまだ慣れない。自分の髪が視界に入らないことも、背中に触れないことも。頭が軽くなった気はするけれど気持ちまではどうだろう。
「知らない女の子みたいだ」
今まであったはずの髪に触れるように、由功が手を伸ばした。彼はそっと手を握ったけれど、掴めるはずだった髪はもはやない。空を切った手を美綾の頭の後ろにまわすと由功に引き寄せられた。彼の肩に額を押し付ける形になる。
周囲はまだ人が忙しなく動いている。それでも美綾は由功から離れることはできなかった。
「机の上にあったもの見た」
「うん」
美容室を終えて『SSC』に行くと真っ先に由功の部屋に入った。美綾はあの部屋の鍵を持ったままなので、自由に出入りできる。だからこっそり置いてきたのだ。
「オレは嫌だ」
「うん、ごめんね」
美綾の頭に触れていた手に力がこめられる。由功の体も強張るように固まっていた。
「由功、ごめんなさい」
美綾も手を伸ばして、由功の髪に触れた。ふわりとしたやわらかな髪に指をいれ、そっと彼の頭を撫でる。
「オレはこんな結論望んでなかった」
「でも私が決めたの」
出会った時からずっとそばにいた。誰よりも長い時間をともに過ごした。そして彼に守られてきた。
「仕事最後まで頑張るから!」
笑顔でそう言うと由功から離れる。彼も引き留めはしなかった。
そして遅れて『SSC』に行って事務的な作業を終えた後、ほぼ内装が出来上がった『青桜』の新ビルに向かった。
『青桜』の社員に案内されながら、バイトスタッフの控室の確認や、救護室や裏動線など使用可能な場所をチェックする。
週間天気予報は迷うことなく晴れを示しており、この晴天は週末まで続く。幸い台風もこない。よって予定通りビル内外を使用してイベントを実施することになっていた。
ビル内で行うのは新ビルお披露目に関するものがメインだ。こちらは基本的には『青桜』社員が中心となって対応する。他企業の上層部も来賓として招いているので、一階にもティーンズラインのブースは設置予定だ。また熱中症対策としての休憩スペースも臨時で確保している。もしもの場合の救護体制についても確認をした。
ビルの一階はイベントができる大きなスペースだとは聞いていたし、図面でも見ていた。でも実際足を踏み入れると、空間の大きさは図面だけではわからないなと美綾は思った。
三階までは吹き抜けとなっていて、一部は全面ガラス張りだ。遮光と遮熱がきちんとされているので眩しさや暑さはあまり感じない。
『青桜』本社ビルは豪華で洗練された雰囲気でどことなく立ち入りをためらってしまうが、こちらは天井や壁の一部に木を使用しているためか、温もりを感じさせる空間になっている。
そして『夏祭り』をテーマに開催される新商品イベントは外のスペースを使用する。商品ブースをはじめ催しものを行うためのステージも設置する。当日は軽食提供可能なキッチンカーも来るので、食事休憩できるパラソルつきのテーブルや椅子も置くことになっていた。
結局、外構工事はいまだ途中で、特に植栽関係は終わっていない(急な変更だったから当然だ)。その代わりイベント時は制約なしに自由に使えるらしい。
急な工事変更に伴い、現場には『SSC』の社員やバイトスタッフが手伝いと称して入ったと聞いている。外構工事担当の現場監督が、せっかくだから職場体験でもしろという名目で人手として学生を使ったらしいが、美綾はむしろ未経験者の指導に手間をとられたのではないかと思っていた。
けれどそれを知った『青桜』側の担当者が、学生が入り乱れている現場を見て怒るどころか、夏休み中でゲームばかりしてる息子にも手伝わせたいと言いだした。
最終的に『SSC』など関係なしに学生が集まって工事が進められた。
そういった内容を、美綾は仕方なく連絡先を交換した郡司から、報告とも文句ともとれる文面で知らされていた。
ちなみにそれは現在進行形で続いている。今も、外の会場設営をボランティアとして手伝ってくれているらしく、貴影や司はその指示に追われていた。
「九条、そっちはどう?」
美綾の姿を見つけた貴影がビル内に入ってくる。臨時でミストシャワーを設置して、試験稼働を兼ねて使用しているが、炎天下での作業は暑いだろう。夕方近くになっても気温は高いままだ。
「こっちはほとんど終わって、いろんな確認も済んだところ……御嵩くん水分補給した?」
腕で汗を拭うのを見て、美綾は真新しい受付カウンターに置かれた箱の中からスポーツドリンクを取り出して手渡した。
「これは?」
「さっき届いた『青桜』の社員さんからの差し入れよ。外にも今持って行ってもらったけど」
「そうか、後でお礼を伝えないと」
貴影が喉をならしてスポーツドリンクを飲んだ。そんな動きにどきっとするのは、彼と肌を重ねたせいだろうか。
「外はまだかかりそう?」
「ああ、ある程度はキリがついている。あとは明日のリハーサルの準備に各部署が動いていく。これ以上会場準備にこだわらなければね」
「……そうね」
イベント会場の準備は、突然参加のボランティア学生の声もあって、どんどん変更しているらしい。真夏が判断して許容できるところは許可を出しているけれど、抑えるほうが大変なようだ。
「御嵩、ちょっと!」
声をかけられて貴影が肩を落とす。本当に休む暇もない。こんな状態のまま本番の明日を迎えることになるのだろう。貴影は「じゃあ」と言ってスポーツドリンクを持ったまま呼ばれた方へ向かった。
二人の間にあったことなど夢か幻のように、彼はいつもと変わらなかった。
いつもと同じように接してくれることがありがたかった。
美綾の髪を見て、明らかに動揺したのは一瞬。周囲が驚愕の声を上げる中、仕事に集中しろと諫めてそして小さく『似合っている』と囁いてくれた。
少し悲しそうに見えたのは気のせいかもしれない。
美綾は再度進行表を広げて、ひとつずつ確認しようとペンを探した。ポケットにいれていたつもりだったのに、またどこかへやってしまったのだろうか?
気持ちが慌しくなると物品管理がおろそかになってくる。逆に、それによって自分には余裕が失われているのだというバロメーター代わりにもなっていた。
「準備状況はどうかな?」
男性に声をかけられて、美綾は慌てて振り返って反射的に答える。
「はい。こちらはほとんど終わっています。後は外のイベント会場の準備が少し残っているだけです。予定通り進行しています」
そこにいたのは今回のイベント統括責任者である部長の時任だった。直接顔を合わせるのはホテルのカフェで別れて以来だ。頭を下げて挨拶しようとした矢先、
「おい! どういうことだよ。この頭は!」
と、時任を突き飛ばしかねない勢いで、前に出てきた郡司が美綾の肩を掴んだ。
郡司の行動に驚いていた時任も、この場にいるのが美綾だと気づいて大きく目を見開く。
「まとめているんじゃないのか? 全然ないのか? あんなに長くて綺麗だったのに、なんで!」
「イベント成功を願って気合いを入れてみました」
「はあ? バカなことを言うなっ!」
今日はその台詞で押し通している。周囲は興味津々の視線までは隠せないけれど、あえて直接美綾に触れてくる輩はいなかった。
女の子が長かった髪をいきなりばっさり切ってくるのだ。さすがに気遣って誰も詮索してはこない。
だから郡司のようにわかりやすい反応をされるのは新鮮だった。
「九条さんかね……女の子はまたいきなりだねえ」
時任がしみじみと呟きを漏らす。
郡司はもの言いたげに口元を歪めると、美綾の頭に手を伸ばした。そしてそっと撫でる。なくなった髪を惜しむような手の動きが優しくて美綾はされるがままになった。
しかしすぐさま美綾の体は後ろにひかれて腕の中に庇われた。
「申し訳ありませんが、そのように触れるのはやめてください」
「ああ、すまない。この方は――」
「存じています。社長のご子息の青山郡司さんでしょう? オレは『SSC』代表の玖珂由功です。今回はイベントのご依頼をしていただきありがとうございました。また先日はお電話までいただいて……彼女もお世話になったようで」
美綾を後ろ手にかばって、うやうやしく頭を下げながら由功は名刺を取り出した。
「ああ、先日はどうも。君が玖珂由功ね。噂はかねがね聞いている」
郡司も名刺を出して二人はスマートに名刺交換した。けれど初対面のはずの二人は見るからに険悪な空気を醸し出している。ここまで好戦的な由功は珍しい。
「時任さん。申し訳ありませんが、仕事以外で彼女を個人的に呼び出すのはやめていただけますか? それから青山さんも、地位ある男性が女子高校生を相手にするのは問題があると思います。彼女の評判にもマイナスになり兼ねない。ぜひ控えていただきたい」
由功がここぞとばかりに不遜な態度を崩さずに、言いたいことを言い放った。それが自分のためだとわかるから、美綾は由功の背中のシャツを掴むぐらいしかできない。
「その件については本当に申し訳なく思っている。すまなかったね」
「いえ、謝罪はその時にいただいていますので、お気になさらずに」
時任の謝罪に美綾は慌てて答えた。なにより、いまだ周囲の目がある中での謝罪など正直困る。
それに由功の口調だと、郡司と食事へ行ったこともどうやら知られている気がしてならない。
「君に指図されることじゃないと思うが」
「郡司くん! ほら外の会場も確認しないと」
一触即発のような二人に気づいたのか、時任が郡司に声をかけて先を促す。由功もそれ以上の発言は控えたようだった。郡司も小さく息を吐き出すに留めたものの、去り間際美綾の耳元に近づいて
「ショートも似合っているよ」
と囁いた。挑発的な視線を由功に送ることは忘れずに。
「時任さんって、社長の息子にあんな態度で大丈夫かしら」
なんとなく少しでも話題を変えようと、美綾は気になっていたことを呟く。
「あの人は社長の妹の夫だ。だから、青山郡司は甥にあたる」
それであんな風に親し気な雰囲気だったのかと納得する。そうなると時任の息子とはいとこにあたるのか。
郡司が美綾を警戒した理由のひとつはそこだったのだろう。
「いろんな噂は耳にしていたけど、実物は想像以上だな……そのうえオレの牽制はもはや手遅れか」
由功は負けずに郡司の背中を睨み続ける。そうして美綾を見てやるせなさそうに目を細めた。
「髪切るにしても……もう少し長くてもよかったんじゃないか?」
「中途半端にしたくなかったから」
美綾は小さなころからロングヘアだった。ショートヘアにしたのは本当に生まれて初めてだ。
肩につくぐらいの長さだったからボブにすることもできた。でも潔く切ってしまいたかったのだ。それで自分が生まれ変われるような気がした。
あたりまえだけれどまだ慣れない。自分の髪が視界に入らないことも、背中に触れないことも。頭が軽くなった気はするけれど気持ちまではどうだろう。
「知らない女の子みたいだ」
今まであったはずの髪に触れるように、由功が手を伸ばした。彼はそっと手を握ったけれど、掴めるはずだった髪はもはやない。空を切った手を美綾の頭の後ろにまわすと由功に引き寄せられた。彼の肩に額を押し付ける形になる。
周囲はまだ人が忙しなく動いている。それでも美綾は由功から離れることはできなかった。
「机の上にあったもの見た」
「うん」
美容室を終えて『SSC』に行くと真っ先に由功の部屋に入った。美綾はあの部屋の鍵を持ったままなので、自由に出入りできる。だからこっそり置いてきたのだ。
「オレは嫌だ」
「うん、ごめんね」
美綾の頭に触れていた手に力がこめられる。由功の体も強張るように固まっていた。
「由功、ごめんなさい」
美綾も手を伸ばして、由功の髪に触れた。ふわりとしたやわらかな髪に指をいれ、そっと彼の頭を撫でる。
「オレはこんな結論望んでなかった」
「でも私が決めたの」
出会った時からずっとそばにいた。誰よりも長い時間をともに過ごした。そして彼に守られてきた。
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