恋火

流月るる

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第十二話

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 美綾が助手席に座ると、郡司は運転席に座りすぐさまロックをした。美綾はびくりとしたけれどなんとか耐える。怯えた態度を見せれば逆効果になる気がしたからだ。
 この車の周囲はあまり他の車が停まっていなかった。時折、車が走る音は聞こえるのにそばを通る気配はない。
 美綾は後部座席にある荷物を見た。あの中には防犯ブザーも催涙スプレーも入っている。由功にしつこいくらい外出時には持ち歩くように言われ続けたからだ。けれどすぐには手が届かない位置にあるため役に立ちそうにない。
 『だから身に着けておけって言ったろう!』と叱られそうだ。

「おまえ名前は?」
「九条美綾です」
「みあや……言いにくいな」
「社長の息子さんは海外にいらっしゃったはずです」
「そう、よく知っていたな。まだ正式発表されていないけれど、もうすぐ日本に戻る。今はその準備で行ったり来たりしているところ」

 クライアント企業を調べるのは基本中の基本だ。
 今回は陽司の指導の下、勇に『青桜』について事細かく調べさせた。歴史から始まり企業理念、事業形態、財務状況、場合によっては関連企業にまで手を伸ばして調べつくす。そして重要な部分はチーム全員で共有する。
 最初はぼやいていた勇も、やっているうちに面白くなったのか、本人に合っていたのか、まとめ終えたあとも時折調べて情報更新していた。関わりの多い担当者たちの趣味嗜好のような個人情報まで調べてきたときは、さすがに貴影もストップをかけていた。
 息子のことは海外にいて今回は関りがないからと、美綾もそこまで詳細に記憶しなかった。

「高校生企業――だっけ? まさかうちが巷の流行りにのっかってガキに仕事をやらせるとは思ってもいなかったよ。よく言えばただの職業体験、所詮ガキのお遊びサークルだろうが。父親に与えられたおもちゃを使って遊んでいる図々しいガキの集団だ。それがうちの商品の宣伝に、新ビルまで使って知名度あげるために利用」

 美綾は思わず郡司を睨んだ。
 『SSC』が陰でどう言われているか美綾だって知っている。週刊誌で一見華やかにとりあげられて、けれど内容がひどいものだったこともある。でも面と向かって直接言われたのは初めてだった。

 でも由功は『それでいい』と言った。周囲の声も評判もどうでもいい。
 やりたいことをやる。そのために利用できるものは利用すると。

 『SSC』は元々、由功の父親が彼に与えたものだ。実質的な責任者は由功の父親なのだ。郡司の言う通り『遊び場』だろう。経営だって今ようやく赤字でなくなった程度。

 バイトスタッフにはきちんと時給としてバイト料が支払われているが、社員は違う。契約時に給与面も含めて話し合い、双方納得の上で契約をする。最終面接は必ず由功本人がするのもそのためだ。

 美綾は経済的に困っていないので、最低限の賃金で契約した。おそらく貴影や司もそうだろう。
 『お金』以上のものをあの場で得ることができるとわかっているからだ。
 その価値を求めて自ら入社希望してくる者もいれば、高宮陸斗のように身内に言われてきた者もいる。だから今『SSC』には由功の趣旨に賛同した人間だけが残っている。その人数は決して少なくはない。
 
 そして経済的に苦しくて仕事を求めてくる人は、能力の有無など関わらず最優先で採用する。
 『SSC』は『働いて』『稼ぐ』場所だから。
 『稼ぐ』ものは人それぞれ。
 お金でも経験でも人脈でもなんでもいい。求めてくるのであれば。

 だから、由功が面接で必ず一番最初に言う言葉は決まっている。

 ――ここでなにをやりたいか――そして、やりたいことのために『SSC』を利用しろ、と。

 そう利用している。大人も会社も……自分たちがやりたいことのために……誰に何を言われても。

「利用しているのはお互いさまです。あなたがた大人にとって遊んでいるようにしか見えなくても、私たちは真剣に真面目にやっています!」
「開き直るのか? 仕事の紹介だけならまだかわいげがあるが、男の紹介までねだっておいて?」
「仕事は依頼されたんです! 男の人の紹介なんて頼んでいません!」
「じゃあ、なんでそんな男受け満載の格好をして、ホテルのカフェで時任と会った? 仕事の話なら会社に来るはずだ。おまえが息子を紹介してほしいってねだったから今日会う約束をしたんだろうが!」
「そんなお願いしたことはありません。今日だって急に呼び出されただけです!」

 言い返しながら、確かに郡司の言う通りだと思った。
 服装はたまたまだけれど、呼び出されたこと自体に動揺して場所に違和感を覚えなかった。
 そして美綾は思い出す。
 『青桜』の部長がパーティーに出席してほしいと言っているのだと。そしてそれは息子を紹介するためだとも。

(あ……時任さんの息子さんを紹介するつもりだった? だから私が呼びだされたの?)

「じゃあ時任が望んで息子を紹介しようとしたのか? 十も年下の女子高生に自分の息子を? ふざけるなよ!」

 郡司に怒鳴られて美綾は反射的にドアを開けて逃げようとした。けれどノブは動かない。郡司がその手を掴んでシートに体を押し付ける。すぐそばに鋭い光を宿す男の目があった。

「は……はなして」

 声が震える。美綾の願いとは逆に手首を掴む手に力がこめられる。圧倒的な男の力に抗えない。恐怖で体が震える。

「まあ確かに見た目は――ねだられればなんでもしてやりたい気分になるな……」
「誤解です……ねだってなんかいない。はなしてっ、もう帰してください!」
「だったら金輪際、慧に近づくな」

 慧なんて人は知らない。でもここでは素直に頷いたほうがいい。頭ではわかるのに感情がついていかない。

 ピリリッと音色がした。地下駐車場の車内の静けさが余計にその音色を大きく響かせる。郡司は苛立ちを隠すことなく、美綾の腕を掴んだまま自分の携帯をスピーカーホンにして応答する。美綾を逃がさないためか、さらに力が込められて手首に痛みを感じた。

「はい」
『郡司くん! 九条さんがどこにいるか知らないか? 本人の携帯に連絡しても繋がらないと問い合わせがあった。彼女はもうホテルを出たか?』

 時任らしい大声が携帯から聞こえた。美綾の携帯は荷物の中にあるし、音がでないように消している。だから連絡には気づかなかった。美綾が呼び出されて『青桜』の部長に会いに行ったことは残っていたメンバーが知っている。急な呼び出しを心配してくれたか、なにか用事でもあったのかもしれない。

 郡司はじっと美綾を見下ろしながら、あろうことか

「さあ、知らない」

と答える。確かに本当のことは言えないだろうけれど、悔しくてたまらない。いっそ大声を出そうとしたのに、気づいた郡司が美綾の口元を掌で覆った。

『そうか。ああ、そうだ郡司くん。誤解のないよう言っておくが彼女はなにも知らない。おまえは慧に低俗な女子高生なぞ相手にするなと暴言を吐いたらしいが、彼女はそういう子じゃない。私が勝手に慧の相手にと気に入っていただけだ。くれぐれも彼女本人にそんなことは言わないように!』
「彼女にねだられたから慧を紹介しようとしたんじゃないんですか? 仕事だって!」
『妙な噂を信じるな。仕事はきちんと会議で決めて決定したことだ。実際うまく進んでいるだろうが! 報告を聞いていないのか? それに彼女は慧のことさえ知らん。確かに高校生だけれど彼らはしっかりしている。きちんと対応しなさい』
 
 時任が話すごとに郡司の眉間に皺が寄っていく。美綾を見つめながら、時任の話の内容を吟味しているのだろう。

「本当にあなたの勝手でしたことなんですね」
『そう言っている。それより九条さんが心配だ。警察に連絡したほうが……』
「警察は大げさでしょう。子どもだから迷子にでもなっているんじゃないですか? オレも探しますから」
『見つけたらすぐに教えるように!』

 話の展開に泣きたくなる。美綾は誤解が解けたことにほっとしつつも、大事になりそうな事態のほうに不安になる。さすがに警察は大げさすぎる。でもこれ以上携帯に出なければ心配をかけてしまう。なんとなく今でもバイブレーションの音がしているような気もするのだ。

 郡司が通話を終えるとやっと手を離してくれた。美綾はなにか怒鳴ってやりたかったけれど、とにかく今は携帯の確保が先だ。
 美綾は荷物を手にして携帯をとりだすと、真夏の声を聞きながら『携帯をどこかに置き忘れたみたいで探していた』と言い訳しつつ謝罪した。
 そして美綾の言い訳を聞いた後、郡司もまた時任に連絡し『ホテルで携帯を探しているのを見つけた。オレが責任もって『SSC』まで送るから』とのたまった。

「誤解は解けましたか?」

 美綾は浮かびかけていた涙を拭う。けれど郡司を睨むことは忘れなかった。

「ああ、解けた。悪い、ごめん、すまなかった、申し訳ない!」

 謝罪の言葉のバリエーションが多ければいいわけじゃない。けれど郡司は心底申し訳ない表情はしていたので、無理やり溜飲をさげる。この男は社長の息子だ。いろいろ言いたいことはあるけれど、これ以上口を利くのも嫌だった。

「本当にごめん」

 郡司が頭をさげる。
 怖かった。
 大きな声で怒鳴られて、身に覚えのないことで蔑まれて、掴まれた腕だって痛い。
 もう話したくはないけれど、これだけは言っておきたい。

「今後うちの悪口は控えてください」
「ああ、高校生だからってバカにしない……ようにする」
「客観的に、きちんと見て評価してください。噂や先入観で判断しないでください。私たちは高校生だけど、みんな一生懸命やっています」
「わかった。おまえのことも……きちんと見る」

 そこはもうどうでもよかった。ただ『SSC』だけは偏見の目で判断してほしくない。きちんと見たうえでの批判は受け止める。

「私帰ります」
「送る」
「結構です」
「送る。時任にもそう言った。責任もって送っていく!」

 本当は嫌だったけれど、仕方なく美綾は応じた。
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