恋火

流月るる

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第七話

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「ねえねえ、やっぱり千家くん、かっこいいよねえ」
「えー、私は勇くんがいいけどな」
「無駄話しないで、手動かそうよ」
「そりゃあ優芽ゆめは、御嵩くんに一途だから」
「やめてよ、もう!」

 最初は緊張感があったのに、時間経過とともにだんだんと失われていく。
 同じ目的をもって一緒に作業をしていくうちに親しみが増し、どうしても学校と同じようなはしゃいだ空気が生まれてくる。
 彼女たちは小声で会話をしているものの、オープンスペースなので話は筒抜けだ。特に今は男の子が部屋にいないので内容も少し際どい。

 高校生の年頃の男女が一緒に活動をするのだ。恋愛感情が生じるのは必然だった。
 由功は『SSC』内での恋愛を禁止してはいない。むしろ禁止しようがないというのが本音だ。恋愛感情はプラスにしろマイナスにしろ大きなエネルギーを生み、仕事に与える影響が大きい。
 だからせめて社員に対しては節度を守るように命じているが、バイトスタッフまでは徹底できないままだ。
 生まれた恋心までは抑えつけられない。

 『SSC』は、巷ではカリスマ高校生の集団として認識されているのだとバイトスタッフから聞いた時、美綾は驚きつつも納得していた。美綾が懸念していたとおり、夏休みが過ぎるにつれて一階のカフェの女子高生率は上がったのだ。カフェの客とバイトスタッフの小さなトラブルが生じて、由功は警備員を増配することで対策をとった。
 
 確かに今『SSC』の社員になるのは厳しくなっている。初期の、人手集めに苦労していた頃を知っている美綾としては複雑な心境だ。最近の社員もバイトも応募理由がミーハーなものになっているという。『SSC』の唯一の部署ともいえる総務部のスタッフがそう愚痴っていた。

「次、これお願いします」

 はーいと明るい返事が返ってくる。真夏が随分感情を抑えて言ったことにも気づいていないようだ。

「結局こうなるんだよね……」

 真夏が小さく毒気づく。小柄な見た目とは裏腹に真夏はかなり気が強い。だから女の子の集団にも負けずに対応することができる。彼女のことは知っていたが、こんなふうに親しくするのは初めてだ。いや、元々美綾はここでは、里音以外の同性の女の子との関りがほとんどない。
 真夏のさっぱりとした気性のおかげで、美綾は短期間で仲良くなることができた。

「今回チーフが御嵩くんだし、相模くんとか瀬尾くんとか注目株だし、何より千家の馬鹿がいるし……だからこうなるだろうとは思っていたけど、ちょっと予想以上」

 司と真夏はよく言い合いをしている。同じ学校で気楽な関係だからだろう。ただ司は女の子に随分人気がある上に、距離感が近い。そういう軽い接し方が真夏には不快なようだ。

「千家なんか、期待させるような対応するから女の子たちすぐに夢中になるんだよね。それで告白して振られて、だからもう仕事辞めます! ってなっちゃうんだよ」

 ああ、それで、と美綾は思った。今回バイトスタッフの女の子の入れ替わりが激しいなと感じていたのだ。

「御嵩くんは彼女いるからいいけど、それでもって子がいるからなあ……」

 ドアが開いて、タイムリーに話題の渦中の人物が戻ってくる。女の子たちの興奮が一瞬増したのがわかった。

「悪い、九条、遅くなって」
「おかえりなさい」
「高階、悪いけど備品リストすぐに確認してもらっていいか? それから、他のバイトの子そろそろ帰して」
「了解」

 真夏がすぐに貴影から備品リストを受け取って、まだ残っている女の子たちに声をかける。そのまま備品の確認に出ていった。

「九条、今からいいか?」
「帰ったばかりでしょう? 少し休んだら。私のほうもまだプリントアウトすんでないから」

 そうだな、と貴影は呟いてため息をもらした。

「部屋にいる。準備ができたら声をかけてくれ」

 チーフにのみ与えられた個室に貴影は入っていった。見た感じでは疲れている様子はない。むしろ彼はそういった一面を見せないようにしている節がある。けれど暑い日差しの中、外を駆けずり回り、大人たちと対等に渡り歩くのは大変だろう。

 美綾はプリンターから出てきた資料をまとめていく。
 
「あの、九条さん」

 資料のページ数を確認していたところにそう声をかけられた。

「御嵩くんに冷たいもの運んでもいいですか?」

 見れば手に麦茶のグラスをのせたトレイを持っている。貴影が戻ってきてすぐに準備したのだろう。他の女の子たちが帰り支度をしながら心配そうな視線をちらちら向けていた。

「ええ、いいと思うけど……」

 瞬間女の子の表情がぱあっと明るくなる。さっき優芽と呼ばれていた子だと美綾は気がついた。
 貴影に恋しているのだろう。恋人がいることは知っているのかもしれない。けれど、それでも好きな気持ちは抑えられない。自分にも覚えのある感情。
 優芽は軽く頭を下げると、貴影の部屋のドアへと向かった。
 ピッと紙切れを知らせる警告音が響いて、美綾はすぐに視線を彼女からプリンターに戻した。そして棚から用紙を持ってくるとトレイにしまう。

「あの、じゃあお先に失礼します」
「お疲れ様です」

 女の子たちの挨拶に返事をした。一気に人の気配が薄まって室内がしんと静まり返る。さっきまで彼女たちがはしゃいでいた場所はある程度整頓され、そのスペースの明かりも落とされていた。
 ブラインドの一部がおりていないことに気がついて、美綾はブラインドをおろしに行った。
 テーブルの端にひとつだけぽつんと荷物が残っている。そういえば貴影に麦茶を運んだ女の子はまだ部屋から出てこない。お茶を運ぶだけのはずなのにと思いつつ、なにか話でもしているのかもしれないと思った。

 しかしすぐにそれはないと思い直す。貴影に限っては、バイトの女の子ときさくに話をするようなイメージはない。司みたいに女の子に期待させるような振る舞いはしない。なんとなく胸騒ぎを覚えていると、部屋のドアが乱暴に開かれた。

「彼女がいてもいい! 二番目でもいいんです!」

 悲痛に似た叫び声が響く。美綾は茫然とその様子を見ていた。

「帰ってくれ。ここにももう来なくていい」

 貴影の静かな、いつもより低い声が強く断言する。
 ドアはすぐに閉じられ、優芽だけがその前で立ち尽くす。肩が震え泣いているのがわかった。

「ただっ、好きなだけなのに!……」

 苦しそうに呟いて、優芽は自分の荷物を無造作に掴んだ。目に涙をいっぱい浮かべた彼女の目と美綾の目が合う。深い悲しみに彩られたそれは、まるで鏡を見ているような気にさせられる。優芽は乱暴に涙を拭うと飛び出していった。ちょうど戻ってきた真夏とぶつかる。

「え? なに?」

 真夏が驚いた声をあげて、ぶつかりざま落とした備品リストを拾い上げた。

「なに? なにかあったの?」

 薄暗い場所でぼんやりしている美綾を、真夏が怪訝そうに見る。美綾はただ首を横に振った。なにをどう説明していいのかわからなかった。美綾がわかっているのは優芽がおそらく貴影に告白して、そして受け入れられなかったということ。そして彼女の頬は涙に濡れ、胸元の下着が露わになっていたこと。

「もしかしてさっきの子、御嵩くんの部屋に入った?」

 はっとしたような真夏の言葉に美綾は肯定の意味で頷いた。

「麦茶を運びに行ったの」

 真夏は大きく肩を落として、何もかもわかったように息を吐いた。

「そっか、美綾ちゃんに言うの忘れていたかも。チーフの部屋に入っていいのは社員だけでバイトスタッフは入室禁止なの。たとえ麦茶の差し入れ程度でも」

 貴影は外に出かけることが多いため、あまり個室にいることがない。美綾でさえまだ入ったことがない。だからそんなルールがあることなど知らなかった。

「チーフの部屋って個室でしょう? チーフが男の子でも女の子でも基本的には異性と二人きりにならないようにしているの。でないと問題が起きたりするから。だから仕方なく二人きりになるときはドアは開放しておくのが原則。御嵩くんの場合、恋人がいるのは周知の事実なのに、それでもいいって強い気持ちの女の子が多いからか行動が大胆になる。たぶんさっきの子服が乱れていたから、御嵩くんにせまったんじゃないかな?」
「せまる?」
「うん。最近の女の子は大胆だからね。自分から脱いだり、無理やりキスしたり。御嵩くんはまだね、はっきり断るからいいけど流される人もいるから……。だからバイトスタッフの入室は禁止しているの」

「ごめんなさい。知らなかった」

 ああ、だから優芽はわざわざ美綾に許可を求めに来たのだ。だとしたら美綾は許すべきではなかったし、もしくは自分も口実をつけて同席すればよかったのだ。そうすれば彼女は……あんな行動に出なかったのかもしれないし、傷つくこともなかったのかもしれない。

「バイトスタッフには伝えてあるんだよ。それでも隙あらば行動しちゃうんだろうね」

「九条、高階そろそろはじめよう」

 美綾が見ていたことは気づいていただろうに、何事もなかったように貴影が声をかけてきた。

「ごめん、御嵩くん。私美綾ちゃんに説明してなくて」
「ごめんなさい。私……」
「いや、いい。オレも油断したから」

 もうそれ以上は言わせないという表情で制したので、美綾は言葉を発するのをやめた。あまり触れられたくないのだろう。

「備品確認したよ。足りないものもあったから、明日注文しておく。リストにも追加しておくね」
「ああ」

 美綾はプリントアウトされた書類をあわててまとめた。
 優芽の泣き顔がまぶたの裏に焼きついている。
 恋人がいてもいい! ――そう叫ぶ気持ちは自分も同じではないのか? 
 いつか自分もあんな風に叫んでしまうのだろうか。

(あれはきっと未来の私……)
 
 ぼんやりと美綾はそう思った。
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