恋火

流月るる

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第二話

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 『SSC』の建物はおしゃれなブティックが軒並み並ぶ一角にある。玖珂が所有の老朽化したビルをリノベーションし、真っ白なタイル張りのおしゃれな外観に生まれ変わった。三階建てで道沿いに横に長く連なっており、一階の一部にはカフェが入居している。
 ガラス張りのカフェの店内にはちらほらと制服姿の高校生がいる。夕方になるとその数はさらに増えていくのだろう。  
 『SSC』の知名度があがるにつれて、少しでも社員の姿を見ようと女子高生がつめかけるようになったのは今年のゴールデンウィークが開けてからだ。
 夏休みが始まれば、また騒がしくなるのかもしれない。その前に由功には対策を練るように伝えたほうがいいだろうと思いつつ、美綾はカフェの横を通り過ぎて入り口からビルの中に入った。

「美綾! 久しぶり」

 エレベーターを待っていると背後からそう声をかけられる。

里音りおん

 振り返れば、幼馴染で親友の香月里音かづきりおんが社員証をかざして入ってきたところだった。なんとなくいつもと雰囲気が違う気がして美綾は目を細める。
 女子校のセーラーの襟が真っ白いのに気づいて、ああ、今年になって彼女の夏服姿を見たのは初めてなのだと思った。紺色のカーディガンがないだけで爽やかな印象だ。すりガラスの壁からうっすら差し込む陽の光が、彼女の栗色の髪を照らし、綺麗に整った顔立ちをさらに際立たせていた。

「同じ場所に来ているはずなのになかなか会えないね」
「本当」
「元気にしてた?」
「ええ、元気よ」

 こんな風に里音に会えただけでも嬉しくて元気になる。
 二人で苦笑しながら到着したエレベーターに乗った。

「……それより、聞いたよ。御嵩くんと一緒に組むって」
 
 二人きりの閉じた空間になってから、里音は小さく切り出した。
 美綾はどんな表情をしていいかわからずに曖昧にほほ笑んだ。美綾がチームに加わって貴影と組むことはすぐさま社内に広まったらしいから、彼女が知っていても不思議じゃない。

「大丈夫?」

 複雑な光を宿した眼差しを向けられて美綾は小さくうつむいた。彼女とは高校こそ違うけれど、小・中と一緒で仲良くしていた。だからか、はっきりと口にしたことは一切なかったのに、彼女にはどうやら見抜かれていたらしい。いや、彼女自身が苦しい恋をしているから気づいたのかもしれない。

「わからない……でもやるしかないから」
「……そう。でも無理しないでね、美綾。なにかあったら絶対相談して、ね!」

 二階にはすぐに到着した。いつもなら美綾は三階まで上がって由功のいる部屋へと向かう。今まではその場所が自分の仕事の場だったからだ。けれどしばらくはそこを訪れることはないのかもしれない。

「ありがとう、里音。でも大丈夫よ」

 美綾は笑顔で答えて、そして里音とわかれると廊下の奥の方へと足を進めた。


   ***


 『SSC』は三階建てだがワンフロアが広く、エレベーターを中心に羽を伸ばしたような形になっている。一階には受付を兼ねた『SSC』内で唯一の部署である総務部があり、多目的に使えるオープンスペースと備品室とコピー室、二階が主に使用する部屋で、三階に会議室や資料室に予備フロア、そして代表である由功の部屋がある。
 二階は壁の代わりに可動式の間仕切りで空間を仕切れるように設計しており、様々な広さに区切ることができる。今回は夏休みを挟むためか『SSC』は大きなプロジェクトを三つ抱えている。それに合わせて二階フロアは三つに区切られていた。よって小さなプロジェクト用の部屋は三階の予備フロアに集められていた。
 美綾は自分たちのチームが与えられたスペースのドアを開けた。

「おつかれさまです」
「おつかれさまです、九条先輩」

 すぐさまかわいらしい笑顔とともに挨拶が返される。中学を卒業して数か月の彼の顔にはまだあどけなさが残っている。瀬尾勇せおゆうは高校一年生で四月に入社したばかりの新人だ。そして今回が初めての大きなプロジェクトの参加になる。

「おつかれ、九条」

 相模陽司さがみようじはパソコンから顔をあげて声をかけてきた。穏やかで優しい空気を醸し出す彼はプログラミングが得意らしく、デジタル関連を一手に引き受けている。『SSC』内のデジタル環境を整えたのも彼で、彼がチームにいるといないのとでは作業効率が全く違うらしい。

「勇、九条に見惚れてないで、急いで印刷してこいよ!」
「あ、は、はい!」

 『SSC』は高校生が主体のため、平日は放課後から、土・日祝日は八時半からで、二十一時までが就業時間の目安となっている。勤務時間や休日はチームごとのシフト制となっており、建前的には決まっているものの、プロジェクトの規模や進捗状況で変化するため、本人の自主性とチーム内での調整に一任されていた。

 今回のプロジェクトのチーム人員は六人だ。
 平均的な人数だが、プロジェクトの規模としては少ないほうかもしれない。
 ひとつは夏休みに向けて様々なイベントが重なり人手がギリギリなことや、今回の企画が急遽決まったせいだ。それもあって普段は由功の秘書的な役割である美綾が借りだされたともいえる。
 もうひとつの理由は、この企画のチーフが彼だからだ。
 貴影はもともと少数精鋭でチームを編成することが多い。中心のメンバーさえしっかりしていれば、あとの人員はバイトで補えばいいと考えているからだ。

「もうっ、千家のせいでバタバタになっちゃったじゃん」
「オレのせいかよ。元はおまえが教室に忘れ物をするからだろうが」
「違うよ! あんたが女の子に呼び止められたせいじゃん」

 言い合いをしながら部屋に入ってきたのは美綾以外、唯一の女の子のメンバーである高階真夏たかしなまなつと、彼女と同じ高校に通う千家司せんけつかさだ。
 真夏は、ポニーテールがよく似合う小柄だけれど元気で明るい女の子だ。細々とした雑務を手際よくさばき、しっかりしてかなり仕事ができる。
 司は目立つ容姿なうえにどことなく軟派な雰囲気が漂う。貴影と一緒にチームを組むことが多く、誰とでも気さくに接し交友関係が広い。それを活かしてかバイト関係の統括をすることが多い。由功とも仲が良く、時間があると彼の部屋によく来ていたから美綾も顔見知りではあった。

 貴影は今回、優秀なメンバーばかりを集めたらしい。経験者が多く、何度かお互い組んだことがあるからか、性格も把握しており親しそうだ。プロジェクトの手伝いに参加したことはあっても、チームで仕事をするのがほとんど初めての美綾にとって、こうした雰囲気は中等部での生徒会活動以来だった。
 
「全員揃ったか? じゃあ始めよう」

 チーフにのみ与えられる個室から出てきた貴影がそう告げて、ミーティングが始まった。


 ***


 クライアントは老舗の大手化粧品メーカー『青桜せいおう』。最近は海外の高級ブランドに押され気味ではあるものの、日本ブランドとしての知名度は充分高い。
 今回『SSC』に依頼されたのは『青桜』が初めてプロデュースする、ティーンズラインのメイク用品。その初お披露目イベントの企画および運営だ。

 『青桜』はデパートで販売される高級化粧品ブランドであり、メインターゲットは大人の女性だ。
 そんな『青桜』がティーンズラインを展開することにした。あまり過度な冒険はしない老舗企業がターゲットを拡大し、なおかつその発表イベントの企画を高校生企業である『SSC』に依頼してきたのだ。
 ティーンズ向けだから高校生に、というのは一見理に適っているようにも思えるが、やはりかなり挑戦的だと言わざるを得ない。
 それでも前向きに捉えれば、『SSC』としては老舗大企業のイベントを成功させることで実績をあげることができるし、『青桜』側は新たな企業イメージをPRできる。

 ティーンズラインの第一弾は口紅だ。初めてのメイクデビューで最初に挑戦しやすいからだろう。色付きのリップバームぐらいなら中学生でもハードルが低い。

 特徴的なのがデザインだ。スティック型とパレット型の二種類があり、スティック型は巷の口紅よりもかなり小さなサイズだ。ミニのボールペンのような大きさと形で、ペンケースの中に文具と混じっても違和感がない。パレット型は一見コンパクトミラーに見えるサイズで、好きなカラーを三色選べるようになっていた。
 学校に持って行ってもバレない(かもしれない)、そんな工夫がなされている。
 
 もうひとつの特徴はそのカラー展開の豊富さだ。色は透明とグロス、パーソナルカラー診断のイエロベース系が五色、ブルーベース系が五色の全十二色となっている。パレット型であれば三色選べるので、『好みのカラー三色』でも『透明、好みのカラー、グロス』という選び方も可能だ。

 サイズを小さめにすることで価格を抑え、あまりメイクの機会がなくても使い切れるぐらいの量となっていた。
 価格はプチプラコスメよりは高いがデパートコスメよりは抑えており、お小遣いをためれば手が出そうな設定にしている。
 なによりプロデュースするのが『青桜』だ。品質には自信がある。

 そんな満を持してのデビューのような大事なブランドのイベントを、自社の宣伝広報部ではなくあえて『SSC』に依頼してきた。

 数日前、チームメンバーで質問事項をまとめた後、美綾は貴影とともに担当としての挨拶を兼ねて『青桜』を初訪問した。
 その時に『青桜』から預かったイメージ映像を、貴影がスクリーンボードに映す。

 十二色というカラーバリエーションを印象づけるカラフルで明るい色合いの映像が流れだす。宝石箱のようにキラキラしているが、子どもっぽさはない。大人への憧れと、少女時代への懐古が混ざり合っているようで、ティーンズラインとはいえ大人でも興味を引きそうだ。

 『青桜』の本来のイメージカラーは濃紺だ。淡い桃色でブランド名が書かれており、まるで夜桜のようだと美綾は思ったことがある。スタイリッシュで大人っぽく、自信のある大人の女性に似合う。
 けれどこのラインは、桜の桃色をベースにしながらも赤や黄色やオレンジなどカラフルでありながら、どこか懐かしさもあり、子どもというよりも少女のような儚さを感じさせた。

「企画書見た時も思ったけど……『青桜』プロデュースとは思えないね」
「まあオレたち男にはわからないけど、挑戦しようとしていることは伝わる」

 映像が終わると真夏と司が感想を口にする。

「ティーンズライン全体のテーマは、初めてのメイクとの出会いを、初めての恋と重ねて『初恋』。そして今回の口紅の売り出しコンセプトは『彼が選ぶ彼女の口紅』だ」

 陽司は困ったように、勇は照れたようにその言葉を聞いていた。貴影は淡々と続ける。

「イベント開催日は八月第三、土日の二日間。会場は――もうすぐ竣工予定の『青桜』の新ビルだ」

 今は六月中旬なので期間は約二か月。時間があるのかないのか美綾にはわからない。画面には『青桜』の新ビルのCGパースが映っている。実際の竣工は九月らしいけれどその前のプレオープンという形でお披露目をしたいとも言われた。

「それってさ、新ブランドの発表と新ビルのお披露目を兼ねているってことだろう? そこまでうちが期待されているのか?」
「さあな、どういう意味で期待されているかは知らない。どちらにせよオレたちは仕事をするだけだ」
「そうそう、私たちに依頼してくる会社ってどこもクセがあるもの。大人の思惑なんて気にするだけ時間の無駄」

 真夏はこれまでもいろいろ経験してきたのだろう、やけに実感のこもった台詞をあっけらかんと言い放つ。
 確かに彼女の言う通りな部分はある。
 ちょっと試してみようだとか、成功すれば儲けものだとか、話題になればそれでよしみたいな感覚での仕事の依頼は実は多い。
 由功は規模と予算と人員と諸々を考慮したうえで依頼を受けるか判断している。今でこそ依頼を断ることもあるが、初期の頃はそんな余裕もなくてとりあえず受けていた時期があった。もしかしたら真夏はそこでいろいろ感じるものがあったのかもしれない。
 
「このビルの裏側には地域の人の憩いの場になるようなスペースがある。また一階部分はいろんなイベントができるように設定されているらしい。屋外屋内どちらかでも両方でも使用は可能だ。低層階には商業テナント、高層階にオフィスビルが入居予定」

 それから貴影はこちらからの質問事項に関する『青桜』側の回答を伝え、勇は貴影に与えられていた宿題を報告した。
 それから具体的なイベントの内容について互いにアイデアを出し合う。
 時折、司と真夏が言い合って陽司が間に入って宥める。勇はおろろろしつつも、的確な発言をしては周囲を静まり返らせる。貴影は冷静に彼らの発言を取り上げて、補足し新たな視点を促し場をコントロールしていた。
 
 由功のサポートがメインで、イベントの経過と報告ばかりを聞いていた美綾にとって、企画段階からこうして手探りで作り上げていく作業は新鮮で楽しかった。中等部の生徒会で、由功にさんざん振り回されてきたことも思い出す。

 なによりチーフとしての貴影を見るのは初めてだった。由功と真剣な顔で話し合う姿は大人びていたから、声をあげて笑う姿を見て、あたりまえだけれど同じ高校生なんだなと思った。
 彼についていけばうまくいく、そんな安心と信頼がメンバーの中にあることも感じられた。
 こんな彼を見られて素直に嬉しいと思う。きっと自分が知らない彼がたくさんいるはずだ。
 いまだ戸惑いは抱えているけれど、このまま仲間として仕事ができればいい、美綾はそう願った。 
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