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深化1

アンフェールと薬学研究所と信頼の狂犬

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 アンフェールは現在『ヴィシュニア薬学研究所』で前女王ベロニカのお手伝いをしている。
 隠れ住むのを止めた分、王族として何か仕事がしたいと思っていたのだ。
 しかもなるべく表に出ずに、なおかつ役立っているアピールが出来る事を。

 ベロニカの研究室はアンフェールとベロニカしかいない。
 入口から研究室に向かう時は人と会う事もあるけれど、人数も多くないし干渉してくるタイプもいないので、特に交流も無い。挨拶程度だ。
 この仕事は、薬草・薬学好きのアンフェールに、うってつけだった。

 最初はギュンターにがっちり付き添われ『薬学研究所見学』のようになっていたアンフェールも、現在は白衣を着ていっぱしの研究員風でいる。




「アンフェールが来てくれて助かっているわぁ」

 そう言ってニコニコしている白衣に髪をぼつっとひとくくりにした眼鏡の女性が、アンフェールの叔母、という事になっている前女王ベロニカだ。
 宰相エックハルトの妻であり、アンフェールが殺したグレンの父の妹だ。兄妹あまり似ていない。似てるのは髪が黒いという事位だ。

 エックハルトがグレンの手助けをしたのと同様、彼女もグレンを手助けしてくれていた。
 王に向かない引きこもり薬学オタクが、女王という仮面をかぶって頑張ってきたのは、幼いグレンの盾になる為だったというのだから。

 彼女は薬学が好きで、研究室に籠り出すとあまり出てこない。
 寝食を忘れがちになるらしい。
 人間らしい文化的な生活を送ってもらうために、アンフェールが定時声を掛けに行く。

 アンフェールが来てくれて助かる、というのは主に予算だ。
 王族がここで働く事によって、ちょっとだけ予算が多く出る。
 『ヴィシュニア魔導研究所』と違い、薬学研究所は予算が少ないのだ。
 何故かというと、『治癒ヒール』があるからだ。魔術で何とか出来ちゃう事が多い分、薬学は疎かにされがちなのだ。

(『治癒ヒール』の恩恵は全ての人間が受けられる訳じゃないからな。薬学は大事だ)

 アンフェールはうむうむ、と頷く。

 『治癒ヒール』は光属性の魔術だ。

 光属性を持つ魔術師――治癒術師はとても少ない。
 そもそも純粋な人間で光属性持ちが少ないのだからお察しだ。
 竜の血が入っている貴族階級は光属性持ちが多い。

 しかし貴族階級で治癒術師をやりたがる人間はあまりいない。
 『治癒ヒール』は使えても、別の職種でいる者が多いのだ。怪我人のケアを好んでやりたがる上流階級は少ないんだろう。

 光属性持ちで産まれたら、宮廷魔術師として召抱えられやすい。
 給料がいい分、皆王宮へ就職を決めてしまう。
 だから民間に治癒術師は殆ど残らない。

 予算を決める連中は『治癒ヒール』の恩恵に預かれる。だから薬の事を軽く見ている。
 なので予算が少ないのだ。

 元女王ベロニカは『薬学は民を広く救う』と考えている。
 アンフェールはこの薬学オタクの叔母に好感を持っている。




「叔母上、ちゃんと朝食は食べましたか? というか、昨夜は城に戻りましたか? いつも以上にくたびれていますが……」
「んー。食べてない。帰ってない」
「エックハルトが心配します。ちゃんと帰って下さいね」

 アンフェールはベロニカに『浄化クリーン』を掛けた。髪もぼさぼさなので、手櫛で整えて結び直してあげる。
 応急処置としては十分だろう。元女王がしてちゃいけないビジュアルになっていた。

「本っ当に、アンフェールが来てくれて助かっているわぁ」
「ごはんは自分で食べて下さいね」
「うん、そうするー。『あーん、して』されたらグレンに怒られちゃうー」

 ベロニカはひえぇみたいなリアクションをする。
 その位でグレンは怒らないと思うのだが、なぜビビっているのだろう。

「こんな事もあろうかと、サンドイッチを持って来ました」
「出来る甥っこの気遣いに泣ける……」
「出来るというか……食べてない割合が多すぎですよ」

 ベロニカは本当にダメな大人なのだ。
 薬学以外は生物として大事な事すら疎かになるんだから、どうしようもない。
 女王時代は置きものになっていて、エックハルト含む周りが何とかしていたと聞いている。
 喋り方も女王の時はそれっぽく頑張っていたらしいけれど、普段はこんなぐんにょりな感じだ。周りのフォローが偲ばれる。

 アンフェールの持ってきたバスケットには、彩も綺麗なサンドイッチが並んでいる。
 離宮の料理人に作って貰ったものだ。
 ベロニカは散らかったテーブルを雑に空けてバスケットを置き、もぐもぐと遅い朝食を食べ始めた。

「今は何の研究をされているんですか?」
「んー、魔力過多症の治療薬? 何でか分かんないけど『ヴィシュニア魔導研究所』から発注でね。従来のものより強いのがいっぱい欲しいんだって」
「ふぅん」

 魔力過多症は、肉体にそぐわない強い魔力を持って生まれた人間が発症する病気だ。身体は痛むし、悪化すれば脳に影響が出る。

 アンフェールは、その薬が何のために『ヴィシュニア魔導研究所』から必要とされているか、心当たりがあった。
 改良飛竜だ。
 魔導研究所所長であるザシャが、巨大な魔石を得るためにしている研究。
 飛竜は通常の十倍の大きさの魔石を体内に抱え、狂ってしまっている。その飛竜を抑えるのに薬物を使用していると言っていた。
 ベロニカが研究を頼まれた『強力な魔力過多症の治療薬』はどう考えてもそれ用だろう。

「その薬の発注は以前からあったのですか?」
「ううん。なんかねー、普通のはあっちで作ってたんだって。私が研究所に帰ってきたから発注があったの。えへへ、頼られちゃったみたいで、うれしー」
「……」

 なるほど。
 ベロニカはダメな大人だが、研究者としては一流だ。女王になる前は若くして新薬も発見したと聞いた。
 彼女に薬を作らせようと言うのか。

 ミセス・ガーベラは隣国シタールで魔導兵器を作り、改良飛竜の魔石で現王朝をひっくり返そうとしている。
 そうなれば現国王であるグレンは勿論、前女王であったベロニカも殺されるだろう。


(趣味の悪い話だ。民を守りたいと願う彼女に国を破壊する片棒を担がせようとしている)


「どしたの? アンフェール」
「……いえ。叔母上は私が守ります」
「ええー、今でもいっぱいお世話してもらってるよー」

 ベロニカは甥っ子が『介護』を申し出てきたと思ったらしい。てへへと笑っている。
 なんとなく、ぽやんとズレた感じがグレンに似ている。

(……守ってやらないとな。現在の肉体年齢では随分年上だが、彼女も私の子孫なのだから)



◇◇◇



「殿下、これは……」
「ミセス・ガーベラが離宮にいた頃、私がこっそり集めたものです」

 宰相エックハルトは驚愕の表情を浮かべて紙束を捲っている。
 エックハルトの執務室にいるのはエックハルト本人と、文官ティモ。そしてアンフェールと護衛について来たギュンターの四人だ。
 今エックハルトの手にあるのは、アンフェールが離宮で五年間かけて集めた、ミセス・ガーベラの悪事の証拠である紙束だ。
 メイド共に『命令オーダー』を施して集めたものだ。

 正直、ミセス・ガーベラもザシャもさくっと殺そうかと思ったのだ。
 しかし現在城中に防犯用の魔道具が設置されている。万一その魔道具にアンフェールの記録が残ったらまずい。
 それに不審死よりは正規の方法で断罪されて欲しい。
 不審死じゃ罪人だという記録が残らないのだ。

 正規の方法であっても、グレン命のギュンターが、なんかこう、いい感じにしてくれると思う。信頼の狂犬なのだ。

「……ありがとうございます。こちら、裏取りをして役立たせていただきます。ティモ」

 エックハルトは文官ティモに紙束を渡した。
 ティモは頷いてそれを受け取る。彼はパラパラと捲って目を通し、唸っている。

「凄いですね、殿下。この量よく集まりましたね……」

 ティモは見た目頼り無さそうだが、優秀な文官のようだ。こちらをほったらかしで一人、仕分け作業に入ってしまった。

「殿下」
「はい」
「このような事は我々大人に任せて下さい。これだけ……集めて向うに分かられなかったのは奇跡に近い。危ない事なんですよ?」

 エックハルトは真剣な顔をして怒っている。
 書類の日付を見るとアンフェールが七歳の頃のものもあるのだ。大人である彼が怒る気持ちも分かる。
 心配して怒ってくれているのだ。
 それは嬉しいし、ありがたい事だ。しかし怒られてるって思うとションボリしてしまう。

「はい。ごめんなさい……」

 アンフェールはじわっと目が潤むのを隠す様に俯いた。
 肉体年齢に引っ張られているので、泣いちゃいそうになる。すん、と鼻をすすった。

 肩にぽんと大きな手が乗る。

「ありがとうございます。我々大人が不甲斐ないばかりに」

 顔を上げると、エックハルトは心配そうに眉を下げていた。

「殿下」
「ギュンター……」

 呼び声に振り向けば、強めの殺気を遺憾なく振りまくギュンターがこちらを見ていた。
 アンフェールに殺気を向ける理由はないので、ここにいない仇敵に対して溢れちゃいそうなのを、必死に抑えてのこれだと思う。
 蓋をちゃんと閉めてくれないと怖いのだが。


「必ず、仕留めます。命に代えても」

「……はい」


 ギュンターの目が獰猛に光る。彼はやはり信頼の狂犬だった。

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