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隠れ家――アンフェールとグレン3

アンフェールとやきもちと竜の歌

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 魔力循環を終え、グレンは気だるげにベッドに横たわっている。
 アンフェールはその傍らに座り、うっとりとした顔でグレンの髪を撫でている。
 可愛い彼は、今日も可愛かった。

 閨を覗き見たせいで起こった嫉妬は、快感を上書きするという手法で解消した。
 古来より伝わる嫉妬の解消方法だ。
 あまり嫉妬した経験のないアンフェールだったが、これはとても良かった。
 グレンも気持ちいい。アンフェールも気分がいいでウィンウィンなのだ。やはり長く愛された手法には意味があるのだと先人の知恵に感謝する。

 グレンがアンフェールの顔をじっと見ている。なんだろう?
 アンフェールはコテンと首を傾げる。

「アンフェールは元々その見た目なのか?」
「……うえっ?」

 アンフェールは思わず変な声が出た。グレンの質問の意図が分からない。
 戸惑っていると、さらにグレンは続けた。

「閨係が弟を知っていたんだ。見た目を聞いたらアンフェールを思い出したんだ」

 その言葉にぴゃっと冷や汗が出る。

 まずい。感づかれたか――そんな感情がストレートに出た顔で、アンフェールは口元をひくひくと引き攣らせている。
 グレンはアンフェールのビクビクした様子には気づかないようだ。彼はどこか、幸せそうな顔をしている。

「……私があまりに弟に会いたいと念じたから、精霊が弟の姿形を取ってくれたのかと。そんな妄想じみた事を考えてしまったんだ。
 私が物語で読む精霊は、もっとフワフワして、スーっと透けてしまいそうなイメージなのに、アンフェールはちゃんと人間みたいな形だから。精霊が私の願いを叶えてくれたんじゃないか、ってね。
 ……ふふ、夢見がち過ぎるだろうか」

 そういってグレンは目を細めた。

(なるほど。精霊という設定は疑っていないんだな。いかにもグレンらしい可愛い考え方だ。メルヘンというか……)

 アンフェールはホッと息をついた。
 それから視線を落とし、自身の両手を見つめる。幼体の、ふくふくとしたモミジのような手だ。

「ぼくはどうしてこの姿で生まれてきたかは分からないんだ」

 グレンの言う愛らしい話とは違うが、前世と似た姿で生まれた原因は分かっていない。予想はしていても正解は分からない。
 実行した人間たちも始末したし、資料は燃やしてしまった。

「……もしかしたらグレンの為かもしれないね。古代竜のアンフェール……さん、ってグレングリーズさんの番なんでしょ? グレンの本名はグレングリーズだって言ってたもんね」

 アンフェールは心の中に澱のように沈む不安に蓋をして、グレンに笑いかけた。
 ついでに彼の話に乗る事にした。
 弟というよりは古代竜アンフェールの姿に似たのではないかという方向に軌道修正して。
 あまり『弟』とは関連付けられたくなかった。

 グレンはビックリしたように目を見開いている。

「……なんだか不思議な気持ちだ。それだとまるでアンフェールが、私と出会う為に遣わされてきたかのようだ」

 グレンの言葉に、胸がドキリと跳ねた。


 ――『アンフェール、あれはそなたの番か?』


 フェンリルの言葉が脳裏をよぎる。
 アンフェールの胸はドキドキと鐘を打ちっぱなしだ。

(ああクソ、フェンリルめ。アイツのせいで最近そればかりを意識してしまう。……もし番ならば、出会うために生まれたというのもあながち間違ってはいないのだ……)

 アンフェールはグレンの首筋にぽすりと顔を埋め、匂いを嗅ぐ。
 意識するようになってから嗅ぎ分け力が強くなったのか、この匂いがフレグランスでも石鹸でもない、特別な匂いだというのは理解出来た。
 この匂いが他の個体に奪われたら、アンフェールは嫌だ。すごくいやだ。
 なんかやなのだ。どうしようもないのだ。
 きっとこれが本能なのだろう。

 フェロモン受容体が成熟したらどうなってしまうのか、考えると恐ろしい。
 今は閨係に触られるグレンを見ても、ちくちくムカムカ程度で済んでいるけれど、その程度じゃ済まなくなるかもしれない。
 グレングリーズは優しい竜だったけれど、フェロモンに中てられて理性が飛んだら人が変わった、ならぬ竜が変わったように強引になった。
 アンフェールもそうなるかもしれないのだ。
 強引に――


 ――攫って、どこか他の個体のいない場所へ閉じ込めてしまうだろうか。


 アンフェールはその考えにブルリと震えた。

(何を考えているんだ。略奪などと。人間たちのした略奪をあれだけ憎んだというのに。いくら愛情があっても駄目だ。王として守るべき矜持があるだろう……)

 唯一生きる竜として、誇り高くあらねばならない。
 アンフェールはぐっと拳を握った。

 決意するアンフェールの傍ら、グレンはその思考の流れは分かっていない。ほころぶ様な笑みを浮かべて、アンフェールの事を見ている。

「アンフェールは歌は好きだろうか」

 グレンは唐突にそう問いかけてきた。
 アンフェールは顔を上げてグレンを見る。彼はちょっと照れ臭そうにしている。

「歌?」
「弟が歌う姿は天使みたいだと聞いたんだ。良かったら何か歌って貰えないだろうか」

 アンフェールは閨係とグレンの会話を思い出した。そういえばそんな話をしていたな、と

「うん、いいよ」

 気前良く返事する。
 教会だし、閨係が聞いた歌は聖歌だろう。同じものを歌って弟と関連付けられては困る。
 だからアンフェールは竜の谷でグレングリーズに歌って聞かせたものを披露する事にした。

「タンジェント、おいで! 一緒に歌おう」

 扉を開けて呼びかけると、居間で遊んでいたタンジェントがこちらに飛んできた。

「クピッ!」



◇◇◇



 アンフェールは高らかに歌った。
 教会で評判だった独唱は伸びやかに響き渡る。
 洞窟を利用した石造りの隠れ家は、アンフェールの声を残響によって幾重にも美しく彩った。

 飛行する竜の高揚を謳った歌だ。
 聞き手はこの部屋から見えない空が、目の前に広がっていると錯覚するほど引き込まれる。
 歌い手であるアンフェールも、歌いながら目を閉じ、前世、思い切り飛んだ空を思い描いた。

 意識は空を飛び、風を切って舞い上がる。
 黄金の巨体は、重さも何も感じない。数度の羽ばたきで雲を抜ける。
 どこまでも広がる青い空。眩しい位の陽光。遮るものは何もない。


 ――讃えよ、我は古種の王。ここは己の支配する空。


 その放漫さは歌になれば神々しく、ただ空を飛ぶ内容だというのに聖歌のように心を震わせる力があった。

 タンジェントは気持ちよさそうにクピクピ合いの手を入れている。
 飛竜は現役で空を飛んでいる。だから感じる所が多いんだろう。
 この歌はタンジェントのお気に入りだった。よく一緒に歌っている。



 歌い終わり、目を開けるとグレンが高揚した様子でこちらを見ていた。
 彼はアンフェールの視線に気づいたようだ。ハッと我に返った様子で、慌てて拍手を送ってくれた。

「どう?」
「……うん。凄く良かった。……ああ」

 グレンは目を潤ませてから片手で顔を覆った。そのまま俯き――。

「弟に、会いたいなぁ」

 ――と、つぶやいた。

 歌うアンフェールの姿に弟を重ねたのかもしれない。
 ただ『想う』事しか出来ない、弟の姿に。

「会いたいなぁ、って気持ちも弟は知らないんだと思うと、少し寂しい。弟は私の事をどう思っているだろう。会いに来ない薄情な兄と思うだろうか」

 グレンは重くため息をついている。
 心配しなくてもアンフェールはグレンを嫌いになる事は無いのだが。
 しかし、アンフェールが弟本人であるとは明かせない。グレンの気持ちを軽くする方法は無いだろうか、と考える。

「お手紙は出せないの?」
「手紙か……」

 アンフェールは教会の寮で同室だった二人、寮長エドワードと年嵩の青年ロビンと文通をしている。
 会えないが、手紙は嬉しいものだ。文字でしか伝わらない思いだってある。
 我ながらいい提案だと思ったのだが、グレンの表情は翳った。

「私が即位するまで弟の存在は伏せるという事になっている。……だから弟との交流も実質禁止されている。どこから洩れるか分からないから、と。
 手紙は物が残るから駄目だと言われるだろうな」

 グレンは寂しそうに笑っている。
 なるほど。
 離宮で働いている(という設定になっている)ミセス・ガーベラ一味は反グレン派だったと、アンフェールは思い出す。
 手紙が盗まれて、何かに利用される危険性を考えたら文通なんて以ての外なのか。

「……だから結局、あの高台で弟を想うだけになってしまうんだ」
「つらいね」
「……いや。幼い時分に住み慣れた教会から、離宮に入れられた弟の方が余程つらいだろうと思う。似たような事を、私も七歳の時に経験した」

 グレンは何かを思い出したかのように身を竦めた。
 表情は険しく、纏う空気もピリピリとしていて珍しい。大抵、グレンは穏やかなのに。

(グレンが七歳の時、か)

 魔窟のような王城だ。ぴりつくような何かがあったのだろう。

(癒してやりたいな……)

 アンフェールは寝台に上がり、グレンの頭を包み込むように抱きしめた。
 こうしたら、落ち着くだろうか。
 アンフェールからいい匂いがするとグレンは言っていた。番の匂いを僅かでも感じ取れるなら、安心させることが出来るかもしれない。

 グレンの熱っぽい息がアンフェールの裸の胸に当たる。
 ギュッと抱く力を強くしても、グレンはされるがままだった。

 しばらくそうしていると、腕の中の緊張感は和らいでいった。
 アンフェールはホッと息をつく。

「いつか出会えたら、たくさん思いを伝えようと思う」
「うん」
「ずっと会いたかったと……弟が出来て嬉しいと」
「うん」
「……ああ、でも、出会える頃には弟は思春期だろうし、あまり気持ちを押し付けると嫌がられてしまうかもしれないな」

 グレンが難しそうな声で、ううんと唸っている。

(まだ出会ってもいないのに、私の思春期の心配をしているのか。この流れでそれとは。なんというか……グレンは……ホントに)

 アンフェールは噴き出してしまった。
 緊張感があった分、気が抜けたのだ。

「アンフェール?」
「そんなことないよ。グレンは変な心配をするんだね」

 目に涙を浮かべて笑うアンフェールを見て、グレンはキョトンとしている。

「グレンは『弟にしてあげたい事』をぼくにしてくれてるでしょ? してくれること全部、嬉しくて、温かくて……ぼくはグレンが大好きになったもの。
 こんなに大事にされたら弟アンフェールもグレンが大好きになるよ」

 アンフェールは元気いっぱいに主張した。
 腕の中のグレンは目を丸くしている。

「……そうか」
「そうだよ」


 グレンはアンフェールを見つめた。ふわり、と優し気に微笑む。


「ありがとう、アンフェール」


 アンフェールも微笑みを返した。


(――全く必要ない心配事だ。グレン。私は手放せるかどうかを悩むぐらいだというのに)
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