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隠れ家――アンフェールとグレン2

アンフェールと『そらとぶおふね』

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「アンフェール、今日はおみやげを持ってきたんだ」
「今日も、でしょ? ありがとう、グレン」

 グレンが持ってきたのは数冊の絵本だった。
 まあるいテーブルの上に置かれた表紙は、どれも子供向けらしい可愛い色合いと、単純な描線で構成されている。アンフェールは現在幼体なので絵本はとても嬉しいおみやげだった。
 離宮の書庫は図鑑や学術書、大人向けの読み物ばかりで基本的に落ち着いた色ばかりだ。読めるし、楽しいけれど、絵本はまた違うのだ。
 心が躍ってしまうのだ。

 その絵本の中に『りゅうのおふね』というタイトルの本があった。
 アンフェールの心臓は跳ね上がる様に大きく脈打った。
 単純化されたファンシーなイラストだというのに、船体が竜の形をしているのが分かる。

「これは……」

 アンフェールは素早くその本を手に取り、床のクッションに座り、ページを捲った。
 グレンは定位置の様に、アンフェールを抱き込むような形で後ろに座る。普段ならグレンに『読んで』と強請るアンフェールだが、今は集中して読んでいる。

 『りゅうのおふね』はページ数の少し多い本だ。幼児向けというよりは児童向けといった感じである。
 内容を要約すると、竜の骨を掘り起こした少年少女が、長じて研究者になり、伝説の竜の飛空船を復活させるというものだった。
 ワクワクするように構成されている、夢が溢れる物語だった。
 子供が読むものだから、飛空船を造る事は『良い事』と肯定され描かれている。

 アンフェールは読み終え、パタリと本を閉じた。
 飛空船は、実際は竜種を殺して遺骸を利用し作った船だ。欲深い種の人間は、大量に運搬が可能になった船で、さらなる竜種を殺し奪い尽くした。狩り尽くされ竜種は滅びたのだ。
 アンフェールは当時を思い返し、ギリリと奥歯を噛んだ。

(人間目線の物語にここまで腹が立つとは。児童書ですら竜種の身体は『素材』扱いなんだな。
 長い時を生きる故の英智と、強い魔力。そして強靭な肉体。人間と交配まで可能だというのに、どうして同じ感情を持つ存在として扱われないのか……。まぁ、国家間で人間同士であっても殺し合うしな。人間の業か……)

「アンフェール?」

 アンフェールは後ろからの声にハッとして、普段の表情に戻る。
 振り返り、グレンを上目遣いに見つめた。

「グレン、もしかしてこの本、探してくれたの? お城にあるにしては可愛い本だけど」
「飛空船について知りたいって言ってたろう? 私も、そんな凄い乗り物があるのかと、知りたくなってね」

 アンフェールは以前、グレンに『空飛ぶ船』――飛空船について少しだけ零した事があった。
 勿論、その話にグレンはキラキラと目を輝かせていた。グレンは物語が大好きでたくさんの本を読む。娯楽の本であっても、飛空船が出てくる事は無いらしい。

 アンフェールが死んでから約七〇〇年経過している。
 飛空船は機動力が高い。物資だって一杯運べる。あんな便利な乗り物ならもっと進化していてもおかしくないのに、生まれ変わってから空に船を見かける事は無かった。
 それが不思議でしょうがなく、つい、口からポロリと出てしまったのだ。
 グレンは飛空船と聞いて不思議そうな顔をしていた。彼はそれの存在自体を知らなかった。

「城の書庫には、飛空船に関する本が無かったんだ」

 グレンの言葉に、アンフェールは驚いてしまった。

 離宮の書庫ですら、読みつくせない程の棚数がある。城の書庫は如何ほどの物か。
 城の書庫にも飛空船に関する本が無いのかと。功罪あるものではあるが、人間から見たらあの船は確実に『功』だった。城のような場所にこそ、情報が残されていそうなものなのに。

 しかし、城の書庫だ。グレン一人で探せるものでもないだろう。誰かに手伝って貰ったのだろうか。
 本当に飛空船に関する本は無かったのだろうか。

「城の書庫って……かなり冊数があるでしょ? 無いって、そこを探しつくしたの?」

 眉尻を下げて聞くアンフェールに対し、グレンは悪戯っ子のような顔をして笑った。

「はは。さすがに無理だよ。書庫には生き字引インデックスのような男がいてね。彼に本が無いか聞いたんだ」

(なんと、そういう便利な者がいるのか。城の蔵書を全て把握してるなんて、人間とは思えない。竜種の私が言うのもなんだが。……本当に本は無かったんだろうか。その男が謀っている可能性だってあるんじゃないのか?)

 アンフェールは眉を寄せ、口元に手の甲を当て、考え込んだ。

「その男が城には無い・・から、城下町の書店のオーナーに聞くと良いと教えてくれた。……ああ、そんな目をしないで、アンフェール。彼に騙されている訳では無いんだよ。一応その後、書庫に無い理由も分かったから」

 アンフェールは余程疑り深い顔をしていたろうか、と首を傾げる。
 ともかく城の書庫には飛空船に関する本が無い、という事は確定なようだ。
 城の書庫に無いという状況は不自然だ。何があって、あの船は『無かった』事にされているのか。

 手元の絵本を見る。
 グレンは街の本屋まで足を運んでくれたのか。

「わざわざ街まで聞きに行ってくれたの?」
「わざわざではないよ。街の書店はよく行くんだ。大衆向けの物語が好きだから以前から通っているしね。今はアンフェールの絵本を探す楽しみもあるし」

 グレンはニコニコ笑いながら、アンフェールの髪をくしゃりと撫でてくれた。
 お土産の絵本はグレン自ら、お忍びで街まで買いに行っているらしい。外商に頼んでいる訳では無いのか。
 結構な回数、絵本を貰っている。という事はそれだけ街に探しに行っているという事だ。仕事も忙しいだろうに、合間を縫って。
 申し訳なさが顔に出ていたのかもしれない。グレンはぎゅうとアンフェールを抱きしめてくれた。

「本当に気にしないで。街の視察も兼ねているんだ。……それに絵本探しは、弟にしてあげたかった事の一つなんだよ。だから、凄く癒されているんだ。私の為にしている事だから」

 グレンは「私が本好きだから、弟も本好きになってくれたらいいな、って思っていたんだよ」と言いながら、照れたように笑っている。

 グレンは本当にいいこだ。
 ムカつく本を読んでムカムカしていた心が浄化される。

 アンフェールは振り返るだけでなく、完全にグレンの方に身体を向けた。その姿勢のままグレンにしがみつく様にして、彼の胸に顔を埋め、スンスンと匂いを嗅いだ。
 溶けそうな位良い匂いがする。なんでこんなに良い匂いがするんだろう。フェンリルに番だのなんだの言われてから、何かある度嗅ぐようになってしまった。
 以前だったら『子孫まご力の癒し効果って凄いな』とか思っていたろう。

 アンフェールがあんまり匂いを嗅ぐからか、グレンは真っ赤になってしまった。

「……コホン。話を戻すね。書店のオーナーと書庫の生き字引インデックスは友人らしくてね。私が訪れたら本人が迎えてくれた。で、秘密にすることを条件に、この絵本を渡してくれたんだ」
「秘密……」
「この絵本、発売頒布禁止処分になった本なんだ」
「ええ、絵本なのに?」

 アンフェールは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「うん。ちょっと色々あってね。回収騒ぎがあったんだ。絵本で回収って珍しいから、珍書収集が趣味のオーナーが手元に残していたらしくて」

 オーナーが言った『秘密にすることを条件に』というのは、何てことは無い『回収されるはずの本を手元に残していた事を黙っていてね』という事だ。
 お上に知られたら、コレクションが没収されてしまうからというコレクターらしい話だ。書店のオーナーはコレクターらしく読む用と保管用に三冊キープしていたらしい。グレンはそのうちの一冊を分けてもらったそうだ。

 発売頒布禁止処分という事は印刷し、物は完成していたという事だ。オーナーが所持していたって事は流通にも乗っていたのかもしれない。
 アンフェールにとってはムカつく事この上ない内容だったけれど、人間目線で見れば良い内容だったろう。子供の夢や想像力を煽る、児童書らしい児童書だった。
 どこに問題があったのか。

「色々聞いても大丈夫?」
「ふふ。アンフェールは飛空船に関心があっただろう? 回収騒ぎの話もそうだし、飛空船に関する情報がなぜここまで無いのかも調べてきている」
「わぁ、ありがとう!」
「どういたしまして。喜んでくれるのが一番うれしいご褒美だよ」

 そう言って、グレンはアンフェールのこめかみにキスをしてくれた。軽く触れるだけのキスだった。
 普通お礼を言う方がキスをするんじゃないだろうか。
 なのでアンフェールも膝立ちになってグレンのほっぺにキスをした。キスをしてからほっぺとほっぺをくっつけるようにむにむに押し当てると、グレンは何故か固まってしまった。
 
 教会の寮で同室だった寮長エドワードも、年嵩の青年ロビンも、アンフェールのほっぺが大好きだった。
 触るのは勿論、ほっぺとほっぺをくっつけるのが大好きだった。
 なのでグレンにもしたら喜ぶだろうか、と思ったのだ。むにむにし続けても反応が無い様子なので、ほっぺを離して立ち上がり、顔を覗き込んだ。

 そのタイミングで復活したようで、ギュッと熱烈なハグを受ける。

「可愛い……!」

 グレンが感極まったような声で感想を述べてくれた。

 グレンも喜んでいる様子だ。よかった。
 幼体のほっぺは凄い魅力があるのかもしれない。

 そんなこんなでお礼を堪能していたグレンが真顔になる。
 話を元の路線に戻すようだ。

「弟の方のアンフェールがずっと行方不明だったって話したろう?」
「えっ、うん」
「その捜索中に、竜種否定派アンチ・ドラゴニアンのアジトの一つに調査が入った事があったんだ」

 竜種否定派アンチ・ドラゴニアン
 アンフェールはその団体の事をよく知らない。唯一知っているのは宰相エックハルトが教会に迎えに来た時に、その名称を口にしていたな、とそれ位だ。
 生まれたてのアンフェールを誘拐した嫌疑が掛けられている団体だ。勿論アンフェールは誘拐されていないので冤罪だ。
 冤罪で立入調査まで受けたのか、と思うと可哀想ではある。知らない団体なのでどうでもいいが。

「アジトには隠し部屋があってね。弟の手掛かりがあるかもしれないと、その部屋の物はすべて検めたらしい。そうしたら、現王統の建国当時の文献が出てきた。
 その文献に『竜の骨と皮と魔石を使った、空飛ぶ船』の存在が記されていたんだ」

「なんで、そんな場所にそんな文献が……」

「文献自体が竜種否定派アンチ・ドラゴニアンのリーダー達の手記だったからだよ」

 その文献は飛空船の専門家が残した文章ではなかった。
 建国から何代かの竜種否定派アンチ・ドラゴニアンのリーダー達が『グレングリーズがこの国で何をしたのか』を、リーダーの目線で手記として残したものだった。

「文献によると、守護竜グレングリーズ様は『この国の守護』と引き換えに、飛空船の資料と研究自体の破棄。流通している書籍の破棄。さらに歴史から船が存在したという記述の抹消を要求したらしいんだ。当時、稼働、未稼働に拘らず飛空船は全て燃やし尽くしたんだとか」


(――!! 飛空船の破壊……! グレングリーズは飛空船をこの国から消す為に守護竜になったのか……!)


 アンフェールは息を飲んだ。

 グレングリーズはこの国の人間全てを殺さんばかりに憎んでいた。
 その彼が王統が変わったとはいえ、守護する立場に就くなんて。王が変わったと言っても住まう人間は変わらないのに。
 アンフェールが楽しいと話す人間の文化を聞いて、苦々し気に顔を歪めていた番の姿を思い出す。
 本当にグレングリーズは人間が大嫌いだった。


(私が……望んでしまったから……グレングリーズは己の感情を殺して人間たちに与したのか……――)


 飛空船を滅するのは、王であったアンフェールが生前口にした望みだった。
 グレングリーズは、その望みを叶えるために己の身を人間たちに捧げたのだ。
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