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離宮1

アンフェールと執事

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 引き続き、離宮に着いた初日の話である。
 時間は到着してすぐにまで戻る。

 馬車の扉が開くと、迎えた壮年の男が手を取ってくれた。降りる際のエスコートだ。
 ぴょんと飛び降りれば問題ない、というのはもしかしたら品が無いのかもしれない。
 男にされるがまま馬車を降り、彼の目の前に立った。

 背が高い。
 教会で同室だった年嵩の青年ロビンよりは低いけれど、それでも大柄だ。
 一メートル程しかないアンフェールからしたら首が疲れる高さだ。

「始めまして、アンフェール殿下。ギュンターと申します。殿下の執事として、勤めさせていただきます。よろしくお願いしますね」
「はい、ギュンター。よろしくお願いします」

 アンフェールはギュンターの案内で離宮の居間ラウンジに通された。
 肩にはタンジェントが止まったままだ。

 ギュンターは宰相エックハルトと同じ歳くらい。四十手前程だろうか。執事にしては全体的に逞しい。
 かっちりとしたスーツを着ていても、その下に仕上がった肉体が収まっているのが分かる。
 護衛も兼ねているのかもしれない。
 銀髪は短く刈り、髭も清潔感があるように整えられている。
 眼は鋭いものの、子供と接する為なのか、目じりを下げて柔らかい表情を作っている。

 アンフェールはソファーに腰かけた。
 その状態で周囲を観察する。
 エックハルトと話した感じ監禁でもされるのかと思ったが、離宮の建物に閉塞感は無い。むしろ開けている。居間の窓は大きく、陽の光も思い切り感じられる。 

 寛いでいると、ギュンターがトレーを運んできた。
 目の前のローテーブルに紅茶と焼き菓子が置かれた。

 アンフェールは幼体なのでお菓子が大好きだ。
 それに教会ではバターたっぷりのお菓子は贅沢品だった。たまにしか食べれなかったのだ。
 『餌付け』という言葉が過ぎらないでもなかったが考えない事にした。
 ゴクリと喉を鳴らしつつも、上品な所作を心掛けて頂いた。教会はマナーにうるさいのだ。

 お茶も美味しい。鼻に抜ける香りを楽しんでいると、ヒリリと視線を感じた。
 ギュンターがこちらを見ている。

「飛竜ですか。赤は珍しいですね」

 ギュンターはどうやら肩にいるタンジェントを見ていたようだ。
 タンジェントは呼んだ? と言いたげに「クピ?」と鳴いた。

「はい。教会でもフェレット種の飛竜は緑が多いと聞きました。小さくて緑色なので『飛び蜥蜴』と呼ばれると」

 アンフェールは愛らしく笑い、子供らしくはきはきと答えた。
 フェレット種の体色は緑が多い。
 空を飛ぶゆえに風の加護を授かって生まれてくる個体が多いから、というのが通説だ。
 タンジェントは説通りなら火の加護なんだろうか。特に火を吹いたりする様子は見た事が無い。飛ぶ事だって上手だ。
 あと、頭もいいし他の飛竜より顔も声も可愛い。

「はっはっ。よくご存じですね。私が教えて差し上げようと思ったのに」
「飼うのに、本をたくさん読みました」
「そうですか。ご立派です。このお友達の名前はなんと?」
「タンジェントです」

 ギュンターは床に膝をつき、目線をタンジェントに合わせた。

「タンジェント。ギュンターだ。よろしく頼むな」
「クピィ!」

 ギュンターはアンフェールに掛ける言葉よりも砕けた調子でタンジェントに挨拶をした。
 ギュンターは折り曲げた指をタンジェントの顔の側に持って行く。
 タンジェントはヒクヒクと匂いを嗅いだ後、指に顔をスリスリと擦りつけた。頭を擦り付けるのは飛竜の親愛行動だ。

「可愛いですね」
「はい。可愛いんです」

 アンフェールは気分が上がった。
 うちの子が可愛いのは十分すぎる程分かっているとはいえ、それでも褒められるのは嬉しいのだ。

 しばらくギュンターはタンジェントと指先の交流を楽しんでいた。動物が好きなんだろうか。
 何となしに話を続けるも、不快感は無く、子供との会話に慣れているように感じた。
 『傭兵』と言われても納得いきそうな厳めしい顔をしているギュンターが、子供の扱いに長けているのは不思議だった。

(ふむ。この男イカツイなりをしているが、中々どうして。自尊心を擽るのが上手いな。
 相手の大事な物を尊重し、共感し懐に入り込む、か。あまり狙っているようにも見えない。それを自然に行えているのか、はたまた、それすらも装える程なのか)

 アンフェールは窓の外に目をやった。
 窓の外には庭を挟んで、緑豊かな森が見える。
 離宮に来る道、エックハルトが『あの森が丸々離宮の敷地なんですよ』と教えてくれた。

「ギュンター。あの森は離宮の敷地なのだと聞きました。入れますか? 」

 アンフェールは、窓の外を指さしながら、小首をかしげて質問した。

「森……ですか」

 言われたギュンターは訝しげな顔をしている。子供が到着してすぐ森に入りたがるのだから、そんな顔にもなるだろう、と理解できる。

 森に行きたい。
 あそこにはアンフェールが古代竜エンシェントドラゴンだった頃の思い出が溢れている。

「はい。教会にいた頃は裏手の森に薬草を摘みに行っていました。どんな植物が生えているのか見たいのです。それに、森歩きしていないと勘を忘れてしまいそうで」

 アンフェールは森に行きたい理由を学術的興味なのだ、と理由づけてギュンターに伝えた。
 変に思われないように。慎ましやかに賢く見えるように、ギュンターを真っ直ぐ見つめる。

 これは口から出まかせでなく、本当の事だ。
 アンフェールは教会にいた頃薬草摘みを仕事にしていた。
 古代竜エンシェントドラゴンの記憶と精霊の協力で、他の子供たちと比べて群を抜いて薬草を持ち帰っていた。
 なので本来、教会の仕事はいくつか種類があるけれど、アンフェールは免除されていた。ひたすら森を駆け回って薬草を摘んで帰る『薬草係』だった。
 アンフェールが離宮に来てしまったので、教会の薬草摘みの現場は大丈夫かな、と少々心配している。

「……うーん、難しいですね。害獣もいますから。護衛を増やしてからで構いませんか? 殿下お一人では危険ですので」

 ギュンターは眉を寄せ、困ったような顔をして答えてくれた。
 まあ、妥当だ。アンフェールは一応王子という設定なのだ。
 しかしぞろぞろ人がついて来るようではアンフェールの目的地・・・に向かえない。

「そうですか……自由に見て回りたかったのですが……」
「殿下……」

 アンフェールは落胆したような素振りをギュンターに見せた。
 実際ガッカリしているから、真に迫っているだろう。
 顔を上げ、ギュンターの方を見ると切なそうな顔をしている。野を駆け回っていた子供の自由を縛る事を、後ろめたく思っているのかもしれない。

「外出許可が出るまで屋内で過ごしてもらいますが、読書などいかがでしょう?
 離宮の書庫には薬草の本が充実しているんですよ。後でお部屋に薬草学の本を持っていきます。
 現女王陛下は殿下の叔母君に当たるのですが、若い頃、薬草学に傾倒していまして。彼女がたくさん薬学の本を買い集めていたんです」

 ギュンターはありがたい提案をしてくれた。
 人間社会で現在、薬学がどういう扱いになっているのか知りたい。
 アンフェールは古代竜エンシェントドラゴン時代、人間社会に混じって生活したことが何度かある。だから人間と薬草という知識が無い訳じゃない。
 しかしアンフェールが死んで遥かな年数が経っている。学問はどれほど進んだのか興味がある。

 アンフェールは目を輝かせた。

「すごいですね。それは楽しみです」
「殿下が薬草に興味があるというのも、叔母君に似たのかもしれませんね」

 手をギュッと握りしめて、小さく喜びを表現するアンフェールを、ギュンターは目を細めて微笑ましげに見ている。

「庭に薬草園があるんですよ」
「本当ですか!」
「ええ。しばらく屋敷内にいて貰う事になりますが……外出許可が出ましたら案内いたします。森に植生しているものを育てているので参考になると思います」

 ギュンターがくれたのは嬉しい追加情報だった。
 離宮での過ごし方をどうしようか、というのは未だ悩ましい。
 ここの人間と上手くやっていくか。それとも追い出すか。アンフェール自体が出ていくか。

 どうするにしろ一度薬草園は見て見たい。ワクワクする。バラが好きな人間がとりあえずバラ園を見たくなる感覚と一緒だ。

「ありがとうございます、ギュンター。ぼくの趣味を尊重してくれて嬉しいです」



◇◇◇



「――なぜ私がグレン様のお側を離れて、あれ・・の相手をしなければならんのだ!」

 ドアの外まで響きそうな声で檄が飛ぶ。ギュンターの声だ。
 ここは使用人宿舎のギュンターの部屋だ。部屋には城からの使者の男がいる。
 使者はギュンターの声に顔を青くし、可愛そうな位身を竦ませている。

 今は二日目の晩。
 本日はミセス・ガーベラが離宮の宿直だ。ギュンターは使用人宿舎に戻った。
 なので昨日の様に縄張りを利用し視覚と聴覚を飛ばしている。

 見える情景にアンフェールはおやおや、と思う。
 アンフェールと対面した時と今のギュンターは随分雰囲気が違う。
 ギュンターの眼光は鋭く、粗野な雰囲気を醸し出している。


(ふうん、なるほど。裏の顔は随分荒っぽいな。グレン様、ね。こいつは第一王子派か)


 アンフェールは愉快な見世物でも見るように、目を細め、笑った。
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