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6,『千詩』と『炽紅』

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中島先生が秋葉に教室の後方、窓際の机を指さした。秋葉は特に反論することもなく、その場所に向かいながら教室全体からの視線を何とか避けようとしていた。
その席は視界が抜群で、下の校庭や遠くにそびえる【総合作戦センター】、そして【リンクス協会本部ビル】が一望できる。
席に座ると、秋葉は机の引き出しに既に教科書が整然と準備されているのに気づいた。これで中島愛が彼女を本部から連れて行くときに教科書を取りに行かなかった理由がわかった。
教科書を開いてみると、自分の名前が印刷されているではないか。秋葉は心の中で思った。「リンクスの待遇って、すごいな…。」
右隣の席にはまだ誰もいなかったが、机の上にはしっかりと教科書が置かれていた。
教室に入る前、中島が「ここは二区で一番人数が多いクラスだよ」と言っていたが、秋葉が数えてみると生徒はわずか十三人しかいない。
秋葉は心の中で納得した。リンクスの授業は非常に自由だ。いつでも任務が入る可能性があるため、授業中に教室を離れることも自由、ましてや出席すら取らないことが多い。授業は午前中だけで、午後はそれぞれのさんが決めたスケジュールに従う。
ただし、この自由は学期末の試験に合格することが条件だ。自信がある者は試験を前倒しして受けることもでき、合格すればその学期の授業を免除される。
秋葉は思った。「もう何年も前に卒業した身だし、前倒し試験なんて、私には無理だな…。」
試験の難易度は相当高いと聞いている。もし失敗したら、ただでさえ打たれ弱い自分のプライドがズタボロになりかねない。
中島は秋葉を教室に連れてきた後、「新入生オリエンテーション」を読んでおくように言い残し、「私は少し用事を済ませてくるね」と去って行った。
一時間はあっという間に過ぎ、秋葉は「新入生オリエンテーション」を読み終わり、リンクスとしての心得を一通り理解した頃、下校のチャイムが鳴った。
担任先生は最初から講台に座っていただけで、結局何も教えなかった。自習時間だったのだろうか。かつて社畜だった秋葉は密かに担任先生の楽そうな仕事に嫉妬していた。「たった半日勤務で、リンクス協会に雇われて給料も良いなんて…」
彼女は、変身前の自分があんなに必死に働いていたのに、今では虎穴に潜むようなストレスフルな毎日を送っているのだから。
下校のチャイムと共に、中島愛が教室のドアの前に現れた。
「秋葉ちゃん、ちょっとこっちに来て。咲良ちゃん、莉子ちゃん、君たちも一緒に。」
秋葉は名前を呼ばれるとすぐに立ち上がり、教室の出口に向かった。後ろからついてきたのは二人の少女。
中島は三人を空いている教室に連れて行った。
「秋葉ちゃんの自己紹介はさっき聞いたよね?」と中島が言うと、二人の少女はうなずいた。秋葉のあの可愛らしい自己紹介は彼女たちの心にしっかりと刻まれていたのだ。
「秋葉ちゃん、こっちの二人をまだ知らないよね。」
「こちらは清水咲良、あまりしゃべらないけどね。」中島が指さしたのは、冷たい美しさを持つ少女だった。彼女の鋭い眼差しは近寄りがたい雰囲気を醸し出していたが、その奥には好奇心の色が浮かんでいた。
清水咲良は軽く会釈し、冷ややかな表情のままで秋葉を見つめた。
次に中島が指したのは、咲良より背の低い、活発な雰囲気の少女。
彼女の大きな瞳はきらきらと輝き、ふわりと揺れる二つの茶色いポニーテールがさらにその明るさを引き立てていた。
「彼女は高田莉子、うちのチームのムードメーカーだよ。」
高田莉子はにこやかに秋葉に手を振り、近づいてきた。その笑顔には強烈な親近感があふれていた。
莉子の熱視線に、秋葉は背筋がぞくりとした。悪意がないとわかっていても、ただ見つめられるだけで怖くなってしまう。
まさに「やましい気持ち」というやつだ。
「よし、秋葉ちゃんは今日から君たちのチームに加わることになったよ。結衣ちゃんにも確認したけど、彼女も問題ないって言ってたから。」
「これが秋葉ちゃんのIDカードだよ。」中島は青いカードを秋葉に渡した。カードには秋葉の写真と基本情報が印刷されていた。
今のこの体、証明写真までこんなに美しくなるとは思わなかった…。
秋葉はカードの手触りを確かめた。普通のプラスチックではなく、しっかりとした質感がある。
「このIDで、リンクス協会のほとんどの施設に自由に出入りできるよ。」
秋葉はうなずいて、それを受け取った。
「咲良ちゃん、莉子ちゃん、しばらく秋葉ちゃんと仲良くしてあげて。私はまだ取りに行く物があるから、戻ってくるまでよろしく。」
秋葉は慌てて言った。「中島…先生、私も手伝いに行きます!」
「いいえ、大丈夫。そんなに多くないから。それに、せっかく初めての出会いなんだし、ゆっくり話してきて。」
「それから、言ったでしょ?‘お姉さん’って呼んでね♪」
中島はそう言い残して教室を出て行った。三人の視線が届かないところで、彼女は悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「そんなわけないでしょ。私のかわいい秋葉ちゃん、連れて行けるわけないじゃない!」

「はじめまして、秋葉ちゃん!」と高田莉子が勢いよく声をかけてきた。
中島がいなくなると、彼女はさらに大胆になり、秋葉にぐいぐいと距離を詰めてきた。
秋葉はこっそり一歩下がり、「こんにちは、莉子先輩、咲良先輩…」とぎこちなく言った。
「先輩なんて呼ばないで!同じ学年だし、ちょっと早く来ただけだから。」
「莉子でいいよ。咲良もね。」
「あ、あの…わかりました。」
莉子がさらに近づいてくるたび、秋葉は緊張の度合いがどんどん増していく。
少女が鼻先が触れそうなほど近くなったとき、秋葉は思わず身を引いた。
「近くで見ると、秋葉ちゃん、もっとかわいい!」
「ありがと…ございます。」
活発で“懐っこい”莉子と違い、咲良は一歩引いて二人を見つめたままだ。彼女は物静かで、何も言わない。
「そ、そうだ!」秋葉は焦りながら話題を変えた。「お二人の…リンクスネームはなんですか?」
「リンクスネーム?ああ、魔法少女の呼び名ね。」
「私のリンクスネームは『千詩(ちうた)』よ!」と、莉子は自信満々に胸を張り、続けて咲良の方を指さした。「そして、彼女は『炽紅(しこう)』。」
魔法少女『千詩』と魔法少女『炽紅』。いや、正確にはリンクス・千詩とリンクス・炽紅だけど、秋葉はそれらの名前をよく覚えていた。
リンクス・千詩の連結魔装は『螺旋旅夢(らせんりょむ)』で、武器は縦笛。リンクス・炽紅の連結魔装は『炽心恋火(しんしんれんか)』で、武器は槍。
「懐かしいな…」と、秋葉は内心思い出にふける。これらの名前を知らないわけがなかった。以前の“仕事”で、何度も見聞きしていたからだ。
そう、あの頃の彼女は成人男性として東京でサラリーマン生活を送っていた。ある日、突然リストラされてから、秋葉は再就職先が見つからず、絶望的な日々を過ごしていた。
しかし、魔人たちと偶然出会い、魔人組織の契約社員として雇われることになった。その頃の彼女の“仕事”は、ネットやテレビ、雑誌などからリンクスに関する情報を収集し、魔人組織に報告することだった。
秋葉は確かに“悪者”ではあったが、心のどこかに良心が残っていた。だからこそ、リンクス協会の公表されている情報や、公開動画からの分析データを提供するにとどめ、法律を犯すような危険な行為には手を染めなかった。
彼女のような人間は少なくない。魔獣による被害で追い詰められた人々は、魔人組織に取り込まれやすかったのだ。多くの者が生き延びるため、どうしようもない状況で魔人に協力していた。
だが、ラマに目をつけられ、無理やり“リンクス”として潜入させられ、今の女の子の姿になったのは、そのずっと後のことだった…。
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