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第一話 シロイオリ

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 だがしかし、初恋を思い出し難からずも権堂を想ってしまっている理久と、そうとは知らない権堂との間に、それから何か進展があったかといえば、何も無く・・・。
 無いなら無いで、それはそれで仕方がない。哀しくはあるが自分は権堂にとって、たった一夜、通りすがりに夜を共にした仲、ただそれだけと言うことなのだ。
 共に働く事になり、近くにいる時間が多くなり、より募った想いを隠して、理久は自分を納得させようとしていた。
 しかし質の悪い事に、全く触れ合いが無いのかと言えばそうでもなく。スキンシップも多ければ、たまにふざけた権堂から、じゃれるように頬や額へキスをされる事も有ったりして、理久からすれば溜まったものではない。
 戯れに触れられる度、胸の裡でくすぶる想い・・・。
 二人の関係を、おそらく権堂から多少なり聞いたのであろう鷹松は、権堂が理久へちょっかいをかける度に眉を顰めて心配しているようだが・・・。
「そんな心配、全然必要無いのに・・・」
 ポツリと漏れた声は、不貞腐れた子供のようで。
「どうした?」
 広縁に設置された椅子で物思いに耽り、ささやかにライトアップされた庭園を見るともなしに見つめていると、不意にかけられた声。
 ガラス戸へ反射し映り込む姿に振り向けば、先ほどまでは生えていた無精髭をキレイに剃り、幾分か男前が上がったように見える権堂の姿があった。
「普通は・・・仕事に来る前に剃りますよね」
 どこか呆れたように言った理久に、権堂は苦笑を浮かべると
「チクチクして嫌だって、いつも言うじゃねぇか」
 お前の為に剃ったんだぞ。
 冗談めかして言って、理久が座る椅子の背もたれへ手を付き身を屈めた。
 予想外にも、小さな音を立てて唇が触れたのは唇だった。しかしそれは、触れただけですぐに離れて行く。
「・・・フリだけじゃ、無かったんですか?」
 いつものおふざけで、頬か額へ降りてくるものと考えていた理久は、拗ねるように、責めるように問いかける。
「セックスはな」
 キスしないとは言ってねぇ。
 言った権堂の唇が再び、理久の唇へ触れる。久しぶりに感じた、権堂の口付け。
 ぬるりと、滑る厚みのある舌がそこを舐める感触に、薄く緩んだ唇。その隙間へ当然のように忍び込んで来た舌に、絡め取られた舌を舐められ、理久が甘く喉を鳴らした。
 大きな掌が理久の頬を撫で、指先が耳の後ろを擽る。
 ピクリと身を震わせた理久が、自分へ被さるよう身を屈ませている権堂の胸元へと触れ、そこを緩く押し返した。
「・・・ここで、ですか?」
 理久の言葉にフッと目を細めた権堂は、それじゃあと、自身の胸に置かれた理久の白い手指を包み込むように握りしめ
「こっち来い」
 言って、その手を引いて立ち上がらせる。
 そのまま理久の手を掴んで寝室へ向かった権堂が、くるりと振り返り、ローベッドのフカフカの布団へ腰を下ろす。
「・・・」
 見上げてくる権堂の瞳と視線が合って、どこか困ったように眉を寄せた理久へ
「理久」
 呼びかけた権堂の手が、グイっと掴んだ腕を引いた。
「あっ・・・」
 ぐらりと傾ぐ身体。
「来いよ」
 広げられた両手。厚い胸に倒れ込んできた理久ごと背後に倒れた権堂が、理久の耳元へ零した小さく笑う息。
 それにソクリと身を竦ませた理久の、こめかみに触れた柔らかな温もり。
「良いんですか?」
 腕の中から黒い瞳が見上げ問いかけてくるのに、何が? と聞き返しながらも、理久の身体を返し、自身の身体の下へと抱き込んだ権堂へ
「翔一郎と芳桐は、権堂さんがオレに悪さをしないように見張れって、圭佑さんから言われてるんですよ? この件も、報告されるんじゃないですか?」
 問いかける。
 それへ僅かに苦い表情を見せた権堂はしかし
「そうは言っても、デバガメ幽霊を呼び出す為だからなぁ」
 仕方ない、仕事の一環だと、しれっと嘯く。
「ふーん・・・」
 だが、どこか不満気な理久の態度に苦笑した権堂は
「りーくー」
 名前を呼んで、そのつんとした形の良い鼻を指先で摘んだ。
「それとも、仕事じゃあ無くして欲しいのか?」
 耳元へ、低く優しい声が問いかける。
「別に俺は構わねぇぞ」
 言った権堂の掌がするりと、薄い浴衣越し胸元を滑るのに、ビクリと身を震わせた理久の手が、ギュッと権堂のその手を掴んだ。
「そうやって、いつも人の事をからかって」
 ジッと、見上げる理久の瞳。それを茶化すでもなく見下ろす権堂が、身を沈める。
 触れ合った唇。
 それはすぐに離れ、再びしっとりと触れる。そうして柔らかく擽るように、舌を舐め絡ませ合い、微かな水音を立て離れていった唇は、理久の男性にしては細い顎へと滑り、首筋へと降りた。
 首元に埋まる権堂の後頭部へ伸びた理久の指が、見た目よりも柔らかな権堂の黒い髪へ触れる。
 その瞬間、ギクリと、理久の身体が固まった。
 すぐに、首へ浮いた筋を上り耳元へ触れる唇。
「来たか?」
 それが極々小さな声で囁くのに、理久は否を呟くと
「ただ・・・室内が・・・」
 視線だけで、見える室内を見回した。
「気配は、濃くします・・・でもまだ、本体は・・・」
 その言葉に、権堂は理久の腕を掴み諸共身を起こし、あぐらをかいた脚の上に理久の身体を抱き込むように座らせる。
「理久」
 その身体を抱きしめ、頬へ唇を寄せると耳に滑らせ耳朶を柔らかに喰む。
「何が視える?」
 囁くような声が問いかけるのに、理久は微かに身じろいで
「白い壁と、木組みの・・・牢・・・。床に・・・折れた、櫛・・・?」
 ボソボソと答えると、権堂の首元へ顔を埋め、額を擦り付けた。
「さっきより、はっきりしてきました・・・、でも未だ」
 見つかっていない。
 言いかけた理久がヒュッと息を飲む。その身を抱く権堂の手にも、力がこもった。
 弾かれたように2人揃って振り向いた白い壁。そこに滲み揺れるのは、その壁に透ける紙のように薄い女の姿。
 俯き、ゆらゆらと揺れるそれが、ふと顔を上げる。真っ白なのっぺりとした顔に、ポッカリと窪んだ2つの穴。眼球のないそれと目が合った瞬間、キンッと甲高い金属音が室内に響く。
『ノ・・・ブマ、サ・・・サ、マ・・・』
 ゴポゴポというくぐもった音と共に、権堂の腕の中から聞こえた、しゃがれた声。
 焦点の定まらない瞳で空を見つめる理久の口から漏れたのは、理久の物ではない声。
 壁の女が腕を上げるのに合わせ、緩く持ち上がる理久の腕。
「チッ」
 権堂の、理久を抱くのとは反対の掌が上向けられ、そこの空気がゆらりと揺れ、微かに輝きを増す。
 まるで掌から細い蔦が生えるように、キラキラと光の粒子が寄り集まった細い紐状のそれが立ち上がる。くにゃりと折れた先端が、女の方へと向いた。
 狙いを定めたそれが、壁の前で透ける女へと素早く向かう直前。揺らいだ女の姿は、空気へ溶けるように霧散していった。

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