上 下
484 / 572

第465話 勇者と呼ばれた男7

しおりを挟む
 これにてカナエツグナオの生涯は終えた。ツグナオの死はすぐに国中に知らされた。しかしそんなツグナオの死を嘆くものはわずかであったという。

 むしろ愚王が死んだことで新の英雄が王座に着くと皆が喜んだという。街ではすでに新王誕生を喜びパーティーが開かれるほどであった。その様子を見たクロは何も言わなかった。何も言葉を発する事もなくただ一人で部屋にこもった。

 そして新王としてクロではなく、ファラスが王となった。そしてこの時、新王としてファラスは英雄王と自ら名乗った。父であるツグナオの勇者王という名は継がなかった。

 クロが王にならなかったことに関してはわずかな批判が出たが、ファラスも黒騎士に次ぐ英雄として知られるため予想以上の反発なく王位についた。これからは英雄の国を治める英雄王として世界に知られていくことになる……はずだが、歴史はそうはならなかった。

 人々は新王、英雄王ファラスの誕生を祝いながらも今や大英雄と呼ばれる黒騎士の身を案じた。安否確認を取ろうとしたが黒騎士は部屋を出ることはなく、なんの音沙汰のないまま1年近くが経過した。

 黒騎士死亡説まで巷で流れるようになる頃、カナエの1周忌を前にして黒騎士は再び姿を見せた。人々は黒騎士の復活に喜んだが、黒騎士は言葉数少なく2冊の本を手に握りしめていた。そしてこの本を出版してほしいファラスに直談判した。

 その1冊はツグナオが執筆していた黒騎士物語の完全版。そしてもう一冊、著者はフレイドとなっている。しかしそのペンネームを使っていたツグナオはこの世にはいない。そしてツグナオはその本を執筆していない。

 クロはツグナオのペンネームを借り受けてフレイドとして執筆したのだ。ツグナオとクロ、二人がフレイドである。そしてそのクロが持っていたもう一つの本の題名は勇者王物語。クロが描いたツグナオの物語である。

 そしてその本の内容を確認したファラスはこの本の出版を拒否した。こんな作り物の話は、でたらめな話を世に放てないと断った。しかし黒騎士は一歩も引かなかった。そして半ば強引に出版の許可を取った。

 そんな2冊の本はツグナオの一周忌に合わせて出版された。突如発売された黒騎士と勇者王物語。これには娯楽に飢えていた人々が買い求めた。特に黒騎士の物語の本に至っては発売当日に完売するほどだ。逆にツグナオの物語は山積みのままであった。

 人々は黒騎士の物語にワクワクしながら読み始めた。英雄の心踊るような物語が始まる。黒騎士の様々な伝説。どれもが呼吸を忘れるほどの偉業の数々だ。しかしそんな物語の合間合間にツグナオの話が出てくる。

 そして人々は少しずつ知っていく。ツグナオの功績を。身分の低い平民の中から優秀なものを見つけ登用する判断。現在英雄の国で施行されている法律の8割を一人で考えた頭脳。戦争で苦しむ人々のために派兵する行動力。そして黒騎士の心の支えになっていたことも。

 人々は黒騎士物語を読んでいるはずだ。しかし気がつけば黒騎士よりもツグナオに人々は興味を持った。そして徐々に徐々に勇者王物語は売れていく。そしてその本で人々は初めてツグナオの功績を知るのだ。

 黒騎士はその武勇で多くの人々を救った。しかし勇者王はその頭脳とやさしき心でより多くの人々を救った。もしも黒騎士しかおらず、勇者王がいなかったら。もしもあの時、ヴァルドールと戦う前に人々がツグナオを王位から引き摺り下ろしていたら、この平和はなかったかもしれない。

 黒騎士は真の英雄だ。それは間違いない。しかしツグナオはそれに匹敵するほどの影の英雄だ。目立つことはない。英雄の影に埋もれてしまう英雄。そして人々に貶され続けても人々のためにあり続けた優しき英雄。

 勇者王物語はさらに売れていく。今や黒騎士物語を超えるほどの売れ行きだ。最初は山積みのまま放置されていた勇者王物語はなくなるたびに補充されていく。だがどうしても信じられない人々がいる。この本は嘘のことを書いているのではないかと。

 そんなある時、たまたま黒騎士が街に出向いた時に一人の子供が黒騎士に駆け寄った。見るからに黒騎士のファンだと思われるその子供は素直に聞いた。大人たちが誰も聞けないことを。

「あの本のことは本当なの?」

 子供の一言。その子供の一言に対する答えを知りたい人々は誰もが口を閉じた。静寂に包まれる中、子供の背丈に合わせるようにしゃがみ込んだ黒騎士の鎧の擦れる音だけが響いた。そしてその静寂の中、黒騎士は口を開いた。

「本当だ。私は生まれながらの英雄ではない。私は一度でも自分のことを英雄だと思ったことはない。あの時代、真に英雄と呼べるのはただ一人しかいなかった。今英雄と呼ばれているものたちは全員、その真の英雄によって英雄と呼べるようになったのだ。いや…彼は英雄ではないか。彼は英雄を超えた存在。勇者だ。私が唯一尊敬し、敬愛する勇者だ。」

 黒騎士はそれだけ言うと去って行った。人々は黒騎士のいう真の英雄が誰か知っている。黒騎士に英雄すら超えた存在だと言わしめる勇者が誰か知っている。そしてこの本が真実かどうかは今の黒騎士の一言で判明した。

 そしてツグナオが亡くなってから1年以上が経った今日、人々はようやく自分たちの失ったものの大きさを知った。愚王と呼んでいた王が他に類を見ないほどの賢王だと知った。そして英雄の金魚の糞などと呼んでいたものが、真なる英雄であったと知った。

 人々は自らの愚かさを知り、己を恥じ、嘆いた。なぜ一度でも声をかけなかったのか、なぜ一度でもかの勇者を讃えなかったのか。なぜ、なぜ、なぜ……

 もういくら悔やんでも遅い。いくら泣き叫んでも遅い。かの勇者は逝ってしまった。手の届かぬ場所に逝ってしまった。もう二度と謝ることはできない。もう二度とその姿を見ることはできない。もう二度とかの勇者を讃えることはできない。

 ツグナオ2周忌の時、人々は初めて式典を催し、かの勇者の死を嘆いた。そして人々はせめてもの償いとしてかの勇者の偉業を世界に広めた。そしてそれがカナエ・ツグナオの新たなる伝説の始まりであった。

 その力だけは英雄に匹敵するものたちがツグナオの物語を読み、その行動に感銘を受けた。ツグナオの物語は英雄の教科書として、ただの強者を英雄に至らせた。それは敵国の将軍であっても、部族の戦士長も、獣人であろうと魚人であろうと、殺人鬼であろうと、盗賊であろうとツグナオの想いを継ぎ英雄を志した。

 現在も続く英雄の国の繁栄にはツグナオの存在が大きい。カナエ・ツグナオという真の英雄に憧れ現在の英雄の国に仕官するものは多い。そしてツグナオは決して強者ではなかった。弱者であった。それは文官たちがツグナオに憧れ英雄の国に仕官する理由になった。

 優秀な人材が今も豊富に集まり続けるのはツグナオがいたからだ。軍人たちが問題を起こさず、各地で私財を投げ売ってまで困っている人々を助けるのはツグナオならそうしたと思ったからだ。

 さらに英雄の国はこれだけの大国でありながら役所や役人の汚職が異常なまでに少ない。10年に一件あるかどうかというほどである。それは武人も平民も役人も誰もがツグナオのような人間を志すからだ。誰もが真の英雄を志すからだ。

 カナエ・ツグナオというちっぽけな人間は死後、その功績を認められた。ツグナオは死後、ようやく自身が憧れた英雄に、勇者になった。その死後、誰もが認める偉大なる英雄になった。そして…蔑称として使用されていた勇者という言葉が英雄を超える英雄という意味で使われるようになった。

 そして勇者王という言葉は英雄たちの父として、この世に存在する全ての英雄たちの始まりとして知られるようになった。

 ファラスも父である勇者王の物語があまりにも売れ、その名が轟きすぎたために英雄王という名から勇者王と名乗ろうとした。しかしそれには多くの国民が反対した。勇者王を一番蔑んだ男がそれを名乗ることは許さないと。

 そして地位も力もすでに魔神に至っていたファラスは勇者神と名乗った。これにも反発は起きたが、徐々に受け入れられた。勇者王の功績の半分にも満たぬ男が勇者の神であると名乗ることがあまりにも滑稽だったからだ。

 ファラスはその後、自身の子供が成人したのを境に王位から退いた。ファラスにとって王位とはあまりに居心地の悪いものとなってしまったからだ。そしてファラスの子供は自らを勇者神と名乗った。

 それは父と同じ名であるが本質は違う。勇者を神と崇める王としてその名を名乗ることに決めたのだ。自らの祖父を偉大なる王として崇めるために。

 そして黒騎士は生涯、騎士として英雄の国を守り続けた。そして年老いた黒騎士は老衰で亡くなる死の間際、英雄の国を見渡した。

「ツグナオ。お前が生んだこの国は…お前の愛した人々は今日も笑顔の絶えない暮らしを送っているよ。お前は…やっぱり偉大な王様で…最高の勇者だったよ……お前にもこの景色を見せたかった。あの世で会えたら語り尽くしてやるからな。…ようやく胸を張ってお前に会いに行けるよ。」

 そして黒騎士はひっそりと死んでいった。その亡骸は勇者王の隣に埋葬された。それから黒騎士の素顔だが、これに関しては王命ということで最後まで誰にも見られることなく、鎧を着込んだまま埋葬された。

 勇者の家系を3代に渡り守り抜いた英雄の国の守護神、史上最強の英雄は多くの人々に見守られながら埋葬された。

 こうしてツグナオとクロという勇者と英雄の人生は終わった。しかしその物語は、その功績は何百年経っても語り継がれることになる。そして謎の存在フレイドは世界最大の出版社として残り続ける。





 しかし今、一つの奇跡が起ころうとしている。それは世界中で巻き起こる十本指による世界征服。希望のない誰もが絶望するこの時代に彼は2周目の人生を始めようとしていた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

辺境伯令嬢は冒険者としてSランクを目指す

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:1,388

ボク地方領主。将来の夢ニート!

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:1,699

異世界で魔工装具士になりました〜恩返しで作ったら色々と大変みたいです

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:9,238pt お気に入り:1,338

婚約破棄されたはずなのに、元婚約者が溺愛してくるのですが

恋愛 / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:1,737

異世界を満喫します~愛し子は最強の幼女

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:177pt お気に入り:3,335

聖女の地位も婚約者も全て差し上げます〜LV∞の聖女は冒険者になるらしい〜

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:248pt お気に入り:2,538

処理中です...