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第270話 アンドリュー子爵と始まり

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 両国から飛び出した王の率いる兵団はアンドリュー子爵の元に近づき、10mほど離れた位置で立ち止まった。両軍からは殺気がほとばしっている。まさに一触即発の状況だ。アンドリュー子爵もどうしたら良いかわからず、その顔からは血の気が引いている。そんな中、兵団を率いる王だけが前に出た。

「よく来たなゼッペリクルセン王。お前がなぜここに来たか知らんが今すぐ兵を退け。さもなくばお前の国を血の海に変えてやるぞ。」

「大きく出たなリグリンド王。貴様こそ何しにこんなところにきた。お前こそすぐに兵を退かねば…地獄を見ることになるぞ……」

 互いに怒気をはらんだその声は周囲で聞くものすべてに思わず固唾を呑ませる。些細なきっかけですぐにでも両軍がぶつかり合いそうなほど緊迫した時間が進む。そんな中ミラルたちは必死にここから逃げる策を考えるが、良案が浮かばない。

 そんな中、アンドリュー子爵は意を決して震える足でなんとか歩を進めながら向かい合う両国王に近づく。今すぐにでも倒れてしまいそうなほど恐怖で怯えたアンドリュー子爵はなんとか口を開いた。

「ぶ、無礼と存じますが…お、お許しく、ください……わ、私の名は…私は…アンドリュー・グライド……ここより…遥遠方の国で…子爵をたまわ…賜っております…な、なぜこのようなことに…なっているか……我々はたまたま…居合わせただけで……」

「アンドリュー殿、ご安心を。今すぐこの狼藉者を退かせましょう。」
「アンドリュー様、不安になることはありません。今すぐ我々がこやつらを…」

「「ん?」」

 何かおかしいことに気がついた両国王。その瞳は互いに相手を見据えながらしばしの時が経つ。やがて先に口を開いたのはゼッペリクルセン王であった。

「……諸国漫遊釣り紀行……第4弾…」

「山奥の秘境にて泉を発見。レッペリンを釣り上げムニエル調理。……それ以前のナイトに案内される釣り浪漫、第1弾は…」

「名作だ。凍る湖に穴を開けて雪魚を釣った話だろう。雪魚の天ぷらは是非とも食べたい一品だ。これを知らずしてアンドリュー作品を知ったとは語れない。…できるな。」

「ふっ…お前もな……」

「あ、あの…一体何を…」

 慌てるアンドリュー子爵。一体どういうことなのか理解できていないらしい。ゼッペリクルセン王とリグリンド王はそれぞれ馬から降りてアンドリュー子爵の元に近づく。

「申し訳ありませんアンドリュー様。少し…勘違いがあったようで。こいつがアンドリュー様に向けて兵を出したという情報を聞いて我々はお守りしようと…」

「何をいうか!先に兵を出したのは貴様だろうが!我々は貴様が兵を出したと聞いて慌てて駆けつけたのだぞ!」

「ふん!先に兵を接触させたのはどこのどいつだ。我々はお前みたいなやつからアンドリュー様をお守りしようと…」

「何をいうか!やはりお前は気に食わん!」

「あ、あの…つまりは…どういうことなのでしょうか…」

 全く状況を飲み込めていないアンドリュー子爵に対して両国王は自分が説明しようと前に出る。またそこで揉め事を起こすのだが、そんな時アンドリュー子爵の供回りとミラルたちが待機している方からわずかなどよめきが起きた。

 何事かと振り返るアンドリュー子爵の瞳に放置されていた釣り竿が映った。それは3日目にして待望の初ヒットの瞬間であった。突然の出来事にルアーを投げたまま放置していた釣り竿に魚が掛かったのだ。

 アンドリュー子爵は思わず走り出し釣り竿を手に取る。そして丁寧にリールを巻き始めた。このアンドリュー子爵の両国王に対するあまりにも無礼な行動。しかし両国王はそんな無礼など御構い無しにアンドリュー子爵が魚を釣り上げるその瞬間をただ見つめていた。

 アンドリュー子爵は丁寧に掛かった魚の力強い引きに対して合わせている。やがて3分ほどの格闘の後に釣り上げられた魚は光に反射して七色に輝く美しい魚であった。その美しさに思わず声の漏れるアンドリュー子爵。その様子を見て両国王は互いに抱きしめ合うほど喜び、そしてハッと我に帰り、気まずそうに離れる。

「なんと美しい…あっ…も、申し訳ありません。つい体が……」

「いえいえお気になさらず。それにしても美しい魚ですな。」
「いや誠に。これほど美しい魚がこの湖にいたとは……味も楽しみですな。」

 喜ぶ両国王。この後のアンドリュー子爵の実食も楽しみにしているようだ。釣って楽しみ、食べて楽しむ。アンドリュー子爵の動画では定番の流れだ。しかしアンドリュー子爵は優しく微笑んでその魚を逃してやった。

「な、なぜ逃してしまうのですか!」
「そ、そうです!ここからはいつもの流れ通り…」

「本来なら…そうなります。私はこの魚を求めて長い長い旅をしました。ここより遥か遠い街でこの魚のことを聞きつけて、あの遠くに見える山に出向きました。しかしそこではこの魚は絶滅していました。そしてなんとかこの魚を求めて川を下り…ここにたどり着きました。求めに求めた魚です。しかしこの魚はもうこの湖にしかいないのかもしれない。そう思うとあまりに勿体無く…食べようという気が起きません。」

 アンドリュー子爵にしては珍しい判断だ。その判断に目を丸くして驚く両国王。アンドリュー子爵はこの動画撮影旅を始めてからずいぶん旅をして、様々な体験をした。小さな出来事の一つ一つがアンドリュー子爵を成長させた。アンドリュー子爵は旅を通して色々と考えるようになったのだ。

「この世界には多くの自然があります。まだ人の踏み入れていない土地もあるのでしょう。まだ誰にも見つかったことのない魚もいるのでしょう。私はこの旅を通してそういったものと触れ合う機会がありました。…そして……私の知らないところで戦争が起き、誰にも知られぬまま消えていく命もあるのでしょう……。」

「…まさに…」
「…おっしゃる通り……」

「私は釣りを通して自然と関わり合い、そして時にはその自然の一部を頂いています。自然は時に厳しさを教えてくれます。そして時にはその優しさを教えてくれます。その両面を併せ持つから自然は美しい。私はそれを教えてくれた自然に感謝し…その恩を返したい……」

 ゼッペリクルセン王とリグリンド王は言葉を発せなくなる。彼らは今まさにその自然を奪い合うために戦争をしている。そして奪い取った方はその自然を半永久的に搾取し続けるのだろう。別にこの世界ではよくあることだ。しかしそんなよくあることでも敬愛するアンドリュー子爵の前では堂々と声を上げることはできない。

 両国王の目には寂しげなアンドリュー子爵の表情だけが映る。いつも動画で見るアンドリュー子爵は明るく笑い、なんとも楽しそうにしていた。しかしそんなアンドリュー子爵のレア顔に少し喜びつつも、やはりいつものように笑って欲しいと思う両国王は思案を巡らせる。

 何かアンドリュー子爵の喜んでくれる方法はないか、アンドリュー子爵を喜ばせたい一心で思考を加速させる。そして思考はやがて一つの着地点を見つける。

 それは、そもそもこの湖は必要なのかという問題だ。はっきり結論だけ言えば必要である。現在両国で分け合っている河川の水量だけではやがて限界がくる。限界がきてしまえば両国ともそれ以上の発展は望めない。水源の確保は発展のためには間違いなく必須である。

 しかし両国王はそんな発展など考えることをやめた。未来のことよりも今である。今最大限の価値を生みだすために必死に思考を加速させ、一つの解を見つけ出した。

「じ、実は儂も同じことを考えておりまして…この湖を保護するためにこの戦争が起きていたわけです…」

「ま、待て!待て待て!保護を考えていたのはこちらも同じこと。ただその保護をする主軸をどちらが握るかで揉めていたわけでありまして…」

「そ、それはどういうことでしょうか…?」

「この湖は歴史的にも価値がありまして……歴史的な価値からの保護、美しい自然を守るための保護のために我々は動いておりまして…」

「な!だからそれは我々も……ハッ!そうだ!どうだゼッペリクルセン王。ここはこの湖の所有権をアンドリュー様に渡して…我々は共にこの自然を守るというのは。この湖は共に価値あるもの。争いなど醜いことはやめて我々はアンドリュー様のために一肌脱ごうではないか。」

「リグリンド王……それはなんという妙案だ。どうでしょうかアンドリュー殿。我々のために、この自然を守るために…手を貸してはもらえませんか?」

「そ、それは…しかし私などで良いのですか?」

「もちろんです!むしろアンドリュー様ほどの適任者はおられないかと…」

「我々の平和のためにも。どうかそのお力を貸してください…」

 ゼッペリクルセン王とリグリンド王の両国王はアンドリュー子爵に頭を下げて願う。アンドリュー子爵は思っても見なかった申し出に戸惑いを見せるが、役に立てるのならばとその手を取った。

 これによりこの湖の全権はアンドリュー子爵の手に渡り、両国の戦争は収まる。……とはいかなかった。やはり今後の発展のことを考えると、この湖の利用価値は高い。両国の陣営から数人の国の重鎮たちが飛び出して王を説得し始めた。

 上手くまとまりかけていた話に亀裂が入り出す。そんな中、使い魔のリューがトコトコと近づき、アンドリュー子爵の肩の上に乗った。

『リュー・つまり…あの川は水量が安定しなくて酷い時は氾濫を起こすと。水量の安定的な確保が必要になるわけね?』

「そうだ。あの河川をどうにかしようにも治水工事もままならず、手の施しようが…」

『リュー・多分…いや間違いなくあの山で起きる雨が原因だね。3方が山に囲われて雲が全て山の中で雨に変わる。その大量の雨によって下流域では川の増水と氾濫がおこる。もういっそのことあの山のところダムにしちゃったら?生き物も住み難いあの山の自然的な価値低いし。』

 リューの提案。それは3方を山に囲われたあの場所をもう1方も囲ってしまい巨大なダムを建設する計画だ。確かにダムを作れば安定的な水量の供給も可能だろう。雨も多いことからダムに水を貯めることも可能なはずだ。

「巨大なダム…しかしそれはあまりにも危険です。もしもそのダムが破壊されたら…この両国とも水害で滅びる。あまりにも危険な…」

『リュー・そこはさ、この両国でダムの場所に国を作れば良いんだよ。国で守れば十分に戦える。この両国が手を取った証に建てた平和の国みたいなさ。二つの国が手を取って相互不可侵の条約結んだり……あ!例えばこういうのはどう?自然保護のための協会をその国に作るの。そうだな…アンドリュー自然保護連合同盟みたいな。』

「リューくん。さすがにそれは…」

「「良いな。」」

「え?」

「アンドリュー殿をトップに置いたアンドリュー自然保護連合同盟。加盟国を募り、協会そのものを大きくすれば……」

「巨大な組織ゆえに誰も手を出そうとしなくなる。力による安全の確保……それだけではない。もしも上手くいけば…英雄の国の隣に乱立する諸王国が一つになる。」

「魔神を保有しない巨大連合ができる?まさかそんな…本当に上手くいけば歴史的快挙…いや、英雄の偉業にも匹敵する。」

「あ、あの…皆さん?」

「アンドリュー殿!世界平和のために、自然を守るためにどうか!我らの元締めとなってください!」

「アンドリュー様!どうか!どうかお願いいたします!」

「いや…あの…ですが……」

 自分には務まるはずがないと思うアンドリュー子爵。しかし一国の国王2人に必死に頼み込まれて断るわけにもいかない。やがて根負けしたアンドリュー子爵はその依頼を引き受け、本格的な書類を作成し、アンドリュー自然保護連合同盟が誕生した。

 そしてその様子をリューとその眷属はしっかりと記録していた。きっとこれが一つの物語の始まりであると信じて。
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