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第199話 とある軍人の日記2

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 女の苦しみを、苦悩を聞いてからしばらくしたある日のこと。自分がいつものように零戦を修理していると女が顔色を変えて家から飛び出してきた。何事かと思い女の元に向かうと遠くの木の陰から一人の男が現れた。

 その男はなんとも面妖な姿をしていた。頭からは白い獣の耳を生やし、尻には尻尾がついている。その見た目はまるで屏風に描かれている虎のようだ。なんとも白き獣だ。しかし人間のようでもある。自分はその面妖な男に怯えている女を見てたまらず拳銃を引き抜いた。

「止まれ!一体何やつだ!」

「落ち着け異世界の者。その武器は私には効かない。話をするだけだ。」

「あ…ありえません!ここは聖樹によって難解に入り組んだ迷宮です。どうやってここに…」

 男はただ話があると言ってこちらに近づいてきた。自分は警告をした。それでも近づいてきたのだから問題ないと男の足めがけて引き金を引いた。発射された弾丸は男の足に吸い込まれるように近づいた。

 そしてキンッと高い金属音を立てて弾かれてしまった。驚いた自分はそんども引き金を引くが全ていともたやすく弾かれてしまった。それこそ眉間に打ち込んだ弾でさえ簡単に弾いてしまった。銃のきかない化け物がいるとは思いもしなかった。そして気が付いた時には男は目の前にいた。

「その武器はこちらの世界では意味を持たぬ。安心しろ、危害を加えるつもりはない。」

 そんな言葉を信じられぬ自分は男に掴みかかった。しかしなんたる巨躯か、まるで大樹のような、自分が子供になったかのような気持ちにさせられた。それでも諦めきれぬ自分を男は片手で持ち上げてしまった。

「記憶する者よ。私は本当に話をしに来ただけだ。この男を落ち着かせてほしい。」

「わかりました。では椅子にでも座って話しましょう。」

 自分は女になだめられ、なんとも情けないまま言う通りに椅子に座った。男は女から差し出された茶を一飲みするとほっと息を漏らした。

「ようやく話をすることができるな記憶する者よ。私の名はビャクオウ、かつて神獣様にお仕えした一族の末裔だ。そして…かのお方の願いを叶えに来た。」

「神獣…聞いたことがあります。多くの国を敵に回した大罪人とか。」

「違う!断じて違う!あのお方は誇り高きお方だ!罪人などではない!」

 冷静沈着そうな男が声を張り上げて怒りをあらわにして見せた。この迫力に私はすくんでしまったが、女は眉ひとつ動かさなかった。男は息を落ち着けると一言謝った。

「すまない。だが、あのお方のことを悪くは言わないでくれ。あのお方は…記憶する者よ、お前と同じこの世界のことを知ってしまった。それどころかそれの行き着く未来まで知ってしまった。」

「……なんのことでしょう。」

「とぼけても構わない。ただ記憶する者よ。お前に頼みたいことがある。私はお前の未来も知っている。これから100年の後にお前のことを感づく者が出る。そしてお前は殺される。これは確定事項だ。この運命は変えることはできない。だから……それまでにお前には死んでもらいたい。」

 男の突然の死ねと言う発言。それを聞いた自分の体は震え上がり、怒りで顔面が熱くなるのを感じた。自分は男に勝てないことはわかっていても男の胸ぐらを掴んでいた。後のことなど知らない。惚れた女に死ねと言うこの男が許せなかった。

 だが胸ぐらを掴まれた男は俺に一瞥もくれない。ただ女の方を見ていただけだ。自分ごとき眼中にないと言うこの男の鼻を明かしてやりたい。だが自分はふと背後が気になり女の方に目をやった。

 女は泣いていた。それは悲しみの涙ではない。喜びの、歓喜の涙だ。自分にはそれの理由がまるでわからなかった。死んでほしいと言われてなぜこのような涙を流すのだろうか。

「私は……許されるのですか?…死ぬことを……終わりを迎えることを……」

「ああ。そうでなければ記憶は失われてしまう。歴史が葬り去られてしまう。真実も…全て奴らのものにされてしまう。」

「そうですか…よかった……これ以上はもう…よかった……」

 女は子供のように泣きじゃくっている。そうか、何百、何千と生きて来たがもう終わりを迎えたかったのか。自分ではこの女の夢を叶えてやることができなかった。この男が現れなければ一生苦しんだままだったのだ。

 男はそれからいくつかの頼みごとをしていくと用事が全て済んだと言って帰ろうとした。そんな男を私は呼び止めた。自分はこの男に失礼ばかり働いて何もできてはいない。しかし呼び止めたは良いが、なんと言って謝って良いかわからない。

「その……自分にもできることはないか?自分は…あの女のために何もできなかった。だと言うのに…」

「気にするな。それにその言葉を待っていた。無理やり押し付けてもお前は聞いてくれないだろうと思ってな。」

 そう言うと男は小さな小袋から溢れかえるような金貨を取り出して見せた。目も眩むような金貨を前にして自分は声を出すこともできずに固まっていた。

「この金貨を用いてお前をこの地に導いたものを覚醒させろ。そして…記録を残せ。やがて現れる我らの希望のために。彼の者は力無き者だ。其の者のためにお前の力を授けてほしい。」

「導いたもの…あの零戦のことか?だがあれは壊れてしまって…」

「壊れることはない。決して壊れることはないのだ。どんな時でもそれは最適の形に復元する。今尚壊れているというあの形は、それが最善の形だと知っているからだ。」

 そう言うと男は去っていった。自分は男の言葉の意味を心の中で確認する。零戦が壊れているのはこの地に残れと言う思し召しと言うことなのだろう。つまりそれは…あの女の隣にいてやれと言うことなのだろうな。

「すまない。戦友たちよ。自分には…どうしてもやらねばならぬことができてしまったようだ。」

 自分は女の元に戻る。女はなんとも清々しい表情で明るく笑っていた。その表情を見るだけで自分も嬉しくなる。女は自分の手を取り語りかけた。

「ほら、やらなくちゃいけない事がいっぱいあるんだから早く取り掛かるよ。人生の終わりに向けてやるべきことをやらないと。」

「そう…だな。お前は…全てが終わったらそのまま…」

「死なないよ。最後の人生だもの。どうせなら好きになった人と最後を添い遂げたい。」

 女は自分に背を向けてそう言い放った。それを聞いた自分は嬉しくもあるが恥ずかしくもなる。自分の顔は今どれだけ赤いのだろう。きっと今自分に背を向けているこの女の耳のように赤くなっているのだろう。

「そ、そんなことを急に言うが…自分はまだお前の名前すら聞いていないのだぞ。」

「そっか…そうだったね。もうずっと昔のことだから私自身名前を忘れそうになる時があるの。両親からもらった大切な名前。私の名前はね…」

 女の名前を聞いた時、自分は初めて女のことを知る事ができたと思う。



 これを読んでいる希望のものよ、力無き彼の者よ。自分はやるべき事を為したぞ。自分の全てをお前に託そう。女の…自分の妻の夢も何もかも全てをお前に託そう。いつの日か、お前が皆の宿願叶えるその時を願い、自分たちは先に逝く。


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