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第197話 異世界の狂人
しおりを挟む翌朝、漁師たちをホテルに置いて行き、俺とミラルたちでホテルに頼んでおいたトナカイソリのタクシーを利用して例の異世界人がいるという場所まで移動した。どうやら運転手もその異世界人のことをよく知っているらしい。どうやら街の有名人らしい。
ホテルの支配人からその異世界人の住居の詳しい場所は聞いていないので運転手に任せているのだが、どんどん住宅街を離れていく。それどころか周囲には何もない場所まで移動している。
本当に周囲を見回す限り何もないようなところまで来た時、遠くに建物が見えた。どうやらあれが目的地らしい。俺はすぐにミラルたちに魔力反応を確かめてもらう。どうやら今の魔力反応は落ち着いているらしい。
昨日、俺はその異世界人と会うと言ったらホテルの支配人からいくつかの注意事項が言いつけられた。その中に魔力が荒れているときは近づかないようにというものがあった。この注意事項は命の危険に関わるので必ず守るようにと言われている。
そしてトナカイソリは建物の50m手前で止まり、そこからは徒歩で行くこと。建物の10m手前まで来たらそこから声をかけるようにという注意事項も守った。声をかけ、しばらくすると建物の中から一人の人間のようなものが現れた。
髪の毛は一体いつから手入れしていないのかというほど伸びきって体を覆っている。ヒゲも長く、表情がわからない。それは建物の近くからこちらを見ているのだが、動きが見られない。そこから俺たちは一歩一歩ゆっくりと近づいていった。
すると残り3mほどまで来たところでようやく男の声が聞こえて来た。どうやらずっと話していたのだが、声が小さくて聞こえなかったのだ。なんとも弱々しい声質から男だと判断した。その男はこちらに悲痛な叫びをかけていた。
「来ないでくれ…もう誰も傷つけたくないんだ……来ないでくれ…だめだ…くるな……」
「こんにちは。私はあなたと話に来たんです。私はあなたと同郷の人間です。日本人です。敵意はありません。」
「日本人…同郷……あ、ああ!くるな!くるんじゃない!!やめろ!やめてくれ!!」
「ミチナガ!魔力が荒れ始めたぞ!」
常に周囲の魔力を観測してくれていたミラルから報告を受けた俺はすぐにケイグスの後ろに隠れる。すると先ほどまで呆然と立っていた男は急に体をかがめた。そしてその体からは俺にもわかるほどの殺気を飛ばしていた。
すぐにミラルとギギアールが対処しようとするのだが、男はその場から消えた。いや、消えたかのように高速で移動したのだ。すると俺の目の前にいたケイグスが急に俺を押しのけ、地面に突っ伏した。
一体何事かと思えばケイグスの下には先ほどの男が押さえつけられていた。ケイグスに押さえつけられてもう動けないはずなのに男は自らの体を傷つけながらもがいていた。このままでは男は死ぬまでもがいている可能性がある。
するとスマホからヤクが飛び出して来て男の口に布を被せた。すると男は5分ほどもがいたのちにピタリと動くのをやめた。
『ヤク・エルフ直伝の睡眠薬です。強力ですが効果は短い。今すぐ準備を。』
「サンキュー助かったよ。」
俺たちは男を抱えて男の住んでいた建物に入った。男が起きる前に準備をしないといけないからな。
「ここは…私は…」
「起きましたか。お、落ち着いてください。危害を加えるつもりはありません。ただ暴れないように縛らせていただきました。申し訳ありません。」
目を覚ました男は周囲を見回しすぐに状況を把握したようだ。とても落ち着き払った様子でこちらに襲って申し訳ないと謝ってまでいる。かなり場慣れしているな。
「すまない…私の呪われた力のせいだ……すまない…すまない……」
「話は軽く伺ってから来ました。狂人化という能力らしいですね。戦闘能力が上がる代わりに理性が消えると。」
狂人化、ホテルの支配人が言うには全身体能力が向上する代わりに、周囲の生命体全てを攻撃対象に設定してしまうと言う能力だ。戦闘能力だけは素晴らしいものだが、本来守る対象も全て攻撃してしまうので仲間がいる場面で使えない、使ってはならない能力だ。
「そうだ…だから私には近づくな…たのむ…たのむ……」
男は泣きながら懇願する。この能力で一体どれだけの苦しみを味わったのだろう。その苦痛は俺にはわからない。計り知ることなどできないだろう。だから俺は単刀直入に男に言う。
「私の名は関谷道長、あなたと同じ日本人です。そして私にはあなたを助ける力があります。元魔帝、二つ名はバーサーク。私はあなたのその狂人化の能力を奪うことができる。」
「ほ、本当か…本当に!…うぁ…は、早く奪ってくれ…感情の高ぶりがこの能力の発動条件だ……押さえておくから早く……」
「急ぎます!マザー頼んだぞ。ミラルたちは彼を傷つけないように押さえておいてくれ。」
俺はすぐにマザーの眷属をスマホから取り出して彼の口の中に押し込む。スマホを確認するとマザーの眷属は無事入り込むことができたらしい。しかしここからが問題だ。彼の狂人化の能力が暴走を始めたのだ。
まるで能力が奪われまいと能力そのものが必死に暴れているようだ。椅子に縛り付けられた男の体が暴れ出し、椅子を破壊しようとする。それをなんとかミラルたちが抑え込むがさすがに元魔帝と言うことだけあって力が強い。
元々身体強化系の能力で、その腕力で魔帝になった男だ。ミラルたちも魔王クラスではあるが、魔王と魔帝クラスには大きな差がある。今はなんとか抑え込められたが、ずっとは持たないだろう。
『ヤク・お待たせしました。薬が完成しました。それから助っ人です!』
『ドルイド・…呼ばれた……』
「え?ドルイドお前どうやってここに来たんだ?森の管理をしないとだろ?」
『ドルイド・…眷属……任せた…』
「そんな手ありかよ。まあいいや、じゃあ頼んだ。」
『ヤク・はい、ではドルイドさん頼みます。』
『ドルイド・…任された……精霊魔法、森の息吹…』
ヤクの手に持った薬の粉をドルイドから発せられた風が舞上げる。舞上げられた粉は意志を持つかのように男の口から体内へと入り込んでいった。
精霊魔法、それは精霊か精霊に祝福された人間にしか扱えない古代魔法の一種。原始的な魔法のため、現代魔法のように改良され一部能力に特化したようなものではない。
そのため現代魔法に比べて攻撃性は低いものが多い。ただ生命を司る魔法が多く、その神秘性は多くの人間の信仰対象となる。
ドルイドは1日に使える精霊魔法の上限がかなり少ないが、森の大精霊の元で学んだため多種多様な魔法が使える。今回使用した森の息吹は植物に森の生命力を与え、効果を引き上げると言う単純なもの。
それを今回はヤクの用意した数十種類の薬草を煎じたものにかけたため、薬の効果が高めることに成功した。本来身体強化系の戦士には毒もそうだが、身体に影響を与える効果のものは効き目が薄い。元魔帝クラスのこの男にはこのくらいしないとまたすぐに目を覚ましてしまう可能性があった。
ヤクの薬のおかげで男は深い眠りにつき、暴れることもなくなった。しかしここからが大変だ。マザーの眷属曰く能力の回収にはあと3日はかかると言うことだ。つまりその間は起きるたびに暴れる可能性がある。
そしてここからなんとも長い3日間が始まった。
「あアぁぁァぁぁ!!!!」
「押さえろ!なんとしてでもあと32時間押さえつけるんだ!」
ようやく半分の時間が過ぎた。しかしまだ半分だ。男はまだ暴れ続けている。ミラルたちが必死になって押さえつけているがかなり厳しい。狂人化の影響がどんどん強くなっていくのだ。狂えば狂うほど能力は向上し身体能力が上がる。
なんとかしてこれ以上動かないようにしたいのだが、その手段が無理やり押さえつける以外になくなってしまった。なぜならヤクが使っていた睡眠薬の耐性がついてしまったのだ。すでにこの32時間の間に数種類の睡眠薬を用いて眠らせたが全てに耐性がついてしまった。
もうなりふり構っていられないので麻痺毒なども使ったのだが、それらも全て耐性がついている。薬による沈静化ができないとなると後は押さえつけるしかない。本当はもっと早くマザーによる遺品の回収が終わると思っていた。
しかし能力そのものが男と密接に絡みついてしまっているため、引き剥がして回収するのに時間がかかるのだと言う。色々と予想にしていない事態が引き起こりすぎる。
俺が頭を抱えて思案に暮れていると突然ケイグスが飛んで来た。一体何事かと思い、バッと顔をあげると眼前ではミラルたちを引き剥がし立ち上がった男がいた。まさかの残り32時間どころか30分も持たずに男が解放されてしまったのだ。
男は一目散に俺の方へ向かってくる。なすすべもなくただ呆然と立っている俺の元に男は前蹴りの構えをした。すると咄嗟にケイグスが俺を抱えて家の外に飛び出した。
しかしただ飛び出したにしては勢いよく飛んで行った。数十メートルほど飛んでいったのちに俺はすぐにケイグスに触れてみる。するとその手には血がべっとりと付いていた。
「ケイグス!おい!返事できるか!怪我の状態は!」
「も、問題ありません…肋骨が折れて飛び出して来ただけですから……」
「それは問題大アリなんだよ…治るまでそこで待機してろ。」
まさかあの一瞬でこれだけ大惨事になるとは思いもしなかった。まあケイグスも魔王クラスなのでこの程度の怪我は少し休めば魔力による自然回復で完治する。しかし問題は少し休むことができるかどうかだ。
「おいおい……まじかよ。」
俺の目の前にはなんとも悲惨な現状があった。ミラルもギギアールもすでに蹴り飛ばされたのか遠くへ吹っ飛んでいる。すでに戦える戦力は0だ。すると男はこちらを向き威嚇している。その表情に俺は気圧されてその場にへたりこむ。
そもそも戦闘能力はないのだから俺にはそんな威嚇する価値ないだろ、と思っていたのだが何かが違う。男の視線は俺ではなく俺の少し上の方に向いているような気がする。もしや俺ではなく俺の後ろの方を見ているのか?
俺はゆっくりと振り返る。なるべく男から目をそらしたくはないのだが、俺が見ていたところで意味はないので関係ないだろう。すると振り返ったその先には全身を鎧で固めた一人の白銀の騎士がいた。
「ここで何をしている。あの男には手を出してはならぬ。」
「え?あ…い、いや……その…俺は…あの男を助けに来たんだ。後31時間くらい抑え込めればあの男はこれ以上狂わずに…暴走せずに済むんだ。」
「事実か?偽りなき言葉だろうな。」
白銀の騎士はその両目に俺を写す。ゾッとする瞳だ、身体の芯から凍えていくようなそんな恐怖を感じる。俺は白銀の騎士に対し無言で頷く。それを見た騎士は俺から目を離し、男を見る。
「その言葉を信じよう。そこを動くな。」
白銀の騎士は男に向かい歩き出す。男は白銀の騎士に対し戸惑いを見せている。いや、あれは恐怖だ。狂人化で理性が消えていても本能の部分でこの白銀の騎士を恐れている。男は白銀の騎士から逃げるように背を向けて走ろうとしたが、その瞬間白銀の騎士が男の首根っこを掴んでいた。
白銀の騎士が男に近づくその一連の動作全てがまるで見えなかった。感じ取ることもできなかった。レベルが違い過ぎて俺には全く付いていけない戦いだ。すると白銀の騎士は男を宙に放り投げた。そして
「そこでゆっくりと休め。」
突如空間が凍りついた。いや、巨大な氷柱が投げ飛ばされた男を包み込んだのだ。一瞬で現れた氷に俺は目を疑い、目をこすり再び目を開いたが確かにそれはそこに存在する。すると白銀の騎士は俺に近づいて来た。
「31時間後にあの氷は消える。」
「あ、ありがとうございます。ちなみに…あれで凍死したりは?」
「あの男ならその程度でくたばることはない。」
そう言うと白銀の騎士はどこかへ歩いて行った。俺はその後ろ姿をただ眺めていることしかできなかった。白銀の騎士の姿が見えなくなった頃、スマホの中からポチが現れた。
『ポチ・あの白銀の騎士、誰かわかったかも。全身をミスリルの鎧で包んだ氷国の番犬、氷神の側近の一人の魔帝最上位クラス、二つ名は氷帝。本名不明、謎の多い男らしいよ。』
「あの強さなら納得だわ…」
再び世界の広さを感じた俺はその場でゆっくりとへたり込んだ。
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