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第139話 推薦状

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 翌朝の釣りの時間はもうめちゃくちゃだ。昨日は散々議論が白熱し、一部の研究者は研究レポートまで作成していた。そんなことを夜遅く、ものによっては朝方までやっていたので釣りに参加したのは今回集まったものの半分だ。

 集まった半分も寝ぼけ眼でフラフラしているものもいる。あそこで今も熱心に釣り上げた魚を観察しているのはおそらく魚類学者だ。なんか珍しい魚を釣り上げたらしい。ウィルシ侯爵はこの状況をどう思っているのか表情から考察してみるが、どうやらかなり満足げだ。

 皆がそれぞれに好きなことをやって、好きに遊ぶのが良いのだろう。俺はウィルシ侯爵とその隣にいるリカルドに釣りを教えている。他の人々には使い魔たちがついているのでまあ放っておいても問題ない。

「しかし良い天気ですな。ただ良すぎて少し暑いか。」

「釣りには本来小雨だったり曇りの方が良かったりするんですよ。今日は釣れるか心配でしたがそれなりに釣れているようで良かったです。…あ、リカルドさんの方、それ多分釣れていますよ。」

「そ、そうなのか?…ああ、本当だ。結構引くな。」

 リカルドは餌釣り、ウィルシ侯爵はルアー釣りだ。ここは餌の方が釣れるようで先ほどからよくリカルドの方が釣れている。ウィルシ侯爵はなかなか釣れないのでつまらないかと思ったが、この表情なら楽しいのは間違いないのだろう。

 しかしさっきからなかなか会話が弾まない。というのもウィルシ侯爵は釣りに集中しているし、リカルドはウィルシ侯爵の気難しさというか面倒くささを知っているので会話の内容を選べないのだ。リカルドが話すと娘の話か政治の話になりそうだな。仕方ない。

「それにしてもウィルシ侯爵はすごい人脈ですね。どうやって知り合ったのですか?」

「私がすごいというよりも私の祖父がすごいのだよ。私の家系は昔から侯爵という貴族の中でも高い地位だった。それはありがたい話なのだが、その中で祖父はとんだうつけ者と言われていた。アホだとね。金を貸して欲しいと言われたら何人にも貸していた。書物も貸し出した。街で子供達に勉学を学ばせていた。そんなことをして金貨を散財して毎日ひもじい生活だった。」

「えっと…それはなんというか……」

「まあそれは構わないのだ。それはそれで楽しかったからな。家族皆で毎日小さい食卓を囲んで食事をしたあの日々は本当に良い日々だ。そんな生活をしているから私は将来貴族になるとは思わなかった。きっと家は取り潰しになって農民として生きるとな。そんな没落間近の貴族だったから他の貴族も寄り付かなかった。」

 ウィルシ侯爵はその時の生活を事細かに語ってくれた。毎日畑を耕して、山に入り木の実や山菜を採ったこと。戦うのが苦手だったので、稀に罠にかかった動物を父が持って来てくれた時の嬉しさ。周辺の農家の人々が持って来てくれた卵を食べた時の家族の笑顔。

「そんな生活を続けていたある時だ。英雄の国で魔導列車なるものが開発され運用が決定した。それを皮切りにどんどん発明品が世に出回った。それを聞いた時は胸を踊らせた。ただ金無し貴族の私には関係ないとその時ばかりは落ち込んだ。」

 魔導列車、それは英雄の国で運用されている巨大な列車だという。一度に1万人以上を乗せて走る魔導列車は毎日満員になるというほどの人気だ。俺も行ったら必ず乗ろう。まあ英雄の国では移動するのに必須らしいので間違いなく乗ることになる。

「そしてそんな魔導列車のことを夢にまで見ていたある日。1人の男がやって来た。一体こんな没落貴族に何用かと尋ねると男は昔、金を借りたというじゃないか。祖父を呼ぶと私の祖父はその男の名前まで覚えていたよ。男は涙ながらに感謝の言葉を述べ、借りた金を何倍にもして持って来た。そんなに貰えないというと今までのお詫びだから受け取って欲しいと言われてな。後で知ったがその男は当時の魔導列車の開発の総責任者だった。」

 そしてその日を境に毎週のように誰かが訪ねて来ては感謝の言葉と借りた金を何倍にもして返して行ったという。1年が経つ頃には昔貸した金よりも多額の金が帰って来たという。そんなことは数十年以上続いたそうだ。

 リカルドもそんな話は初耳のようで話に夢中になっている。しかしこの話が本当なのだとするとウィルシ侯爵はかなりの資産家だ。貴族の、それも侯爵の家が毎日自分たちで食料を集めるほど金がなくなるほど金を貸したのだ。それよりも多い金が数十年分帰って来ているのだから相当なものだ。

 しかもウィルシ侯爵はただ金を得ただけではない。それ以上に価値のある人脈を手に入れたのだ。魔導列車は英雄の国で開発されたものだ。それの総責任者が金を返しに来たということは英雄の国の中枢部、開発部への人脈が、それも太い人脈があるのだ。

 今なら確信できる。ここにいるウィルシ侯爵こそがこの国で最も権力のある人物だ。人脈、資産、その全てにおいてこの国で比類するものはいない。俺でもこんな事実に気がついたのならば、もちろんリカルドだって気がつく。その表情は真剣だ。

「それにしても情けは人の為ならずとは言いますが…本当にそれを体現している人がいるとは。」

「なんだねその言葉は。初めて聞いたよ。どういう意味なんだ?」

「誰かに情けをかけるのはその人のためではない。その情けが回り回ってやがて自分のためになるという言葉です。良いことをすればきっと自分に返ってくるってことですよ。」

「なるほど、確かにそうかもしれん。祖父はああ見えて、もしかしたら先見の明があったのかもしれんな。私も人を見る目だけは養うように努力しているのだ。実は今でも金を貸しているのだ。祖父の時のようにやがてまた会いに来てくれることを信じてな。」

 ウィルシ侯爵は金よりも人との繋がりを大事にしているんだな。俺もそういった人との繋がりをしっかり持てるように考えよう。商売であまり金金言っていると人が離れて行っちゃうかもしれないからな。

 そんな会話をしているとだいぶ日が傾いて来た。今日はここまでにして帰ることにした。釣り上げた魚は今日の夕飯にするためにスマホにしまってシェフとウオに調理させている。なお数匹は珍しいので観察するために生きたままで運ぶことになっている。

 しばらく移動してリカルドの屋敷まで戻ってくると一度休憩してから夕食ということになっているのだが、研究者たちはまた座談会を始めている。休むように言っても絶対に休まないな、この人たち。まあ明日も今日みたいな感じになるのは間違いないだろう。

 俺も休みたいのだが、研究者たちに捕まってしまった。また昨日と同じように喋っていると俺の後ろをリカルドが通っていった。ちらっとしか見ていないのだが、その表情は何かを決意している。俺はその表情を見てなんだか嫌な気がした。そのままリカルドを目で追っていくとウィルシ侯爵の元へたどり着いた。

「ウィルシ侯、少しよろしいですか。」

「どうしたのかね、リカルド君。随分と真面目な表情だ。」

「ウィルシ侯、お願いがあります。ミチナガ子爵を世界貴族へ推薦するためにあなたの力を借りたい。あなたの持つ人脈をお借りしたいのです。」

「リカルド君…私はね、今はプライベートな時間だと考えている。皆で集まり楽しく遊ぶ時間だ。そんな時間に政治的な話を持ち込まれたくないのだよ。悪いがその話はやめてくれ。」

 まずい、本当にまずい感じだ。ウィルシ侯爵は本当に政治的なことに興味がない。というか嫌悪感すら抱いている。リカルドはおそらく今日得られた情報からウィルシ侯爵に俺の世界貴族への推薦文を書いてもらおうと考えている。英雄の国中枢部にコネのありそうなウィルシ侯爵の推薦文はかなりの影響力があるだろう。

 ただウィルシ侯爵はそんなものを書く気は一切ないだろう。あの表情を見ればそんなことはすぐにわかる。しかしリカルドの表情を見てもこっちも引く気はなさそうだ。この両者のただならぬ雰囲気を察して他の研究者たちも黙ってしまった。

 本当にまずい、このままだとウィルシ侯爵はもう二度とリカルドと話はしなくなるだろう。それにもっと最悪の状況はこのことによりリカルドの信頼度がこの場にいる他の研究者、貴族たちから失われることだ。そうなればリカルドはもう評議員でいられなくなる。

 ここは何か他の誰かが、というか俺が何かしなければならない。しかし何をしたら良い。うやむやにする?ダメだ。リカルドがそれを許さないだろうし、仮にうやむやにできても何か心のどこかにしこりができる。だから今のリカルドの言葉をウィルシ侯爵に納得させるしかない。だけどそんな方法なんて……あー…馬鹿げているけど一個考えついた。もうなるようになるしかないか。

「リカルドさんは本当に待てない人ですね。その話はもう少し後でって言ったのに。申し訳ありませんウィルシ侯爵。」

「…ミチナガ子爵、君もこの話をするつもりだったのかな?もしそうなら…私は失望したよ。というよりか…悲しいかな。」

「まあ少しお待ちください。これを政治的な話でとらえずに一度話だけでも聞いてください。実は先日リカルドさんにアンドリュー子爵の釣り動画を見てもらった際にリカルドさんはハマってしまって…もっと多くの作品を見たいと言い出したんです。」

「それは私も同意見だ。しかしそれが世界貴族にどう関係あるというのかね?」

「大ありなんですよ!私は気にもしていなかったのですが、アンドリュー子爵は他国の貴族です。そして私はこの国の貴族。そんな2人がつるんで何やら様々な土地に赴いている。そんなことが知られれば大問題になりかねません。」

「確かにそうかもしれないな。活動の場は限られるだろう。」

「そうでしょう。しかしリカルドさんはアンドリュー子爵の他国での釣りや海釣りなどもっと様々なものが見たいと言いました。そしてそれを叶えるためには…」

「世界貴族となって各地を旅するということか。」

「その通り、まあアンドリュー子爵は釣りにしか興味がないので世界貴族としての実績は足らないでしょう。そこで私を世界貴族にしてアンドリュー子爵を雇って釣りをしてもらうのです。諸国漫遊釣り日記…いや、世界漫遊釣り日記とでも言いましょうか。すでに計画を始動させていますがそのためには…ウィルシ侯爵、お願いできませんか?」

「ふむ…ふむふむ……ふむふむふむふむ!素晴らしい!そういうことならそうと言ってくれれば良いものを。それは実に素晴らしい計画だ。世界各地で釣りをするか…そして我々はその映像を見る。なんと素晴らしい!書こう!私の推薦状で良いのならすぐにでも書こうじゃないか!なんならここにいる皆にも書いてもらおう。ああ、英雄の国にいる友にも頼むための文章を書いておこう。」

 そこからのウィルシ侯爵は早い。手当たり次第にどんどん推薦状を書かせる。自身も推薦状を書くと覚えている限りの貴族への紹介状を書いていく。こんなことをさせたら皆嫌がるのではないかと思ったのだが、なぜか皆乗り気だ。研究者たちは何か考えがあるようだ。

「なあ、もしもその釣り日記とやらを世界中でやった時に動植物を見つけるだろ?珍しいやつを観察した映像も欲しい。それからその実物も…できるか?」

「え、ええ。採取が禁止されていない限りは可能ですよ。」

「よし!俺の知り合いの研究者への紹介状だ。こいつを見せれば問題ない。」

「俺は英雄の国で働いている叔父への紹介状だ。」

 あ、こいつら完全に私利私欲のためだ。しかし動植物の紹介動画か。動画撮影をして、それの説明や紹介の内容はこの人たちに考えてもらおう。そうすれば学術的にも価値の高いものができるな。

 そこからは大盛り上がりだ。皆が思いつく限りの紹介状を書いていく。その光景を見たリカルドはこっそりと俺の肩を叩き感謝の言葉を述べた。まあおそらくリカルドもなんの策もなしではなかったのだろうが、ウィルシ侯爵の反応の悪さに事前に建てた作戦では難しいと思ったのだろう。

 そんな中ウィルシ侯爵が何かを思い出したようでまた紹介状を書いている。やがて全ての推薦状と紹介状を集めたところ100以上は集まってしまった。

「この中から使えそうなものを使ってくれ。それから何通か使えるか分からないものが入っている。まあ期待しないでおいて欲しい。」

 古い伝手で相手が生きているか分からないものが結構あるようだ。まあここからうまいことやらせてもらおう。リカルドと俺は何度もお礼の言葉を述べる。その後の晩餐会は大盛り上がりだ。今後の様々な動画作成の予定が勝手にたてられていく。

 もう私利私欲の塊すぎて笑うことしかできない。とはいえ珍しい情報も入ってくるので聞き流すことなくしっかりと聞いている。

 しかし…この計画、今適当にたてただけだけど大丈夫だろうか。アンドリュー子爵の許可は得ていない…まああの人なら行けそうな気がする。釣り好きだからいろんなところで釣りができると言えばひょいひょい着いてきそうだ。
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