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第96話 シャシャール伯爵夫人

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 翌朝、俺は馬車を走らせている。というより昨日の夜から出発しているので、移動する馬車の中で一晩を明かした形だ。護衛にはマックたちがついている。マックたちはここ最近街の手伝いなどで日銭を稼いでいた。街にいる間の俺からの報酬は受け取るとメリリドが怖いということで全て断っていた。

 そんなマックたちに久しぶりの護衛依頼だ。なんせ今回行く場所は少し遠い。それでもだいぶ急いだので今日の昼過ぎになんとかつけるくらいだろう。道中俺一人というのは流石に危ない。それに夜寝ておきたかったし。

 俺は休むことなく馬車を走らせた。馬には酷かもしれないが、ウィッシが馬に魔法をかけて疲労回復や強化を行なっていたので問題ないと思う。飯を食べるのも馬車の中だ。ついでにマックたち全員に今日やることの復習をさせている。

「おい、見えて来たぞ。あれがシャシャール領だ。」

 馬車から顔を覗かせるとちょっとした町が見えた。あれが今回商談にいくシャシャール伯爵の領地か。そこまで大きな都市ではないがそれなりに立派なものだ。このような大きめの領地はこのブラント国には4つある。ここはそのうちの一つということだ。

 俺が目的地としている英雄の国はいくつかの王国をその支配下に置いているが、それぞれの国の自治権はその国に任せている。それでも取り決めとして英雄の国の傘下内の国同士は戦争を行わず、いざという時は助け合うという形をとっている。多分連合国のような扱いなのかな?

 だからブラント国という小国の中のシャシャール伯爵という扱いになる。ちなみに辺境伯という地位はないらしい。そこまで大きい国ではないので仕方ないのかもしれない。爵位は特別爵位、騎士、男爵、子爵、伯爵の5つだけを使っているらしい。ちなみに特別爵位は平民以上貴族未満のイマイチな地位らしい。

 つまり俺がこれから会うのはブラント国では最も地位の高い人間の一人ということだ。ちなみにこのシャシャール伯爵、国がこの状況だというのに羽振りが良いらしい。生クリームを作っていたファミルのとこのお得意様で今でも買いにくるらしい。全く羨ましいことだ。

 そしてブラント国の宰相とも親しい仲らしい。まあここまで言えば十分分かると思うがこのシャシャール伯爵は黒だ。他国に内通し、今回の騒動で城から奪った金貨を隠し持っているに違いない。だからこそこうして羽振りの良い暮らしができるのだ。

 現在は国王の監視もついているようでシャシャール伯爵本人は少し大人しくなっているそうなのだが、奥さんは我慢できないらしい。国王の調べによるとまとまった買い物をしょっちゅうしているようだ。実に良い情報をもらったものだ。

 だから俺はそんなシャシャール伯爵夫人を相手に商売をする。一切の遠慮をせずに思いっきり儲けるつもりだ。下手に遠慮をしても相手は残った金を国外に持ち運ぶつもりなのだから。

 俺は領地に入るとすぐにマックたちを使ってシャシャール伯爵夫人にコンタクトを取る。下手にシャシャール伯爵に情報が漏れれば邪魔をされて商談ができなくなるかもしれない。俺はマックたちに任せている間、街を散策する。すると予想に反してこの街は活気に満ち溢れている。

 明らかに金の出回っている量が多い。この金はおそらく城から盗まれたものだがなぜここまで市井に流通しているのだろうか。不思議に思い調べてみると答えはごくごく簡単。シャシャール伯爵夫人が街で散財しているからだった。

 そりゃあ伯爵夫人の使う金の量なんておそらく半端じゃない。そんな散財を毎週行っているのだから金が溢れる。言いたくはないが伯爵の裏切りによってこの街は繁栄している。俺が下手に手を出せばこの街の活気は失われるかもしれない。

 悪いことを考えて行くとどんどん気分が落ち込んで行く。考えるのを止めれば良いのにその考えは止まらない。本当に取り返しのつかない考えに至るその一歩手前まで来た時、肩を叩かれた。

「ケックのやつが街に買い物に来ていたシャシャール伯爵夫人の使いの人間とコンタクトが取れた。時間もあるから商談に乗れるぞって…どうした?真っ青な顔してんぞ。」

「あ、ああ。ちょっと疲れたみたいだ。大丈夫、もう大丈夫だ。仕事には影響を与えないようにする。案内してくれ。」

 マックが俺のことを不思議そうに見つめる。なんとか空元気で受け答えるとマックに案内されるがまま進む。歩きながら気持ちをなんとか切り替えようとするがかなり精神的に参っている。ここ最近は忙しくしておいたので変なことを考えなかった。考えないようにして置いたのだがふとした時にかなり来たな。

 とりあえず今は何か行動をすることで無理やり忘れることにしよう。今はまだ落ち込んで頭を抱えている場合ではない。マックの案内通りに進むとケックたちの前に一人のメイドがいた。そのメイドに簡単に自己紹介するとすぐに屋敷に案内された。なんともトントン拍子で進んでいく。むしろ不気味に思えたのでマックたちには十分警戒しておいてもらう。

 屋敷に案内されると表門ではなく、メイドなどの従業員が使用する裏口から屋敷の中に入った。案内していくメイドはなんというか機械的な動きに見えた。なんども同じように案内しているのだろうか。屋敷の中では誰一人としてすれ違うことはなかった。明らかに人が少ないのだ。

 不審に思い窓の外を見ると外には普通にメイドや執事がいるではないか。それもそれなりの人数がいる。他にメイドがいないというわけではないようだ。わざわざ誰にも会わないように配慮した?

 案内されていくと大きな扉の前にたどり着いた。おそらくこの先にシャシャール伯爵夫人がいるのだろう。気持ちを切り替える。大丈夫だ。もう完全に商談に入る体制は整った。メイドが扉を開ける。その先には

「よく来たわね。お座りなさい。」

「お初にお目にかかります。ミチナガ商店の店主ミチナガと申します。本日はシャシャール伯爵夫人の大切なお時間をいただき感謝します。」

 扉の先にいたのは大きな体をした60代ほどのご婦人だ。決してそんなデブだとかそんなことは思っていない。俺は促されるまま席に座る。目の前に座るとその大きさがよくわかる。おそらく身長も180cm近くあるだろう。かなり圧倒されてしまう。

「それで?お話は何かしら。まあ商人なのだから売りに来たのでしょ。商品を見せなさい。」

「ありがとうございます。ですがものが大きいのでとりあえず口頭でお伝えする形でもよろしいでしょうか。」

「構わないわ。」

 何だろう。すごいやり辛い。このやり辛さは自分のペースを崩されてやりづらいとかそういう感じじゃない。何だろう、全部見透かされているようなこの感じ。変な緊張感があるな。

「では最初の商品は胡椒です。質の良い黒胡椒のみを樽に4つ、計100キロほどご用意しました。これを」

「買うわ。次の商品は?」

「え?あ…えっと…次は砂糖です。こちらは1トンほどご用意しました。これを」

「買う。次は?」

 な、なんか全部言う前に買われていく。値段も言ってないのに。トントン拍子で進んでいくのはいいんだけどこんな感じで良いのか?かなり不気味なんだけど。

「どうしたの?もうそれで終わり?」

「い、いえ。次はお酒です。妖精の国の湧き水を使っております。原料は米です。この米の育成にも妖精の国の湧き水を使っています。」

「面白いわね。試しに飲ませてくれる?」

 ようやくまともな反応になったように思える。俺はすぐにグラスと酒瓶を用意する。これは俺のとっておきの一つだ。なんせ量が限られているし、さらに生産しようにも前に解放した妖精の庭池からは水を1日5リットルだけしか汲めない。そんな少ない水の量で米まで育てるのは至難の技だ。

 今回は特別にそれも売ってしまう。次に新しい酒ができるのは1ヶ月、いや3ヶ月はかかるだろう。貴族との繋がりに使えそうなものだが今使うのがベストなはずだ。シャシャール伯爵夫人はそれを1口で飲み干す。それからしばらく頭の中で考えながら味を堪能しているようだ。

「軽いお酒ね。口当たりは滑らかでさらりとしている。それでいて度数はそこそこある。食事にも合わせやすそう。だけど少し甘めね。もう少し辛めの方がよくなるはずよ。これも買うわ。」

「ご指摘ありがとうございます。では最後に妖精喰いです。こちらは2匹用意しました。どちらも5mを超える大物です。」

「あら、妖精喰いなんて珍しい。私も一度しか食べたことがないわ。それも買いよ。」

「ありがとうございます。商品はこれで全てになります。あとは必要なものでこちらが揃えることが可能なものがあればご用意します。」

「ないわ。代金を用意するから少し待ちなさい。」

 シャシャール伯爵夫人が指示を出すとすぐにメイドが部屋の外へ出て行った。しばらく沈黙が続く。しかし予定よりもかなり話がトントン拍子で進んだな。ものの10分もかかっていない。こんなにスムーズな商談というものがあるのだろうか。

 それに何というか違和感というか変な感じがする。もしかして部屋の外に大勢の兵士が集まっていて俺から商品だけを強奪するつもりか?少し不安になってマックたちに目を向けるとすでに警戒を強めている。いざという時に逃げるだけの準備はできているようだ。

 しかし何かそれとも違うような感じもする。ただの金持ちの浪費家のご婦人相手の商売だろ。それなのに何でこんな感じがするのだろうか。

 そんなふうにモヤモヤしていると扉が叩かれ、先ほどのメイドが現れた。そのまま扉を大きく開けるとどでかい袋を持った大男が立っていた。その袋には大量に何かが入っていた。

「奥様。ご用意ができました。」

「ご苦労様。ではミチナガさん。これが代金の金貨100万枚分よ。銀貨に銅貨の細かいので用意したわ。これで足りるかしら?」

 金貨100万枚分。ものすごい金額だ。しかし俺はそんなことはどうでもよくなっていた。それよりももっと大事なことに気がついてしまったのだ。確信はない。しかしそう考えると俺の中のモヤモヤが解決すると思ったのだ。

「何で……ですか?どうしてあなたは…」

「お、おい。ミチナガ何を言って」

「昔、そう大昔よ。私が子供の頃に魔虫による飢饉から救ってもらったから。そして今は伯爵夫人だから。それが答えでいいかしら。それじゃあ品物と交換しましょう。」

 俺はスマホから商品を全て取り出し、正確に取引を終わらせた。商談よりもこのやり取りの方が時間がかかっている。それでもなるべく素早く取引を完了させ、その場を後にしようとする。俺が部屋を出て行こうとしたその時、シャシャール伯爵夫人に呼び止められた。

「ミチナガさん。ありがとう、それから頑張りなさい。」

「はい!」

 俺の気持ちは大きく高揚していた。それから誰にも見られないように屋敷を後にし、馬車を走らせ帰って行った。

 その日、俺は久しぶりに何事もなくよく眠れた。




「それにしてもよ、あれはどういうことだったんだ?何でお前そんなに気分が良いんだよ。」

「全部納得がいったからだよ。あのシャシャール伯爵夫人。すごい人だ。」

 マックたちは何とも不思議そうにしている。しかし俺はすでに全て納得していた。俺の考えが全部正しいのかわからない。しかし恐らくは全部あっていると思う。ここまでの俺たちの行動は全てシャシャール伯爵夫人の予定通りなのだ。

「まず第一に俺がシャシャール伯爵夫人のことを知ったのは浪費癖からだ。だけどその前提が間違っていたんだ。あの人は旦那のシャシャール伯爵が国から盗んだ金を返そうとしていたんだ。自分の街で使えばそのうち本国に持っていく人間が現れる。そして俺たちみたいのが現れる。」

「まさか自分の旦那を裏切っていたっていうのか?お前の勘違いなんじゃないのか?」

「そうかもな。だけどたまたま俺たちが来た日に、来た時間に街でシャシャール伯爵夫人のメイドと出会うなんてありえるか?それに貴族にもなれば普通買い物は店側が届けるだろ。それに俺たちが来た時にはすでに商談の体制が整っていた。金だって用意されていた。市民に還元されやすいように銀貨や銅貨で。」

 一切の待ち時間なくすぐに商談に入れるのなんておかしいんだ。普通は時間を開けるからしばらくしてから、もしくは翌日来てくれとなる。それに下手に情報が漏れないように人払いまでしてあった。

「それで俺が何でって聞いた時答えてくれただろ?魔虫による飢饉から救ってくれたって。それはつまり前王に対する心からの感謝。それに伴う愛国心だ。本当は旦那が盗んだ金を返したい気持ちもあるんだろうな。だけどそこは伯爵夫人として旦那を本当に裏切りたくはないってことだ。微妙な心境なんだろうな。」

 あくまで浪費家としてならば旦那を裏切ることはなく金を返せると思ったのだろう。だからどんどん散財した。とても優しい人だ。とても考えの回る人だ。彼女ならばもっと輝ける場所があるはずだ。しかし伯爵夫人となった今では旦那の意に背くことはしたくないのだろう。

 自分を愛してくれた人を裏切りたくない、自分を救ってくれた国を裏切りたくない。本来ならその二つともかなえられるはずなのにその二つを叶えることができない。

 あの人が救われる日は来るのだろうか。

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