青春怪異譚〜傲岸不遜な公族大夫の日常

はに丸

文字の大きさ
上 下
65 / 70
恋は秋菊の香り

墓門に棘あり。あなたの墓は不吉ないばらで覆われている。

しおりを挟む
「あの。あの。なに。あの人はどうして、私を掴んだのです。范叔はんしゅくも、どうしてあんな乱暴を」

 趙武ちょうぶがとんまなことを言った。士匄しかいは見下ろしながら、侮蔑の顔を見せた。

「お前は、わたしの前で。本当に鈍くさい。……最初の女はわからんが、お前にせまった二人はおかしい」

「なにがですか」

 反射的に問う趙武のとなりに、士匄は座って話を続ける。

「ここの女官、我らのはしため。どちらも買い付けた女の奴隷だ。主ある奴隷が他者に己を売り込む。女が自ら場所を求める。思いつくことさえ、ありえんだろう」

 当時、女性は親か夫の持ち物である。そして生まれがどうであれ奴隷になれば主人の持ち物である。二重の意味で人生を選べぬ思考の者が、稚拙な方法とはいえ現状から逃げようとする。

 現代で言えば、酒を飲めぬものは嫌なことがあってもやけ酒を考えない、という程度の、当たり前の話である。

「いやその食われかけた、はともかく……。恐ろしいことがあって、逃げたくなるというのはあるのではないでしょうか」

 襲いかからんばかりの楚女そじょの剣幕に怯えはしたが、しかし彼女に恐怖の念はあった。趙武が最後にそう付け加える。士匄は考え込んだ。

「……一番の疑問は、だ。女官二人が何故、我らの物になるのが良いと思い込んでいたか、だ。やりかたが直裁的なのは脳が無いからだろうが」

 士匄の言葉を聞いているうちに、気持ちが落ち着いてきたのであろう。趙武が今さら震えだした。

「あの、女人というものは、細く小さく柔らかそうなのに、あんな、その、おそろしいものなのですか。えっと、妻妾さいしょうも、ですか」

 狄女は強引でもあどけなさがあった。しかし、楚女は少々肉感的なこともあり、迫力があった。この青年は、今さらながら恐怖を感じた。本当に、童貞以下である。

「は? あの程度、かわいいものだろうが。あそこまでさせたのはお前だ」

 士匄は、呆れた顔で言い放った。

 さて、視点を変える。洛午庚辰らくごこうしんの女官である。

 彼女は、士匄の指摘どおり、の出身であった。

 楚とはしんと対立する南の大国である。

 まあ、良くある話だが、飢饉で税が払えず売りに出された娘である。肌が少々浅黒かったが、器量が良かったため躾けられて晋に売られた。

 楚に残った親は飢饉が続き飢え死んだのであるから、売られて良かったというものか。

 親がどうなったかなど知らぬまま、楚女は女官として生きることを受け入れていた。

 受け入れていたはずであったが、今日に限ってそれが嫌だと思ってしまった。狄女と張り合うように趙武に己を誇示し、あげくに媚態まで作った。彼女は、男を知らぬため、見よう見まねである。

「恥ずかしい!」

 ぼさぼさの髪のまま、庭まで飛び出て、一人で叫んだ。

 別段職分に誇りがあるというわけではない。単に、人として女として恥ずかしかっただけである。それと共に、どうしてあんなことをしてしまったのか、と自分でも不思議でならなかった。

「……どうしよう、告げ口されて、役立たずって言われたら、追い出されてしまう」

 晋公の女官であるからこそ、それなりの衣服を着て、屋根のある場所で眠れる。食事も貧しいが、ある。実家の生活など、草で編んだボロを着て、地面の上で寝ていたものだった。食べると言えば限界まで膨らませた豆であり、木の根をかじりつづけたこともある。そんな生活が当然であった。

「ああどうしよう! 告げ口されて、罰をもらうかもしれないわ。豚の餌になってしまう」

 逃げだした奴隷が掴まり、家畜の餌になったことを思い出しながら、楚女は手で顔を覆った。

 ――この宮の中にいるものは、全て役に立たなければならないのよ。

 そう、言っていたのは誰であろうか。

「私は、なんてダメな子!」

 自虐と自己陶酔、そして精神的自慰である。

 そんな言葉を己に向けて鼓舞し、立ち上がろうとするものは、古今東西多いであろう。彼女も、そんな儀式をしただけであった。

 白い、美しい女の手が何本も楚女の体に絡みつき、引き倒す。そうして、悲鳴を上げる間もなく、ごきゅんと首をへし折った。嫋々とした女の腕でも、幾つもあれば、凄まじい力なのだろう。

 その体に、土がかけられる。埋葬されたいと言っていたのであるから、彼女の夢はひとつは実現した。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

画仙紙に揺れる影ー幕末因幡に青梅の残香

冬樹 まさ
歴史・時代
米村誠三郎は鳥取藩お抱え絵師、小畑稲升の弟子である。 文久三年(一八六三年)八月に京で起きて鳥取の地に激震が走った本圀寺事件の後、御用絵師を目指す誠三郎は画技が伸び悩んだままで心を乱していた。大事件を起こした尊攘派の一人で、藩屈指の剣士である詫間樊六は竹馬の友であった。 幕末の鳥取藩政下、水戸出身の藩主の下で若手尊皇派が庇護される形となっていた。また鳥取では、家筋を限定せず実力のある優れた画工が御用絵師として藩に召しだされる伝統があった。 ーーその因幡の地で激動する時勢のうねりに翻弄されながら、歩むべき新たな道を模索して生きる侍たちの魂の交流を描いた幕末時代小説! 作中に出てくる因幡二十士事件周辺の出来事、鳥取藩御用絵師については史実に基づいています。 1人でも多くの読者に、幕末の鳥取藩有志たちの躍動を体感していただきたいです。

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

通史日本史

DENNY喜多川
歴史・時代
本作品は、シナリオ完成まで行きながら没になった、児童向け歴史マンガ『通史日本史』(全十巻予定、原作は全七巻)の原作です。旧石器時代から平成までの日本史全てを扱います。 マンガ原作(シナリオ)をそのままUPしていますので、読みにくい箇所もあるとは思いますが、ご容赦ください。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...