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閑話(2)
冥冥に視、無声に聴く。人間、見えないものを視て聞こえない声を聴けたら立派だね。余
しおりを挟む「あの……大丈夫ですか?」
馬車に乗った途端、ぐったりとした士匄を覗き込みながら趙武が言った。士匄は、うろんな目を向けながら、ゆっくりと頷く。
「何があったんです?」
のんきな趙武に怒鳴りかえす気にもなれず、後で、話す、とだけ言った。
あの女が不祥の塊で、穢れをまき散らしていたなど、誰が信じるのか。少し見えない程度のものであれば、趙武も頷くであろう。
が、許容量を超えたものが目の前にあった、と言っても首をかしげるに違いない。趙武も己も穢れに当たっている。うんざりした。
「お前、きちんと祓って貰え」
瘴気が深くなった後輩に言うと、
「いつになく念押ししますね。ありがとうございます」
と返される。それ以上、趙武は深く聞かなかった。
特有の慎みか、それとも鈍さかと窺ったがどうも違う。何やら、ふわふわしていた。
士匄は、なんとなく観察した。気が紛れる思いもあった。その視線に気づいた趙武が、頬を赤らめる。
「あ。え、なんで見ているの、ですか」
「……思春期到来かと見物している」
バカにしすぎている士匄の言葉に、趙武が睨み付ける。美人を見て発情しているのか、と揶揄されたことくらい、オボコの趙武だってわかる。
「いえ。あの、美しい妙齢の女性など、見たことございませんし! その、びっくりしたのもあります。信頼があって郤氏に預けているのでしょうが……。あのようにお若く美しい妻を人に預けることができるのは、気が大きいのか、それとも情が無いのでしょうか、とか色々考えていただけです」
八割、美しさに当てられていたくせに、趙武は理屈をこねた。ばつの悪そうな趙武の顔を見ながら、士匄は、へ、と鼻で笑う。
「趙孟。巫氏とは、郤氏に保護を願った、楚からの亡命者だ。お前は他家に疎いようだな、知らんのか」
何をですか、と趙武が不審さを隠さずに問う。
「今、巫氏は我が晋と同盟している呉に赴き教導している。まあ、楚を後ろから殴るはかりごとだ。ゆえ、妻を郤氏に預けたのだろう。さて、巫氏が亡命してきたのは十年以上前、斉に勝った直後だ。その時、絶世の美しい未亡人を盗んできたのだと。その未亡人、その十年前には立派な息子を育て上げていたらしい。そうなるとまあ、少なくともその二十年前には輿入れしたんだろうよ」
十年前。それにさらに十年。そして二十年。合わせて四十年。趙武はそこまで数えて、へたり込んだ。どう見ても、三十路にいっていない、顔であった、若さであった。
「ああいうのを、化け物と言うのだ」
士匄は、手をひらひらと振りながら吐き捨てた。
豆知識。
夏姫、という女がいた。
姫姓鄭室の娘で、陳国の夏氏に嫁いだため、夏姫と呼ばれている。
彼女は、夏氏に嫁ぐまえに兄と密通していたという噂がある。その兄は夭折した。
嫁いだ先の夏氏も早々に死んだ。
一人息子を育てる夏姫に時の陳公と大臣など三人が通じ、男三人に囲われたが、陳公は夏姫の息子に弑された。
楚はこの騒ぎに介入し、夏姫の息子を処刑して、陳を滅ぼし編入してしまった。この夏姫をめぐり楚は緊張し、とりあえず老臣の一人に下げ渡した。
が、この老臣は戦死した。
夏姫に密かに恋心を抱いていた巫臣は、彼女を連れて晋へ亡命した。
それを知った楚の幾人かが怒り狂い、巫臣の一族を殺し尽くした。その後、復讐鬼となった巫臣は呉を使って楚を疲弊させている。
夏姫は、春秋時代に生まれた、最も美しく艶やかな、中国最凶のサゲマンである。
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