青春怪異譚〜傲岸不遜な公族大夫の日常

はに丸

文字の大きさ
上 下
24 / 70
夏は星狩りの季節

敬して五教を敷きて寛に在り、学問は徐々に教わるものですね。

しおりを挟む
 場は氏の邸である。范武子はんぶしの整えた儀礼を教えてやる、という士匄しかいの言葉に、趙武ちょうぶは即答してついてきたのである。

 士匄の祖父、范武子という万能の天才で人格者であり数々の偉業をなしとげた宰相を趙武は尊敬し、いっそリスペクトしたいくらいなのである。もっといえば強火のファンであった。ゆえに、餌にされればほいほいついていく。そうして、最初にぶっこまれたのは、友だちに放置され拗ねている愚痴であった。

「なんだその目は。愚痴などわたしが言うか。ただ、中行伯ちゅうこうはくは徳があるというほど腰のすわっておらぬ、篤敬とっけいというほど人に信用されぬ、好人物というには出来のよろしくないのんびりとしたお人好しだ。研鑽しようとするがすぐにへばるため、お前のように努力家であるとも言えぬ。頭はお悪くないため、言われたことをきちんと理解なされるが、噛み砕くまでお時間かかる、才が鋭いとは言えぬ鈍いお方。決めごとも苦手なので、即断もせず、断言もなされず、お話しすることもあいまいである。思考のキャパが少ないのかすぐパニックを起こし下手を打つ。そういった性質のかたが、女ひとりに浮かれて、ペラペラの自信を背負い、己の能を越えた動きをなさり責を越えた発言をするは、墓穴へダイビングするようなもの、いや、紐無しバンジーでもしてるのか? まあ、ああいうのは危ないし、終わりがよくない。わたしは心配しているだけだ」

 士匄の言葉は荀偃じゅんえんへの罵倒に満ちていたが、友愛と憂慮だけはきちんとあった。趙武は、困惑し、肩をすくめる。士匄の言葉には諸々、複雑な思考と感情が入り交じっている。その全てにいちいち対応していては、本当に愚痴につき合うことになってしまう。趙武は注意深く口を開いた。

「ペラペラの自信、とはどういったことでしょうか。己の力を過信し、謙譲の心無く言葉を発し物事を行うということでしょうか」

 愚痴を議とし、問いと変えた趙武に、士匄は少し目の光を変えた。

 すっと背筋に力が入り、威儀正しい姿勢となる。なんとなく座っていた先ほどとは比べものにならなかった。

「まず、謙譲の心なく議を語りことを行うは、驕りというもの。驕慢と自信をはき違えるバカはいる。わかりやすく例えると欒伯らんぱくだ」

 士匄は欒黶らんえんを出す。友人に厳しすぎる言葉であったが、他に言いようがないのも事実である。趙武もおとなしく頷いた。

「自信は、己の積み重ねてきたもの、行い、経験、言葉、研鑽、全てを寄り集めそれをおのがものとしてうちに溶かしてようやく生まれるものだ。はっきり言えば男の強さは自信が土台だ。わたしは祖父の姿、父の行いでそれを学んでいる。己が見えておらぬものに自信は生まれぬ、それはまやかしというものなのだ。わたしは己の才を知り、他者に負けぬと知っている。中行伯の言動にそれはない。なのに、今、自信ありげにふるまっているのは愚人の行いに等しいから、わたしは危惧を抱いている。わたしがおらねば左右もわからぬ御仁だ。さて趙孟ちょうもう。お前は、己にその意味の自信が無いことを分かっている。ゆえに、努力し研鑽しているのだろう。自分を見きわめれば過信など無い。正しい謙譲は自信あってこそと過去の賢人も示している。強い大夫たいふになりたければ、自信を知ることだ」

 趙武は善き言葉ありがたく、と拝礼した。実際、士匄の言う言葉は含蓄深いと言ってよい。驕慢、過信と自信は違う。自分を客観視できてこそ、本当の自信が生まれ、物事にあたれる、ということであった。

 しかし、それを言う士匄は軽々しく重み無く、自信はあっても慎み深さはほとんど無い。言うことはまっとうであったが、本人は褒められた人間ではなかった。まあ、理想通りの言葉を実行できている人間はなかなかにいない。

「そのような自信をつけるためにも、我が家で整えた儀礼をお前に教えよう、というのが今日だ。ち、妙な話になったな」

 士匄の愚痴のせいであったが、慎ましい趙武は黙っていた。その後、儀の作法とそれに内包する礼に関して、士匄はきっちりと指南した。趙武は儀はわかっていても、その内側までは知らぬ、というものがいくつかあり、時には戸惑い、時には真面目に問うた。が、勘は良く理解も早い。儀礼の先には法があり、政治がある。いつのまにか、政治的な議題を交わすこととなった。

范叔はんしゅくは、己の才と行いがちぐはぐであれば、危ういとおっしゃった。中行伯への愚痴はそういったことですよね。私もそれは思います。我が曾祖父に見いだされた陽処父ようしょほという男は伝え聞くに、行いと言葉大きいながらも才は少なく、結果、暗殺されました。私には己の言動で身を滅ぼしたと思えました。ここからはあなたの知見を伺いたいのです。我がちょう氏は、父が滅ぼされ、その後、大叔父たちも滅び、もうすこしで私も廃嫡となって消えるところでした。范叔は伝聞でしかご存じではないかと思いますが、だからこそ問いたい。あなたから見て、自信というものを勘違いしたものどもの末路だったのでしょうか」

 趙武の顔は、淡く感情が読み取れぬ薄さであった。士匄は器用に片眉をあげ、その腹を探るように見る。どうも、士匄の軽重を計ろうとしたわけでも、己の屈折を吐露したわけでもなく、純粋に意見を聞きたいだけのようであった。士匄はさっと考えをまとめると、口を開いた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

画仙紙に揺れる影ー幕末因幡に青梅の残香

冬樹 まさ
歴史・時代
米村誠三郎は鳥取藩お抱え絵師、小畑稲升の弟子である。 文久三年(一八六三年)八月に京で起きて鳥取の地に激震が走った本圀寺事件の後、御用絵師を目指す誠三郎は画技が伸び悩んだままで心を乱していた。大事件を起こした尊攘派の一人で、藩屈指の剣士である詫間樊六は竹馬の友であった。 幕末の鳥取藩政下、水戸出身の藩主の下で若手尊皇派が庇護される形となっていた。また鳥取では、家筋を限定せず実力のある優れた画工が御用絵師として藩に召しだされる伝統があった。 ーーその因幡の地で激動する時勢のうねりに翻弄されながら、歩むべき新たな道を模索して生きる侍たちの魂の交流を描いた幕末時代小説! 作中に出てくる因幡二十士事件周辺の出来事、鳥取藩御用絵師については史実に基づいています。 1人でも多くの読者に、幕末の鳥取藩有志たちの躍動を体感していただきたいです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

通史日本史

DENNY喜多川
歴史・時代
本作品は、シナリオ完成まで行きながら没になった、児童向け歴史マンガ『通史日本史』(全十巻予定、原作は全七巻)の原作です。旧石器時代から平成までの日本史全てを扱います。 マンガ原作(シナリオ)をそのままUPしていますので、読みにくい箇所もあるとは思いますが、ご容赦ください。

伝説の刀鍛冶が包丁を打った理由

武藤勇城
歴史・時代
戦国時代。 それは、多くの大名が日本各地で名乗りを上げ、一国一城の主となり、天下の覇権を握ろうと競い合った時代。 一介の素浪人が機に乗じ、また大名に見出され、下剋上を果たした例も多かった。 その各地の武将・大名を裏で支えた人々がいる。 鍛冶師である。 これは、戦国の世で名刀を打ち続けた一人の刀鍛冶の物語―――。 2022/5/1~5日 毎日20時更新 全5話 10000文字 小説にルビを付けると文字数が変わってしまうため、難読・特殊な読み方をするもの・固有名詞など以下一覧にしておきます。 煤 すす 兵 つわもの 有明 ありあけ 然し しかし 案山子 かかし 軈て やがて 厠 かわや 行燈 あんどん 朝餉 あさげ(あさごはん) 褌 ふんどし 為人 ひととなり 元服 (げんぷく)じゅうにさい

処理中です...