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因果応報、春の祟り
なんじの倹徳を慎みこれ永図をおもえ、ものごとは長い目で計画的に
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ところで、士匄が荀罃に縋って士爕に説明してもらったくだりは省略する。内容は今まで記してきた話をくり返すだけだからである。むろん、めちゃくちゃに怒られ、怒鳴られ、荀罃の前で殴られた。荀罃は驚くこともなく見守っていた。その上で、士爕は士匄に憂いと愛情を込めたまなざしで、見つめた後、軽くため息をついた。
「汝は己ひとりで考え終わらせようとする。こたびもそうだ。その狂人の件を私に報告しなかったのは面倒と思ったからであろう。その面倒という考えは、己ひとりで事足りるという慢心のためだ。私にも覚えがある考え方だから、わからぬでもない。私も己が一人で何でもできるのだと勘違いし、そして父にこっぴどく叱られたものだ」
その声音は怒りや呆れより、もっと切迫した響きであった。士匄は常と違う士爕の態度に不審の目を向けた。
「はっきり言おう。人は一人では何もできぬ。一人で考え終わらせたという満足感はあろうが、必ずほころびが出る。それをみな、自然と学ぶ。親や人を見て、一人では成し遂げぬと、学べる。しかし、私も汝も、一人で考え一人で完璧に終わらせてしまう人を生まれながらに見てきた。ゆえに、自分たちも、と錯覚するのだ。しかし、あの人は異常なのだ。――そう、我が父、汝の祖父は、天に愛された人であった。汝は祖父に倣うな、祖父と己を同じと思うな。……いや、祖父を同じモノと思ってはならぬ。己を戒めよ。己の才で足りると慢心するな。それを肝にその邑と山に行け。趙孟と共に行くは良いこと。あのものは己ひとりで終わらせようとはしない。しかし他者の言いなりにもならん、柔らかくも芯あり。しかし自分の立っている場所にご不安ある様子、見習いながら教導しなさい」
どこか、罅の入ったような父親の声音に、士匄は素直に拝礼し、訓戒ありがとうございます、と自然に返した。士匄の我の強さは生まれながらのものであり、その才は天性であろう。が、己ひとりで事足りるという価値観は、確かに范武子という天才の影響があるかもしれない、と気づいたのである。慎み深い士爕もそのような時代があったのだと言うから、天才というのは周囲に対して毒でもあるのだろう。士匄は、士爕の言葉を深く心の裡に溶け込ませながら、同時に、
――じいさんの模倣と思われるのは癪だ
と密かに思っていた。では、己ひとりで全てはせぬ。しかし他者と歩調を合わせるなどまっぴらである。ならば、己が他者を使ってやるほどになればよい。この、我が強く怖い物知らずの若者は、父親に殊勝な姿を見せながら、不遜極まりないを決心していた。
趙武は趙氏の長であるが、なんども言うように韓厥の保護下にある。ただ、この保護者は養い児に対して不安なく信用度が高い。即座に許した。士匄も前述通り許され、問題の邑へゆき、山へ向かう。旅程など本筋に全く関係無いためここでは書かない。
絳都を出て、邑に近づくにつれ、士匄の顔色が悪くなっていった。傍目で見ていても雑霊にまとわりつかれているのがわかるほどである。供をしている下役でさえ困惑の顔を向けた。趙武としても、傍によりたくもなかったが、ここまでつき合ったのである。己の供たちに断り、士匄の馬車に同席し、見守ることにした。
「巫覡の方をお連れすれば良かったのです」
己の薬湯を与えて趙武が言った。士匄は手持ちのものを全て使い果たしていたため、おとなしく受け取る。この当時、医と呪は極めて近い概念と思えば良い。
「確かに不祥重く穢れに乗じて雑多な鬼はまとわりついてきているが、別に死にはしない。ふわふわしたものは手で祓っても離れるから問題でもない。それよりもこの不祥そのものが必要であろう。絳を出て、邑に近づけば近づくほど重くなりのしかかる。つまり、誘ってきている」
「誘って? あなたを祟り、穢れを重くすることがですか?」
趙武の引き気味の言葉に、士匄は頷いた。
「祖にしても山川の神にしても、祟るときは『不幸にしてやれ』と思っているわけではない。少し怒鳴ったつもり、ちょっと声かけをしている程度なのだ。こいつの場合は、しつこい地雷女みたいなわけだから、言うなれば『私をもっと見て』だ。つまり誘っている」
はあ、と趙武が気のない返事をする。いまいちわからない、という顔であった。士匄は、どうしようもない、と思うしかない。この境界の感覚は、士匄でなければ巫覡しかわからぬであろう。士匄の諦念を知ってか知らずか、趙武がおずおずと口を開いた。
「申し訳ございません。私はその、女性とのそういうのは経験が浅く……范叔はそのようなご面倒な女性と何かあったのでしょうか?」
本気で気遣わしげに、そして少しの好奇心で尋ねてきた後輩に、士匄は
「うるさい!」
と思わず怒鳴った。それは何かしらの経験を吐露するようなものであったが、士匄はそれ以上何も言わずそっぽを向いた。
さて、新たな士氏の邑は士匄を出迎えつつも、あからさまな穢れ、不祥、不吉、呪い、祟りの気配におののき、巫覡を用意しようとした。
「いらぬ」
と一喝した士匄は、邑宰に
「新たな主筋にこのようなことを申し上げるは不遜、斬られてもおかしくないことでございますが、おそれいります。邑内にお入れするわけにいきませぬ」
と門前払いをくらった。士匄は怒ることもなく邑に立ち入らず馬車の中で寝た。つき合わされた供のものたちこそ良い迷惑である。当然ながら、彼らはそのようなそぶりをおくびにも出さない。趙武も邑に立ち入らず、己の馬車で過ごすこととした。
「……清めた柏を用意しておけ」
冥く重い目つきで邑宰に士匄が命じたのを、趙武は横目で見ながら立ち去った。中国古代で言う柏とは日本でいう『カシワ』では無く、ヒノキ系の樹木である。そして、社にも使われる神聖な木であった。用意させるのが苗木か枝かはわからない。趙武には、士匄にまとわりつく不祥の気配はわかるが、この空の向こう、問題の山神からの祟りはわからない。
「明日は予定どおり山へ向かいます。みな、ゆっくり休むよう。……屋根の下での手配できず、すまない」
己の手勢に趙武は丁寧にねぎらった。趙氏のものどもは、野営の訓練になりますゆえ、と若い主を励ますように笑った。
「汝は己ひとりで考え終わらせようとする。こたびもそうだ。その狂人の件を私に報告しなかったのは面倒と思ったからであろう。その面倒という考えは、己ひとりで事足りるという慢心のためだ。私にも覚えがある考え方だから、わからぬでもない。私も己が一人で何でもできるのだと勘違いし、そして父にこっぴどく叱られたものだ」
その声音は怒りや呆れより、もっと切迫した響きであった。士匄は常と違う士爕の態度に不審の目を向けた。
「はっきり言おう。人は一人では何もできぬ。一人で考え終わらせたという満足感はあろうが、必ずほころびが出る。それをみな、自然と学ぶ。親や人を見て、一人では成し遂げぬと、学べる。しかし、私も汝も、一人で考え一人で完璧に終わらせてしまう人を生まれながらに見てきた。ゆえに、自分たちも、と錯覚するのだ。しかし、あの人は異常なのだ。――そう、我が父、汝の祖父は、天に愛された人であった。汝は祖父に倣うな、祖父と己を同じと思うな。……いや、祖父を同じモノと思ってはならぬ。己を戒めよ。己の才で足りると慢心するな。それを肝にその邑と山に行け。趙孟と共に行くは良いこと。あのものは己ひとりで終わらせようとはしない。しかし他者の言いなりにもならん、柔らかくも芯あり。しかし自分の立っている場所にご不安ある様子、見習いながら教導しなさい」
どこか、罅の入ったような父親の声音に、士匄は素直に拝礼し、訓戒ありがとうございます、と自然に返した。士匄の我の強さは生まれながらのものであり、その才は天性であろう。が、己ひとりで事足りるという価値観は、確かに范武子という天才の影響があるかもしれない、と気づいたのである。慎み深い士爕もそのような時代があったのだと言うから、天才というのは周囲に対して毒でもあるのだろう。士匄は、士爕の言葉を深く心の裡に溶け込ませながら、同時に、
――じいさんの模倣と思われるのは癪だ
と密かに思っていた。では、己ひとりで全てはせぬ。しかし他者と歩調を合わせるなどまっぴらである。ならば、己が他者を使ってやるほどになればよい。この、我が強く怖い物知らずの若者は、父親に殊勝な姿を見せながら、不遜極まりないを決心していた。
趙武は趙氏の長であるが、なんども言うように韓厥の保護下にある。ただ、この保護者は養い児に対して不安なく信用度が高い。即座に許した。士匄も前述通り許され、問題の邑へゆき、山へ向かう。旅程など本筋に全く関係無いためここでは書かない。
絳都を出て、邑に近づくにつれ、士匄の顔色が悪くなっていった。傍目で見ていても雑霊にまとわりつかれているのがわかるほどである。供をしている下役でさえ困惑の顔を向けた。趙武としても、傍によりたくもなかったが、ここまでつき合ったのである。己の供たちに断り、士匄の馬車に同席し、見守ることにした。
「巫覡の方をお連れすれば良かったのです」
己の薬湯を与えて趙武が言った。士匄は手持ちのものを全て使い果たしていたため、おとなしく受け取る。この当時、医と呪は極めて近い概念と思えば良い。
「確かに不祥重く穢れに乗じて雑多な鬼はまとわりついてきているが、別に死にはしない。ふわふわしたものは手で祓っても離れるから問題でもない。それよりもこの不祥そのものが必要であろう。絳を出て、邑に近づけば近づくほど重くなりのしかかる。つまり、誘ってきている」
「誘って? あなたを祟り、穢れを重くすることがですか?」
趙武の引き気味の言葉に、士匄は頷いた。
「祖にしても山川の神にしても、祟るときは『不幸にしてやれ』と思っているわけではない。少し怒鳴ったつもり、ちょっと声かけをしている程度なのだ。こいつの場合は、しつこい地雷女みたいなわけだから、言うなれば『私をもっと見て』だ。つまり誘っている」
はあ、と趙武が気のない返事をする。いまいちわからない、という顔であった。士匄は、どうしようもない、と思うしかない。この境界の感覚は、士匄でなければ巫覡しかわからぬであろう。士匄の諦念を知ってか知らずか、趙武がおずおずと口を開いた。
「申し訳ございません。私はその、女性とのそういうのは経験が浅く……范叔はそのようなご面倒な女性と何かあったのでしょうか?」
本気で気遣わしげに、そして少しの好奇心で尋ねてきた後輩に、士匄は
「うるさい!」
と思わず怒鳴った。それは何かしらの経験を吐露するようなものであったが、士匄はそれ以上何も言わずそっぽを向いた。
さて、新たな士氏の邑は士匄を出迎えつつも、あからさまな穢れ、不祥、不吉、呪い、祟りの気配におののき、巫覡を用意しようとした。
「いらぬ」
と一喝した士匄は、邑宰に
「新たな主筋にこのようなことを申し上げるは不遜、斬られてもおかしくないことでございますが、おそれいります。邑内にお入れするわけにいきませぬ」
と門前払いをくらった。士匄は怒ることもなく邑に立ち入らず馬車の中で寝た。つき合わされた供のものたちこそ良い迷惑である。当然ながら、彼らはそのようなそぶりをおくびにも出さない。趙武も邑に立ち入らず、己の馬車で過ごすこととした。
「……清めた柏を用意しておけ」
冥く重い目つきで邑宰に士匄が命じたのを、趙武は横目で見ながら立ち去った。中国古代で言う柏とは日本でいう『カシワ』では無く、ヒノキ系の樹木である。そして、社にも使われる神聖な木であった。用意させるのが苗木か枝かはわからない。趙武には、士匄にまとわりつく不祥の気配はわかるが、この空の向こう、問題の山神からの祟りはわからない。
「明日は予定どおり山へ向かいます。みな、ゆっくり休むよう。……屋根の下での手配できず、すまない」
己の手勢に趙武は丁寧にねぎらった。趙氏のものどもは、野営の訓練になりますゆえ、と若い主を励ますように笑った。
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