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因果応報、春の祟り
山川に望し群神に徧す、つまりは引き継ぎ手順は大切に
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古代中国だけではないが、年長もしくは議長を真ん中に一つのテーマによる討論を行っている文明圏は多い。
何でも人任せの欒黶はめんどくさそうな顔を隠さず、押しに弱くすぐにパニックを起こす荀偃は途方にくれている。趙武は密かに気合いを入れているようであった。彼は努力家であり、何事も厭うことがない。
士匄は、ディベートそのものに不安はない。はっきり言えば得意中の得意である。古典故実法制国史が叩き込まれた脳みそから必要な言葉を即座に見つけて場に相応しい辞とするのは士匄の得意技である。
また、相手が少しでも弱腰を見せれば、畳みかけるように抉り持論をズタズタにする。彼は相手の矜持を折ることに悦びを見いだしているわけではない。単に勝ちに拘りすぎてしまうのである。時おり行きすぎて余計な言葉を足してしまい、舌禍となることも、ままあったが。
「では年長の私から申し上げます。舜帝は堯帝に帝位を継ぐよう命じられても己に徳無しと辞退なされていました。しかし、璿璣玉衡にて七つの星が天命を示されていることを知り、帝位を継がれて祀りをし、天にご報告された。天の意は絶対であり遵守ししかるべく祭祀を行いまつりごとをすべし、という貴い教えと思います」
常識的かつおもしろみのない言葉で荀偃が口火を切った。
璿璣玉衡とは玉で作られた天文観測機である。星の運行が政治を表す発想も東西ともに古代には珍しく無い。
ここから、各人、見識を述べていく。
この舜帝の逸話は天体観測により帝位を継いだこと、それにより祖霊や山川をはじめ諸々の神に祭祀を行ったこと、諸侯を集め儀を行ったことを示している。これを元に様々な問答が行われたが、ここでは割愛する。煩雑かつ無味乾燥だからである。
幾度かの論の末に趙武が
「天は我らの思いを汲み取るなどは本来行いません。ただ示すのみです。しかし、舜帝に対してはその迷いを汲み取られ示されたように思えます。これは舜帝が賢人であり、天の命が強く降りたことを指し示したのではないでしょうか。天は時にそのようなことをなされる。滅ぼうとしていた趙氏が復権し私がここにいるのも、示されたと言うよりなにか汲み取って頂いた心地がいたします」
と、柔らかい声音で言った。詳細は省くが、趙氏は先代にて誅戮の憂き目にあっている。が、結局遺児である趙武の元、再び威勢を取り戻しつつあった。
そのような趙武に士匄が首を振る。
「天は恣意的に手を差し伸べぬ。趙氏が不幸にも族滅しかけたも、お前が再びその責を背負うことができたも、天がただ示しただけだ。舜帝に対してもただ示したのみであり、堯帝から帝位を受け取った時すでに覚悟があったのだ。ただ、謙譲を強く任じておられたゆえ、天命明らかになるまで慎み深く隠されておられたのであろう。天の示しに人はただ受け取り約することしかできぬ。そしてこの話は、約定の大切さを物語っている。帝位を受け継ぎ、祖霊への報告はもちろんであるが、堯帝から山川、諸々の神を受け継ぐに祀りを以て約している。また、瑞を集め最後に返しているとは、諸侯より証の玉を一度集め盟ったあとに返すことにより、君臣の約をなされたことを記している。堯の時代から今にいたるまで、国と国、土地と土地、約定とそれに即した祀りがある。天はただ見るのみ、その威を示し人の往き道を見定めるのみ、だ。舜帝は堯帝に託されぬでも天が既にその王道を星により示していたのだ。趙氏の興亡と隆興も天あるかぎり昔から示されていたと思え。天に道ありとも慈愛は無い」
やたら難しい言葉を並べ立て、天への宗教観を二人で言い合ったように思えるであろう。が、これは一種の運命論に近い。
趙武は運命というものは良い行い憐れみへの対象に優しさを感じる、という旨を言った。もっといえば天の采配は流動的という発想である。
が、士匄は天は時の流れと同じく平等無情であり、舜帝がそのような人生であることを知らせただけ、趙氏が滅びることがなかったのも、元々そう決まっていた、という反論である。
実際、この時代において天は何かをしてくれる信仰対象ではない。ただ、人が勝手に崇めている、というていであった。
その上で
「天の元で行われる約と盟こそが世の要」
と主張したのである。それを最後まで聞いた欒黶が、からりと笑った。
「范叔の体質も天の采配、定められたものというわけか。祖の戒めでも祟りでもなんでもなく、士氏の嗣子は雑多な鬼にモテモテになるよう約されるとは天もなかなか味わい深い」
荀偃がぶっと吹きだし、笑いを堪えようとしてさらに吹きだした。趙武は堪えることなど最初から放棄し、突っ伏してひぐひぐと笑っている。言い出した欒黶は上手いこと言った、と得意げな笑みを浮かべていた。韓無忌だけが身じろぎしていなかったが、口はしが少々引きつっているところを見ると密かに笑っているようだった。韓無忌の父はこのようなことでも笑うことのない、表情の薄すぎる人間味のない男なのだが、息子はまだ未熟らしい。
士匄は不愉快極まり無い顔でみなを睨んだ後、
「……天の命であらば、死ぬまでつきあう所存であるが、胸くそ悪い。くそ笑うな、便利なのは放った矢を持ち帰ってくる鬼が憑いた時だけだ!」
と忌々しそうに怒鳴った。とうとう、韓無忌さえも我慢できず、声を立てて、笑った。
「あ、あは、あはは! 范叔! あなたはとても頭の回転よく弁も立つのに、どうしてそう……脇が甘いんです、だめ無理おもろい」
趙武がつっぷしながら床をバンバンと叩き、笑い続けるため、士匄は先達として近づき、その頭にチョップした。
「……みな、心を静かに。どのようなことでも心を荒立ててはならないという意味では良い議になったと思う。そして、范叔の言うとおり、約定と盟いは大切です。国と国、人と人だけではない。山川、神々、土地。全てに対して我らは約定と盟いをし治める責務がある。どのような細かいことに思えてもおろそかにすれば天が見放し、我らの立つ地は崩れるでしょう。そろそろ、朝政が終わり卿の方々が政堂から出られる時間です。お父上が卿の方々はお出迎えを。趙孟は私とともに来られよ」
韓無忌の言葉に趙武が拝礼した。年若い趙武の後見人は、韓無起の父、侍従長韓厥である。韓厥自身は幼い頃に趙氏にて養育されていた。この二族はその意味で近い。
韓無忌の元に寺人がやってきて、杖を渡した。立ち上がる韓無忌に趙武が素早く手を沿える。
彼は疾病に侵されており、そのため弱視に近い。ゆえに、会話のはしばしで遠い目をするような顔をしていたのである。一度立ち上がると、杖を使っているとは言え堂々と歩いて行くのは彼の研鑽なのであろう。その才、人格を評されているだけに、惜しい嗣子よ、と言われている。
さて、士匄は欒黶を捕まえ、
「欒伯。このあと、わたしの邸に来ぬか。お前と弓を競いたい」
と少し食い気味に言った。欒黶、字は欒伯はあまり頭はよろしくないが、だからといって鈍いというわけではない。
「なんだ。また憑かれまくっているのか」
宮城と自邸を往き来するだけで変なものが寄ってきているのか、という問いである。士匄は図星をつかれ、苦い顔をしながら頷いた。
「お前といると、寄ってこないからな。いいなあ、お前は! 泥のような空気の中でもピンピンしているからな!」
「そりゃあ、俺の人徳というものだ、汝とは違う」
人徳という言葉からほど遠い、甘やかされて育ったぼんぼんが嘯いた。
欒黶は士匄と真逆の、全く憑かれない男であり、もっと言えば強運の人間である。
士匄は運が悪いわけでは無いが、凶を呼び寄せれば多少その日の卦も悪い。他の者も士匄ほどではないが、何かしらの怪異に会わぬわけでもない。
が、欒黶は違う。雑多な幽霊怪異などはじき飛ばし、不祥漂う空気も全く気づかない。
そうして他者を守る、などがあればよかったが、雑多な霊ていどならともかく、凶悪極まり無い場など共にいれば、欒黶以外が倒れるはめになる。日常でも非日常でも、空気を全く読まぬ男であった。
二人は父どころか祖父も卿であり、それぞれ才や真面目さで代々人望があるのだが、息子二人に重厚さも真面目さも見受けられぬ。さて。彼らがこの大国を治められるかはともかく、目下の問題は士匄がやたら霊に憑かれたり寄られる最近である。
「まじないをしても祓っても憑いてくる。祟りか呪いか知らんが、何故わたしだけだ。わたしだけ辛いのは許せん、みな同じように苦しむべきだろう」
欒黶に後ろから覆い被さるように体重を預けその頭に顎を乗せながら口を尖らせた。士匄は背が高い。欒黶はそこそこ低い。子供の頃からの慣れか欒黶は文句を言わぬ。
「みなが苦しんでも俺は関係ないから、まあ好きにそんな祝詞でも作ってろ。さっさと行くぞ、遅れると父上はうるさい」
ああわたしの父もうるせえな、と士匄は返し、廊下を二人で歩き出した。
何でも人任せの欒黶はめんどくさそうな顔を隠さず、押しに弱くすぐにパニックを起こす荀偃は途方にくれている。趙武は密かに気合いを入れているようであった。彼は努力家であり、何事も厭うことがない。
士匄は、ディベートそのものに不安はない。はっきり言えば得意中の得意である。古典故実法制国史が叩き込まれた脳みそから必要な言葉を即座に見つけて場に相応しい辞とするのは士匄の得意技である。
また、相手が少しでも弱腰を見せれば、畳みかけるように抉り持論をズタズタにする。彼は相手の矜持を折ることに悦びを見いだしているわけではない。単に勝ちに拘りすぎてしまうのである。時おり行きすぎて余計な言葉を足してしまい、舌禍となることも、ままあったが。
「では年長の私から申し上げます。舜帝は堯帝に帝位を継ぐよう命じられても己に徳無しと辞退なされていました。しかし、璿璣玉衡にて七つの星が天命を示されていることを知り、帝位を継がれて祀りをし、天にご報告された。天の意は絶対であり遵守ししかるべく祭祀を行いまつりごとをすべし、という貴い教えと思います」
常識的かつおもしろみのない言葉で荀偃が口火を切った。
璿璣玉衡とは玉で作られた天文観測機である。星の運行が政治を表す発想も東西ともに古代には珍しく無い。
ここから、各人、見識を述べていく。
この舜帝の逸話は天体観測により帝位を継いだこと、それにより祖霊や山川をはじめ諸々の神に祭祀を行ったこと、諸侯を集め儀を行ったことを示している。これを元に様々な問答が行われたが、ここでは割愛する。煩雑かつ無味乾燥だからである。
幾度かの論の末に趙武が
「天は我らの思いを汲み取るなどは本来行いません。ただ示すのみです。しかし、舜帝に対してはその迷いを汲み取られ示されたように思えます。これは舜帝が賢人であり、天の命が強く降りたことを指し示したのではないでしょうか。天は時にそのようなことをなされる。滅ぼうとしていた趙氏が復権し私がここにいるのも、示されたと言うよりなにか汲み取って頂いた心地がいたします」
と、柔らかい声音で言った。詳細は省くが、趙氏は先代にて誅戮の憂き目にあっている。が、結局遺児である趙武の元、再び威勢を取り戻しつつあった。
そのような趙武に士匄が首を振る。
「天は恣意的に手を差し伸べぬ。趙氏が不幸にも族滅しかけたも、お前が再びその責を背負うことができたも、天がただ示しただけだ。舜帝に対してもただ示したのみであり、堯帝から帝位を受け取った時すでに覚悟があったのだ。ただ、謙譲を強く任じておられたゆえ、天命明らかになるまで慎み深く隠されておられたのであろう。天の示しに人はただ受け取り約することしかできぬ。そしてこの話は、約定の大切さを物語っている。帝位を受け継ぎ、祖霊への報告はもちろんであるが、堯帝から山川、諸々の神を受け継ぐに祀りを以て約している。また、瑞を集め最後に返しているとは、諸侯より証の玉を一度集め盟ったあとに返すことにより、君臣の約をなされたことを記している。堯の時代から今にいたるまで、国と国、土地と土地、約定とそれに即した祀りがある。天はただ見るのみ、その威を示し人の往き道を見定めるのみ、だ。舜帝は堯帝に託されぬでも天が既にその王道を星により示していたのだ。趙氏の興亡と隆興も天あるかぎり昔から示されていたと思え。天に道ありとも慈愛は無い」
やたら難しい言葉を並べ立て、天への宗教観を二人で言い合ったように思えるであろう。が、これは一種の運命論に近い。
趙武は運命というものは良い行い憐れみへの対象に優しさを感じる、という旨を言った。もっといえば天の采配は流動的という発想である。
が、士匄は天は時の流れと同じく平等無情であり、舜帝がそのような人生であることを知らせただけ、趙氏が滅びることがなかったのも、元々そう決まっていた、という反論である。
実際、この時代において天は何かをしてくれる信仰対象ではない。ただ、人が勝手に崇めている、というていであった。
その上で
「天の元で行われる約と盟こそが世の要」
と主張したのである。それを最後まで聞いた欒黶が、からりと笑った。
「范叔の体質も天の采配、定められたものというわけか。祖の戒めでも祟りでもなんでもなく、士氏の嗣子は雑多な鬼にモテモテになるよう約されるとは天もなかなか味わい深い」
荀偃がぶっと吹きだし、笑いを堪えようとしてさらに吹きだした。趙武は堪えることなど最初から放棄し、突っ伏してひぐひぐと笑っている。言い出した欒黶は上手いこと言った、と得意げな笑みを浮かべていた。韓無忌だけが身じろぎしていなかったが、口はしが少々引きつっているところを見ると密かに笑っているようだった。韓無忌の父はこのようなことでも笑うことのない、表情の薄すぎる人間味のない男なのだが、息子はまだ未熟らしい。
士匄は不愉快極まり無い顔でみなを睨んだ後、
「……天の命であらば、死ぬまでつきあう所存であるが、胸くそ悪い。くそ笑うな、便利なのは放った矢を持ち帰ってくる鬼が憑いた時だけだ!」
と忌々しそうに怒鳴った。とうとう、韓無忌さえも我慢できず、声を立てて、笑った。
「あ、あは、あはは! 范叔! あなたはとても頭の回転よく弁も立つのに、どうしてそう……脇が甘いんです、だめ無理おもろい」
趙武がつっぷしながら床をバンバンと叩き、笑い続けるため、士匄は先達として近づき、その頭にチョップした。
「……みな、心を静かに。どのようなことでも心を荒立ててはならないという意味では良い議になったと思う。そして、范叔の言うとおり、約定と盟いは大切です。国と国、人と人だけではない。山川、神々、土地。全てに対して我らは約定と盟いをし治める責務がある。どのような細かいことに思えてもおろそかにすれば天が見放し、我らの立つ地は崩れるでしょう。そろそろ、朝政が終わり卿の方々が政堂から出られる時間です。お父上が卿の方々はお出迎えを。趙孟は私とともに来られよ」
韓無忌の言葉に趙武が拝礼した。年若い趙武の後見人は、韓無起の父、侍従長韓厥である。韓厥自身は幼い頃に趙氏にて養育されていた。この二族はその意味で近い。
韓無忌の元に寺人がやってきて、杖を渡した。立ち上がる韓無忌に趙武が素早く手を沿える。
彼は疾病に侵されており、そのため弱視に近い。ゆえに、会話のはしばしで遠い目をするような顔をしていたのである。一度立ち上がると、杖を使っているとは言え堂々と歩いて行くのは彼の研鑽なのであろう。その才、人格を評されているだけに、惜しい嗣子よ、と言われている。
さて、士匄は欒黶を捕まえ、
「欒伯。このあと、わたしの邸に来ぬか。お前と弓を競いたい」
と少し食い気味に言った。欒黶、字は欒伯はあまり頭はよろしくないが、だからといって鈍いというわけではない。
「なんだ。また憑かれまくっているのか」
宮城と自邸を往き来するだけで変なものが寄ってきているのか、という問いである。士匄は図星をつかれ、苦い顔をしながら頷いた。
「お前といると、寄ってこないからな。いいなあ、お前は! 泥のような空気の中でもピンピンしているからな!」
「そりゃあ、俺の人徳というものだ、汝とは違う」
人徳という言葉からほど遠い、甘やかされて育ったぼんぼんが嘯いた。
欒黶は士匄と真逆の、全く憑かれない男であり、もっと言えば強運の人間である。
士匄は運が悪いわけでは無いが、凶を呼び寄せれば多少その日の卦も悪い。他の者も士匄ほどではないが、何かしらの怪異に会わぬわけでもない。
が、欒黶は違う。雑多な幽霊怪異などはじき飛ばし、不祥漂う空気も全く気づかない。
そうして他者を守る、などがあればよかったが、雑多な霊ていどならともかく、凶悪極まり無い場など共にいれば、欒黶以外が倒れるはめになる。日常でも非日常でも、空気を全く読まぬ男であった。
二人は父どころか祖父も卿であり、それぞれ才や真面目さで代々人望があるのだが、息子二人に重厚さも真面目さも見受けられぬ。さて。彼らがこの大国を治められるかはともかく、目下の問題は士匄がやたら霊に憑かれたり寄られる最近である。
「まじないをしても祓っても憑いてくる。祟りか呪いか知らんが、何故わたしだけだ。わたしだけ辛いのは許せん、みな同じように苦しむべきだろう」
欒黶に後ろから覆い被さるように体重を預けその頭に顎を乗せながら口を尖らせた。士匄は背が高い。欒黶はそこそこ低い。子供の頃からの慣れか欒黶は文句を言わぬ。
「みなが苦しんでも俺は関係ないから、まあ好きにそんな祝詞でも作ってろ。さっさと行くぞ、遅れると父上はうるさい」
ああわたしの父もうるせえな、と士匄は返し、廊下を二人で歩き出した。
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