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これっきり

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 ゆっくり起き上がり、ふにゃふにゃの士匄しかいを抱きしめると趙武ちょうぶは器用に身を離した。ひくんと士匄が跳ねるように震え、肉が抜けていった穴から精液と潤滑剤を漏らす。それを足をかき分けわざわざ見ながら、

范叔はんしゅくの粗相みたい」

 と、わきたつような声で笑った。士匄の手がふらふらと動き、片手で身を支えると、もう片方の手を伸ばして趙武の額を指で弾いた。

「痛っ」

 趙武が思わず手を離し、どうと倒れる。士匄も反動で倒れた。絶頂の余韻であえぐような息を吐く士匄は、もがくように手を動かした。立ち上がろうとして失敗しているのである。ほぼ何もせずマグロで達した趙武が、元気に這い寄って横に寝転び、士匄の顔を覗き込んだ。

「酷いです。けっこう痛いですコレ。あなたの望むように、丁寧に傷をほじって慰めましたのに。あなたは矜持も何もかも放り出して、卑しくすがりついて、ちんこを咥え込んで浅ましく腰振ってよがって、みっともなくて恥辱で傷ついた。范叔が私の手で傷つくのは嬉しくないです。傷つきたいと仰るあなたが憎らしい」

 拗ねた顔を晒して趙武が言う。士匄は鼻を鳴らした。この時間が過ぎれば、欒黶から与えられた屈辱で再び苦しむであろう。欒黶は士匄個人だけではなく士氏の当主も士という氏族にも泥を塗り踏みつけた。理屈が通じぬバカは止めどころもわかっていない。

 しかし、今は趙武のもたらした淫欲と戯れの恥辱に浸る。悦楽の果てに趙武の恋情と愛欲、そして体と心と魂を手に入れた。心地よい余韻もあって士匄は機嫌が良い。獣のように趙武に体をこすりつけ、腕を回して抱きしめる。趙武が細い腕で抱きしめ返した。

「最初はまあ、呆れましたけど。あなたと、またこうなれて良かったと今は思います」

 趙武の言葉に士匄はくつくつと笑った。

「青二才のわたしも良かったかもしれんが、今の熟れたわたしのほうがなかなかに良かろう。お前はそういったことが、わかる男――」

「いえ。私の、お嫁さんになったんですもの。良かったです」

 にっこりと腕の中で微笑む趙武に士匄は引きつった。

「この室であるは、嫁入りなどでなく、利便とか簡便、そういった! こと! だろうが! わ、わたしを新妻の扉に連れて行きやがって、ノーカンだノーカン!」

「わかって入ってきたのでしょう」

「足元見やがって……。くそ。この場限り、戯れ! ままごとと宣ったのはお前だろう、嫁、とか、拘ることか……」

 士匄が腕を離し逃げようと身をよじるのを、今度は趙武が体をすりつけ、ぎゅっとすがりつく。顎に口づけし、息をふきかけた。

「今だけなんだから良いじゃないですか。もう、肉を切り分けて食べてるのですから、そこに名がかぶさっただけ。あのね。私たちのような生まれのものが、大好きな人を嫁にできるわけないんです。でも、心で思うのは構わないでしょう。この場であなたを嫁にできた、そんな天命が降ったと」

「安い天命だな。そのような戯言で天を語るなど、趙孟ちょうもうは終わりが良くない」

 軽く鼻をつまんで、士匄は嘯いた。趙武が笑いながら軽く叩いてきたので、すぐに放す。

「あなたが見届けてください。……あなたは私のもの、私はあなたのもの。私の終わりをただ見届けてくればいい」

 柔らかで美しく、そして儚げに趙武が微笑む。全く、相変わらず厚みのない細い体であった。ひ弱さも病弱さも無いが、静かに溶け消えそうな風情でもある。これで性格はしぶとい泥臭いのだから、詐欺でもある。士匄は趙武の頬を指の背で撫で――昔によくやったように――そのまま目尻をなぞった。

「わたしは上寿じょうじゅまで……そう、百まで生きるつもりだ。お前の墓に植える木を、まあ子と共に見守ってやろう」

 趙氏の子の面倒をみてやる。言外に込めて言うと、趙武が牡丹がほころぶように笑い、士匄の片手を引き寄せ両手で握りしめた。

「私と范叔の子ですね! さっき子を孕むって言ってくれましたものね!」

 士匄は、恐ろしいものを見た顔をして、ぎゃあっと悲鳴をあげた。

「あ、あ……ぁ、わ、わたしは高齢、わたしのようなろうじんにはにがおも……」

「そこは、男は孕まない、でしょう、范叔。変な舌の回り方なされて」

 言いながらも、趙武が優しく士匄の下腹部を撫でた。気持ち悪すぎる撫でかたであった。

「……別に子供が本当に欲しいわけではありません。あなたを私のものと皆に言いふらしたくなっただけ、そのわかりやすい手段です。あなたはそれに怯えてしまわれて。私のものになったと仰ったくせに」

 趙武が抱きしめ身を擦り寄せながら、首筋を甘く噛んだ。士匄は色の乗った顔をして小さく声をあげた。

「……ん、……そ、れは。生理的に嫌なものは、嫌だ、あっ、あ、さっき、お前っ、んんっ、わたしの、粗相、と、か、昔っからっ、っあ」

 首を噛み舐めながら、衣越しに胸を揉み乳頭をいじってた趙武が、動きを止めた。

「昔からなんです?」

 三十路も終わる男が、きょとんとした顔を向けてきた。それは恋も知らなかったときの顔に似ていた。士匄は感慨など黄河に叩き込みながら、言葉を続ける。

「変態。潮を小便と勘違いして臭いを嗅いではしゃぐ、人の垢を舐めて喜ぶ、腋とか、股の奥の臭いとこ嗅ぐ、い、いつかわたしの恥垢を見て感極まっていたろう、あれ後で思い出して引いた。さっきもわたしが肛門から垂れ流してたら粗相みたいだと嬉しそうにしよって」

 趙武が士匄の言葉一つ一つを咀嚼するように頷き聞いた。顎に手をやる素振りをして少し考えるような顔をする。

「言いたいことはわかりましたけど、その程度で人を変態呼ばわりするのはいかがでしょうか。個人差でしょう」

 自覚がない! 恋愛観は基本的にクソだが、性嗜好は真っ当な士匄が叫ぼうと口を開けた瞬間、趙武が口を塞いだ。そのままそろりと士匄の帯を解き、肌を直接触りだす。これもだ、これもこいつ変、と思ったが、筋肉のすじを丁寧になぞられ、鍛えられた部分を揉まれ、乳頭を弄くられたあたりで、士匄は思考を手放した。

 舌体をこすりあわせ粘膜を互いにすりつぶすように舌をからめ貪る。趙武の手でなされる真綿で首を絞めるような愛撫に身を任せる。我慢できなくなれば、すがりついて態度で媚びた。

「はい。きちんと甘やかして慰めるお約束でしたから。大丈夫です、好きなだけ気持ちよくなってください」

 趙武がやけに大人な声でささやき、士匄の中に埋まっていく。今の趙武ということをやけに意識し、士匄は身をよじった。

 一度開かれているのに、趙武はゆっくりと士匄を追い立てていった。

「くっ、あ、いいかげん、にっ、も、むり」

 一度達した体である。くすぶるだけの挿入など地獄である。

「やっぱり、私は追い詰められるあなたの、その顔が好きです。私以外があなたを追い詰めたのは悔しかった」

 散々焦らしたあと、趙武は存分に貪り尽くし、士匄はいつもの三語さえ失うほど、淫楽に叩き込まれ沈められ、溺れた。

 十五年ぶりの、久しぶりの恋情。恋しいあなたよ再び。それがきっかけであっても、このとき趙武は今の士匄を愛したし、士匄も目の前の趙武を愛しいと思った。


「これきりだ。次は無い」

 どこかで聞いたようなことを言って、士匄は帰っていった。満身創痍なのは相変わらずだが、まあ一時の安らぎが得れたのならそれでいい。趙武は見送りながら微笑んだ。

「わかってますよ。これきりです」


 もちろん、これきりにならなかった。
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