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あなたのために。お前を想い。
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湊と洧と
方に渙渙たり
士と女と
方に蘭を秉る
女の曰く観しやと
士の曰く既に且きぬと
且つ往きて観んか
洧の外を
洵に訏にして且つ楽しと
惟れ士と女と
伊れ其れ愛謔れ
之を贈るに芍薬を以てす
ここは中国大陸黄河流域地域であるため。まあ、そういった設定の国であるため、郊外へ望めば支流が大小連なり流れている。冬は凍てつき、雪に埋もれる川も、春が近づけば緩み、溶けた雪や割れた氷と共に大きなうねりをもって水が勢いよく流れていく。それはともすれば洪水になり、民だけではなく士匄や趙武のような為政者をも悩ませるのであるが、しかし恵みの雪解けではある。
そのような雪解けの川のほとり、豊かな早春の緑を愛でるように民は野に繰り出し、出会い、時には婚姻の約束をする。士匄はそれと同じか、と素朴な発想に苦笑しながらも趙武に従った。想定外に華やいだ気持ちであった。常に強引な士匄がイニシアチブをとり、趙武が頷く日々であった。たとえ、趙武が士匄を抱こうとも、である。それまで趙武から声をかけてきたのは、士匄が半月ほど待ちの姿勢をした時だけであった。恋愛ごっこをしたいのであると断じていた士匄は酷い目にあったが、趙武の粘性を知り、それが酔うに足ると気づいたのであるから、結果的に良かったのであろう。ともあれ、今度はデートのお誘いである。
湊と洧と
方に渙渙たり
士と女と
方に蘭を秉る
春の川、氷がとけて水かさが増し、多くの男と女が集まって香草を取り出会う。そのような古詩を思い浮かべながら、趙武の後ろをついて、川辺の草原を歩く。水をふんだんに含んだ草花はしっとりとした感覚を沓越しに伝えてきた。さて、お手並み拝見、と士匄は少々意地悪い笑みを浮かべながら趙武を見る。このまま歩いて終わりか、何をするのか。春の野を散策など、素朴で木訥であるが、やりようによっては良い雰囲気作りになるものであった。女との愛の語らい、戯れを思い出しながら士匄は趙武の一挙手一投足を見守った。
まだ育ちきっていない蘆や菖蒲、蒲を横目で見ては、趙武が見た目に反して大雑把にかきわけ進む。士匄も軽く手で払ったり、足で踏みつぶしながら歩く。
「范叔、見て下さい。枸杞です。私は苦菜があまり好きではございませんで、枸杞の葉を煎じて飲む方が好きです。あなたはいかがです?」
趙武がうずくまり、クコを手に取りながら無邪気に笑いかけてくる。士匄はやはりオボコいと肩をすくめた。
「苦菜を煎じるも、噛み潰すもわたしは好んでいる。口がすっきりする。まあ、枸杞も悪くは無かろう、香りは少々青いが味はまろやか。嫌いではない」
丁寧に葉を摘み取っていく趙武を見下ろしながら、士匄は返す。趙武が振り返り見上げ、
「では一緒に飲みませんか。食事はその、大仰かもしれませんが、甘味と共に喉を潤すのは気軽でしょう」
元々考えていた、という様子は無かった。趙武は今思いついた、という顔で、誘う。その気合いのなさが気に入り、士匄は頷きながら隣にしゃがんだ。
「なんだ、今摘んだものを飲むのか」
「そういうつもりでは……。でも良いですね。この摘んだ葉は、あなたと私だけで飲みましょう。他の方の口に入れない、他の時間の私も口にしない……。余ったものは、そうですね河か地かに捧げましょう。記念として」
河にせよ地にせよ、捧げるということは天や山川の神への祈りであり宣言である。ちょっと記念に、というレベルのものではなかった。が、士匄はその大仰さが逆に気に入り、趙武の頬を指の背で撫でる。
「捧げることは神事だ、なかなかに良い。趙孟が思い出に執着し、枸杞の葉を隠し持ちあの時をもう一度、と飲んでしまえば、呪われ祟られ終わりがよくないわけだ。わたしとのひとときを愛しんでくれるは、喜びとしよう。が、愚かにもわたしを謀り隠れ飲み過去を偲んで死んだなら、それはそれで一興、わたしはお前が愛しいと思う」
本音と戯れをまぜこぜにして笑うと、趙武が儚い笑みを返した。どこか、虚無を宿した微笑みであった。
「范叔はものごとを良く知っている先達、私などよりよほど頭が良い方ですが、これはご存じなかったようですね。思い出というものは、とても意味が無いのです。思い出してああだこうだと過去を並べて眺めても、手に取れませんし温度も無い。こうして」
趙武が士匄の手を取り、少しだけ指でさすったあと小さな葉を手の平に置いた。
「触って、手の皮が厚いなあ、って思い、私の摘んだ葉を手の平にそっと置いて互いのものとする。これは、今この瞬間のこと。この喜びは、今このときのこと。後で思い返し、あの時の范叔はかっこいい、かわいいと、私はときめくことございます。でも、過去の気持ちを取り出して触るわけじゃあないです。あなたも、過去の気持ちを掘り返すわけじゃあないでしょう」
士匄が顔をしかめた。何が言いたいのか、と怪訝な目を隠さず、促す。趙武は恋愛に鈍いが、全てに鈍いわけではない。士匄が戸惑っていることを察し、言葉を探した。
「思い出。言い換えると哀惜、感傷。そんなの、まやかしという話です。まあ、范叔は分かって仰ったのだと思いますけど。共に煎じた枸杞を飲んだことを愛し惜しみ、その感傷で愚かにも天の誓いを破って死んでしまう私。戯曲的ですね、歌舞音曲でありそうな演目です。せっかく、広い天の下、遙かな地の上で春を愛でているのです。あなたの華やかな戯れは逆に無粋というもの、ねえ、素直に楽しみましょう。さ、葉を摘みましょう。あなたのために私は摘みます。あなたは?」
趙武がかがみ込み、首をかしげて士匄を覗きこんで問うた。透明感のある微笑みであった。川からの風が、さあっと士匄や趙武の髪をゆらし、草原を薙いでいった。士匄は少し目を細めた後、
「お前を想い摘もう」
と低音でささやき、まだ柔らかな葉を一枚、摘んだ。
方に渙渙たり
士と女と
方に蘭を秉る
女の曰く観しやと
士の曰く既に且きぬと
且つ往きて観んか
洧の外を
洵に訏にして且つ楽しと
惟れ士と女と
伊れ其れ愛謔れ
之を贈るに芍薬を以てす
ここは中国大陸黄河流域地域であるため。まあ、そういった設定の国であるため、郊外へ望めば支流が大小連なり流れている。冬は凍てつき、雪に埋もれる川も、春が近づけば緩み、溶けた雪や割れた氷と共に大きなうねりをもって水が勢いよく流れていく。それはともすれば洪水になり、民だけではなく士匄や趙武のような為政者をも悩ませるのであるが、しかし恵みの雪解けではある。
そのような雪解けの川のほとり、豊かな早春の緑を愛でるように民は野に繰り出し、出会い、時には婚姻の約束をする。士匄はそれと同じか、と素朴な発想に苦笑しながらも趙武に従った。想定外に華やいだ気持ちであった。常に強引な士匄がイニシアチブをとり、趙武が頷く日々であった。たとえ、趙武が士匄を抱こうとも、である。それまで趙武から声をかけてきたのは、士匄が半月ほど待ちの姿勢をした時だけであった。恋愛ごっこをしたいのであると断じていた士匄は酷い目にあったが、趙武の粘性を知り、それが酔うに足ると気づいたのであるから、結果的に良かったのであろう。ともあれ、今度はデートのお誘いである。
湊と洧と
方に渙渙たり
士と女と
方に蘭を秉る
春の川、氷がとけて水かさが増し、多くの男と女が集まって香草を取り出会う。そのような古詩を思い浮かべながら、趙武の後ろをついて、川辺の草原を歩く。水をふんだんに含んだ草花はしっとりとした感覚を沓越しに伝えてきた。さて、お手並み拝見、と士匄は少々意地悪い笑みを浮かべながら趙武を見る。このまま歩いて終わりか、何をするのか。春の野を散策など、素朴で木訥であるが、やりようによっては良い雰囲気作りになるものであった。女との愛の語らい、戯れを思い出しながら士匄は趙武の一挙手一投足を見守った。
まだ育ちきっていない蘆や菖蒲、蒲を横目で見ては、趙武が見た目に反して大雑把にかきわけ進む。士匄も軽く手で払ったり、足で踏みつぶしながら歩く。
「范叔、見て下さい。枸杞です。私は苦菜があまり好きではございませんで、枸杞の葉を煎じて飲む方が好きです。あなたはいかがです?」
趙武がうずくまり、クコを手に取りながら無邪気に笑いかけてくる。士匄はやはりオボコいと肩をすくめた。
「苦菜を煎じるも、噛み潰すもわたしは好んでいる。口がすっきりする。まあ、枸杞も悪くは無かろう、香りは少々青いが味はまろやか。嫌いではない」
丁寧に葉を摘み取っていく趙武を見下ろしながら、士匄は返す。趙武が振り返り見上げ、
「では一緒に飲みませんか。食事はその、大仰かもしれませんが、甘味と共に喉を潤すのは気軽でしょう」
元々考えていた、という様子は無かった。趙武は今思いついた、という顔で、誘う。その気合いのなさが気に入り、士匄は頷きながら隣にしゃがんだ。
「なんだ、今摘んだものを飲むのか」
「そういうつもりでは……。でも良いですね。この摘んだ葉は、あなたと私だけで飲みましょう。他の方の口に入れない、他の時間の私も口にしない……。余ったものは、そうですね河か地かに捧げましょう。記念として」
河にせよ地にせよ、捧げるということは天や山川の神への祈りであり宣言である。ちょっと記念に、というレベルのものではなかった。が、士匄はその大仰さが逆に気に入り、趙武の頬を指の背で撫でる。
「捧げることは神事だ、なかなかに良い。趙孟が思い出に執着し、枸杞の葉を隠し持ちあの時をもう一度、と飲んでしまえば、呪われ祟られ終わりがよくないわけだ。わたしとのひとときを愛しんでくれるは、喜びとしよう。が、愚かにもわたしを謀り隠れ飲み過去を偲んで死んだなら、それはそれで一興、わたしはお前が愛しいと思う」
本音と戯れをまぜこぜにして笑うと、趙武が儚い笑みを返した。どこか、虚無を宿した微笑みであった。
「范叔はものごとを良く知っている先達、私などよりよほど頭が良い方ですが、これはご存じなかったようですね。思い出というものは、とても意味が無いのです。思い出してああだこうだと過去を並べて眺めても、手に取れませんし温度も無い。こうして」
趙武が士匄の手を取り、少しだけ指でさすったあと小さな葉を手の平に置いた。
「触って、手の皮が厚いなあ、って思い、私の摘んだ葉を手の平にそっと置いて互いのものとする。これは、今この瞬間のこと。この喜びは、今このときのこと。後で思い返し、あの時の范叔はかっこいい、かわいいと、私はときめくことございます。でも、過去の気持ちを取り出して触るわけじゃあないです。あなたも、過去の気持ちを掘り返すわけじゃあないでしょう」
士匄が顔をしかめた。何が言いたいのか、と怪訝な目を隠さず、促す。趙武は恋愛に鈍いが、全てに鈍いわけではない。士匄が戸惑っていることを察し、言葉を探した。
「思い出。言い換えると哀惜、感傷。そんなの、まやかしという話です。まあ、范叔は分かって仰ったのだと思いますけど。共に煎じた枸杞を飲んだことを愛し惜しみ、その感傷で愚かにも天の誓いを破って死んでしまう私。戯曲的ですね、歌舞音曲でありそうな演目です。せっかく、広い天の下、遙かな地の上で春を愛でているのです。あなたの華やかな戯れは逆に無粋というもの、ねえ、素直に楽しみましょう。さ、葉を摘みましょう。あなたのために私は摘みます。あなたは?」
趙武がかがみ込み、首をかしげて士匄を覗きこんで問うた。透明感のある微笑みであった。川からの風が、さあっと士匄や趙武の髪をゆらし、草原を薙いでいった。士匄は少し目を細めた後、
「お前を想い摘もう」
と低音でささやき、まだ柔らかな葉を一枚、摘んだ。
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