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ピロートークは嫌いじゃない
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「あの……やはりけじめというのは、必要ではないでしょうか」
さて、もう幾度目かのセックスの後であろうか。前話よりさらに回数は重なり続いている、夜であった。
衣を整えかしこまった様子で座り、趙武が口を開いた。士匄はゆったりとした動きで身を起こし、乱れた衣そのままに、趙武を見る。ぐずぐずに溶けきった下半身の余韻は心地よいほどであった。物足りぬ疼きも無く、やり過ぎた脱力も無く、己とこの後輩はなかなかに上手くいっている。
そこに、『けじめ』である。何が必要か、と士匄は傲岸さそのままの態度で顎をしゃくり言葉を促す。趙武が少し苦い顔をしたが、話を続けた。
「その、私があなたに無体なことをいたしまして、まあ、ずるずるとこのように睦む関係になっておりますが、えっと、民が野合するが如くなしくずしにダラダラ快楽を共にするのもいかがと思いますし、いや、ああ、体を合わせているとなんと申しますか、愛着がわくものなのですね、いや、だから、年は逆順ですけれども、義兄弟と申しますか? あの、体だけではなく心も特別な関係になって、末永く、その、責任をとりますので、だから……」
少しずつ頬を赤らめながら、趙武が言葉を紡ぐ。ひざに置いた手はぎゅっと握られ、体をこわばらせ、緊張にみなぎっている。未だ二十を越えてすぐの彼らしく初々しい。そして、少女めいた美しい顔は恥じらいでいっそつやめいており、可憐でしとやかでもある。切なさを感じさせる瞳は濡れたように光っており、まるで届かぬ恋に胸を痛める乙女のようである。が、口から垂れ流されるのは言葉の足りないおっさんが、不倫相手の女子高生にパパ活ではなくマジ恋しようと縋っているそれである。士匄は極めてしょうもないものを見る目を向けながら、彼には珍しく静聴し続けた。
趙武は、士匄のしらけた視線に気づいたかどうか。彼はバカでは無い。冷えた空気くらいわかったであろう。これが公事の議であれば、静かに口を閉じ、身を引く。ものごとをわきまえている彼は、常にそうする。しかし、プライベートの、しかも色事であった。恋愛がなんたるかを知る前に、貴族の習いとして嫁をあてがわれ、貴族の礼儀として慈しんでいる、おぼこの青年である。性的な暴力を知っていても愛欲の概念がぼんやりしているのだ。しかし、それはそれ、これはこれ。真面目な趙武はあいまいなセックスフレンドを続けることが苦痛であり、心の通った義兄弟に固定したかった。そこに、いくども士匄を抱いているうちに不思議な愛しさを感じ始めていた、というのもある。そういった諸々がうまく言語化できず、もそもそと語彙力のないおっさんのような台詞を垂れ流し続けていた。なんどもけじめ、と強調し、だらしない関係はどうか、とも言う。そのたびに、士匄の目は凍てつき、場は冷えていった。
士匄が頷く様子もなく、止める事もない。話の着地どころがわからなくなり、焦ったように話し続ける趙武はもはや半泣きである。
と。士匄がふいに動き、端然と座る趙武に覆い被さるように近づいた。襟は大きく開き、汗ばんだ肌からは未だ性の臭いが強く立つ。房事で髷は緩み、こぼれおちたように揺れる髪が男ぶり高い顔をなまめかしく彩っている。その髪をうっとうしそうにかき上げ、士匄は色めいた目で趙武を見つめた。すっと趙武の掌を撫でて、愛しげに取る。優しくうやうやしく己の手の中で、趙武の手を転がすように愛でた。そのまなざしは、優しい。
「あ、あの、范叔っ」
何が起きているのかわからず声をかける趙武を無視して、士匄はその耳に口を近づけ囁いた。
「手は柔荑の如く」
――お前の手の柔らかさは芽生えはじめた茅のよう
腹の奥に響くような柔らかく低く甘く、美声としか言いようの無い音であった。士匄の手は掌をつたい、袖をそっと掻き分け、趙武の腕をすべらかになぞっていく。
「膚は凝脂の如し」
――その肌は集め凝った貴重な脂のように、すべらかで白い
腕を宝玉を扱うように撫でながら、士匄はもう片方の手で趙武のうなじをそろりと撫で、ぐっと身を寄せる。趙武がもはや硬直し、顔をゆでだこのようにしていることなど、気づかぬように、木苺のように染まった首筋に唇を寄せた。
「領は蝤蠐の如く」
――うなじは木に住む白い虫に似て細長く嫋やか
唇は、首筋に触れること無く、息だけが肌に当たった。何やらやるせない気持ちになった趙武をいたわるように再び首筋を撫でた後、その士匄の手は趙武の顔を撫でていた。気づけば、腕を撫でていた手も顔に沿われている。親指が唇を柔らかく割ってくる。趙武は逆らわず受け入れた。指の腹が歯をなぞり、同時にもう片手が額に指を沿わせ、眉を撫で、目尻をなぞっていく。至近距離で見つめてくる士匄の眼差しは柔らかく、そして熱っぽかった。
「歯は、瓠犀の如し」
――瓜の中の身のように白く整った歯
「螓首蛾眉」
――その額はなつぜみのように広く良き形、眉が細く長く蛾のようにきれいな弧を描いている
趙武は真摯な顔で古詩を囁く士匄をぼおっと見た。恋しいという言葉を形にするのであれば、いま目の前の先達の表情を言うのであろう。恋い焦がれ、詩になぞらえて趙武を褒め讃え、愛をささやく姿そのものである。
「巧笑倩たり、美目盼たり」
――可愛らしい笑顔にうるわしい口元、はっきりとした目元は美しい
尊貴の女性の美しさを褒め讃えた詩の一節である。趙武は見た目に拘らぬが、己が他者に抜きんでて顔が良いことくらい知っている。それを、士匄の愛しさが込められた貌と声で言祝がれ、ぽおっとのぼせた。士匄といえば、そこまで詩を吟じると、一気に表情を落とし、冷えた無表情を越え、馬鹿を見る目を趙武に向けた。
「口説くならこの程度しろ、しょうもない」
心底くだらない、という口調で吐き捨てると、士匄は趙武から離れ、立ち上がった。趙武が、ぽかんとした顔で見上げてくるが、どうでもよい。
「夜も遅い、泊まるつもりであったが気が萎えた。帰る、くだらん」
身を整えながら、士匄は言い放つ。セックスのあとにピロートークをするのは嫌いではないが、趙武のそれがあまりに酷すぎた。最後、
「お前のそれは睦言のつもりか、童貞くさい」
と、とどめまで刺し、勝手に趙氏の家僕に差配し、帰っていった。
その間、趙武は身動きひとつできなかった。
相手にされず、それどころか口説き文句のレクチャーまでされ、なおかつ抱いた相手に童貞と吐き捨てられ、趙武は顔を覆って悲鳴をあげた。恥ずかしくて死にたい気分であった。
さて、もう幾度目かのセックスの後であろうか。前話よりさらに回数は重なり続いている、夜であった。
衣を整えかしこまった様子で座り、趙武が口を開いた。士匄はゆったりとした動きで身を起こし、乱れた衣そのままに、趙武を見る。ぐずぐずに溶けきった下半身の余韻は心地よいほどであった。物足りぬ疼きも無く、やり過ぎた脱力も無く、己とこの後輩はなかなかに上手くいっている。
そこに、『けじめ』である。何が必要か、と士匄は傲岸さそのままの態度で顎をしゃくり言葉を促す。趙武が少し苦い顔をしたが、話を続けた。
「その、私があなたに無体なことをいたしまして、まあ、ずるずるとこのように睦む関係になっておりますが、えっと、民が野合するが如くなしくずしにダラダラ快楽を共にするのもいかがと思いますし、いや、ああ、体を合わせているとなんと申しますか、愛着がわくものなのですね、いや、だから、年は逆順ですけれども、義兄弟と申しますか? あの、体だけではなく心も特別な関係になって、末永く、その、責任をとりますので、だから……」
少しずつ頬を赤らめながら、趙武が言葉を紡ぐ。ひざに置いた手はぎゅっと握られ、体をこわばらせ、緊張にみなぎっている。未だ二十を越えてすぐの彼らしく初々しい。そして、少女めいた美しい顔は恥じらいでいっそつやめいており、可憐でしとやかでもある。切なさを感じさせる瞳は濡れたように光っており、まるで届かぬ恋に胸を痛める乙女のようである。が、口から垂れ流されるのは言葉の足りないおっさんが、不倫相手の女子高生にパパ活ではなくマジ恋しようと縋っているそれである。士匄は極めてしょうもないものを見る目を向けながら、彼には珍しく静聴し続けた。
趙武は、士匄のしらけた視線に気づいたかどうか。彼はバカでは無い。冷えた空気くらいわかったであろう。これが公事の議であれば、静かに口を閉じ、身を引く。ものごとをわきまえている彼は、常にそうする。しかし、プライベートの、しかも色事であった。恋愛がなんたるかを知る前に、貴族の習いとして嫁をあてがわれ、貴族の礼儀として慈しんでいる、おぼこの青年である。性的な暴力を知っていても愛欲の概念がぼんやりしているのだ。しかし、それはそれ、これはこれ。真面目な趙武はあいまいなセックスフレンドを続けることが苦痛であり、心の通った義兄弟に固定したかった。そこに、いくども士匄を抱いているうちに不思議な愛しさを感じ始めていた、というのもある。そういった諸々がうまく言語化できず、もそもそと語彙力のないおっさんのような台詞を垂れ流し続けていた。なんどもけじめ、と強調し、だらしない関係はどうか、とも言う。そのたびに、士匄の目は凍てつき、場は冷えていった。
士匄が頷く様子もなく、止める事もない。話の着地どころがわからなくなり、焦ったように話し続ける趙武はもはや半泣きである。
と。士匄がふいに動き、端然と座る趙武に覆い被さるように近づいた。襟は大きく開き、汗ばんだ肌からは未だ性の臭いが強く立つ。房事で髷は緩み、こぼれおちたように揺れる髪が男ぶり高い顔をなまめかしく彩っている。その髪をうっとうしそうにかき上げ、士匄は色めいた目で趙武を見つめた。すっと趙武の掌を撫でて、愛しげに取る。優しくうやうやしく己の手の中で、趙武の手を転がすように愛でた。そのまなざしは、優しい。
「あ、あの、范叔っ」
何が起きているのかわからず声をかける趙武を無視して、士匄はその耳に口を近づけ囁いた。
「手は柔荑の如く」
――お前の手の柔らかさは芽生えはじめた茅のよう
腹の奥に響くような柔らかく低く甘く、美声としか言いようの無い音であった。士匄の手は掌をつたい、袖をそっと掻き分け、趙武の腕をすべらかになぞっていく。
「膚は凝脂の如し」
――その肌は集め凝った貴重な脂のように、すべらかで白い
腕を宝玉を扱うように撫でながら、士匄はもう片方の手で趙武のうなじをそろりと撫で、ぐっと身を寄せる。趙武がもはや硬直し、顔をゆでだこのようにしていることなど、気づかぬように、木苺のように染まった首筋に唇を寄せた。
「領は蝤蠐の如く」
――うなじは木に住む白い虫に似て細長く嫋やか
唇は、首筋に触れること無く、息だけが肌に当たった。何やらやるせない気持ちになった趙武をいたわるように再び首筋を撫でた後、その士匄の手は趙武の顔を撫でていた。気づけば、腕を撫でていた手も顔に沿われている。親指が唇を柔らかく割ってくる。趙武は逆らわず受け入れた。指の腹が歯をなぞり、同時にもう片手が額に指を沿わせ、眉を撫で、目尻をなぞっていく。至近距離で見つめてくる士匄の眼差しは柔らかく、そして熱っぽかった。
「歯は、瓠犀の如し」
――瓜の中の身のように白く整った歯
「螓首蛾眉」
――その額はなつぜみのように広く良き形、眉が細く長く蛾のようにきれいな弧を描いている
趙武は真摯な顔で古詩を囁く士匄をぼおっと見た。恋しいという言葉を形にするのであれば、いま目の前の先達の表情を言うのであろう。恋い焦がれ、詩になぞらえて趙武を褒め讃え、愛をささやく姿そのものである。
「巧笑倩たり、美目盼たり」
――可愛らしい笑顔にうるわしい口元、はっきりとした目元は美しい
尊貴の女性の美しさを褒め讃えた詩の一節である。趙武は見た目に拘らぬが、己が他者に抜きんでて顔が良いことくらい知っている。それを、士匄の愛しさが込められた貌と声で言祝がれ、ぽおっとのぼせた。士匄といえば、そこまで詩を吟じると、一気に表情を落とし、冷えた無表情を越え、馬鹿を見る目を趙武に向けた。
「口説くならこの程度しろ、しょうもない」
心底くだらない、という口調で吐き捨てると、士匄は趙武から離れ、立ち上がった。趙武が、ぽかんとした顔で見上げてくるが、どうでもよい。
「夜も遅い、泊まるつもりであったが気が萎えた。帰る、くだらん」
身を整えながら、士匄は言い放つ。セックスのあとにピロートークをするのは嫌いではないが、趙武のそれがあまりに酷すぎた。最後、
「お前のそれは睦言のつもりか、童貞くさい」
と、とどめまで刺し、勝手に趙氏の家僕に差配し、帰っていった。
その間、趙武は身動きひとつできなかった。
相手にされず、それどころか口説き文句のレクチャーまでされ、なおかつ抱いた相手に童貞と吐き捨てられ、趙武は顔を覆って悲鳴をあげた。恥ずかしくて死にたい気分であった。
応援ありがとうございます!
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