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壁ドンで迫られた

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 壁ドン、というすっかり馴染みの言葉がある。たいがい、背の高い人間が己より背の低い人間を壁に追い込み、片手を壁に思いきりついてすごむそれである。どう考えても悪印象しか覚えない行為なのであるが、恋愛における様式のひとつとして知られている。

 趙武ちょうぶはまさに、その目にあっている。己より上背のある先達、士匄しかいが壁に追い込むように腕を突いて見下ろしてきている。趙武ちょうぶは壁に背を預けて見上げた。

 士匄しかいという青年はそれはもう、男ぶりが良い、と表現するしかない。頼もしい体に雄くさい色気があり、己の才への自信が見て取れる。女がこのように迫られたら、頬を染め何も考えず頷いてしまうであろう。

 対して趙武は名前の猛々しさとは裏腹に、華奢で美少女のような面持ちの青年である。にこりと微笑めば花が咲くようなかわいらしさもあった。そのようなわけで、傍から見れば、イケメンが美少女に迫っている、としか思えぬ構図である。

趙孟ちょうもう。わたしを抱け。いや抱き潰せ」

 趙孟とは趙武のあざなである。それはともかく士匄は惑乱レベルの言葉を、傲慢な態度で吐いた。

「……えぇ。懲りたのではないですか? 范叔はんしゅく。もうそれやめましょう」

 范叔とは士匄のあざなであった。いみなを呼ぶことなど全く無い時代である。ご面倒かつわかりにくいかもしれないが、ご容赦いただきたい。それはともかく、趙武はかなり引きぎみであった。逃れられないかと身を動かすと、士匄がもう片方の手で壁をつく。両手で左右を封じられ、趙武はかなり途方にくれた。

「最初の一回は私の狼藉です。二回目はまあ……私のせいといたしましょう。それ以降はちょっと。先達せんだつに申し上げるのも心苦しいですが、欲にかられすぎ、いんに溺れすぎ、我慢ができなさすぎ、何よりあなたはそういった趣味でもなかったでしょう」

 趙武は呆れた声を隠さず指摘した。士匄が少し横を向いて、バツが悪そうに鼻を鳴らした。

 はっきり言えば、趙武は士匄を幾度か抱いている。皆が皆、逆だろう、と問い返す見た目と性格である。士匄は前述したが体格良く男ぶりも良い、女が寄ってきそうな見た目であり、切れ者で口も達者、性格も自信家である。対して趙武はどう見ても女性、しかも美少女のような姿であり、性格も少々したたかであるが柔和で奥ゆかしい。地道な努力家、という面もある。このシチュエーションを見れば、士匄が趙武に抱かせろ、と言うのが自然であったが、実際は抱き潰せ、である。趙武は、めんどくさいことになった、と眉をひそめた。憂いを帯びたその顔さえ絵になるのであるから、美人は得である。

 元々の発端は、士匄の舌禍ぜっかである。この二人はいわゆる大臣候補の貴族であり、日々、研鑽けんさんを務めている。そのような若者同士で集まり、政治的な謎解きをしていた時であった。ある問題で、士匄と趙武は論争になった。士匄にあり、趙武にしんあり。価値観が違うため、どちらも解としてまちがっていない。ゆえに、その場にいるもの全て困った。趙武は士匄より四才ほど年下である。本来であれば、先達を立てねばならない。が、趙武は引かなかった。柔らかい所作、優しい言葉であったが、頑固にも引かない。士匄と言えば、よほどでない限り押し通す我の強さがある。この膠着状態を、一番年上の貴族が止め、

「国を動かすに信が最も必要。趙孟の言や良し」

 と言ってしまったために、士匄はへそを曲げた。士匄の主張はけして間違いではない。いっそ正しい。が、一番の先達は理屈の正しさより、人に信頼される柔らかさを取ったのである。ここで、士匄が家に帰り罵詈雑言を一人で吐けば問題なかった。が、彼は口が回りすぎる男であった。彼は相手が最も不快であろう捨て台詞を吐いた。

「趙孟は男のようだ」

 趙武の頬は引きつった。つまりは、お前は女のくせに男みたいなことを言う、というとんでもない罵倒であった。趙武は己の姿にコンプレックスを抱いてはいない。が、見た目だけで判断し、中には秋波しゅうはを送る輩もいる。――義兄弟にならないか。と、下心たっぷりに言われることが多い。その目はけして男として絆を深めようというものではなく、オンナとして侍らしたい、という下世話たっぷりである。そういった現代で言うセクハラに辟易しているわけだ。だが、士匄は趙武をそのようには見ない。見た目など知らん男は男だろう、という態度で接してくる。傲慢さはともかくその点において尊敬はしていた。しかし、ここにきてこの罵倒を、趙武が傷つきはらわた煮えかえることが分かって、言ったわけである。男のようだ、と。

 慎み深く柔和な趙武は士匄に殴りかかるようなことはしなかった。ただし、屈辱に耐えしのび腹に収める、という人間でもなかった。矜持高い貴族であり、趙氏を背負う青年である。しっかり、屈辱には屈辱を返した。

 士匄を適当にだまくらかし邸に呼ぶと、薬を盛って強姦したのである。この当時に都合の良い催淫剤があったかなんて深く考えてはいけない。都市の真ん中で兎が二足歩行で踊り狂う時代である。きっと、不思議な祈祷で作るなんかがあったのであろう。

 何が何やらわからず犯され、薬の効能もあり初めてのアナルセックスで何度も達した士匄は、最後に中に精を放たれ、嘔吐した。士匄は根っからの異性愛者であり、快楽に溺れながらも鳥肌を立てていた。器用な男である。

 全てを終えた趙武は、息も絶え絶えになっている士匄を見下ろしながら笑んだ。

「ねえ、男みたいでしょう?」

 優美であるが嘲弄を含んだ声音に、士匄は、矜持高く傲慢で俺様な士匄は、肩を震わせながらひぐひぐと泣きつづけていた。

 あまりの蹂躙であったが、士匄は報復を考えなかったらしい。趙武は殴られなかったし、暗殺者を送り込まれることも、ならず者の集団を寄越されることもなかった。これにて一件落着ケンカ両成敗。趙武は少々の後味の悪さを覚えつつも、終わったことだと全て流していた。

 しかし、である。

「あれはお前が卑怯にも薬を盛ったから、わたしは女のようによがったのだ。その屈辱は晴らさねばならん。わたしが全くそのような性癖がない、ということを証明しろ。抱け」

 ある日、腕を掴まれ物陰に連れて行かれた後、とんでもないことを言われた。うん、この先達は頭がおかしくなったのかな? と趙武は笑顔を浮かべたまま、首をかしげた。

范叔はんしゅく……。つまり、私にもう一度犯せ、と。今度は素面で犯されたい、と」

 聞き間違い、もしくは言葉を汲み取り間違えたかもしれない。趙武は慎重に返した。極めて負けず嫌いの士匄は、

「そう言ったのだが、耳に土でも詰まっているのか?」

 とよけいなことを添えてさらに言葉を返す。趙武はめんどくさい、と思ったが、それで士匄が納得するならと抱くことにした。淫薬も使わぬ性交である。きっと士匄は気持ち悪がるであろうし、己も楽しくないであろう。

 ところが。この、二回目でも士匄は大いに外した。趙武にむしゃぶりつき感じ、すすり泣いて許しを請い、達した。ぶっちゃければ、連続雌イキした。感じ入るまでは口づけも愛撫も拒否していたくせに、極まって己から抱きつくほどであった。終わって、士匄が茫然としている横で、趙武も頭を抱えた。嘘でしょ、この人、こういった才能あったんですか。いや、多才な人だと思ってましたが。

 ショックのあまり、口のきけなくなった士匄は、そのまま黙って帰っていった。このままトラウマ抱え終了かと思いきや、しばらく経って再び犯せと迫ってきた。こうなると、趙武も遠慮しない。

「あなたが抱いて、と言ったんですよ。私の狼藉とは言わせません」

 しつこくしつこく迫られ、趙武は承諾した。士匄が、これきりだ、と言い切った。もちろん、これきりにならなかった。抱かれたあとに、もう二度とは無い、気の迷いだ、と宣言するが、十数日経てば迫り、命じ、請うてくる。

 趙武だって、理解した。士匄は異性愛者のくせにアナルセックスに嵌まってしまったのである。

 そして、今。何度目かはもう覚えていないが、士匄は横柄な態度を隠さず、居丈高に趙武へ命じている。お願いでも懇願でもない。先達として年下に当然、という態度であった。いや、年上が年下に抱き潰せとか、いかがなものですか、と趙武はしらけた目を向ける。こんなバカバカしい壁ドンって約2500年後だってありやしませんよ。趙武は紀元前六世紀の人間としてなんとなく思った。

「……私、思うのですが。肛門性交に目覚めたのでしたら、傘下の方とか、そういった技術の奴隷であるとか、おられるでしょう。妻妾さいしょうの方と楽しむのも手だと思うのです。私が初めてだからと言って操を立てるようなあなたではないでしょう。ねえ、范叔。その扉をこじ開けたことに関しては私にも責はあるかもしれません。しかし、快楽を求めるのなら、私でなくとも良いはずです」

 別に私、特別上手ってわけでもないし。そう言い添えて、趙武は手で制す。が、壁と己で挟み込むように士匄がぐっと迫り込んだ。

「妻やしょうの手でなど、男の沽券に関わる。他のもので試そうとしたが、手をとられただけで気持ち悪かった」

 試そうとしたんだ、さすがチャレンジャー士匄さん。趙武は少しバカにした目で士匄を見上げた。士匄は気づかずさらに口を開く。

「お前が、まあ、マシだ。入れられる前は多少我慢できるし、とりあえずお前で気持ち良くなったのだから、これ以上他を探すのも手間だ。ゆえ、今夜にでも抱け、趙孟」

 士匄は切れ者で口も達者である。法制の家であるため儀礼も完璧、機知に富み機転も利く。が、舌禍ぜっかが玉に瑕であり、今も、ものすごい墓穴を掘っている。平たく言えば、あなた以外は体が受け付けないの、である。趙武は、偉そうに男らしくとんでもないことを言う先達を見上げて、肩をすくめた。据え膳を食わぬは男の恥、というわけではない。この男は己のルールに外れたことは許さない人間で、なおかつ根に持つとどこまでも怨む情の強さがある。理で動くくせにめんどくせえ。拒否すると逆恨みされ、何をされるかわからない。士氏は法制の家なのだ。冤罪で嵌めて族滅するくらいやりそうな、苛烈さもある。

「わかりました。今夜すぐですね。私の邸でよろしいですね。あと、前回の時、もう二度としないとあなたが言うものですから、私も次があれば、私の上で自分で入れて腰を振って下さい、と約束しましたよね」

 抱いてやる代わりに騎乗位をしろ、というえげつない趙武に、士匄は二度と無いからと約している。士匄が少し苦い顔をしたが、努める、と返した。士匄はもちろん、騎乗位などしたことがない。いつも趙武に体を投げ出し、快楽だけを享受している。

「少しくらいは、頑張ってください。私は棒ではないんです。えっと……あなたのオトコでよろしいでしょうか?」

 あなたは私のオンナですね、などと言おうものなら士匄は怒り散らすであろう。趙武は覗きこんで少し艶っぽく微笑んだ。

「わたしのオトコもくそも、お前は男だろうが」

 士匄がしょうもなさそうに言った。全く敬えぬ性格の人であるが、そういったところだけ尊敬しちゃうんだよなあ、と趙武は苦笑した。
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