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2章 バイト先で偶然出逢わない
2章06 4月30日 ④
しおりを挟む2年B組教室。
その戸をガラリと開いて、俺は視線を右から左へ動かす。
教室内の談笑の声が止んだ。
俺はまだ室内へ足を踏み入れずに、視線を左から右へと戻して、それからもう一度左へと振って視点を止める。
その位置にあるのは廊下側の最後方の座席。
そこには誰も座っていないし荷物が置かれている様子もない。
座席の主は教室内の何処にも居なかった。
どうやら敵はまだ来ていないようだ。
そこまでを確認してから俺はようやく教室に這入る。
油断なく室内を視界に収めながら後ろ手で戸を閉めようとして、止めた。
改めて室内を見渡し、進行ルートを選別する。
もしかしたら敵意を向けている人物がいるかもしれない。
そのように考えてクラスメイトどもの表情を観察しようとする。
すると、多くの者が明確にはこちらへ顔を向けないようにしつつもチラチラと視線だけは寄こしてきている。ヒソヒソとした話声も其処彼処から漏れ聴こえてきた。
チッと、舌打ちが出そうになるのを自制して、俺は結局いつものルートを選択して自席へと歩く。
「――よォ、浮気ヤロウ」
「…………」
教壇の上に足を乗せようとしたところで随分な挨拶をかけられる。
教壇の目の前の最前列に座るクズだ。
俺は無言のまま、だが足を止めてヤツをジロリと視下ろした。
「お、おい。やめとけよ鮫島……」
「アァ? だってほんとのことだろ?」
「ヤベェって……」
揶揄してきたのは鮫島で、その後ろの座席に座る須藤と小鳥遊が彼を止めている。
てっきり朝っぱらから喧嘩を売ってきたのかと思ったが、鮫島の顏を見る限りどうやら悪意はないようだ。
「なぁ、弥堂よ。バレちまったんだからもう謝っとけよ。その方がダサくねェだろ?」
「……まぁ、それは確かにそうだよな」
俺への鮫島の意見に、止めに入った須藤も同意する。
どうやらクズの分際でこの俺を諭そうとしているようだ。
もし次に何か機会があったら、この身の程知らずどもに冤罪をふっかけて指導室送りにしてやることを決める。
そんなことを考えていると、小鳥遊が何やら不安そうな顔をした。
「つか、よ? これって紅月とか蛭子とモメることになっちまわねえか?」
「あー……、あいつらの仲間にナメたマネしたって受け取られてもおかしくねえか……」
小鳥遊の懸念に須藤が納得の表情を浮かべると、鮫島がニヤリと笑う。
「ヘッ――そりゃオモシレエな。おい弥堂。もしそうなったら今回だけオマエの方についてやるよ。紅月とケンカ出来る機会なんて他になさそうだしな」
どんな状況を想定してそう言っているのか俺には理解し難いが、魔術だの陰陽術だのといった外法の技術を駆使しての殺し合いでは、少なくともお前のような素人に出る幕はない。
それをそのまま彼に伝えようとしたところで、別のことを思いつく。
念のため確認しておくべきかと思ったのだ。
一昨日の出来事の中で、野崎さんたち女子4人組は俺と希咲が付き合っているという誤認識を起こしていたようだった。
しかし、もしかしたらそれは彼女たちだけが普通にそう勘違いをしているだけで、水無瀬の件で起きている『世界』の辻褄合わせとは関係ない可能性もある。
この時点での鮫島たちの口ぶりを考えればその望みは大分薄いが、まだワンチャンあるかもしれない。
俺はチャレンジしてみた。
「おい――」
「アン?」
ガラの悪い返事をする鮫島に尋ねる。
「俺は希咲の彼氏か?」
「はぁ……?」
鮫島は「何言ってんだコイツ?」と言いたげな顔をした。
不可解そうに顔を顰めて何かを言おうするが、そこで鮫島はハッとなる。
「オ、オマエ……、まさか……?」
「なんだ?」
「ま、まさか、そもそも付き合ってねェから浮気じゃねェとか、そんな風に言い張る気か……⁉」
「「え――」」
戦慄した表情の鮫島の言葉に後ろの席の二人もギョッとした。
「さ、さすがにそれは苦しいだろ……」
「いくらなんでも……、なぁ?」
須藤と小鳥遊もそう言いながら、三人とも沈痛そうな面持ちで顔を見合わせる。
「待て。早合点するな」
俺は彼らの勘違いを正してやる。
いや、勘違いでもないが。
いや、勘違いではあるか。
もうわけわかんねえな。
どうやら今日も俺の希望どおりに『世界』は出来ていないようだ。
そのことがわかったので、割り切って軌道修正をすることにした。
「そんな浅はかなことを言う訳がないだろう。俺はそのもう一つ先を見ている」
「一つ、先……?」
三人がこちらへしっかりと顔を向けるのを待ってから、俺は適当に今思いついた考えを口にする。
「浮気じゃなければ付き合っていることにならない――そうは思わないか?」
「は?」
俺の論に低知能どもはその知能に見合った間抜けな顔をした。
「いいか? 女と付き合っている時に他の女に手を出せば浮気になるな?」
「あ? あぁ……、まぁ?」
「つまり、それが浮気ではないということになれば、そもそものスタート地点である付き合っているという事実も一緒に無かったことにならないだろうか? 逆説的に」
「は……? うん?」
「ぎゃ、ぎゃくせつ……?」
混乱した彼らは何やら相談を始めた。
「お、おい、須藤。アイツ何言ってんだ……?」
「い、いや、さっぱりわかんねえ……。小鳥遊、オマエは?」
「わからなくもねえ……ような気もしなくもないけど……。つか、それって要は女乗り換えただけって意味に聞こえるんだが……」
「ただのクソじゃね?」
「あぁ、クソだよな?」
「そうだよな。クソだ」
そのように見解を一致させた彼らは再び俺の方へ顔を向けてきた。
「どうだ?」
「「「わりぃ、クソだ」」」
一応聞くだけ聞いてみたが、彼らの答えは俺も薄々思っていた通りだった。
「やはりな。駄目か?」
「そりゃ、ダメだろ」
「そうか。通らないか?」
「いくらなんでもキチィって」
やはり彼らの認識も野崎さんたちと同じのようで、俺は希咲と付き合うことは避けては通れない運命のようだ。
思い通りにならなかったので俺は非常に気分を害した。
「チッ、役立たずどもめ。気安く俺に話しかけるな」
「は? なんでオレらキレられたん?」
「わ、わかんねえよ……」
「コイツやっぱビョーキなんじゃね?」
普段は喧嘩っ早い鮫島も困惑の方が勝ったのか、仲間たちとヒソヒソと言い合っている。
そんな彼らの態度が気に喰わなかったので、八つ当たりで一発殴ってやろうかと考える。
そんな時、ふと自分の横顔に視線を感じた。
「…………」
横を向くと、鮫島たちの隣の席の女子2人――早乙女と日下部さんが俺をジッと見ていた。
そんな彼女たちは、俺が眼を向けたことに気付くとハッとする。
わざとらしく慌てたような仕草で顔を逸らすと、チラチラと俺を見ながらこちらもヒソヒソ話を始めた。
クソが。
どうにも据わりが悪くなり、俺は無視してさっさと自席へ行くことにした。
その道すがら、教室の至る所からチラチラとした視線やヒソヒソとした声が感じられる。
水無瀬や希咲と関わったせいで、特にこの一週間ほどは他のクラスメイトどもに気安く話しかけられるようになり、俺はそれを迷惑に思っていた。
今のこの状況はある意味、それよりも前の元の状態に戻ったとも謂える。
だが、俺が望んでいたものは決してこのようなものではなかったはずだ。
言い様のない『種類が違う感』にイライラしながら俺は席に着き、教材の整理を始めた。
すると、野崎さんたち女子4人組が自席に座ったままでこちらへ顔を向けていることに気が付く。
彼女たちは揃えたかのようにほぼ同時に眉をふにゃっと下げた。
「「「「あやまろ?」」」」
「うるさいっ!」
声と、コテンと傾げる首の動作まで――
まるで訓練でもしたかのように合わせてきた彼女らに、俺は思わず声を荒らげながら机をバンッと叩いてしまう。
すると――
「――きゃっ⁉」
そんなか細い悲鳴が右隣から聴こえた。
声に反応して俺はそちらへ眼を向ける。
どうも俺が机を叩いたことで隣の席の空井さんを驚かせてしまったようだ。
彼女は椅子から転げ落ちてしまっている。
空井さんは気が弱く大人しい女子だ。
だが、だからといってそこまで驚かなくてもいいだろう。
彼女の姿を視た最初の感想がそれだった。
「あっ――」
「ん?」
そんなことを考えていると空井さんが小さく声を漏らす。
どうやら席から転げ落ちた衝撃で、彼女の机の上にあったタブレットの位置がずれて床へ落ちそうになっているのに気づいたようだ。
タブレットはゆっくりと斜めに傾き、それから落下を始める。
「――おっと」
俺は手を伸ばしてそれを受け止めた。
「空井さん。端末の無事を……、ん?」
後から損害賠償を求められては敵わないので、俺は端末に破損や故障がないことをこの場で持ち主に確認させようとする。
彼女へ声をかけようとした時に、端末の画面に映っているものに何となく気を引かれた。
「――いやあぁぁぁぁぁッ⁉」
俺の眼が画面に向くと、空井さんは普段の彼女からは考えられないような声量で悲鳴を上げて、バッと俺の手に飛びついた。
全身を使ってタブレットを俺から奪い返すと、そのまま腰でも抜かしたように尻もちをついてしまう。
しかしそのタブレットだけは守るように、腹に抱えて両腕で抱きしめた。
この騒ぎに教室中の注意が余計に集中した。
俺の動きをずっと追っていた野崎さんたちは空井さんの行動に不思議そうに首を傾げている。
だが、今の悲鳴のところからこちらを目に映した連中は眉を顰めていた。
この場面だけを切り取ったら、まるで俺が空井さんを襲っているように見えるのだろう。
またロクでもない目に遭いそうな予感はするが、俺の興味はそれよりも空井さんのタブレットに映っていたものに向けられていた。
ほんの一瞬しか視界に入らなかったので、はっきりとはそれが何だったのかわからない。
だが、俺のこの眼は【根源を覗く魔眼】の名を持つ魔眼とかいう如何わしい代物だ。
俺の眼はその【根源を覗く魔眼】の中でも特別製で、霊子を観測することが出来る。
そしてその副産物として霊子で構成される全ての存在の根幹とも云える“魂の設計図”を視ることが可能となるのだ。
“魂の設計図”にはその存在の総てが記されている。
当然、記憶も。
他人のそれを詳細に読み解くことは俺の脳のキャパシティを超えるようで出来ないのだが、しかし自分のものは違う。
俺は自分自身の“魂の設計図”を視ることによって、自分が見聞きし知覚した全ての記憶をいつでも詳細に視直すことが出来るのだ。
その記憶の中に記録された、空井さんのタブレット端末に表示されていたモノを視る。
それは、どこか滅茶苦茶に複数の線が絡み合った図形のように俺には視えた。
何故そんなものに興味を持ったかというと、この【根源を覗く魔眼】で視界に入った生物以外の他の物体も視ようとすると、こんな風に滅茶苦茶な線が入り乱れたように視えるからだ。
だから、それに何となく似ているような気がしたから気になっただけで、他には特に理由はない。
そして、実際に空井さんの端末に表示されていたものも、ぱっと見で似ているように見えただけで、俺の眼に映るそれらとは全く似て非なるものだった。
空井さんの端末に表示されていたものは、どこか絵のように視えなくもないが、俺には視ても何がなんだか理解出来なかった。
本当に役立たずの目玉だ。
しかし、一ヶ所だけ俺にもわかる部分があった。
無数の線で描かれた何かの横、画面の端の方にほんの一文だけ日本語の文字がある。
その文章が何と書かれているのかはわかる。
だがやはり、俺は眉を寄せてしまった。
文字は読めるがその意味を理解出来ない。
「あ、あの……?」
俺が難しい顏をして黙っているので不審に思ったのか、空井さんが床に尻をつけたまま俺を見上げてきた。
俺は彼女に返事をしようとしたのだが、記憶の映像に集中していたこともあって大分そちらに気を取られていた。
だから、つい、うっかり、今しがた視ていた文章をそのまま口に出して読んでしまう。
「――オマエがママになるんだよ。孕めオラァ……?」
「ひっ――⁉」
俺がそれを発音すると教室中がギョッとし、そして空井さんはサァーっと顔を青褪めさせた。
ざわざわと騒めきが増していく。
しまった。
俺は自分が極めて不適切かつ不健全な発言を女子にしてしまったことに遅れて気が付く。
だが、それは別にいい。
よくはないが許容内だ。
何よりマズイのは、このままでは周囲の俺に対する認知が――
――希咲 七海と付き合っているのに彼女の旅行中に浮気をし、それを追及された翌登校日に隣の席の女子を強姦し妊娠させようとした男――
――という風に変わってしまう。
空井さんを無理矢理孕ませようとしたと思われるだけならまだ許容できるが、それ以外の部分が付随してくるのは看過できない。
先程興味を向けていた空井さんのタブレットに映っていたものなど頭から吹き飛ぶ。
なによりもまず、彼女を席に座らせ落ち着かせなければならないと判断する。
「空井さ――」
「――い、いやぁ……っ、いやぁ……っ。ママになるのはいやぁ……っ!」
「…………」
しかし、空井さんはすっかりと怯えてしまい、尻もちをついたまま両手で頭を抱えて震えている。
彼女が譫言のように繰り返す言葉がさらに誤解を助長させていくので、せめて黙ってくれないかと思ったが、それは難しいようだ。
すると、カラカラと静かに戸が閉まる音がする。
俺が開けっ放しにしていた戸を、野崎さんが代わりに閉めてくれたようだ。
便利な女だ。
そこで俺は思考を切り替えるために嘆息し、そして諦めることにした。
「失礼」
「えっ――」
俺は空井さんのスカートを掴んで、スッと引く。
転んだ表紙に捲れたままだった彼女のスカートを直し、大人しい彼女には似つかわしくない少々攻撃的な黒いおパンツを隠してやった。
「出席番号14番 暗尹 冬憂――」
「は、はい――っ!」
そして空井さんの後ろの座席に座る暗尹さんに声をかけた。
彼女は反射的に強張った声で返事をする。
「すまないが空井さんを助け起こしてやってくれないか?」
「え……?」
「俺だと彼女を恐がらせてしまう。頼めないだろうか?」
「あ……っ。はい、わかりました――」
事情を呑み込んでくれたようで、暗尹さんは慌てて席を立ち空井さんに駆け寄る。
「蒼ちゃん、大丈夫? 立てる……?」
そして空井さんへと手を差しのべた。
だが――
「――も、もうおわりよ……。脅されて、身体を求められて……、写真と動画撮られて……、また脅されて……。もうママになるしか……」
「蒼ちゃん⁉」
どうやら空井さんはまだ正気にはかえらないようだ。
将来に絶望したように虚空を見つめながらぶつぶつと意味のわからないことを呟く彼女の様子に、暗尹さんがびっくり仰天している。
空井さんのことは彼女に頼んだので、ここから先のことはもう俺には関係ない。
自分の席に戻り授業の準備をすることにした。
その作業はすぐに終わってしまったので、現状について考える。
朝からどうも調子が悪い。
何をやっても上手くいかずに、わけのわからないことになる。
そんな気がしてしまう。
わけのわからないこと――
思えばケチが付き始めたのは4月16日の放課後からだ。
文化講堂の廊下で法廷院たちとモメた時のことが頭に浮かぶ。
希咲だ。
全てあいつのせいだ。
あいつは存在しているだけで俺に不都合を齎す――そんな存在に違いない。
俺はこの教室にはいない希咲への憎しみを強める。
絶対にこのままでは済まさんぞ。クソ女め。
「ごめんね……? ごめんね、冬憂ちゃん……。私、写真で脅されて、友達紹介しろって……、それで仕方なく……っ」
「あ、蒼ちゃん? さっきから何を言ってるの?」
グスグスと泣きながら何かを釈明する空井さんの声が隣から聴こえる。
どうやら暗尹さんはようやく彼女を席に座らせることに成功したようだ。
どうでもいい女の啜り泣きを聴いたことで、俺も少し頭が冷える。
冷静に、建設的に思考をするべきだ。
HRの開始まではもう時間がない。
希咲は今日も登校しないのだろうか。
異世界で四六時中誰かに狙われていた経験があるせいで、すぐ傍に敵が居ることよりも、敵の姿が見えないことの方に俺は焦りを感じてしまう。
眼に視える場所に敵が居ないと落ち着かない。
全くを以て健全な人間の思考ではないし、事を上手く運ぶためにもよくない癖だ。
だが、自分がそういう性質だと自覚出来ていればまだ大丈夫だ。
少し冷静さを取り戻した。
あの女が学園に来なかったとして、その理由はなんだろうか。
前回のあれで俺のことを誤魔化し通せたとは思えない。
俺のことは後回しにして、外でずっと水無瀬を探し回っているのだろうか。
何にせよ、色々と時間の問題になってしまう。
もしも希咲が闇雲に水無瀬を探し歩いているのなら、馬鹿な女だとは思うがしかし、このままずっと探されるのも少々マズイ。
狭い街だ。
いつかは見つかってしまうだろう。
そして時間の問題なのは俺の方も同じだ。
目の前のことだけを考えれば、希咲と接触しないで済むのは俺にとっては都合がいい。
しかし、それはいつまでも続けられることではない。
仮に希咲からの追及を躱し続けることが出来たとしても、それを続けられるのも水無瀬が退院するまでだ。
このまま時間稼ぎを続けたとして、水無瀬を学園に戻した瞬間にそれらは全て破綻する。
だから結局、水無瀬が退院するまでに希咲や紅月たちとのことを解決する必要がある。
では、解決とはどういったカタチが考えられるか。
まず一つめ――
従来通りの水無瀬を学園に戻すプランの場合。
これを選ぶのなら、最低でも希咲を含む“紅月ハーレム”に所属する人員を皆殺しにする必要がある。
これは難易度が高い。
他にバレずに“紅月ハーレム”の6人を殺せればそれでいい。
しかし、連中の関係者にバレればバレただけ殺さなければならない人間が増えていく。予想されるその最大数はこの国だ。
正直現実的な話ではない。
では二つめ――
俺たちが他所へ逃げることだ。
こちらの方が効率がいいし、生存率も上がる。
実際俺はもうこちらを選ぶべきだという考えに傾いている。
希咲たちとのことをどうにか出来たとしても、水無瀬のことが国などにバレるかバレないかという問題は今後一生付き纏う。
恐らく夜逃げをして他所の土地に行ったとしてもそれは変わらない。
“退魔士”というのが国の治安維持や防衛の仕組みの一部なのだとしたら、結局どこに行っても同じことなのだ。
それは国外逃亡したとしても同様の可能性が高い。
そうなると完全なる解決とは、人類を滅亡させるか世界征服を達成するかという話になってしまう。
ならば、完全な解決はとりあえず諦めるべきだ。
結局いつも通り、騙し騙し、殺し殺しでやっていくしかないということになる。
(じゃあ、そうするのに必要なモノはなんだ?)
考える。
すぐに思いつく。
(ケツモチが必要か……)
国内で一般人に紛れて生活をするなら、“退魔士《エクソシスト》”を管理運営する者の中でそれなりの地位のある者。
逆にそれらに追われて国内で生きるなら、そいつらと敵対している組織との伝手。
国外に高飛びするなら、各国に拠点を持つような犯罪組織が好ましいか。
そう考えると――
(失敗したな……)
――心中で舌を打つ。
今それを言っても仕方ないし、当時の俺には裏社会の情勢など知る由もなかった。
だが、取り入るなら皐月組より外人街だったな。
今からでも出来るか?
無理か。
外人街の連中はそれなりの数をもう殺ってしまった。
多分難しいだろう。
あるいは外人街と敵対する地回りのヤクザである皐月組の親分か、その息子の惣十郎の首を土産に持っていけば可能だろうか。
一応選択肢として持っておくか。
あいつらの首を獲るだけなら、やろうと思えば出来る。
(ただ――)
どれを選ぶにしても、やはり当座の資金は必要になる。
結局そこに行き着く。
このG.Wが勝負になるか。
その期間で希咲たちをやり過ごしながら纏まった金を得る。
これに関してはその後でどう転ぶにせよ、予定通り進める方針で構わないだろう。
そこまで考えをまとめたところで時計塔の鐘が大音量で鳴らされる。
反射的に跳ねそうになった肩を自制心で抑え込む。
HR開始を報せる鐘だ。
何度聴いても喧しくて不愉快な音だ。
もう一度時計塔ごと爆破してぶっ壊してやろうか。
そんな考えが頭を過ぎるが、今そんな目立つ行動を起こすわけにはいかないことにすぐに気が付く。
それも希咲のせいだ。
俺が壊したい物を壊せないのも、鐘の音が煩いのも全部希咲が悪い。
(クソ女め……! あいつさえいなけれ――)
希咲への怨嗟を腹の底で煮えたぎらせているとその時――
鐘の音が鳴り終わったと同時に、ガラっと大きな音を立てて教室の戸が開かれた。
「みなさん、おはようございま――⁉」
教室に入るなり元気いっぱいに挨拶の声を上げようとしたのは担任教師である木ノ下 遥香だ。
だが、彼女のその声はガシャッガターンという派手な音に遮られる。
それは俺の左隣の座席が倒れた音だ。
何故そんな音がしたかというと、急に開いた戸の音につい反応してしまい、反射的に俺が床に身を投げ出したからだ。
バッと横に転がったらすぐ隣にあった元水無瀬の机にぶつかって、それごと窓際の壁に激突した。
これは異世界にて全人類の敵となって追われていた時に染みついてしまった癖なだけで、決して希咲が登校してきたのかとビビったわけではない。
それにこういった身の躱し方が意識しなくても出来るようにと、エルフィに仕込まれたせいで無意識に反射で行ってしまうようになったのだ。
つまりあいつが悪い。
俺はポカーンっと絶句する教師や他の生徒たちの視線を無視して無言で水無瀬の机を直し、それから自席に座り直す。
木ノ下教師は俺に何かを言おうとするが、目の前に居た鮫島がそれを制するように力無く首を横に振った。
すると木ノ下教師は沈痛そうな面持ちで口を噤み、トボトボと歩いて教壇に昇る。
そして何事もなかったように野崎さんが号令をかけて挨拶を済ませた。
それから俺のことには一切触れずに木ノ下教師は出欠確認に移った。
俺はその声を聞き流しながら、可能な限り自我を薄めて外の『世界』への影響を切る。
もしも途中から希咲が登校してきた場合に、どう対応するかのシミュレーションを頭の中で開始した。
そうして今日の学園が始まり――
――そして希咲が現れないまま終わった。
その放課後――
――弥堂は学園から下校している。
予定としてはこの後は愛苗の見舞いに行く予定なのだが、そのまま病院へ直行はしない。
尾行された場合に途中でそれに気づいたとしても、向かっていた方向から愛苗の居場所を予想されてしまう可能性がある。
だから一度自宅に戻り、尾行の有る無しを確かめてから向かうつもりだ。
その為、病院とは逆方向の自宅方面へ国道を進む。
そうして国道に沿って“MIKAGEモール”を過ぎて新商店街を取り抜けようとしたところで――
《――少年ッ! 尾けられてるッス……!》
唐突にメロからの念話が入った。
学園での昼休みの時間にメロとの定時連絡を行った。
その際に、放課後に合わせて学園に来て、距離を置いて自分を尾行するよう彼女に命じていたのだ。
敵の姿が見えないことで一日ずっとイライラしっぱなしだった弥堂は、尾行の存在を聞いて急激に精神が安定する。
魔力を使い過ぎないよう注意しながらメロへと念話を返した。
《相手はどんなヤツだ?》
《そ、それが……っ》
そう尋ねるとメロは口ごもる。口ではないが。
しかし、彼女のその反応で弥堂は追跡者が自分の想像どおりの相手であることを確信した。
《尾けてるのは――ナナミッス……!》
《そうか》
どうでもよさそうに返事しながら進路を変えることを決める。
《ダミーのヤサに向かう。その後部屋で少し時間を潰して希咲が居なくならないようなら、次は買い物を装って“はなまる通り”へ向かう》
予定の変更を伝えるがメロからの返事はない。
《おい》
《どどどどど、どうしよう……ッ⁉》
メロは既にテンパっていた。
(チッ、素人が)
弥堂は念話には乗せずに舌を打つ。
《ど、どうせ少年の心配しすぎのメンヘラ仕草だと思ってたのに、本当にナナミが来るなんて……》
《落ち着け》
本音では厳しく叱責したいが、それで余計に余裕を失ってしくじられても困るので、弥堂は冷静に必要なことを訊いていく。
《希咲の様子は?》
《しょ、少年の後を着いて来てるッス……!》
《武装や仲間の存在は?》
《な、仲間は多分いない……っ。武器とかは持ってなくて、普通の私服で普通に歩いてるッス》
《そうか》
弥堂は自宅の方へ通じる角を通り過ぎ、自然な動作のまま違う方向へ曲がりメインストリートを外れる。
少し歩いて――
《――着いて来ているか?》
《うん。完全に少年を尾けてるッス》
繰り返し会話を熟したことでメロの口調に落ち着きが戻った。
弥堂は次に必要なことを確認していく。
《近付きすぎるなよ》
《わかったッス》
《視線は俺に向けろ。希咲の姿を視界に常に収めておくようにしながら俺を見ろ》
《う、うん……》
《絶対にあいつに直接視線を向けるな。尾行がバレる時はそういうことで違和感を持たれることが多い》
《わかったッス》
《念の為確認するが、これを使ってることで魔力が関知されることは?》
《それは大丈夫ッス。ジブンみてえな弱いヤツはそういう隠蔽は得意ッス! アス様クラスに魔法が使えるとかじゃなければ早々バレないッス!》
《そうか。お前の周囲や背後も気にしろよ。今お前がそうしているように、あいつを尾行する仲間がいないとも限らない》
《それも任せろッス!》
そこで会話を打ち切って、歩きながら考える。
(それにしても――)
弥堂は尾行の存在にまるで気が付かなかった。
こうしてその存在を知らされた後の今も、背後の彼女の気配を掴めない。
弥堂にそういった気配を看破する特殊技能があるわけではないが、しかしそれでも相当の手練れか、あるいは何かタネがあるのではと思える。
もしも尾行をしてくるとしたら――と、弥堂が想定した相手は希咲だけではない。
そういった可能性のある連中に、このような技能に特化した者がいる可能性もあると警戒をしていた。
もしかしたら気付かぬうちに既に何回も尾行されていることすらありうると。
だから念の為、使い魔に自分を尾行させて、それによって尾行の存在を炙り出そうと画策したら――
その初回で見事に本命が釣れた。
(さて、面倒なことになったが……)
せっかくなので、このまましばらく希咲を引き連れて歩き、適当に揺さぶって少しでも手の内を引き摺りだそうと決める。
(ナメたマネしやがって。タダで帰れると思うなよ――)
決して背後に伝わらないようにそう意気を巻いた。
そうして歩く弥堂の後方――
一定の距離を空けて目立たぬようにしながら、希咲は後を尾けている。
静かな歩調で、静かな仕草で、静かな足音で。
その表情も静かなものだった。
しかし、その心中は――
(――どどどどど、どうしよう……っ⁉)
――決して静かなものではなかった。
何故か尾行をしている側のはずの七海ちゃんも、その背後に潜むネコさん同様にテンパっていた。
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こんな感じで2人で旅立ち、共に戦い、時にはHして強くなっていくお話しです。

職種がら目立つの自重してた幕末の人斬りが、異世界行ったらとんでもない事となりました
飼猫タマ
ファンタジー
幕末最強の人斬りが、異世界転移。
令和日本人なら、誰しも知ってる異世界お約束を何も知らなくて、毎度、悪戦苦闘。
しかし、並々ならぬ人斬りスキルで、逆境を力技で捩じ伏せちゃう物語。
『骨から始まる異世界転生』の続き。
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