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2章 バイト先で偶然出逢わない

2章05 嘘と誤認のスパゲッティ ⑧

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 夜――

 自宅にて。


 ガムテープで固定されたテーブルの上、弥堂はタンッとエンターキーを打鍵する。


「……やはり駄目か」


 バイトで割り振られた仕事をやってみたが、エアリスが言っていたとおり、検索してもホシの情報は何も出てこなかった。


 弥堂はすぐに諦めてPCを閉じると、息を吐いて天井を見上げた。

 体重を預けたパイプ椅子の背もたれがギシっと鳴る。


「さて、どうするか……」


 収入のことを考えたらエアリスの要望通り、早めに彼女にネット環境を与えるべきだろう。

 このままでは今までの仕事を熟せない。

 弥堂がリモートで浮気の証拠集めのようなことが出来ていたのは、完全にエアリスありきだということがわかってしまった。


 だが――


(――あいつは信用できない……)


 眼を細め、リスクとリターンを測る天秤がどちらに傾くかを視る。


 Y'sの正体はエアリスだった。

 霊子を観測出来る弥堂と契約状態にある聖剣の管理人格。

 その副次的な効果として彼女は霊子の操作ができるようになり、さらに偶然にもその力を利用して電子機器の乗っ取りが出来るようになった。

 それはインターネットを介して行うことが出来る。


 しかし、それだけでは説明が出来ないこともある。


 例えば4月22日の夜の学園での戦闘。

 あの時に使った時計塔の屋上の電流トラップ――

――あれはY'sに用意させた物だ。


 エアリス自身が例として自転車を動かす時の話をしていたが、彼女に出来るのはあくまで電気信号を送ってそれで動作をする機器を操ること。

 さらにインターネットに繋がっていないと弥堂の所持品以外の物には侵入・干渉が出来ない。

 直接的に物理的な現象を起こすことは出来ないはずだ。


 だが、時計塔の屋上に有刺鉄線を張り巡らせたり、それを盗品のバッテリーと繋いで遠隔で動作する仕掛けを作ること――

――それには実際の人足・労力が必要となる。

 オンラインだけで完結出来る仕事ではない。


 他にも、どうやって弥堂を介さずに廻夜部長とコンタクトをとったのか。


(……いや、それはやろうと思えばできるのか……?)


 何にせよ昼に聞いた彼女からの説明だけでは辻褄が合わないものがある。


 では、何故それを弥堂が直接エアリスに追及しなかったのかというと――


 それは信用を測ったからだ。


 まず、彼女は自分がY'sであることを、こちらから聞かなければ言わなかった。

 次に、聞いてもすぐには答えず渋るような態度を見せた。

 そして、結局は答えたが、それでも全ては言わなかった。


 もしかしたら聞けば答えるのかもしれないが、そうでなければ黙っていることもあるのだろう。

 何を言って、何を言わないか。

 その基準を設けているのは弥堂ではなく、彼女自身で設定した基準があり、そして彼女はそれに従って行動をする。


 それがエアリスという存在だ。


 彼女は聖剣だ。

 その持ち主は勇者である。


 彼女は聖女だ。

 それは勇者に付き従う者である。


 他にも“お姉ちゃん”だの“アナタのモノ”だのと、まるで弥堂を全肯定し崇めるようなことを口にしてもいたが、それを弥堂が真に受けるわけがない。

 彼女が言っているような100%の味方などではありえないのだ。


 だが、かといって敵だとも思っていない。

 結局のところ彼女は弥堂を介さなければ『世界』に影響をすることは出来ないのだから。

 そして、聖剣も聖女も、勇者が居なければその存在価値が発生することはない。


 聖剣エアリスフィール。

 弥堂が今代の聖女であるシャルロットから手渡されたモノ。


 異世界での始まりから最後――そしてその後の今日のこの日まで。

 ずっと自身と共に在った聖剣に全くの愛着がないわけではない。


 少しはそんな気持ちを感じてもいる。

 弥堂のような人間失格にもそのくらいの機能はかろうじて残っている。


 だが――


(――人格は邪魔だ)


 それがあるのならば話は全く変わってくる。


 道具は道具であるべき。

 弥堂はそのように考えている。


 ただ使用者の意思に応じて機能を発揮すればいいだけなのだ。

 そこに他者の人格などが介在すれば意思が混ざる。


 たとえエアリス自身に敵意も悪意も翻意も無かったとしても。

 彼女自身の意思によって行われたことが、使用者である弥堂のそれと乖離することはいくらでもある。

 それが起こることは決して免れない。


 それは時に都合よく働くこともあるかもしれないし、逆が起こるかもしれない。

 どちらが起こるかはその時まではわからない。


 そんな風に、必要な時に一定の性能を発揮してくれない道具など信用できるはずがない。

 弥堂 優輝にとって、他人の人格など目障りで邪魔なだけのモノなのだ。


(――必要ない)


 と、すれば――


「…………」


 シーソーのように左右に交互に傾く天秤を見つめる。


(――わかっている)


 必要なことは全てやるしかない。

 100%自分の意思を反映出来る道具など自分自身しかないのだ。

 これまでと同じで、これからも同じだ。


 テーブルの上のマグカップに視線を遣る。

 湯気はない。


 それを手に持ち口元に寄せる。

 一口含んでまたカップをテーブルに戻した。



 やらなければならないこととは――


 思考を切り替えると、自然とそれが頭に浮かぶ。

 それは今飲み込んだモノよりも遥かに苦いモノだ。


(おのれ……っ。希咲 七海……!)


 ギンっと目玉に必要以上の魔力がこもる。


 明日より仮にどこかで希咲 七海に遭遇した場合、弥堂は彼女の彼氏として振舞わねばならない。

 それはとても業腹なことだが、その事実と必要性が存在するということはどうにか受け入れた。

 あとは実際に実行するだけだ。


 そんなことが出来るかと――怒りのままに突っぱねたくなるが、しかしここは冷静にならなければいけない。

 仮に自分がそれを失敗すれば、水無瀬 愛苗を守るという目的も失敗することになりかねないからだ。


 弥堂 優輝という存在は目的を達するための装置であり、道具だ。

 ならばそこに弥堂自身の意思や感情などは必要ないはずなのだ。


 このような問答は数年前に異世界にてとうに通過したことなのに。

 まさか今更この日本でもう一度繰り返すことになるとは思いもよらなかった。


(一旦、感情を切り離せ)


 自身にそう命令する。

 希咲の恋人として振舞うことに対する自分の感情とは別に、そもそもそれが実行可能なことなのかどうかを作業的に考えてみる。


 弥堂は演技というものが得意な方ではない。

 局所的に嫌がらせや詐欺行為を行う時に少しは出来る程度のものだ。


 ただ一言二言嘘を言えば終わりというものでもなく、それなりに中長期に渡って継続しなければいけないことも問題だ。

 そして一番の問題は、ターゲットである希咲が『そもそも付き合ってないし』という事実を正確に理解していることである。

 そんな女の前で、自分は彼女と付き合っていると言い張り続けなければならない。

 事実を認識してはいけないし、説得されてもいけない。


「こんなもんできるわけあるか……!」


 やりたい、やりたくないという話以前に相当難しいことのように思えた。

 そして、現実として弥堂自身その行為に対して非常にネガティブだ。


 成功、失敗の結果を度外視してそれをするだけなら、感情を抑圧して行うことは出来るといえば出来る。

 しかし、それをするにあたって怒りなどの感情が湧くのもまた事実だ。

 現実的に考えるならそれも事実として認めなければならない。


 そうなった場合、感情的になってパフォーマンスが落ちることをわかっていながら、成功する確率がとても低い難題に挑むということになる。

 どう考えても上手くいくはずがない。


 人間もエルフも騙して魔族にぶつけて潰し合いをしている間に単身で魔王の首を獲りに行く。

 たまたま偶然運よく成功してしまった異世界での戦争だが、あれよりも遥かに難しいのではないかと思ってしまう。


 自分が成功している絵がまるで浮かばない。

 うっかり希咲を殺してしまいそうだ。


「駄目だ……っ。くそっ、どうすれば……!」


 途方に暮れそうになった時――


『――修練でしか己を高めることはできません』


――脳裡に響いたその声に弥堂はハッとする。


 お師匠さまの声だ。


『出来るまでやれば出来るのです』

「エルフィ……、そうか……、そうだな……」


 自分に殺しの技を与えてくれた記憶の中の彼女の声に光明を見出した。

 ぶっつけで成功する見込みがないのなら練習をするしかない。

 迷いのあった弥堂の瞳に意思の力が戻る。


『い、いえ、こんなおかしなことをするのにどんな練習があるというのです……』


 何か追加でそんな声も聞こえたがどうせいつもの幻覚だ。

 無視をする。


『聞いているのですかユウキ? こんなバカなことはやめなさい。どう考えても破綻しています』

『いやいやなんか面白ェからやらせてみようぜ。アタシはこのバカが痛い目見るとこを肴に一杯やりてェ』

『黙りなさいルビア。殺しますよ』


 勝手に現れた幻覚同士が何やら言い合いをしている。


『いいですか? ユウキ。どうしてもマナを見捨てられないのなら彼女を連れてすぐに夜逃げするべきです。そうでないのなら、ナナミに全てを打ち明けて協力を仰ぐのです。情に訴えれば彼女は利用できます』


 メイド女がクドクドとお説教を始めたが弥堂は耳を貸さない。

 しかしそこにいるのならちょうどいいと、席を立って彼女の方へ近寄った。


『聞いているのですか? ナナミのようなタイプの女は情を切り離せません。そこにつけ込めば情報を抜くくらいは――』

『おい、やめろや。これ以上このバカの被害者になる女を増やすんじゃあねェよ』

『そんなことを言っていられるのは平時だけです。こうなった以上は話が変わります。まずはユウキが生き残ること、が……?』


 ルビアに向かって勢いよく喋っていたエルフィーネの口が止まる。

 弥堂が彼女の目の前に立ったからだ。


『え? えっ……?』


 いつもは幻覚だ幻聴だと無視をされるか、たまに話しかけてくれても朧げに視線を合わせるだけだった。

 そんな弥堂がこんなにしっかりと彼女の目を見て、こんなにも近くに立つことなどこれまでになかったので、キャリア50年以上の陰キャ女はキョドった。


「エル。俺の声が聴こえるか?」

『は、はい……っ!』


 あまりに真剣な声音で名前を呼ばれ、敬虔で一途な修道女の肩に力がこもる。

 弥堂はかつての恋人で死に別れた彼女へ真っ直ぐに瞳を向けた。


「俺はお前が好きだ」

『え――』


 突然の告白にエルフィさんの頭が真っ白になる。

 生きて共に過ごしていた時も、彼はこんな風にストレートに好意を言葉にしてくれたことなどなかったからだ。


『……わ、わたしはっ……、貴方にそんな風に言ってもらえる資格なんて……っ! でも……、うれしい……っ、うれしいです……っ!』


 一撃で感極まったメイドさんはポロポロと泣きだす。


『だ、だけど……っ、ごめんなさい……っ。私、あんなことを……っ。でも、しかたなかったんです……! 貴方に生きていてほしくて……! それでも私は許されないことをして……っ! だからやっぱり……、ごめんなさい……っ』


 しかし彼女はメンヘラさんなのですぐにネガティブなことを言い出した。

 メンヘラは唐突に嬉しいことがあってもメンタルがもたなくなるので、やっぱりヘラるのだ。

 ひたすらに「ごめんなさい」を連呼するマシーンと化す。


 そんな彼女を弥堂はジッと視下ろし――


「――ふむ。まぁ、こんなもんか」

『……え?』


 一定の満足感を得たようにそう呟いた。


「とはいえ、こいつはどうせ恋人だったしな。愛を囁くのに特に抵抗もないし、特に何の感情も浮かばない。実にイージーな女だ」

『は……? え……?』


 理解しがたい感想のようなものを聞かされ、エルフィさんは涙を流しながら茫然としてしまう。


「よし、では次だ――」

『つ、つぎ……?』

「次はそうだな……。ルナリナあたりでいいか。あいつくらいがちょうどいい女だろ」

『ちょうど、いい……? ユ、ユウキ……?』


 死に別れた恋人の呼び掛けを無視して、弥堂は記憶の中に記録された大魔導士ルナリナの姿を視る。

 すると、光の薄れた瞳のエルフィーネと若干被るようにして現れたルナリナの姿を幻視した。


『ユウキ……? あの……?』

「あ? なんだ? お前まだいたのか?」

『えっ⁉』


 およそ恋人とは思えないような冷たいことを言われてメイドさんはビックリ仰天する。


「お前の番はもう終わっだろ。邪魔だからどいてろ」

『ば、番……? じゃま……?』


 彼の言っていることが何も理解出来なかったが、エルフィさんは基本的には従順な女なので、よろめきながらも言われたとおりに横に何歩かずれる。

 その様子を緋い髪の女が白けた目で見ていた。


「さて……」


 改めて弥堂はルナリナに眼を向ける。

 こちらはエルフィーネやルビアと違って静止画だ。


 大魔導士ルナリナ。

 彼女は一応弥堂の妻のような女だ。

 お互いにそういった感情はないが書類上そういうことになっている。だが、何故か肉体関係は多少ある。

 そんな女だ。


 弥堂は彼女のことはそんなに嫌いではない。

 言動や声が耳障りで出来れば会話はしたくないが、彼女は実家が太いし、彼女自身も立場や収入が高い。

 それに悪魔を使っての実験や禁呪の開発などを手伝ってくれもした便利な女だ。

 性格が好きでないことと、最後の戦いで邪魔をしてきたことが気に喰わないが、総合的に判断すれば自分は彼女のことが好きだと謂える。

 そのように自己診断をした。


 だが――


「……なんだその生意気なツラは? ムカつくなお前」


 目の前に立つ彼女の表情にケチをつけた。


 それもそのはず。

 ルナリナは基本的に弥堂の前にいる時はこのような不機嫌な顔をしていたことが多い。

 だからこの表情が一番印象に残っているのだろう。


「もっと練習しやすい顏になんねえか……」


 そう考えながら別の記憶を探ると、目の前のルナリナの映像が別のものに変わる。

 今度は嬉しそうな笑顔を浮かべていた。


 これは彼女が趣味で書いていた処女の妄想小説が書店の一次審査を通過した時の顏だ。

 元々彼女自身で応募したものではなく、弥堂が勝手に彼女の作品を送ったのだ。

 生意気なこの女がムカつくから彼女の趣味を貶めてやるために彼女の作品を勝手に送って、箸にも棒にもかからずに審査に落ちればいいと画策したのだ。

 しかし、それが何かの間違いで一次審査を通ってしまい、当時の弥堂はとても悔しい思いをした記憶が残っている。


 彼女のこの笑顔を見ているとその時のことを思い出して多少腹も立つ。

 だが、その後の二次審査で審査員にボロカスに貶されて彼女が号泣したことも知っている。

 なので、その事実を以て留飲を下げた。


 弥堂はそんな自分の元妻を視つめ、そして練習をする。


「ルナリナ。好きだ」


 自分の目の前で別の女に告白をする恋人を見たエルフィさんはガーンっとショックを受けた。

 そしてその場で崩れ落ち、メソメソと泣き始めた。


『あーあ、これもう今日は使い物になんねェわ。そういうことすっからコイツがこんなメンヘラになったんだって言ってんだろ』


 弥堂はかつての保護者のような女の言葉を無視して、今の自身のプレイについて分析をする。


「特に何も思うことはないな。嘘だから何とでも謂えるというのもあるが、まぁ、ルナリナだしこんなもんか……」


 余人には到底理解が及ばないが、現在彼が行っているのは“VS希咲 七海”に向けた恋人プレイの練習だ。


『出来るまでやれば出来るのです』というお師匠さまのお言葉に従ってストイックに修練を重ねている。

 そのお師匠さまは床に蹲って号泣しているが。


 ここまでは順調だ。

 しかし本番はアウェーでの一戦となる。

 より強靭なメンタルが求められる。



 ルナリナの幻影が消え、入れ替わるように現れたのは純朴そうにはにかむ少女――聖女シャルロットだ。


 弥堂は少しハードルを上げて、自分と恋人でもなく肉体関係にもなかった女をチョイスした。


『オマエこんなことに嬢ちゃんを使うなよ、ほんとクソだよな』


 ルビアが呆れたように言うが、幻聴なので弥堂には聴こえない。


 シャルロットは足首までを覆う白い法衣のスカートを指で摘まんで少し持ち上げている。

 これは旅の途中に川近くでキャンプをした時の場面だろう。

 ブーツを脱いで川に素足をつけた彼女が水の冷たさに驚き、その様子を弥堂に見られてしまって少し恥ずかしそうにはにかんでいる瞬間だ。


 彼女の顏の周囲に舞う水飛沫が太陽に反射して煌めき、彼女の笑顔を輝かせている。

 普段は厳重に隠れていて見えない聖女の白い膝小僧が外気に晒されていた。


『性癖漏れてんぞ。キメエな』

「…………」


 そのような事実はないので幻聴だ。


 シャルロットの前に立つと自分の身体が僅かに緊張したことを弥堂は自覚した。


「シャロ。キミが好きだ」


 だが躊躇わずに言葉を口にした。

 そしてすぐに自身のパフォーマンスの寸評に移る。


「シャロが相手だと少々気恥ずかしいものはあるな。だが、どうということもない」


 彼女の信じる神は色々とNGが多いが、シャロ自身は割と弥堂が何を言っても許してくれた。

 彼女はクソガキの初恋の人でもあるし、やはりイージーな女だった。


『オマエよ……、それ直接言ってやればよかったのに……。嬢ちゃんも可哀想に』

「うるさい黙れ」


 初恋の女の子の思い出画像を消して、弥堂は深く息を吐いた。


「……ここからが本番だ――」


 覚悟を決めるように呟く。


 次に現れた女は、弥堂がこの世で最も嫌いなイカレ女だ。


『オ、オマエ……、そこまでやんのか……⁉ バカなんじゃねェの⁉』


 流石のルビア姐さんも慄いた。


「俺は目的の為なら手段を選ばない……! 俺は今こそ、お前を超えてみせる……!」


 弥堂は悲愴な覚悟を秘めた瞳で、挑みかかるようにセラスフィリアの静止画を睨みつける。


「この女を相手に恋人プレイが出来れば……、俺はこの『世界』の全ての女に愛を語ることができる……っ!」

『ただのクズじゃねえか』


 弥堂は保護者にジト目で見守られながら、真・初恋の女に向かい合った。


 怜悧な美貌。

 セラスフィリアのすまし顔を眼に入れただけで、緊張どころか殺意が湧き上がる。


『ユ、ユウキ……、憎しみに囚われてはいけません……』

『……オマエってホントにバカな女だよな』


 グスグスと鼻を鳴らしながらお師匠さまが応援してくれた。


 弥堂は元カノの力を借りて別の女に告白をする。


「……セイラ、俺はお前が好きしね――!」


 その決定的な言葉を口にする寸前で反射的に身体が動き腰からエモノを抜く。

 彼女への素直な気持ちをこめて黒いナイフを投擲した。


 ナイフはセラスフィリアの幻影の顔面を通り抜ける。

 そしてその向こう側にあった冷蔵庫にダンッと音を立てて突き立った。


「…………」


 弥堂がナイフを投げた姿勢のまま顔を俯けて動かない。

 ルビアとエルフィーネは冷蔵庫の扉に根本まで突き刺さったナイフをジッと見た。


 ややして――


「――まぁ、こんなものだろ」


 弥堂は顔を上げる。


 何やら成功した風な口をきく男に、ルビアとエルフィーネは『えっ⁉』とビックリした。二人揃ってバッと勢いよく弥堂に顔を向けた。


「仕上がってきたな……。これならヤツにも勝てる……」

『コイツってストイックなフリしてるけどよ、大概自分に甘いよな』
『……この子はそういうところがあります。屁理屈をこねてはすぐに修行をサボろうとしましたし……』

「…………」

『もう結果が見えたな』
『それよりも冷蔵庫が……。ただでさえお金が必要なのにあんな高価な物を壊してしまって……、まったくこの子は……』

『オマエらメンヘラってすぐに物に当たるよな』
『人を殺してしまうよりはいいでしょう。この子は前から弾みで殺ってしまう癖がありますし』

『どうせすぐにまた殺っちまうんだからよ、どっちみち長くはここに居られなくなんだろ。もう夜逃げした方がいいんじゃね?』
『それにもやっぱりお金が必要ですよね……。困りました。私が生きていれば代わりに用立ててあげられたんですが……』


 早くも諦めムードの会話をする女たちを弥堂は意思の力で無視する。

 そして、いよいよラスボスであり今回の対戦相手となる女の召喚に臨んだ。


 最後に現れたのはもちろん希咲 七海の静止画だ。

 なるべくフラットな表情をしている場面をチョイスした。

 その理由について弥堂は特に言及するつもりはない。


「…………」


 弥堂は精神から感情を切り離し限りなくフラットなものにする。


『ユウキ……』

『なにあっちで魔王と対峙した時みてェな雰囲気醸し出してんだよ。バカじゃねェのオマエら』


 エルフィーネが心配げに弥堂の名を呟くとルビアが呆れた調子で言った。


 そのやりとりを無視して弥堂は希咲の顔を睨む。

 口を開け、言葉を発しようとして、止める。

 代わりに大きく息を吐いた。


 手を伸ばしてパイプ椅子を引き寄せると、弥堂はそれに座る。

 そしてまた息を吐いた。


「……どういうことだ? もしかしたらセラスフィリアよりも嫌いかもしれん」


 弱音なのか悪口なのか、よくわからない心情を吐露する。


『そこまでですか? というか、そもそも何故ナナミを嫌うのです? 普通にいい子だと思うのですが……』

『ハッ――決まってんだろ? コイツがバカだからだよ』


 エルフィーネが不思議そうに首を傾げると、ルビアが鼻で嘲笑った。

 その態度にエルフィーネは顏をムッとさせる。


『……貴女には理由がわかるんですか?』
『さァ? どうだろな』

『真面目に答えてください』
『嫉妬すんなよ。女クセェな』

『は? 殺しますよ?』
『アァ? 燃やすぞ?』

「うるさいぞ」


 何やら殺し合いでも始めそうな雰囲気の女どもを窘め、弥堂は改めて希咲の幻影に眼を向けた。


「…………」


 セラスフィリアの時と同様、腹の底から沸き上がった殺意が漏れ出る。

 うなじ周辺の毛が逆立つような錯覚があった。


 反射的に腰の後ろに左手で触れる。

 だが、生憎ナイフはもう投げてしまったのでそこには何も無かった。


「くっ……!」


 弥堂は悔しげに空の左手を見下ろした。

 だが、だからといって退くわけにもいかない。


 小学校時代のコーチが言っていた。

 試合では練習で出来ることの8割が出来れば上出来、悪ければ半分も出来ないこともあると。

 つまり、練習で出来たことがないことは、本番では絶対に出来ないということだ。


 例え丸腰であっても挑まなければならない。

 強敵を前に、弥堂は戦意を漲らせる。


 そんな不出来なクソガキをルビアは醒めた目で見た。


『そういやコイツ、女はそれなりに抱いてるけど恋愛したことなんかねェよな』
『……それは私を侮辱しているのですか?』

『ア? オマエだって恋愛なんかしたことないだろ』
『…………』

『失敗したなぁ……。意気地のねェ男にはとりあえず景気づけに一発やらしとけば少しは自信ついたりするもんだが……。そっちの経験だけを重ねるとこうなっちまうのか』
『…………』

『このバカは口説いだり抱いたりすることを女に対する攻撃手段だと思ってるフシもあっし、参ったなぁ……、って、オイ。オマエなにガチでヘコんでんだよ。メンドくせェな……』
『…………』


 幻聴どものやり取りを聞いていると集中が乱されそうなので、弥堂はさっさと練習を始めることにする。

 するとその気配を察したのか、ヘラっていたエルフィさんがハッとした。


『ユウキ。どうせ貴方はまた物を壊すのですから、先に周りを片付けておきなさい』

「…………」

『特にこの“ぱそこん”というのは高価なのでしょう? せめてこれだけでも……』


 言いながらノートPCを持ち上げようとするが、その手が見事にスカッとPCをすり抜けてしまう。

 メイドさんはふにゃっと眉を下げた。


 それを視た弥堂は溜息を吐きながら立ち上がりノートPCを持ち上げる。


「お前まであいつらみたいな仕草すんなよな。そんな癖なかっただろ」

『す、すみません……』


 呆れたように言うとエルフィーネは恥ずかしそうに身を縮こまらせた。

 弥堂はPCを部屋の隅に避けて席に戻る。


『まだやんのか? もう結末見えてんだが?』

「そう思うのならまた背中でも叩いてくれよ。俺に力をくれ」

『オマエはいつもマジになる方向を間違えてんだよ! ぶん殴らねェとわかんねェのか?』

「だからぶん殴ってくれと言ってるんだが」

『コイツキメエッ!』


 ルビアの声援を背に弥堂はラスボスに向かう。


「そんな風に澄ました顔をしていられるのも今の内だ」

『オマエがこの顔選んだんだろうが』

「うるさい黙れ」


 魔王ベルゼブルへ放った大魔法――“戯謳神話コール・ブレイブ”の詠唱を始める時と同等の精神集中を行う。

 そして弥堂はクラスメイトの女子の静止画を注視しながら口を開いた。


「希咲……、俺はお前が――クソがッ!」


 しかし、何一つ堪えることなく、最後まで言い切ることもなく、弥堂は激情のままに拳をテーブルに叩きつける。

 予想していたようにスッと身を退いたルビアの横を通りすぎた弥堂の左手がテーブルを真っ二つに圧し折った。


『なんの意外性もねェ。だから言ったじゃねェか』


 辟易としながらルビアは目線を上に向ける。

 衝撃で天井付近まで打ち上がった中身入りのマグカップが真っ直ぐに落下してくる。


「うるさい黙れ」


 弥堂はそのカップをキャッチするとそのまま口元へ持っていって、一気に傾けた。

 階下で誰かが走り出す気配を感じながら、苦さを腹の底へ落とす。


 七海ちゃんがご家庭の事情で大変なことになっている時に、クソな男はクソな一人遊びをして、それだけでこの夜は終わった。
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