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1章 魔法少女とは出逢わない
1章81 4月27日 ③
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「――それでは、検査の準備が出来たら迎えに来ますから、それまで安静にしていて下さい」
「もし具合が悪くなったらすぐにナースコールで呼んでくださいね、お兄さん」
まる一日、目を醒まさなかった急患の問診を終えて、女性の医者と看護師が個室の病室から退室する。
これから様々な精密検査を行うことになったので、彼女らはそのための各部屋を準備しに行ったのだ。
扉が閉まり、弥堂は彼女らが離れていく気配を探ってから、「おにいさん?」と首を傾げる愛苗の方へ近づいた。
「――あ、弥堂くん。あの……」
「あぁ」
待っていましたとばかりに口を開く彼女へ頷いてやる。
「さっきの話の続きだ。ただし、するのは過去のことよりも、今日からのことだ」
「今日……? あのね、これから私いっぱい検査するんだって」
「わかってる。そのことじゃない」
弥堂は彼女にスマホを手渡す。
背面が白色のそれは――
「あ、私のスマホ……」
「悪いが勝手に触った」
「ううん、大丈夫だけど……」
「何か操作してみろ」
「え?」
意図はわかっていないが、“よいこ”の愛苗ちゃんは言われたとおりにしようとする。
そしてロックを解除しようとしたところで、コテンと首を傾げた。
「あれ……?」
「どうした」
「弥堂くんどうやってロック解除したの?」
「あぁ、そんなことか」
弥堂は愛苗の手首を掴んで、彼女の指をスマホの画面に触れさせた。ペコンっと間の抜けた音が鳴ってロックが解除される。
「あ、なるほど……」
「指紋認証はお奨めしない。寝ている間にこうやって解除されるし、相手によっては腕を斬り落とされて持っていかれるぞ。気を付けろ」
「う、うん……、ごめんなさい……」
そこまでする人いるのかな? と彼女は内心思った。
だが、愛苗ちゃんはやっぱり“よいこ”なので、まるで意識が高いことかのように犯罪を語る男に『ごめんなさい』をしてあげた。
「それより見てみろ」
「え? あっ……、電波ない……」
「誰かが解約をしたのか、それとも元々の契約自体が無かったことになったのかはわからない。だが、ご覧の有様だ」
「そっかぁ……」
大好きな親友の七海ちゃんにメッセを送ることが出来ないと、彼女は気落ちする。
しかしすぐに、そもそも彼女にまで忘れられていることを知るのが恐くて、希咲へ宛てたメッセージの送信を実行することが出来なかったのを思い出した。
「……そういえば。学校休ませちゃったね。ごめんなさい……」
「別に」
誤魔化すように彼女の方から別の話題を振られ、弥堂はどうでもよさそうに答える。
「でも、弥堂くん休まないで通ってたのに……」
「気にするな。記録なんて後からどうにでもなる」
「え?」
「それに、昨日も少しだけ学園に顔を出したが、今日も後から行くつもりだ。それで出席にはなるだろ」
「そうなんだ。あの……、私なら大丈夫だから、もう登校しても……」
「大した用事じゃないから後でいい。別に授業を受けに行くわけでもない。ただ、どうにでもなる書類を提出しに行くだけだしな」
「そっか。何を出しに行くの?」
「さあな。それはお前次第だ」
「え……? どういう――」
「――そんなことより」
少し語気を強めて彼女の世間話を止める。
「誤魔化すな。今お前が考えるべきことは、別のことだろ」
「あう……」
意図的に話を逸らそうとしたことを看破されていて、愛苗は気まずげに口ごもる。
「目を逸らしてもどうせ後から向き合うことになるぞ」
「そうだよね……。それなら今ちゃんとした方がいいよね」
「その方が効率がいいしな」
「……えへへ、そうだよね。ごめんね……?」
どこか儚げに笑う愛苗の顔を、弥堂はいつも通りの湿度の低い瞳に映した。
「お前の両親のことだが――」
「――マナッ!」
核心に触れようとした時、窓の外から黒い影が部屋の中に飛び込んでくる。
黒いネコ――悪魔メロだ。
「メロちゃんっ!」
同じように愛苗が名前を呼び返す。
すると、ベッドの上で身体を起こしている愛苗の姿を見つけ、メロは瞼いっぱいに涙を浮かべる。まん丸な瞳がグニャグニャになった。
「マナぁ……っ!」
もう一度彼女の名を叫んで走り出す。
だが――
走り出してすぐに減速していき、ベッドと窓との中間点でメロは足を止めてしまった。
彼女はどこか気まずそうにキョドキョドとしながら、チラチラと顔色を窺うように愛苗へ視線を向ける。
「…………?」
様子のおかしいネコさんに、愛苗は不思議そうにコテンと首を傾げた。
だけど、メロはまだ動かない。
少しして、愛苗はパッと腕を拡げる。
「メロちゃんおいでー?」
そうするとメロはウズウズと身動ぎし、お尻をヨジヨジする。
だけどまだ進もうとしない。
「こないの……?」
腕を拡げたまま愛苗がコテンともう一回首を倒すと、メロはゆらーんピシッと尻尾を振って――
「――うああぁぁっ……マナぁ……ッ!」
とうとう我慢しきれずにベッドの上の愛苗の胸に飛び込んでいった。
「ごめんッス……! ジブン……、マナ、ごめんなさい……ッ!」
「わわわ……っ」
胸に顔をうずめて額をスリスリしながらメロが謝罪を繰り返す。
その勢いに愛苗はバランスを崩しそのまま背後に倒れてしまって、ポフっと枕の上に頭を落とした。
「どうしたの? メロちゃん」
「ジブン……、心配で……! マナがもう起きなかったら、どうしようって……!」
「えへへ、心配かけちゃってごめんね?」
「ジブンが――全部ジブンが悪いんッス……! だってジブンがマナのことを――」
「――おい」
もみくちゃになるバカコンビの会話に低い声音を挟んで、弥堂は強制的に彼女たちのやりとりを止めさせた。
「ベッドの上で暴れるな。点滴が抜けちまったらどうする」
「あ、そっか……ごめんね?」
「…………」
自分の状態を思い出してばつが悪そうにしながら愛苗は身体を起こす。
メロは弥堂の方を見ないまま顔をマナに押し付けて黙った。
「メロちゃんお膝においで?」
愛苗にそう誘われると、大人しく彼女の膝の上に納まる。
「話を戻すぞ」
弥堂も彼女には構わずに多少無理矢理に軌道を戻した。
「水無瀬。お前の両親のことだが――」
「あ……、はい……」
その続きの答えを恐れるように愛苗は顔を俯かせた。
弥堂は容赦をせずに淡々と事実を伝える。
「まず、無事だ。無傷といっていいだろう。戦場から無事に逃げ果せて、自宅に戻っている」
「そっかぁ……、よかったあ……」
「次の日――つまり昨日だな。普通に店を開けて日常生活を既に送っているのを確認した」
「……うん」
愛苗は噛み締めるように両親の無事を喜び、そして胸に手を当ててこれからの二人のことを祈った。
「そして肝心のお前に関する記憶のことだが――」
「…………」
愛苗は目を閉じる。
弥堂はその様子を見ながら、間を空けることもなく先を言葉にした。
「――変わっていない。お前のことは忘れたままだ」
「……うん」
それは彼女にもわかっていたようで、目を開けてからふにゃっと眉を下げて、情けない苦笑いを浮かべた。
「…………」
弥堂は彼女の様子をジッと視る。
愛苗は手癖のように、膝の上のメロの背を撫でた。
「マナぁ……」
「えへへ、だいじょうぶだよ」
同じくらい情けない目を向けてくるメロに、愛苗は安心させるように笑いかける。
「そういえば、メロちゃんどこかに行ってたの? おさんぽ?」
「あ、いや……、それは……」
気分転換のように話題を振ると、メロはまた気まずそうな顔をして、今度は弥堂の顔色をチラチラと窺った。
「報告しろ」
「え?」
不思議そうに愛苗は首を傾げる。
だが弥堂のその言葉が向けられた相手は彼女ではない。
「その……、問題なかったッス……」
「メロちゃん?」
メロは目線を逸らしてそう答える。
愛苗は今度は膝の上の彼女へ不思議そうな目を向けた。
「問題ないとは?」
「……普通にお店やって、元気そうだったッス……」
「あ、お父さんとお母さんの様子見に行ってくれてたんだ。ありがとう」
「いや、その……」
「それで?」
愛苗に対して口ごもるメロに、弥堂はさらに追い詰めるように報告を求める。
「あー……、なにも騒ぎになってないっていうか……、なんていうか、その……、気付いてないっぽいっていうか……」
「そうか」
「……? どういうこと?」
「えっと、それは……、昨日コイツがムチャクチャしやがったせいで……」
「え?」
「俺も昨日見てきたんだ」
「そうなの?」
「あぁ。それで直接話しかけて、お前のことを覚えているか確認してきた」
「そっか……、ありがとう。色々ごめんね……?」
「構わない」
彼女の感傷には付き合わず、弥堂は礼を受け取るフリをして話を進めた。
「繰り返すが、両親はお前を覚えていない」
「…………」
「お前の現在の状況だが、魔法を使ったことで崩した体調はとりあえず回復した。だが、その前から起こっていた、人々の記憶から消えてしまうというのは治っていない」
「え――?」
ツラツラと述べる弥堂の言葉に愛苗は違和感を覚える。
記憶のことはいい。それは同じ認識だ。
だが、『魔法を使うと体調を崩す』――
果たしてそんな話だっただろうかと、愛苗は疑問を浮かべた。
「どうした?」
「え?」
「先を続けてもいいか?」
「あ、うん。ごめんね? どうぞ」
普段、他人がどういう状態だろうと自分のしたい話をしたい時にする、そんな身勝手な男がわざわざ確認をしてくる。
人の好い愛苗としては、自分の疑問を優先させて相手が喋っている途中の話を遮るようなことはしない。
感じた疑問を一旦胸の裡に仕舞った。
弥堂はそんな彼女の様子を一度ジロリと視下ろしてから、話を再開する。
「治っていないというより、元には戻らないというのが正確か。昨日、クラスメイトやモっちゃんたち――コンタクトがとれる学園の奴らにも同じことを確認してみたが、結果は同じだった。誰もお前とは出会っていなかったことになっている」
「そっかぁ……、ざんねんだね……」
「これが永遠にこのままなのか、それとも何かのきっかけで元に戻る可能性があるのか――これに関しては現状ではわからない」
「そうだよね」
「わからないことを考えていても時間の無駄だ。だからまずは身体をしっかり治して退院することが、お前に課せられた最重要ミッションだ。いいな?」
「……うん。えへへ、ありがとう」
「別に。とにかく、これがお前の『今』だ。次は――」
「……?」
弥堂は言葉を切って愛苗の手にスマホを持たせる。
さっき渡した彼女の私物とは別の物だ。
「あれ? これ……」
「それは俺のスマホだ」
「えっと……?」
突然他人のスマホを持たされ、どうしていいかわからずにいる彼女の手元に、弥堂も自身の手を近づける。
そして背面が黒色のスマホの画面を操作して、暗証番号を入力しロックを解除した。
「これを使って、“edge”でもメールでもなんでもいい。お前のアカウントにログイン出来るか試してみろ」
「えっと……」
戸惑いつつ、愛苗は言われた通りに操作してみる。
しかし――
「――ダメだあ……。そんなアカウントありませんよー、って言われちゃう……」
「そうだな」
やらせた弥堂も期待していなかったのか、ただ『出来ない』という結果だけを確認して話を変えた。
「ところで、ここは美景台総合病院なんだが――」
「あ、そうなんだ」
「お前がもともと心臓の病気の定期検査を受けていた病院だ」
「あれ? なんで知って――」
「――それはどうでもいい。重要なのは、その掛かり付けのはずの病院に急患としてお前を突っ込んだのに、初診の患者として処理されたということだ」
「え?」
「つまり、本来なら残っているはずのお前の来院の記録やカルテなど――そういった物が何一つ残っていないことになる。それがどういうことかわかるな?」
「あ……、それって――」
「――そういうことだ」
察した様子の彼女に弥堂は頷いてみせた。
「やっぱり、人の記憶だけじゃなくって、何もかもぜんぶ無かったことになっちゃってるんだね……」
「そうだな。これもお前の現状だ」
一切の配慮もなくキッパリと伝えると、彼女はまた俯いてしまう。
彼女とて、なんとなくわかってはいたことだろう。
だがこうして、一つ一つ事実として確認しながら目の前に並べ立てられると、心に堪えるものがあるようだ。
当たり前だが。
弥堂は表情を変えることなく、俯く彼女のつむじを見下ろして、上から事実を落とし続ける。
「人と人同士の記憶の上での繋がりも消え、過去にした契約や作成したアカウントなども消失している。戸籍もそうだ。水無瀬 愛苗という人物が存在した痕跡は総て、徹底的なまでに『世界』から消え失せている」
「…………」
「前にも言ったな。『水無瀬 愛苗』という意味が『世界』から消えてしまって、消えたままで、きっと、おそらく、このままだ――」
「オ、オイ……」
まるで嬲るように言葉を強めて繰り返す弥堂をメロが咎めようとする。
だが、弥堂は視線だけで彼女を黙らせた。
愛苗は俯いたまま――
少しその肩が震えているように見えた。
だから――
「――だが、俺は憶えている」
「え――」
先程までの詰るような調子と同じ口調で告げられた弥堂の言葉に、愛苗は思わず顔を上げた。
揺れる愛苗の瞳に眼を合わせて先を続ける。
黒い瞳の奥で、仄かに蒼い焔がゆらめいた。
「俺はお前を忘れなかった。この魂の中に刻んだ『水無瀬 愛苗』という意味を。俺はずっと、いつまでも……、いつでも、何度でも――視続けることが出来る。この生命がある限りは」
「びとうくん……」
「だから水無瀬。今からはこれからの話をしよう」
「これから……?」
彼女の小さな身体が不安に包まれているのを視て、また何でも出来るような感覚が蘇った。
何でも出来るチカラはもう無いけれど、それでも出来る気がした。
その衝動を冷たい意思に研ぎ澄ませて、自分に出来ることを、これまでのように行う。
「――そうだ。これからのことについて。お前の『今』は言ったとおりだ。その上で続きを決めなきゃいけない。お前はまだ生きているのだから」
「まだ、いきてる……」
「『今』がどんなにどうしようもなくても、どんだけクソッタレだったとしても、それはもうしょうがねえよ。でも、まだ、お前は死んでねえから、お前の魂はまだそこに在る。生きてりゃお前の“魂の設計図”には、これからのことが勝手にどんどん蓄積していって、勝手に何かに変わっていっちまうんだ。望んでも望まなくっても……」
「弥堂くん……」
「だったら、少しでもマシなモンにしようぜ。だから――」
愛苗の方を真っ直ぐ見ながら、何処か違う場所へ眼を向けているように。
普段の彼なら言わないような言葉を普段とは違う口調で喋る。
そして、真っ直ぐ見つめたままだったその眼が、愛苗に強い意思を向けた。
「だから、これからの話をしよう。これからの俺たちの話を――」
「え――」
『俺たち』と言った弥堂の言葉に愛苗の瞳が大きく見開かれた。
「もし具合が悪くなったらすぐにナースコールで呼んでくださいね、お兄さん」
まる一日、目を醒まさなかった急患の問診を終えて、女性の医者と看護師が個室の病室から退室する。
これから様々な精密検査を行うことになったので、彼女らはそのための各部屋を準備しに行ったのだ。
扉が閉まり、弥堂は彼女らが離れていく気配を探ってから、「おにいさん?」と首を傾げる愛苗の方へ近づいた。
「――あ、弥堂くん。あの……」
「あぁ」
待っていましたとばかりに口を開く彼女へ頷いてやる。
「さっきの話の続きだ。ただし、するのは過去のことよりも、今日からのことだ」
「今日……? あのね、これから私いっぱい検査するんだって」
「わかってる。そのことじゃない」
弥堂は彼女にスマホを手渡す。
背面が白色のそれは――
「あ、私のスマホ……」
「悪いが勝手に触った」
「ううん、大丈夫だけど……」
「何か操作してみろ」
「え?」
意図はわかっていないが、“よいこ”の愛苗ちゃんは言われたとおりにしようとする。
そしてロックを解除しようとしたところで、コテンと首を傾げた。
「あれ……?」
「どうした」
「弥堂くんどうやってロック解除したの?」
「あぁ、そんなことか」
弥堂は愛苗の手首を掴んで、彼女の指をスマホの画面に触れさせた。ペコンっと間の抜けた音が鳴ってロックが解除される。
「あ、なるほど……」
「指紋認証はお奨めしない。寝ている間にこうやって解除されるし、相手によっては腕を斬り落とされて持っていかれるぞ。気を付けろ」
「う、うん……、ごめんなさい……」
そこまでする人いるのかな? と彼女は内心思った。
だが、愛苗ちゃんはやっぱり“よいこ”なので、まるで意識が高いことかのように犯罪を語る男に『ごめんなさい』をしてあげた。
「それより見てみろ」
「え? あっ……、電波ない……」
「誰かが解約をしたのか、それとも元々の契約自体が無かったことになったのかはわからない。だが、ご覧の有様だ」
「そっかぁ……」
大好きな親友の七海ちゃんにメッセを送ることが出来ないと、彼女は気落ちする。
しかしすぐに、そもそも彼女にまで忘れられていることを知るのが恐くて、希咲へ宛てたメッセージの送信を実行することが出来なかったのを思い出した。
「……そういえば。学校休ませちゃったね。ごめんなさい……」
「別に」
誤魔化すように彼女の方から別の話題を振られ、弥堂はどうでもよさそうに答える。
「でも、弥堂くん休まないで通ってたのに……」
「気にするな。記録なんて後からどうにでもなる」
「え?」
「それに、昨日も少しだけ学園に顔を出したが、今日も後から行くつもりだ。それで出席にはなるだろ」
「そうなんだ。あの……、私なら大丈夫だから、もう登校しても……」
「大した用事じゃないから後でいい。別に授業を受けに行くわけでもない。ただ、どうにでもなる書類を提出しに行くだけだしな」
「そっか。何を出しに行くの?」
「さあな。それはお前次第だ」
「え……? どういう――」
「――そんなことより」
少し語気を強めて彼女の世間話を止める。
「誤魔化すな。今お前が考えるべきことは、別のことだろ」
「あう……」
意図的に話を逸らそうとしたことを看破されていて、愛苗は気まずげに口ごもる。
「目を逸らしてもどうせ後から向き合うことになるぞ」
「そうだよね……。それなら今ちゃんとした方がいいよね」
「その方が効率がいいしな」
「……えへへ、そうだよね。ごめんね……?」
どこか儚げに笑う愛苗の顔を、弥堂はいつも通りの湿度の低い瞳に映した。
「お前の両親のことだが――」
「――マナッ!」
核心に触れようとした時、窓の外から黒い影が部屋の中に飛び込んでくる。
黒いネコ――悪魔メロだ。
「メロちゃんっ!」
同じように愛苗が名前を呼び返す。
すると、ベッドの上で身体を起こしている愛苗の姿を見つけ、メロは瞼いっぱいに涙を浮かべる。まん丸な瞳がグニャグニャになった。
「マナぁ……っ!」
もう一度彼女の名を叫んで走り出す。
だが――
走り出してすぐに減速していき、ベッドと窓との中間点でメロは足を止めてしまった。
彼女はどこか気まずそうにキョドキョドとしながら、チラチラと顔色を窺うように愛苗へ視線を向ける。
「…………?」
様子のおかしいネコさんに、愛苗は不思議そうにコテンと首を傾げた。
だけど、メロはまだ動かない。
少しして、愛苗はパッと腕を拡げる。
「メロちゃんおいでー?」
そうするとメロはウズウズと身動ぎし、お尻をヨジヨジする。
だけどまだ進もうとしない。
「こないの……?」
腕を拡げたまま愛苗がコテンともう一回首を倒すと、メロはゆらーんピシッと尻尾を振って――
「――うああぁぁっ……マナぁ……ッ!」
とうとう我慢しきれずにベッドの上の愛苗の胸に飛び込んでいった。
「ごめんッス……! ジブン……、マナ、ごめんなさい……ッ!」
「わわわ……っ」
胸に顔をうずめて額をスリスリしながらメロが謝罪を繰り返す。
その勢いに愛苗はバランスを崩しそのまま背後に倒れてしまって、ポフっと枕の上に頭を落とした。
「どうしたの? メロちゃん」
「ジブン……、心配で……! マナがもう起きなかったら、どうしようって……!」
「えへへ、心配かけちゃってごめんね?」
「ジブンが――全部ジブンが悪いんッス……! だってジブンがマナのことを――」
「――おい」
もみくちゃになるバカコンビの会話に低い声音を挟んで、弥堂は強制的に彼女たちのやりとりを止めさせた。
「ベッドの上で暴れるな。点滴が抜けちまったらどうする」
「あ、そっか……ごめんね?」
「…………」
自分の状態を思い出してばつが悪そうにしながら愛苗は身体を起こす。
メロは弥堂の方を見ないまま顔をマナに押し付けて黙った。
「メロちゃんお膝においで?」
愛苗にそう誘われると、大人しく彼女の膝の上に納まる。
「話を戻すぞ」
弥堂も彼女には構わずに多少無理矢理に軌道を戻した。
「水無瀬。お前の両親のことだが――」
「あ……、はい……」
その続きの答えを恐れるように愛苗は顔を俯かせた。
弥堂は容赦をせずに淡々と事実を伝える。
「まず、無事だ。無傷といっていいだろう。戦場から無事に逃げ果せて、自宅に戻っている」
「そっかぁ……、よかったあ……」
「次の日――つまり昨日だな。普通に店を開けて日常生活を既に送っているのを確認した」
「……うん」
愛苗は噛み締めるように両親の無事を喜び、そして胸に手を当ててこれからの二人のことを祈った。
「そして肝心のお前に関する記憶のことだが――」
「…………」
愛苗は目を閉じる。
弥堂はその様子を見ながら、間を空けることもなく先を言葉にした。
「――変わっていない。お前のことは忘れたままだ」
「……うん」
それは彼女にもわかっていたようで、目を開けてからふにゃっと眉を下げて、情けない苦笑いを浮かべた。
「…………」
弥堂は彼女の様子をジッと視る。
愛苗は手癖のように、膝の上のメロの背を撫でた。
「マナぁ……」
「えへへ、だいじょうぶだよ」
同じくらい情けない目を向けてくるメロに、愛苗は安心させるように笑いかける。
「そういえば、メロちゃんどこかに行ってたの? おさんぽ?」
「あ、いや……、それは……」
気分転換のように話題を振ると、メロはまた気まずそうな顔をして、今度は弥堂の顔色をチラチラと窺った。
「報告しろ」
「え?」
不思議そうに愛苗は首を傾げる。
だが弥堂のその言葉が向けられた相手は彼女ではない。
「その……、問題なかったッス……」
「メロちゃん?」
メロは目線を逸らしてそう答える。
愛苗は今度は膝の上の彼女へ不思議そうな目を向けた。
「問題ないとは?」
「……普通にお店やって、元気そうだったッス……」
「あ、お父さんとお母さんの様子見に行ってくれてたんだ。ありがとう」
「いや、その……」
「それで?」
愛苗に対して口ごもるメロに、弥堂はさらに追い詰めるように報告を求める。
「あー……、なにも騒ぎになってないっていうか……、なんていうか、その……、気付いてないっぽいっていうか……」
「そうか」
「……? どういうこと?」
「えっと、それは……、昨日コイツがムチャクチャしやがったせいで……」
「え?」
「俺も昨日見てきたんだ」
「そうなの?」
「あぁ。それで直接話しかけて、お前のことを覚えているか確認してきた」
「そっか……、ありがとう。色々ごめんね……?」
「構わない」
彼女の感傷には付き合わず、弥堂は礼を受け取るフリをして話を進めた。
「繰り返すが、両親はお前を覚えていない」
「…………」
「お前の現在の状況だが、魔法を使ったことで崩した体調はとりあえず回復した。だが、その前から起こっていた、人々の記憶から消えてしまうというのは治っていない」
「え――?」
ツラツラと述べる弥堂の言葉に愛苗は違和感を覚える。
記憶のことはいい。それは同じ認識だ。
だが、『魔法を使うと体調を崩す』――
果たしてそんな話だっただろうかと、愛苗は疑問を浮かべた。
「どうした?」
「え?」
「先を続けてもいいか?」
「あ、うん。ごめんね? どうぞ」
普段、他人がどういう状態だろうと自分のしたい話をしたい時にする、そんな身勝手な男がわざわざ確認をしてくる。
人の好い愛苗としては、自分の疑問を優先させて相手が喋っている途中の話を遮るようなことはしない。
感じた疑問を一旦胸の裡に仕舞った。
弥堂はそんな彼女の様子を一度ジロリと視下ろしてから、話を再開する。
「治っていないというより、元には戻らないというのが正確か。昨日、クラスメイトやモっちゃんたち――コンタクトがとれる学園の奴らにも同じことを確認してみたが、結果は同じだった。誰もお前とは出会っていなかったことになっている」
「そっかぁ……、ざんねんだね……」
「これが永遠にこのままなのか、それとも何かのきっかけで元に戻る可能性があるのか――これに関しては現状ではわからない」
「そうだよね」
「わからないことを考えていても時間の無駄だ。だからまずは身体をしっかり治して退院することが、お前に課せられた最重要ミッションだ。いいな?」
「……うん。えへへ、ありがとう」
「別に。とにかく、これがお前の『今』だ。次は――」
「……?」
弥堂は言葉を切って愛苗の手にスマホを持たせる。
さっき渡した彼女の私物とは別の物だ。
「あれ? これ……」
「それは俺のスマホだ」
「えっと……?」
突然他人のスマホを持たされ、どうしていいかわからずにいる彼女の手元に、弥堂も自身の手を近づける。
そして背面が黒色のスマホの画面を操作して、暗証番号を入力しロックを解除した。
「これを使って、“edge”でもメールでもなんでもいい。お前のアカウントにログイン出来るか試してみろ」
「えっと……」
戸惑いつつ、愛苗は言われた通りに操作してみる。
しかし――
「――ダメだあ……。そんなアカウントありませんよー、って言われちゃう……」
「そうだな」
やらせた弥堂も期待していなかったのか、ただ『出来ない』という結果だけを確認して話を変えた。
「ところで、ここは美景台総合病院なんだが――」
「あ、そうなんだ」
「お前がもともと心臓の病気の定期検査を受けていた病院だ」
「あれ? なんで知って――」
「――それはどうでもいい。重要なのは、その掛かり付けのはずの病院に急患としてお前を突っ込んだのに、初診の患者として処理されたということだ」
「え?」
「つまり、本来なら残っているはずのお前の来院の記録やカルテなど――そういった物が何一つ残っていないことになる。それがどういうことかわかるな?」
「あ……、それって――」
「――そういうことだ」
察した様子の彼女に弥堂は頷いてみせた。
「やっぱり、人の記憶だけじゃなくって、何もかもぜんぶ無かったことになっちゃってるんだね……」
「そうだな。これもお前の現状だ」
一切の配慮もなくキッパリと伝えると、彼女はまた俯いてしまう。
彼女とて、なんとなくわかってはいたことだろう。
だがこうして、一つ一つ事実として確認しながら目の前に並べ立てられると、心に堪えるものがあるようだ。
当たり前だが。
弥堂は表情を変えることなく、俯く彼女のつむじを見下ろして、上から事実を落とし続ける。
「人と人同士の記憶の上での繋がりも消え、過去にした契約や作成したアカウントなども消失している。戸籍もそうだ。水無瀬 愛苗という人物が存在した痕跡は総て、徹底的なまでに『世界』から消え失せている」
「…………」
「前にも言ったな。『水無瀬 愛苗』という意味が『世界』から消えてしまって、消えたままで、きっと、おそらく、このままだ――」
「オ、オイ……」
まるで嬲るように言葉を強めて繰り返す弥堂をメロが咎めようとする。
だが、弥堂は視線だけで彼女を黙らせた。
愛苗は俯いたまま――
少しその肩が震えているように見えた。
だから――
「――だが、俺は憶えている」
「え――」
先程までの詰るような調子と同じ口調で告げられた弥堂の言葉に、愛苗は思わず顔を上げた。
揺れる愛苗の瞳に眼を合わせて先を続ける。
黒い瞳の奥で、仄かに蒼い焔がゆらめいた。
「俺はお前を忘れなかった。この魂の中に刻んだ『水無瀬 愛苗』という意味を。俺はずっと、いつまでも……、いつでも、何度でも――視続けることが出来る。この生命がある限りは」
「びとうくん……」
「だから水無瀬。今からはこれからの話をしよう」
「これから……?」
彼女の小さな身体が不安に包まれているのを視て、また何でも出来るような感覚が蘇った。
何でも出来るチカラはもう無いけれど、それでも出来る気がした。
その衝動を冷たい意思に研ぎ澄ませて、自分に出来ることを、これまでのように行う。
「――そうだ。これからのことについて。お前の『今』は言ったとおりだ。その上で続きを決めなきゃいけない。お前はまだ生きているのだから」
「まだ、いきてる……」
「『今』がどんなにどうしようもなくても、どんだけクソッタレだったとしても、それはもうしょうがねえよ。でも、まだ、お前は死んでねえから、お前の魂はまだそこに在る。生きてりゃお前の“魂の設計図”には、これからのことが勝手にどんどん蓄積していって、勝手に何かに変わっていっちまうんだ。望んでも望まなくっても……」
「弥堂くん……」
「だったら、少しでもマシなモンにしようぜ。だから――」
愛苗の方を真っ直ぐ見ながら、何処か違う場所へ眼を向けているように。
普段の彼なら言わないような言葉を普段とは違う口調で喋る。
そして、真っ直ぐ見つめたままだったその眼が、愛苗に強い意思を向けた。
「だから、これからの話をしよう。これからの俺たちの話を――」
「え――」
『俺たち』と言った弥堂の言葉に愛苗の瞳が大きく見開かれた。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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