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1章 魔法少女とは出逢わない
1章79 勇気の証明《デモブレイブ》 ②
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腕を振るうたび、足を振るうたび、黒い肉が弾け魂が引き千切れる。
聖剣の加護に頼るまでもなく、魔術や業に因るものでもなく、ただ強度の高さで圧倒する。
上空から見れば蟻の巣から湧き出てきたような黒い悪魔の群体の中心で、弥堂 優輝は得たばかりのチカラを存分に奮っていた。
間断なく複数体同時に襲い掛かってくる、本来であれば人間よりも遥かに上位存在であるはずの悪魔たちの猛襲が全く問題にならない。
少し力をこめて拳や蹴りを当ててやるだけで、いとも容易く殺すことが出来る。
こんな戦いは弥堂にとって初めてのことだった。
これまではずっと、強者へ挑みかかることこそが弥堂にとっての戦いであった。
たった一人を殺すのにも、死力を尽くし頭を巡らせ散々苦労していたのが、今はどうだ。
まるで虫を振り払い踏み潰すように、何の工夫もなく、他の生命を喪わせることが出来ている。
『世界』がそれを自分に許している――
その強い実感が弥堂にはあった。
その証に――
胸の真ん中に刻まれた葉脈のような紋章。
『勇気の証明』という名の聖痕が強く熱を放っている。
今までは黒ずんだ入れ墨のようなものでしかなく、途中で切れていた葉脈が蒼銀の魔力光を輝かせながら全身へ廻っていた。
異世界に召喚された勇者に与えられる紋章。
世界を救うための力を神――『世界』から与えられる。
強く守りたいと願い誓う者であると『世界』が認めたことで能えられた“加護”だ。
自身の身の裡から生成される以上の魔力が、聖痕を通して何処かから流し込まれている。
それは尽きることのない無限のモノのように感じられた。
飛び掛かってくる人型大の悪魔たちを薙ぎ払っていると、奥から大きな鰐の姿をした悪魔が突っ込んでくるのが視えた。
開かれた巨大な顎が悪魔たちを呑み込みながら弥堂に迫る。
弥堂は右手に持った聖剣を意識し、強く魔力を注ぎ込んだ。
『――あっ……、おっきぃ……』
魔力で生成される剣身が大剣サイズにまで肥大化した。
一歩身を横に逸らし、大口を開ける鰐の口に大剣の刃を地面に水平に構えて合わせせる。
「――【切断】」
聖剣の加護を発動させると、巨大な鰐は勢いのままに上下に二枚に下ろされながら背後へ通り抜ける。
生命が抜け落ちたただの大きな物体として、そこらに転がる死体を轢き潰しながら地面を滑っていった。
『あぁ……っ、そんなぁ……、使われちゃった……。ワタシの加護……、いいよって言ってないのにぃ……、勝手に、まるで自分のモノみたいに使われちゃったぁ……』
続けて弥堂は大剣を片手で力任せに振るう。
水平軌道で振るわれたそれは一度に多くの悪魔を上下に別けた。
『あっ……⁉ そ、そんな乱暴に……、でも、いいよ……? もっとガシガシ振って? お姉ちゃん頑張るから……ぁっ』
「……効率が悪いな」
周囲の悪魔たちを睨み、弥堂は呟く。
強大なチカラに目醒めはしたが、なにぶん相手の数が多い。
『ゴ、ゴメンなさい……っ! がんばるから……! お姉ちゃんがんばってユウくんの全部受け止めるからぁ……っ、だからそんなこと言わないで? 何でもするから捨てないでぇ……っ!』
「だが、面倒でも片っ端から殺すしかないか」
勝利条件は単純だ。
水無瀬 愛苗を脅かすモノを皆殺しにすること。
「一匹たりとも逃がしはしない」
『は、はひっ……! わかりましゅた……! ユウくんの命令ならお姉ちゃん何人でも相手しまひゅ……っ! ニンゲンでも悪魔でも……! だからくらひゃい……っ、今日は、ナカに……っ!』
「…………」
弥堂は漲って有り余る魔力を聖剣と身体強化にさらに注ぐ。
『あっ⁉ あっ、あああぁぁぁああぁぁあぁぁ……っ! で、でてりゅぅ……、ナカに……魔力、いっぱい……っ』
より強靭になった剣身を引き摺りながら敵中を駆け巡った。
『ああぁぁ……、魔導コアがタプタプに……っ! ワタシ……モノにされちゃった……ぁっ、ユウくんのオンナにぃ……っ』
大きく足を踏み出してから腰を回して力一杯に大剣を奮う。
イメージするのはルビアの姿。
洗練された剣技ではなく、ただ豪快に殺意の暴風を巻き起こした。
ただ力任せに剣を振るう。
ただそれだけで視界いっぱいの敵がミンチになって弾け飛んでいく。
さっきまでのようにギリギリで凌ぐ戦いではない。
これまでのような生き延びる戦いではない。
こちらが狩る側だ。
絶対的な強者としての実感が、後から後から背筋を駆け昇って追いついてくる。
この力なら、今の自分ならクルードにも愛苗にも、かつての魔王にも――
誰にも負けない。
『あっ……あぁっ、ハァ~フゥッ……、ハッハッハッハッハ……ッ! しゅ、しゅごいぃぃ、ユウくんカッコイイ~ッ! ちゅよすぎてしゅごすぎてちゅよいぃぃぃっ!』
「…………」
なにか、さっきから頭の中で知らない女の嬌声が聴こえるような気がするが、きっと気のせいだ。
魔力を全開で使うとこういった幻聴が聴こえてくるのはいつものことだ。
ルビアやエルフィーネの声ではないが、そのへんはまぁ誤差だろう。
今はもうクスリは切れているが、それは大した問題ではない。
首の後ろを痺れさせるような陶酔がある。
己の裡で暴れて外へ漏れ出す強大なチカラ。
雑に乱暴にそれを奮うだけで簡単に他者を蹂躙できる。
腰から背骨を駆け昇って知覚すると錯覚する圧倒的な全能感。
その刺激を受けて脳が多量の快楽物質を全身へ駆け巡らせる。
麻薬以上の快楽。
全能を確信するほどに己の暴力に酔う。
幻覚や幻聴があっても不思議でないほどの興奮と快楽で満たされていた。
弥堂は自分がチカラに酔っていることを自覚している。
先程クルードを喰ったことでパワーアップし興奮した様子を見せたアスに対して、
「チカラに酔うのは三流だ」と言い放った。
それだけでなく、普段廻夜から必修だと言われて渡された小説たち。
その中に出てくる、チカラに目覚めたことで急に態度が大きくなる敵キャラや主人公に対しても、同様にそう思っていた。
だが、これは――
(――抗えない……!)
恥も外聞もなく理性をかなぐり捨てて身を委ねたくなるほどの多幸感がここにあった。
『気持ちい? 気持ちーのユウくん? お姉ちゃんも気持ちーよ? だから殺そ? もっと殺そ? 一緒に殺そ?』
しかし、ギリギリのところで弥堂はその陶酔に呑まれない。
絶叫をあげて暴れ出したい衝動が腹の中で渦巻いているが、それをどうにか抑えている。
それは理性によるものではない。
強大なチカラによる陶酔、惨めだったこれまでからの解放。
それを上回るほどの後悔と罪悪感が脳の中心で激痛を放ち、正気を繋ぎ止めていた。
肌を掻き毟るようにして胸の『勇気の証明』に爪を立てる。
このチカラは勇者のチカラ。
努力して研鑽し成長し身に着けたものではない。
異世界に召喚された時に本来は自動的に『世界』から能えられていたはずのものだ。
そして、それが今まで発揮されていなかったのは、自分に才能がないわけでも、召喚に不具合があったわけでもない。
ずっとそう思っていたが、そうではなかった。
このチカラが開放される条件は、何かを守りたいと思うこと。
何も特別な誓いではなく、勇者としてはあって当たり前の心構えだ。
何なら勇者でなくとも、ほとんどの人間には何かしら守りたいモノがあって当然なのだ。
今日ここでこのチカラが開放されたのは、水無瀬 愛苗を守りたいと思ったから。
弥堂自身にその自覚はなくとも、チカラが開放されているのなら、答えは自動的にそういうことになる。
じゃあ、今まで一度も開放されることがなかったのは何故だろうか。
その答えも自動的に決まってしまう。
グッと、強く、頬肉ごと歯を食いしばり、前歯を唇に突き立てる。
口の端から血が垂れた。
(そんなはずがない……!)
先程思い出したこれまでの自分の軌跡。
守るべき人は、守るべき時は、何回もあったはずだ。
あの時もあの時もあの時もあの時も――
彼女たちは自分にそうしてくれたというのに、その想いに生命を賭してくれたというのに。
(なのに、俺は――)
グラリと、魂が揺れる。
もしも――
異世界に召喚されたのが自分でなかったら。
例えばそう、水無瀬 愛苗だったならば。
彼女ならあんなクソッタレの世界や国でも、当たり前のように守りたいと、そう考えたことだろう。
心の底から。
彼女は自分に嘘を吐いて欺いていたメロに対しても恨み言など言わなかった。
例え騙されていたとしても、それでも先に自分の望みを叶えてくれたからと。
だから今度は自分の番だと。
“おあいこ”だと。
そう言って笑って、当たり前のようにメロを守ろうとした。
もしも自分に、彼女のような心意気が、優しさが少しでもあったのならば。
水無瀬 愛苗の理屈に倣うのならば、弥堂の望みはセラスフィリアに叶えてもらったことになる。
日本での現実に不満を覚え、違う世界で、違う自分に為りたいと。
世界を救うための戦いに身を投じたいと。
かつての弥堂 優輝は確かにそう願っていた。
だから、カタチ上は、セラスフィリアはそんな弥堂 優輝の願いを叶えてくれたことになってしまう。
もしも、弥堂が、あの時のクソガキが――
水無瀬 愛苗のように、“おあいこ”だと――
ほんの少しでもそう思えていたのならば――
もしかしたら誰も――
己の根幹が揺らぎ歪む。
この上なく強固に為った“魂の設計図”が急激にその強度を落とし、胸の紋章が輝きを弱めた。
『――ユウくんダメッ!』
その隙に、ダンプカーほどの大きさのサイが突進してきて棒立ちになった弥堂を撥ね飛ばした。
手足が引き千切れながら弥堂の身体が宙を舞う。
存在ごと身体を強化していた魔力が消えたことで、その衝撃で弥堂は即死した。
だが――
『――【殺害再開】』
壊れかけた弥堂の“魂の設計図”が一瞬で修復し、死んでまたこの世界へと戻った。
空中からの落下中に意識を取り戻し、体勢を無理矢理変えて着地する。
膝を着いて素早く顔を上げた。
『疑わないで!』
頭の中に声が響く。
『自分を疑っちゃダメ! 今の衝動に身を任せて……!』
知らない女の声がそう伝えてくる。
確かに自分のチカラの在り方を疑った瞬間に聖痕が輝きを失い、溢れるほど供給されていた魔力が無くなった。
恐らく正しい情報なのだろう。
しかし、こいつはさっきまで一人で勝手に喘いでいた頭のおかしい女だ。
素直にその情報を鵜呑みにするのは憚られた。
「……お前は誰だ?」
『ハァァァァァンッ! 喋った! ユウくんが! ワタシに喋ったぁ!』
「うるさい黙れ。さっさと答えろ」
『ハッ……、ハッ……! カワイイ! お話してる、カワイイ……!』
「くそが。なんなんだこいつは……!」
犬のような息遣いが頭の中に響き渡る。
まるで会話が通じないが、この症状の人間には覚えがあった。
それは廻夜 朝次だ。
彼が好きな作品や女性キャラクターについて語る時にたまに同じような感じになる。
突如として大いなるチカラを手に入れたのはいいが、その代償として弥堂は頭の中に限界オタク(メス)を飼うことになってしまったようだ。
『ユウくん! 敵がっ!』
「――っ⁉」
警告に反応して咄嗟に身体が動く。
横に転がって迫っていた悪魔の攻撃を躱し、とりあえず走り出して時間を稼ぐ。
『もう一度、思い出して! 守りたいって気持ちを……!』
顔を動かして愛苗の方を視る。
傷つき変わり果てた彼女の姿を眼に映すと、また胸の紋章が輝きだした。
『そう。考えないで。感じるままにその衝動を解き放って! 今はわからなくても、その想いはアナタにとって絶対に嘘なんかじゃない……!』
「お前は……」
『ワタシはエアリス』
「なんだと?」
ようやく名乗ったその名前に弥堂は眉を顰める。
聞き覚えのある名だったからだ。
思わず右手に握る聖剣に眼を遣る。
この剣の名は――
『聖剣エアリスフィール。ワタシはその剣の管理人格よ』
「管理……人格……?」
『その剣の由来は知ってるわよね?』
「初代勇者のために造られた剣。それには――」
『そう。初代聖女の魂が宿っている。ワタシがその初代聖女、エアリスです』
「…………」
確かに伝承でも、二代目の残したノートにもそのように記録されていた。
聖女の魂が宿っているとは知っていたが、まさかこんな風に人格が残っていて喋りかけてくるとは思ってもみなかった。
これもチカラが目醒めた影響なのだろうか。
『アナタの胸の聖痕とこの聖剣はリンクしている。勇者としての資格を満たしたことでワタシとも完全にパスが繋がったの』
「チカラとともにお前も目覚めたというのか?」
『ううん。ワタシはずっと起きてた。パスが繋がっていなかったせいでワタシの声が聴こえていなかったの。ワタシはずっとアナタと共にいて、ずっとアナタに話しかけていたわ』
「ずっと……?」
『うん! お姉ちゃんね! 6年以上ずっとユウくんに話しかけ続けてたの! やっと会話ができた! エラい! ユウくんお話できてエラい!』
「殺すぞ」
何故かひどく侮辱されたような気がして弥堂は苛立ちを覚える。
(しかし……)
それにしてもと、考える。
これまで資格を満たしていなかったせいで気付いていなかったが、6年以上も壁打ちをし続けるような深刻なストーカーが、知らぬうちに頭の中に住み着いていたことに強い嫌悪感を抱いた。
「気持ちワリィなお前」
『キャー! ありがとうございます!』
率直に気持ちを伝えてみたら何故か喜ばれる。
今日初めて彼女と会話したはずだが、どこかこのやりとりに覚えがあるような気がした。
『お姉ちゃんがんばるからね! ゴメンね、これまでちゃんと助けてあげられなくって』
「助ける?」
『加護を貸してあげたり、魔術や霊子の操作の補助は出来る限りしてあげたんだけど、やっぱりパスが繋がってなかったからそれも限られてしまって……』
「どういうことだ?」
『それは――』
どうやら話しこんでしまっていたようで、いつの間にか悪魔たちに取り囲まれており、説明を聞く前に一斉に飛び掛かられた。
『それは、例えば――』
いくら身体が強化されていても、数が多すぎて回避が間に合わない。
弥堂はもう一度死ぬことを覚悟するが――
『――【不誠実な真実】』
頭の中でエアリスがそう唱えた瞬間、周囲の空間が歪んだように錯覚した。
そう感じたのは弥堂だけではなかったようで、襲いかかってきた悪魔たち全てが目測を誤ったかのように進路を変え、そして同士討ちをした。
「これは……」
弥堂を中心とした周りに悪魔たちが崩れ落ちてくる。
何もしていないのに彼らは勝手に仲間同士で殺し合って自滅した。
『周囲の霊子に少しだけ干渉して気配を誤魔化す。ユウくんもたまに使うわよね?』
「…………」
『今のアナタとワタシのチカラなら、周囲の霊子をジャミングして他の連中の知覚と認知を完全に誤認させることが可能よ』
信じ難いが、今起きた現象がその真実性を証明していた。
聖剣の管理人格とはそのようなサポートが可能なのだろう。
『アナタは今まで苦しんで、耐え抜いてきた。今日この時こそ、その魂が解放される』
「俺は……」
『ワタシは一番近くでずっとアナタを見守ってきました。一番近くで』
「……何故二回言った」
剣に胡乱な瞳を向けるが、所詮は無機物。
人間の感情など察してはくれない。
『ワタシの勇者さま。今こそアナタの魂の輝きを示す時です』
「…………」
『アナタこそが最強。初代より二代目より、魔王よりも。神に仇なす邪悪な悪魔どもなど敵ではないわ』
弥堂は黙って聖剣に魔力を送り込み、悪魔に対峙しなおした。
『……んっ。さぁ、ワタシを振るって。これらは総てアナタのチカラ。ただその心の衝動のままに。「ワタシはアナタのモノよ」』
「心の衝動……」
視線の先にはまだ大量の悪魔。その奥には苛立ちを露わにしたアスの姿。
「バカな。こんな圧倒的なチカラ……、“神意執行者”だとしても規格外だ……!」
その顔には苛立ち以上の驚愕が浮かんでいた。
『アタリメエだろうが三下クソ悪魔がよォッ! 誰にクチきいてんだカスッ! 世界樹の女神の寵愛を受けたワタシの勇者さまだぞ! 切断すんぞボケがッ!』
そのアスにエアリスが人が変わったような汚い言葉で怒鳴りつけた。
そういえば初代聖女は悪魔に対して容赦のない人物だと記録に残っていた。
エアリスの言葉はアスにも聴こえていたようで、彼はハッとした。
「セフィロト……? その紋章は、まさか……⁉」
『気付くのが遅ェんだよグズがァ!』
「世界樹……⁉ 雛鳥……! 葉脈の末端! 貴様ッ! 『エッジ・オブ・ヴェイン』かッ⁉」
『アハハハハ……ッ! 薄汚い悪魔どもめッ! 皆殺しだッ! 神に跪いて命乞いをしろォッ!』
「クッ……! ふざけるな! なんでこの世界にそんなものが! クソッ! 殺せェ!」
急に激しい怒りを吐き出してアスが手下へ号令を出す。
心なしか他の悪魔たちも先ほどよりも殺気立っていた。
今のやりとりは弥堂には何一つわからなかったが、勝手に戦端は開かれてしまった。
「……まぁいい」
聖剣を握り直す。
どうせやることは変わらない。
思考を操作して先程考えた負の情念を全て何処かへ押しやる。
すると再び強大な魔力が漲ってきた。
「要は殺せばいいんだろ。それだけは今までと何も変わらない」
先程よりもチカラが馴染んでいる気がした。
目的ははっきりしている。
ここで、決着をつけることを決めた。
聖剣の加護に頼るまでもなく、魔術や業に因るものでもなく、ただ強度の高さで圧倒する。
上空から見れば蟻の巣から湧き出てきたような黒い悪魔の群体の中心で、弥堂 優輝は得たばかりのチカラを存分に奮っていた。
間断なく複数体同時に襲い掛かってくる、本来であれば人間よりも遥かに上位存在であるはずの悪魔たちの猛襲が全く問題にならない。
少し力をこめて拳や蹴りを当ててやるだけで、いとも容易く殺すことが出来る。
こんな戦いは弥堂にとって初めてのことだった。
これまではずっと、強者へ挑みかかることこそが弥堂にとっての戦いであった。
たった一人を殺すのにも、死力を尽くし頭を巡らせ散々苦労していたのが、今はどうだ。
まるで虫を振り払い踏み潰すように、何の工夫もなく、他の生命を喪わせることが出来ている。
『世界』がそれを自分に許している――
その強い実感が弥堂にはあった。
その証に――
胸の真ん中に刻まれた葉脈のような紋章。
『勇気の証明』という名の聖痕が強く熱を放っている。
今までは黒ずんだ入れ墨のようなものでしかなく、途中で切れていた葉脈が蒼銀の魔力光を輝かせながら全身へ廻っていた。
異世界に召喚された勇者に与えられる紋章。
世界を救うための力を神――『世界』から与えられる。
強く守りたいと願い誓う者であると『世界』が認めたことで能えられた“加護”だ。
自身の身の裡から生成される以上の魔力が、聖痕を通して何処かから流し込まれている。
それは尽きることのない無限のモノのように感じられた。
飛び掛かってくる人型大の悪魔たちを薙ぎ払っていると、奥から大きな鰐の姿をした悪魔が突っ込んでくるのが視えた。
開かれた巨大な顎が悪魔たちを呑み込みながら弥堂に迫る。
弥堂は右手に持った聖剣を意識し、強く魔力を注ぎ込んだ。
『――あっ……、おっきぃ……』
魔力で生成される剣身が大剣サイズにまで肥大化した。
一歩身を横に逸らし、大口を開ける鰐の口に大剣の刃を地面に水平に構えて合わせせる。
「――【切断】」
聖剣の加護を発動させると、巨大な鰐は勢いのままに上下に二枚に下ろされながら背後へ通り抜ける。
生命が抜け落ちたただの大きな物体として、そこらに転がる死体を轢き潰しながら地面を滑っていった。
『あぁ……っ、そんなぁ……、使われちゃった……。ワタシの加護……、いいよって言ってないのにぃ……、勝手に、まるで自分のモノみたいに使われちゃったぁ……』
続けて弥堂は大剣を片手で力任せに振るう。
水平軌道で振るわれたそれは一度に多くの悪魔を上下に別けた。
『あっ……⁉ そ、そんな乱暴に……、でも、いいよ……? もっとガシガシ振って? お姉ちゃん頑張るから……ぁっ』
「……効率が悪いな」
周囲の悪魔たちを睨み、弥堂は呟く。
強大なチカラに目醒めはしたが、なにぶん相手の数が多い。
『ゴ、ゴメンなさい……っ! がんばるから……! お姉ちゃんがんばってユウくんの全部受け止めるからぁ……っ、だからそんなこと言わないで? 何でもするから捨てないでぇ……っ!』
「だが、面倒でも片っ端から殺すしかないか」
勝利条件は単純だ。
水無瀬 愛苗を脅かすモノを皆殺しにすること。
「一匹たりとも逃がしはしない」
『は、はひっ……! わかりましゅた……! ユウくんの命令ならお姉ちゃん何人でも相手しまひゅ……っ! ニンゲンでも悪魔でも……! だからくらひゃい……っ、今日は、ナカに……っ!』
「…………」
弥堂は漲って有り余る魔力を聖剣と身体強化にさらに注ぐ。
『あっ⁉ あっ、あああぁぁぁああぁぁあぁぁ……っ! で、でてりゅぅ……、ナカに……魔力、いっぱい……っ』
より強靭になった剣身を引き摺りながら敵中を駆け巡った。
『ああぁぁ……、魔導コアがタプタプに……っ! ワタシ……モノにされちゃった……ぁっ、ユウくんのオンナにぃ……っ』
大きく足を踏み出してから腰を回して力一杯に大剣を奮う。
イメージするのはルビアの姿。
洗練された剣技ではなく、ただ豪快に殺意の暴風を巻き起こした。
ただ力任せに剣を振るう。
ただそれだけで視界いっぱいの敵がミンチになって弾け飛んでいく。
さっきまでのようにギリギリで凌ぐ戦いではない。
これまでのような生き延びる戦いではない。
こちらが狩る側だ。
絶対的な強者としての実感が、後から後から背筋を駆け昇って追いついてくる。
この力なら、今の自分ならクルードにも愛苗にも、かつての魔王にも――
誰にも負けない。
『あっ……あぁっ、ハァ~フゥッ……、ハッハッハッハッハ……ッ! しゅ、しゅごいぃぃ、ユウくんカッコイイ~ッ! ちゅよすぎてしゅごすぎてちゅよいぃぃぃっ!』
「…………」
なにか、さっきから頭の中で知らない女の嬌声が聴こえるような気がするが、きっと気のせいだ。
魔力を全開で使うとこういった幻聴が聴こえてくるのはいつものことだ。
ルビアやエルフィーネの声ではないが、そのへんはまぁ誤差だろう。
今はもうクスリは切れているが、それは大した問題ではない。
首の後ろを痺れさせるような陶酔がある。
己の裡で暴れて外へ漏れ出す強大なチカラ。
雑に乱暴にそれを奮うだけで簡単に他者を蹂躙できる。
腰から背骨を駆け昇って知覚すると錯覚する圧倒的な全能感。
その刺激を受けて脳が多量の快楽物質を全身へ駆け巡らせる。
麻薬以上の快楽。
全能を確信するほどに己の暴力に酔う。
幻覚や幻聴があっても不思議でないほどの興奮と快楽で満たされていた。
弥堂は自分がチカラに酔っていることを自覚している。
先程クルードを喰ったことでパワーアップし興奮した様子を見せたアスに対して、
「チカラに酔うのは三流だ」と言い放った。
それだけでなく、普段廻夜から必修だと言われて渡された小説たち。
その中に出てくる、チカラに目覚めたことで急に態度が大きくなる敵キャラや主人公に対しても、同様にそう思っていた。
だが、これは――
(――抗えない……!)
恥も外聞もなく理性をかなぐり捨てて身を委ねたくなるほどの多幸感がここにあった。
『気持ちい? 気持ちーのユウくん? お姉ちゃんも気持ちーよ? だから殺そ? もっと殺そ? 一緒に殺そ?』
しかし、ギリギリのところで弥堂はその陶酔に呑まれない。
絶叫をあげて暴れ出したい衝動が腹の中で渦巻いているが、それをどうにか抑えている。
それは理性によるものではない。
強大なチカラによる陶酔、惨めだったこれまでからの解放。
それを上回るほどの後悔と罪悪感が脳の中心で激痛を放ち、正気を繋ぎ止めていた。
肌を掻き毟るようにして胸の『勇気の証明』に爪を立てる。
このチカラは勇者のチカラ。
努力して研鑽し成長し身に着けたものではない。
異世界に召喚された時に本来は自動的に『世界』から能えられていたはずのものだ。
そして、それが今まで発揮されていなかったのは、自分に才能がないわけでも、召喚に不具合があったわけでもない。
ずっとそう思っていたが、そうではなかった。
このチカラが開放される条件は、何かを守りたいと思うこと。
何も特別な誓いではなく、勇者としてはあって当たり前の心構えだ。
何なら勇者でなくとも、ほとんどの人間には何かしら守りたいモノがあって当然なのだ。
今日ここでこのチカラが開放されたのは、水無瀬 愛苗を守りたいと思ったから。
弥堂自身にその自覚はなくとも、チカラが開放されているのなら、答えは自動的にそういうことになる。
じゃあ、今まで一度も開放されることがなかったのは何故だろうか。
その答えも自動的に決まってしまう。
グッと、強く、頬肉ごと歯を食いしばり、前歯を唇に突き立てる。
口の端から血が垂れた。
(そんなはずがない……!)
先程思い出したこれまでの自分の軌跡。
守るべき人は、守るべき時は、何回もあったはずだ。
あの時もあの時もあの時もあの時も――
彼女たちは自分にそうしてくれたというのに、その想いに生命を賭してくれたというのに。
(なのに、俺は――)
グラリと、魂が揺れる。
もしも――
異世界に召喚されたのが自分でなかったら。
例えばそう、水無瀬 愛苗だったならば。
彼女ならあんなクソッタレの世界や国でも、当たり前のように守りたいと、そう考えたことだろう。
心の底から。
彼女は自分に嘘を吐いて欺いていたメロに対しても恨み言など言わなかった。
例え騙されていたとしても、それでも先に自分の望みを叶えてくれたからと。
だから今度は自分の番だと。
“おあいこ”だと。
そう言って笑って、当たり前のようにメロを守ろうとした。
もしも自分に、彼女のような心意気が、優しさが少しでもあったのならば。
水無瀬 愛苗の理屈に倣うのならば、弥堂の望みはセラスフィリアに叶えてもらったことになる。
日本での現実に不満を覚え、違う世界で、違う自分に為りたいと。
世界を救うための戦いに身を投じたいと。
かつての弥堂 優輝は確かにそう願っていた。
だから、カタチ上は、セラスフィリアはそんな弥堂 優輝の願いを叶えてくれたことになってしまう。
もしも、弥堂が、あの時のクソガキが――
水無瀬 愛苗のように、“おあいこ”だと――
ほんの少しでもそう思えていたのならば――
もしかしたら誰も――
己の根幹が揺らぎ歪む。
この上なく強固に為った“魂の設計図”が急激にその強度を落とし、胸の紋章が輝きを弱めた。
『――ユウくんダメッ!』
その隙に、ダンプカーほどの大きさのサイが突進してきて棒立ちになった弥堂を撥ね飛ばした。
手足が引き千切れながら弥堂の身体が宙を舞う。
存在ごと身体を強化していた魔力が消えたことで、その衝撃で弥堂は即死した。
だが――
『――【殺害再開】』
壊れかけた弥堂の“魂の設計図”が一瞬で修復し、死んでまたこの世界へと戻った。
空中からの落下中に意識を取り戻し、体勢を無理矢理変えて着地する。
膝を着いて素早く顔を上げた。
『疑わないで!』
頭の中に声が響く。
『自分を疑っちゃダメ! 今の衝動に身を任せて……!』
知らない女の声がそう伝えてくる。
確かに自分のチカラの在り方を疑った瞬間に聖痕が輝きを失い、溢れるほど供給されていた魔力が無くなった。
恐らく正しい情報なのだろう。
しかし、こいつはさっきまで一人で勝手に喘いでいた頭のおかしい女だ。
素直にその情報を鵜呑みにするのは憚られた。
「……お前は誰だ?」
『ハァァァァァンッ! 喋った! ユウくんが! ワタシに喋ったぁ!』
「うるさい黙れ。さっさと答えろ」
『ハッ……、ハッ……! カワイイ! お話してる、カワイイ……!』
「くそが。なんなんだこいつは……!」
犬のような息遣いが頭の中に響き渡る。
まるで会話が通じないが、この症状の人間には覚えがあった。
それは廻夜 朝次だ。
彼が好きな作品や女性キャラクターについて語る時にたまに同じような感じになる。
突如として大いなるチカラを手に入れたのはいいが、その代償として弥堂は頭の中に限界オタク(メス)を飼うことになってしまったようだ。
『ユウくん! 敵がっ!』
「――っ⁉」
警告に反応して咄嗟に身体が動く。
横に転がって迫っていた悪魔の攻撃を躱し、とりあえず走り出して時間を稼ぐ。
『もう一度、思い出して! 守りたいって気持ちを……!』
顔を動かして愛苗の方を視る。
傷つき変わり果てた彼女の姿を眼に映すと、また胸の紋章が輝きだした。
『そう。考えないで。感じるままにその衝動を解き放って! 今はわからなくても、その想いはアナタにとって絶対に嘘なんかじゃない……!』
「お前は……」
『ワタシはエアリス』
「なんだと?」
ようやく名乗ったその名前に弥堂は眉を顰める。
聞き覚えのある名だったからだ。
思わず右手に握る聖剣に眼を遣る。
この剣の名は――
『聖剣エアリスフィール。ワタシはその剣の管理人格よ』
「管理……人格……?」
『その剣の由来は知ってるわよね?』
「初代勇者のために造られた剣。それには――」
『そう。初代聖女の魂が宿っている。ワタシがその初代聖女、エアリスです』
「…………」
確かに伝承でも、二代目の残したノートにもそのように記録されていた。
聖女の魂が宿っているとは知っていたが、まさかこんな風に人格が残っていて喋りかけてくるとは思ってもみなかった。
これもチカラが目醒めた影響なのだろうか。
『アナタの胸の聖痕とこの聖剣はリンクしている。勇者としての資格を満たしたことでワタシとも完全にパスが繋がったの』
「チカラとともにお前も目覚めたというのか?」
『ううん。ワタシはずっと起きてた。パスが繋がっていなかったせいでワタシの声が聴こえていなかったの。ワタシはずっとアナタと共にいて、ずっとアナタに話しかけていたわ』
「ずっと……?」
『うん! お姉ちゃんね! 6年以上ずっとユウくんに話しかけ続けてたの! やっと会話ができた! エラい! ユウくんお話できてエラい!』
「殺すぞ」
何故かひどく侮辱されたような気がして弥堂は苛立ちを覚える。
(しかし……)
それにしてもと、考える。
これまで資格を満たしていなかったせいで気付いていなかったが、6年以上も壁打ちをし続けるような深刻なストーカーが、知らぬうちに頭の中に住み着いていたことに強い嫌悪感を抱いた。
「気持ちワリィなお前」
『キャー! ありがとうございます!』
率直に気持ちを伝えてみたら何故か喜ばれる。
今日初めて彼女と会話したはずだが、どこかこのやりとりに覚えがあるような気がした。
『お姉ちゃんがんばるからね! ゴメンね、これまでちゃんと助けてあげられなくって』
「助ける?」
『加護を貸してあげたり、魔術や霊子の操作の補助は出来る限りしてあげたんだけど、やっぱりパスが繋がってなかったからそれも限られてしまって……』
「どういうことだ?」
『それは――』
どうやら話しこんでしまっていたようで、いつの間にか悪魔たちに取り囲まれており、説明を聞く前に一斉に飛び掛かられた。
『それは、例えば――』
いくら身体が強化されていても、数が多すぎて回避が間に合わない。
弥堂はもう一度死ぬことを覚悟するが――
『――【不誠実な真実】』
頭の中でエアリスがそう唱えた瞬間、周囲の空間が歪んだように錯覚した。
そう感じたのは弥堂だけではなかったようで、襲いかかってきた悪魔たち全てが目測を誤ったかのように進路を変え、そして同士討ちをした。
「これは……」
弥堂を中心とした周りに悪魔たちが崩れ落ちてくる。
何もしていないのに彼らは勝手に仲間同士で殺し合って自滅した。
『周囲の霊子に少しだけ干渉して気配を誤魔化す。ユウくんもたまに使うわよね?』
「…………」
『今のアナタとワタシのチカラなら、周囲の霊子をジャミングして他の連中の知覚と認知を完全に誤認させることが可能よ』
信じ難いが、今起きた現象がその真実性を証明していた。
聖剣の管理人格とはそのようなサポートが可能なのだろう。
『アナタは今まで苦しんで、耐え抜いてきた。今日この時こそ、その魂が解放される』
「俺は……」
『ワタシは一番近くでずっとアナタを見守ってきました。一番近くで』
「……何故二回言った」
剣に胡乱な瞳を向けるが、所詮は無機物。
人間の感情など察してはくれない。
『ワタシの勇者さま。今こそアナタの魂の輝きを示す時です』
「…………」
『アナタこそが最強。初代より二代目より、魔王よりも。神に仇なす邪悪な悪魔どもなど敵ではないわ』
弥堂は黙って聖剣に魔力を送り込み、悪魔に対峙しなおした。
『……んっ。さぁ、ワタシを振るって。これらは総てアナタのチカラ。ただその心の衝動のままに。「ワタシはアナタのモノよ」』
「心の衝動……」
視線の先にはまだ大量の悪魔。その奥には苛立ちを露わにしたアスの姿。
「バカな。こんな圧倒的なチカラ……、“神意執行者”だとしても規格外だ……!」
その顔には苛立ち以上の驚愕が浮かんでいた。
『アタリメエだろうが三下クソ悪魔がよォッ! 誰にクチきいてんだカスッ! 世界樹の女神の寵愛を受けたワタシの勇者さまだぞ! 切断すんぞボケがッ!』
そのアスにエアリスが人が変わったような汚い言葉で怒鳴りつけた。
そういえば初代聖女は悪魔に対して容赦のない人物だと記録に残っていた。
エアリスの言葉はアスにも聴こえていたようで、彼はハッとした。
「セフィロト……? その紋章は、まさか……⁉」
『気付くのが遅ェんだよグズがァ!』
「世界樹……⁉ 雛鳥……! 葉脈の末端! 貴様ッ! 『エッジ・オブ・ヴェイン』かッ⁉」
『アハハハハ……ッ! 薄汚い悪魔どもめッ! 皆殺しだッ! 神に跪いて命乞いをしろォッ!』
「クッ……! ふざけるな! なんでこの世界にそんなものが! クソッ! 殺せェ!」
急に激しい怒りを吐き出してアスが手下へ号令を出す。
心なしか他の悪魔たちも先ほどよりも殺気立っていた。
今のやりとりは弥堂には何一つわからなかったが、勝手に戦端は開かれてしまった。
「……まぁいい」
聖剣を握り直す。
どうせやることは変わらない。
思考を操作して先程考えた負の情念を全て何処かへ押しやる。
すると再び強大な魔力が漲ってきた。
「要は殺せばいいんだろ。それだけは今までと何も変わらない」
先程よりもチカラが馴染んでいる気がした。
目的ははっきりしている。
ここで、決着をつけることを決めた。
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