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1章 魔法少女とは出逢わない

1章78 弥堂 優輝 ⑮

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 魔王の首を持って、俺はグレッドガルドに帰還する。


 俺が戻った時も皇都の外ではまだ戦闘が続いていた。



 颯爽とこの戦場に現れ、討ち取った魔王の首を高く掲げ、それによって動揺し崩れ落ちる魔族軍を、士気を上げた人間たちが城壁から一斉に飛び出してきて、そして滅ぼす。

 本当ならそうするべきなのだろう。


 だが、何となくこれを誰かに触れさせるのも、人目に晒すのにも抵抗があって、俺はやはり皇都へ忍び込んでセラスフィリアに会いに行った。


 あいつの執務室に入るとちょうどタイミングがよかったのか、部外者は居なかった。

 部屋の中に居たのはセラスフィリアとジルクフリード、そしてルナリナの3人だった。休憩中だったのかもしれない。


 大魔導士であるルナリナは城壁の防衛に駆り出され砲台として酷使されていたのだろう。酷い顔色だ。彼女は戦闘者としても優秀ではあるが、実戦経験が足りていない。明らかに戦場に疲弊している。

 対してジルクフリードは元気そうだ。エルフィーネが死んだことでこいつはイカレ女の傍を離れられなくなった。替わりが出来る護衛がいないから。いよいよとなったらこの最強の騎士を出すのだろうが、今のところはあまり戦場には出ていないようで消耗が見えない。

 セラスフィリアは――いつも通りだ。彼女が俺の案を採用したせいで主力が全滅し、苦戦を強いられることになった。だから相当に立場を悪くしたはずで、その状況でも全体のイニシアチブを握り続けるのは苦労したことだろう。だが、そんな様子はカケラも見せていない。


 部屋に侵入した俺に、そんな彼女らの視線が集中する。

 俺は何も言わない。

 何を言えばいいかわからなかった。


 それは彼女たちも同じだったのかどうか、それはわからない。

 3人とも驚いた後、俺の顔を凝視したまま、やはり何も言わなかった。


 そういえば彼女らの中では俺は死んだという認識になっている可能性もあったかと気付いたが、どうでもいいし、特に聞かれなかったのでやはり何も言わない。


 俺は無言で彼女らの前のテーブルの上に、手に持っていた袋を丁寧に置く。

 そしてゆっくりと袋を剥がした。


 全員が息を呑む気配がした。

 その顔を見たくなくて俺は露わになった首を見ていた。

 魔王の娘が施してくれた“保存の魔術”のおかげで綺麗な死に顔のまま、そこに在る。

 だが、其処に元の“魂の設計図アニマグラム”は視えない。魂の残滓すら。


 彼女らは魔王の顏を知らないはずだが、それでもこれが誰の首なのかわかってしまったのだろう。


 ルナリナは物言わぬ、もう生きていないただの物体に恐れを抱いたように、ヘナヘナと脱力し床に尻をつけた。

 あのジルクフリードですら目を見開いて、首を凝視している。

 セラスフィリアは――


 彼女の瞳が明確に揺らぐのを俺は初めて見た。

 セラスフィリアは身を硬直させた後、まるで一瞬だけ気を遠のかせたようによろめく。


 これはこの女の悲願でもあるから無理もない。

 だけど、それで本当に倒れるような可愛げのある女でもない。


 強く――


 一度だけ瞼を閉じて、それから開き、すぐに命を発する。


「討って出ます。ルナリナ、門兵に報せを――」

「――え? あ……、は、はい……っ!」


 尻もちをついて呆けていたルナリナは慌てて走り出す。

 彼女が部屋から出る頃にはセラスフィリアももう動き出している。


「ユーキビトー。着いてきなさい――」


 すれ違いざまに俺にも命じる。

 俺は、答えない。


「ジルクフリード――」

「――御意」


 部屋の出口の一歩手前で立ち止まり、自らの騎士へ命じる。

 名を呼ぶだけで命令を理解し、ジルクフリードはテーブルの上の首に手を伸ばした。


 俺はその手を掴んで止める。


「ユウキ……?」


 不思議そうに彼は俺の顔を覗く。


「……悪い。ジル。触らないでやってくれ」

「…………」


 俺の顔を見てどこまで察してくれたのかはわからない。

 ジルは腰を折ると、俺が先程放り捨てた袋を拾って、それを丁寧に俺の手に持たせてくれた。

 そして彼はセラスフィリアの方へ向かう。


 俺は袋をギュッと握る。


 そりゃそうだよなと、自分を諦めさせ、袋に首を仕舞い直してから俺も部屋の出口へ向かった。


 扉の所で怪訝そうな顔をしているセラスフィリアの肩に手をかけて彼女をどかし、廊下に出て勝手に歩き出す。

 皇女に対して完全に礼を失した行いだが、セラスフィリアは効率を最も重視するので、他に人目が無ければ俺のこういった行動を特に咎めない。

 ジルクフリードを従えて俺の後に着いてきた。


 何も説明を聞いていないが、この後彼女が俺に何をさせるのかはわかっている。

 だから黙って歩いた。


「……ユーキビトー」


 すると、背後からセラスフィリアに声をかけられる。

 こういった時に彼女は無駄な口を聞かない。

 だから何か伝えるべきことがあるのだろう。


 俺は足を止めない。

 話すのは移動しながらでも出来るので、いちいち立ち止まるのは時間の無駄だからだ。

 返事もしない。


 それについては同じ考えを持っているので、セラスフィリアもやはり咎めはしない。

 彼女も進みながら俺の背へ言葉を続けた。


「よくやったわ――」


 足が止まる。


「……よく、やった……? 何を?」



 思わず振り返り彼女の顔を視て問う。


「え……?」


 セラスフィリアは困惑していた。


 思えば彼女に何か褒められたのはこれが初めてだ。

 だが、そのことに驚いて立ち止まったわけではない。


「どういう意味だ?」


 本気で『よくやった』の意味がわからなかった。

 俺は何一つ“よくやって”などいない。


 セラスフィリアは俺の顏と眼の色に、怪訝そうにしている。


「どういうって……、魔王討伐に決まっているでしょう」


 これは本気の困惑だ。

 おそらく演技などではない。


「まさかアナタに達成できるとは思っていなかったわ。だから嘘偽りなく、心から称賛します」


 まぁ、そうだろう。

 彼女は知らないのだ。


 俺が二代目から聞いたこの『世界』の真実も、魔王の正体も。

 それは彼女でさえも知っているはずがないのだ。


「……?」


 セラスフィリアは眉を顰めた。


 きっと俺の表情に出ていたのだろう。

 別に隠すつもりもないが、隠そうという発想も浮かばなかった。


 きっと今の俺の顏には深い失望が表れていることだろう。


 彼女にしてみれば、せっかく功績を素直に称賛してやったというのに、俺のこの態度が解せないのだろうな。

 だがジルクフリードは何か感じるものがあったのだろう。その手がピクリと動き、ほんの一瞬だけその腰に佩びた剣を意識した。


 俺としても別に『わかれ』と言うつもりはない。

 これはただの身勝手な感情だ。


 彼女は知っているはずがない。

 だけど、何故か、『知っていて欲しかった』と、俺はそう感じてしまった。


 俺は彼女によってこの世界に喚びだされ、今日まで5年以上の時をずっと彼女の掌の上で踊らされてきた。

 だから知っていて欲しかった。

 ずっと何もかもを見通して、俺以外にも多くの者の運命を操ってきたくせに、ここにきて、これだけは、『知らない』、だと?

 ふざけるなと、そう感じてしまった。


 だが、それは無茶な注文でもあるとよくわかっている。

 人類に限らず全ての存在の知り得ぬことで、俺が知ったのは偶々そういう役割だっただけに過ぎない。

 そしてその役割を俺に与えたのはこの女だ。

 だから――


 無駄な思考がループする。

 思考未満のただの感情――もしかしたらそれですらない、ただの不快を示す脳の反応かもしれない。


 それに知ったところでもうどうにもならないし、知っていたとしてもどうにもならなかっただろう。

 きっとこの女なら知った上で同じ役割を俺に与え、同じことをさせる。

 俺自身もそうする他ないと思う。


 だけど、もしも知っていたら、もしくは今からでも彼女に知らせれば、このイカレ女も少しは罪悪感を覚えてくれるのだろうか。


「…………」


 意味がない。


 俺はもう何も言わず、再び歩き出した。


 城の廊下を通って出口を目指す。


 赤い絨毯の上を歩く。


 何歩か進んで思い出す。


 そういえば、初めてこのイカレ女に腕を斬り落とされたのはこの廊下だったなと。


 あの時、あの瞬間に、この女に因って――


 夢も、希望も、片腕と共に斬り捨てられた。


 全てを捨てろと――


 まるで血のような赤い絨毯を踏んで歩いていく。


 今さら知って、今さら罪を感じたところで意味などない。


 その罪を贖うべき相手はもうこの先には居ないのだから。


 死者は全て後ろに――過去に居る。


 輝かしき勝利の栄光を掲げるべく血色の絨毯を踏みつけて歩いていく。


 コッコッコッ――と不変の拍子で残響音を置く。


 死に別れた者を踏み越えた先にはもう誰もいない。


 残して逝くのは幻想と為った骸。


 その美しくもない思い出は朽ち果てて尚踏み躙られ、結末に立つ者は高潔であることも赦されず――






 城壁を塞ぐ大きな正門が開くと、戦場で争う全ての者の目が集まる。


 門の中から出てくるのは整然と並んだ騎馬隊。

 それを構成するのはセラスフィリア直下の近衛騎士団で、先頭を進むのは最強の騎士ジルクフリードだ。


 全隊が外へ出たところでピタリと乱れなく騎馬隊は止まる。

 そして隊の両脇の騎馬が構えるグレッドガルド皇国の旗が高く掲げられた。


 その旗の示す先に全ての者の視線が集まる。


 そこは城壁の上、立つのはこの国の――そしてこの連合軍の頂点であるセラスフィリア=グレッドガルドだ。

 俺もその隣に立つ。


 戦況はわずかに人間が優勢に見える。

 魔王が仕込んだ内乱部隊は壊滅したようだが、魔族側はその分裂によって大幅に戦力も士気も減らしていた。


 俺たちがこれからするのは、それにトドメを刺すことだ。


「聞きなさい、愚かな魔族どもよ――」


 魔術によって拡声されたセラスフィリアの声が戦場に響く。


「我が名はセラスフィリア=グレッドガルド。この国の皇女である――」


 名乗りを上げると魔族たちの視線に一斉に殺意がこもる。

 当然だろう。ヤツらからすれば敵の親玉だ。

 劣勢にある中、この女さえ殺れば――王の首さえとれば勝てると、自然とそう考える。


 だから先にその心を折る。


「――ユーキビトー」

「…………」


 隣の俺にだけ聴こえるようセラスフィリアが呼ぶ。

 俺は答えず、彼女の顔を視た。


 彼女はいつも通りの表情だった。

 皇女の――為政者としての顔だ。

 物理力が具わっていると錯覚するほどの、魔族たちの重厚な殺気を一身に受けてもこの女は微動だにしない。

 底に確かな自分が在るからだ。


「やりなさい」

「あぁ」


 彼女に命令をされたことで俺の身体は勝手に動き出す。

 条件反射のように。

 底に確かな俺が居ないから。

 自分では何も出来ない。

 だけど、命令をされてしまったから。

 だから、動ける。


 あぁ、そうか。

 この時初めて気が付いた。


 俺はずっとこのイカレ女に反発心を抱いていた。


 だが――


 命令をされるというのは、こんなにも楽なことなのかと――



 俺はこれまでずっと抗っているつもりだった。


 抗っているつもりで、この女のような権力者たちに操られているのだと考えていた。


 だが、違った。


 命令されたから、役割を与えられたから。


 死なせちまったヤツらの代わりに戦い抜くと。


 そうじゃなかった。


 俺はただ、より楽な方に流れていただけだった。


 考えることをやめて、別の道を探すことをしないで。


 同じことを続けていれば、どうせその途中で簡単に死んでしまうから、だから別にこのままでいいだろうと。


 袋の中から魔王の首を取りだす。


 だが、気付いたからといって、もうここで――


 ここまで流れて来てしまって、もう今更止めるわけにはいかない。



 俺は右手に持った魔王の首を高く掲げた――



 一瞬全ての音が消え去って、それから怒号が轟いた。


 湧き立ち勝ち鬨を上げる人間たち。

 崩れ落ち項垂れ慟哭する魔族たち。


 王の首さえとれば勝てると思った矢先に、逆に自分たちの王の首を見せられたのだ。

 魔族たちはもう戦えないだろう。


 一頻り狂ったように歓んだ人間の兵たちは、戦意を失った魔族たちに襲いかかった。


 眼下の狂乱を俺は黙って見下ろす。

 今も続く怒号が戦場の空気を震わせ、城壁の上の俺の肌をビリビリと刺激し、鼓膜までをも激しく叩き、頭蓋骨の中まで揺れた。

 気が遠くなる。


 城壁の前に陣取る兵たち、後ろの民衆たち。

 多くの人々が俺への称賛をあげている。


 これは夢だ。


 夢だった。


 この世界に来る前、来てから少しの間。


 その時に夢見た光景だ。


 思い通りにならない現実から目を逸らし、今とは違う何処か、自分とは違う誰かを想像し、夢見た光景。


 思い出せよ。


 これが望みだったんだろ。


 こうして多くの人々から持て囃されることが。


 まるで英雄のように。


 だが現実は――



 一つ学んだ。


 誰かを殺すということと、その結果にある誰かの死を穢すことは、全く別のことなのだと。


 ほぼ無抵抗の魔族たちが次々に殺されていく。

 魔王は、本当はこんなことは望んでいなかったはずだ。

 彼らのことも助けたかったはずだ。


 彼らを救おうとしていた者の首をトロフィーのように掲げながら、彼らが殺されていく光景を見下ろす。

 これは魔王の死への冒涜だ。


 魔王だけでなく、数千年もの間続いた戦争の中で死んだ全ての者たち。

 その果てとなったこの戦場で死んだ全ての人間と全ての魔族。

 ルヴィやエルフィ、リンスレットも。

 俺のせいで死んだ全ての人たち。

 俺が殺した全ての人々。


 そのあらゆる総ての死を俺は穢した。


 幾千年積み重なった数えきれない死体を踏みつけその上に立ち、今こうして喝采を浴びる。


 まさに偽物の英雄だ。


 これが俺という存在だ。


 だけど、これで、戦争は終わった。





 その夜、場内では戦勝パーティーが行われた。

 逃げ伸びた魔族を追って残党狩りの部隊は既に発っている。


 次の日には魔族領を滅ぼす為の大部隊が皇都を出た。

 それを見送って皇都内ではパレードが開催された。


 俺はパーティーとパレードに出席した。


 こんなものには普段の俺なら参加するわけがないのだが、魔王を討った英雄として民衆に姿を晒さねばならない。

 最後まで道化を演じる、その責任が自分にはあると感じた。


 だから二日間だけ付き合って、そして俺は城から姿を消した。



 以前に戦場となったエルフの大森林近くに行くと、いくつかの人影が俺を待っていた。


 魔王――二代目からはもうひとつ頼まれていた。


 俺を待っていたのは魔王の娘――プァナだ。


 魔族は恐らく人間たちに皆殺しにされるだろう。だから娘だけでも隠して面倒を見てやってくれないかと――俺はその頼みを受けた。


 プアナと一緒に居た侍女のような魔族の女は、俺にプァナを引き渡すと頭を下げようとする。

 俺はそれをやめさせた。


 彼女は複雑な感情を浮かべた目で俺を見て、そして去って行った。


 グレッドガルドの戦場から逃げた魔族たちは自分たちの首都を目指している。

 そして首都に元々居た者たちは、攻め滅ぼしに来た人間たちから首都を捨てて逃げることになるだろう。


 彼らを囮にしてプァナだけを逃がす。

 そういうプランだ。

 最低だ。


 俺は戦場となる場所から遠ざかるようなルートで他国へと向かうことにする。


 リンスレットが遺してくれた密偵チーム。

 彼らが何故俺に手を貸してくれていたのかはわからない。

 本来はセラスフィリアが雇い主のはずだが、何故だか、俺の方を優遇してくれていたような気がする。


 だが、気がしただけなら気のせいなので、結局彼らの本心はわからない。

 だから全員始末した。

 魔王の首をとってグレッドガルドへ戻る前に皆殺しにしておいた。


「……お兄さん。ごめんね」


 歩き出そうとするとプァナが謝ってくる。

 俺はなんと答えるか少し考えて、彼女へ手を伸ばした。


「おいで、プアナ」


 俺に出来る限りの愛想笑いを浮かべて。


 誰かを騙すつもりもなく、作り笑いをしたのは数年ぶりのような気がした。



 そこからプァナとの旅の生活が始まる。


 しばらくはまるで旅行のような平穏な旅だった。


 思えば、戦いとは関係なくこの世界に触れるのは初めてだった。


 しかし、それはそんなに長くは続かなかった。



 マークされていたのか、ただバレたのか、それともリークされたのか――


 魔王の娘に懸賞金がかかった。


 全ての国の軍隊と教会が俺たちを殺さんとし、金欲しさに全ての人間が血眼で俺たちを探し回る。


 俺とプァナは全世界の敵とされた。
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