俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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1章 魔法少女とは出逢わない

1章78 弥堂 優輝 ⑦

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 セラスフィリアは俺を切れなくなった。

 それは同時に俺も降りることが許されなくなったことも意味する。


 三代目がこの世界に降り立っていたことに各国の首脳は喜び、そしてすぐにでも最前線で先頭に立って軍を率い、魔族を滅することを望んだ。

 セラスフィリアは1秒考えて、場が汚れてしまったので会談の仕切り直しを提案した。

 翌日に緊急でまた話し合うことが決まった。


 解散すると同時に俺とリンスレットはジルクフリードを始めとする騎士たちにガッと掴まれ、すぐさまセラスフィリアの執務室に連行された。


 ジルクフリード――ジルはセラスフィリア専属の護衛騎士だ。

 俺やセラスフィリアより一つ二つ年上でほぼ同年代だ。

 この国では騎士というだけでまぁまぁエリートの部類になるのだが、その中でも皇族の専属――つまり近衛として選ばれることはこの上のない名誉なことである。

 それをこの若さで抜擢されている彼はエリート中のエリートということになる。


 ジル自身が名門の貴族の家で生まれたこともあるが、それよりも彼自身の実力でその座を勝ち取った事実に文句をつける者は誰も居ない。

 戦闘能力だけでなく作法や振舞い、気の利かせ方に頭の回りの良さ、どれ一つとっても非と謂えるような所が彼には無い。

 もちろん勤務態度も模範的で、誠心誠意セラスフィリアに仕えている。


 そんなジルの目の前で、他国の重鎮の目もある中で、セラスフィリアの唇を奪うなどという暴挙を俺は仕出かしたわけだ。

 きっと怒り狂っていることだろうと内心少し怯えていたが――


「ヤンチャしすぎだよー、ユウキ」


――などと、いつものように彼はニコニコとしていた。


 殺す笑み――などではなく、彼がいつも浮かべている愛想のいい普通の笑みだ。


 ジルは戦いとなれば鬼のような強さを発揮するが、普段は、たまに遊んでくれる近所の面倒見のいい兄ちゃんみたいな感じだ。

 俺がこの世界に召喚された時からずっと、俺にもそう接してきている。


 さらにこいつは頗る顔がいい。

 そして誰にでもそういう態度なので身分問わず女たちにも大人気だ。


 俺はこの優男然としたイカレ男に何度も部位破壊をされ、セラスフィリアを殺しに行った最終決戦ではこいつと壮絶な殺し合いをしたのだが――

 出会った最初の頃も、この時も、そして日本に帰ってきた今も、こいつのことは友人のように思っている。

 男同士でそんなことを確認し合うのは非常に恥ずかしいことなので聞いたことはないが、多分ヤツもそう思っているような気がする。


 ジルは騎士道というものに狂っている。

 主に絶対の忠誠を誓っているし、それを違えるような行動は絶対にしない。

 だが、それはセラスフィリアを狂信者のように妄信しているのではなく、主に対してそうすることが彼の騎士道だからそうしているのだ。

 だから、仮にセラスフィリアが間違ったことをしていて、ジル自身もそれを間違いだと考えていたとしても、それでも必ず従う。嫌々やるのではなく当たり前のように従う。そこにストレスは一切ない。

 その狂気こそが彼の騎士道で、そしてそれを体現しその道を貫く為の強力な加護が彼にはあり、それが彼をこの国最強の騎士たらしめていた。


 初めの頃はジルのそういう部分が全く理解出来なかったし、この時ももちろんそんなにわかっていなかったが、今ではその徹底ぶりには一定のリスペクトを抱いている。

 共感は出来ないがそういう生き物なのだと受け止めている。


 それに、こいつが俺に酷いことをするのはセラスフィリアの命令があった時だけなのだ。

 だからセラスフィリアが悪い。

 あの女さえいなければきっと俺とジルは何の問題もない親友になれていたことだろう。


 分解拷問が始まった時は彼に本気で恐怖を抱いていたが、あまりにしつこく続いたので慣れてしまい、最前線送りになる前にはまた友人関係に戻っていた。

 刑務所にぶちこまれていた俺によく差し入れを持ってきてくれて、そのついでに罪人を処刑して帰っていくイカレた日々の中でもこいつは屈託のない笑顔を俺に向けてくれていた。


 というわけでイカレ女から特別命令を受けていない彼に、俺への害意がないことはわかっているので、俺は無抵抗のままジルクフリードの肩に担がれて運ばれる。


「おかえりユウキ」
「あぁ」


 ボソボソと小声で挨拶を交わす。

 すると、俺と同じようにリンスレットを肩に担いだ騎士が、俺たちを追い抜いて前に進んでいったので一旦話を止め、一定距離を開けてその後ろに続く。


「驚いたよ。よくここまで入ってこれたね」
「俺も驚いた。辿り着く前に捕まると思ってたからよ」

「まぁ、何よりまた会えて嬉しいよ。よく無事に帰ってきた」
「お前だけだったら俺もそう言えるんだけどなぁ……」


 周囲に聴こえないように世間話をしながら廊下を移動する。


「……それより聞いてもいいかな?」
「なんだ?」

「あの子はユウキの彼女?」
「あの子……?」


 ジルが指しているのが前で担がれるリンスレットのことだと気付く。


「いや? 最近知り合ったばかりだ」
「そう。大丈夫? 騙されてない? あの子けっこう遊んでると思うよ?」

「本人も自分でそんなこと言ってたな。俺はそんな気はないよ」
「そっか。それならいいんだ」


 樽の様に担がれているために現在大解放中のノーパン女のスカートの中を見ながら俺たちはそんな下らない話をする。


「ユウキ少し変わったね」
「そうか?」

「うん。男らしくなったというか、カッコよくなったよ」
「そんなこたねえよ。戦場じゃ最後まで泣きながら逃げ回ってるだけだった」

「でも生きて帰ってきたじゃない。騎士団でもね、よく言われるんだ。なんだかんだ生き延びるヤツが一番強いって。だから偉いよ。本当によく帰ってきた」
「ハッ――落ち延びたの間違いだろ」

「でも、体つきも少し逞しくなったよ。ほら、お尻とかいい感じに筋肉ついてきてる……」
「あいてっ――」

「――あ、ごめん。優しく触ったつもりだったんだけど、怪我でもしてた?」
「あーいや、そんなんじゃない。ずっと馬車に座ってたからよ。ケツが痛ぇんだ」

「はは、そっか」


 俺が痛がったせいで反射的に離してしまった手で、ジルは俺のケツを労わるように優しく撫でる。セラスフィリアさえいなければこいつは心優しいヤツなのだ。


「まぁでも、少し力は付いたかもな。聞いてくれよ。やっと片手で剣が振れるようになったんだ。後で見てくれよ」

「いいね。ぜひ」
「まぁ、お前は忙しいかもしれないから、暇があったらでいいぜ」

「ううん。そんな、絶対。時間作るよ。約束だよ……」
「あ? マジで? 悪いな」


 1年以上会っていなかったがジルは前と同じように話してくれる。


 こいつはルビアのことは聞かなかった。

 これだけ俺の変化に気付くのなら、俺の言葉遣いがまるで別人のようになっていることにも必ず気が付いている。

 だがそれで色々と察してくれたのだろう。そのことには触れないでくれた。


 もしかしたら主であるセラスフィリアが問う前に自分が聞くのは不敬だと考えたのもあるのかもしれない。

 だが、こいつはセラスフィリアさえ居なければ俺を分解したりしないし、基本的にイイ奴なのだ。


 すると、ふと近くを歩くセラスフィリアとエルフィーネがとても悍ましいものに向けるような目で俺たちを見ていた。

 きっと自分の近衛を抱きこまれるかもしれないと警戒しているのだろう。

 浅ましい女たちだ。こいつには男同士の友情など理解出来ないのだろうと俺は軽蔑する。


 俺とどんなに仲がよくなろうと、ジルは自分の騎士道に背いたりはしない。

 そう考えるのはこいつに対する侮辱なのだ。

 だから俺はセラスフィリアに文句を言ってやろうとしたのだが、


「いいんだ。気持ちだけで十分だよ」


 と、ジルクフリードは俺のケツを撫でて微笑んだ。

 俺もこいつの顏を立てることにして口を閉ざすことにした。

 女性二人の顔色が今にも吐きそうなものになっていたが、俺は視えないフリをしてジルに運ばれた。



 セラスフィリアの執務室に着くとすぐに人払いがされ、俺は事の次第を問い質される。

 俺はやはりノープランだったので、起こった出来事を正直に話した。


 嘘を吐いてもよかったのだが、ただ嘘を吐いたその先の着地点というかゴール地点がない。元の予定ではこの時点で俺は処刑されているはずだったので、この先の目的が何もないから、嘘を吐いて誤魔化す理由がなかったのだ。


 部屋に残ったのはセラスフィリアとエルフィーネ、それからジルクフリードだ。

 ジルはニコニコとしていたが、女二人は俺の変貌ぶりやあまりの態度の悪さに戸惑いながら話を聞いて、そして難しい顏をした。

 特にルビアのことを話した時はそれが顕著に表れていた。


 その様子を視て、やはりルビアの死はイカレ女にも予定外のことだったのだと思えてしまい、俺は苛立つ。

 考えてみれば当たり前で、強力な魔族とも互角以上に戦えるほどの“神意執行者ディードパニッシャー”は本当に希少だ。

 その彼女を無駄に死なせる理由などない。


 だからイカレ女が始末したかったのはきっと俺だけなのだろう。

 だから、ルビアの死はやはり俺のせいで。

 きっと、俺だけのせいだ。


 セラスフィリアが失敗をしたという結果には指を差して笑ってやりたい気持ちがあるが、その結果の中にある事実を思うととても「ざまあみろ」とは言えない。


 仄暗い情念を腹の底で燻らせていると、ふと隣から「話がちがう……」という声がボソっと聴こえてきた。

 セラスフィリアとエルフィーネが相談をしていて暇だったので、声のした隣へ顔を向けると、そこには死人のような顔色をしたリンスレットがいた。


 床に胡坐をかいて座る俺の横で跪いて、床に向かってブツブツと何かを言っている。

 そういやこいつまだ居たのかと、今の今まで忘れていた彼女のことを思い出した。


 ここまでの道中いつも明るい笑顔を絶やさなかった彼女はすっかりと追い詰められた表情をしている。

 考えてみれば、リンスレットは俺のしょうもない嘘に巻き込まれただけなので、彼女には悪いことをしてしまったなと思う。この時の俺にはまだそういう気遣いがあった。


 だから彼女を慰めるというか労ってやるために、俺は手を伸ばしてリンスレットのケツを撫でてやる。

 すると彼女は涙目に殺意をこめて俺を睨んできた。

「わかってるよ、うるせえな」とばかりに俺は頷いてやる。

 そして未だ密談中のセラスフィリアに話しかけた。


 この国の実質的な最高権力者の話を遮って、「なぁ、このリンスレットのとこで何か買ってやってくれよ」と俺は要求する。

 何やら「始末」だとか「異端審問」だのと、物騒な言葉が飛び交っていた会話がピタッと止まり、セラスフィリアが無感情な顔をこちらへ向けてきた。


 不意に腕が引かれる。

 リンスレットが涙を溢しながら激しく顔を横に振っていた。


 なんだこいつ? お前が言えって言ったんだろと、俺が眉を顰めるとセラスフィリアが要求を突き付けてくる。


 何でも明日の会談に俺も参加する必要があるが絶対に一言も喋るなとのことだ。

 俺には特に何か主張したいことがあるわけでもないのでそれは別に構わないのだが、こいつの命令を聞くのが癪だったので特に意味もなく拒否してみる。


 すると、言うことを聞かないとその女を殺すと脅された。

 俺はその女は殺しても構わないから、さっき俺をディスったお姫様っぽいヤツとレスバをさせろと要求する。

 すると、“その女”が俺の腕を強く引いて止めに入った。


 自分がこの密談の場に置かれている意味を考えろとリンスレットは声を荒げる。

 殺すつもりだから聞かれても構わないって意味だと。

 頼むから自分の立場をこれ以上悪くしないでくれと、彼女は涙ながらに命乞いをした。


 その言動に何故かセラスフィリアが感心する。

 イカレ女は効率がいいことが好きなので、全てを言わずとも自分の意図を察してくれる人間を好むのだ。

 グロウベル商会とツテを作ることを条件にセラスフィリアはリンスレットを仮釈放してやると告げる。

 つまり、死ぬ気で実家と話をつけてこいという意味だ。

 その意向を正確に受け取ったリンスレットは悲愴な顔で首を縦に振り、俺は明日喋ってはいけないことになった。


 こんな始まりだったが、なんだかんだセラスフィリアとリンスレットはウマが合ったようで、この後いい付き合いをしていたようだ。


 セラスフィリアの次の予定があるのでこの場は一旦解散することになった。

 俺はルナリナに用事があるので一番に部屋を出た。


 すると、エルフィーネが着いてきた。

 俺はこの人形のような女が何を考えているかわからない上に、華奢で可憐な中学生くらいの見た目のくせに頭がおかしいくらいに強いから非常に苦手だった。苦手というか怖い。

 だから「お前怖いからどっか行け」と拒否をしたのだが、それを拒否された。


 今の貴方は何をするかわからないので監視するように命令されたと、彼女は言った。

 俺は諦めて両腕を拡げて立ち止まる。

 エルフィーネは不可解そうに首を傾げた。


 さっきジルクフリードがやったみたいに俺を運べと命令した。

 するとほぼノータイムで強烈な腹パンを繰り出してきて、俺は一撃で床に沈む。

 エルフィーネは悶絶する俺の襟首を掴んで引き摺りながら歩き出した。


 ダメだ、この女には通じない。

 俺が内心でそう戦慄していると、本当に珍しいことに彼女が話しかけてくる。


 このエルフィーネという女は無駄な口をきかない。

 イカレ女のように効率至上主義というわけではない。ただ余計なことをしないのだ。

 だから彼女とは業務的な会話しかしたことがなかったのだが、この時の会話はそれとは違った。


「随分と汚れていますが宿で寝泊まりしなかったのですか?」


 質問の意図がわからず俺は眉を顰める。何か探ってやがんのかと警戒してしまったのだ。

 彼女は前を向いたままなので俺の表情には気付かない。

 すると今度は立ち止まりこちらへ振り向いた。


「ご飯はちゃんと食べているのですか?」


 いつも通りの無表情で無感動な静かな声音で尋ねられる。

 俺は何と答えていいかわからずに口を開けたまま彼女の顔を視る。

 すると、彼女はほんの少し困ったような顔をした。


「お腹が空いているのなら、先に何か食べますか?」


 まるで俺を心配しているか気遣っているかのような言葉に俺は底知れぬ恐怖を感じつつ、いいからさっさとルナリナのところに行けと強気に命じた。


 エルフィーネは何ともないように「そうですか」と呟きまた進みだした。

 ズルズルと引き摺られながら俺は内心で『なんだこいつ。気持ちワリィな』と考えた所で気付く。

 そういえばエルフィーネと二人だけで話したのは初めてだなと。


 しばらく後で知ったことだが、彼女はずっと俺に――異世界から攫われてきた子供に同情をしていたそうだ。


 彼女の出身は教会の孤児院だ。

 そこの子供たちの世話をするのが好きだそうだ。

 だから俺のような子供を憐れに思ったのだそうだ。


 だが、かといって彼女は教会やセラスフィリアに逆らえない。

 迷いなく騎士道に殉ずるジルクフリードとは違う。

 迷い悔やみ罪を感じながらも首に繋がれた鎖に縛られ、そして魂に括られた糸に操られ続ける。彼女こそ哀れな人形だ。


 だからこの時は純粋に俺が腹を空かしていないか心配だったらしい。

 あと、セラスフィリアやジルと違い、彼女はたまに傭兵団に顔を出していたので俺とルビアの関係性を知っていた。


 ルビアが死んで、それでも俺があっけらかんとしているように見える。

 俺とルビアの関係を知らない他の二人はそれを特にどうとも思わなかった。

 しかし事情を知っているエルフィーネには、俺があからさまに人が変わってしまったような振舞いをするのに、悲しみや怒りを見せないから心配になったそうだ。


 この時の俺はそんな彼女の心情など知らないので、ただ彼女を気味悪く思っていた。


 ルナリナの部屋に着くと、俺は立ち上がって中に踏み込む。

 するとちょうど着替えの途中だった彼女は脱ぎかけの服で胸を隠しながら硬直した。

 俺はそんな彼女を無視して彼女の研究テーブルに着き、さっさと着替えてそこに座れと指示をした。


 ノックもせずに着替え中に押し入ってきて、謝りもせずに勝手に部屋に入り、あまつさえ命令までしてくる俺の横暴さに、ルナリナは悲鳴も怒声も上げることを忘れ、脳がフリーズしたままノソノソと着替えて俺の正面に座った。

 額を押さえながらエルフィーネが部屋の扉を閉めた。


 ルナリナは飲みかけのカップを持って一口お茶を口にすると少し冷静さを取り戻したようだ。

 俺はそんなルナリナの様子を観察し、彼女が何か喋ろうとしたタイミングを狙って先に話しだす。


 町に火をつけようと思ったのにお前がいないせいで俺は苦労した。どうしてくれんだ? ふざけんじゃねえぞと、そんなイチャモンをつけた。


 ルナリナはプライドが高く怒りっぽい女だ。

 しかし、言われた内容が意味不明すぎて混乱してしまい、碌に反論も出来ない。

 何より、ここに居るはずのない俺が突然部屋に入ってきて、まるで中身だけ別人になったように話すので大層気味が悪く、恐ろしく感じているようだった。


 その反応を視て、なるほどこれは通じるのかと俺は満足する。

 そしてルナリナへ「OK、許してやる。本題に入ろう」と切り出した。


 彼女は別の生き物を見るようにキョドキョドとしながら大人しく俺の話を聞いた。


 俺の用事は魔眼のことについてだ。

 俺はルナリナが嫌いなのでこいつと話したくなかったのだが、ルビアにこいつに相談するよう言われていたことを思い出してしまったのだ。

 だから嫌でもやらなきゃいけない。


 しかし、これは失敗だった。


 俺は自分の魔眼に映っているのが霊子だとは知らなかったし、なんなら霊子というものの存在も知らなかった。

根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】には当たり前に起こる現象なのか、それか俺が病気なのかとばかり思っていたが、ルナリナに調べられる内にどうもそうではないという話になった。


 俺は自分の視えるモノに関して余計なことを言い過ぎた。

 ルナリナはこの謎の現象に興味を持ってしまい、継続して調査すると言い出した。

 俺はそんなものに付き合う気はなかったが、後日にしっかりとセラスフィリアに根回しされてしまい、きっちり調べるよう命令されてしまった。


 そして、この時に起こった重要なことは、こんな話ではない。


 報告書をまとめるから少し待つようにと放置された俺は手持無沙汰になり、テーブルの上にあった一つの本が気になったので、それを手に取る。

 するとルナリナが過剰に反応して怒り出す。

 どうも彼女にとって大事な物のようだ。


 これはかの天才と名高い二代目が彼女の実家に残した文献らしく、彼女の一族はこの本の解読を命題としているそうだ。

 幼い頃からこの本に興味を持ったルナリナは、それを自分自身の人生の目的とし、これをじっくりと研究する為に今のキャリアを形成したのだと、聞いてもいないのに得意げに語った。

 その為にはこの本は必要だし、自分はそれをどうしても叶えたいから触らないでくれと言ってきた。


 至極当然な要求だなと俺は納得し「そうか」と頷く。

 そして、俺もどうしてもその本が見たいからどうしても見せろとごねた。

 彼女は一瞬呆気にとられた後に、怒りだした。


 見せてくれないなら俺はもうここを出ていくし二度と来ないと、そのように脅迫すると彼女は渋々本を差し出してきた。

 俺がそれを受け取る直前に彼女はハッとし、俺の手を引いて部屋の隅に連れて行く。そしてよくわからない薬品を俺の手にぶっかけて桶に入った水で俺の手を洗い出した。

 どうも汚すぎてそのまま本を触らせたくなかったようだ。

 桶の中の水が赤く染まっていくとルナリナはドン引きした。


 やがて彼女が満足してからテーブルに戻り、俺はようやく本を開く。

 この本がどうしても気になったのだ。


 何がそんなに気になったかというと、表紙に書かれていたものが珍しかったからだ。

 珍しいが見慣れているモノ。見慣れているからこそこの世界では珍しいモノ。


 1ページ目を見てスッと眼を細める。

「やっぱり……」と言葉が漏れそうになったところで、グニっと頬を潰された。


 なんだ? と顔を顰めると、別の水桶を持ってきたエルフィーネが濡らした布で俺の顔を拭いていた。どうやら相当汚かったらしい。

 邪魔なのでやめて欲しかったが、俺は彼女が怖いので言い出せない。


 すると対面のルナリナがエルフィーネの持つ布の汚れを見て盛大に顔を顰めた。

 汚れが本に飛んでは敵わないのでとてもやめて欲しそうにしていたが、彼女もエルフィーネが怖いようで言い出せなかった。


 仕方ないので諦めた俺はエルフィーネに「やるならせめてお前のパンツで拭け」と命じたら無言でビンタをされた。

 俺は涙を堪えながら読書を開始する。


 その本は日本語で書かれていた。


 表紙の文字を見た時にまさかと思ったが、やはり日本語だった。


 不審な俺の態度に怪訝そうな顔をするルナリナを無視して、俺は本を読みこむ。


『はじめに』と書かれた最初の章。

 それは二代目からこれを読める者へ宛てた手紙だった。


 ここで俺は初めて二代目が俺と同じ日本人であったことを知る。


 そして、この本に書かれた様々な真実も全て、ここで初めて知った。


 この世界と俺が元居た世界、そしてそれ以外の全ての世界を含めた『世界』というモノの真実。

 この世界の本当の歴史の真実。

 魔族というモノ、教会というモノ。

 神など存在しないこと。

 この国と召喚の真実。

 そして俺たち召喚されたモノの真実。


 俺は瞬きをすることも忘れて猛烈な勢いでページを捲り、しかし確実に全てをこの眼に映していく。


 読めないから適当にページを捲っているとでも思ったのか、ルナリナが呆れた目を向けてきている。

 それを無視して全ページを視終わり、俺は勢いよく本を閉じた。


 するとその無作法さにルナリナが怒る。

 俺はチラっとテーブルの上を視た。


 そこにあるのは実験途中だったのか火がついたままのアルコールランプだ。

 俺はリンスレットの馬車からかっぱらっておいた煙草を懐から出し、それに火をつけてこれ見よがしに煙を吐いてやった。


 すると、ルナリナは俺の手から煙草を奪い取り、それを処理するためにテーブルを離れる。

 その隙に俺は二代目の本をランプの火につけて燃やした。


 ルナリナの悲鳴があがる。

 あまりの事態に彼女は腰を抜かして俺を止めることも出来ない。

 その彼女の前で、彼女の夢だというモノを灰にしてやった。


 俺はテーブルの上を乱暴に腕で払い、その灰をバラバラに撒き散らした。


 呆然とした後に激昂したルナリナが俺に掴みかかってくる。

 俺はその彼女に報告していなかった俺の眼のことを教えてやる。


 自分の記憶を完璧に思い出せることだ。


 疑いの目を向けてくる彼女を尻目に俺は立ち上がり、部屋の奥の彼女のベッドへ向かう。

 そして枕元に置かれていた読みかけの本を手に取った。


「あっ⁉」という悲鳴を無視して、まだ最初の方のページに挟まっていた栞を投げ捨てる。本のページを最初から最後まで捲っていく。

 そしてまたも固まっている彼女の目の前でその本も燃やしてやった。


 再びあがる悲鳴を無視して、俺はその本を最初から読み上げていく。

 自分の記憶を視ながら。


 まだ読み始めたばかりのその内容はルナリナの記憶にも新しかったのだろう。

 一字一句違わずに諳んじる俺に彼女はあんぐりと口を空けた。


 その後ろでエルフィーネも口を空けて固まっていた。

 その気持ちは読んでいる俺にもよくわかる。


 その本は下らない、というか大分卑猥で、処女の妄想全開な恋愛小説だったからだ。

 読んでいてかなり抵抗がある。


 俺たちとは違う意味で固まっていたルナリナは俺の記憶の件を信じた。


 そして俺は彼女を脅迫する。

 そこでルナリナはこの出来事の本当の意味に気が付いた。


 彼女はもう俺に逆らえない。

 夢を叶えるためには俺の存在が不可欠になったのだ。

 俺を殺すことなど以ての外だ。


 床に手をついて絶望に打ちひしがれるルナリナの手をとって立ち上がらせてやると、「これからよろしくな」と爽やかな笑みを浮かべて固く握手をした。

 呆然と立ち尽くす彼女と擦れ違いざま、さっきのエロ小説の三角関係の結末だけを耳元でそっと囁いてやる。


 盛大なネタバレをくらった嘆きの絶叫を背にして、俺はほくそ笑みながら部屋を出た。


 そうか、自分より強いヤツにはこうやって勝てばいいのかと、俺は何かのコツを掴み始めていた。


 二代目のノート、そしてこの魔眼。

 これらのことをセラスフィリアは知らない。

 これを使えば彼女を出し抜けると俺は高笑いをあげながら城の中を歩いていく。


 そして少しして自分が何処にいるのかわからなくなり、なんなら何処に行けばいいのかもわからないことに気が付いてオロオロとしているところを通りがかりのメイドさんに保護された。


 あと、すっかり失念していたことがある。

 存在感がなくて忘れていたがさっきの部屋にはエルフィーネもいたのだ。

 事の次第を全てイカレ女にチクられていて、俺は詰め倒された。

 おまけに重要な文化財のような物を失わせたということで多額の借金を負わされることになった。


 俺は夢という首輪をルナリナにつけてやったが、その俺自身はセラスフィリアに負債という首輪をつけられてしまった。


 そして翌日の会談で俺は借りてきたネコのように大人しくし、その俺の目の前でセラスフィリアがベラベラと聞こえのいいことを喋る。


 この男はまだ未熟で魔族との全面戦争を起こす前に鍛える必要があると。

 そして、我々もそれをする前に身中の虫を一掃する必要があると謳った。


 昨日俺がイカレ女の腰ぎんちゃくである法務局の大臣を裏切者としてぶっ殺した件を利用することにしたらしい。

 各々の国にも内通者はいる。まずは各人それを洗うようにと求めた。


 ちなみに俺が殺したハゲが実は本当に裏切者で――なんて驚愕の事実はない。

 彼はしっかりとセラスフィリアの狂信者だった。


 イカレ女は独自に調べた各国のスパイ容疑のある者のリストとやらを配って面々に恩を売った。


 なんてこったと俺は驚愕する。


 俺の帰還も俺の行動も全て想定外のことだったはずだ。

 それをたった一晩で方針転換して、まるで予め用意していたかのように資料まで出してきて、全部自分にプラスに変えやがった。


 全部想像の内だったのかと戦慄する。


 そして教会とも話をつけているらしく、俺はセラスフィリアが新設する諜報機関の所属となり、しばらくは修練を積みながら裏切者や異端者の対応にあたることになった。


 そこからしばらくの間、俺はエルフィーネとシャロと組んで始末屋のような真似をしながら、この国だけでなく時には協力関係にある各国の仕事を受けることになった。


 何もかもがイカレ女の掌の上のようで、俺はこの女に勝てるのかと不安になる。

 だがそれをやるしかない。


 ルビアは自分を救った男が自分を守って死んでしまった後、男の意思を継いで傭兵を続けた。

 その先に彼女が目指したところは、きっと戦争を終わらせることだったのだと思う。


 そのルビアは俺を守って死んだ。

 継ぐべき傭兵団も一緒に亡くなった。

 それを再建したところでそれはもうベツモノだ。


 だからせめて、俺は彼女の続きをやろうと思った。

 つまり、この戦争を終わらせる。


 だが、それはポジティブなものでは決してなかった。


 もしもそれをしなければ、俺はこの世界で何もすることがなくなってしまう。

 それに出来るとも思っていない。


 だけど、止めてしまったらもう何をしたらいいかわからなくなるから、だから続ける。

 せめて彼女と同じように死ぬまでは。


 この世界の人間など全員死んでしまえばいいと思っている。

 だけど俺はそんなヤツらに平穏をくれてやるために生命を懸けて戦うのだ。


 なんの冗談だ。笑えねえぜと、心中で嘲る。


 だが、そうする以外には何も思いつかなかった。


 もしも、セラスフィリアが正しいのなら。

 俺よりも遥かに頭がよく狡猾で、何もかもが優れているあの女に従うことでそれが実現されるのなら――


 俺はただそれをしていればいい。


 その間は俺にも、この世界に生まれたわけでもない、誰の子でもない俺にも存在する意味があるのかもしれないと、そんな風に考えていた。


 きっと俺には出来ないけれど、戦いを終わらせるために俺にも出来るそんな方法を探す。

 せめてルビアのために。


 俺は知ってしまった。

 恐らくこの世界のほとんどの者が知らないこと。

 もしかしたら誰も知らないことを。


 二代目の残したノートはこの後俺に多くのモノを齎した。

 そういった意味ではこれを見つけたのは運がよかったのかもしれない。


 だがある意味では運が悪かった。


 もしも知らないままだったら。

 知らないままでいられたら、もしかしたら俺は時間と共に彼女たちと和解し、彼女たちと共にこの世界やこの国のために生きるという道もあったのかもしれない。


 だが知ってしまったから。


 もうそんなことは出来ない。


 とても手を取り合うことは出来ない。


 これからの2年ほどの時間の中で、戦いを終わらせるためにはどちらか一方が滅びるしかないという答えに俺は行き着く。


 そして滅びるのは敵でも味方でも、別にどちらでも構わないということに――
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