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1章 魔法少女とは出逢わない
1章70 不誠実な真実 ④
しおりを挟むまどのそとをみてると かなしくなっちゃって
ずっとかべをみてた
なにもかかれてない しろいかべ
おもいでも ゆめも
わたしみたいで やだなっておもった
かべをみてても ねむくならなくって
でも みるものがないから ずっとみてた
しろい せかい
なにも ない
だれも いない
わたしの せかい
わたしは ないちゃった
そしたら
まどのほうから こえがした
しらないこえ
くろいねこさんがいた
ねこさんがしゃべった
ねこさんは どうしたの? っていった
わたしは さみしいの っていった
ねこさんが いっしょにいてくれる っていった
ねこさんは おともだちになってくれた
わたしは 『ありがとう』 っていった
愛苗はクルードの攻勢から逃れるため、飛行魔法を全開にして下がりながら弾幕をばら撒く。
「グルゥォオオオオオオォォ……ッ!」
獣のような咆哮をあげながらクルードがそこに突っ込んでくる。
その姿も獣に近いものに変わり、より本性を露わにしていた。
愛苗が進路に置いておいた魔法球をものともせずに真っ直ぐに空を奔る。
赤いオーラを纏ったその身に触れるだけで愛苗の魔法は弾かれ消えてしまう。
「――ぅくぅぅ……っ⁉」
横に飛んでクルードの突進を回避する。
触れていないのにすれ違っただけで軽く吹き飛ばされ軽微なダメージを負ってしまう。
下方から上方へ駆け抜けていったクルードは進路を変えるとギロリと愛苗を見下ろす。
そしてまた怒号をあげながら一直線に愛苗を狙って突撃をした。
「――ぅぅっ……――BASTA……っ!」
愛苗は堪らずに魔力砲と同時に魔法球もいくつか発射する。
だが、クルードはやはり避けようともせずに、それに正面から突っこんで無理矢理掻き消しながら迫ってきた。
怒れる獣の突進。
それにはこの短時間で強くなったはずの愛苗の魔法が全く通用せず、足止めにすらならなかった。
「――きゃああぁぁ……っ⁉」
今回も横に回避したが、そのあまりの勢いに飛行の制御を失ってしまう。
通り過ぎたクルードは地面にそのままの勢いで衝突し、埠頭のコンクリートに大穴を空けるとそのまま地下の海中で進路を変えて、また別の地面から穴を空けて戻ってくる。
「め、めちゃくちゃ……」
その出鱈目さに愛苗は焦りを感じる。
出鱈目な戦い方――しかし、出鱈目な強さ。
「こ、こんなの……っ」
上手くやるとかのレベルではない。
ただ強く。
ただ速い。
真の強者とは、ただそれだけで他を圧倒し、弱き者の知恵や技術など容易く凌駕し、ただそこに居て動くだけで他者を蹂躙する。
これが魂の格、存在の強度の差。
魔法少女とはいえ元がただのニンゲンである愛苗と、強力な悪魔であるクルードの間にある理不尽な差であった。
その格差の前には、ヒトの思いや正しさなど無力だ。
「追い付けたと思ったのに……っ!」
本気になったクルードとの間にあった絶望的な差を愛苗は知った。
「オラァ! 逃げてんじゃあねェよ! 人質はまだいるんだぜェッ!」
「メロちゃんはどこっ⁉ メロちゃんを返してください……っ!」
自身の大事なパートナーは囚われたままで、未だ姿も確認出来ていない。
退くわけにはいかない彼女は、目の前の絶望の壁に挑む。
一方、地上では――
「――治療をしないんですか?」
片膝をつく弥堂をアスが見下ろす。
弥堂の全身には多くの裂傷があり、彼もまた窮地に陥っていた。
「ふむ……、身体強化に自己治癒能力の強化……、いずれも低劣な魔術。身体強化はニンゲンの枠を大きく超えるほどのものではなく、自己治癒も致命傷を一瞬で再生するほどのものではない……」
アスは単眼鏡を目に遣りレンズごしに弥堂を覗く。
「そう何回も使えないから出し惜しみしているのか、それとも全く別のものか。どちらにせよ、もう大分透けてきましたね――」
「――っ!」
モノクルの中の瞳に赤い光が灯った瞬間、弥堂は弾かれたように走り出す。
アスが魔法弾の射出を再開した。
互いの位置関係は戦いを始めた時よりも遠い。
アスの巧みな射撃により、接近戦でしか攻撃手段を持たない弥堂は後退を余儀なくされている。
別にアスが接近戦を苦手としているわけではない。
なのに、距離を離そうとする理由とは――
「致命打、いきますよ」
「――くっ!」
宣言通り、魔法弾を何発か躱してバランスを崩した弥堂を狙い、アスは彼の頭上に魔法の剣を創り出す。
そしてそれを遠隔で操って弥堂の頭部を狙って発射した。
「【falso héroe】」
弥堂は緊急回避を強いられる。
『世界』から自分を剥がし、アスの魔法剣の切っ先を透かしてから攻勢に出ようとした。
だが、距離が遠い。
『世界』から消えていられる間に詰められる距離ではなかった。
仕方ないと割り切り、出来るだけ近づこうと弥堂は走る。
しかし、弥堂が消えている間、『世界』の時間が停まっているわけではない。
「このあたり――でしょうか」
アスは自分と弥堂が居た地点の中間点に無数の魔法球を展開させる。
「――っ⁉」
弥堂の現在地はその弾幕の只中だ。
反射的に身を投げ出して地を転がりながら『世界』へと回帰した。
その無様な姿を見てアスは薄く笑う。
「消えていられるのは3秒から5秒……、瞬間移動ではなく、あらゆるモノからの自分への認知・関知を切ってその間に行動している。見えなく聴こえなくするだけならまだしも、驚くべきことに私の魔力探知すらも潜り抜けている……」
考察を述べつつ展開していた魔法弾を数発ずつ弥堂へ向かわせる。
弥堂はすぐに立ち上がってそれらから逃れるが、せっかく半分ほど詰めた距離をまた離されてしまった。
(大幅に手加減されてこのザマか……っ!)
心中で自身を罵りながら走る。
「ただ、どうやってそれを可能にしているかはまだわからないですね。しかし方向性はおそらく合っている。さらに――」
アスの姿がフッと消える。
「――っ⁉」
弥堂は当てずっぽうに身体を投げ出した。
その少し後を魔法剣が空振りする。
弥堂は転がる勢いを利用して立つと、転移で接近してきたアスに応戦した。
「フフフ、今のは勘ですか? それとも何かを察知する能力も隠していますか? どうなんです?」
「くっ――」
軽口の一つでも返したいが、二刀の魔法の刃を振るうアスの攻撃に防戦一方になってしまう。
やがて、死角から迫っていた魔法弾をギリギリのところで躱した時に、弥堂の目線とアスの剣の切っ先が合った。
「致命打――いきますよ」
「ぐっ……!」
左の眼球目掛けて突き出される銀色の切っ先に反応して、弥堂の首筋に黒い刻印が浮かんで消える。
そのすぐ次の瞬間に左手の甲に刻印が浮かんで蒼銀に発光した。
“反射魔術”の二段階設置。
一段目の“反射魔術”で【falso héroe】が不発したことを条件に、二段階目の“反射魔術”が起動する。
設定された行動は大したものではない。
片腕を犠牲に致命傷を避ける――というものだ。
アスの右の剣が弥堂の左腕に突き刺さった。
痛みと出血は無視する。
頭を下げて宙に舞った自身の鮮血を潜りながら、弥堂は右手に握った聖剣でアスの“魂の設計図”を狙う。
だが――
それよりも速く、アスの左の剣が横薙ぎに弥堂の首へ振られた。
(間に合わない――)
そう悟った瞬間、ピタッと剣が首元で止まる。
「フフフ、先程の言葉が途中でしたね……」
「…………」
首筋に光の剣を当てられたまま、冷徹な瞳同士が視線を交差させる。
「――さらに、一度『消えた』後はインターバルが必要。30秒から1分といったところでしょうか。おそらく正規には1分ほど。それよりも早く連発すると次に消えていられる時間が短くなる。そうですね?」
「どうかな。全部お前の妄想かもしれないぞ」
「『消える』瞬間に僅かですが魔力が消費されている。ただ大した量ではない。アナタ自身、魔力量が乏しい個体のようですが、連発出来ないのはその消費魔力を捻出することが出来ないからか。それとも他の理由か……」
「魔力? なんのことかわからないな」
「……魔力を燃料に現象を引き起こしているということはそれは魔法や魔術に類する技術。消費魔力に対する効果を考えれば恐ろしくコスパのいい魔術ではありますね……」
「魔術? いい歳をして恥ずかしくなるな。やめてくれよ」
「この手の――」
空とぼける弥堂に取り合わずに、アスは弥堂の左の手首を掴んで手の甲を向けさせる。
「――先程ここに刻印が浮かんでいましたね。“ルーン魔術”に酷似している。“ルーン魔術”を源流に独自アレンジで派生したというよりは、別の起源から同じ原理・原則に辿り着いた。そんなニオイを感じます。ただ、少々古くさいようにも見えますが、現存の“ルーン魔術”よりもどこか洗練された部分も見えます」
「そこまでわかるのか。さすがは“悪魔”だな」
「……ククク、意趣返しのつもりですか?」
「それが意趣返しになるということは、悪魔であることが疚しいのか? それとも悪魔であることを隠して何か疚しいことをしているんじゃないのか? どうなんだ?」
「たった今死にかけたというのに随分と余裕があるようですね。こうしている間にインターバルは終えたでしょう? 次にいきましょう――」
言葉が終わると同時にまたアスが転移魔法を使う。
「――アナタのその魔術にはもう一つ弱点がありますよね」
また距離を離した場所に姿を現す。
「ということで、こんなのはいかがでしょう?」
「……っ!」
バッと、アスが片手を上げると、空に無数の光の剣が出現した。
その切っ先が全て弥堂の方を向く。
「広範囲攻撃にも弱いですよね――?」
それらが矢のように弥堂へ射ち出された。
「――っ!」
弥堂は身体強化魔術へ魔力を注ぎ込み、前に出た。
発射された魔法剣の照準を少しでも逸らすために全力で走り、どうしようもないモノは聖剣で斬り裂き、アスに向かって特攻する。
だが、それがもったのも僅か数秒だった。
「――【falso héroe】」
すぐに回避不能になり一本の剣が眉間に突き刺さる寸前で、自分を『世界』から剥がした。
だが、そこはまだアスまでは遠い。
とても5秒以内に到達出来る場所ではない。
可能な限り距離を潰し、比較的スペースのある場所で『世界』へ戻る。
そして、アスが自分を見失っている僅かな隙に殺傷範囲から逃れようとする。
しかし、それは叶わなかった。
弥堂を取り囲む全ての剣の切っ先が照準を付け直し、僅かな間も置かずに一斉掃射された。
自分を中心にドーム状に展開される包囲網を逃れる術は弥堂にはなかった。
幾本もの銀色の剣が弥堂の身体に、手足に、頭部に突き刺さる。
誰がどう見ても即死だ。
だが――
「…………?」
痛みも無ければ出血も無い。
眉間にコメカミに心臓にも剣が刺さっているのに、意識もはっきりしている。
「ククク……」
何本もの剣に貫かれたまま立ち往生していると、アスが含み笑いをする。
そして、パチンと――指を鳴らした。
すると弥堂の身体に刺さっていた光の剣が全て霞となって消える。
「これが幻術ですよ」
「…………」
カラクリが知れたが、しかし完全に遊ばれていた。
「こうもあっさりと私の幻術にかかって気付かないとは、これでアナタが使うチカラは幻術でないことの証明になりましたね。そこの優位性がとれていなければ幻術にかけることなど出来ない」
(わかってはいたがこうまで通じないとはな……)
こんなにも無様に悪魔に後れをとったことを知られれば、師であるエルフィーネに酷く叱られてしまうなと心中で苦笑する。
「かなり見えてはきましたが、それでもまだ我々の知覚領域を逃れる技術の理屈がわからない。もう少し続けましょうか」
アスが魔法弾を撃ちだす。
「おや?」
弥堂はそれを避けなかった。
銀色の弾丸に撃たれて吹き飛び地面を転がる。
「もしかして諦めてしまったのですか? まだ答えが出せていないというのに……」
ゴロゴロと地面を転がる弥堂の方へ、遺憾を示しながらアスは歩き出す。
(さて、どうするか……)
弥堂はよろめきながらも立ち上がろうとする。
(もう少しリスクをかけて殺しにいくか、それとも現状維持で時間を稼ぐか……)
心中で算段をつけようとしていたその時――
「――ゥゥゥゥウウウウウウゥゥォォォオオオオオ――ッ!」
激烈な獣の咆哮とともに、位置の離れたこの場の空気までもがビリビリと震える。
「なんだ……?」
「ふむ……、時間ですか」
何事かと声のした方へ弥堂が顔を向けると、アスが呟きながら足を止めた。
「どうやら遊びはここまでのようです」
「……なんだと?」
慎重にアスの顔を睨む。
「あちらが仕上がったみたいですね。クルード様が本気になりました」
「…………」
遠く離れた場所に居るクルードの姿を【根源を覗く魔眼】で視る。
見た目上の姿にも変化があるが、何よりその“魂の設計図”が強烈な存在の強さを輝かせていた。
「というわけでアナタのお相手をするのはここまでです。私もあちらに行かねば」
「……行かせると思うか?」
「フフ、私の足止めが出来るのですか? と、聞くのは野暮なのでしょうね」
弥堂は足に力を入れて構えようとしたが、膝から力が抜けて地面に片膝をついてしまう。
その姿をアスは薄い笑みを浮かべながら見下した。
「正直なところ、アナタにはまだ興味があるのですが、それでもプロジェクトを疎かにするわけにはいかない」
「悪魔らしくないな」
「確かに私は悪魔の中では『らしくない』方ではありますが、今回の件に関しては別に自分の欲求を蔑ろにしているわけでもないんですよ」
「…………」
「アナタにも興味がありますが、それ以上に父の作品への興味が勝る。あれから生まれるモノを見届ける義務が私にはある……」
「リバースエンブリオ……」
ボラフから聞き出した『水無瀬 愛苗に悪さをしているモノ』、半分カマかけでその名を口に出してみる。
「おや? ボラフさんが口を滑らせたんですかね? まぁいいでしょう。そう、生まれ孵る卵。ようやくその器は満ちようとしている。卵が孵る瞬間を私は見逃がしたくないのです」
「水無瀬の持つペンダントか? 魔法少女への変身アイテム。あれをあいつに与えたのはお前らか?」
「フフフ……」
核心に踏み込んでみると首謀者の一人は不敵に哂った。
そこでまたクルードの咆哮が響き渡る。
どうやらあちらの戦いも再開されたようだ。
「おっと、ではそういうことで手打ちにしましょう」
「引き下がると思うか?」
「思いませんので取引といきませんか?」
「なんだと?」
絶対的に優位な立場の者からの思いもよらぬ提案に弥堂は怪訝そうに眉を歪めた。
「手打ちにしましょう。吞んでくれたらアナタは見逃してあげます」
「破格すぎて信用ならんな」
「では、そうですね。事が終わったらアナタの能力を解き明かす実験にもう一度付き合ってくれたらそれでいいですよ。それでどうでしょう?」
「…………」
交渉の余地などない交渉。
それに頷くくらいなら最初からこの場に来ることもない。
だが――
「――いいだろう」
「おや?」
弥堂はその提案に頷いた。
提案した側のアスが意外そうに目を丸くする。
「随分聞き分けがいいですね。どういう風の吹きまわしです?」
「……正直もう俺の手には余る。お前には勝てないし、あちらはもっと不可能だ。ここまでの状況になれば俺に出来ることはない。それに俺がいなくても戦況にはなんら影響はない。生命をかけたところで無駄だ」
「フフフ、合理的ですね。ではそういうことで――」
「――【falso héroe】」
アスが背を向けた瞬間、弥堂は小さくそれを口にした。
『世界』から自分を引き剥がし、誰の認知からも外れて、その5秒を使って向かうのは――
「――【切断】」
――“世界樹の杖”だ。
聖剣の切っ先を今一度杖の不気味な装飾に突き刺そうとする。
しかし――
「――甘い」
ナイフを球体の顔面に突きさす直前にすぐ横にアスが現れ、手首を掴まれてしまった。
「チッ……」
「フフフ」
苛だたしげに舌を打つとアスは愉しげに笑う。
どうやら完全に読まれていたようだ。
「そんなことだろうと思いましたよ。これに近づくためにわざと魔法をくらって吹き飛びましたね?」
「……この杖はなんだ?」
「わからずに狙ってきたのですか?」
そして一度呆れた目で弥堂を見てから説明を始める。
「これは父の作品で“世界樹の杖”といいます」
「セフィロツ……?」
「えぇ。世界樹の杖です」
(世界樹だと……?)
心中でその単語に引っかかりを覚えるが、アスは構わずに講釈を続ける。
「ほんの少しだけ『世界』を酔わせるための注射針のようなものです」
「『世界』を……、酔わせる……?」
「アナタが使っている薬物と似たようなものです。麻薬を打ち込み意図的に流れを狂わせる」
「…………」
「しかし困りましたね」
然程困ってはいなそうな仕草でアスは宙空を見上げた。
「こうやって執拗にこれを狙われると少し厄介です。正確には面倒――ですが」
「これがこの辺りの魔素を狂わせているのか?」
「うん?」
「理屈はわからんがこの杖で大地から魔力を吸い上げ大気に魔素をバラまいているだろう? それを使って“屍人《グール》”を増産しているのもそうだが、それ以上に水無瀬のペンダントに吸われる魔素の量が多い」
「へぇ……」
「あのペンダントはいつも魔素を吸っていた。魔法少女を戦わせて魔法を使わせる。その魔法を使ったことで周囲に魔素が還る。その一部をペンダントが吸う。その度にあいつの“魂の設計図”は強度を増していた。その為にお前らは魔物を嗾けていたんだろう?」
「これはこれは……」
「その先には一体何がある?」
「クククク……」
弥堂の適示した内容にアスは怒るでも慌てるでもなく、生徒が問題に正解したことを喜ぶ教師のように笑った。
「何故アナタに――いえ、その眼、魔眼ですか。なるほど。魔素や魔力の流れを視る魔眼。魔術師には持っている者がそれなりに居ますね。そういうことですか」
「答えろ」
「ふむ……、まぁ、概ね正解といったところですね」
「概ね?」
「その先は見ていればわかりますよ。もっともその時にはアナタはもう生きては帰れなくなりますがね」
言いながらアスは何かを考えるような素振りを見せる。
そして――
「――ふむ。ある意味練習にちょうどいいかもしれませんね」
「おい」
「こうしましょう――」
アスのその言葉と同時に弥堂の視界が暗転する。
それはほんの一瞬で、次に視界に光が戻った瞬間には先ほど居た場所とは景色が変わっていた。
「フフ、これが転移ですよ」
得意げに答えを寄こしながらアスは弥堂の手首を離す。
その瞬間に弥堂は聖剣をアスへ突き出すが――
「――っ⁉ ぐっ……うっ……」
強い酩酊感とともに身体のバランスを失い、よろめきながら地に倒れた。
「あぁ、転移酔いというやつです。ニンゲンにはあちらの次元は空気が合わないでしょうから。大丈夫、すぐに治りますよ」
「くっ……!」
「フフ、転移なんて初めてでしょう? なかなか得難い経験ですから感謝なさい」
「……別に。転移くらい経験したことはある」
「ククク……、そうですか」
強がりからの減らず口だと見透かしてアスは笑う。
そうしていると――
「――え? あ、あれ……?」
別の第三者の戸惑った声が聴こえた。
そちらへ眼を向けると、そこに居たのは人質にとられていた銀髪の少女だった。
ついでに周囲を確認すると、“世界樹の杖”の刺さる場所とは離れた場所――愛苗たちからはさらに離れた場所まで連れてこられてしまったようだ。
アスは弥堂の元を離れて少女の後ろに立つ。
少女が怯えた仕草を見せた。
アスは少女の肩に片手を置き、弥堂を見下す。
弥堂はまだ醒めない酔いを精神力で捻じ伏せて立ち上がり、二人に対峙した。
「なんのつもりだ?」
「フフフ……」
弥堂に鋭い眼を向けられてもアスは泰然と微笑む。
「アナタの知り合いでしょう?」
「あ?」
「ですから、コレですよ。アナタの面識のある少女でしょうと聞いているんです」
「…………」
弥堂は無言のまま探るような眼で彼らを視た。
するとアスはごく僅かな力と挙動で少女の肩を揺すった。
「お、お兄さん助けて……っ!」
そのことでハッとした少女は弾かれたように助けを求める叫びをあげた。
弥堂はそれでようやく少女を視る。
確かにその少女は弥堂の知り合いではあった。
その少女は、ここ何日かの間にボラフの処刑場となった空き地で二度ほど会った少女だった。
「知り合いですよね? コレ」
「どうだろうな」
「お兄さんヒドくない⁉」
とりあえず惚けてみると、少女はガーンとショックを受けた。
状況としては誰が見ても、年端も行かない少女が人質に取られている構図だ。
これまでの邂逅の中で、弥堂という男に関して、罪もない少女をあっさりと見捨てかねないという印象を持っていたのか、少女は殊更に焦った様子だった。
「もう一度聞くが、なんのつもりだ?」
「言うまでもないですが人質ですよ」
「わかった上で聞くが、なんのつもりだ?」
「お兄さん⁉ ウソだよね⁉ 見捨てたりしないよね⁉」
「まったく……」
途端に騒がしくなりアスは溜息を吐いた。
「取引の続きです」
「もう破断になったと思っていたが?」
「手を引いてくれればこの娘を返しますよ」
「一応聞くが、なんのために攫ったんだ? そんなもん」
「予定外だったんですよ……。この現場をうろついていたから仕方なく、というのが本音です」
「アタシの扱いヒドくない⁉」
心外だと叫ぶ少女の声を無視してアスは肩を竦める。
「ですので、ついでにもっと本音を言えば、この娘を引き取って一緒にここから消えてもらえると助かるのですよ。それにあまり向こうを放っておくと、クルード様がうっかり魔法少女を殺してしまうかもしれないので、私も早めに戻りたいのです」
「…………」
「保護者を探して返すだけの時間の余裕はないですし、この娘だけ解放しても外に出た途端に屍人に喰われるだけですから意味がないですし」
「俺に押し付ける気か?」
「えぇ。正直扱いに困っています。なので明確に私にもメリットのある取引と言えます。ほら、アナタももっと真剣に救けを請いなさい。この男は平気で子供でも見捨てますよ?」
「お、お兄さん……? ウソだよね? アタシわりとガチで助けて欲しいんだケド……?」
アスに指示され少女は目に涙を浮かべながら助けを求めてくる。
「先程ご自身でも仰っていましたが、どのみちアナタにはもう出来ることはないでしょう? ここらで手を打ちませんか?」
「ふざけるな」
弥堂は即座に拒絶を示す。
だが――
「――と、言いたいところだが、出来ることがないのは確かにそうだな」
言葉を翻し、弥堂は聖剣を元のロザリオに戻した。
態度の軟化を示唆するその言葉と行動にアスは薄く笑う。
「そうでしょう。それに、いくらアナタの頭がおかしいとは言っても、こんな子供を死なせるのは忍びないでしょう?」
「それは心が痛むな」
「では、取引は成立ということで」
正式な答えに先んじてアスは小さな魔法の刃を出すと、少女を縛るロープに切っ先を当てる。
ハラリと――千切れたロープが少女の履く小さなスニーカーの上に落ちるのが弥堂の眼に映った。
するとすぐに、少女の足が地に落ちたロープを跨ぐ。
解放された少女は弾かれたように走り出し、弥堂の方へ向かってくる。
余程に怯えていたのだろう。
その瞼には大粒の涙が溜まっていた。
懸命に足を動かして身体を揺らし、瞼からその涙が零れると背後の空気に置き去りになる。
「お兄さぁーーん……っ!」
少女は必死に両手を伸ばしてくる。
弥堂は身体の向きを正面――これから飛び込んでくると予想される少女の方へと向けた。
うっかりそれを仕損じないように、銀髪の少女の姿をしっかりと眼に映す。
アスは特に何もするつもりはないようで、ただ立ったまま佇んでいた。
何事もないまま囚われの哀れな少女は、庇護者の元まであと数歩といったところに近づいてくる。
一生懸命走って頭は少し下がり、揺れる前髪がその目元を隠す。
弥堂の前で、少女が最後の一歩を踏み切った。
弥堂は一応両手を拡げておく。
その口の端がニヤリと僅かに持ち上がった――
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