俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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1章 魔法少女とは出逢わない

1章68 破滅の入口 ③

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 襲い来るクルードから水無瀬は逃げる。


「【飛翔リアリー】ッ!」


 飛行魔法を発動して高度を少し上げる。

 だが、一方であまりこの場を離れすぎるわけにもいかない。


 チラリと結界の穴に殺到するゾンビの群れを見る。

 こうしている間にも街へ向かおうとするゾンビが次々に結界の外へ出て行ってしまっていた。

 クルードと戦うだけでなく、あちらも止めなければならない。


「――ヨソ見してんじゃあねェよ……ッ!」

「――っ⁉ 【光の盾スクード】ッ!」


 飛び掛かってきたクルードの拳を魔法の盾で受け止めた。


 インパクトの瞬間に強烈な重さを感じる。

 受け止めた盾ごと吹き飛ばされ、水無瀬は慌てて空中でバランスを制御する。


「【光の種セミナーレ】!」


 そして牽制の魔法弾をクルードへと放ち――


「【光の盾スクード】ッ!」


――すかさず結界の穴を魔法の盾で塞ぐ。


「これで……」


 ひとまずは街へのゾンビの侵入を留めることが出来た。

 問題は既に外に出てしまったゾンビたちをどうするかだ。


「ツマンネェこと考えてんなよガキがッ!」


 少し考え込んでしまった隙に、クルードが迫る。

 水無瀬は咄嗟に創り出した魔法の盾で、先程同様に打撃を防いだ。


「――くぅ……っ!」


 強い衝撃と重さに思わず呻く。

 今度は吹き飛ばされることはなかった。

 半透明な光の盾ごしにクルードが顔を近付けてくる。


「テメェは今なにをしてる?」

「えっ?」

「――戦い。戦いだ。オレサマとの戦いだろうがよ……ッ!」

「ど、どうして……っ」

「オレサマをぶちのめすことだけを考えろよ。余裕ねェだろテメェ? アァン?」

「わ、わたしは……」

「他は全部余計なことだってんだよォ……ッ!」

「あ――っ⁉」


 クルードは魔法の盾に爪を立て、鷲掴みにするようにしてそれを振り回す。

 そして、水無瀬もろともに地上のゾンビの群れ――水無瀬が塞いだ結界の穴の付近へ投げ込んだ。


「――きゃあぁぁぁぁっ⁉」


 飛行の制御が間に合わず、水無瀬は着弾点に居たゾンビを吹き飛ばして地面に激突する。

 魔法少女に変身中に常時働いている防御魔法のおかげで、墜落によるダメージはない。

 だが――


「――全部を懸けねェとすぐにくたばっちまうぜェェッ!」


――そこへクルードも突っこんできた。


 彼が水無瀬のすぐ手前へ着地をすると地面が潰れてクレーターになり、衝撃で付近のゾンビが打ち上げられる。


「オマエの生命の咆哮を、オレサマに聴かせてみろォォッ!」


 そして身体を捻じって大振りの拳を振るってきた。


「リ、【飛翔リアリー】……ッ!」


 水無瀬は回避を選択し、飛行魔法に充てる魔力を強めた。


 無事に躱すことには成功したが、ギリギリのところを通過していったクルードの拳の風圧にバランスを崩してしまう。

 さらに――


「――あぁ……っ⁉」

「ジャマなんだよこんなモンッ!」


 やり過ごしたクルードの拳が結界の穴を塞ぐ魔法の盾に打ち込まれ、あっさりと打ち砕いてしまう。

 盾が砕けてその欠片が霧散すると、そこへ再びゾンビたちが群がった。


「テメェらもジャマなんだよ! 喰えもしねぇゴミどもがァッ!」


 クルードは腕を雑に振り回す。

 彼の周囲に居たゾンビたちはその腕に、その風圧に触れるだけで、上半身が消し飛ぶ。血肉が撒き散った。


「ひ、ひどい……!」

「アァ? なにもヒドかぁねえよ。弱ェのが悪ィんだ。コイツらがオレサマの闘争に巻き込まれてくたばんのも、ニンゲンどもがコイツらに喰われて死ぬのも! 全部弱ェのがワルイ!」

「そ、そんなこと許せません……!」

「だったら力を示しな! 結局我を通すのは力だ! 強さこそ全てだ!」

「どうしてこんなことするんですか⁉」

「どうしてだァ? 理由なんかねェよ。闘争があって、オレサマがいる。それが全てだ! あとは勝つか負けるかの結果があるだけだ! 他には何もいらねェ!」

「泣いてる子がいるんです……!」


 水無瀬の悲痛な訴えはしかし、獣のような人外の男にはまるで通じない。


「知ったこっちゃねェって言ってんだろ! 死にたくねェんなら戦え! 戦いは狩りだ! 狩りは生きるために喰うこと! だから闘争こそが生命の歓喜だッ! 魂が歓んでるんだよォッ!」

「それじゃ嬉しいのは一人だけです! もっとみんなで――」

「――ウルセェ! だったら戦ってオレサマを黙らせてみろ! 力を示せ! オマエの闘争心をぶつけてこい! 生命の歓びを、オマエの魂の燃焼を見せてみろ……ッ!」


 両腕を広げてクルードが吠えると、空中の水無瀬の元まで空気の振動が伝わってくる。


「だめ……っ! 言葉じゃわかってもらえない……」


 ではどうするか――


 これまでの戦いの経験で、それは水無瀬にもわかっている。


 街を襲うゾンビ。

 龍脈を暴走させる杖。

 そして、それらを画策するクルードとアス。


 人々を守るためには、これらの全てに打ち勝たなければならない。


「私……、負けません……っ!」


 水無瀬は魔法のステッキを振り、自身の周囲に大量の魔法弾を生み出す。


「かかってきやがれェッ!」


 その戦意にクルードも応えた。


「【光の種セミナーレ】ッ!」


 水無瀬は数発の魔法弾をクルードへ向かわせ、残りは全てゾンビの群れへと放った。


「ごめんなさい……っ!」

「だからそれが余計なことだってんだよッ!」


 次々と着弾する魔法弾がゾンビを浄化する。

 クルードは避けようともせずに魔法弾を弾きながら向かってきた。


 再度、水無瀬はクルードの拳を盾で受け止め、今度は強く踏ん張ろうとはせずに自分から飛ばされ距離を空ける。


「【光の種セミナーレ】……ッ!」


 そしてまた魔法弾を放つ。

 どうせクルードにはこれではダメージを望めない。だから彼へは牽制に留め、主な狙いはゾンビたちだ。


 チラリと水路へ目を遣る。


 ゾンビの増殖の勢いは未だに衰えてはおらず、今も地上へ這い出て来ている。

 まずはこれらの数を減らすことを優先することにした。


 真っ直ぐ突っ込んでくるクルードの打撃を受け止めて、距離を離し、魔法を撃ち込む。


「大丈夫……。昨日みたいに簡単に壊れたりしない……」


 その工程を繰り返しながら、水無瀬は少しずつ手応えを感じていく。


「とっても強いのに……、速い……。ボラフさんよりもずっと……!」


 ボラフとの決戦時、促成溶液セイタンズミルクを服用した彼の攻撃や速度も相当な脅威だった。

 だが、あの場は狭いフィールドで、水無瀬自身が思うように回避や飛行を出来なかったという点でも不利だった。


 しかし、この場は違う。


 広いスペースを自由に飛び回れる。しかしそれでも、真っ直ぐに飛び込んでくるだけのクルードの速度は、簡単に水無瀬に接近してくるほどに脅威だった。


「でも、どうにかやれてる……。どうしてだろ……?」


 クルードは『遊んでやる』といったようなことを口にしていた。


「手加減されてるのかな……? でも――」


 それならそれで好都合だと、気を引き締める。

 いい意味で戦いや自身の力にプライドのない水無瀬は、そんなことで侮辱を受けたと苛立つようなことはない。


 水無瀬は地上のゾンビたちを見る。

 もはや軍勢と謂えるほどの集団になっていた。


「この人たち……、人のカタチだけどミザリィちゃんみたいに強くない……っ。でも、数がいっぱい……!」


 相手が本気でないのなら、その間にどうにかゾンビだけでも浄化してしまおうと決める。


「がんばらなきゃ……っ!」


 その決意が願いが魔力にこめられ、叶えるための魔法が『世界』に生まれる。





「ふむ……」


 その水無瀬とクルードの戦いの様子を離れた場所でアスが観察している。


「コンディションは悪くないですね。昨日の敗戦でイップスにでもなられたら困ると懸念していましたが――」


 視線の先で、水無瀬がまたクルードの打撃を受け止める。


「どうやら杞憂だったようで安心しました。ちゃんと昨日よりも育っている。仕上がりは上々――そう判断しても問題ないでしょう」


 二人の戦いから目を離さずにそう口にした。


「…………」


 それから10秒ほど間を空けて、アスは自身の隣へジロリと目線だけ向ける。


「なにか言ったらどうです? オマエに話しかけたんですよ?」


 その目線の先で、銀髪の少女がビクっと肩を跳ねさせた。


「あ、あの……、ごめんなさい……」

「会話すら満足に出来ないのですか。ゴミめ」


 冷たく罵倒されると、少女は俯いて身を震わせる。

 酷く怯えていた。


 アスはつまらなそうに嘆息する。


「まぁいい。そろそろ介入することにしますか。これ以上放っておくと、クルード様が興奮しすぎてうっかり殺してしまうかもしれませんからね……」


 言い終わると同時に、アスはパチンと指を鳴らした。






「――きゃあぁぁぁっ⁉」


 水無瀬は飛行魔法の制御を誤る。


 ここまでクルードの攻撃を上手く捌いていたが、盾でパンチを受け止めて吹き飛ばされる際にミスをしてしまった。


 距離を離すことも牽制の魔法も撃つことが出来ない水無瀬へ、クルードの追撃が迫る。


「おせぇぞォッ!」

「だ、だめ……っ!」


 対処が間に合わず、水無瀬は思わず目を瞑ってしまう。


 拳が間近に迫る瞬間――


――パチンっと、音が鳴った気がした。


「え……?」


 水無瀬の身体とクルードの拳との間に銀色の壁が顕れ、クルードの攻撃を防いでいた。


「アァ……?」


 クルードはギロリと目玉を動かしてアスを睨む。


「フフ……」


 アスは薄く笑みを浮かべている。


「それくらいで」

「チッ、せっかく少しは面白くなってきたってのによ」

「お願いします」


 業務連絡でもするようにアスが短く告げると、クルードは悪態をついてから地面に下りる。そしてアスたちが居る方へ退屈そうに歩いていった。


「ア、アスさん……? あの……」


 水無瀬は戸惑いがちにアスに目を向ける。

 アスは泰然と答えた。


「どうやら調子は悪くないようですね」

「は、はい……? あの私……」

「では、サービスはここで終わりです」

「え?」


 困惑する水無瀬へアスは冷たく笑う。


「サービスは終わりだと言ったのです。今すぐ地上に下りて、そして変身を解除なさい」

「で、でも、それは――」

「――今回は約束でも交渉でもありません。これは命令であり、通告です」

「でも、それなら……、ゾンビさんたちを止めてくださいっ! 街の人たちを――」

「交渉ではないと言ったでしょう?」

「それじゃ、私も言うこと聞けません……!」

「へぇ?」


 気丈に反論してくる魔法少女へアスは見下すような目を向ける。


「では、これを見てもまだそんなことが言えますかね?」

「え?」

「引きなさい」


 困惑する水無瀬を尻目にアスは隣に居た少女へ目配せする。

 少女は上半身をロープで巻かれて拘束されており、そのロープは黒い布を被った檻の方へ伸びていた。


 銀髪の少女は水無瀬の方は見ようとはせず、ギュッと目を瞑ると震える身体で走り出す。

 すると、そのロープは檻ではなく布の方と繋がっていたようで、檻から離れる少女に引っ張られて剥がれた。


「え……?」


 檻の中が開帳される。

 その中に居た者を見て、水無瀬は驚きに目を見開き身体を硬直させた。


「アナタが従わないのならば、殺しますよ?」


 魔法の刃の輝きを強めてアスは冷たく宣告する。


 水無瀬は顔色を変えて人質の名を叫んだ。


「――お父さん、お母さん……っ!」


 檻の中に囚われていたのはメロではなく、水無瀬の両親だった。

 意識がないようで、二人ともぐったりと横たわっている。


 両親を人質にとられた少女があげる悲痛な声に、アスは薄い笑みを浮かべ、クルードはくだらないと唾を吐く。

 幕を開けたことの罪悪感に、銀髪の少女は地に膝をついて震えていた。








 美景新港の埠頭付近にある工事現場。


 人気のないその場所に足音が響く。


「ったくよぉ。外出自粛だかなんだか知らねぇけどよぉ。とばっちりでこっちまで休工にさせられたんじゃあ堪んねえや……」


 タンクトップにニッカポッカを身に纏い、安全靴で地面を叩く。


「まだ仮設工事だって途中だってのによぉ、その分工期延ばしてくれんだろうな……」


 彼はこの現場で働く者で、行政の出した“外出自粛令”により急遽工事が休みになってしまったのだ。

 休工の期間がどれほどになるかは不明なので、出しっぱなしの工具や建機、建材などの片付けをして安全をチェックするためにここまでやって来ている。


 仕事に来れば休みがないと不平を募らせ、休みになれば工事が進まないと不満を漏らす。

 男はぼやきながら奥へと進んだ。


「ん……?」


 すると現場の中、視線の先に人影が見える。


「オイオイオイ、カンベンしてくれよ……」


 男は最近薄くなってきた短髪の頭をガリガリと掻く。

 どうも休みの工事現場に立ち行った馬鹿がいるようだ。


 布の張られた仮設の足場に囲まれたこの場所は辺りが薄暗くなっていて視界が悪いためよく見えないが、どう見ても関係者のようには見えない。

 人影のその動きからは特に目的が窺えない。


 佇むようにそこに立ち、たまにフラフラと右へ行ったり左へ行ったりで、まるで彷徨うようにどこにも進んでいない。

 目を凝らして見てみると、大分汚い身なりのように見えた。


「まさかホームレスが寝床にしようってんじゃあねぇだろうな。ざけんなよ……!」



 男は靴音に苛立ちをこめて、人影の方へ歩く。


「オイ、アンタ!」


 半ば喧嘩腰で声をかけてそのまま近づく。

 男の声にピクっと反応して、人影はゆっくりとこちらを向いた。


「勝手にこんなとこ入って来られちゃ困……る、ん――」


 男の威勢が落ちていく。

 振り返った侵入者の顏を目にして、男は硬直した。


「――ヒッ⁉」


 悲鳴をあげて息を呑む。


 こちらを向いた侵入者の顏は腐っていた。


 血色は悪く、皮膚は所々剥がれていて、黒ずんだ紫色の肉が見えている。

 眼窩に嵌っているだけの目玉はどこも向いておらず、色の飛んだ右の目玉がドロリと零れ落ちた。


「うっ、うわああぁぁぁ……っ⁉」


 男は思わず尻もちをついてしまう。


 そんな男を追って侵入者の首がカクンと垂れる。

 カパっと開かれた口からは冷たい息が漏れ、男の方に吐き気を催す異臭を伝えてきた。


 濃密な死の臭いが、これが特殊メイクなどを施した悪戯の類ではなく、ホンモノであることを理解させてくる。


「ゾゾゾゾ、ゾンビ……ッ⁉ な、そん、バカな……ッ⁉」


 男は混乱を口に出しながらズリズリと尻を引き摺って後退る。

 すると、それに反応したゾンビもゆっくりと足を引き摺って追ってきた。


「く、来るなぁ……!」


 男は急いで立ち上がり、泡を食って逃げ出した。


 全力で走ると、動作の緩慢なゾンビとはすぐに距離が開く。

 だからといって速度を落とすつもりにはなれず、男は必死に逃げた。


 一度角を曲がり、身を隠そうと停まっているトラックとトラックとの間に身体を滑り込ませる。

 すると、既にそこに居た人物とぶつかった。

 作業員の男はバランスを崩すだけで済んだが、ぶつかられた者は倒れてしまった。服装からすると女性のようだ。


「うおっ⁉ な、なんで人が……⁉ オイ、アンタ大丈夫か?」


 男は慌てて女性へ手を差し伸べる。


「早く立って逃げた方がいい! あっちにバケモ……ノ……?」


 握り返された女性のひんやりとした手の余りの冷たさにギクリと身を震わせる。

 恐る恐る女性の顔を覗き込むと――


「――わっ、わあああぁぁぁ……っ⁉」


 先程のゾンビと同じ、女性の顏も腐敗していた。


「い、一匹じゃなかったの――ぐあああっ⁉」


 慌てて手を振り払おうとするが、その前に繋いだ手に噛みつかれてしまった。


「やめっ、やめろォォッ!」


 男は慌てて腕を振る。

 その動きに合わせてゾンビの躰が振り回された。


 動きは遅く、腕力も大して強くはない。

 だが、顎の力と握力だけは強いようで、小指の付け根あたりにゾンビの歯が食い込んだ。


「ぎゃああぁあ……⁉ コ、コイツ、オレを、喰ってる……⁉」


 ぐちゅり、ぴちゅりと、咀嚼をするような音が自分の手から鳴っている。


「は、はなせえぇぇっ!」


 恐怖と痛みのあまり、男は女ゾンビに全力で安全靴の靴底を叩きつけた。

 ゾンビはもんどりうって引っ繰り返り、ショックでズルリと男の手を掴む女の腕が引き抜けた。


「うわああああぁぁっ! ぎゃあああああっ!」


 男は半狂乱になりながら、その引っこ抜けたゾンビの腕を左右のトラックに叩きつける。

 そんなことをしている間に倒れた女のゾンビが起き上がってこようとする素振りを見せた。


「い、いやだあああぁあっ!」


 男は叫び声をあげて、元来た方へ戻ろうとトラックの隙間を引き返す。

 再び広い道に戻り、すぐに別の方向へ走ろうとするが――


「わあああああっ⁉」


 方向転換した先には先程置いてきた男のゾンビがすぐ目の前に居た。

 反射的に無理矢理身体を捩り、伸びてくるゾンビの手から逃れ、別の方向へ走る。


 しかし進行方向の別の車輛の陰から三体目のゾンビが現れ、出会いがしらに掴みかかられてしまった。

 作業員の男は驚きから足をもつれさせ転倒してしまう。

 一緒に倒れたゾンビが馬乗りになっている。ガパッと口を開いて顔を近づけてきた。


「や、やめろおおぉぉっ!」


 男は咄嗟に自分とゾンビとの間に腕を入れる。

 ゾンビはその腕に噛みついた。


「ぃぎゃあぁっ⁉ やべ、やべで……っ! オレをたべないでぇ……っ!」


 図体のデカイ男は情けなく悲鳴を漏らしながら必死に抵抗する。

 すると、ゾンビの力は決して強くはないことに気が付いた。

 日々の肉体労働で鍛えた腕力で突き飛ばして無理矢理引き剥がす。

 ミチミチィっと自分の肉が裂ける音を聴くハメになったが、どうにか拘束から逃れることに成功した。


「た、たすけ、だれか……っ、たすけてくれ……っ!」


 腰が抜けてしまったために這いつくばりながら逃げる。

 背後からはズリズリと足を引き摺る音が複数聴こえてくる。

 さすがにこの状態ではいくらゾンビの足が遅いとはいえ距離を離すことは出来ない。

 男は背後を見ながら一心不乱に腕を動かして震える身体を前に進めた。


 すると、その指先が何か硬い物に触れる。


「――えっ……⁉」


 男が慌ててそちらに顔を向けると、目に映ったのは黒い頑強な靴、そして黒い脚。


「あっ……、あぁ……っ」


 どうやらこちらにもゾンビがいたようで、自分は完全に包囲されてしまっていたのだと、顔に絶望を浮かべた。


「も、もう終わりだ……っ」


 諦めの言葉を口にした瞬間、目の前の靴が動く。

 男は瞼を強く閉じて、絶望から目を逸らした。


 このまま何人ものゾンビに集られて喰われてしまうのだろうかと想像する。

 しかし、その想像にあるような衝撃や痛みは一向に起こらず、そして――


「――ぶぇっ⁉」


 硬い感触が背中に押し付けられ豚のような泣き声をあげる破目になった。


「な、なんだぁ……⁉」


 慌てて背中の方へ顔を向けると、自分の背後には黒い革製の服を着た脚が。

 そのまま上へ目線を滑らせると学生服のようなジャケットが見えた。


 恐らく自分を踏み越えていった長身の男が、そこに立っていた。


 その若い男が横顔だけを作業員へ向ける。


「逃げるのならさっさと立った方がいいぞ」

「え……?」


 破損のない顔の肌、それからしっかりとした声音で喋った低い声に、彼が自分と同じ普通の人間であると気が付いた。

 一瞬呆けてしまうと、その彼の向こうから「あー」「うー」と呻きながら迫ってくるゾンビたちの姿が見えた。


「に、兄さん……っ! 兄さんこそ逃げっ……、そいつら――」


 作業員の男の言葉の途中で、その黒服の男は正面を向く。

 そして両手を伸ばしながら歩いてくるゾンビの方へ無造作に歩きだした。


「に、兄さんっ……!」


 黒服の男は伸びてきたゾンビの腕を少し横にずれるだけで簡単に躱す。

 そして距離をとるのでなく、密着するほどにゾンビに近づいた。


 ギュルンっと――


 そんな音が幻聴するほどに男の両足首が捻られ、ダンッと大きな音を立てて地面を踏む。

 そして男の手がゾンビの腹に触れる。


 その瞬間、ゾンビの背中と頭部が破裂した。

 背中から内臓が吹き飛んで、頭部からは脳漿が撒き散る。


「う、うわああああっ⁉」


 驚きに叫ぶ作業員の上に血肉が降り注いだ。



 零衝――


 大地より汲み上げた“威”はゾンビの体内に徹され、そして爆ぜる。

 人間を素手で殺すために造られた技術だ。


「……やっぱり人間は殺しやすいな」


 作業員の男の半狂乱の悲鳴が響く中、ゾンビを仕留めた自身の手を見下ろしてそう呟いたのは、弥堂 優輝びとう ゆうきだ。


 それはただの確認であって感嘆ではない。

 弥堂は特に何ということもなく、次のゾンビへと向かった。


 勢いよく掴みかかって来る女のゾンビを一度空かして、擦れ違い様に膝の横に蹴りを見舞う。いともたやすく膝を砕いた。

 崩れ落ちて地面を滑るゾンビを無視して、三体目を狙う。


 同族のやられ方を見ても何の学習も工夫もなく両手を伸ばして襲ってくる男のゾンビに、弥堂はカウンター気味に鉄板入りの重いブーツでハイキックを繰り出し、思い切り蹴り足を振りぬいた。

 横合いからの打撃にゾンビの首は回転して、数周した後に捻じれ切れる。


「う、うわぁっ、ぎゃあああああっ⁉」


 その首が目の前に転がってくると作業員の男がまた悲鳴をあげた。

 どうやらこの場に居るゾンビは打ち止めのようで後続は出てこなかった。


 弥堂は男の悲鳴に眉を顰めることもなく、無貌の瞳で周囲を見遣る。


「に、兄さん、アンタ一体……、兄さん……?」


 目に恐怖を滲ませながら見上げてくる作業員を無視して、弥堂は壁際へ歩いていく。

 そしてそこに立てかけてあった物を手に取り、それを引き摺りながら戻ってきた。


「そ、それは……」


 硬質な音を打ち鳴らすそれは建築用の大きなハンマーだ。

 弥堂はそれを持ったまま、先程片足を潰しておいた女のゾンビの前で立ち止まる。


 女ゾンビは目の前にあるブーツに喰らいつくが頑強な靴はビクともしない。

 弥堂は掴まれている足を振って、女の顔面を蹴り上げる。

 折れた歯を散らばしながら女ゾンビは仰向けに引っ繰り返った。


 そして弥堂はハンマーを振りかぶる。


「ま、まさか――」


 作業員の男の予感通り、弥堂はハンマーを女ゾンビの顔面に叩き落とした。

 ぶちゅりと水音の直後にガキンっと地面を叩く硬い音が鳴る。

 男は思わず目を瞑った。


「ここを離れた方がいいぞ」


 弥堂はお構いなしに冷淡な声で男に告げた。


 作業員の男はすぐにはその言葉に反応できない。


 凄惨な弥堂の所業への忌避感と嫌悪感がまずあって、しかし殺したのは人間ではなくバケモノだという状況理解が追いつき、そして改めて弥堂の行いに恐怖を覚える。


「た、たすかったよ……」

「そうか」


 目を合わさずに礼を言う男に弥堂はどうでもよさそうに答える。

 目線すら向けずにそこらにある物を見回している。


「な、なぁ、兄さん。こいつらってやっぱゾンビだよな……? オレ噛まれちまったんだけど、まさかオレもこいつらみたいに……」

「こいつらは“屍人グール”だ」

「え?」

「死に損なっただけの『動く死体リビングデッド』だよ」

「ゾ、ゾンビとどう違うんだ?」

「ゾンビは伝染うつる。病気だからな。こいつらはただ腹を満たしたいという欲望で動いて、生きている動物を喰らうだけだ」

「つまり、大丈夫ってことか……?」

「失血で死ぬことはあるかもしれんが、そんな大げさな怪我でもないだろ」


 弥堂は男の傷口を見て、どうでもよさそうに肩を竦めた。


「そ、そうか……、なんにせよありがとう」

「別に。通りすがりのついでだ」

「こいつら人間を喰ってどうするんだ?」

「どうもならない。本能がバグっていて、喰えば己の存在が強化され元の姿に戻れると思い込んでいるんだ。だが、そんなわけがない。死人は生き返らない。永遠に満たされない空腹を抱えたまま餌を求めて徘徊し続ける」

「な、なんでこんなバケモノが……」

「見た目はバケモノだが、大して強くない。頭を潰せば簡単に殺せる。逆に――」


 弥堂はちょうど足元を走っていたネズミを捕まえて、先程転がり落ちたグールの頭部、その口元へそれを投げた。

 すると――


「――ひっ⁉」


 もう死んだと思っていたグールが口を開けてネズミに喰らいつく。

 一口で咥内に収め肉と骨を噛み砕き始めた。


「頭が残っているとこうして生き残ることもある。だからこうやって確実に頭を潰す必要がある」

「え――」


 言いながら弥堂はゾンビの頭を踏み潰した。

 靴底を上げるとブチャッと不快な水音が鳴る。

 弥堂は首無しのグールの死体の服に靴底を擦りつけて血肉を拭った。


 あまりに残酷な光景に男が顔色を悪くしていると、やがてそのグールの躰が砂が崩れるようにして消えていった。


「なっ――⁉」


 慌てて周囲を見遣ると、他のグールの亡骸も同様に消えていっていた。


「死ねばこうやって消える。死体処理をしないで済むのは楽でいい。ゾンビは死体を適切に処理をしないと辺りに病原菌を撒き散らす。ゾンビは感染病だから。だからアンタに伝染ることはない。運がよかったな」

「そ、そうか……」


 色々と受け止め切れずに男は頬を引き攣らせながら生返事をして、ようやく立ち上がる。


「な、なんにせよオレは逃げるぜ。兄さんは?」

「俺はこの先に用事があるんだ」


 弥堂が顎を振って示したのは、ゾンビたちが歩いてきた方向だ。

 男はゴクリと喉を鳴らす。

 どう見ても目の前の若者は訳アリだろうと察して、何をしに行くのかは聞くのを控えた。


「わ、わかった……、兄さんも死ぬなよ」

「そりゃどうも」

「……オレはよ、勘太っつーもんだ」

「……?」

「オレの名前だよ」

「それを俺に名乗ってどうする」


 弥堂が怪訝そうに男を視る。

 ようやく僅かでも表情を動かした弥堂に、作業員の男は「へへっ」と笑った。


「オレぁここが地元でよ、よく下町で呑んでんだ」

「……?」

「もしもどっかでまた会ったらよ、今日の礼に酒でも奢るからよ――」

「――駄目だ」

「え?」


 照れ臭そうに喋る男の言葉を、弥堂は途中でにべもなく遮った。


「俺はそういうのは一切信用していないんだ。“借り”だと言うのなら、それは今ここで返してもらおう」

「そ、そう言われてもなぁ……」


 男は困った顔で自分の服のあちこちを叩く。


「生憎今は手持ちがねぇんだ」

「金はいらない」

「え? じゃ、じゃあ、どうすれば……」


 弥堂は男の言葉に答えず、首を動かして奥の方へ視線を向ける。

 男も釣られてその視線を追った。


「礼がしたいのなら、『あれ』の動かし方を教えてくれないか?」

「あ、あれは――」


 男は視線の先の物を見て、目を見開いた。
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