俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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1章 魔法少女とは出逢わない

1章65 偽物の英雄 ①

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「――ガアァァァァッ! なんでだ……、クソッ……!」


 再び地面に倒れることになったボラフが叫ぶ。


「お前らは下手くそだ」


 その疑問というよりは恨みの言葉に弥堂は先程と同じ答えを返した。


「お前ら――悪魔は――強い。速いし、タフだ。存在の成り立ちからして俺たちニンゲンとはまるで違う」


 片腕片足を失くした敵を油断なく見据えながら事実を並べる。


「それは生まれつきだ。生まれた段階でお前ら悪魔は、人間よりも総てが優れている。そして、だからこそナメる」

「あ、当たり前だッ! ニンゲンごとき……ッ、ナメて当然だろうがッ!」

「そうだ。だからお前らは努力をしない。準備をしない。最善を尽くさない。死力を振り絞ったりなどしない――」


 魔力を巡らせた魔眼でボラフの――人間とはまるで違う悪魔の強靭な“魂の設計図アニマグラム”を視る。


「――何故なら、簡単に勝てるから」

「……ッ!」


 だが、現状は言葉とは真逆の立場だ。

 ボラフは悔しげに弥堂を睨みあげた。


「お前らにしてみれば、戦っているという感覚すらないだろう? 当然だ。俺たち人間だって、蟻の一匹に、蚊の一匹に、本気で戦いを挑むようなことはしない。そんなことをしたら同族に嘲笑われてしまうよな?」

「そ、そうだ……ッ! オレたちとオマエらじゃあ次元が違う……!」

「お前の言う通りだ。しかし、そんな次元の違うお前らも、この『世界』に存在している以上は生きている。生きているから死ぬ。死ぬということは殺せる。殺せるんだ。俺はお前を殺せる」

「ニ、ニンゲンのくせに……ッ!」

「事実として、こうして人間に殺される悪魔の例など、これまでもいくらでもあっただろう? それが今回はお前になっただけのことだ」

「……クソがッ!」


 悪魔として、格上の生物としての矜持を貶められ、ボラフは激昂する。

 弥堂は静かにそんな彼を、羽を捥がれて地に落ちて藻掻く羽虫を見るように視下した。


「お前たちは生まれた段階で存在がもうほぼ完成している。最初から強い。だがその分、成長しない。上積みが無い。伸びしろが少ない」

「…………」

「学習をしない。準備をしない。工夫もしない。一部例外もいるようだが、策謀を巡らせたりすることもない。何故だかわかるか?」

「そ、それは……」

「基本的にお前らは格下としか戦わない。例えば悪魔同士。格上の言うことが絶対で、無条件に従う。それがお前らの基本的なルールだ。だから、勝てない相手に勝つ方法を考えることなどない」

「オ、オマエは、なにを……、どこまで知ってやがる……ッ⁉」


 その問いには答えず、弥堂は自分の話だけを続ける。


「人間がお前らに正面から馬鹿正直に挑めば、それは勝つのは難しい。だが、足元を掬うのは簡単だ。こんな風に、な」


 それが現状の自分たちの立ち位置を示唆していることはボラフにもわかった。カッと、頭に血が昇るが足りない手足では、感情的に襲いかかることすら出来ない。


「だから言ったんだ。お前らは強い。だが、下手くそだと」


 返す言葉がなく、ただ怒りのままボラフは身体を捩った。


「ところで、誰から聞いたんだ?」

「……ア?」


 だが、一方的に喋っていた男の突然の問いかけに、不審に思って動きを止める。


「誰かに聞いたんだろ? 俺が最近よくこの辺りで仕事をしていて、駅前に来たらここによく立ち寄る。いつも、一人で、この空き地に来る――」

「――ッ⁉」


 ボラフの目が見開かれる。


「――そう聞かされてたんだろ?」

「オ、オマエ……ッ、まさか……ッ⁉」

「ナメているからそうなる。疑いもせずに敵の言うことを真に受け、馬鹿みたいに信じて闇討ちを仕掛けたつもりだったんだろう?」

「オマエが……ッ!」

「自分たちが一方的に狩る側だと、そう勘違いでもしたか? 全て間違いだ。狙っていたのは俺の方だ」


 自分が――自分たちが騙されていたことに気付き、ボラフは瞠目する。

 ニンゲンは弱い。ニンゲンは何も出来ない。ニンゲンは何も知らない。

 弥堂からの指摘の通り、そう侮っていた。


「ただ、俺の方にも誤算はあった……」


 怒りと屈辱に震えていると、弥堂がそうポツリと漏らす。


「本当はお前じゃなくて、アスか別の奴を釣るつもりだった。それに誰が来るにしても、もう一匹連れてくると思っていた」

「なんだと……?」

「散々準備や仕込みに時間をかけて、その成果がお前のようなゴミクズの首だけとは――」

「テメェッ……!」

「――実に効率が悪い」


 怒りと屈辱に震えるボラフの姿を視ても、弥堂の感情は揺れない。

 愉悦も優越感も湧かない。


「それでも、お前が来る可能性もあると考えてはいた。お前が水無瀬との戦いで死んだとは思っていなかったからな」

「オマエはどこまで……ッ」

「戦いの中でお前が見せた分裂。水無瀬と最後に撃ちあっていた時に足が一本もげて落ちたよな? あの時にも分裂しただろ? そうやって自分の一部を逃がして生き延びた」

「――っ⁉」


 目を見開き息を呑む。

 その仕草が答えだった。


「だから、存在が削れて揺らいで飢えたお前が、俺を狙ってくる可能性はあると考えていた。『オマエのせいで』と、何度も言っていたからな」

「それが……、それがなんだッ……⁉ だからってオレに、ニンゲンが悪魔に勝てる理由にはならねェだろうが……ッ!」


 苦し紛れ、悔し紛れ、癇癪を起こしたような絶叫にも弥堂は顔色を変えない。


「なんでオレの攻撃が当たらねェ⁉ ニンゲンの身体能力で捌けるわけがねェッ!」

「そうか? なら、偶然当たらなかっただけかもしれないぞ」

「ウソつくんじゃあねェよッ!」

「そうはいかない」


 皮肉めいて揶揄うような言葉。

 しかし、その声に冗談の色は全く無い。


「“嘘”とは、『世界』がそのリソースを分け与え、生まれ落ちた俺たちに許し能えた“加護ライセンス”なのだから」

「加護……? オマエの加護だと……?」

「俺だけじゃない。お前にだって使える。遠慮するな。何でも使え。俺もそうする」


 現状は自分に有利。

 弥堂はその眼で、敵の動き、表情、目線、そしてその魂のカタチまでも――

 一切の油断なく映し続ける。


「使えるモノは全て使って、やれることは全部やって、あらゆる手段を尽くしてお前を殺す。その為の手段は問わない」

「ナメるなァッ!」


 勝利宣言にも等しいその殺害の宣告に、ボラフは怒り狂った。


「オマエらニンゲンと一緒にするな! ちょっと腕や足が捥げたくらいすぐに戻せる! 存在の強度が違うんだ。存在を維持することがオレたちには許されているッ!」

「だったらやってみせろ」

「言われなくても――」


 地面に転がりながらボラフは全身の魔力を操作し、腕と足の切断面に力をこめる。

 しかし――


「――なに……? なんだ? なんでだ……ッ⁉ 何故戻らない……ッ⁉」


 自身の躰の不具合に気が付き、その顔に焦燥を浮かべる。


「自分で把握していないのか? わざわざ言ってやっただろ? 削れていると――お前の、魂が」

「た、魂が……?」

「“魂の設計図アニマグラム”から削れ失われた情報は二度と戻らない」

「まさか、“魂の設計図アニマグラム”に直接攻撃を……? バカな、そんなことが――」

「さぁな。また嘘かもしれないぞ」

「おちょくってんのかテメェ……ッ!」


 叫びと同時にボラフは躰を丸める。

 粘土のように一塊になって、それからまた人型へと戻った。


 ボラフは再び両足で立ち上がり、両腕に鎌を構える。

 しかし、その姿は一回りほど縮んでいた。


「久しぶりに見たな。立っている姿を。随分立派になったじゃないか。もしかしてお前背が伸びたか?」

「テメェはどこまでも……ッ! 殺してやるッ――」


 怒りのまま、何の工夫も学習もなく、先程と同じようにボラフが向かってくる。

 弥堂は同様の対処をとった。


「――【falsoファルソ héroeエロエ】」


 そして結果も同じように、ボラフは弥堂を見失い、鎌の一振りは空を斬った。

 ボラフは慌てて振り返り周囲を探る。

 今回はなんの欠損もしなかったものの、弥堂には逃げられてしまった。


 少し距離を開けた場所に立つ弥堂へ、信じられないものを見るような目を向ける。


「なんで……、なんで見失う……」


 弥堂は手の中のロザリオを弄びながら、気のない調子で答える。


「俺には今、お前の姿が見えていて。お前にも、俺の姿が見えている。これは周囲の光が視覚的な情報を伝えるからだ……」

「なに……? なにを言ってる……?」

「お互いに今、声が聴こえている。それは空気の振動によって音が伝わっているからだ」

「テメェ、いったい……、なんの話を……」

「つまり、この空間――『世界』に在る光と空気、これらが俺たちに情報を伝えているということだ」


 ボラフは戸惑いを浮かべる。

 突然戦いとは関係のない話を始めたように聞こえるが、これもまた何かの嘘で、何かの罠かもしれない。

 そういった疑心暗鬼に囚われていた。


「――そして、お前も悪魔の端くれなら知っているだろうが、総ての物質は“霊子エーテル”を根源としている。俺も、お前も。『世界』の全ても。光や空気だってそうだ」

「それが……、なんだってんだ……⁉」

「情報が伝わるとは、俺の“魂の設計図アニマグラム”とお前の“魂の設計図アニマグラム”との間の空間に在る“霊子”が何らかの影響を受け、それによって発生する運動が現象を起こし、その現象によって俺たちの“魂の設計図アニマグラム”が影響を受けることだ」

「い、意味のわからねェことを……」

「視覚、聴覚、触覚……、別に何でもいいんだが、何かを知覚するということは、“霊子”の運動を知覚するということになる」


 ボラフは動揺する。

 弥堂の語る内容が理解出来ない。

 悪魔の自分が理解出来ないこと、それもまるでアスが専門的に研究しているような内容を、ニンゲンの弥堂が語っている。

 それこそ、ニンゲンでは知りようのないこと、知覚できるはずがないようなことを聞かされ、激しく動揺をしていた。


「――俺たちは『世界』に囚われている」


 しかし、相手の理解など待つことなく、弥堂は一方的に言葉を叩きつける。


「存在する以上は『世界』から分け与えられた“霊子”によってカタチを得る。人間でも、悪魔でも。俺たちの“魂の設計図アニマグラム”は常に『世界』の上に在り、中に在り、『世界』を構成する“霊子”と触れ続けている」


 チャリッと、手の中から垂れ下がるロザリオのチェーンが鳴る。

 それを持つのとは逆の手に液体の入った小瓶を握った。


「盤面に置かれた駒のように――ではなく、まるでシールのように『世界』に貼りつけられている。そんな感覚に近い。『世界』から離れない限り、俺たちは常に影響をしあう」

「黙れッ! もう聞いてらんねェよ……ッ!」

「じゃあ、どうする――?」


 ボラフは鎌を振り、弥堂へ狙いを付ける。


「――剥がせばいい。シールのように」

「意味わかんねェんだよオォォッ!」


 ボラフが突撃を開始する。


 弥堂はその姿をしっかりと蒼銀の光を灯す【根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】に映し、そして――


――その言葉を口にする。



『世界』から自分を剥がす。


 “霊子”で構成される自身の“魂の設計図アニマグラム”を、『世界』を構成する“霊子”から一時的に引き剥がす。


 それはある意味で、自殺に、死に等しい。


 自分をこの『世界』に存在していないことにする。

 存在しないモノは誰にも知覚することが出来ない。


 もしも、この『世界』のルールにより、起こる全ての現象に於いて、誰にも勝つことが出来ないのならば――

――自分がこの『世界』から居なくなってしまえばいい。


 さすれば敵は無く。


 最前線に立つ勇は無く、正々堂々向かう武も無い。


 故に、誰の目にも留まらぬ其の欺瞞は――


「偽物の英雄【falsoファルソ héroeエロエ】」


 またもあがる悲鳴とともに、ボラフの両足が切り飛ばされた。


「グゥアァァァ……ッ⁉ なんで……、なんでだァ……ッ⁉」

「少しは考えろ。もっと必死になれよ。だから死ぬんだ」


 両足を失ったボラフは腕を使って躰を起こし、弥堂へ疑惑の目を向ける。


 その目に、恐怖の色が混ざったことを、弥堂は観察した。


「当たらない仕組みがあっても……、だからって、なんでオレに傷をつけられるんだ……⁉」


 弥堂は追撃をすることはせず、その問いに答える。


「この『世界』で実在するとは、“霊子”に他の物質が結びつくことを指す」

「そんなことは聞いてねェッ!」

「俺たち人間のように脆弱な生き物は、数多くの物質をとりこんで肉体で固めないと“魂の設計図アニマグラム”が維持できない。存在の強度が低いからだ。つまり、情報としては複雑な存在だとしても、それがそのまま強く優れているということにはならない」


 またも叩きつけられる情報の多さに、ボラフは動揺する。

 それは存在が揺らぐことを意味する。


「逆に天使や悪魔――お前らのような“非実在存在”は“霊子”と“魔素”、ほぼそれだけでその存在を維持することが出来る。それは存在の強度が高いからだ。お前はそれほど格の高い悪魔ではないようだから、ある程度不純物が混ざっているようだがな」

「…………ッ」

「つまり、“霊子”の純度が高いほど次元の高い存在であると云え、そして俺たちニンゲンは不純で穢れた下等な存在であると云える」


 自らの存在を卑下するような言葉を口にしつつ、この場では絶対の強者のように格上の存在を見下ろす。


「そんな下等な生物が、格上の存在を傷つけることはとても難しい。それは常識だ。お前にもわかるような」

「そうだッ! だからおかしいって言ってんだろうが……ッ!」

「俺たちニンゲンは魂の維持の多くの部分を肉体に依存している。肉体が壊れれば死ぬ。それに比べてお前らは、肉体が実質無い。仮初の実体を壊されたとしても、また創り直せばいい。腕がすぐに生えてくるとはそういうことだろう?」

「…………」

「そんな脆弱な俺が、そんな強靭なお前を破損させるのは困難だ。実際、お前やゴミクズーを殴ってもほぼダメージなど与えられなかった」


 それはその通りだった。

 これまで弥堂と戦った中で彼の拳打が当たろうとも、ボラフもゴミクズーもそれ自体で躰を損傷することなどなかった。


「逆に水無瀬の魔法。あれはほぼ魔素で構成されているエネルギー体だ。あれは頗る効果が高い。お前らの魂にダイレクトにダメージを与える。そうだろ?」

「…………」

「魔法少女の魔法でなければゴミクズーは倒せない。あの設定はこういう仕組みだろ?」

「まさか、お前も魔法を……⁉」

「いや? 全く使えないな。あれは俺には無理だ」


 ならば何故――ボラフの疑問は一切晴れることがない。


「なんでオマエが、オレでも知らねえようなことを……。アスみたいな知識を……、ニンゲンのくせに……!」

「先代様の文献に書いてあったんだ」

「ふざけんな! だったら、やっぱりお前にオレを傷つけることは無理なはずだ……!」

「そうだな。俺には、な」


 認めて、弥堂は手に持った小瓶の中身を飲み干す。


 それは“神薬パルスポーション”と呼ばれていた魔力増強薬だ。


 しかしそれは名ばかりで、実態は心臓の鼓動を無理矢理速める薬だ。

 服薬すると激しい興奮状態に陥り、多量の快楽物質が分泌され、痛みや苦しみを麻痺させ、異常なほど動悸を速めるのだ。

 裏界隈では“馬鹿に付ける薬ドープ・ダーヴ”という名前で売られた粗悪な覚醒剤に近い麻薬だ。


 心臓が1秒に1回動くとする。

 心臓が鼓動するたびに血液が循環され魔力が体内で生成される。


 では、その魔力を増やすには?


 答えは単純で短絡――心臓を無理矢理動かしてやればいい。


 通常1秒に1回のところを、2倍、3倍に。


 もちろん、その負荷に人間の肉体は耐えられない。

 そんなことを続ければ必ず死ぬ。


 この薬はかつて弥堂が所属した組織で、大した力を持たない者――生き残る必要がない者をそれなりの鉄砲玉にするために用いられていた物だ。

 使い捨ての暗殺者の服用する麻薬。


 本来は何日か後に、何週か後に、何か月か何年後かに生成されるはずだった魔力を、心臓の鼓動を速めることによって、今この場で得る。

 寿命を担保に未来から魔力を前借りする。

 そしてその担保は戻っては来ない。

 そういった代物だ。


 首筋の血管が肥大化し、皮膚を盛り上げる。

 葉脈のように顔を奔って眼まで繋がる。


 全身に己の分を超えた魔力が満ちる。


 そしてその魔力を手の中の十字架が吸い上げた。

 手の中でそれはカタチを変える。


「なん、だ……? オマエ、なにをした……?」


 ボラフは警戒しながら弥堂の手を見る。


 弥堂の右手にはナイフの柄が握られていた。


 コンバットナイフほどの大きさの白銀の柄。

 ただし、刃は無い。


 右手に魔力をこめると、柄の先に青白い光の刃が顕れる。

 刃渡り20cmほどの光のナイフ。


「――人間の力で悪魔を殺せないのなら、それを可能にする道具を使えばいい」

「なんだ、それは……?」

「『エアリスフィール』、聖剣だ」


 その光の刃の輪郭がぶれ、ジジジと虫の羽音のように音を鳴らす。


「聖剣だと……? やっぱり教会から来やがったのかテメェは……⁉」

「そうかもな。確かに教会に居て、教会の敵と戦ったことはある」

「なにが聖剣だ。そんなモノはねェ! 神は居ない! 存在しない神がニンゲンに剣を齎すものかよ……!」

「そうだな」

「どうせ魔剣もどきだろ? そんなモンでイキりやがっ……」


 悪魔と教会は敵対してきた。

 かつて聖剣を名乗る剣で何体も悪魔が滅ぼされている。


 ボラフは弥堂が持つ剣に憎しみをこめた目を向けて、それをコキ下ろそうとするが――言葉を失う。


「――なんだ、それは……?」


 見た目はチンケなナイフ。

 だが、その光の威容に、霊子の純度と密度に気圧された。


「『エアリスフィール』かつて聖女と呼ばれた女の魂を鉄とともに溶かして造ったそうだ。持ち主の魔力で実体化する刃。以前にこれを使っていた奴らは長剣や大剣の大きさにまで刃を顕現していたようだが、俺程度の魔力ではナイフ程度の大きさがせいぜいだ」


 ボラフは弥堂の話を聞いていない。

 呆然と聖剣を見たまま硬直している。


 まるで、圧倒的に格上の存在と出遭ってしまったかのように。


「この剣には魂が宿っている。何千年以上の時を生き続けたその魂は、存在としての格や強度は精霊――つまり“神”に匹敵する」

「なんなんだそのバケモンは……ッ⁉」


 ボラフは怯え尻を引き摺って後退る。


「聖女の魂が宿るこの剣には『加護ライセンス』がある。かつて生前に聖女が持っていた『加護ライセンス』が……」


 弥堂はボラフを追うことはせず、その場に立ったまま聖剣の光を見せつける。


「その『加護ライセンス』は『切断ディバイド・リッパー』触れた物を切って断つ。ただそれだけのシンプルな加護だ」


 刃を出して手に持っているだけ。

 ただそれだけで触れている周囲の空気を切断し続け、その音がジジジ、ジジジと鳴り続けている。


「元々は剣を振って当たればそれが盾だろうが鎧だろうが関係なく人体と同じように切る。人間対人間では頗る凶悪だが、しかしただそれだけの加護だ。お前ら悪魔を攻撃した場合、目に見えるその躰は確かに切るが、その存在の実体にまで届くものではない。知覚出来ないものには触れられないからな。だが――」


 ドドドドと、頭蓋の中で鳴り続ける自分の心臓の音を聴きながら、弥堂は魔眼に魔力を廻す。

 薄い蒼銀の膜が眼球を覆い、瞳の奥に蒼焔がゆらめいた。


「――俺には視える。知覚出来る。『魂の設計図アニマグラム』が。俺はお前の魂に触れられる。だから――触れれば切れる。お前を殺せる」

「ヒ――ッ」


 ボラフが短く悲鳴を上げ両腕を使ってさらに後退ると、その両腕が切断される。

 両手足を失った躰がドッと地面に落ちると土埃が舞う。


「――グッ、ガァ……ッ⁉ な、なんで……⁉ 触れてねェのに……ッ!」

「まだ気づいてないのか」


 弥堂は地面に転がる無様な達磨を冷酷に見下ろす。

 ナイフに流す魔力を調節する。

 ボラフは恐怖を浮かべながらその姿を見上げた。


 すると舞い上がった土埃が地面に降りてくるのが見える。

 それらは何もない空間で何かに触れたように不自然に軌道を変え、空間にはキラキラと小さな輝きが散見された。


 弥堂の持つナイフから糸のようなモノが伸びている。

 それは限りなく霊子に近い物質で造られた糸――


「――魔力によって刃を造る。太く長くすることが出来るのなら、細くすることだって出来るだろう?」

「れ、霊子を直接操っているって言うのか……?」

「俺の魔力が混ざっているから厳密には完全な霊子ではない。だが、限りなく近い。お前ら悪魔よりも純度は高い」


 ボラフは周囲へ目を遣る。

 自身を囲むようにその糸が張り巡らされている。

 弥堂が再び魔力を操作すると、その糸は見えなくなった。

 だが、まだそこに在るのだろう。

 不可視の罠のように。


「どうやらお前程度の悪魔ならこれを知覚出来ないようだな。それとも、ただの注意不足か?」

「……最初っから、ハメられてたってのか……?」

「そう言っただろう」


 自身の躰を再構成することも忘れ、呆然と弥堂を見上げる。


「なんで……、なんでだ……?」

「あ?」

「なんで最初からこれを使わなかった……?」

「…………」


 弥堂は黙ってボラフを視る。


「今までオレとは何度も戦った。ゴミクズーとも。これを使えばその時にもオレらに勝てたはずだ……ッ!」


 その問いに嘆息する。


「お前は余程恐れているようだが、実のところ大したチカラじゃない。つまらない一発芸だ。タネが割れてしまえばいくらでも対策可能な。だからこそ、知られたくなかったんだ。あいつらにも、お前の上司どもにも」

「なんだと……?」

「お前は監視されていた」


 その言葉にボラフの目が驚きに見開かれる。


「ショッピングモールでの戦い。お前が敗北寸前となった瞬間にアスが現れた。お前を見ていたということだ。あいつは偶々だと言っていたが、そんなわけがない。それを信じる道理はない」

「オ、オレが……」

「当たり前だろう? お前は無能だ。弱い。頭が悪い。おまけに組織に不満も持っている。あまつさえ、敵である水無瀬に寄った言動まで見せている。そんな奴を誰が信用する? もう見離されたようだがな」

「クソ……ッ! クソッ……!」


 ボラフは毒づく。

 己の矮小さと浅はかさ、そして見下された全てに恨みを抱く。


「だが、それでも! オマエが死にかけてたのは確かだッ! あれも演技だったっていうのか⁉」


 少しでも己のプライドを保とうと、弥堂へ怒号を飛ばす。

 弥堂はつまらなそうに肩を竦めた。


「いや? 普通に負けて、普通に死にそうになっていたぞ。普通に戦ったら俺はお前らに勝てない。殺されていてもおかしくはなかった」

「だ、だったらなんで……? 下手したら死ぬっていうのに、そこまでして隠す意味なんて――」

「――無いな。意味など無い。だが、面倒なんだ。お前らやあいつら、それに他の連中にも、俺が“こう”であると、こんなチカラがあると知られたくない」

「い、意味がわからねェ……! それで死んだら……」

「それがどうした? 死んだらただそれだけのことだろう。別に生き残らなければならない意味も理由もない」

「……オマエは狂ってる」


 ボラフは畏れる。

 目の前の男を。


 まるで理解が出来ない悍ましいモノを畏れるように。


「だが、今は違う。確実に誰にも見られず、確実に殺せる」

「ちくしょう……」

「いつどこで誰に殺されようと構わないが、それでも殺せる機会を逃す理由もない。だから、お前を殺す」

「ちくしょう……ッ、なんで……ッ」


 ボラフは手足のない躰を捩り目の前の狂人から逃れようとする。

 しかし、それは叶わない。


「なんで……、クソッ……、なんでオレが……ッ、こんなはずじゃ……ッ」


 弥堂は刃を手に、敵へ歩み寄る。


「なんで、オレが……ッ、こんな、ニンゲンなんかに……ッ!」

「知りたいか? それはとても簡単なことだ――」


 自分を見下ろす冷徹な瞳に視線が縫い留められる。

 その瞳の奥の蒼焔に己の魂が灼かれゆくように錯覚する。


 自分よりも格下の存在を畏れればその存在は揺らぐ。

 “魂の設計図アニマグラム”が罅割れ、その存在の強度は低下する。


 月の無い昏い空に、青白い殺意の刃が煌めく。


「――運がなかったのさ」


 その殺意の切っ先が視界の中で拡大され、そして生命の結合を切断した。
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