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1章 魔法少女とは出逢わない
1章64 這い寄る悪意 ⑤
しおりを挟む一瞬自分を見失いそうになっていた弥堂は我に返る。
考えるだけ無駄だということにして流したのだ。
大事なのはこれからのことであると、己を先に進ませた。
「――というわけで、これからの話だ」
好きにお喋りをしていた水無瀬とメロは弥堂の方を向く。
「これから……ッスか?」
何を言われているかわからないと、キョトンとした顔を見せるネコを弥堂は見下した。
「そう……、だよね……? これからのこと考えないとね……」
しかし水無瀬さんの方は話を理解出来ているようだ。
「ほぉ」
弥堂は少し見直した眼を水無瀬へ向ける。
「弥堂くん……、わたし……っ、がんばるね……っ!」
「おぉ! いい気合ッス! さすがマナッスねぇ!」
「…………」
だが、彼女の口から出てきたのはいつものフワっとしたやる気だった。
「……なにをだ?」
「えっ?」
「なにを頑張るつもりなんだ?」
「えっと、がんばってクルードさんと戦って街の平和を守ろうと思うの!」
「……それだけか?」
「えっ?」
「他になにかないのか?」
「ほか……? あっ! あのね? 私やっぱりまだ恐いけど、でも、それでもいっぱい頑張ろうと思ってるのね?」
「『ね?』と聞かれてもな……」
「……?」
不思議そうに首を傾げる彼女を見て、『買い被りだったか』と溜め息を吐く。
「お前がまず考えなければならないのは、生活基盤をどう確保するかだろう」
「せいかつ……?」
「お前の場合、生活をするための拠点すらないんだ。ネットカフェやカプセルホテルを転々とするにしても、金は絶対に必要だろう? メシを確保出来なければどんな人間だって飢えて死ぬんだ」
「あっ……、そっか! そうだよね……」
「なんで先に敵と戦うことを考えるんだよ。一日の生活の時間全てを使って戦い続けるつもりか? バーサーカーかお前は」
「あぅぅ……、ごめんなさぁい……」
極めて好戦的なクラスメイトの女子に説教をしてやると、彼女はシュンとばつが悪そうにした。
「そうだったよね……、私もうお家がないんだ……、おうちが、うっ、うぇぇぇ……」
「泣くなアホ。泣いたって何も戻ってこない」
「で、でもぉ……」
「それを考えるのはもっと後だ」
「あと……?」
涙をためた目で見上げてくる彼女に嘆息混じりに答える。
「最優先はメシ、次に棲み処。どちらを手に入れるにも金が必須。だからお前に今一番必要なのは金と、それを得る手段だ」
「おかね……」
「とりあえず金さえあれば当座は凌げる。メシを食えるとこはいくらでもあるし、身体を洗って寝床が欲しければネットカフェでどうにかなる。わかるか?」
「ネカフェ……、私一回しか行ったことない。ななみちゃんが連れってってくれたの」
「そうか。なら、利用時にどういう流れになるかは何となくわかるな。お前学生証か保険証はあるか?」
「どっちもあると思う」
「保険証はいつ失効するかわからんから基本は学生証を使え。学生証で通る店は大抵問題を起こさなければ、それが本物かどうか、お前が実際に在籍しているかどうかをいちいち調べたりしない」
「え、えっと……?」
「学生証で通用する店や、身分提示のいらない店を予め出来るだけ多く見繕っておけ。何かあっていつも使ってる店に居られなくなるという可能性は常に考えておけ。あまり実感がわかないかもしれんが、これはかなり優先度が高い。時間のある時に必ずやれ」
「う、うん……」
「お前はもう二度と身分証が正規の手段では作れない可能性が高い。今持っている物は絶対に失くすなよ。いいな?」
「わ、わかりました……」
弥堂は駆け足で住所不定不審者としての基本的な心構えを手解きするが、ずっと“よいこ”で生きてきた彼女にはあまり実感が無く、想像もついていないようだった。
「お前わかってないだろ?」
「えっと、うん……、ごめんね……?」
弥堂は反射的に口汚く罵ってやりたくなったが、強制的に口を閉ざした。
彼女は善良な人間に囲まれて生きてきたのだ。
家も身分もないようなゴミクズがどこでどうやって暮らしているのかなど、実際にその世界に身を浸してみない限りわかりようもない。
そのことがよく理解出来て、だからこそ残酷に現実を突きつけて罵倒して傷つけてやりたくなる。
だからそれは単なる自分自身の欲求だ。だから努めて抑制する。
「……まずお前は金を手に入れなければならない。出来るだけ継続的に金を得られる手段があれば望ましい。これはわかるな?」
「うん」
「金があればメシと寝床を確保できる。ここまで出来て最低限生活が出来ていると謂える。これもわかるか?」
「うん、わかる」
「お前に今起きている問題。両親や友人とのこと。これを考えることが許されるのはその最低ラインの生活基盤を築いてからだ。何故かわかるか?」
「……おなかすいちゃうから?」
「そうだ。まずは『今日のメシ』と『今日の寝床』だ。これが無い奴には明日がない。そんな奴が先のことを考えていても意味がないだろう? だって、今日死ぬのだから」
「こわいよ……」
少し実感が湧いてきたのか、彼女が顔を俯ける。
「そうだ。メシを食えないことはとても恐いことなんだ。安全な寝床がないのも恐いことだ。屋根が無く壁も無い。いつ誰が狙ってくるかわからない。冬になれば凍えて死ぬ。お前はもう安全じゃない」
「……全部今まであったもの。当たり前みたいに思ってた……、全部お父さんとお母さんが当たり前にしてくれてたんだね……」
「そうだ。そしてその二人はもう居ない。お前が自分でどうにかしなければならない」
「……こんな難しいこと、当たり前みたいに私にくれてたなんて……、二人ともいっぱいがんばってたんだね……、それなのに、わたし……っ」
「それは今考えることじゃない。『今日のメシ』と『今日の寝床』もない奴が、どうにもならないことを願っても意味がない。その想いは心を殺す毒だ。そしてその毒はお前の足を止め思考を止め、そして最期には心臓すらも止める致死性のものだ」
「しんぞう……」
「だがその毒を生み出しているのは他ならないお前自身の脳だ。お前を今のクソッタレな状況に陥れたのは、もしかしたらどこかに居る他の誰かなのかもしれない。だが、その状況から今、お前を死に追いやっているのはお前だ。やるべきことをやらずに、どうにもならないことに泣いて縋り続けるのは自殺以外のなにものでもない」
「自殺なんて、そんな……」
容赦なく突きつけられる現実に水無瀬は尻ごむ。
実際のところ、今ここで彼女に厳しく言ったとしても追い詰めるだけになりかねない。
しかしだからといって、日を改めて時間をかけてゆっくりと教え説くような時間の余裕もない。
とりあえず言うべきことは全て言ってしまおうと弥堂は決める。
「なんにせよ、とりあえずは金だ。金があればどうとでもなる」
「う、うん……、でも……」
「なんだ?」
「私、バイトとかもしたことないし、ちゃんと働けるかな……?」
「働けない」
「あぅ……」
冷酷な面接官がきっぱりと不採用を告げると、応募に来たJKは落ち込んだ顔をした。
するとモンスターな保護者がクレームを入れてくる。
「ちょっとアンタ! ウチの娘のなにが不満だって言うの⁉ ウチの子はやれば出来る子なんです! 採用しなさいよ! もちろん好待遇で! 有給は初年度から使わせなさい! ボーナスも半年で寄こしなさい! 年二回昇給させなさいよね! 晒すわよ!」
まだ何の成果もあげてはいないどころか、労働に従事すらしていないくせに、不当に金銭を要求してくる恐喝のようなことをする労働ネコを弥堂は軽蔑した。
しかし、奴らはモンスターなので人語を解さない。
弥堂は無視して娘さんに声をかけた。
「勘違いするな。別にお前をバカにして言ってるわけじゃない」
「そうなの?」
「労働能力の問題じゃない。お前は他人に覚えてもらえないんだ。だからどこでも働けないだろう?」
「あ……、そうか」
「今日採用されたとしても、翌日初出勤したら不法侵入者だ。雇用されて金を得ることは諦めろ」
「でも、どうしたら……」
「そんなお困りのお前にうまいお話があります」
急に言葉遣いの変わった男に水無瀬は丸い目を向ける。メロは警戒心を高めた。
「振り込め詐欺って知ってるか?」
「コラァァーーーッ!」
唐突に犯罪教唆をし始める男にメロは全力で叫んだ。
「なんだ。うるさいぞ」
「軽率に少女を犯罪に引っ張り込むんじゃねェッスよ!」
「まともに働けないんだ。金を得るにはそれしかないだろ」
「前途ある若者の選択を狭めないで欲しいッス! ウチのマナの可能性をもっと信じて欲しいッス!」
「こいつのポテンシャルを十分に分析し考慮した結果だ。いいか――」
弥堂は真剣な眼で冷静に語る。
「こいつのアドバンテージはなんだ?」
「そんなもんオッパイに決まってんだろッス!」
「それだけか?」
「あとカワイイし、優しいッス!」
「そうか。俺の見解は違う。こいつの天職は強盗と詐欺だ」
「そのキャリアを積んだら履歴書に前職じゃなくって前科って書かなきゃいけなくなるだろッス!」
妖精のくせに堅実で面白味のない将来しか語れないネコを弥堂は見下す。
「発想を逆転させろ」
「はぁ?」
「ピンチをチャンスに変えろ。他人から忘れられることをアドバンテージだと考えろ。強盗をしても一日逃げきれば容疑が消える。魔法で飛んで逃げるか結界にでも逃げ込めば、確実に足が着かずに何度でもタタキが出来る。これは明確な才能だ。活かさないでどうする?」
「そんなのあんまりッス!」
「俺のお薦めは強盗だ。外人街を狙え。身なりのいい人間が女を買いに入ってきたら結界に引き摺りこんで皆殺しにして金品を奪え。死体は適当に捨てておいてもあそこならすぐには騒ぎにならない。後は空を飛んで隣町に入って、そこで普通に店を利用して生活すればいい。次の日になれば容疑は消える。三日に一回それをするだけで、とりあえずお前らは生きていける」
「やめろぉーッ! 具体的なプランを提示するのはやめてくれッス!」
前足でお耳を塞いでイヤイヤをするネコさんの代わりに飼い主が主張をする。
「あ、あの、泥棒はダメだと思います……っ!」
「甘えるな。まずは詐欺から始めて、他人の金を奪うことの抵抗感を失くせ。安心しろ。一週間もあれば感覚が麻痺してくる。慣れたら強盗だ」
「そ、そんなのダメだよぅ!」
「うるさい。時間がない。とりあえず一晩で詐欺の基本を叩きこんでやる。本当は振り込め詐欺がいいんだが、恐らくお前のスマホはすぐに死ぬ。だから訪問販売を装った詐欺でいくぞ。旧住宅街には一人暮らしの老人が多い。老婆を狙え。お前のその人畜無害そうでガキくさい見た目がきっと役に立つ。餞別に仕事着を一着やる。後は自分で何とかしろ」
「オ、オマエッ、やめろッ! マナにそんなこと教えるなッス!」
席を立ってクローゼットに仕事着とやらを取りに行こうとする弥堂にメロがしがみついてくる。
「おい、毛が付くだろ。離せ」
「そんなこと気にするタマじゃねェだろ! オマエまさかマジなんッスか⁉ 質の悪い冗談じゃなく⁉」
「当たり前だ。俺は冗談など言わない。逆に聞きたいが、他に出来ることがあるか?」
「も、もうちょっと考えてくれッス! 人を殺すような犯罪はカンベンしてくれッス!」
「あのな……」
弥堂はまだ現実をわかっていない二人に呆れる。
椅子に座り直してから嘆息した。
「重犯罪が嫌なら、罪の重さではまだマシなものが一つだけある。人は殺さずには済む」
「な、なんッスか……?」
ビクビクしながらメロが問うと、あくまで平淡な声で弥堂は答えた。
「売春だ」
「ば……」
「考えるまでもないだろ? まともに働けないのは何故だ? 他人との関係を継続できないからだ。そうすると、出会ったその場で金を得るしかない。何をするにしても、金を得るには他人が持っているそれを受け取らなければならない。当たり前の話だろ?」
「で、でも、売春なんて……、マナにそんなこと……」
「出来るだろ。胸がでかくて顔がいい。性格も優しい。お前が行ったとおりだ。ウケがいいんじゃないか? おまけに初物だろ? 今日会ったオヤジのようなスキモノがきっといい値段をつけてくれる」
「や、やめて、そんなこと言わないでくれッス……」
「他にこいつに何か売れるものがあるのか? 何かを作って売るにしても道具を買う金、それを置いて製造する場所、販売する為の場所。それらをどう用意する? そもそもそんな技術があるのか?」
「そ、それは……」
「それとも魔法で金を偽造するか? それが出来るなら一番話が早いが、どうなんだ?」
弥堂に目線で問われると水無瀬は首を横に振る。
「でき、ないと思う……、しちゃいけないことだし……」
「だろうな。だから、お前がちゃんと対価を差し出して金を得るなら売春くらいしかない。というか、お前売春ってなんのことだかわかってるか? お前がさっき一度しようとしていたことだ」
「少年ッ!」
弥堂の発言を遮るようにメロが叫ぶ。
弥堂は黙って眼を向ける。
すると、ネコ妖精は意を決したように、しかしとても言いづらそうに言葉を紡ぐ。
「そ、その……、頼みたいことが、あるんッス……」
「そうだろうな」
「なんとか、ここに置いてもらうことは出来ないッスか……?」
その頼みに弥堂は答えず、黙って鼻から細く息を吐いた。
「そ、そういうの、少年が迷惑に思うのはわかってるッス……! でも、マナにはもう他に頼れる人が……っ!」
「あのな……」
「ジ、ジブンならなんでもするッスから……! どうにか頼めないッスか⁉」
必死に懇願されても弥堂の表情は変わらない。
つまらなそうに、呆れたような、そんな態度だ。
「無理だ」
「そんな――⁉ そんなこと言わねェで、頼むッス! この通りッス!」
床に顔を擦りつける彼女の頭を冷たい眼で見下ろす。
「なにか勘違いをしているようだが――」
「――な、仲間じゃねェって言うのはわかってるッス! 手下でもなんにでもなるッスから! 詐欺をやらせてェならジブンがいくらでもやるッス! だからマナだけは――」
「――そうじゃない」
暴走気味なメロの発言を遮ってあくまで冷静な声で告げる。
「迷惑なのは確かだが、そういった理由で断っているわけではない。同じ言葉を繰り返すが『無理だ』。『嫌だ』と言っているわけではない」
「な、なにが違うんッスか……?」
「お前らは俺のことを勘違いしている。買い被っていると言い換えようか」
「び、弥堂くん。どういうこと……?」
一度顔を見合わせてからこちらを向く水無瀬とメロに、弥堂は説明をする。
「お前ら、明日も俺が水無瀬のことを必ず覚えていると、そう勘違いをしていないか?」
その言葉に二人の表情は凍り付いた。
「実際のところ泊めようと思えば何日でも泊めることは出来る。その気になれば別にお前らくらい養うことも可能だ。だが想像してみろ――」
彼女らは固まったまま弥堂の言葉を聞く。
どちらかが喉を鳴らす音が聴こえた。
「――朝目覚めて、家の中に見知らぬ人間が侵入しているのを発見したら。その時に俺がどうするか。お前らの知る俺という人間がどういう行動に出るか。自分のことだからな、俺にはよくわかっている」
言葉を返せない。
彼の言わんとしていることが彼女らにも想像がついた。
「俺はその時、お前らを殺すぞ? まず、間違いなく――」
表情も声も一切変わらない。
当たり前の事実を告げるだけ。
揺れない湿度のない黒い瞳が彼女らを映す。
「お前らは俺と殺し合いがしたいのか?」
残酷な未来を示唆する弥堂の言葉に、水無瀬の胸がキシッと軋んだ。
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