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1章 魔法少女とは出逢わない

1章63 母を探す迷い子 ⑩

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 夕暮れの住宅街を俺は水無瀬と並んで歩く。

 少し後ろからネコが着いて来ている。


「暗くなってきちゃったねー」

「お前のせいでな」

「あぅ……」


 暢気な声を出す水無瀬へ俺が胡乱な瞳を向けると、彼女の眉が情けなく下がった。

 あれから少しの間、路地裏でのネズミ駆除に付き合わされ、ようやく帰宅をする運びとなった。

 陽は落ちかけていて、もうすぐ夜になっていく時間帯だ。


 今日の水無瀬の心境を考えれば、早く家に帰りたいのではないかと俺には思えたが、彼女はどこか夢中な様子でゴミクズーを探し殺しまわっていた。

 夢中と言うと彼女が殺しを楽しんでいるようで語弊があるかもしれないが、だがどこか憑りつかれたような、無我夢中で必死な様子で魔法少女業に取り組んでいたように見えた。


 元々彼女にはそういった気があったように思える。

 今にしてみれば――という、後付けの話にはなってしまうが。


 彼女は――水無瀬 愛苗には、人のために“いいこと”をしたい、人の役に立ちたい――そういった何処か強迫観念染みた執着や執念のようなものが垣間見える時があった。

 だが、それは所詮は俺が見聞きした情報を俺が処理した結果の感想に過ぎず、特に物的証拠となるようなものがあるわけではない。


 だから、今日の戦闘に関しては先程彼女が路地裏で俺に語って聞かせたような理由から、そうしていたのかもしれない。

 そうではないように俺には見えてしまうのは、きっと俺が彼女の言った理由を理解出来なくて、それに納得出来ていないからそう見えてしまうだけなのかもしれない。

 ゴミクズー退治に同行中、そして今も、そのことについて考えていたが、結局わからないというのが結論となった。

 考えたところで、彼女の言うことを理解出来ない俺にはどのみち判断のつかないことであり、所詮俺が判断することでもない。


 戦闘後からここまでの道中、水無瀬もネコも珍しく口数が少なかった。

 最初は燥いだように喋っていたが、歩みを進めるに連れて言葉数が減っていった。


 思えば、彼女は朝に学園を飛び出してから昼飯も食わずにずっと外を彷徨っていたのだから、この時間になって疲れてしまったのだとしても無理はない。

 これまでに知った彼女の情報からすると、彼女という人物はあまり体力のある方ではなかったので、そんな水無瀬が疲労するのも当たり前のことだと謂えるし、そんな理由から口数が減るのもとても自然な現象だ。


 疲れてしまっても、歩速が鈍ろうとも、足を動かしてさえいればいつかは必ず目的地に着く。

 かつての俺の保護者のような立場であった女――ルビア=レッドルーツが俺に言った数少ない役に立つ言葉だ。

 一つあの緋い髪の女にクレームを付けるのならば、その“目的地”を俺に教えてくれなかったことだが、今はそれは関係なく、今となってはもうどうでもいいことだ。


 前方に店が見えてくる。


 水無瀬の自宅であり、彼女の両親が営む『amoreアモーレ fioreフィオーレ』という花屋だ。

 恐らくイタリア語で、彼女の父か母のセンスか好みでそう名付けたのだろう。


 水無瀬の魔法少女としての『ステラ・フィオーレ』という名前。

 それから彼女の使う【Lacrymaラクリマ BASTAバスター】などを始めとする魔法の名前。

 これらにイタリア語が使われているのは、両親からの影響によるものなのだろうか。


 すごくどうでもいいことなのだが、それでもこの件に関して、以前から俺には気になっていることがあった。


 それは、今挙げた魔法の名前はイタリア語だが、彼女が変身をする際になんか言っている呪文のようなものには英語も使われていたりする。


 だからなんだと聞かれれば特に答えることはないのだが、しかしこの統一感のなさが気に喰わない。

 俺の所属する部活動の長である廻夜めぐりや部長も、こういったことには統一感を出すべきだと以前に語っておられた。

 設定が甘いだとか、世界観がブレるだとか、他にも色々仰っていたがその辺のことは俺にはよくわからなかった。


 だが、俺ごときにわからなかったからといっても、廻夜部長ほどの人物が拳を掲げ唾を飛ばしながら叫ぶのなら、きっとそれが正しいのだ。

 だから、俺は機会があったらこの件について水無瀬を厳しく問い詰めてやろうと思っていたことを思い出した。


 そろそろ俺も彼女を忘れるだろうから、今の内にクレームをつけておくべきかもしれない。


 今頭の中で考えたことを改めて言葉にして発音をするのは面倒なので、とりあえずこいつの後ろ頭を引っ叩いてやろうと俺が右手を振り上げると――


「――あ、お母さんだ」


 この手を振り下ろす前に水無瀬が顔を上げる。

 彼女の視線を追うと店の前でホウキとチリトリを持って掃除をする女性が居た。先日も視認した水無瀬の母親だ。


「弥堂くん、今日は本当にありがとうね。私……」


 礼を述べて暇を告げようとした水無瀬の言葉が途中で止まる。

 俺を見上げながら不思議そうにぱちぱちと瞬きをした。

 彼女の視線の先にあるのは、彼女を引っ叩こうとして上げた俺の右手だ。


 仕方ないので引っ叩くのはまたの機会にし、俺は行き先を失った右手で彼女のほっぺたを摘まんで適当に動かしてやる。


「ふがふが……」

「もう行け。じゃあな」

「――あ、うん。ありがとう。またねっ」

「……あぁ」

「ばいばいっ」


 また。

 何時何処でまた次に会うつもりなのか。


 彼女がどう考えてそう言ったのかは俺にはわからなかったが、とりあえず適当に返事をした。


 水無瀬が母親の方へ歩いていく。


 そういえば何日か前にも似たようなことがあったなと思い出す。


 3日前の4月21日。

 近くの美景川でアイヴィ=ミザリィという名前を持ったゴミクズーとの戦いがあり、その戦闘で疲弊した彼女を送り届けた時のことだ。


 あの時は厳密には俺は自宅までは同行しなかったのだが、彼女らと別れたフリをした後に尾行をしていた。

 なので、あの時は水無瀬が店の前に居る母親の元まで駆けていくのを物陰から隠れ視ていた。


 記憶の中に記録されたその時の情景と、今ここで眼に映る現実の光景が、同じ映像を合わせるように――



――重ならなかった。



 今ここに居る水無瀬は母親の方へ歩いている。


 数日前のように走ってはいないし、大きな声で母親を呼んだりもしない。


 以前とは違うその光景を俺はなんとなく視送る。


 俺の足元にはネコ妖精がいる。


「お前は行かないのか?」


 お喋りなはずのネコは答えない。

 尻を下ろし前足をついて座ったまま目線を地面に向けている。


 何をしているんだこいつはと訝しむが、そうしている内に水無瀬が母親の前に辿り着く。


 こちらには背を向けている彼女が、母親に何か声をかけたようだ。

 ただいま、とでも言ったのだろう。


 その声に反応した母親が顔を上げたのが、俺にも視えた。


 その瞬間に俺は理解をした。


 あぁ、そうか――と。







「――お母さんただいまー」


 愛苗が店前の清掃をしている女性にそう声をかける。

 その声が届いて顔を上げた女性は愛苗の方を見て、キョトンとした顔をした。


 ほんの何秒か、愛苗の顔を見て、それから口を開いた。


「えっと、こんばんは。お母さんを探してるのかな?」


 スッと――


 一瞬で自身の身体中の血液の温度が冷えたのを愛苗は感じた。


「え……? あ……」

「それともおつかいを頼まれたのかしら? 閉店までまだもう少し時間があるから、お店の中を見て貰っても大丈夫よ」

「お、おかぁ……さ……っ、わた、し……」」

「おかあさん? やっぱりここで待ち合わせしているの?」


 身体が震え、顎が震え、喉も震える。

 それとは真逆に舌の動きは鈍い。

 愛苗は言葉を喋ることが出来ない。


「――どうしたんだい?」


 茫然と目を見開いたまま立ち尽くす少女を妻が不思議そうに見ながら答えを待っていると、店の中から夫も出てきた。


「あなた、ちょうどいいところに」
「うん?」

「この子がね、お母さんと待ち合わせみたいなんだけど、お店の中にそれっぽいお客様残ってるかしら?」
「いや……、それっぽい女性というか、もう誰も居ないなぁ……」


 愛苗の目の前で夫と妻が慣れた風に気安い口調で話し、情報を交換する。

 彼女を余所にして――


「ち、ちが……っ、わたし、は……っ」


 喉を動かすと横隔膜が跳ねる。

 それを抑えつけながらどうにか声を絞り出す。


 だが、その僅かな言葉では真意は二人には伝わらない。


 もう、伝わらない。


「えぇと、違ってたら失礼になっちゃうかもしれないけど。キミは迷子とかじゃないよね?」

「おとぅさ……っ、キミじゃ……、ちが……っ、まいご……、なくって……、おうち……、こ、こ……っ」

「困ったわねぇ……」


 要領を得られずに水無瀬夫妻は戸惑う。

 二人は顔を見合わせてからもう一度愛苗の方へ向く。


 そうしてこっちを向いた顔には、生まれてから今日まで毎日ずっと見てきた親しみや愛情は一欠けらも無く、まるで知らない人のように愛苗には見えた。


 だが、真実はそうではない――


 妻は意を決したように言葉を口にする。



「――あなたは誰? どこのお家の子なの?」


 決定的な言葉が耳から這入って脳を抉り進み、そして彼女の根幹である魂に突き刺さった。


 ビキリと――


 不可聴の音を立ててその存在が軋む。


 目の前の父と母が自分の知らない人になったのではない。


 自分が、二人にとって知らない人になってしまったのだ。


 あなたは誰?

 どこのお家の子?


 答えは返せない。

 その答えはない。


「…………っ!」


 だから言葉無く、愛苗はその場から走り出した。


 答えることは出来ず。

 答えてしまえば認めてしまうことになる。


 自分が自分でなくなってしまったことを。


 自分はもう水無瀬 愛苗ではないということを。


 それを自ら認めることは自殺に等しい。


 だから彼女は逃げ出した。








「――マナ……ッ!」

「――まぁ、そうだよな」


 走り去る彼女を追って駆け出したネコを尻目に、思わず俺の口から呟きが漏れる。


 俺としたことが、この可能性を全く考えていなかったこと、これに思い至っていなかったことは、完全に手落ちだと認めるしかない。


 同じ学園の生徒に忘れられ――

 友人に忘れられ――

 近所の住人に忘れられ――

 助けた人間にも忘れられ――


 だけど両親だけは彼女を覚えている。


 そんなことがあるわけがない。



(あぁ、そうか)


 またひとつ別のことに気が付き、先程と同じ感嘆が心中で漏れる。


 何故こんな時に、あんな風に憑りつかれたようにゴミクズーを探し回っていたのかと思ったら、なんのことはない。


 きっと、彼女は心のどこかで、これに気が付いていたのだろう。


 なにせ自分自身のことだ。

 確信には至っていなかったとしても、可能性には行き着いていたはずだ。


 もしかしたら、これを見たくなかったが為に、彼女は家に帰りたくなかったのかもしれない。


 水無瀬は――今の彼女をまだ水無瀬と呼んでもいいのかわからないが――心の何処かでこれに気が付いていた。


 そしてあのネコも。


 だからこそのさっきのあの態度か。


 眼に映ったいくつかの現象に、いくつかの納得のいく理由が視えた。


 彼女が走り去った後に、彼女の遺した涙が空気に舞い、大気に溶け、そして『世界』へ還る。


 そんな光景を見ながら、俺は一定の満足感を得た。


 そして、先に彼女を追ったネコの後を辿り、歩き出す。




――何故?


 我が校の制服を着た女子生徒がこんな時間に、こんな時勢の中で、いつまでも外をほっつき歩いているのは確かに好ましいことではない。

 だが、俺とて下校中の身。

 本来はそこまではやらなくてもいいことのはずだ。


 追ったところでどうする?


 手落ちだとは認めたが、この出来事を想定していたとしても、結局のところ俺に出来ることなど何もない。

 だから、どうせ同じ事だったのだ。


 彼女を追って、追い付いて、それでその後どうする?

 どうせ何も解決してやることは出来ない。


 意味がない。



 彼女が本来頼るべき相手は希咲だ。


 だから、俺が彼女を見つけるまでの時間でとっくにあの女へメッセージを送るなり、電話をかけるなりをしているだろう。

 それは希咲の方だって同じだ。


 あいつだって彼女の現状を知っているのだから、今までに見たあいつの性格や言動から考えれば、いつもより執拗に彼女と連絡をとろうとしていたはずだ。


 駅前で彼女を発見した時、泣き腫らした顏の彼女の手にはスマホが握られていた。


 そして、俺と合流してから後、彼女は一度たりともスマホを見ようとはしなかった。


 だから、そういうことなのだろう。



 もしかしたら、今『世界』で彼女のことを覚えている人間は俺一人だけなのかもしれない。


 まさかあいつより俺の方が長く保つとは思わなかったが、それもどのみち誤差程度に過ぎない。


 だから、今ここで彼女を追って保護したところで、それは仮初のまやかしにしかならない。

 文字通りただの欺瞞だ。


 だから、意味がない。


 だから、次の角を曲がって、それで彼女の背中がもう見えなかったら、それで打ち切る。


 ネコの黒い尾が消えていった角を見つつ、そんなことを思う。



 碌でもない人生を過ごしてきた俺のような碌で無しからしても、このことは後味の悪い出来事だったと思うが、どうせそれすらも忘れるだろう。


 早ければ明日か?

 そうでなくても、近日中には彼女に纏わる出来事の何もかもを忘れてしまうことだろう。


 だから何も問題はない。


 俺にとっては無かった出来事となる。


 それならば、今ここで何をしようと、何を思おうと、何を感じようと、それらは須らく――意味がない。



 そんなことを考えながら、しかし俺の頭の中では、今の現実ではない、過去の映像が映し出されていた。


 親を失くし、友達を失くし、自分の知る者は誰も無く、自分を知る者も誰もいない。

 そんな場所で右も左もわからなくなって、途方に暮れていた子供の映像だ。


 それは過去の俺だ――



 もう6年か、7年になるだろうか。


 何故そんな昔のことを今?


 そう問うことは自分の頭の中だけでの行いだとしても無駄なことだ。

 当然、彼女を自分と重ねてしまったのだろう。


 今の彼女の境遇と、昔の自分のいきさつを、似たモノ近いモノ同じモノと認識してしまったのだろう。


 だが――だからどうした?


 そうだとしても結局出来ることがないのは何も変わらない。

 それに親も行き場も失くしたガキなど、この『世界』には履いて捨てるほど溢れている。


 そう思えども、思いついてしまったのなら、記憶は勝手に記録を俺に見せてくる。


 あの時、俺はどうしたか。


 答えは見るまでもなく簡単で、『何もしなかった』だ。

 ある意味今の自分と変わらない。


 途方に暮れて、道に迷い、未来に惑い、間遠い生まれ故郷を想ってただ泣き喚いていた。

 ある意味今の彼女と変わらない。


 あの時の俺は弱すぎて治安や情勢の悪いあの場所で生き残ることが絶望的だったこと。

 今の彼女は単独で戦いに生き残ることは容易だが、誰とも関係性を募らせることが出来ないので、社会に属することが絶望的なこと。


 違いがあるとすればこんなところだが、そんなことを明らかにしても何の役にも立ちはしない。


 そんな生き残ることが絶望的だったはずの俺が、何故今もここでこうしておめおめと生き恥を晒して、のうのうと往来を歩いていられるのか。

 それは何故だったか。

 なんの、誰のおかげだったか。


 視界の端に緋い髪の女の姿が浮かぶ。

 いつもの幻覚だ。


 女は――ルビア=レッドルーツはギロリとした眼差しで、まるでチンピラ同然にヨタヨタとした歩調で俺の隣を着いてくる。

 記憶にある彼女の歩き姿その通りだ。



 そうして角を曲がると――すぐ足元に地面にうつ伏せになって泣きじゃくる女子高生が居た。


「――やだぁ……っ! おとうさん、おかあさん……っ、やだよぉ……っ!」


 癇癪を起こした子供のように足をバタつかせながら泣き喚いている。

 パートナーのネコ妖精は彼女へかける言葉が見つからないようで、すぐ傍で呆然と佇んでいた。


「なにやってんだお前」


 聞いてみたものの彼女からの答えはない。

 言葉になっているような、いないような、そんな泣き声を上げ続けている。


『見りゃわかんだろ。馬鹿じゃねェのかテメェ』


 それはその通りなのだが、俺はどこか呆れたような心持ちになってしまっていて、思わず口にしてしまったのだ。


 わざわざ歩みを遅くして、意味のないことをグダグダと頭の中で考えて、どうにでも言い訳がつくようにと情けなく準備をしていたのに。

 それを全て台無しにされたようで徒労を感じてしまっていた。


 だが、“神意執行者ディードパニッシャー”とはそういうモノで。

 より存在の強度の高い者がルールを押し付けることが出来る。

『世界』とはそういうものだ。


 それなら仕方ないと、俺は改めて彼女へ言葉をかけようと考える。

 だが、何を言うべきか特に思いつかない。

 あの時、同じように泣くことしか出来ない子供の俺を見つけた彼女――あの女――は、俺に何と言っただろうか。

 その時の記録を記憶から呼び出す。不完全な記録。


「泣いてんじゃあねぇよ、このクソガキ」


 泣き声はさらに大きくなった。


『マジでバカなのかテメェは? そりゃそうだろうよ』


 黙れ。

 やはりルビアの言うことは当にならないことも多い。

 ここは自分の言葉で話すべきか。


「お前、角を曲がった瞬間コケたのか?」

『そんなこと聞いてどうすんだよ』

「お前ってこんな状況でも抜けてるというか、どんな時でもユルイんだな」

「ぅわぁぁぁん……、やだやだぁっ……! ごめんなさぁい……っ!」

『オイッ! やめろやこのカス! なんで詰め始めるんだよ⁉ フツー慰めんだろ!』


 てめえがいつ俺を慰めたよ。


 それはともかく、まずは軽い世間話でもと思ったのだが、上手くいかないものだ。


 しかし、このままここでこいつが泣き止むまで眺めているわけにもいかない。

 通行人が現れたら非常に面倒だ。


 この状況を他人が見た時に、俺という人間がどういう風に映るかを俺はきちんと客観視出来ている。

 恐らく通報される。


 警察に連れていかれるのは慣れてはいるが、その場合俺よりも彼女の方がマズイことになる。

 だが、彼女が警官に氏名・住所を訊かれた時にどうなるのか、それには少し興味がある。


 警察が彼女のことをデータ照会した際に、元々の彼女の個人情報にヒットしなければ身元不明人となり大問題となる。

 ヒットしたとしても、先程逃げてきた花屋へ彼女を送って行ったらそこでも騒ぎになるだろう。

 それを今試してみる気にはとてもなれない。


 というわけで、またこいつを何処かへ連れて行かねばならない。


「おい、みな――」


 彼女の名前を呼ぼうとして途中で止める。

 そういえばと思い出したことがあり、彼女へ先にそれを訊いてみる。


「おい、両親に忘れられたお前は家名を失くしたことになると思うんだが、お前のことをまだ水無瀬と呼んでもいいのか? もう水無瀬じゃないと思うんだが」

「やぁぁぁっ! やだやだぁっ……、わたし、みなせだもん……っ! みなせまなだもん……っ! おとうさんと、おかあさんの……、こどもっ、でっ……! やだやだやだぁ……っ、おうちかえりたい……っ!」


 どうも一番の地雷だったらしく、なかなか見ないレベルの号泣となった。


『オイ……! マジで頭おかしいのかテメェはっ! 今それを言ったらどうなるかわかんねェのかよ!』

 うるせえな、テメエも似たようなこと俺に言っただろうが。こうなっちまったもんはもう仕方ねえんだから、実際的なこれからのことを考えた方がただ泣いてるよりも効率がいいだろうが。

『なんであの泣き虫のガキが、こんな人の心の無ェクソ野郎になっちまったんだ……。どう考えてもこうはならねェだろ……』

 半分はお前のせいだ、クソ女が。


 それはともかく。

 どうもおかしいと気付く。


 足元で泣いている彼女のことではなく、さっきから聴こえている女の声だ。


 これは俺の記憶の中に記録されたルビア=レッドルーツの声だ。

 物事の全てを極めて正確かつ鮮明に記録しておくことの出来る俺の記憶が、過去の彼女の発言を掘り起こしているものだ。


 記憶の性能が高いのでその再現性も比例して高くなり、結果として今ここで俺にルビアが話しかけていると錯覚する。

 それほどのものになっているのが、稀に聴こえてくる過去の関係者たちの声の正体だ。


 だが、俺が“こう”なっちまったのは、ルビアと別れた後のことだ。

 “こう”なっちまってからは一度も彼女に会っていない。


 つまり、俺のこのザマをルビアは知らないはずだ。

 ルビアは今のこの俺について何かを言及したことは事実として無い。


 だから今聴こえていると錯覚している彼女の言葉は記憶ではないということになる。


 そうするとこの声の正体は――


(――やはり幻聴か)


 恐らく以前に常用していた薬物の禁断症状や中毒症状、医学的な正確な表現は寡聞にして知らないが、まぁそういった類のものだろう。

 だからこれらはこの『世界』に存在しない言葉だということになり、だったら聞く価値も答える価値もない言葉だ。


 何故これらの俺を詰る言葉が彼女の声で聴こえるかというと、おそらく無意識的な自罰思考であろう。

 俺自身が俺を咎めて罰したいと考え、それを彼女の声で再生しているに違いない。

 昨日Y'sが使っていた自動読み上げ音声なんとかと同じようなものだと判断した。


 肝心なのは、何故俺が自分自身にそんな自罰の念を覚えたかだ。


 ようは現状のこの有様をどうにかしろと、そういうことなのだろう。


 問題が起こればそれを解決することを考える。

 ごく自然な思考だ。


 そう考え、すぐに身体を動かす。

 無言のまま、慟哭する彼女を抱き上げた。


 彼女は泣きながら何かを言った。

 多分「ごめんなさい」と言ったかもしれない。


 特に答えることはせず、米俵のように肩に担いで歩き出す。


 また彼女が何かを言った。

 嗚咽が酷いのでよく聞き取れない。


 だが、泣いている女の言うことなど、意味のある言葉であることは限りなく少ない。

 だから別に理解出来なくても問題はない。


「なに言ってっかわかんねえんだよ」


 顔の横にある尻に文句だけつけてやると、また彼女が何かを喚いた。

 多分「ごめんなさい」だったかもしれない。


 彼女の顔のある方へネコ妖精が回って、必死に彼女を慰めているようだ。

 俺は泣いている女子供を慰めることなど不毛でやりたくないと思っている。どうせ何を話しかけても余計に泣くのだから、泣き疲れるまで泣かしきってしまえばいいとさえ考えている。

 自分自身がそういうガキだったからよくわかっている。

 そうして、泣いていても誰も助けてくれないということを学ぶのだ。


 だから、その意味のない役割はネコ妖精に押し付けてしまおう。

 たまには役に立ってもらうことにする。


 俺自身はもう口を開くことはなく、泣いている迷子を連れて行く。



 帰る家を失くし、親を失くして、『世界』に迷う子供。

 これを道端に棄てていったら、きっとエルフィに軽蔑されてしまう。

 俺は彼女に嫌われたくない。

 理由はそんなものでいいだろう。


『オイ、アタシが発破かけてやったのに、なんであのクソメイドにあやかってんだよ。あーあっ! 昔は何でも言うこと聞いて可愛かったのになァ! ユキちゃんはよォ!』

「うるさい黙れ」

「ごべんなざぁーーい……っ!」

「オイ! なんで今のマナにそんなヒドイこと言うんッスか!」

「……クソが」


 つい声に出してしまったらロクなことにならない。

 やはり他人と会話などするべきではないのだ。



 無言で歩く間も、背中の方で彼女が何かを言っている。

 ただ泣いているだけかもしれない。

 時折嗚咽が言葉のようにも聴こえる。


 それを聞き流しながら俺は歩く。


 真面目に聞かなくても、聴こえてさえいればそれは勝手に記憶に記録をされる。

 もしくは、熱心に聞いてやったところで、どうせ明日には忘れているかもしれない。

 理由はどちらでもよかった。


 きっと、今『世界』でただ一人、俺だけが彼女のことを覚えていて。


 そして、その俺が泣いている彼女を見つけてしまった。


 俺はこの『世界』でただ一人というものがこの上なく嫌いだったが、これはもう割り切るしかない。


 そういう役割が回ってきてしまったのだと。


 あの日のルビア=レッドルーツのように。


 親も家も失くした泣いている子供を拾う。


 拾った後にどうすればいいのかはわからない。


 だが、左右の足を交互に動かしさえすれば、そのうち何処かへは辿り着く。

 それくらいのことならば俺にも出来る。


(そうだろ? ルヴィ)

『わかってんじゃあねェか、クソガキ』


 記憶の中の彼女が笑ってくれた気がした。


 だが、気がしただけだから、きっと気のせいだ。


 これは何の贖罪にもならない。









 せんせいがないてた

 ごめんなさいっていった


 おねえさんたちもないてた

 ごめんなさいっていった


 おとうさんもおかあさんもないてた

 ごめんなさいっていった


 めろちゃんもないてた

 ごめんねっていわれた


 きっとわたしががんばったからいけなかったんだ

 だから、きっとわたしがいなければよかったんだ


 だから、わたしもごめんなさいをして

 みんなのなみだをとめてって、かみさまにおねがいをして


 わたしはめをつむった


 せかいがおわった
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