俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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1章 魔法少女とは出逢わない

1章63 母を探す迷い子 ④

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 メロは慎重に左右の肉球を順番にアスファルトに触れさせていく。

 こうしなければならない理由についてはわかっていない。

 だが、これまでにどんな危機的状況にあっても冷静さを欠くことのなかった弥堂がこうまで警戒心を滲ませていることで、何か未曾有の危険と遭遇してしまったのではと不安を覚えた。


 彼はどうやら前方から向かってくる歩行者を警戒しているようだ。

 決して目を合わさずに刺激をしないようやり過ごすように注意を受けている。


 メロは顔を俯けたままチラリと歩行者を視界に入れる。

 見た感じ中年の女性のようだ。


(一体なにが……?)


 街の不良や警察すらも恐れず、なんならゴミクズーという未知の化け物にすら無表情で殴りかかっていく弥堂が、何故このような一見ただの買い物帰りの主婦にしか見えない人物を恐れるのかと思案する。


 メロの感じる不安には、この中年女性が何やらすごいチカラを持った敵の新キャラであるという可能性も当然含まれている。

 だがそれ以上に、危機的状況を恐れない弥堂ではあるが、その彼が危機的状況に追い込まれれば追い込まれるほどに、敵も味方もドン引きするような残虐ファイトを行うこと――

 そのことの不安が強くあった。


 この隣を歩くアタマのおかしい男がまた、狂気的で猟奇的な犯罪行為をやらかすのではないかと、気が気でなくなる。


 そうしていると対向者との距離が縮まり、擦れ違うまでにあと何歩かとなる。


(……ん? あれっ――?)

「顔を下げろ」


 中年女性の顔が目に入り、それについて何かを思いついたところで弥堂から小声で注意を受ける。

 メロは慌てて顔を下に向け、今しがたの思いつきも飛んでしまった。

 そのことに考えを巡らせる前に、いよいよ擦れ違った。


 思わず目を瞑ってしまうが、特に何事も起きずにそのまま何歩か進むことが出来た。


 なんだ、取り越し苦労か――と、鼻から細く息を漏らそうとしたところで、


「――ちょっと、アンタ!」


 背後からそのように声がかかる。


 シッポをビーンっとさせてメロは反射的に立ち止まってしまうが、同行者である弥堂は何事もなかったように歩き続けており、置いて行かれそうになる。


「ちょ、え? 少年……?」

「ちょっと待ちなよアンタァッ!」


 制止しようとしたメロの声を掻き消す大音量で女性に怒鳴られ、弥堂は仕方がなく舌打ちをして立ち止まる。

 すると、中年女性は――足でも悪いのか片足を引き摺りながら――ヒョコヒョコと弥堂へ近づいていく。


「アンタなに無視してんだい!」
「……言いがかりはやめてもらおうか」

「今オバチャンと擦れ違ったのにアンタ黙ってそのまま行こうとしたろ!」
「擦れ違ったからって何だと言うんだ」

「オバチャン今、こうやってビッコ引いてたろ! なんで『大丈夫ですか? 荷物持ちましょうか?』の一言が言えないんだい! このクソガキが!」
「何故俺がそんなことをしないとならない。救急車でも呼べクソババア」

「キェーーーッ! 誰がクソババアだい! キェーーーッ!」
「うるせえな……」

「アンタはなんて冷たい子なんだい! オバチャンとは顔見知りだろう⁉ 助け合いの精神を学んでないのかい⁉ オバチャン、アンタの学校に文句言いにいくよ!」
「アンタがうるせえから関わりたくねえんだよ」


 この樽のようなシルエットをした女性は弥堂の顔見知りだった。

 と言っても、きちんと何かしらの関係性があるわけではなく、風紀委員の業務として学園の外でボランティア活動をしている時に遭遇することが何度かあった程度の関係だ。

 その度にこうして知り合いヅラをして馴れなれしく話しかけられ、このような説教紛いのことをされるので、弥堂としては出来るだけ関わりを持ちたくない相手でもある。


「あれ? このオバチャン……」

「――アンタね! そんなことじゃ将来お嫁さんもらえないよ!」


 そして、このオバチャンにはメロも見覚えがあったのだが、その呟きは止まらないオバチャンの勢いに流されてしまった。


「余計なお世話だ。そんなもんいらねえよ」
「いらないことないでしょう! まったくアンタはいつも屁理屈ばかり言ってぇっ!」

「関係ねえだろ」
「関係ないことないよ! 同じ街に住んでるでしょうが! ただでさえ少子化とか言って大変なんだから、アンタちゃんと結婚して仕事に就いて子供作りなさいよ!」

「それは“何とかハラスメント”になるらしいぞ。やりたくないことをやりたくない俺の多様性を認めろクソババア」
「口答えすんじゃないよクソガキがッ! オバチャンそんな炎上とかなんかに負けないからね! 文句あるならその連中の偉い人をここに連れてきな! サンダルでお尻引っ叩いてやるよ!」


 過激に自らの戦意を強調すると、オバチャンは履いている便所サンダルの片足を抜き取ってブンブンっと豪快に素振りする。

 弥堂は辟易としながら説得にかかる。


「わかった。後で呼んできてやるからここで待ってろ。じゃあな」
「待ちなクソガキ! アンタこないだもそんなこと言って逃げただろうが! オバチャンもう騙されないからね!」

「わかった。とにかく後日にしてくれ。今は勤務中なんだ」
「子供が何の勤務中だってんだい! いい加減なこと言うとオバチャン、アンタの担任の先生に文句言いにいくからね!」

「俺は構わんがうちの担任はメンタルが弱いからやめてやってくれ。それよりも学園の風紀委員の活動中なんだ」
「なんだい? 今日もゴミ拾いかい? それはエライけど、アンタ今日はシケモクなんか集めて吸ったりすんじゃないよ!」

「俺は吸ってねえって言ってんだろ。ホームレスの爺さんにくれてやってんだよ」
「あらそうかい。じゃあアンタなにしてんのさ」

「学園から脱走した生徒を捜索しているんだ」
「あらヤダよ! そりゃ大変じゃないのさ!」


『そう思うのなら邪魔をするな』と言い返しそうになり、弥堂は口を閉じる。

 このオバチャンはこうして誰にでも親戚ヅラして馴れ馴れしく話しかけるので顔だけは広い。

 駄目元で聞き込みをしてみようかと思いついた。


「一つ聞きたいんだが」
「今日は肉類が全部セールになるよ。『外出禁止令』が出たからいつもよりタイムセールが早くなるからね! 行くなら今すぐに行きな!」

「近所のスーパーの耳寄りなお得情報なんか聞いてねえよ」
「あらそうかい? じゃあオバチャンに何が聞きたいんだい?」

「このへんでうちの制服を着た女子生徒を見掛けなかったか?」
「女の子かい……」

「そうだ。二年生。背が低い。三つ編みおさげの二つ結び。ガキみたいな顔したガキだ」
「う~ん……」

「鞄を持っていなくて手ぶらだ。あと室内シューズのままで外を歩いていて、その靴も片方しか履いていない」
「なんだい、随分難儀な子だねぇ……。まさかアンタがイジメてそれから逃げ出したんじゃないだろうね?」

「俺はイジメを取り締まる側だ。それより以上に該当するような女子高生を見掛けなかったか?」
「いや、悪いけどオバチャン心当たりがないね」

「本当か? 隠すとためにならんぞ」
「なんだいその口のききかたは! オバチャン嘘なんかつかないよ!」

「そうか」


 実際このオバチャンに嘘を吐く理由もないだろうと、弥堂も納得をすることにした。

 そして同時にこの場にもう用事がなくなったので立ち去ることにする。


「協力感謝する。では」

「待ちなッ!」


 しかし、すぐに腕を掴まれてしまった。


「……なんだ? お前ら暇な主婦と違って俺は忙しいんだ。これ以上邪魔をするな」
「ナメたクチきくんじゃないよこんガキャァ! 誰が毎日弁当作ってやってると思ってんだい!」

「少なくとも、俺の弁当を毎日作ってんのは今探している女だ。だから邪魔をするな」
「人のことをジャマジャマ言うんじゃないよ! もっと住民同士の触れ合いを大事にしな!」

「……わかった。で、なんだ?」
「ちょっとすぐそこまで荷物一個持ってっておくれよ」


 どうでもいい要求をされ弥堂の眼が細まる。


「おい、俺は仕事中だと言ったぞ」
「ちょっとくらいいいだろ? オバチャン足が痛いんだよ」

「見たところ別に怪我などないようだが? 痛風か?」
「バカにしてんのかいクソガキがァ! オバチャンまだアガってないよ!」

「知らねえよ」
「なんかよくわかんないけどスネが痛いんだよ!」

「そうか、それは大変だな。俺も仕事が大変なんだ。お互いやるべきことをやろう。では――」
「――ケチケチすんじゃないよ! ちょっと2,3分くらいのとこまで手伝ってくれたっていいだろ!」

「……おいババア。最後通牒だ。これ以上俺の邪魔をすれば実力行使に出させてもらう」
「ガキが大人にナメたこと言うんじゃないよ! 何が実力行使だい! オバチャン負けないからね! やれるもんならやってみな!」


 威勢のいいオバチャンの啖呵を受けると、弥堂はノータイムで実力行使に出た。


「ん?」


 無造作に伸ばした右手でオバチャンのスカートを掴むと、それを躊躇いもなく捲り上げた。


「ギャアァァーーーッ⁉」


 自分の息子よりも若い男子高校生の手によって、むわっとしたベージュのババアパンツを露わにされたオバチャンはびっくり仰天した。


「どうだ? これ以上の辱めを受けたくなければもう――」


 弥堂のフェイバリットパターンである『セクハラからの脅迫』に入ろうとしたが、その脅迫の文言は最後まで言うことは叶わなかった。

 その前にオバチャンの躰がギュルンっと回転する。


「――あらやだ! あらやだっ! あらやだよぉぉぉーーっ!」


 手に持った買い物袋をモーニングスターのように横回転でブン回す。

 その直撃を受けた弥堂が吹っ飛び、壁に背中を打ち付けて反動で戻ってくると、オバチャンは初撃の勢いのまま回転し、今度は下からカチ上げる。

 宙へと弥堂の身体が舞うと、オバチャンはグッと丸い膝を撓めてギュンっと飛び上がる。


 先に飛んだ弥堂を追い越して上空をとると、トドメの一撃にモーニングスターを打ち下ろし弥堂を地面に叩きつけた。

 そしてオマケとばかりに倒れ伏す弥堂の上にデッケェケツで着地をすると、一目散に走り出した。


「イヤァァーーーッ! 犯されるぅぅぅーーっ!」


 カッカッカッと便所サンダルをぶっとい足でアスファルトに叩きつけながらオバチャンは路地の向こうへ消えていった。


「…………」


 一連の出来事を受けてメロが茫然としている目の前で、スペシャルコンボで沈められた弥堂がフラフラと立ち上がる。


「……ようやく消えたか。最初から言うことをきいていれば、こんな目に合わなくて済んだものを」

「オマエめっちゃ膝ガクガクしてるッスよ。大丈夫っスか?」

「うるさい黙れ」


 余計な口をきくネコを一喝して黙らせる。

 そしてまだ眩暈の残る頭を振って意識をはっきりさせると、弥堂は歩き出した。


 少し進んで、メロが着いてきていないことに気が付き足を止める。


「どうした? 行かないのか?」

「え……、いや……」


 どこか気まずげで、怯えているようにも視える彼女の様子を、眉一つ動かさずにジッと視る。


「なにか問題か?」

「そういうわけじゃ……」

「もしかしてさっきのことを気にしているのか?」

「えっ?」


 無駄なやりとりを嫌って弥堂はすぐに核心に斬り込む。


「先程のことなら気にするな。こちらに他意はない」

「で、でも……」

「無駄に歩かされてばかりでやることがなかったからな。暇つぶしにちょっとお前を詰めてみただけだ」

「ハァッ⁉」


 モジモジとしていたメロはその言葉にシッポをビョーンっと跳ね上げた。


「いま暇つぶしって言ったッスか⁉」
「ん? あぁ、そうだ」

「ジブン特に意味もなくイジメられたんッスか⁉」
「お前はあれをイジメを受けたと感じたのか?」

「それ! また同じことしようとすんじゃないッスよ!」
「俺を暇にさせるお前が悪い。また意味もなく詰問されたくなければさっさと着いてこい」

「なんて言い草ッスか! コイツ信じられねえッス!」


 ブチブチと文句を言いながらもメロは歩き出した。


「てゆーか少年」
「なんだ」

「オマエってマジで女なら何でもいいんッスか?」
「そんなわけがないだろ。いきなりなんのことだ」

「いくらなんでもあのオークみたいなオバチャンはジブンもドン引きッス」
「意味がわからんな」

「異種姦するなら性別は逆でお願いするッス。男優はオークさん、女優は美少女で」
「じゃあもしもその時があるのなら、お前の飼い主を女優にしてやるよ」

「バッカモォーン! マナは初めてなんッスよ! 最初がオークさんだなんてあんまりッス!」
「じゃあ代わりにその友人のギャルにしておいてやる」

「チッチッチッ、わかってないッスね。ナナミはああ見えて……、ジブンにはニオイでわかるッス。でもナナミはレ〇プ映えするッスよね絶対。ジブンぜひ見学したいッス。ナナミ VS オークの戦いを」
「聞いたことない言葉だな。勝手にしろ」

「ジブン前々からナナミにセクハラをしたいとずっと思ってるんッスけど、話しかけてはいけないジレンマが……」
「知るか」


 少し甘い顔をしたら途端に馴れ馴れしい口をきき始めたネコとは逆に、弥堂の口数は減っていく。


「ところでどこへ向かってるんッスか?」
「駅前だ」

「なにか心当たりがあるんッスか?」
「ない。駅前に用事がある」

「は? 用事って、マナのことは⁉」
「どうせ闇雲に歩いて探すだけなら、用事を消化しながらの方が効率がいいだろ」

「オマエはやっぱアタマおかしいッス。んで、用事って何処に行くんッスか?」
「キャバクラだ」

「はぁ⁉ オマエふざけんなよッス! 横にネエちゃん置いて酒飲んでる場合じゃねェだろ!」
「勘違いするな。酒を飲みに行くわけじゃない」

「じゃあ、なにしにキャバなんか」
「ツケを払いに行くだけだ」

「……高校生のくせにツケでキャバ行ってんじゃねェッスよ……、オマエはホントにクズッスね……」
「うるさい黙れ」


 どうでもいい話をしながら二人は新美景駅北口の歓楽街を目指す。










「――僕も一緒に美景に行くよ」

「聖人……っ!」


 恐れていた紅月 聖人あかつき まさとのその言葉に希咲は歯噛みする。


 今更遅いが自分が軽率だったことに気が付く。

 いくら突然に水無瀬の異変を目の当たりにしたからといって、彼もいる場所であんな風に騒ぐべきではなかった。


「オイ、聖人。ちょっと待て」


 希咲がどうするべきかと考えていると、蛭子が代わりに聖人を止める。

 聖人は彼の方へ顔を向ける。


「思い付きや衝動で言っているわけじゃないんだ」
「だが……」

「僕は美景に戻るべきだ。強くそんな気がしてる」
「一体何があるってんだ?」

「それはわからない……。でも、すぐにどうにかしないといけないこと……、いや違うか、敵だ。絶対にどうにかしないといけない強い敵が美景にいる」
「…………」


 蛭子は黙り込む。

 聖人が言っていることに明確な根拠はない。彼は直感でそう言っている。

 だが、それには彼なりに確信があり、そして彼がこうまで言い切るのならばそれはきっと正しい。

 これまでの付き合いでそれがよくわかっているので、すぐに反論をすることが出来なかった。


「……だが、お前があっちに着いた途端に、京都はここに監査を向かわせるぞ」
「そんなにすぐにバレるかなぁ?」

「行きの時に美景の港まで尾行されてたって七海が言ってたろ?」
「え? あれがそうなの? 七海」


 聖人と蛭子に水を向けられ希咲は慎重に答える。


「……港まで尾行してきたヤツはわかんない。あんまり上手じゃなかったから簡単にに撒けたけど」

「じゃあ――」

「――でも、それとも別で、港で待ち伏せしてたヤツらがいた。そっちはあたしたちを監視してたような気配がした」

「……そっか。でも、それでも行くよ。行かなきゃいけない」

「御影は待てねェのか?」

「多分間に合わない気がする。それにこれは僕が戦わなきゃいけない敵だと思う。それくらいのヤツがいる」

「…………」

(マズイわね……、蛮が納得しかけてる……)


 話を進める二人の様子を見て希咲は内心で焦る。


 次に重大な選択があれば、絶対にもう迷わない。

 そう決めていて、そしてそうすると決断をした。


 だが、その決断には自分以外の者のことは含まれていない。


「こうするのはどうかな? 港の監視に奇襲をかけて気付かれる前に無力化するのは」
「……やれんのか?」

「僕一人だったら倒すのはともかく、どうしても派手になっちゃう。だけど七海がいれば絶対に先手をとって、僕たちが来たことにも気付かせずに倒せると思うんだ」
「……問題は相手が何人いるか、か」

「七海。監視ってどれくらい居たの?」


 自分の決断に彼らを巻き込んでもいいものか。

 希咲は迷う。


 いつもはずっと自分が巻き込まれる側だった。

 今回は違う。自分の事情に彼らを巻き込むことになる。

 初めて逆の立場になって、そのことの重さに気が付いた。


 さらに問題なのは巻き込むのが彼らだけでは済まないことだ。


 聖人はああ言ってはいるが、もし彼を美景に連れて行って、それで何もなかったら――


 もしも聖人の危惧している通りに、美景で何か重大な問題があれば、それはそれでこの島から離れたこともまだ誤魔化しようがある。

 だが、そうでなかった場合、彼らの業界に関連する事柄でなかった時は、きっととても酷いことになることが簡単に予測出来てしまう。


「七海……?」


 黙り込んでしまって反応のない希咲を聖人が訝しむ。

 だが、希咲はまだ答えられない。


(色んな人たちが今日まで必死に積み重ねてきたことを、全部台無しにしちゃうかもしれない……)


 聖人の両親、蛭子の両親、天津の両親と祖父、郭宮家の人たちに、バイト先の都紀子さん。

 パッと浮かぶ顔だけでもこれだけいるし、顔も知らない人たちも含めるなら聖人の父の会社で働く大勢の従業員たちもその対象となる。


 これだけの人たちを自分の行動の結果次第で、京都の陰陽府だとかいう怪しい組織との抗争に巻き込んでしまう可能性が高いのだ。

 そんな選択をとってもいいものかと、希咲はまた思考が袋小路に迷い込んでしまう。


 だけど、だからといって何もしなければ――

 この期に及んで、親友の水無瀬の状況が黙って何もしないままでよくなるとは到底思えない。


『今までやってきたことを全て捨ててしまってでも――』


 また昨夜の、そしてそれよりも前の彼の言葉もが脳裡に甦る。


(……そうよね)


『どう転んでも、過程か結末のどちらか――或いはその両方でどうせ何かしらの感傷はある。ならば結果を伴わせて実利を得た方が効率がいい』


(効率キモイ)


『過程で気を揉まず心を痛めず、なんのストレスもないまま気持ちよく望んだ成果を得る。そんな虫のいい話はない』


(けど、そうよね……、結局そうなのよね……。それが本質だってあんたは言いたいんでしょ?)


『それは受け取り方の問題であり、ただのお前の感傷だ。実質的でも本質的でもない。重要なのは目的を達せられるかの一点だけだ』


(あたしの目的は『愛苗を助けに行くこと』、そして今は普通の時じゃない……。大ピンチの時はキレイごとだけじゃ物事を回せない……)


 希咲はゆっくりと立ち上がって、聖人の方を向いた。


(でも――)


「七海……?」


 立ち上がり自分の方を見た彼女の様子に何か只事でないものを聖人は感じ取った。


「――どいて」

「え?」

「どけっつってんのよ、聖人」

「な、なにを……」


 彼女の瞳に灯ったその攻撃色に、聖人は息を呑み僅かに後退った。


(今までしてきたことを全部投げ打ってでも……。だけど、それって別に全員で捨てちゃわなくてもいいわよね……!)


「あたしの邪魔をするな。そこをどいて……」

「七海……、まさか一人で行くつもり?」


(捨てるのはあたし一人でいい……! あたし一人なら京都と揉めることはない!)


「そうよ。あんたはここに残れ。聞き分けないなら、あんたをぶっ飛ばしてでもあたしは行くわ」

「な、なにを言って……」


 彼女に――仲間に本気の戦意を向けられて聖人は言葉を失う。


「オイオイ、少し落ち着けよ七海」

「あんたもよ蛮。聖人に付くんなら二人まとめて蹴り飛ばすから」

「オマエ……、まさかマジなのか……?」


 蛭子も同様で、彼女の本気具合をようやく理解した。

 男二人が気圧される中、天津が動く。


「そこまでだ。七海」

真刀錵まどか……」


 スッと、聖人の前に立ち希咲と対峙する。


「悪いけど……、邪魔するんならあんたでも容赦しないわ。そんなことしたくないから退いて」

「私も同じことを言おう。聖人の敵となるなら私はお前を斬らねばならん。だから退け」

「イヤよ」

「やむなし」

「ちょ、ちょっと待ってよ二人とも!」


 希咲と天津の間で一瞬で緊張感が張りつめると、聖人がハッと我に返り慌てて二人を止めた。


「待てぬ。私はお前の剣だ。決断を下すのはお前だ。早くしろ」

「え? 真刀錵、どういう意味……?」

「お前が七海と敵対すると言うのならば、私は七海を斬る。それを止めたいのならばお前が意思を変えろ。さぁ、早く決断を下せ」

「そ、そんな……、だけど……っ」

「向こうは待ってはくれないぞ」

「七海……っ、どうして……」


 天津に促され希咲の方を見ると、彼女は右手の甲をこちらへ翳していた。

 その右手の指にはいつもの小指の指輪だけでなく、人差し指と薬指にも宝石の付いた指輪がいつの間にか嵌められている。

 それは彼女が既に戦闘態勢に入っているという意味だ。

 今日まで彼女と一緒に戦ってきた聖人には、それがよくわかっていた。


「理由はこれまでに何度も説明したでしょ。あたし一人でなら一番多くを選べる。これならあんたたちのお家には被害は出ない」

「七海聞いてくれ……! 多分もうそんな規模の話じゃなくなってる……! 僕が行かなきゃ――」

「――あたしが一人で偵察してきてあげるわ。それであんたの力が必要ならここに戻ってくる。それならいつもと一緒でしょ?」

「そうかもしれない。でも多分そんな時間の余裕は――」

「――時間の余裕がないのはこっちも一緒。もう待たないから」


 一方的にそう告げると希咲の指輪が輝きだす。


「抜きなさい、武器を。あんたにやる気がなくても、あたしは勝手にやるから」

「くっ――」


 歯痒そうに呻き、聖人は右手を横に広げる。


 ついに戦いにまで発展するかと思われたその時――


「――マサトォーッ! わたくしを放って何をしているんですの!」

「えっ――」


 場の緊張感にそぐわぬ間延びした声が部屋の入口から飛び込んでくる。


「リ、リィゼ⁉ うわ――っ⁉」

「わたくし寂しかったんですのー!」


 そして勢いよく背後から聖人の腰にマリア=リィーゼが抱き着いた。


 突然のことで聖人はバランスを崩し前にたたらを踏みそうになるのをグッと堪える。

 自分の腰にしがみつく彼女が転ばぬようにゆっくりと後ろに重心を戻そうとすると――


「あーん、兄さーん! わたしも寂しかったですー!」


 似たような知性を感じさせぬ口調で正面から望莱も腰に抱き着いてきた。


「えっ――⁉ ちょ、ちょっ……、みらい、今は……っ!」


 それに驚いた聖人は慌てて前に重心を向けて彼女のことも支えようとする。

 その瞬間、みらいさんの目がキュピィンっと煌めいた。


「すきありっ、ですっ!」

「ぷげぇっ⁉」


 聖人の首に両腕を絡めた望莱はピョンコと両足を跳ねさせてそれを聖人の腰に絡める。

 みらいさん必殺の【だいしゅきホールド】だ。


 ちなみに今の悲鳴は、みらいさんの足に顔面を蹴り飛ばされたマリア=リィーゼ様の声だ。


「わわわわ、あぶな――っ!」

「ていっ!」


 必死にバランスを維持しようとする兄を床に引き摺り倒そうとするが、如何せん彼女の身体能力はクソ雑魚なので失敗に終わりそうであった。

 しかし――


「ミライ! 王族の顔を足蹴にするとは何たる侮辱行為! わたくし許せませんわ!」

「リィゼッ⁉ ちょっと、今は――」


 そこに怒り狂ったマリア=リィゼ様が聖人ごしに掴みかかってきた。

 ついに聖人も支えきれなくなり、三人絡まって床に倒れた。


「オ、オイ、オマエらなにやって……」

「ちょっと、大丈夫……?」


 突然の奇行にそれまでの空気を吹き飛ばされ、思わず蛭子と希咲が三人を心配する。


「あいたた……、い、いきなり何するのさ? みら……、い――っ」

「んふふ……、むちゅぅぅ――」

「はっ――⁉」


 だが、次に飛び込んできた光景に全員が絶句した。


 打ち付けた頭を擦りながら顔を上げた聖人の唇に、望莱が吸い付いた。


「うっ……、むっ……、むぅ……っ⁉」

「んちゅっ……、ぅむぅ……っ、ぅちゅぅっ……」


 唐突に開始された実の兄妹同士の濃厚なキスシーンに誰もが動けなくなる。

 どうリアクションすればいいのかわからなかったのだ。


 そろそろ止めた方がいいよね……? とは思うも、つい今までケンカをしようとしていたばかりで、いつものように怒鳴ってもいいものか迷い、七海ちゃんはオロオロする。


 だが、誰かが正気にかえって止める前に、先に異変が見られた。


 聖人と望莱の合わさった唇の隙間から、何か液体が漏れてくる。

 唾液よりももっとサラサラとした水が漏れ出て、仰向けに倒れる聖人の頬を伝って床を濡らした。


「えっ? これってまさか――」


 その液体の正体に希咲が気付く寸前、グリンっと聖人が白目を剥いて痙攣しだした。


「み、み、ら、い……、な、に……」

「ふふふ、どうやら効いてきたようですね」


 実の兄に跨りながらその様子を見下ろし、みらいさんは満足げな笑みを浮かべる。


「オ、オマエ……、まさか聖人に毒を……?」


 恐ろし気な目を蛭子から向けられると、みらいさんはしたりと頷いた。


「はい。象すら一瞬で痺れるおクスリ。それを七海ちゃんにブーストしてもらった秘薬です。さすがの兄さんもイチコロだったようですね」

「な、なんてことを……」


 そんなヤバイ物を実の兄に口移しで飲ませたアタマのおかしい妹に蛭子くんは戦慄する。


「ですが――」


 しかし、そんなアタマのおかしい妹の容態にも異変が見られた。


 みらいさんはグリンっと白目を剥くとパタリと倒れる。


「わ、わたし、も……、しびれ、ちゃうん……、です……っ」

「バカじゃねえのオマエ……」


 兄の上でビクンビクン痙攣する彼女へ、蛭子くんは最大限の呆れと侮蔑の目を向けた。


「ど、どうすんだよ……、この空気……」


 さっきまで仲間同士でのバトルが始まろうかと緊迫していた空気は見事にグダグダになってしまい、どう収集をつけたものかと途方に暮れる。


「どうもこうもありませんわ」

「ぐふぅっ⁉」
「げぶぅっ⁉」


 涼やかな声で言いながらマリア=リィーゼ様は紅月兄妹の上におっきめのお尻を落とし、ご着席なされた。


「リィゼ……?」

「お行きなさい」

「えっ?」


 そして目を丸くする希咲へ涼やかに微笑んでみせる。


「この島でのお役目、美景の土地の統治。それらは高貴なる血を持つ者――為政者の務めです」

「で、でも……」

「ナナミ、アナタは所詮は庶民。これらの職務に就く身分にありません」

「リィゼ、あんたまさか……」


 ようやく自分の意向が伝わり始めた希咲の様子に、マリア=リィーゼは満足げに頷く。


「庶民は自らの生活の心配だけをしていればいいのです。そうするだけで無事に暮らしていけるような国にして差し上げるのが、我々高貴なる者の務め。だからナナミ――お行きなさい」

「リ、リィゼ……」

「これは命令ですわよ?」

「――っ! ありがとっ!」


 パチンっと得意げにウィンクをするマリア=リィーゼに、希咲も表情を輝かせて答えた。

 すぐに小指の指輪を外して蛭子へ投げ渡す。


「共有の荷物はそれに全部入ってるから」

「おうよ。いいから行っちまえよ」

「うんっ!」


 そして荷物の方へ振り返ると、そこにはいつの間に移動したのか――床に座って荷造りをする天津の姿があった。


「真刀錵?」

「先に船の方へ行ってエンジンを温めておけ。適当に見繕って詰め込んだらバッグは後から持って行ってやる」

「真刀錵……、ごめんねっ」

「構わん。さぁ、行け」

「うんっ!」


 希咲は部屋から飛び出し階段を駆け下りる。

 そして屋敷の玄関から外へ出た。


 荒れた並木道を駆け抜けて一気に正門を潜る。


 全力で走って船着き場を目指した。


 森の中をスピードを落とさずに、狭い木と木の間をステップを踏むようにして通り抜けて行く。

 するとすぐにBQをしていた川原に出た。


 川の流れに沿って猛然とした速度で走る。


 木の葉のアーチを最後まで潜っていくと開けた場所に出て光が広がった。


 そうすると船着き場はもうすぐそこだ。


(無理矢理飛ばしていけば3時間くらいで……っ!)


 視界の先には船が見えてくる。


「待ってて愛苗……っ! 今あたしが――」


 いつの間にか小指に新たに嵌められていた指輪が淡く光り、希咲の手にはガソリンの入った赤いタンクが現れる。


「――すぐに、行くから……っ!」


 船の間近まで近づいていくに連れ、足の回転を段々と落として減速する。

 そして目の前まで辿り着いた。


 手に持っていた赤いタンクが砂浜の上に音少なに着地した。
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