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1章 魔法少女とは出逢わない
1章63 母を探す迷い子 ②
しおりを挟む「ひゃぁーっ」とメロが左右の肉球でお顔を挟んで固まる中、弥堂はごく自然で落ち着いた仕草で振り返る。
「どうも、こんにちは。高校生探偵です」
「バ、バカ……ッ! オマエ、バカ……ッ!」
「あぁん? 高校生探偵だァ……?」
この期に及んで嘘を吐きながら振り返ると、そこで目に入ったのは見覚えのある顔だった。
「テメェこら、狂犬じゃあねェか。こんなとこで何してやがる?」
「なんだ。アンタか」
そこに居たのは顔見知りの警察官で、先日に休日の公園で皐月組の組員諸共に弥堂をしょっぴいだ“山さん”だった。
ヤクザと区別のつかないガラの悪い声で喋る中年の警官は、弥堂の姿を認めるとギロリと眼光を鋭くさせた。
「山さぁーん! 山さぁーーんっ!」
そこへもう一人警官が喧しい声を上げながら寄ってくる。
「不審者ですか⁉」
「ん? 青柴か。見ろよコイツ」
「む?」
山さんの部下である青柴巡査は弥堂の方を向く。
そして、事故現場から回収した荷物を手に持つ不審者をジッと見ると――
「ひとふたごーろく、逮捕っ!」
カチャリと音を鳴らし、速やかに弥堂の手首に手錠をかけた。
「あばばばば……、オワタ……、タイーホッス……。ジブンも喰ったら死ぬメシ喰わされて処刑されるんッス……」
メロが絶望に打ちひしがれる横で、弥堂は特に慌てることもなく自身の手首に嵌められた枷をジッと見下ろす。
「おい、誤認だぞ。今週も始末書を書かされたいのか?」
そして強気に無罪を主張した。
「アァ? なぁにが始末書だ。そんなもん今週既に3枚は書いとるわ」
「自慢にならねえよ無能警官が。そんなことだからアンタ出世出来ねえんだよ」
「抜かせや青二才がァ。オゥ、狂犬。この事故はオドレの仕業かボケェ?」
しかしその訴えはお巡りさんには全く信じてもらえず、それどころか別の嫌疑までかけられてしまう。
「なんでこれが俺のせいになるんだよ。俺は今ここに来たばかりだ」
「ハッ、言い訳は署で聞いたるわ」
「ふざけるな。どう見たって交通事故だろうが」
「アホンダラァ、どんな現場だろうがなァ。そこにオマエが居たらそれはオマエの犯行に決まっとんじゃろうがァ」
「オイ……! 少年、オマエなんで警察にガッツリマークされてんッスか⁉ 尋常じゃないくらいのヘイトッスよ! オマエなにやったんッスか⁉」
警察だけでなく連れにまで疑いをもたれ、弥堂は面倒そうに溜息を吐いた。
「この野郎ボケ。おおかたそのバッグに証拠がたんまり入ってんだろ? それを消すために現場に戻ってきやがったんだな?」
「ちげえよ。これはうちの生徒の持ち物だ」
「アァン? 適当なこと抜かしやがって。だったら中見せてみんかい⁉」
「別に構わんが、だがいいのか?」
「なにがじゃボケ」
「このバッグの持ち主は女性。つまりは女子高生だぞ?」
「なんだと?」
ここまで聞く耳を一切持たなかった山さんの勢いが若干落ちる。
そうすると部下の青柴が前に出ようとする。
「山さん、ここは本官が」
「待てェ、青柴ァ。うかつに手ェ出すな」
しかし、それを山さんは制止した。
「何故です山さん⁉」
「いいか、青柴。JKはマズイ」
「え?」
「考えてみろ。今のご時世、いくら現場で回収した物であっても、そしてワシらがいくら警察だからといっても、女性の持ち物はまずい……。しかも相手はJKときた。それを勝手に開けたとなったらどうなる?」
「え、炎上してしまいます!」
「そうだ。それだけじゃ済まねえ。ワンチャン淫行条例に引っかかってワシら懲戒免職になりかねん」
「クッ……、我々はただ市民の安全のために……!」
「あぁ、それがあろうことかその市民の声によってみすみす犯罪者を逃すことになるとはな……」
特に何も言っていないのに勝手にガックリと項垂れる公僕どもを弥堂は見下す。
しかし彼らが困っていることは確かなので追撃に出ることにした。
ジィーっとジッパーを開けて水無瀬のバッグへ手を突っ込む。
すると、警官たちはそれにわかりやすく顔色を変えた。
「バ、バカやろうっ! 迂闊に開けるんじゃねぇ!」
「や、山さん! このままでは……っ!」
「クソッタレェ……っ!」
山さんは気合いの声を吐くと、手近なパトカーへ走る。
「オラァッ!」
そして運転席を開けると強烈な蹴りをぶちこんで、そのドアを捥ぎ取った。
「青柴ァ!」
「はい!」
税金によって購入されたパトカーから捥ぎ取ったドアを防護盾のように構えて、その後ろに部下とともに身を隠す。
自分たちの身の安全を確保した警官たちは犯人と対峙した。
「おい見ろ、このノートを」
「よせ! 狂犬!」
「落ち着くんだ!」
「どうだ? 確かにこれは女生徒の物だな?」
『2ねんBくみ みなせ まな』と書かれた爆発物を見せつけてくる卑劣な犯人に対して、お巡りさんたちは必死に説得を試みる。
弥堂はそんな警察の声には耳を貸さずに次の武器を物色した。
「ま、まて……! これ以上罪を重ねるんじゃない!」
「今のうちに自首すれば罪は軽くなるぞ⁉」
「ふん、これを見てもまだそんなことを言えるのか?」
「そ、それは――⁉」
そして、弥堂が次に取り出した物をこれ見よがしに見せつけると、警官たちははっきりと顔を青褪めさせた。
「オ、オマエ……! やめろ!」
「それはシャレにならん……、お袋さんが泣くぞ!」
「ほう。余程これが恐いようだな」
弥堂が取り出した物は謎のポーチだ。
「荷物の中身を確認したいと言ったな? 警官の職務に従ってこの謎のポーチの中に何が入っているのか、しっかり確かめろよ?」
「こ、こいつ……、イカレてやがる……っ⁉」
「それは人間のすることじゃないだろうっ⁉」
「ん? なんだ? 何がマズイんだ? お前らにはこれに何が入っているのかわかるのか?」
「い、いや、だってオマエ……」
「それって……、それだろう?」
「さぁ? 俺にはわからないな。確かめてみるか」
「や、やめろぉ!」
警官の制止を聞かずに弥堂は特級の危険物が入っていそうな謎のポーチを指で挟んで押しつぶす。
「ふむ、硬い物は入っていないようだな。化粧品が入っているわけではないらしい……」
「ま、まて! 貴様正気か⁉」
「死ぬぞぉ⁉ 社会的にっ!」
取り乱す警官たちを甚振るように、彼らによく見えるようにして謎のポーチを指で挟んでグニグニと動かす。
「なんかカサカサ鳴っているな。まるで薄い紙類が擦れるような音だ。だがわからないな。思い切って開けてみるか……」
「わ、わかった……! 要求を、要求を言え……!」
「こちらにはそれを受け入れる準備がある……っ!」
ついに音を上げた彼らに弥堂は「フン」と鼻を鳴らした。
「では、まず手錠を外してもらおうか」
「……青柴ァ」
「はい、山さん……」
犯人の要求に従い青柴巡査は悔しげな顔で弥堂の手錠を外した。
「なんだ? 不服なのか? そんなにこのポーチの中身を見たいか?」
「ひぃ、わ、悪かった。頼む……! それだけはやめてくれ!」
彼の目の前で挑発的に謎のポーチを振ってみせると、青柴巡査は泡をくって盾の後ろへ逃げ込んだ。
「とりあえず話は聞いてやるからそれを仕舞え。な?」
「いいだろう」
随分と下手な態度に変わった警官の様子に満足しながら、弥堂は謎のポーチをバッグの中に仕舞った。
ただしバッグの口は閉じずにいつでも武器を取り出せる状態を維持する。
それに気付いている警官たちも警戒心を滲ませながらジリジリと犯人との距離を詰めた。
依然張り詰めた空気の中で両者は睨み合う。
「んで? 結局オマエの目的はなんなんだ?」
「この荷物だ。バッグと上履き、これらを押収させてもらう」
「……あのな? 狂犬よぉ。それで『わかりました。どうぞご自由にお持ち帰りください』って、そうなるわけねェのはオマエにもわかんだろ?」
「何もわかっていないのは貴様の方だ。この荷物は我が校の生徒の所有物だ。そして生徒は学園の所有物だ。つまりこれを自由にする権利が俺にはある」
「ねえよ! 警察ナメんのもいい加減にしろバカやろう!」
自由奔放な跳躍を見せる謎理屈で構成された弥堂の自分ルールに、法の番人たるお巡りさんたちは激怒した。
しかし社会をナメているクソガキ高校生は強気な姿勢を崩さない。
「貴様、我が校に喧嘩を売っているのか」
「頭おかしいのかクソガキがァ! 大体美景台学園はオマエのモンじゃねェだろうが! なんでオマエが所有権を主張すんだよ!」
「お前は頭が悪いな。俺は風紀委員だ。学園の権利を守る立場にある」
当然のことのように言いながら弥堂は風紀委員会の腕章を取り出し警官たちに見せつける。
「なぁにが風紀委員じゃァ! そんなガキのオモチャで誰がビビるかボケェ! こちとら警察じゃァッ!」
負けじと山さんも警察手帳を取り出して弥堂へ見せつける。
弥堂は眼を細めてその手帳を見た。
「あ? よく見えないな。偽物じゃねえだろうなそれ」
「んなわけねェだろッ! 逮捕されたいのか貴様!」
「そうか。じゃあよく見せてみろ」
「オォッ! 見せたらァ!」
挑発されるがままに山さんは防護盾(仮)から出て来て弥堂の眼前に手帳を突き付ける。
「どうじゃァ! 文句あっかコラァ!」
「…………」
弥堂はその手帳には特に興味を示さずに無言で山さんの手に何かを握らせた。
「…………」
山さんはそれに特に強い反応は見せずに、黙って手帳を持つ方とは別の手の中の感触を確かめる。
何やら丸められたいくつかの紙がカサリと擦れた。
山元巡査長はスッとそれを懐に収めた。
「んで? オマエそれどうするつもりだ?」
「本人に届ける。今日は人手が足りていないだろ? 俺に任せろ」
「そうだな。持ち主がわかるならいっちょ頼むわ」
「えぇっ⁉」
「山さん⁉」
何故か突然合意に至った弥堂と山さんの様子に、メロと青芝巡査はびっくり仰天した。
「つーか、なんでワシらの人手が足りんのをオマエが知ってんだ?」
「アンタがリークしたからだろ」
「ワシは組に注意を与えただけだ。みかじめ取ってんならきっちり見廻りしろって。そん時にポロっと何か独り言を漏らしたかもしれんがのぅ」
「そうか。きっとそれを偶然聞いた誰かの独り言を俺も偶然聞いたんだろうな」
「ガキが生意気言ってんじゃあねえよ。やっぱりテメェ皐月組と繋がってんじゃねェか」
「そのような事実はない。ところで、何で交番勤務のアンタが事故現場に来てんだ?」
「あぁ? そりゃオメェ、まさに同じ理由よ。頭数足りねえから手伝いに駆り出されてんのよ」
「そうか。それはご苦労だな」
外野が着いていけていない中、二人は幾分和やかに談笑を始める。
「で? オマエはそいつの回収の為だけにこんなとこに侵入したのか?」
「あぁ。下校中にたまたま見掛けてな。あと聞きたいこともある」
「なんだ?」
「この事故の死傷者は?」
「そんなことを聞いてどうする?」
「…………」
弥堂は再び山さんと無言の握手をする。
中年の警官はトレンチコートの内ポケットにスッと何かをしまった。
「……軽傷者が数名ってとこだな。この規模の事故にしては運がよかった」
「その負傷者は車に乗っていた者たちか?」
「そうだが?」
「巻き込まれた歩行者はナシか? あと被害者の中に我が校の女生徒が含まれていないかを知りたい」
「あん? なんだオメェ、少しはいいとこあんじゃねェか。同じガッコのヤツを心配してたのかよ」
「いいから訊かれたことに答えろ」
「それなら大丈夫だ。学生さんはいねぇし、巻き込まれた歩行者も居ない」
「そうか。感謝する」
必要な情報がとれて弥堂はこの場に用はなくなった。
「ところでよぉ、狂犬。この事故はオマエがやったんじゃねェよな?」
「まだ言ってんのか。何のために俺がこんなことをするんだ」
「そりゃオメェ、あれよ。この事故った車のどれかにオメェの狙ってるヤツがいて、カモフラージュのために事故を装って関係ないヤツごと殺っちまおうとか……」
「こんな目立つ殺り方するわけねえだろ。見縊るな」
「ま、それもそうか」
「殺人を犯す可能性の方を否定して欲しいッス……」
ようやく山さんが納得の姿勢を見せた傍らでメロが戦慄の声を漏らすが、その声は誰にも届かなかった。
「では、俺はもう行く。協力感謝する」
「おぉ。それ届けたらフラフラしてねェでオメェも家で大人しくしてろよ」
「善処しよう」
短く別れを告げて弥堂は事故現場を立ち去る。
ロープを潜って外に出る際に、先程の若い警官たちが「ご苦労さまです!」と敬礼してくるのをメロはゲンナリとした顔で見つつ、弥堂の後に続いた。
そして現場から少し離れたところで弥堂に声をかける。
「オイ、少年」
「なんだ」
「オマエさっきお巡りさんに金渡してただろッス」
「なんだ、見えてたのか?」
「クシャクシャの一万円札だったッス」
「そうだな。それがどうした?」
「……あれって賄賂ッスよね?」
「そうだが、それがどうした?」
「オマエ日常的にそんな悪いことばっかしてんスか?」
「心外だな。悪事ではなく市民の協力だ」
「ニンゲンってホントクソッスよね!」
どうでもいい会話をしながら駅方面へ適当に進む。
「お前ニオイとかで水無瀬の場所を探れないのか?」
「出来ねェこともねェッスけど、距離が離れてるとけっこうムズイッス」
「役立たずが。イヌ妖精とチェンジしてくれないか」
「カッチーン! 寄りによってワンコロどもと比べたッスね! あいつらは自分のションベンとウンコも隠せないバカッス! 自分でだしたウンコのニオイで鼻がひん曲がってて結局何も探せねえッスから!」
「そうか。どいつもこいつもゴミクズだな」
「大体オマエらニンゲンがあちこち汚してるせいで何処も彼処もクサすぎるんッスよ! 反省しろッス! このゴミ製造機ども!」
水無瀬の落としたバッグと室内シューズの片足を入手して二人は住宅街に入って行った。
住宅街の中の小さな公園。
そこで水無瀬 愛苗は一人、ブランコに座っていた。
キコキコと音を鳴らし、ひどく落ち込んだ気分で俯いている。
下方へ向く視界には自分の足が映っている。
(靴……、かたっぽ失くしちゃった……)
無我夢中で走って、息が切れてからも止まらず歩き続けて、ようやくここまで来てからそれに気が付いた。
(にげちゃった……)
アスは犠牲者を出さないようにするからと言ってはいたが、あそこにはまだ多くの人間が居た。
人々を守るべきは魔法少女のはずなのに、あろうかことか敵に人々の安全を保障してもらうこととなった。
そもそもそんな事態に陥ってしまったのは――
(わたし……、まけちゃった……)
じわりと涙が浮かぶ。
彼女にとっては初めての敗北だった。
初めて自分の攻撃が全く通じず。
初めて受ける大きなダメージに変身が解かれて、魔法少女でなくなってしまった。
そして初めて生身で受けた暴力に――
その痛みに、恐ろしくなって、戦うことも守ることも放棄して、身を縮めて泣きじゃくった。
魔法少女としてしばらく活動をしてきて、自分はある程度戦えている、守れている、頑張れていると思っていた。
それは大きな勘違いだった。
ただ魔法によって痛みも傷も負わないようになっていただけだった。
奇跡によって魔法少女への変身という特別なチカラを与えられ、それによって得た魔法というチカラが強かっただけで。
それらを取り払ったただの自分は、何一つ強くなどなっていなかったことに気付かされてしまった。
ただの水無瀬 愛苗は簡単に傷つき、簡単に泣く。
ただの子供のままだった。
(魔法少女なのに……)
魔法少女は人々を守らなければならない。
だから、負けてはいけない。
だから、逃げてはいけない。
逃げたり負けたりすのは、魔法少女ではない。
(じゃあわたしって……?)
目まぐるしく廻る負の思考に視界が眩んだ。
水無瀬は頭を振る。
(どうしよう……)
途方に暮れてしまう。
靴だけでなくバッグまで落としてきてしまった。
(おなかすいたな……)
バッグの中には財布も弁当も入っていた。
今はそれもない。
(弥堂くんにお弁当渡してあげれなかった……)
彼は今頃どうしているだろうか。
もし自分の渡す弁当をあてにしてくれていたのなら、昼食を食いっぱぐれてしまったかもしれない。もしもそうだったとしたら、とても悪いことをしたとさらに落ち込む。
(でも――)
もしも彼が他の生徒たちのように、自分のことを忘れてしまっていたら――
それならきっと自分で昼食を用意してきていたことだろう。
彼のことを考えるのならば、その方がよかったということになってしまう。
だが――
(そんなのやだ……っ)
また涙が湧き出てくる。
教室で、仲良くしてくれていた人たちがみんな、自分のことを知らない人間に初めて会ったような目で見ていた。
一人一人名前を呼んで確かめて、それがわかってしまった。
確かめてしまった。
もう目を背けることは許されない確定された事実となってしまった。
(弥堂くんは……)
彼の名前だけは呼ぶことが出来なかった。
彼なら――
自分と同じ彼ならもしかしたら覚えててくれているかもしれない。
もしくは、彼なら忘れたりなんかしない。
それは無意識の思い込みか、あるいは現実逃避からくる願望か。
いずれにせよ『彼ならば』と勝手に思って、彼のことを呼ぶのを最後に回してしまった。
そして結局彼のことだけは確かめることが出来なかった。
(でも……)
彼は自分のことを追っては来なかった。
きっともう覚えていないから、追いかけてきてくれなかったのだろう。
(そんなこと考えちゃだめっ……!)
たとえ覚えていてくれたとしても、彼にだって授業がある。
『してくれなかった』なんて考え方をしてはいけない。
でないと、普段彼のためにしている全ての“いいこと”が、彼から“いいこと”をしてもらうためにしていることになってしまう。
(それじゃちゃんと“おあいこ”にならない……!)
それに、もしも彼が学園を飛び出した自分を追ってきてしまったら――
(あの、すごく“つよいひと”と……)
自分はあの新たに現れた闇の秘密結社の大男に負けてすぐに逃げ出してしまった。
でも彼は――
(弥堂くんは絶対に逃げたりしない……!)
これまでもどんな状況であろうと。どんなに自分より強い者が相手だったとしても――
(逃げて、くれない……)
あの大男はボラフやアスと比べても格段に強かった。
もしもそんな相手と彼が出遭ってしまったら――
それを想像すると背筋が凍った。
だからきっと、これでよかったのだ。
今までだって、普通の人間である彼を、魔法少女である自分の戦いに巻き込んでしまっていたのは元々間違ったことだったのだ。
だから、こんな自分のことなど忘れてしまった方が、彼にとってはきっと“いいこと”だったのだ。
彼に頼ってはいけない。
そんな風に水無瀬は思った。
そうすると、増々頼る相手がいなくなりさらに心細くなってしまった。
水無瀬が頼れる相手はそんなに多くない。
魔法少女の事情を知っている者だとパートナーであるメロと、たった今頼ってはいけないと考えた弥堂の二人。
メロに関しては今どこにいるのかわからない。
そうすると残りは家族か親友になる。
学校を飛び出してしまったのなら本来ならまず家に帰るべきだ。
(お父さんとお母さんに会いたい……)
しかし、彼女はその選択をとらなかった。
生まれてから今日まで両親は自分のことをとても大事にしてくれて、とても愛してくれていた。
だが反面、とても大きな迷惑をかけてしまってもいた。
水無瀬はそのことをとても心苦しく思い、負い目として感じていた。
両親の苦労全てを理解しているだなんて言うつもりはないが、それでも他の普通の家庭の普通の両親よりは多くの心労をかけさせてしまったことを自覚している。
こんな自分でも両親のおかげで高校に入学することが出来て、そしてそのことを二人が大層喜んでくれたことを知っている。
なのに、学校をサボって逃げ出してきてしまったなんて、とても言い出せず会わせる顔がなかった。
当然、水無瀬にも、だからといってあのまま教室に居続けることが不可能なことであったのはわかっている。
だが、それでもやはり申し訳なさが勝ってしまった。
なにより――
どう説明していいかがわからなかった。
仮に自分が泣きながら家に帰ったとして、それでも両親は絶対に怒ったりしない。
だが、必ず聞かれることになる。
『一体何があったの?』と。
水無瀬はそれをどう説明していいか思いつかなかった。
なにせ自分でも何が何だかわかっていないのだ。
先生もクラスメイトも、もしかしたら学園中の人たちみんなが、自分のことを忘れてしまった。
そんな荒唐無稽なことはとても言い出せない。
たぶん、父も母も「わけのわからない嘘をつくな!」などとは言わないだろう。
二人はきっと自分のことを疑ったりなんかしない。
でも、だから――
きっとその分、すごく困らせてしまうことになる。
これ以上二人に迷惑をかけて困らせる、そんなことは残りの人生で少しもしたくないと水無瀬は考えていた。
それに、自分は魔法少女だ。
普通の人間とは少し違って、少し特殊な身の上になってしまっている。
今回起きている普通じゃないことの原因はわからないが、自分自身が普通ではないので、『魔法少女』や『魔法』これらの普通でない事柄が関係している可能性は多いにある。
両親は『魔法』なんてものの存在も知らないし、当然娘の自分が『魔法少女』なんてものをやっていることも知らない。
もしも今回のことがそれらに関係したものだった場合、これらの事情を両親に打ち明けたら、自分の事情に巻き込んでしまう可能性だってある。
だから、せめて学校が終わる時間までは、家に帰るのを我慢しようと水無瀬は考えていた。
とはいえ、ちょっと電話するくらいなら、少し声を聴くだけなら――そんな誘惑に惹かれてもしまうが、今はお店をやっている時間だ。
やっぱり迷惑も心配もかけられないと尻込みしてしまった。
そうなってしまうと、あとは頼れる人は一人しかいない。
(ななみちゃん……っ)
大好きな親友だ。
彼女の顔を想像しただけでまた泣き出してしまいそうになる。
水無瀬は制服のポケットからスマホを出した。
いつもはバッグに入れていることの多いスマホだが、今日はたまたまポケットに入れっぱなしになっていて運がよかった。
現在の自分の数少ない持ち物である。
“edge”を立ち上げて希咲とのチャットの履歴を画面に表示させる。
彼女に泣きつきたい。
助けてって言いたい。
彼女の声が聴きたい。
(でも……、だめ……っ)
彼女は現在は旅行中だ。
邪魔をしてはいけない。
心配させてはいけない。
クラスに居られなくて飛び出してきたなんてことを彼女に伝えたら、心優しい彼女はきっと予定を変更してでも飛んできてしまうかもしれない。
そんな迷惑はかけられない。
それに、やっぱり普通の女の子である彼女に『魔法』だの『魔法少女』だのと、そんなことを話せない。
両親同様に希咲もきっと言ったら信じてくれる。
信じてしまう。
彼女は水無瀬にとって憧れの女の子だ。
可愛くてキレイで優しくて、そしてとても強い。
自分にとってヒーローみたいな彼女に、魔法少女に変身して悪の幹部と戦っているだなんてことを言ったら、もしかしたら彼女は自分も一緒に戦うと言い出すかもしれない。
(そうしたら、ななみちゃんも弥堂くんみたいに……)
それもやはり恐ろしい想像だった。
水無瀬はスマホを仕舞う。
(こんなんじゃだめ……)
魔法少女は人のために戦う。
逃げてはいけない。
負けてはいけない。
そして、守るべき人に縋りつくなんてことも絶対にしてはいけない。
(もっとがんばらないと……)
だが、そうは思っても、どうすればいいかはやはりわからない。
(わたしはもう……)
負けて、そして逃げてきてしまったのだ。
居場所がなく、そして行き場所もない。
学園に自分のことを知っている人がいなくなって、頼れる人もいなくて。
教室から逃げて、戦場からも逃げて。
高校生ではなくなってしまい。
そして魔法少女でもなくなってしまい――
(わたしってなに……?)
そう考えた瞬間、ギュッと締め付けられるように胸が痛む。
反射的に身を丸めて両手で胸を――
――心臓のあたりを押さえた。
ひゅっと喉が音を鳴らした。
痛んで、苦しくなって、せかいが暗くなる。
水無瀬は手探りで懐からピルケースを取り出す。
涙で滲み茫洋となる視界の中、震える手の上に錠剤を落とす。
そしてそれを口の中に入れ、無理矢理に飲み込んだ。
ハァッ……、ハァ……ッと、荒い自分の息遣いが頭の中に響く。
ギュッと目を瞑り胸を押さえて丸まっていると、少ししてスゥーっと呼吸と痛みが落ちついてきた。
恐る恐る瞼を開けると、ちゃんと光のある世界が視界に映りこんだ。
「……ぅっ……、うぅ……っ」
涙よりも先に泣き声が漏れて、遅れてポロポロと目から雫が落ちた。
零れた涙が膝にあたり、擦りむいた傷口に染み込んで、乾きかけの血が溶けて滲んで肌の上を滑る。
「ぅくっ……、いたいよぉ……っ」
泣きながらピルケースをポケットに入れて、代わりに先程仕舞ったばかりのスマホを取り出した。
「ぅぅっ……、ななみちゃん……っ」
堪えきれずに画面に親指を近づける。
先程の決意はあっさりと崩れて、痛くて、苦しくて、寂しくて、彼女の顔を思い浮かべた。
あの時と同じ彼女の顔。
初めて会った時の、困っていた自分を助けてくれた時の、あの時の彼女のキレイな顔を浮かべて――
「――アンタどうしたの?」
「え――?」
脳裏ではなく、鼓膜に。
頭の上の近い位置でそんな声が聴こえ、水無瀬は緩慢な動きで顔を上げる。
そこに立っていたのは――
「こんなとこでなに泣いてんだいアンタ」
――思い描いていた彼女ではなかった。
水無瀬の目に飛び込んできたのは樽のようなシルエットのオバチャンだった。
「ちょっとアンタ、学校サボってこんなとこでなにしてんだい⁉」
「あ、あの……、わたし……っ」
威勢のいい中年女性の声に思わずビクッと背筋が伸び、水無瀬は慌ててグシグシと涙を拭う。
上体を起こしたことで水無瀬の足がオバチャンの目に映る。
「あらやだよっ⁉」
水無瀬の足のケガに気付いたオバチャンはビックリすると、すぐに駆け寄ってきた。
「ちょっとアンタ! ケガしてんじゃないのさ! どうしたんだいこれ!」
「あ、あの、えっと……」
「オバチャンに口答えすんじゃないよ! つべこべ言わずに大人しくしな!」
「えぇ⁉」
あまりに理不尽なオバチャントークに愛苗ちゃんはびっくり仰天した。
その間にオバチャンはブランコに座る水無瀬の前に跪き、ハンカチを取り出すとそれにペッペッと唾をかけた。
「ちゃんとしないとバイキン入るだろ⁉ 女のくせにしっかりおし!」
「あ、ぁいたぁっ……!」
「ガマンしな! こんくらいの痛みで音をあげてたら女なんてやってらんないよ!」
「ご、ごめんなぁーい……」
唾液で湿らせたハンカチで膝の傷を拭くオバチャンに水無瀬はとりあえず謝ってしまう。
「あらやだっ! アンタ靴片っぽどうしたんだい⁉」
「あ、あぅぅ……っ」
「なんだい⁉ ハッキリ言いな! オバチャンに言えないってのかい⁉」
「あ、あの……」
「口答えすんじゃないよぉ! ちゃんとゴメンなさいしな!」
「あぅぅ、ごめんなさぁい……」
ぽやぽや女子である水無瀬さんはチャキチャキしたオバチャンのペースに着いていけずにオロオロするばかりだ。
「ほらっ、オバチャン絆創膏貼ってあげたからね!」
「あ、ありがとう。オバチャン……」
「お、ちゃんとお礼が言えていい子じゃないの。あらやだあらやだよー!」
一応の手当てを終えてオバチャンは立ち上がる。
「それでアンタ学校は?」
「あ、あの、私……」
「アンタまさかイジメられてんじゃないでしょうね⁉ 正直に言ってみな!」
「ぴぃっ」
何かを答える前にすぐに怒鳴られてしまい、水無瀬は思わず間抜けな悲鳴を漏らした。
「イジメっ子なんてオバチャンがケツ引っ叩いてやるからね! どこの家の子にやられたのか言ってごらん! オバチャン文句言ってやるから!」
「ち、ちがうんです……」
オバチャンの勢いに押されっぱなしだが、それでも言うべきことはちゃんと言わなければならない。
水無瀬はひとつ息を吐いてオバチャンの顔を真っ直ぐに見上げた。
「私、いじめられたりなんて、してないです」
「ホントかい?」
「はい。みんな……、とってもいい人で……」
それは事実だ。
ただ自分のことを忘れてしまっただけで。
また涙が浮かんでしまう。
オバチャンは目を細めてその様子を窺い、そして追及はしなかった。
「……まぁ、いいさね。それよりアンタ荷物とか持ってないのかい? 靴はどこやったの?」
「…………」
水無瀬は俯き黙り込んでしまう。
その質問自体に答えることは別に難しいことではない。
だが、このまま会話を進めることで、彼女には恐れていることがあった。
(このひと……)
目の前に居る女性。
この人物は――
(――知ってる人だ……)
水無瀬の自宅でもある花屋によく来てくれる客だ。
(後藤さんちのオバチャン……)
それ自体は別に問題はない。
水無瀬の両親とも顔見知りであるこのオバチャンに、今日のことを両親に伝えられてしまうことを恐れているわけでもない。
ただ、このまま会話が続くと――
必ず聞かれるであろうことがある。
それをとても恐れていた。
「ところでアンタ――」
水無瀬の身が強張る。
「――アンタ家はどこだい?」
身体だけでなく思考までもが固まった。
「アンタはどこの家の子なんだい?」
(や、やっぱり――)
――忘れられている。
学園だけではなかった。
座っているのにグラグラと足元が揺れた。
(負けて……、逃げて……、魔法少女じゃなくなって……)
(でも、魔法少女じゃない、普通の私のことは誰も覚えてなくって……)
(じゃあ、それなら――)
――自分とは一体なんなのだ。
その自問に答えが何も浮かばなくて、そのことから逃げ出すように水無瀬は立ちあがり、走り出す。
「ちょ、ちょっとアンタ――ギェェェッ⁉」
慌てて彼女を止めようとしたオバチャンだったが、水無瀬が勢いよく立ち上がったことで後方へ跳ねあがったブランコが振り戻ってきて、オバチャンの脛をガコーンっと打った。
「ギャアァァァ……! 足がァー、足がァ……っ⁉」
ゴロゴロと転がるオバチャンの様子にも気が付かず、水無瀬は無我夢中で公園から逃げ出した。
高校生でもなく、魔法少女でもない。
誰も自分のことを覚えていなくて。
誰にも知られていない。
それではまるで、『世界』に存在していないようで――
「――な、なんなの……? これ……っ⁉」
手の中の物を見下ろして、信じられないと希咲 七海は愕然とした。
周囲の仲間たちの視線が集まっているのを感じているが、今はそんなことに構っていられない。
現在は昼食のために島の方々に散っていた仲間たちも屋敷に戻ってきていて、一緒にランチをしていたところだ。
『もう昼過ぎだし、そろそろメッセ送ってもいいよね?』と。
そんな許可を自分に出して、親友の水無瀬へメッセージを送ろうとした。
その時に、異変が起きた。
希咲の視線の先にあるのは、水無瀬とのチャット履歴が映るスマホだ。そこには彼女のアカウント名もしっかりと表示されている。
それ自体は特に問題はなく、今までの彼女とのやりとりの記録も変わらずに残っていた。
希咲は震える手で、もう一度同じ操作を繰り返した。
水無瀬へ宛てて、新規メッセージを作成し、そして送信する。
何万回もしてきた操作を同じように入力した。
だが――
「な、なに……、これ……っ」
その結果は今までに見たことのないものと為った。
激しく動揺し、揺れる瞳に、震える手の中の映像が映りこむ。
見たことのないエラー表示のポップアップ。
そこには――
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――そう表示されていた。
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