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1章 魔法少女とは出逢わない
1章60 4月24日 ①
しおりを挟むさみしくって、かなしくって
しろいかべに、なくなっちゃったせかいをそうぞうした
くるしくって、それもできなくなって
みんなないてた
かなしくって、くるしくって
ごめんなさいっていって
さみしいけど、すごくつかれて
わたしはめをつむった
せかいが――
――憶えていないこと、思い出せないこと。
それは知らないこととどれくらい違うのだろう。
忘れるではなく、知らない。
知らないことになる。
知らないモノになるから。
たとえ今までの記憶が残っていたとしても、目の前に在るモノが知らないモノに見える。
リンゴという呼び名が在っても、リンゴがリンゴでなくなってしまったとしたら。
俺が何度か弥堂 優輝でなくなってしまったように。
そして、今の彼女のように――
4月24日 金曜日。
私立美景台学園2年B組の教室。
朝のHRが開始される少し前のこの時間。
俺の居るこの場には戸惑いが蔓延していた。
いつも通り、クラスメイトたちは登校してきてから思い思いの時間を過ごしていた。
雑談に興じる者、音楽を聴いたり動画を観たりする者、宿題や予習をする者。
自由な時間を過ごしていた。
俺はというと、彼らの例に漏れず、普通の高校生として1時限目に行われる予定の小テストのカンニングペーパーを作成するという予習に励んでいた。
もう大部分の生徒たちは登校を終えており、まだ学生バッグが掛かっていない席は休学中の希咲たちのグループの席と、俺の左隣の座席だけだった。
教室内はいつも通りの喧噪が蔓延っている。
高校生とかいう喧しいだけのまだ人間に成りきれていない動物たちの鳴き声は、聞き流していても四分五裂に分かれて切り取られた言葉の断片となり、それらが頭の中で滅茶苦茶に繋ぎ合わされて支離滅裂なノイズへ変わる。
そのことに大変憤りを感じもする。しかし、もしも俺がその気になれば、36秒もあればこの教室に居る生徒19人を皆殺しにして永遠に黙らせることが出来る。
いつでも殺せると考えれば、どうでもいい他人からの迷惑もまだもう少しの時間我慢することも出来た。
今の世の中は『やった者勝ち』で、俺のように真面目に仕事や勉強に勤しむ者が損をする。そのような論調も時折耳にするが、なるほど一理あるなと納得した。
だが、そうすると。
俺も同様にやりたいように好き放題に振舞った方が得なのではと思いつく。
差しあたっては耳障りな雑音を消すためにクラスメイトを全員殺害して、本当に『やった者勝ち』なのかを試してみるのも悪くないのではないだろうか。
そう思い至って机から目線を上げ、心臓に火を入れようとしたところで、教室の外から足音が近づいてくるのに気が付いた。
正義の魔法少女が現れたことで、36秒で皆殺しどころか一人も殺害することが不可能になってしまった。
俺は諦めて再び作業に戻った。
教室のドアの前で足音は止まる。
いつもならすぐに大きな音を立てて派手に開かれるはずのそのドアはまだ動かない。
何秒か経ってカラカラと、控えめにドアが開かれた。
廊下の床の上にサイズの小さな室内シューズが見える。
いつもなら飛び込むように教室内に入ってくるその足はまだ動かない。
何秒か経ってその足はそろりと、控えめに前に踏み出された。
教室の床を小さな室内シューズが踏む。
いつもなら教室中に巡らされる天真爛漫な瞳は、不安げに、まるで知らないものを目にするように、遠慮がちに右から左へと動いて、それから戻ってきた。
そんな彼女の様子に、すでに教室内にいた生徒たちは不思議そうに、不審そうに目を向けている。
いつもなら快活に響く少し舌足らずで幼げな彼女の声はまだその細い喉から出てこない。
何秒か経って、意を決したように少女は顔を上げる。
そして――
「みんなぁ、おはよぅ……っ!」
何かを願うようにギュッと瞼を閉じて、どこか懇願するように必死な声音で。
そんな大きな声でみんなに挨拶をした。
だが――
その声に、還る挨拶は一つもない。
無視をしているわけではない。
悪意を以て避けているわけでもない。
クラスメイトたちの顔には、ただ困惑があった。
その様子に少女は息を呑んだ。
俺は眼に力をこめて彼女を視る。
クラスメイトたちは誰も動かず、お互いの顔色を窺いあっていた。
「あ、あの……、私……っ」
どうしていいかわからずに声を発し、何を言っていいかわからずに黙る。
所在なさげにおろおろとする彼女へ、しかし他の者たちもどうしていいかわからない。
そんな時間を数秒間共有していると、やがて彼女へ近づく者がいた。
少女はそのクラスメイトの顔を見て、少しだけ恐れ、少しだけ瞳に期待の色を灯す。
彼女へ近づいたクラスメイトの女子――学級委員の野崎 楓は教壇の上から少し屈むように視点を下げて、肩から垂らした三つ編みを揺らした。
「おはよう」
「あ……、お、おはよう……」
にこやかな笑顔を作った野崎さんに挨拶をされると、彼女は表情を明るくする。
しかし――
「――えっと、一年生かな? 教室間違えちゃったの?」
「えっ――」
続いたその言葉に彼女の顔が固まった。
「まだ入学したばっかだもんね。この学園ちょっとわかりづらいし。迷っちゃっても仕方がないよ」
「え……、のざきさ……、わたし、ちが……」
「あれ? 私の名前知ってる? もしかして風紀委員の子かな? ご、ごめんね、覚えてなくて」
「ち、ちが……」
少し驚いた後、失敗したなぁと表情に浮かべた野崎さんに謝罪される。
彼女は上手く言葉を発せず、野崎さんの勘違い・誤解を正すことが出来ない。
それが勘違いでも誤解でもないことを彼女自身本当はわかっているからだ。
「まぁまぁ、大丈夫だから。落ち着きなよ」
「え……?」
そこへ早乙女 ののかが横槍を入れる。
彼女の視線はそちらへ引き寄せられた。
「あんま気にすんなー? かくいう“ののか”も去年さー、ガチ迷子になって三年生のお姉さまに体育館まで連れてってもらったことあるんだよー」
「そ、そんな……」
気安く軽い、早乙女の物言いに彼女の顔はますます絶望的な表情になる。
「それにしても委員長ともあろうものが珍しいなー? 人の名前忘れちゃうなんて」
「あははー、それについては申し開きのしようがないよ。おかしいな。人の顔と名前覚えるの得意な方だったんだけど……」
野崎さんと早乙女はまるで知らない人物のことについて話しているようだ。
「ちょっと、ののか」
「なーに? マホマホ」
そこへ日下部さんも入ってくる。
「この子困ってるんだろうから余計なチャチャ入れないの。そういう身内ノリやられても、知らない子はリアクションしづらいでしょ? あとにしな」
「はーい」
「ゴメンね? この先輩ちょっとバカだからさ。気にしないであげて?」
「マホマホが今日もヒドイんだよー」
「わ、わたし、そんな……」
妙におどおどした様子の彼女に日下部さんと早乙女の目に若干の不審さが浮かんだ。
「えぇっと、ごめんなさいね? 悪気があったわけじゃないの。よかったらもう一回お名前を教えてくれる? 私は野崎 楓だよ」
「の、のざきさ……、わたし……、みなせ……、みなせ、まな……、だよ……?」
「ミナセさんか。う~ん……、その、風紀委員の後輩さん、だよね……? ごめんなさい。本当にど忘れしちゃって……」
「ち、ちがうの……」
本当にこれっぽっちも記憶にないのだろう。野崎さんの方も戸惑いが隠せなくなったようだ。
「あれ? もしかしてホントに知り合いじゃなかった?」
「あー! ののかわかったんだよ! 学級委員会の方じゃない? ねねね、ミナセちゃん。ののか正解でしょ?」
「わたし、ちがくて……、ののかちゃん……、真帆ちゃん……」
「え?」
「私たちのことも知ってる……?」
ここまできて、様子のおかしさが周囲にも伝わり、ざわめきが教室内に伝播していく。
「どうしたのよ楓」
不審に思ったのか、舞鶴 小夜子もそこへ参加してくる。
「小夜子……、えっと、あはは……」
「その子教室まで連れて行ってあげたらいいんじゃない? あら、カワイイ子ね。ねぇ、アナタ。クラスを教えてくれる? お姉さんが連れて行ってあげるわよ?」
「わた、し……、B組で……」
「1年B組ね。案内してもHRまではギリ間に合うかしらね」
「ちがう、の……っ、わたし、2ねん……っ! 2ねんBぐみで……! おなじクラスなんだよ……? さよこちゃん……っ」
「は? なんで私を知ってるの? 誰、アナタ?」
「っ――⁉」
警戒感と不快感をもった舞鶴のその言葉は決定打であり、トドメとなり、そしてトリガーになった。
もう気のせいだとか、少しだけだとか、そんな誤魔化しが出来ないほど、それは顕在化した。
息を呑み、目に涙を浮かべた彼女は、拠り所を求めて視線を彷徨わせる。
彼女の立つ位置は教室に入ってすぐの、今は空席になっている紅月 マリア=リィーゼの座席の前辺りだ。
その近くの教壇に野崎さんと舞鶴が立ち、そのすぐ隣の教卓に早乙女と日下部さんがいる。
近くにいる者から順に縋るような目を彼女は向けていく。
「野崎さん、小夜子ちゃん……」
「えっと……」
「なにこの子?」
「ののかちゃん、真帆ちゃん……」
「おぉ……?」
「なんで私たちの名前……」
帰ってくる視線の温度は段々と下がっていく。
さらに近くにいる者へ彼女の目が向けられる。
「鮫島くん……」
「ア?」
「須藤くん……」
「なんだコイツ」
「小鳥遊くん……」
「あー……」
廊下側の壁際へ――
「小野寺くん……」
「えっ⁉ あっ、おっ……、ふひっ……」
「小窪くん……」
「あははー」
中央列後方から前へ――
「寺井くん――」
「なんだオマエ?」
「津村くん――」
「あ、はい」
また後ろへ――
「空井さん――暗尹さん――」
「ひっ……」
「ぁぅ……」
「香奈ちゃん――」
「え? こわ」
「間宮くん――」
「フッ……」
窓際後方から前へ――
「樹里ちゃん――」
「キモ……」
「由彩ちゃん――」
「けほっ……」
教卓前からまた下がっていき――
「仁村くん――」
「へ? あ、う、うっす……!」
「根本くん――」
「…………」
そして最後にその目は俺へ向いた――
「び、びと――」
――しかし、俺の名前は最後まで呼ばれることはなく、
「――おはようございまーす!」
彼女の背後から現れ教室へ入ってきた担任教師の木ノ下の声に遮られた。
「あ……」
「あれ? みんなどうしたの?」
入った瞬間に教室内の異様な空気に気付いたのだろう。
木ノ下は怪訝な目で生徒たちの顔を見回す。
「あれー? 遥香ちゃんどしたー?」
「いつもは鐘が鳴ってから入ってくるのに、今日は早いんですね?」
「あ、そうなの。ちょっと急いでみんなにお報せが……」
言いかけて、ようやく木ノ下は自身の目の前に居る女子生徒に気が付く。
「あれ? キミはどこのクラスの子?」
「せん、せい……っ」
不思議そうに首を傾げたあと、木ノ下は迷子のような顔をした彼女と目線を合わせた。
「あのね? 全クラスに緊急でお報せがあって、今朝のHRはちょっと早く始まることになったの」
「あ、あの、わたし……」
「だから急いで自分の教室に戻って? 大事なお報せが担任の先生からあるから」
「わ、わたし……」
彼女は返答に困りまた周囲へ視線を彷徨わせる。
教室中から彼女へ向けられているのは多分、今まで彼女が向けられたことのない視線だ。
俺には馴染みの深いもので、不快感・不信感・警戒感、そして早くここから居なくなって欲しいという疎む類の視線だ。
「――っ⁉」
クラス中の視線が物理力を得たように、彼女の肩を跳ねさせて身を引かせた。
「ほら、ね? 急いで?」
「わ、わたし……」
頼りなくなり身を守るように、肩から提げていた通学バッグをギュッと抱きしめ――
「――ご、ごめんなさい……っ!」
――彼女は教室から飛び出していった。
俺は黙ってその彼女の――
――水無瀬 愛苗の背中を見送った。
どうやら、まだ。
俺は水無瀬のことを忘れていないようだ。
「あ、あれ……? あの子泣いてた……? 先生なんか悪いこと言っちゃったのかな?」
「大丈夫だと思うぞー? あの子なんかちょっと変だったし」
「ののか。そんな言い方やめなよ」
「えー? でもでも、マホマホもドン引きしてたぞー?」
「いや、だって……、仕方ないじゃん!」
だが、俺以外の人間はもうダメなようだ。
完全に終わってしまった。
明確に言える根拠はないが、そんな感覚が確かにあった。
それを水無瀬も感じたからこそ、ここから逃げ出す以外になかったのだろう。
昨日までの彼女の世界は終わった。
「ま、まぁ、ともかくみんな席に着いてください! 本当に大事なお報せがありますので!」
「はーい」
困惑に包まれていた教室が、教師の号令で日常へと戻っていく。
HRが早まったことに不満を見せる者も何名か居たが、この後聞かされる大事なお報せとやらを聞けば、また顔色を変えることになるだろう。
「えっと……、あの……。弥堂君……?」
「あ?」
不意に教師から名前を呼びかけられ、俺は眉を寄せる。
どんな法則で出席をとったとしても俺から呼ぶようなことはないはずだ。
教師へと怪訝な眼を向けるが、それ以上に相手の方が困惑をしていた。
そしてそれは木ノ下教師だけではない。
教室の生徒たちのほとんどが、先程水無瀬へ向けていたように、今度は俺へと困惑の目を向けていた。
「あ、あの、弥堂君。申し訳ないんですが席に着いてもらってもいいでしょうか?」
「なんだと?」
遜った教師の言葉を不審に思い、俺はすぐに反論しようと考える。
俺は元々着席済みだ。そんなことを言われる筋合いはない。
それを言葉にしようとして、だがすぐに俺も気が付く。
現在自分に向けられている困惑の原因を。
全くの無意識で、自分でも気が付かず、いつの間にか俺は立ち上がっていた。
「…………」
「あの、弥堂君……?」
少し考える。
教室を飛び出していった水無瀬を追う。
それをする理由を。
すぐに思考は終わる。
そんなことをする理由はない。
強いてあげるのなら、希咲との契約。
覚えていたらその間はやってやらないこともない。
昨夜彼女との通話でそんなようなことを口にした。
これをカウントするのなら、水無瀬を追う為の理由は一つ。
対して、水無瀬を追わない理由はあるか。
それを考えるとより早く思考が終わる。
追わない理由はある。
出席日数は必要だ。
授業がある。
小テストもある。
放課後には部活だってある。
追う理由は一つ、追わない理由は四つ。
「……失礼した」
俺は席に座り直した。
「それでは早速ですけど連絡です。本日の授業は午前中だけになり、その後すぐに下校となります! 市より“外出禁止令”が本日の午後から発令されます。理由は――」
教師が何かを言っているが、聞く意味がないので窓の外へ顔を向ける。
青春ドラマでもあるまいし。
俺は普通の高校生なので、教室を飛び出した女子を追いかけたりなどしない。
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