俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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1章 魔法少女とは出逢わない

1章59 最期の夜 ③

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「――ありゃあヤマトくんの同類なのか?」


 ライブハウス“South-8”の地下フロアにあるバーカウンターにて、幾分気を落ち着けたヤマトにジュンペーが問う。

 カウンターの椅子にヤマトとミタケが並んで座り、その前にジュンペーが立って二人と向き合っている。

 今回の件に関する報告と認識の擦り合わせを始める為に質問を振ったのだが、問われたヤマトは不可解そうに眉を寄せた。


「“あれ”ってのはどいつのことだ?」

「あー……」

「キッチリ整理するぞ? 化け物ネズミ、魔法少女、通り魔、それから黒タイツの変態。この4つは全部別物だ」

「オレが今聞いたのは魔法少女だな」

「わかった。アレは――」

「――ちょっと待て」


 敵の分類に関する認識をジュンペーと一致させたヤマトが回答を述べようとするが、そこにミタケが口を挟んだ。


「なんだよ」

「……すまない。もう一度言ってくれ。何が居たと?」

「アァ? だから化け物ネズミ、魔法少女、通り魔、それから黒タイツの変態。コイツらにシマをメチャクチャにされたんだよ」

「……ふざけているのか?」

「マジなんだよ」


 ミタケは無言でジュンペーに視線を向ける。

 すると彼は沈痛そうな面持ちでコクリと頷いた。

 ミタケは「フゥーッ」と強く息を吐く。


「すまない。少し時間をくれ。今、呑み込む」


 そう言うと瞑目し、難しそうに顔を歪める。

 ミタケだけはそれらを実際に目にしたわけではない。

 堅物の彼には少々エキセントリックすぎて、俄かには受け入れ難かった。


「なにそれ。オレが言うと疑うのに、ジュンペーが言うと即信じるの?」

「普段の行いと信頼関係ッスねェ……」

「……待たせた。続けてくれ」


 幾分弛緩した会話をしていると、ミタケが目を開ける。

 その表情はまだ険しかった。


「あーっと……、魔法少女がオレと同類か? だったよね。結論から言うと『わからねぇ』だな」

「あれもバケモンの仲間ってことッスか?」

「さすがに違うと思う。どっちかってーとオレら側なんだと思うけど……」

「けど?」

「……あれは逸脱してる。他の化け物が可愛く見えるくらいのバケモノだ。あの魔法少女は」

「…………」


 ヤマトの口は重く、そこで一旦言葉が途切れると、ジュンペーも沈黙する。

 彼はヤマトのような人間の事情にそれほど詳しいわけではなかったが、自分で見聞きした情報で判断すると異論はなかった。


「ちょっといいか?」


 二人が黙ったのでミタケが口を開く。


「なんだ?」

「そもそも魔法少女とはなんだ?」

「魔法少女は魔法少女だよ」

「……それはあれか? 子供向けにアニメでやっているようなあの魔法少女のことか?」

「そうだよ」

「…………」


 ミタケはまた無言でジュンペーへ視線を向ける。


「あー、ガチッスよ。空飛んでビーム撃って化け物ぶっ殺してました」

「そんなバカな……」

「オレだってそう思いたいよ」

「だが、実際に現れたのだな。わかった。受け入れよう」

「そんでヤマトくん。ネズミと黒タイツは? あれってマジモンの化け物とか怪物とかそういうのなんッスか?」

「あぁ……」


 苦虫を噛み潰したような顔をするミタケに苦笑いをし、ジュンペーは話を進めた。


「黒タイツはマジモンじゃねェかって思う。あんないくつもカタチを変える気持ち悪ぃの、それ以外に説明できねェ。ただ、オレの知識には全くない。外人街でも聞いたことねェ」

「ン? ネズミは? あれも大概化け物じゃねェか? 虎とかライオンくらいデカイネズミなんて居ねェよな」

「……どうだろうな」

「え? オレが知らないだけで、世界にはあんなデケェネズミがいんのか? 知ってました? ミタケさん」

「……オレも聞いたことがないな」

「あー、違う。そういう意味じゃあねェ。自然に生まれたモンだとはオレも思ってない。だけどほら、あんだろ? 映画とか漫画とかで。怪しい実験で生まれた化け物とか、ヤベェ化学物質垂れ流したら突然変異で化け物が出来たとかよ」

「それも大分怪しくね?」

「それが外人街で少し聞いたことあんだよ。中国とかでそういう実験してるって噂があるらしい。そもそも“WIZ”なんてシロモンがあるんだ。あれだって人間に使う前に絶対ェ動物で実験してんだろ」

「……そう言われると納得できるものがあるな。特殊な能力を持った人間が造れるのなら、動物も然り――ということか」

「そういうこった」


 嫌悪感を露わにするミタケとジュンペーから目を逸らし、ヤマトは炭酸飲料の入ったビンに口をつけた。


「だが、黒タイツの変態とはなんだ?」


 ミタケが疑問を口にする。


「巨大なネズミが化け物だというのは想像が出来る。だが黒タイツの変態がそれよりも化け物だというのはどういうことだ? カタチを変えるとか言っていたがあまり想像ができん」

「あー……」


 呻きながらヤマトがジュンペーに目線を遣ると、肩を竦めた彼が代わりに説明をする。


「あっと、ミタケさん。カタチが変わるってのはなんつーか……、粘土……? みたいな」

「粘土?」

「はい。基本はオレらみたいな人間のカタチしてたんッスけど、なんか真っ二つに千切れたと思ったらグニャァってなったり、あとビョーンって伸びたりして、違うカタチになるんっすよ。腕が鎌になったり、脚が増えてカマキリみてェになったりとか……」

「なるほど。それは確かに異形の怪物と呼べるな」

「ッス」

「他には? 別のモノに変形したりとかなかったか?」

「他っスか?」

「あぁ。ないのならいいんだが……」


 目線を上に遣るジュンペーが記憶を探るのを、ミタケは厳しい表情で待つ。


「あー、ありましたね」

「ほぉ。聞かせろ」

「マ〇コッスね」

「ほぉ…………今、なんと……?」


 一度相槌を打ってしまってから、ミタケはよもや聞き違いかと再度尋ね、ジュンペーへジロリとした目を向ける。


「あ、はい。マ〇コッス」

「…………」


 しかし寸分違わず同じ答えが返ってきてしまい、ミタケは思わずヤマトへ確認の目線を向ける。

 すると、中学生のヤマトくんは目線をキョドキョドとさせ若干モジモジした。


 フゥーっと重く溜め息を吐き、ミタケは再度瞑目して現実を呑み込もうとする。


「いや、ミタケさんマジなんですって。でっけぇ黒いマ〇コに馬島クンが呑まれて、そんで産まれたんッスよ」

「…………そうか」


 ミタケにとってジュンペーは信頼のある弟分だ。

 彼が自分を謀るようなことは絶対にないと確信しているので、どうにか受け入れようと努力の姿勢を見せる。


 そんな二人の様子にげんなりとしたヤマトは事実を訂正する。


「ミタケ、あれはアワビだよ、アワビ」

「アワビ……?」

「ジュンペーが言ってるようなモンじゃあなくってよ。アワビみてぇなのに変形して暴れてたんだよ」

「そうなのか?」

「あぁ、あれは絶対に巻貝だからよ」


 あれは絶対に巻貝でした。


「そうか。それなら何となく理解できた。手間をとらせたな」

「あぁ」


 ようやく合点がいった様子のミタケが謝意を示すと、ヤマトも軽く流した。


「ところでヤマトくん、あの通り魔ヤロウは?」


 そしてデキる舎弟のジュンペーがすかさず話題を変える。


「アン?」

「あの野郎はなんなんだ?」

「あぁ……、あれはただのチンピラだ」


 不快感を思い出したヤマトは態度を神妙なものに戻して答える。


「チンピラ……? でもよ――」

「――言いてェことはわかる。でもよ、コイツで確認したんだ。間違いねェよ」


 眉を顰めるジュンペーにヤマトは首から提げたナイトスコープを掲げて見せる。


「だけどよ、オレは納得出来ねェよ。あのヤロウは黒タイツをサシでぶっ殺したじゃねェか」

「でも結局死んでもなければ全然効いてもなかっただろ? 明らかに化け物とも魔法少女とも違った」

「そりゃァそうかもだけどよォ……」

「ありゃあ人間だよ。ただし、その中でバカ強ぇ部類に入る――な」

「だが――」

「――言いたくなるのはわかる。ジュンペーはあの野郎にキッツイ一撃もらってるからな」

「チッ」

「ほぉ」


 食い下がるジュンペーに彼の本心であろうことを指摘するとミタケが関心を示したが、本人は気分を害したことを隠しもせずに毒づいた。

 ヤマト自身も怒りを露わにする。


「オレもあのヤロウには歯ぁ折られてんだ……、オレだってムカついてんだよ……ッ!」

「そりゃあそうだろうが、でもヤマトくんよォ、あのヤロウにオマエのチカラが効かなかったのは何でなんだ? 一度掛かってから無効化した魔法少女とは違って、アイツは最初から効果がなかった。化け物ネズミと同じじゃねェか?」

「…………」


 また激昂しかけていたヤマトだが、その問いに押し黙る。

 正面から真っ直ぐ目を向けてジュンペーが答えを待っており、ミタケの方からも探るような視線を感じる。


「…………それはわからねェ。だが、通り魔ヤロウが人間だってのは間違いない」

「そうかよ」


 ヤマトは答えを誤魔化した。

 真相まではわからずとも、通り魔に能力が効かなかった理由の予測はある。

 しかし、それを説明するのは自身の能力のタネを教えるようなものだ。

 その仕組みはそのままヤマトにとっての生命線となる。

 それを彼らに話す気にはなれなかった。


「――一旦まとめるぞ」


 数秒沈黙が続き、話の進行をミタケが引き取った。


「オレたち“R.E.Dレッド SKULLSスカルズ”のシマが脅威に晒されている。敵は複数。一つは人外の化け物、一つは覚醒者ギフテッドと思われる魔法少女、そして通り魔ヤロウの三つ――そういうことだな?」

「……あぁ」


 ヤマトが肯定する。


「ではこれについてヤマト、オマエの考えを聞かせろ」

「あぁ」


 ヤマトは炭酸ドリンクを一口飲んでから喋り出した。


「……まず化け物。コイツらは多分敵じゃあない」

「理由は?」

「でないと黒タイツがオレを逃がす理由がなくなる。今日のは偶発的な遭遇だと思う。だからって味方ってわけじゃあ絶対にねェが、一旦保留だ」

「理由は?」

「簡単だ。出来ることがねェ。こっちから探したって結局殺せねェんじゃ意味がねェ」

「わかった。同意する」


 ミタケが頷き、ヤマトは次に進む。


「次に魔法少女。コイツも多分敵じゃねェ」

「理由は?」

「化け物以外には攻撃を一切しなかった。ヤツらが出てくるまで目の前で同じ“ダイコー”のヤツらがボコられてても変身する素振りすらなかった。おそらくコイツはあの化け物と戦ってる。コイツも一旦保留する」

「理由は?」

「そうは言ったが現場に居た他の人間との関係性がはっきりしねェ。“ダイコー”のヤンキー、それに表通りで暴れてたのも“ダイコー”、通り魔も“ダイコー”だ。さすがにこれは偶然じゃ済ませられねェ。まずは“ダイコー”周りを探ってからだな」

「わかった。同意する」

「最後に“通り魔ヤロウ”、コイツは明確にオレたちの敵だ」


 言い切ってからヤマトはドリンクを飲み切って、空き瓶をバーカウンターに叩きつけるように置く。


「理由は?」

「コイツははっきりとオレらを狙ってきた。おまけに目的は“WIZ”だと明言した。ある意味、今日遭遇した連中の中でコイツが一番異質だった。元々オレらのシマで兵隊を襲ってやがったし、間違いなく敵だ」

「同意する」


 それにはミタケもすぐに頷いた。

 そしてジュンペーへ視線を向ける。


「紅月 聖人とかって名乗りました」

「聞いたことあるか?」

「はい。オレらの年代じゃ結構知られてます。四中のヤツッスね」

「ほぉ」
「オレも知らねェな」


 ジュンペーは二人に説明をする。


「“神速スピードゴッズ”って憶えてます? ウチの“龍頭ドラゴンヘッド”が暴走はしらなくなったからって国道でハシャぎだした暴走族ゾクなんッスけど。そろそろシメるかって言ってたことあったじゃないッスか」

「あぁ……、そんな話もあったな。いつの間にか聞かなくなったが」
「オレは初耳だ」

「ヤマトくんが入る前の話だしな。そんでそのハエどもを潰したのがその紅月ってヤツと相棒のヒルコってヤツなんッスよ」

「二人でやったのか?」

「もう一人くらい居たみてェなんですが、そいつはわかんないッスね」

「いずれにしてもその人数で1チーム潰したのなら大したものだな」
「あぁ……、そいつらがやっちまったから、こっちのシメるって話が自然消滅したってわけね」

「そんな感じッス。ヒルコってヤツはドヤンキーって噂だったんッスけど、紅月は別に不良じゃねェって聞いてたんですが……」


 ジュンペーはそこで言葉を詰まらせて眉間にしわを寄せる。


「実際に会ってそうではなかったのか?」

「いや……、なんつーか、間違いなく真面目カタギじゃあねェとは思うんッスけど、でも不良オレらともまた違うような……」

「……外人街スラムにあんな感じのヤツが結構いたな。あそこのバウンサーや殺し屋なんかと雰囲気がそっくりだぜ」

「なるほど。それで? どの程度やるんだ?」


 ミタケのその質問に二人揃って苦虫を噛み潰したような顔をする。


「素人のケンカ屋ではないんだろ?」

「そッスね。軍人が一番近い気がするッス」

「マーシャルアーツか?」

「ほら、前に横須賀の米兵に一緒に喧嘩売りに行ったじゃないッスか? 特定の格闘技ってよりはアイツらに似てる感じがしました」

「ふむ……」

「でも、ちょっと古臭いニオイもしたんッスよね……、あんま見たことねェ型でした」

「わかった」


 ミタケはそこで打ち切って、格闘談議には興味がなさそうにしているヤマトに向き直る。


「それで、今後はどうする?」

「……そうだな。まず化け物と魔法少女は情報収集。通り魔ヤロウは見つけ次第ぶっ殺すって感じだな」

「ふむ、まぁ、そうなるか……」

「オマエからはなんかねェのか?」

「…………」


 逆に問われるとミタケは少し考えを巡らせてから口を開いた。


「……化け物の件だが、警察サツにタレこむ」

「なんだと?」


 その案にパーカーフードの中でヤマトの眉が跳ね上がる。


「今日、街を巡回する警官が減ったからオレたちも積極的に動くことにした。そうだな?」

「あぁ」

「その理由は?」

「理由って、なんでも猛獣が……っ! そういうことか……!」

「そうだ」

「ん? どういうことッスか?」


 理解が追いついていないジュンペーに向けて詳細を語る。


「オマエらが遭遇したという化け物。あれが美景台の牧場を襲った犯人なのではないか?」

「あっ……!」

「虎やライオンの仕業として大所帯の捜索チームで出かけて行ったらしいが、見つからなかったようだ。予定では明日の昼あたりから街に外出禁止令かそれに近いものが出されるらしい。そんな情報を仕入れてきた」

「……なるほどな。確かにあのネズミなら牛を食い殺してもおかしくねェ。それを利用するってわけか」

「そうだ。化けネズミが犯人でもそうでなくても警察に処理させる。実際アレがこの路地裏に棲みついたモノなら、オレたちはともかく兵隊たちを歩かせられんだろう?」

「……だな。正直、今日は死人が出なかったのが不思議なくらいだ」

「街から人が減ればオレたちもロクにシノギが出来なくなる。そんな中で無理に集まって化け物に襲われても仲間を失うだけだ。だから業腹だが外出禁止には従いつつ警察を利用する。どうだ?」

「悪くねェな……、ヤベェもんだけ隠し倉庫に移動させるか」

「すぐにやらせるぜ」


 ヤマトが同意するとジュンペーがすぐに電話を掛け始めた。

 その間に二人は次の話に移る。


「魔法少女は?」

「そっちはオレに任せろ。ちょうどいいから外人街に行ってくる」

「向こうで何かわかるのか?」

「どうだろうな。少なくともあの化け物や魔法少女は、外人どもが把握してるモンなのかどうかってとこは探ってくる」

「なるほど」

「これも正直なところ、化け物や魔法少女とは情報を集めた後でもやりあいたくねェ。勝率が低すぎるし、何より勝っても金にならねェ。メリットが一つもねェ」

「いいだろう。では、通り魔は?」


 最後の問いにヤマトは感情を追い出すように息を吐き出す。


「……一旦保留しつつ情報収集だ。外出禁止令が解け次第本腰入れる……っ!」

「まぁ、それしかないだろうな。いいだろう」

「人の手配出来ました。今夜中には終わりそうッス」

「わかった」


 ジュンペーの報告を以て、三人は話はついたと認識をする。

 そしてすぐにヤマトが立ち上がった。


「どこ行くんッスか?」

「外人街だ」

「今から行くのか?」

「あぁ。少しでもハッキリさせねェと眠れねェよ……!」


 歯ぎしりをしながらヤマトは非常階段を上がって行った。


 その場に出来た少しの間の沈黙をミタケが破る。


「久しぶりだな。路地裏ストリートでオマエが手傷を負ったのは」

「え?」


 一瞬目を丸くしてからジュンペーは苦笑いを浮かべる。そしてこれは無意識か、その笑みを少し寂し気なものに変えた。


「……そッスね」

「効いたか?」

「キッツいワンパンもらっちまいましたよ」


 自嘲気味に答え、そしてジュンペーは傷のない左頬を指先で触れた。







「んー……、こんなとこかしらね……」


 頬に手を当てながら屋敷の広いエントランスを吹き抜けの階段の上から見下ろし、希咲 七海は満足げに「うんうん」と頷く。


 それから脇に置いていた清掃具を拾うと割り当てられた自室へ向かって歩き出した。

 数歩ほど歩くと手に持ったホウキがパッと消える。

 廊下を進みながら開け放っていた窓を閉めていく。

 外はすっかり暗くなってきていた。


 そして一つの扉の前で立ち止まりドアノブを回す。

 ドアを押し開けるとすぐにジト目になった。


 部屋の奥のベッドに見覚えのあるお尻が居た。


「――ちょっと」

「ん? あ、七海ちゃんおかえりなさい」


 声をかけると尻が左右にフリフリと動いて挨拶をしてくる。

 白いワンピースの裾が際どいラインで揺れた。

 希咲は溜息を吐いてお尻に近づいた。


「お尻振るな。下着見えるわよ」

「んもぅ、見て欲しいんですよ……? ホントはわかってるくせにぃ……」

「きもい」


 お尻の向こうで流し目を送ってくるみらいさんをバッサリと斬り捨てながら、希咲はベッドの脇にしゃがみこんで旅行バッグを開けて荷物を漁る。


「なんであんたここに居んのよ? 一人一部屋余裕であるでしょ、ここ」

「そんなの七海ちゃんと一緒に寝たいからに決まってるじゃないですか」

「あたしヤなんだけど」

「わたしはそれがヤです」

「いみわかんない……、ほれっ」

「もがぁ」


 希咲は適当に返事をしつつ、バッグから取り出した大きめのバスタオルを望莱に被せる。

 彼女はモガモガと藻掻いてから顔を出した。


「お風呂入ってきなさいよ」

「えー、わたしまだ疲れてます」

「だからよ。あんたそのままだと絶対寝ちゃうでしょ。先に入ってきなさい」

「やーです。筋肉痛で動けません!」


 バスタオルから脱出した望莱はベッドに上体を俯せに投げ出すと尻を高く突き上げて、腰を左右に揺すって駄々を捏ねた。

 今度はワンピースのスカートが捲れてしまい、そのはしたない所作に希咲の眉がナナメになる。


「口答えすんなっ」

「ぁいたぁーっ⁉」


 堂々と姿を現した黒パンツに包まれたお尻をピシャリとぶって、望莱を叱りつける。


「さっきまで骨折してたヤツが筋肉痛くらいでピーピー言うな!」

「それは違います、七海ちゃん。痛みに貴賤はないのです」

「いみわかんない」

「いいですか? 首がもげちゃったからって、お腹を刺されても痛くないわけではないんですよ? それぞれ個別の痛みがあるのです」

「や、首もげちゃったら、どこ刺されても痛みなんかもう感じないでしょうよ」

「それもそうですね。無念……」


 そう言い残すとみらいさんはパッタリとお尻を横に倒す。そのまま左右にコロコロし始めた。

 この口答えのキレの悪さから彼女が本当に疲れているようだと希咲は判断した。


 このまま放っておくとあと5分もしない内に寝落ちしてしまうだろう。

 仕方なく彼女を強制的に起こすことに決めた。


「ほら、引っぱったげるから立ちなさいよ」

「やー」

「やーじゃない……、あ、こらっ……!」


 彼女の腋に手を入れて起こそうとするとみらいさんは希咲の首に両手を回してしがみついてくる。


「もうっ……! そのまま掴まってなさいよ」

「はーい」


 仕方ないのでそのまま彼女の腰を抱いて持ち上げようとすると、みらいさんは素直に返事をしつつ必殺の“だいしゅきホールド”に移行した。


「あ、こら。ヘンな掴まり方しないで!」

「あーん、七海ちゃんったら激しいですぅー」


 オールドスタイルな駅のお弁当屋さんの体勢になり、みらいさんは興奮を禁じ得ない。

 なにもわかっていない様子の希咲が持ち上げた彼女をベッドから降ろそうとした時に、みらいさんは希咲の細い首筋に吸い付いて汚い水音を鳴らした。


「――んぎゃあぁぁぁぁ……っ⁉」

「ひぎぃっ⁉」


 そして即座にあがる希咲の大絶叫にみらいさんのお耳はないなった。

 ビックリした希咲が思わず手を離してしまったせいで、望莱は床に落下しそのままコロコロと転がる。


「あんたいきなり何すんのよ……っ!」

「えー?」


 キッと眦を上げた希咲が涙目で睨んでくるが、正直何も聴こえなかったのでみらいさんは適当にニッコリと微笑んだ。


「ヘンな痕ついたらどうすんのよ、もう……っ!」


 みらいさんは上級者なので、例え音声ミュートであっても推しのプリプリと怒る仕草だけで十分に萌えることが出来るのだ。


 希咲もそんな彼女の習性はわかっているので、これ以上相手にしてもつけあがるだけだと判断し無視することにした。

 スマホを取り出して通知を確認し、若干眉を下げる。


「どうしたんですか?」


 すると足元までコロコロと転がってきた望莱が床から見上げてくる。

 希咲はプイっと顔を逸らして意地悪をした。


 しかし、そんな態度はみらいさんにとっては何の痛痒にもならない。


 希咲が目を離した隙に真下から彼女のショートパンツの隙間をガン見し、積極的にパンチラチャレンジする。

 だが、先日に比べてピッチリとしたタイプのショーパンだったため、その目論見は叶わなかった。


(でも――それならそれで戦いようはあります……っ!)


 歴戦の猛者であるみらいさんは素早く見切りをつけ、希咲の背後側へコロコロと転がる。

 そして丈の長いパーカージャンパーに隠されていたお尻を真下から鑑賞し、そのカタチを楽しむ。


 どこからがハミケツになるのだろうかという人類の抱える命題に思いを巡らせようとしたところで、前屈姿勢になった希咲にその細長い脚の間からジト目を向けられていることに気が付いた。

 みらいさんは何もやましいことなどないとばかりにニッコリと微笑みを返す。


「あんたね……、きもい」

「んま、七海ちゃんったらヒドイです。女の子同士なのに」

「あんたのセクハラはなんか男っぽいのよ。それもオッサンくさい」

「オジサンにセクハラされたことあるんですか?」

「ないけど。でもヘンでしょ、女の子同士で」

「ご安心を。たとえ七海ちゃんが男の子でも、わたしはそのお尻に執着します」

「やっぱきもい。もういいし」


 冷たくあしらった希咲はベッドにお尻を着ける。

 みらいさんは眉をふにゃっと下げて、スマホとにらめっこする希咲の顔を見つめる。


「また彼氏の返事が遅いんですか?」

「はぁ? あいつはそんなんじゃないって言ってんじゃん」

「え? 誰のことです? 彼氏って言われて誰を想像しちゃったんですかー?」

「うっざ。どうせ弥堂のことでイジってこようとしたんでしょ」

「えー? 違いますよー?」

「じゃあ誰よ」


 胡乱な瞳を向けてくる彼女へみらいさんはにこやかに答える。


「それはもちろん水無瀬先輩です」

「はぁ?」


 その答えに希咲は眉を寄せた。


「なんで愛苗が彼氏なのよ」

「いえいえ、七海ちゃんの彼氏といえば水無瀬先輩。これガチめな噂です」

「バッカじゃないの。女の子同士でそんなわけないでしょ」


 けんもほろろな態度の希咲に望莱はニンマリと笑う。


「でもでも、もしも水無瀬先輩が彼氏になりたいって言ったらどうするんですか?」

「え?」

「昨今、ありえないことではないですよね? もしもそうなった時に、七海ちゃんはそんな冷たい態度で水無瀬先輩を突き放すんですか?」

「えっ? えっ……?」


 思いもしなかった質問に希咲はオロオロと狼狽える。

 そして望莱に言われた状況をイメージし、大好きな親友である愛苗ちゃんの悲しげなお顔を想像してサァーっと顔を青くした。


「で、でも……、そんなの困る……」

「えー? 困っちゃうんですか?」

「こ、困るっていうか……だって……」


 キュッとスマホを握った左手を口元に添えて、両のふとももで右手を挟んでモジモジとする。

 その仕草から、この幼馴染のお姉さんは場合によっては女の子もイケるということを察知し、みらいさんはカッと目を血走らせた。


 しばらく息を荒げて、困っちゃったけど困ってない七海ちゃんを鑑賞していると、彼女が手に持つスマホが通知音を鳴らした。


「あ、愛苗からだ」


 パァっとお顔を輝かせた彼女の様子にみらいさんは舌を打った。

 そんな悪態にもかまってくれず、希咲はスマホを見てクスクス笑っている。

 みらいさんの脳が壊れながら快楽物質を分泌し始めた。


「ねーねー聞いてよ。メロがししゃもを怖がってお家の外に逃げちゃったんだって。だから返事できなかったみたい」

「えっと、それって水無瀬先輩の家で飼ってる猫でしたっけ? 逃げちゃったのに笑っててもいいんですか?」

「あー、あの子ね、めっちゃ賢いのよ。タオルとってって言ったら普通にとってくれるくらい」

「へぇ、それはまたビックリネコさんですね」

「そうなの。だからたまに夜とか出かけていくことあるらしいんだけど、自分で窓開けて入ってくるから全然大丈夫なんだってさ」

「はぁ、そうですか」


 みらいさんは生きてるだけで自分よりもチヤホヤされる毛玉などにこれっぽっちも興味がなかったので、スンっと真顔になり立ち上がる。


「わたしお風呂行ってきます……」

「あーい。次あたし入るから長風呂しないでね。あと寝るんじゃないわよ」

「…………」


『一緒に入りましょう』と言うつもりが、ズンっと性欲が減衰したせいで言葉が出てこず、みらいさんは諦めてトボトボと部屋から出て行った。


 希咲はそんな彼女の様子には気付かず、ウキウキと返信を送る。

 それから別のメッセージ履歴を開いた。


 そしてカチャッとドアが閉まる音がすると、同時に希咲の表情もスッと落ちる。

 スマホを見下ろして憂鬱げに嘆息した。


 画面に映る最期のメッセージは希咲自身が打った『ごめんね』の四文字。

 今日の昼頃からその後の更新はない。


 ジッと目を細めて相手の名前を睨む。


 名前になっていない何かのパスワードのような文字列をタップして、切り替わった画面で“ニックネーム機能”を選択する。


『ば か』と命名して決定を押した。


 一つ前の画面に戻ると、そこには大きく二つのボタンが表示されている。


『通話』と『ブロック』だ。


 誤爆で友人をブロックしてしまうからどうにかしてくれとのユーザーからの声が殺到しているデザインだが、一向に改善される気配がない。

 その画面を希咲は睨みつける。


「あたしに何時間も返事しないとか……、ホントだったら即ブロなんだからね」


 自分の口から出た傲慢な物言いに苦笑いしてしまう。


 もちろん冗談のつもりなのだが、考えてみればこんなに返事をしてこない男子は初めてだなと気が付く。

 幼馴染の聖人や蛭子は幼い頃から教育しているので例外として、たまに必要があって連絡をとる男子や男は殆どがすぐに返事をしてくる。

 当然そこに下心があることには気が付いている。


 そのことにたまに『キモいなー』とか思ってたりしていたのにも関わらず、返事が来なかったら来なかったでそれも気に食わない。

 返事がないことは下心がないことの証なのに。


 希咲は自分がわりと男子から人気があることを自覚している。

 その上で無意識にこう考えてしまうのは、知らず知らずに傲慢になっているのかもしれない。


(気をつけなきゃ……)


 その傲慢さに目敏く気が付くのは同じ女子だ。

 そうなると非常に不都合なことになるので、心中で自分を戒める。


 そして「はぁ」と溜息を吐いた。


「ヤキモキするのは、自分の罪悪感かってなのにね……、きもい……」


 自嘲して薄く笑うと「むんっ」と気合いを入れて切り替えをする。

 そして画面の中のボタンをタップした。


 今後を左右するほどの重要な選択がいつか訪れる。

 でも目の前の選択がその重要なものかはわからず、それがいつ訪れるのかもわからない。

 そのせいでいつも出足が遅れる。


 だから、次に直面した選択には迷わないようにする。

 今日そう決めたばかりだ。


 だけど――


 この選択がその重要なものかはやっぱりわからなかった。
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