俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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1章 魔法少女とは出逢わない

1章59 最期の夜 ①

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『世界』が罅割れ薄いガラスが剥がれ落ちて境目が崩れていく。

 細かい破片がパラパラと散らばってさらに小さく小さく砂のように。


 重さを持たぬそれらは重力に相手にもされず真っ直ぐに下りていくことも出来ない。空に浮かされ、頼りない風に流され、行き場所も知らずに『世界』を彷徨う。

 そんな時、先に漂っていたピンク色の粒子が彼らに手を差し伸べるように近づき、そして溶け合うように結びつく。

 キラキラと共に『世界』を輝かせた。


 やがて桜の花びらのように、或いは地に降り注ぎ、或いは風に攫われ螺旋を描きながらまた舞い上がり、そして願いの花に吸い込まれていく。


 魔法少女ステラ・フィオーレ。

 彼女のコスチュームの胸の中央――ハート型の青い宝石の中へと消えていった。



 その一部始終を、弥堂 優輝びとう ゆうきは廃ビルの屋上から視ていた。


 眼を見開いたまま、信じられないといった面持ちで。


「ひゃっほーぅっ! スゲェーッスよマナーッ!」


 ネコ妖精のメロが燥ぎ声を上げながら、階下へダイブする。


 弥堂はそれに横目も向けないまま、いまだ茫然と視下ろしている。

 思考の監獄に囚われる。



 本来それは信じる・信じないといった話ではない。


 眼にしたものが総てで。

 起こったことは変えようのない事実で。


 そこには信じる・信じないといったエゴが入り込む余地はない。


 なのに、それを受け入れることが出来ないのは、そこに『信じたくない』『認めたくない』といった本心があるからだ。

 その自我という名の浅ましき劣等感により生じたバイアスが事実を現実として認知することを拒否させる。

 それを受け入れたくないがために、必死に否定する為の言葉や理屈を生み出すよう脳細胞に強いる。


 人の感情が物理力を得る。


 感情という情報、想いという情報、願いという情報。


 それらが具現化し物理力を伴って『世界』に影響をする。

 感情を原動力に思い描いた願いで『世界』を書き換える。


(認められるか……っ!)


 怒りがあった。


 嫌悪感が、嫉妬心が、痛みが、後悔が、罪悪感があり、殺意さえ湧き起こった。


 仮に――

 もしも――

 これが、水無瀬 愛苗みなせ まなという少女にだけ、唯一、特別に、『世界』から許された、無二な“加護ライセンス”なのだとしたら――


 それならば、これまでのように、どうにか呑み込んで、諦めることが出来る。

 だが、もしもそうでないのだとしたら――


 人間、誰しもに備わったものなのだとしたら――


 グラリと――屋上の縁に乗せた足元が揺れたように錯覚する。


 “魂の設計図”に記された、最も根幹な部分の最も基本的な原理によって成り立つ己という定義が否定されたような――そんな揺らぎだ。



「――少年? なにしてんッスか?」


 見下ろす屋上の縁にひょっこりと顔を出したメロの声に、思考は正常に回帰する。


「少年も行かないんッスか?」

「…………」


 弥堂は黙って彼女へ顔を向けた。

 するとネコ妖精は狼狽える。


「ななななな……っ⁉ なんッスか⁉ コワイんッスけど⁉」

「……別に」

「さっきのことならジブン言い過ぎたッス。悪かったッスね。お互い水に流そうッス」

「別に」

「あんま無言で見るの止めて欲しいッス。ジブン殺されるんじゃないかって不安になるようになっちまったッス」

「別に。それより行くぞ」

「あ、ジブンが先ッスー!」


 メロは再びビルの下へ飛んでいく。


 弥堂は歩き出す前に、もう一度階下へ視線を遣った。


 眼を向けたのは路上。巨大な大砲と化したボラフが最期に張り付いていた場所。

 結界内で鎌を突き刺していたビルの壁には何の損傷もなく、その下の路面にも何一つ落ちてはいない。

 壁に僅かに残っていた泥のような黒がポロポロと剥がれて崩れて消えた。


 弥堂は眼を細めて、何も無いことを視て、そして屋上から降りる為に歩き出した。








 路上に出ると、そこは乱痴気騒ぎに近い喧しさだった。


「「「ゆーしょー! ゆーしょー! ゆーしょー! ゆーしょー!」」」


 7名の男たちに胴上げされて、宙に放られた水無瀬もキャイキャイと燥いでいる。

 どこかで見たような光景だなと、自動的に記憶の中から記録を引っ張り出そうとする脳の働きを弥堂は意識して阻害した。


「――あっ!」


 すると、またポーンっと宙を舞った水無瀬と目が合う。


「弥堂くんっ!」


 そのまま飛行魔法でぴゅーっと飛んでくる。


「…………」


 胴上げに参加していた男たちはジッと自身の手を見下ろし、戻ってこなかった重みに名残惜しさを感じた。



 首に両腕を回して水無瀬が抱きついてくる。


「弥堂くん、ボラフさんが……っ」

「…………」


 そのまま首にぶら下がってくる彼女の尻を掌で支えてやりながら、潤んだ瞳で見上げてくる彼女の顔を弥堂もジッと見下ろした。


「あいつは覚悟を決めていた。キミが気に病むことじゃない」

「でも……っ」

「浄化――と言ったか? 成功したんだろ?」

「え? うん……、たぶん……」

「あいつがそれで救われたのかはわからない。だが、少なくとももうこれ以上苦しむことはないだろう」

「そう、なのかな……?」

「どのみちあのまま存在し続けても、魂が膿みを吐き出し続けるだけだ。そういうものだ。それにあの薬物のせいで放っておいても魂は崩壊して滅んでいた。お前はそれを感じたんだろう?」

「うん……、痛いって、苦しいって……、心が泣いてた……」

「泪は止まって『世界』へ還った。あとは神の仕事だ」

「かみさま……?」

「何処にでも在る、何処にも居ない神だ。責任をとるのはそいつであって、キミじゃない」

「そっか……、ふふ、ありがとう」

「別に」


 抱き合うようにして見つめ合いながら、他の者にはわからない会話で囁き合う。

 さっきまで自分たちと一緒に盛り上がっていた女の子が急に遠くに感じられて、不良少年たちは何とも言えない顔になった。



「解散しろ」


 弥堂は水無瀬の腰を掴んで彼女を地面に降ろしてやりながら、物欲しそうな顔で注目してくる気持ちの悪い男たちに命じた。


 彼らとは長居をするような関係ではないし、弥堂としてもこの場での用事はもう済んだので、とにかく早く帰宅をするよう強要をする。


 すると、スカルズのメンバーの一人、“龍頭ドラゴンヘッド”のリクオ君が絡んできた。


「おい、テメェ」

「…………」


 ガラの悪い呼び声に弥堂は無言で彼を視る。

 特別怒りを露わにしているわけでも敵意をこめているわけでもない。だが、凡そ人間が人間に向けるような類の眼つきではなく、彼らは怯んだ。

 ただそこに在るモノを確認するだけのような、水晶体に映していながら何の興味関心も感じられない瞳の無貌さにリクオは後退りし、モっちゃんたちは「止めるべきか」とキョドり始めた。


 何もわかっていない水無瀬さんがぽへーっと見守る中、弥堂は一歩前に踏み出す。


「やぁ、酷い目にあったな。キミはリクオ君と言ったかな?」

「は? あ……? えっ……?」

「キミたちを巻き込んでしまって色々と迷惑をかけた。すまなかったなリクオ君。お互い生き延びた運の良さを喜ぼう」

「な、なに……? え……?」


 想像していたものとはまるで違う弥堂の態度にリクオは思わず思考停止するほどに戸惑う。

 その隙に弥堂は彼の手をとってやや強引に右手で握手をした。


 別人のような弥堂のその態度にモっちゃんたちはギョッとし、ぽやぽや女子の水無瀬さんは「わぁ」と小さく歓声をあげて手を叩いた。


 当のリクオはというと、手を握られた瞬間にブワっと鳥肌を立てた。

 弥堂はとても友好的な態度を示しているが、彼の表情は変わらず無表情のままで、その眼も先程同様に何の価値もない無機物を映しているだけの色の無さだった。

 風貌、表情、声音、態度。

 それらがまるでチグハグで、そのことに生理的な恐怖をリクオは感じた。


「オマエ――」

「――紅月だ」

「は?」

「俺は紅月 聖人だ」

「な、なにを……」


 ズイっと顔を近付けてくる弥堂の、そのノッペリとした光沢のない黒い瞳に呑まれる。

 至近でまばたき一つせずに、ジィっと自分の目を覗いてくる男を恐れた。


 だが、ナメられるわけにはいかないと、不良的な本能でどうにか自分を奮い立たせようとする。

 頭突きでもくれてやってから怒鳴りつけてやろうと意を決する寸前、背後から二人の仲間が囁きかけてきた。


「お、おい、リクオ」
「やめとけって……」

「ア? だってコイツ、オレらに――」

「――バ、バカっ、忘れたのか?」
「コイツあの瀬能をパツイチだぜ?」

「あ……」


 そういえばと思い出す。

 リクオたちの所属する“R.E.Dレッド SKULLSスカルズ”という大きな不良グループ。

 その中の“RAIZINライジン”というチームは喧嘩が売りの武闘派集団で、瀬能 盾兵せのう じゅんぺいはそこでもイケイケで有名な男だ。


 不意打ちだったとはいえ、目の前の男はその瀬能を一撃で足腰が立たなくなるほどに打ちのめしていたのだ。

 ついでに言うのならば、リクオ自身も瀬能の前に顎にキレイに一発もらってのされている。


 到底覆せる実力差ではなかったことを思い出した。


 しかし、自分たちはここいらを牛耳る“スカルズ”の構成員だ。末端とはいえその矜持はある。

 それに、この男にはどうしても言わなければならないことがあった。


「テ、テメェ……ッ!」

「なんだ?」

「テメェだろ? 水無瀬ちゃんに“South-8”を教えたのは……っ」

「それがどうした」

「あんな子に……、あんなヤベェとこに行かせようとすんじゃねェよ……! たまたま見つけたのがオレらだったからまだマシだったようなものを……!」

「へぇ……」


 攻撃的な態度をとられたことには特に何も感じず、弥堂は初めて目の前の人間に関心を示した。


「だいたいテメェ、アカツキってなんだ? テメェはビト――ぁぎぃッ……⁉」


 グッと握手する手に力をこめてリクオを黙らせる。

 そして額と額がぶつかるほどに顔を近付けて、彼の視界全てを自分の瞳で埋める。


「――紅月だ」

「あ……っ、ぐっ……、だって、水無瀬ちゃんが……」

「俺は紅月 聖人あかつき まさとだ。いいか? 俺は彼女と同じ学校で同じクラスで、さらに隣の座席だ」

「そ、それがなんだ……?」


 痛みに喘ぐリクオへ弥堂は平淡な声で続ける。


「俺はお前の目が届かない所で、彼女にどんなことでも出来る。この意味がわかるか?」

「なっ……、なんだと……⁉」

「お前の態度が気に喰わないことで、俺は八つ当たりで彼女に嫌がらせをするかもしれない」

「テ、テメェ……ッ――あぐぅぁっ⁉ いっ、いでぇ……っ!」


 ようやく自身が脅迫をされていることを察したリクオの目に怒りの色が灯る寸前で、弥堂は右手で握った彼の手をギリギリと締める。


「まずは手始めに彼女の上履きを片方隠そう。そうだな、右足でいいか」

「テ、テメェ……! 水無瀬ちゃんが他のヤツらから変な目で見られて、そういうところからイジメが始まるだろ……っ!」

「その次は、お前らが根城にしているこの路地裏で捕まえたネズミをバラバラに分解して、残った左足の上履きに詰め込んでやる」

「やめろォ……ッ! 水無瀬ちゃんが不登校になっちまったらどうすんだ⁉」

「それが嫌なら俺にナメたマネをするな。俺はどっちでもいい。だが、その時に傷つくのは俺でもお前でもない。わかったな?」

「グッ……!」


 悔しそうな顔で黙るリクオの手を離し、代わりに胸倉を掴んだ。


「さぁ、俺は誰だ? 名前を言ってみろ」

「……っ、あかつき……、まさと、だ……っ!」

「ふん」


 つまらなそうに鼻を鳴らしてから、弥堂は突き飛ばすようにして乱暴に彼の胸倉を離した。


「せいぜい俺の機嫌を損ねないことだな。俺の居ない所でも名前は呼び間違うなよ」

「ク、クソ野郎が……っ!」


 負け犬の鳴き声になど関心がなく、弥堂は無視して踵を返す。

 するとこちらをじぃーっと見ている水無瀬と目が合った。

 彼女はてててっと走って近寄ってくる。


「えへへ、弥堂くんとリクオくん、お友達になれたんだねっ。よかったねっ」

「…………」


 咄嗟に返す言葉が思いつかなかったが、まぁこいつにはそう見えるんだろうなと納得してしまう。

 そんな彼女の鈍感さを見て、リクオはますます自分が頑張らなければと義憤を燃やしているようだった。

 なので、別に構わないかと、弥堂は訂正する気を失くした。



「あぁ、そうなんだ。キミのおかげだ。感謝する」

「そんなこと……って、ふわぁ……っ⁉ 目が回るぅっ……⁉」


 懐いてくる彼女の頭に手を置き髪を撫でるフリをして、悪意をこめて頭部をグワングワン回してやる。

 愛苗ちゃんのお目めがグルグルになる頃、今度はモっちゃんたちが近寄ってきた。


「ビ、ビトーくん、いいのか?」

「あ?」

「アイツらだよ」


 コソコソと話しながらモっちゃんは目線でリクオたちを示す。


「ビトーくんにナメたクチききやがってよ!」
「シメねェのかビトーくん⁉」


 モっちゃんだけでなく、サトルくんも血気盛んにチャリチェーンをヒュンヒュン振り回して己の戦意をアピールしてきた。

 弥堂は角刈りにイメチェンされたサトルくんの頭を一度ジッと視てから、彼らに答える。


「あれでいい」

「そ、そうなのか?」

「何か文句でもあるのか?」

「い、いや、そういうワケじゃあねェんだけどよ。ビトーくんにしてはヌリィなって……」

「あぁ。そんなことか」


 弥堂はサトルくんの頬をぶっ叩いて大人しくさせてから説明する。チャリチェーンが鬱陶しかったのだ。


「サトルッスくんだいじょうぶ?」

「イ、イテェッス……」

「覚えているか? 前にした“グローバル展開”の話を」

「あ、あぁ……、そういえばそんなこと言ってたな」

「来たるその時には、彼らを提携パートナーにするつもりだ」

「ス、スパイってことか……?」


 弥堂はモっちゃんにビンタをお見舞いした。


「イ、イッテェ……っ⁉」

「モっちゃんくんだいじょうぶ?」

「企業イメージを損ねるような不適切な発言をするな。あくまでビジネスパートナーだ。外部のヤツらにゴミを売りつける際に、あいつらには個人情報の横流しやステルスマーケティングをしてもらう予定だ」

「やっぱスパイなんじゃ……」

「うるさい黙れ」


 結局パワープレイで反論を封殺し、無理矢理彼らを納得させた。

 その後、適当に何人かの尻を蹴り飛ばして無理矢理解散をさせる。


「お前いつまで変身しているつもりだ?」

「あ、そうだった」


 言われて思い出したように水無瀬は変身を解除する。

 いつもの美景台学園の制服に戻り、髪色も髪型も元通りになった。


 帰路に着こうとしていた不良少年たちは、その現象に物珍しそうに歓声をあげる。


「ハ、ハンパねェな……、本当に魔法なのか……?」

「うん。そうなの」

「はぁ~……、魔法少女ってガチなんだな……」

「えへへ、ガチなんだよー」


 感心したように呆けるモっちゃんに、水無瀬は何故か照れたように笑う。

 そして何かを思いついたようで「あっ――」と声を漏らして目を大きくした。


「ん? どうした?」

「えっと、あのね……?」

「なんだ?」

「その……」

「……?」


 何かを伝えようとしてそこで言葉が止まってしまう。

 その様子をモっちゃんは訝しんだ。


「水無瀬ちゃん……?」

「……んーん、やっぱり何でもない」

「え?」

「えへへ、ごめんね?」


 水無瀬は続きの言葉を飲み込んで、少しだけ苦笑い混じりに微笑んだ。


「よくわかんねェけど、いいのか?」
「モっちゃん、モっちゃん」

「あ? なんだよサトル」
「多分水無瀬ちゃんは魔法少女を内緒にして欲しいんだぜ」

「え? そうなのか?」
「ほら、ヒーローって大体秘密だろ?」

「そっか。そういえば仮面バイカーもそんな感じだったな……」
「だよな? 水無瀬ちゃん」

「えっ……? えへへ……」


 サトルくんに正誤を問われると、やはり彼女は曖昧に笑った。

 しかし、それで彼らは勝手に納得をしてくれたようだ。


「任せろよ! 内緒にするぜ!」

「うん、ありがとう」

「んじゃ、オレらもう行くわ! ビトーくんもまたな!」

「あぁ」
「あ、バイバイっ。リクオくんたちもバイバーイっ」


 弥堂は適当に相槌だけを返し、水無瀬は立ち去っていく彼らの背中にブンブンっと一生懸命に手を振った。


「行くぞ」
「あ、うん」


 弥堂は水無瀬に声をかけてすぐに踵を返す。

 水無瀬はワンテンポ遅れてその後に続いた。


「――水無瀬ちゃーんっ!」


 少し進んだところで声をかけられ、水無瀬は驚いたように肩を跳ねさせてから振り返る。


 モっちゃんたちが歩きながら上体だけ振り向かせていた。

 やがて下半身もこちらを向き、彼らは後ろ向きに歩きながら声を張り上げる。

「今日はありがとなーっ!」
「助けてくれてありがとうッス……!」
「水無瀬ちゃんのおかげだぜ……!」
「困ったことあったら言ってくれなぁー!」

「えっ……」


 水無瀬は彼らの言葉に呆ける。

 キュッと胸の奥が締め付けられた。


「オレらバカだけど口と義理はカテェからよ! だから――」


 無意識に胸を手で押さえる。


「――助けてもらったこと……っ! オレら絶対ェ忘れねェからなァーっ!」


「――うん……っ!」


 モっちゃんたちの言葉に、水無瀬は嬉しそうに、そして少しだけ寂しそうにはにかんだ。


 弥堂はその横顔を視て、眼を逸らした。


 それっきり彼らとは別れた。


 そして、今は水無瀬たちと一緒に路地裏を歩いている。


「表の“はなまる通り”までは連れて行ってやる。そこまで出たらあとはお前らだけで速やかに帰宅をしろよ」

「あ、うん。ありがとう」


 どこか心ここに在らずな仕草で水無瀬が返事をする。

 彼女の足元を歩くメロはそんな様子を見上げて、一度俯いてから弥堂の方を向いた。


「ていうか少年。随分あっさり帰したッスけどよかったんッスか?」

「さっきのガキどものことか?」

「オマエも同じ年代じゃろがい! まぁ、そうッス。少年のことだから口止めとか口封じとか言って殺そうとするんじゃねぇかってジブン内心冷や冷やしてたッス」

「そんなことか。それは俺よりお前らが考えることじゃないのか?」

「え?」


 弥堂はジロリと4足歩行の人外を見下ろす。


「魔法少女は一般人には秘匿しているんじゃなかったか? そう言っていただろ」

「あー……、ま、大丈夫ッスよ」

「……そうか」

「……あっ! また煙に巻いたッスね! オマエはいっつもそうッス! 質問に質問で返して自分は答えようとしねぇッス!」

「その“自分”は俺のことか? お前のことか?」

「オマエのことじゃあー! 今の自分はジブンじゃないッス! 聞けばすぐに自分のことだってわかるじゃろがいッス! ジブンをおちょくってんッスか⁉」

「わかんねえよ」


 これは本当にわからなかったので弥堂は呆れて嘆息した。


「それで?」

「あ? あぁ。別に理由はない」

「なんでッスか」

「俺はお前らの一味じゃないからな。別にお前らの秘密が漏れたところで俺は何も困らない。だから口止めをする『理由がない』」

「いちいち嫌味ったらしいッスね……」

「それに――」

「え?」


 弥堂は視線を前方に戻す。


「別にあいつらなら大丈夫だろ」

「……? ん、まぁ、もういいッスけど……」


 メロは弥堂らしからぬ物言いに少し違和感を覚えるが、流すことにしてそれ以上は追及しなかった。


(どうせ忘れる)


 無言で歩き何処か遠くへ視線を向けながら、弥堂は心中でそう独り言ちた。



 間もなくして“はなまる通り”に出る。


「ここでも騒ぎがあったようだが、今は落ち着いているようだな」

「騒ぎの元凶みたいなヤツがなにを他人事みたいに……」

「喋るな化け物」

「ニャンだとぉーッス! こんなに愛らしいネコさんを掴まえてなんたる暴言ッスかぁー!」

「わわっ……、だ、だめだよメロちゃん……!」


 怒り狂って弥堂に飛び掛かろうとするネコさんを水無瀬は抱っこして捕まえる。

 弥堂は通りへ眼を遣った。


 乱闘騒ぎが起きたせいで警察の姿が見える。

 そのおかげでいつもほどではないが、買い物客の姿も戻ってきているようだった。

 今日ここに来たばかりの時に大勢いたガラの悪い連中の姿はもうない。


「ここで別れる。寄り道するなよ」

「うん、弥堂くん今日もありがとうね」

「何もしていない」

「そういや今日は本当に何もしてなかったッスね。人々に暴行を加えていただけだったッス」

「それが俺の仕事だからな」

「そんな仕事があるかーッス! でも、いつもは狂ったようにゴミクズーに向かって行ってたじゃないッスか。今日はどうしたんッスか?」

「別に。というか元々そっちは俺の専門外だ。行く先々にお前らが現れて巻き込まれるから大変迷惑をしている」

「あぅぅ……、ごめんねぇ……」
「マナ、謝るこたねぇッスよ! こんな狂犬に!」

「じゃあな」

「あ、待つッス――」


 弥堂が立ち去ろうとするとメロが呼び止めてくる。


「なんだ。今日は随分としつこいな」


 弥堂はジロリと彼女を視る。


「そ、その目はやめるッス! マジで恐いッス」

「用件を言え」

「あーっと、少年はまだ帰らねぇんッスか? 途中まで一緒に行こうッス」

「何故そんなことを聞く?」

「え? 別に理由はねえッスけど」

「…………」


 ゆらーん、ピタン、ゆらーん、ピタンっと動く尻尾に弥堂は一瞬だけ眼を細めて、それから口を開く。


「……まだ用事がある」

「あ、そうなんッスね」
「お買い物いくの? 荷物持ち手伝ってあげようか?」

「そんなとこだ。だが、大した荷物にはならないから結構だ。それに少し立ち寄る場所もあるからな」

「あ、そうなんだね」

「あぁ、この辺に来ると必ず立ち寄る場所があるんだ。いつもそうしているから、今日だけそうしないのは気分が優れないからな」

「えへへ、そういうことってあるよね。あのね? 私も――ぅぎゅぅっ」


 ニコニコと自分の話をし始める彼女の口を押さえて、物理的にシャットアウトさせた。


「その話はまた今度聞いてやる。お前らもうすぐ晩飯だろ。さっさと帰れ。今晩は焼肉だぞ」

「え? そうなの?」
「なんでオマエが我が家の献立を把握してんッスか! それに今日はししゃも焼くってママさんが言ってたッス! 適当なこと言うなッス!」

「うるさい黙れ。さっさと行け」


 弥堂はパンパンっと手を叩いて彼女たちを追い払う。

 ひゃーっと悲鳴をあげて彼女らは帰路に着く。


「弥堂くんじゃあねー」

「あぁ」

「また明日ーっ!」
「歯ぁ磨けよーッス!」

「……あぁ」


 背を向けて離れていく彼女の背中を弥堂はしばらくその場で視る。


「――きょぉっは、しっしゃもっ……」
「うヘヘ、悪いけどジブン今夜はガチらせてもらうッス……」

「えへへ、よかったねメロちゃん。あ、そういえば……」
「どしたッスか?」

「ねぇねぇ、ななみちゃんに聞いたんだけどね、ししゃもは実はししゃもじゃないんだって。メロちゃん知ってた?」
「えっ? どどどど、どういうことッスか……⁉」

「なんかね、いつも食べてるししゃもさんは実は偽物のししゃもさんなんだって」
「じゃ、じゃあ、ホンモノのししゃもさんは一体どこに……?」

「ねー? 不思議だねー」
「ジ、ジブン頭がおかしくなりそうッス……、これからは一体何をししゃもだと信じて生きていけばいいんッスか……、そして今晩ジブンはナニを喰わされるんッスか……――」


 彼女らの話声は段々と遠ざかっていく。

 その姿もまばらな買い物客たちの中に溶け込んでいく。


 弥堂は彼女のペンダントのことを考えていた。


 水無瀬が“Blue Wish”と呼ぶペンダントトップの青い宝石、その中には花がある。


 最初に視た時には種だった。

 次に、その種が割れて芽が出た。

 次は、その芽に莟が生った。

 そして今日――その莟が開き花と為った。


 水無瀬の背に視点を合わせ、その魂のカタチを視る。


 種と花は果たして同一のモノなのだろうか。


 成長進化による変化だと言われてしまえばそれまでだが、元の種と今の花を並べてそれらが同じモノだと誰が思うだろうか。


 道を歩いていて、道の端に種が落ちているのを見かけたとして。

 数か月後に同じ道を歩いている時に、端に花が咲いているのを見つける。


 その時にちっぽけな種の存在を憶えていて、目の前の花がそれと同一の存在だと認識する者は一体どれだけいるだろうか。

 花が咲いた時には、種という存在はもうこの『世界』の何処にも存在しないのに。


 そんなことを考えながら水無瀬 愛苗のその存在の在り方を眼に映す。


 彼女はこの短期間に魔法少女として劇的と言ってもいい成長進化を遂げた。

 日々チカラを増し、日々その存在の強度を増し、日々その影響力を増している。


 この一週間ほどそれを視てきた弥堂だが、果たして先週の彼女と今日の彼女を同一人物だと断言出来るだろうか。

 まるで別人のように強くなってその魂は輝きを増している。

 まるで別モノだ。



 辺りは暗くなってきて街灯の輝きが増したように感じる。

 街はこれから夜を迎える。


『また明日』

 彼女はそう言った。


 何でもない言葉で、誰もが当たり前のようにそれを口にする。

 特にそこに何の意味も含めてはいないだろう。

 定型句のようなものだ。


 夜が来て、その夜が必ず明けるものだと、きっと誰もが当たり前のようにそう考えている。

 当たり前過ぎていちいちそんなことを考えもしないかもしれない。


 朝は必ず今日と同じように訪れ、同じような日が始まる。


 生きとし生けるものに等しく与えられた当然の権利として、誰もがきっとそう考えている。

 いつか醒めない眠りが訪れて、明けない夜に永遠に囚われる日が必ず来ることを本当は誰もが知っているはずなのに。

『世界』は間違いなくそんな権利を誰にも能えてはいない。


 それなのに当然次の朝が来ると信じて、意図も簡単に『また明日』とそう告げる。


 きっと彼女もそうなのだろう。

 きっとまだ、そうなのだろう。


 だから今日を簡単に放棄して、続きを明日に持っていく。


『また明日』と願って。


 本当に彼女に、願いを何でも叶える加護が備わっているのなら、それは当たり前のように叶うのだろう。

 もしも叶わなかったのなら、そんな加護は存在しなかったのだろう。


 いつか突然、ふいにそんな時が訪れた時に、自分は神に愛されてなどいなかったことに気付く。

 自分は何も特別な存在ではなく、ただの『世界』を構成する存在の一つに過ぎないことを知る。

 失意と絶望を抱えながら明けない夜に囚われる。


 だが、それは誰しもがそうなのだから、眠りにもつけずに暗い夜を視続けるよりは幾分マシかと結論した。


 視線の先、水無瀬は夜から離れて行った。

 弥堂は踵を返し夜の中に這入って行った。


 これが最期の夜かもしれないといつも願いながら。
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