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1章 魔法少女とは出逢わない

1章56 Away Dove Alley ⑦

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 茫然とした顏で見上げてくる女へ弥堂は侮蔑の眼を向ける。


 そして、何かを言おうと口を開けようとして、やめた。


 この女がこうであることはわかりきっていたことで、こうなることもわかりきっていたことだからだ。

 その上で言うことはもう前回に言った。


 だから、ここで改めてわざわざ蔑むことも言及することも失望をすることすら無意味だと断じた。


「――ま、待って……っ!」


 関心がなくなったのでこの場から立ち去るために踵を返そうとすると女に呼び止められる。


「なんだ」

「ち、ちがうの……っ!」


 まるで釈明のようにも聞こえる女の叫びに弥堂は眉を寄せる。

 怪訝そうな顔をする弥堂の前で、女はスカートの裾を直しながらヨロヨロと立ち上がった。


「わ、私……、させてないから……っ!」

「あ?」

「お願い、信じて……っ! そのためにアイツと会ったんじゃないの……!」

「…………」


 どちらでもよくて、どうでもいいことを言い募られ、弥堂は困惑する。

 自分と目の前の女の間柄にはそんな言い訳が必要になるような義理など存在しないからだ。


「そうか。そうだと思ったよ。そう信じていた。じゃあな」

「待って――」


 メンヘラセンサーが反応したので適当に肯定してやって立ち去ろうとするが失敗する。

 袖を掴まれて止められてしまった。


 実際にはそのような出来事が起こっていなくても、メンヘラは頭の中で独りよがりにストーリーを進行させ、勝手に他人との関係を創作し、そしてそれを現実に起こったことだと思い込む。

 非情に迷惑な存在なので出来れば関わりになりたくなかったが、こうなってしまっては仕方ないと切り替える。


 これまでに数多のメンヘラに迷惑をかけられてきたと自負している弥堂の脳内には、メンヘラ対応マニュアルのようなものが出来上がっていた。

 それはシンプルなもので、たった二つしかない。

 まず第一には『関わらないこと』、そしてそれがダメだった場合にもう一つの方法を実行する。


 それは『心を折ること』だ。


 メンヘラは基本的に依存先を求めている。

 だから優しくすることは以ての外だ。

 なんなら特に優しくしたつもりがなくとも、普通の応対をしているだけで勝手に脳内で優しくされたということに事実を書き換えて依存してくる。


 だから中途半端なことはせずに、徹底的に突き放して『この人間は自分を傷つける存在だ』と、そのように認識させる必要がある。

 たまにやり過ぎてリスカされたり、刃物を持って突貫してこられることもある。

 しかし、それは野良犬が電柱にションベンをひっかけるように、ある種の習性のようなものなので多少の諦めと妥協を強いられるのは致し方ないのだ。


 そんな不愉快な生き物へ、弥堂は無機質な眼を向けた。


「――クスリだろ?」

「えっ……?」


 何を言われたのかわからないといった風に目を開く、そんな薬物中毒者をジロリと見下ろす。


「クスリが欲しかったんだろと、言ったんだ」

「わ、私、ちがっ――」

「もうやめた。もうやりたくない。なんのことはない。買う金がなくなっただけだろ」

「ち、ちがうわ……っ!」

「まとまった金を手にしたら即日とはな……。だが、そんなものか。自制心があれば最初からこうはなっていない」

「ひ、ひどい……っ」


 相手の話になど聞く耳を持たずに、ただ一方的に詰る言葉だけを事務的に投げかける。

 言いたいことは言わせてもらえずに責めるようなことばかりを言われ、茫然とした女の目から光が失われていく。


 弥堂としても特段この女を責めるような気持ちはない。

 彼女がどうなろうとどうでもいいからだ。


 むしろこうなることがわかっていて、それどころかこうなることを期待して大金を掴ませたのだ。

 本音で言えば、期待通りに売人を誘き出す餌になってくれて、いい仕事をしてくれたと思っているくらいである。


 それに、件の“WIZ”という薬物が、もしも弥堂が考えているとおりのモノなら、それは簡単にやめられるような代物ではない。

 自力で克服などほぼ不可能であるし、一度抜けたと思っても日常のふとした時にフラッシュバックに悩まされ続ける。

 脳幹が痺れるほどの快感の記憶は永遠に身体に刻み込まれたままになるのだ。


 だから、彼女が“WIZ”を求めて、売人からの呼び出しに応えてノコノコとここまでやってきたのは至極当たり前のことだと思える。


 しかし、前述の理由で彼女はメンヘラなので決して甘やかしてはいけない。速やかに嫌われる必要がある。

『この男とは二度と話もしたくない』と、そう思ってもらえるように追い込んでいく。


「まぁ、あれは独力でやめられるようなものではないしな。気にするな。なにも特別なことじゃない。典型的な症例だ」

「お、おねがい、聞いて……」

「既に言ったが、あと1回か2回でキミは死ぬだろう。だが、自分の生命だ。好きにするといい」

「だから……っ、違うの……っ!」

「どう取り繕おうとも意味がない。どうせキミは一生そのままだ。変わらない」

「そんなこと言わないで……」

「キミはもう終わっている」

「…………」


 血も涙もない弥堂の言い草に女は気が遠のく。

 立ち眩みを起こしたことで弥堂の制服の袖を掴む手に反射的に力が入るが、弥堂はその手を無情にも振り払った。


 手を緩めずに止めを刺しにいく。


「さっきから違うだのと言っているが何も違わない。お前は薬物中毒のままだ」

「ち、ちがう……」

「じゃあ何故ここに来た?」

「えっ――」

「買うつもりも、やるつもりもないのなら、今日ここに来る意味などないだろう?」

「…………」

「そんなつもりはなかったなどと言ったところで、意思が弱ければ結局流される。死ぬまでラリってろ」

「…………」


 情け容赦のない言葉の雨に女は俯いてしまい、ついには反論する意欲すら失くす。

 少なくとも、弥堂はそう思った。


 女が顔を上げる。


「――っ⁉」


 弥堂は反射的に息を飲み、言葉が続かなかった。


 女の目からはさらに光が消えていた。


「……違うの。本当に、違うのよ……?」

「……何が違う」


 ゆらりと女の髪が揺れると、弥堂の脳内に設置されたメンヘラメーターが一気に危険域にまで振れる。


「私が今日、ここに来たのは会いたかったから……」

「だから――」

「――もちろん、刻悸也にじゃない」


 プツプツと首筋が粟立っていく。


「ここに来れば、また逢えると思ったから――」


 完全にハイライトの消え失せた女の瞳に映る、弥堂の渇いた瞳が驚愕に見開かれた。

 女はヘラリと笑い弥堂の顔へ手を伸ばし、彼の唇へ自身の顔を寄せる。


 すると、光のない瞳に映った男の唇が僅かに動き――


「――えっ……?」


――頬に手で触れていたはずの男の姿が目の前から消えた。


「――いっ……⁉」


 一体何が起こったのかと思うと同時、女の首を強い衝撃が打つ。

 女がぐりんっと白目を剥きその場に崩れ落ちると、その後ろには弥堂の姿が。


 弥堂は爪先で女の身体を突き意識がないことを確認する。それから今しがた彼女の首に落とした右の手刀を左手で擦り、短く息を吐いた。


「どうしてこうなる……」


 苦々しく吐き捨てた。


 今そうしていたように、メンヘラに依存されぬように毅然とした態度で冷酷に対応しているというのに、彼は以前から何故かメンヘラに懐かれる傾向があった。

 だからといって優しくするわけにもいかず、八方ふさがり感に見舞われる。


 ドドド――と、早まった鼓動を意識して抑え込み、眉間を歪めた。


 ギャングでもゴミクズーでもなく、まさかこんな場所でメンヘラ女に余計な力を使わされるとはと苛立ちを覚える。


 これ以上の無駄は省こうと、気絶した女を放って踵を返そうとしたところで、地面に落ちたままの赤いレースのTバックが眼に入る。


 その布切れを憎々しげに睨みつけると、赤いレースの向こう側にムカつくギャル女の顔が幻視される。


『当然! 女の子はケンカする前に下着替えたりしないし、パンツの派手さと攻撃性がリンクすることもないから! わかった?』

「うるせぇ!」


 記憶の中の記録から出てきた希咲へ怒鳴り返し、そのイメージを追い払う。

 彼女の顔を思い出したことで怒りが収まらなくなり、弥堂は乱雑に赤いパンツを拾い上げた。


 そしてすぐそこで倒れている白目を剥いたアラサー女の口の中にそのパンツをガッと突っ込む。

 そしてその辺にあった大きめのゴミ箱の蓋を開けた。


 開けた瞬間に生ゴミ臭がしたが、お構いなしに気絶した女の身体を適当に畳んでその中に捨てると、無理矢理蓋を閉じる。


「……やっぱり赤は攻撃色じゃねえか。嘘吐き女め……」

「――ちょっと! やめてよ! ヤダって言ってんじゃん……っ!」

「…………」


 希咲 七海への恨み言がつい口から洩れると、今度は細い路地の奥の方からキンキンと喧しい別の女の声が聴こえてくる。

 その声がとても聞き覚えのあるものだったので弥堂は閉口した。


 反射的に声の方へ眼をやってしまった瞬間、声の主とパチリと目が合う。


「あっ――!」


 その女は弥堂の顔を見た途端に表情を輝かせ、自身の腕を掴んでいた男をドンっと突き飛ばし、弥堂の方へ向かって走り出した。


 自身の目的と関係ないトラブルが新たに舞い込んできたことを察し、弥堂はうんざりとした溜息を吐いた。
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