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1章 魔法少女とは出逢わない

1章53 Water finds its worst level ②

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「ののか。アンタ、覚えときなよ」

「マホマホなに怒ってるの?」

「怒るに決まってんでしょ! あんな動画撮って!」

「まぁまぁ、ちゃんとトイレから廊下に出る前にはスカート直してあげたんだからセーフだよー」

「セーフじゃないでしょ! 弥堂君に見られちゃったじゃん!」

「だーいじょうぶだってー。正直サムネじゃどアップすぎてわかんないよ」

「そうかもだけど……。はぁ……、私、男子に下着見られたことなかったのに……」

「ハジメテのヒトになってくれてありがとうって言わないとねっ」

「やっぱ絶対許さない」


 弥堂が思考をしている間に日下部さんと早乙女が言い合いをしている。

 女子トイレの個室から出てきた日下部さんのスカートのお尻側の裾が下着にインしてしまった件だ。


「百万歩譲って動画撮ったとこまではいいけど、男子に見せることないじゃん」

「ののかだってこないだ色んな人にパンツ見られちゃったんだよ! 一番の友達であるマホマホにもこの気持ちを共有して欲しかったんだよ!」

「そんなもん共有させられるんなら友達やめるわ」

「わーんっ、それは困るんだよー! ののかを捨てないでぇーっ!」


 反省の色が見られない友人を日下部さんは咎めるものの、早乙女の態度は相変わらずだ。

 弥堂もなかったことにしてくれると言っていたことだし、これ以上は言っても仕方ないと諦めることにした。


「とりあえず一旦その話は置いておいて。アンタ本当にデータ消したりしてないの?」

「ないぞー? いつも『もう保存できません!』的な警告出るまで整理しないし」

「でも、弥堂君がああまで言ってるんだし、彼の勘違いだとも思えないのよね」

「でもでも、ののかがそんなの撮影してたらマホマホもそれ見てるよね? なんか覚えある?」

「そう言われると……、ないね」

「でしょー? ののかは弥堂くんの気のせいだと思います!」

「う~ん……、それもそっか。他に考えられないしね」


 そのように認知を共有した二人が弥堂へ目を向けると、ちょうど考え事を終えた彼が自身の胸元へ手を伸ばしたところだった。




「――水無瀬」


 ポンと軽く彼女の後ろ頭に触れて呼びかける。


「なぁに? 弥堂くん」


 その呼び声に素直に応じた膝の上の水無瀬が見上げてきた。


「お前に頼みがあるんだが、いいか?」

「うん、いいよー? えへへー」

「まだ何も言ってねえだろ。なんで嬉しそうなんだよ」


 即答で快諾する彼女の笑顔に思わず脱力しかけるが、すぐに切り替えをする。

 それは意識して行う切り替えではなく、これから自分のしようとすること、それを口にすることを考えると、自然と顔つきも態度も心の裡も神妙なものに為ってしまうのだ。


「……こんなことを頼むのは俺としては非常に不本意であり、誠に遺憾なことなのだが……」

「ど、どうしたの……? あっ! もしかしてお腹いたいの? 私お薬持ってるよ?」

「ちげえよ。もっと真面目な話だ」

「え? でも、お腹痛くなったら大変だし……、真面目にしないと……」

「わかった。キミの言うとおりだ。だが、俺は今お腹は痛くない。それはわかってくれるな?」

「う、うん……」


 お膝の上で身を捩って隣の自分の座席にあるバッグへ手を伸ばそうとする彼女を慎重に説得する。


「でも、じゃあ……、あっ! わ、私重かったよね? どいた方がいい……⁉」

「それも違う。というか、それより先になんで腹痛はらいたを思いつくんだよ」


 焦って降りようとジタジタする彼女の腰へ手を回して、落ちないように支えつつ目を合わせる。


「実は、1件電話を掛けて欲しいんだ」

「うん、いいよー。弥堂くんにかけるの?」

「なんでだよ。目の前にいんだろうが」

「あ、そっか。じゃあ誰に?」


 そこで弥堂はひとつ、重く息を吐いてから口を開く。


「………………あいつだ」

「あいつ……?」


 当然それだけでは伝わらず、水無瀬はコテンと首を傾げる。


「…………あの女だ」

「あのおんな……?」


 屈辱を噛み殺し忸怩たる思いで性別情報を付け加えるが、やはり水無瀬には伝わらなかった。

 弥堂は観念をし胸元で十字を切ってから、(弥堂にとっては)名前を言ってはいけないあの人の名前を口にする。


「……………………希咲だ」

「あ、ななみちゃんだね」

「…………」

「…………」


 水無瀬は理解を示し次の指示を待つが弥堂はそれ以上口を開かず、妙な沈黙が数秒続く。

 部下を見殺しにするという苦渋の決断を下したかのような渋い表情をする男としばし見つめ合い、「はて?」と、水無瀬さんの頭の上に浮かぶ疑問符がまた一つ増えた。


「えっと……、それだけ……?」

「あぁ」

「そうなんだ。えへへ。弥堂くんすっごくお腹痛そうなお顔してたから何か大変なことかと思っちゃった」

「そうだな。あいつの名を口にしたことで少しお腹が痛くなってきたかもしれん」

「わわわっ……⁉ た、たいへん……! お薬だすね?」

「まて。今のは言葉の綾だ。腹は痛くない」

「そう……? でも、突然電話ってどうしたの? 急にななみちゃんとお喋りしたくなっちゃったの?」

「んなわけねえだろ。俺は死ぬまでにしなければならないあいつとの会話を一回でも多く減らしたいと思っているくらいだ」

「えぇっと……、多く……、いっぱいお喋りしたいってこと……?」

「恣意的に切り抜いて無理矢理ポジティブに受け取るな。なんでそこを切り出すんだよ」

「えぇっ⁉ ち、ちがうの……? でもでもっ、ななみちゃんってお話すっごく上手だから、お喋りするとすっごく楽しいよ?」

「あんなもん楽しくねえよ。つーかそこが問題なんじゃ――いや…………、いい。わかった。俺が悪かった。キミの言うとおり急に七海ちゃんとお喋りしたくなったんだ。悪いんだが彼女へ電話を掛けてくれないか? 通話の発信ボタンを押すだけでいい。そうしたら俺にスマホを渡してくれ」

「うん、いいよー! えっと……、あっ、スマホ、バッグの中だった……」


 眉間を抑えてなにかを堪える弥堂に水無瀬はまたも快諾の意を唱え、再びジタジタと自分の座席へ手を伸ばし始める。

 彼女の腕の長さではどう足掻いても届くわけがないので、とりあえず彼女を止めようと弥堂も行動する。


「――ぁいたぁーっ⁉」


 パチンっという音と共に腕を引っ込めた水無瀬が背筋を伸ばす。


「な、なんでお尻ぶつのぉ……?」

「ぶってない」


 涙目で見上げてくる彼女へ冷たい眼を返す。


「だって、ペチンってした……」

「それは俺の手じゃなくお前のおぱんつのゴムだ。文句はおぱんつに言え」


 確かにそれは嘘ではなく、弥堂がとった行動は水無瀬の下着のゴムをスカート越しにつかんで強引に引き伸ばしそして手を離すという蛮行で、ある意味普通に尻を叩くよりも酷いかもしれない所業だった。

 目の前に居ながらここまで水無瀬に話しかけることもなく、弥堂と何かを話していても特に関心を払っていなかった早乙女と日下部さんも、さすがにこの悪行は看過できなかったのかギョッと目を剥く。


(――やはり、セクハラには反応するのか……?)


 そんな彼女たちの様子に眼光鋭く思考を奔らせるが、そんな男へ向くのは軽蔑の眼差しだけだ。


 今はそれを考える時ではないと、弥堂はふにゃっと眉を下げた水無瀬さんへ視線を戻した。


「うぅ……」

「お前は大人しくしていろ――おい、早乙女」


 スマホの向こうから侮蔑の視線を送る早乙女へ声を掛けた。


「なに?」

「ちょっとそこの席のバッグをとれ。こっちへ持ってこい」

「それは無理な相談なんだよ! ののかは撮影に忙しいので!」

「……そうか。日下部さん」


 ジロっと自分へ向けられるカメラを一瞥して今度は日下部さんに声を掛ける


「ん? 私? これをとればいいのかな?」

「あぁ。申し訳ない。頼めないだろうか」

「それくらい全然いいよ。そんなに畏まらないで」

「ののかと全然対応が違う件について!」

「感謝する」


 何やら非難めいたことを喚いている早乙女を無視して日下部さんに礼を述べると、彼女は水無瀬の席にあるバッグを持ちこちらへ近づいてくる。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとう真帆ちゃ――日下部さん」

「ううん。気にしないで水無瀬さん」


 ファーストネームを口にしかけて慌てて苗字に言いかえる。

 気まずげに身を縮める水無瀬に日下部さんは優しく微笑んだ。

 しかし、その笑顔はどこか距離があり、余所行きのもののように見えた。


「よし、掛けろ」

「あ……、うん」


 また彼女が落ち込み始める前に次の指示を出す。

 水無瀬は言われるがままバッグからスマホを取り出して画面を弄り始めた。


 用済みとなった日下部さんは特に「あっちへ行け」と指示をするまでもなく所定の位置へと戻っていく。

 なかなかに便利な女だなと弥堂は彼女の評価を心中で上方修正した。


 その日下部さんは、未だにスマホで撮影を続ける早乙女に眉を顰めた。


「ののか、アンタもういい加減にしときなよ」

「お構いなく!」

「アンタが構わなくても撮られる方は嫌なの! 止めなさい」

「そうはいかな――あっ⁉」


 強制的に止めさせようと早乙女の持つスマホに日下部さんが手を伸ばすと、咄嗟にそれを避けようとした早乙女が机の足に躓いたのかバランスを崩す。


「――わわわっ……⁉」


 そして今まさに通話ボタンをタップしようとした水無瀬のところに前のめりに倒れ込む。

 そのショックで水無瀬の指はずれて別の箇所をタップしてしまった。


「あたたた。ゴ、ゴメンね? だいじょうぶ?」

「あ、うん、私は平気だよ? のの――早乙女さんは? おケガしてない」

「うん、ののかも平気だぞー?」

「ちょ、ちょっと……、二人とも大丈夫?」

「おい、そんなことどうでもいいからさっさと電話をかけろ」


 キャイキャイと騒ぎ始める女どもに、また話が逸れることを危惧した弥堂は自分の都合だけを端的に述べる。


「うん、ごめんね。今でんわ……、あれ? もうかかってる……? でもこれ――」

「――よし寄こせ」


 弥堂は素早く水無瀬の手からスマホを奪い取った。


「ご苦労。お前はもう用済みだ」

「あ、うん。でもね弥堂くん。それ――」

「――静かにしていろ。お前の声を聴くとあいつは興奮し始めるからな」

「うん、わかったぁ」


 何かを言いかける水無瀬を黙らせ、他女子2名からのジト目をスルーしながら、やけにコール音が大きく鳴るスマホを耳に当てた。

 あの女と会話をしようとすると毎回本題に入れるまでに時間がかかるので、今回はいつも以上に効率を最優先させる。


 すると間もなく通話が繋がった。


『もしもーし。出るの遅くなってゴメンね愛苗っ。あたし今シャワーあがったとこで……。てか、今ガッコよね? こんな時間にどうしたの?』

「……?」


 スマホから聴こえてきたのは当然だが希咲 七海の声だ。

 しかし通話相手の音声の聴こえ方が、自身のスマホを使用している時と違う気がして弥堂は違和感に眉を寄せる。


『――あ、それでさ、あたし今着替え中だから周りから画面見えないようにしてくれる?』


 その言葉に早乙女と日下部さんが「ん?」と眉を寄せ、視界の端で野崎さんが額に手を当てたのが僅かに見えた。


『――もう大丈夫……? って、あれ? 画面真っ暗? なんかバグってる……?』


 その希咲の言葉と同時、音の聴こえてくる場所に違和感を感じてスマホを耳から離して画面を覗き込んだ弥堂と、スマホの動作に違和感をもって画面を覗いた希咲の目が端末越しにパチッと合った。


 どうやら、早乙女がぶつかったせいで水無瀬の指はビデオ通話の発信を押してしまったようだ。

 視界の端で野崎さんが両耳を塞いだのが見えたような気がした。



 画面の中の希咲がパチパチとまばたきをする。


 弥堂の印象ではいつも不機嫌そうな眼差しをしている彼女の目が、驚きにパッチリと丸く開かれており、どこか幼げな印象を受けた。


 弥堂はなんとなく彼女のそんな表情を無言で眺める。

 すると風呂上りだと申告していた彼女の濡れた前髪を伝って水滴が一滴落ち、ついそれを目線で追ってしまった。


 弥堂と画面越しに見つめ合う希咲は、下方へ動いた彼の目線に釣られて目線を動かしてしまい、そうすると自身の胸元が視界に映る。


『――ぎゃあぁぁぁーーーーっ⁉』


 耳元を離してもなお鼓膜に突き刺さる大絶叫に弥堂のお耳は秒殺でないなった。


 そして、やはりこいつと話そうなどと考えるべきではなかったと、キーンっという耳鳴りを頭蓋の中で聴きながら白目になり、弥堂は最後の手段を行使したことを早々に後悔した。
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