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1章 魔法少女とは出逢わない

1章51 死線上で揺蕩う窮余の一択 ①

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 学園北部。


 学園内の敷地から裏山へ入る其処には大きな木が立っている。


 その木の足元にはスコップが一本、地面に突き立っていた。


 墓標のように――



 ズッと、音が鳴る。


 足を地面に引き摺って其処へ一歩近寄ると、カサリと木の裏の茂みが揺れる。


 弥堂 優輝びとう ゆうきは眼を細め、足を止めた。



 子の刻、夜は深まり。


 人の灯りの届かない山裾。


 唯一の拠り所となる月の灯りは雲に遮られ、辺りは暗く深い青に覆われていた。


 ほんの僅かにこの場の光源となるのは掠れた蒼銀。


 大分頼りなくなったその光を眼の奥に宿す弥堂本人にだけ、その光は視えない。



 世界を光で照らす者は、光と同時に陰を齎すと廻夜 朝次めぐりや あさつぐが云った。


 強大で輝かしい者の目に映らぬように矮小で卑小なる者たちが身を潜める為の陰を齎すと。


 照らす本人は何処にも逃げ隠れも出来ず、全てを明るみに写し出され、その姿が不足するようなものであったならばたちまちに民衆たちから責め立てられる。

 陰に隠れる名の知れぬ者たちが、顔も見せずに石を投げつけてくるのだ。


 この時、この場に限っては、そんな照らす側の役回りが弥堂に回ってきていた。


「やってられねえな」と心中で自嘲し、ドクンと心臓に火を入れた。


 最期の焔。


 少しばかり確かなものとなった蒼い焔が闇夜で揺らめくと、くるるるると喉を鳴らす音が静寂に乗った。



 喜びがあった。



 弥堂は闇夜の向こうへ声を向ける。



「だから言っただろ。喰うも喰わないも自由だが、自己責任だと」



 声にも鳴らない悲し気な息が葉を揺らしカサリと擦れる。



「わかっている」



 弥堂は胸元から吊るしたペンダントトップを左手で握ると、毟り取るようにチェーンを外しながら歩き出す。

 左手にチェーンを巻き付け握りなおすと、ペンダントトップが闇夜にゆらめいた。

 罪悪の痛み――赤黒いティアドロップが吊るされた背信の逆さ十字。



 生き物はその身に穢れを溜め込み、生きながら罪を重ねる。

 死した時に身が朽ち魂が解け、その全てが『世界』へと還る。

 そうして過去も未来も現在も、全ての時の生を神に捧げれば全ての罪が赦され、『世界』の一つとなることを許可され、『世界』と一つとなる。

 だから、死は恐れるものではなく、神へと自分を捧げる喜びなのだ。


(――詭弁だ)


 弥堂の師であるエルフィーネが所属していた宗教団体の教えであり、洗脳に等しい信仰で信者にそう思い込ませることで死兵となることを強要し、他者を殺めることを強要する。

 神など何処にもおらず、人間が人間の都合で殺しを罪としたり、正当化したりしているだけだ。



「――今、楽にしてやる」



 ソレは「むぁ~ん」とひとつ泣いた。


 そこに喜びなどあるはずがない。


 十字架にその罪を磔に。


 土に刺さったボールペンの先から垂れたネコのアクセサリーが闇夜にゆらめいた。











 バタンと、後ろ手で強く扉を閉めると古びた木造のドアが軋む。


 鍵をかける手間や時間すら惜しみ、ドカドカと足音を立てながら散らばった玄関をさらに踏み荒らして奥に進む。


 数歩で踏破してしまうような狭く短い廊下を抜け、古い木造アパートの一室の唯一の部屋に入ると一息つく――ことは出来ずに、逆に息を呑んだ。



「――おかえりなさい。ボラフさん」



 自分が一人暮らし用に借りているはずのワンルームには先客が居た。


「――アス……、さま……」



 6畳間の中央に置かれたちゃぶ台の上に腰かけて、月明かりを頼りに本を読んでいたのはボラフの上司であるアスだった。

 薄暗くカビ臭い部屋の中で、よく磨かれた眼鏡フレームが銀色の光を反射した。


「……どうして、ここに……」


 絞り出すように問いかけながら、チラリと彼の足元へ目を遣る。


 土足のまま足を組んで座るアスの靴の下には、ちゃぶ台の上に置いておいたはずの植木鉢がある。


 床に立てて置かれた植木鉢の縁にアスの爪先が乗っており、その鉢に植えられた花の茎は硬直したように真っ直ぐ縦に伸びて、若干震えているようにも見える。



「どうして? 当然アナタを待っていたに決まっているじゃないですか」


 聞かずともわかるような無意味な問いに呆れの声でアスは答える。

 効率の悪い会話を彼は嫌った。


「それは、そうだろうけどよ……、俺に一体なんの――」

「――何の用か、ですって?」


 そして今夜は特に無駄な話を嫌った。


「――グッ⁉」


 つい一瞬前までちゃぶ台で足を組んで座っていたはずのアスが立ち上がり、ボラフの首を掴んで宙吊りにしていた。


「何故、やれと言われたことが出来ない?」

「オッ、オレはちゃんと――」

「――ちゃんと? ちゃんと何をしてきた? 今日はあのニンゲンの男を殺せと言ったはずだ。彼女の前で」

「そ、それは――」

「――失敗しただけ、だと? ふざけるな。そんな茶番に付き合うのはこれで最後だと前回言っただろう」

「ち、ちがっ――」

「――違わない。ニンゲンごときを相手に、ゴミクズー5体に促成溶液セイタンズミルクも使い切って失敗するはずがない。なんならオマエ単独でも事足りるだろう」

「くッ、グッ……ッ!」


 ギチギチと魂が直接締め上げられるような圧迫感にボラフの息が詰まる。

 アスの眼鏡の奥の銀色の瞳に赤い光が宿る。

 鋭いその光に射竦められながらしばし無言で吊るされる。


 何秒かしてボラフは畳みの上に落とされた。

 圧倒的に格上の存在の前に身を丸める。


「……ふぅ、困ったものです。前回でご理解いただけたと、あれで話はついたと、そう認識していたんですがね」


 幾分気分が和らいだのか、アスの口調が元のものに戻る。


 荒く息を吐き出すボラフは顔は上げないまま、土足のまま畳を踏むアスの靴だけを見張る。


「とはいえ、既に伝達したとおり、これまでと同じにはいかない。出来ませんでした、失敗しましたで、じゃあ次は頑張りましょうと――もうその段階にはない」

「……っ」

「出来ないのであれば、やらないのであれば、それならもう仕方がない。私が自分で動くだけです」


 そう言葉を溢すと、ボラフの視界に映る靴が出口へ向かう。


「ま、待てッ……!」


 慌てて呼び止めると二歩だけ進んだ所で、よく磨かれた革靴は止まった。


「なにか?」

「ど、どこへ行く……ッ⁉」


 猛烈な危機感に襲われて問い質す。


「仕事をしに行くんですが。アナタがしないので」

「な、なにをするつもりだ……⁉」

「彼女の両親を殺します」

「なッ……⁉」


 想定以上の答えにボラフは絶句する。


「なにを今更。元々その予定だととっくに台本は渡していたでしょう?」

「そ、それはまだ先の話のはずだ……ッ!」

「そうですね。ですが既に予定どおりにシナリオを消化出来ていません。これ以上の遅れは看過出来ない。なので前倒しします」

「そ、そんなことは……」

「企画の進行を管理するのは私です。というかアナタのせいですよ? アナタが予定どおりにやってくれないから」

「ま、まってくれ……!」

「もう待てません。元は彼女の仲の良い友人の少女を彼女の前で殺し、それから両親を殺す。そういう台本だったでしょう。せっかく旅行に出かけるなどという誘拐のチャンスがあったというのに。それを東京湾で見失ったですって? よくもヌケヌケと報告出来ましたね」

「そ、それは、嘘じゃねえっ! 本当に見失っちまったんだ」


 半分は本当で半分は嘘の申し開きをするが、それを受けたアスの表情はピクリとも動かず。カケラも信用していない。


「仕方ないから代わりにあの頭のおかしい男を殺すことにしたんでしょう? わざわざ緊急で会議をしてまでそう決めましたよね? あの友人を殺すよりはアナタにも抵抗が少ないだろうと、これでも私は譲歩したんですよ? 気付きませんでしたか?」

「悪いと、思ってる……ッ! だから次は――」

「――次はもうないと言ったでしょう? 面倒だからハッキリと申し上げますが、時間切れ狙いで有耶無耶になんて出来るわけがないでしょう? やるならもっとせめて知恵を働かせて行動なさい。まぁ、その場合は殺しますが。そんなに小さなプロジェクトではないと、まだわからないのですか?」

「わかっ……、てる……ッ!」

「わかっていてそれなら、私はもうアナタを見限るだけです。もう時間がない。友人の殺害は飛ばしてもう両親を殺します」

「まてッ! 明日ッ! 明日必ずあのヤロウを殺るから……ッ!」


 涼やかに受け流して喋っていたアスはそこで黙る。

 ジッと、見定めるようにボラフを見下ろした。


「……その言葉に嘘はないか?」

「な、ない……ッ!」

「戦闘で彼女自身もキッチリ追い詰めろ。なにを瞬殺などされている」

「わ、わかった……、本気でやるッ……!」

「…………」


 数秒無言で見下ろし、それから目の奥の赤い光が消えると、狭い部屋に張りつめていた緊迫感が薄れた。


 ボラフは大きく息を吐きだした。


 ゼェゼェと息継ぎをしながら、どうにかもう一日繋げたと安堵する。


 アスはそんな姿を酷くつまらなそうに見下ろし、ポツリと呟いた。


「少しお尻に火をつけましょうか」

「……は?」


 意味がわからずに呆然と聞き返すボラフを無視して、ちゃぶ台の近くに転がる植木鉢を見る。


「アナタにはまだリアリティが足りない。なので片方殺してみましょうか」

「や、やめろッ……!」


 ボラフは急いで立ち上がり植木鉢とアスとの間に自身の躰を滑り込ませる。

 両腕を広げて立ち塞がると、その瞬間――銀閃が煌めく。


「――グゥァァァァァァッッ……⁉」


 ボトリと、畳の上に黒い腕が片方落ちる。

 ボラフは肘から先が無くなった左腕を押さえて蹲る。


「私は甘い上司ですね。やめろと言われてやめて差し上げるなんて。アナタもそうは思いませんか?」

「うッ、腕ッ……! オレの腕ェェッッ……⁉」


 アスの右手から銀色の光の刃が。一瞬の内にボラフの腕を斬り落としたのだ。


「うるさいですね。手加減はしましたのですぐに生えてきますよ」

「クソッ! クソッ! テメェ……ッ! やりやがったな⁉」

「……まだまだ元気じゃないか」


 アスの目に再び赤い光が灯る。

 もう一度その銀色の刃が振られようとするが、それよりも先に部屋中に黒い靄がかかった。


 それの正体は大量の髪の毛。

 伸びてくる先は部屋の隅に転がった小さなスニーカーからだ。


「へぇ」


 獰猛な色を強くした瞳でアスが自身の躰に纏わりつこうとしてくるそれらに意識を向けた瞬間――部屋の天井にギロチンの刃が顕れる。

 畳に転がる花の葉の一つが天井まで伸びて巨大化し、緑色のギロチンを模った。


 そのギロチンの刃と髪の毛がアスへと殺到する。


「オ、オマエらやめろぉぉッ!」


 ボラフの焦燥した制止の声とほぼ同時、銀閃が視界に乱舞した。


 瞬きするほどの間で剣閃が煌くと、ギロチンの葉はボトっと首を落とされるように畳に落ち、髪の毛の群れはパラパラと崩れて消える。


「せっかく気付かないフリをしてやっていたのに、どいつもこいつも愚かな。アナタがた、なにやら被害者意識が強いようですが、我々のルールに照らし合わせれば私は大分甘いと思うのですがね」

「アッ……アァ……ッ!」

「存在の格が上なのは誰だ? 誰が優先される? キッチリとカタをつけないと本当にそんなこともわからないのか?」

「ま、まってくれ……、カンベン、してくれ……」


 ボラフは腕を押さえ蹲ったまま額を畳みに擦りつける。

 先程まであった反抗心はもう失くなってしまっていた。


「それはどっちの意味だ? やりたくないから勘弁しろという意味か?」

「……やるッ! オレが、ちゃんとやるから……ッ! コイツらは許してやってくれ……、頼む……ッ」

「……明日が本当に最後のチャンスだ。魔法少女と戦い、そしてあのニンゲンの男を殺せ。失敗すればオマエらは皆殺しだ」

「わかった……ッ」


 最早断ることも、誤魔化すことも選択は出来ない。


「……わかりきったことですが、もう一度言います。近々アナタのお父上がこの現場に来ます。その時にプロジェクトの進捗が思わしくなければ、私が謝罪をすることになります。私の父に、王の一人である私の父に反抗的なアナタのお父上に、この私が。それがどういう意味を持つか、わかりますよね?」

「わかってるッ」

「現在のプロジェクト上、アナタのお父上は私の上司ということになってしまいます。仕事上仕方なのないことは飲み込みますが、しかし越えられない一線はある。集合知の分体である我々を集めて全知を敵に戦争がしたいか?」

「オレは……ッ! そんなつもりは、ねぇ……ッ!」

「でしたら行動で示しなさい。物事を穏便に滞りなく進める為に私はもう譲歩はし切った。これ以上は無く、この次は無い」

「わかった……、必ず、やる……ッ」

「ではそのように。明日、あのニンゲンか、アナタか。どちらかは必ず死ぬ。アナタがやらないのなら私がやります」

「…………」

「勘違いをしないことです。初めからアナタは何かを選べる立場にない。その力がないから許されていない」


 その言葉を最後に、部屋の中を支配していた圧倒的な存在感が消える。


 カーテンのない窓から差しこむ月明かりが照らすのは片腕を失ったボラフだけを照らした。


 悔しさを毒づく言葉はもう出てこなかった。
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