俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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1章 魔法少女とは出逢わない

1章47 -21グラムの重さ ⑫

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 ゆっくりとなった足音に紛れて、ぽつりと、白井が声を落とす。


「……不自然ね」


 弥堂は彼女へ顔を戻した。


「不自然?」

「えぇ。普段から人気者のように見えていた子が、実は陰では嫌われていた。そういう話はそんなに珍しくはないわ。でもそうだったとしても、今聞いたような露骨なギャップが出来るのはとても不自然よ」

「ギャップとは?」

「元々嫌いで、でも普段から頻繁に絡まなきゃいけない場合、どうしたってそういう素振りが見えるわよ。ちょっとした時に顔に出ちゃったりとか。波風立てないためにそれを隠そうと思ったら、距離をとって遠ざかるか遠ざけるようになるわよね? そうすると自然とその子を無視しているような形に変わっていくわ。その後、仲間内で最初はネタとして笑いものにしている内に段々とエスカレートしていって……、一般論だけどイジメになるパターンってこういうのが多いと思うわ」

「……だが今回の件はそれには該当しない」

「そうね」


 考えを整理しながら白井は先を続ける。


「やっぱりポイントになるのは希咲の存在よ」

「B咲さんだ」

「はいはい。B咲に気を遣ってAさんとも仲良く振舞っていたのなら、ほんの少しB咲がいなくなった途端に半ば無視し始める。直接頼まれていた子たちまで。そんなことはさっき貴方も言った通りありえないわ。だってすぐにB咲が帰ってくるのだもの」

「そうだな」

「万が一、それでAから事の次第がB咲に伝わってしまえば、半月後に学校で居場所を失うのはその子たちになる。そんなこと小・中って学校に行っていればどんな馬鹿にだってわかることよ。それにその馬鹿がもしも居たとしても、そいつを止める人が誰もいないというのはやっぱりおかしいわね」

「…………」

「仮にAさんが何も言わなかったとしても、それでB咲が帰ってきたら元通りだなんてことには絶対にならない。そういうのは一度態度に出してしまえばもう止まれなくなるのよ。絶対にクラスの空気がおかしくなるし、あの女は必ずそれに気付くわ」

「だろうな」

「だから、もしも意図的にこれをやっているのだとしたら、今私が言ったようなことを全てわかった上でやっているのだと思うわ」

「それは、どういうことが考えられる?」


 核心に迫りそうな話になり弥堂が足を止めると、白井も歩を止め弥堂の前に立ち止まった。


「考えられることはあるけど、これは可能性が低いと私は思っているわ」

「いい。聞かせろ。意図的とはどういう意味だ」

「……どんな意図かというと、希咲たちに対して全面的に敵対をするという目的ね。それしか考えられないわ」

「なるほど。嫌われているのはB咲の方、そういう話か」

「そうよ。でも、私はこれはありえないと思っているわ」

「それは何故だ」


 問うと、白井は苦虫を噛み潰したような顔になり、不服そうに話し出す。


「言いたくないのだけれど、あの女は上手くやっているわ……。あの子の場合、何をどうしても目立ってしまうから、だからそれを前提に色んなところをケアしてる」


 聞きながら、希咲が褒められたことで弥堂も苦虫を噛み潰したような気分になるが、彼は実際に苦虫を噛み潰した経験があり慣れていたので表情には出さなかった。


「……それでも鼻につくって感じる人は一定数いるでしょうけれど、あの子ああいう風に見えて威張り散らしたりしないし、目立たない子や大人しい子には優しく接するし、つまり非がないから表立って非難して悪者にできないのよ。多分素でやってるんじゃなくって計算も込みでやっているから、その分逆に破綻しづらいと思う」

「……随分あいつに詳しいな」

「ふふ、どこか粗を探して晒してやろうと思って以前に調べていたのよ。そうしたら今言ったようなことがわかって、私は余計にあの女が嫌いになったわ」

「……続きを」


 この話を深追いすると別件の事案が出てきてしまいそうだったので、効率のことを考え弥堂は話を修正した。


「そんな希咲に対して決定的なことをするというのは、紅月クンや蛭子クンにも敵対をすることを意味する」

「そうだろうな」

「私にはこれが無理筋だと見えてしまって、だから可能性が低いって言ったの」

「……? 待て、どうしてそうなる?」

「えぇと、わからない?」

「あぁ。詳しく話せ」

「……そうか。そうね。貴方は、貴方だけはそうかもしれない」

「どういう意味だ?」

「ごめんなさい。貶したわけではないの。周囲と関係性を持たない貴方は周囲に影響を受けることもない。だから想像しづらいのかって思ったの」

「よくわからないな」

「ちょっと待って、少し喋ることを整理させて」


 そういって白井は少し考えてから、話を再開する。


「ちょっと想像してみてちょうだい。貴方も希咲たちに敵対しようっていう彼らの一員だったとして」

「あぁ」

「希咲のいない隙にあの子の親友をイジメて、例えば不登校にしてしまって希咲を孤立させる」

「いい手だな」

「でも、それを成功させてみんなで希咲を無視したとして、同じクラスには希咲の仲間がまだ4人もいるのよ? これでは意味がないと思わない?」

「だが、それでも他の者の方が圧倒的に多いだろ。直接戦闘をしなければ圧倒的に有利なんじゃないのか?」

「それはそうね。でも、一歩クラスから出たらそうじゃなくなるでしょ?」

「どういうことだ」

「この学園、運動部の男子のヒエラルキーってサッカー部が一番強いわ。紅月クンはそのサッカー部で、先輩たちとも仲がいい。後は最近やたら増えている不良連中。彼らは蛭子クンと仲がいいし、そうでない派閥の人たちは恐れている」

「……そうか」

「えぇ。だからクラス内では多勢に無勢だったとしても、放課後や休日になってしまえばその多勢だった方が逆に居場所を失くす可能性が高いわ。今言った例は男子の方が該当しやすいけれど、女子も同じよ」

「それは何故だ」

「わかりやすい例で言うと、貴方のクラスの寝室 香奈ねむろ かな。彼女を想像するとわかりやすいんじゃない?」

「寝室……?」

「えぇ、あの子そこそこ可愛いし、そこそこ人気あるわよね?」

「そうなのか?」

「あっ……、えっと、その……、ごめんなさい……。そうなのよ……」


 普通に疑問を抱いただけだったのだが、何故か白井さんは気まずそうにし何処かこちらを気遣うような仕草を見せた。

 真意はわからないが、弥堂は屈辱を感じた。


「……その寝室だけど。あの子ってそこそこ可愛くて人気があって、そして態度がでかいじゃない? 物凄くワガママで。でもそれがそれなりに許されてる。それってどうしてかしら?」

「力のある男子生徒と仲がいいからだ」

「そういうことよ」


 意を得たりと白井は笑う。


「特に不良男子とつるんでいるわね。あの子が影響力をもてるのって、その不良たちの後ろ盾があるからなのよ。それがなければ誰もあの子のワガママなんて聞かないでしょ?」

「そうだな」

「他の不良じゃない普通の女子たちだってそうよ。可愛くて人気のある子は大抵近くに影響力のある男子を置いてる。明るくて顔が良くて人気のある男子って大抵同じような感じの男子とも仲がいいでしょ? こういうと打算的にしか聴こえないでしょうけど、普通に似た価値観の同じレベルの人たちで集まって楽しんでいたら、そのまま自然と大きなグループになってたってだけのことでしょうね」

「…………」

「で、そういう系の男子に希咲とその周囲をイジメたいんだけど……なんて言ったら『なに言ってんだこいつ』ってなるに決まってるわよね? 彼らって運動部同士だけじゃなくて他校とも繋がってるし不良とも上手くやってるわ。あっという間に学園中に『あの女やばい』って広まるわよ。そうしたら在学中に彼氏作るなんて出来なくなるでしょうね」

「それに何か問題があるのか?」

「ふふ、大問題よ。女子にとってはね」

「そうか」

「それに貴方のクラスには舞鶴や野崎さんがいるでしょ? 頭のいいあの子たちがそんなメリットのないことに加担するとは思えないわね」


 白井の話を聞きながら、頭の中で内容を反芻させるが今のところ反論の余地はない。


「だから、腹立だしいけれど、希咲の周辺って割と完璧な布陣なのよ」

「そういうものか」

「そもそもだけど、希咲に敵対をすることの動機って大抵は希咲のポジションに取って代わりたい。それがほとんどだと思うのよ」

「代わる?」

「要は紅月クン狙いってことね。だから希咲を遣りこめることに成功したとしても、それで紅月クンに嫌われてしまったら意味がないと思わない?」

「それは確かにな……」


 逆に紅月 聖人さえいなければ、希咲へ向く悪意も相当に数を減らせたのだろうなと考える。


「それでも、それらを加味した上で敵対するという線はないのか」

「……あるけど、それは考えたくないわね」

「どういうことだ」


 白井は突如深刻そうな表情に変わる。


「その場合は希咲じゃなくて紅月クンたちに敵対する目的になるわよね? でもさ、紅月クンたちって、すごく強いって噂じゃない? 紅月クン、蛭子クン、それと天津さん。この三人だけで街の不良チームや暴走族とケンカをしていくつか潰してしまったって中学の時から聞くし」

「…………」

「そんな彼らと面と向かって敵対するって、そんなのもう学園中や街中を巻き込んだ抗争みたいなものじゃない。漫画であるような不良たちの頂上決戦みたいな。そんなことが起きているなんて考えづらいし、考えたくもないわ」

「抗争……」


 それは弥堂にとっては思い当たることがないわけでもない話だった。

 しかし――


「――でも、私はこれは絶対に違うと思うわ」

「……何故だ?」


 即座に彼女からそれを否定される。


「考えてもみて? そういう泥沼の抗争って、小さな衝突からどんどん激化していって、最終的に大きな騒動になってしまったって、そういうものよね?」

「……そうかもな」

「今回の件に当て嵌めてみましょう。希咲に嫌がらせがしたくて、彼女の友達をイジメる。そうしたら紅月クンや蛭子クンが出てきて、相手方も強い先輩たちを連れてきて……、こういう話ならなくはないわよね?」

「そうだな」

「でも、逆よね? 希咲の友達にちょっかいかけることが、そのまま希咲たちへの宣戦布告になることがわかっている。だから、最初からそうする目的がない限りはそんなことはしない。こういう話をしていたわよね?」

「あぁ」

「でも弥堂クン。もしも全面戦争が最初から目的で、大きな騒ぎを起こすつもりだとしたら、こんな小さなことから始める必要ないわよね? だって正当性を得るための戦いではないんだもの」

「それは……、確かにそうだな」

「だから、そういった大きな流れではないと思うわ」

「…………」

「ふふ、どう? 私も中々デキるでしょう?」

「……そうだな。もしかしたら人間ではないのかもしれないと思っていたが、見縊っていたと認めよう」

「全然褒めていないけれど、まぁ、いいわ」


 素直に称賛をしたつもりだったが、何故か彼女からはジト目を向けられた。


 彼女の話に一定の納得は出来た。

 しかし、そうするとわからないことがある。


「それで、結論としてはどういうことなんだ」

「……それがわからないのよね」

「おい」


 ドヤ顔で賢いアピールをしてきた女が悩まし気に溜め息をつく。


「言ったでしょう? 不自然だって」

「あぁ」

「さっきああいう風には言ったけれど、全員でかかっていくっていうのは在り得ないにしても、個人的にどうしても希咲やそのAちゃんが嫌いで、それでつい態度に出てしまったとか、希咲の留守中にやってしまったっていうことなら理解は出来るの」

「お前がそうだからか?」

「ふふ、そうね。でも、そういうことではないのよね? 全員が疎らに段々と疎遠になっていって、特に後ろめたいとかそういう態度が誰にも見られない。そうよね?」

「あぁ」

「そういう演技が得意な人だったらわかるわ。でも全員がというのは絶対にありえない。それは多分貴方のほうが感じていることよね?」

「…………」

「だから不自然で腑に落ちな過ぎて、なんだか気持ち悪いわね……、この話……」


 本当に気分が悪そうに身を僅かに固めて彼女は視線を遊ばせる。


「でも、そうね……。今のは特定の誰かの話ではなく、一般論でシチュエーションを予測してみたから……。ねぇ? 弥堂クン」

「なんだ」

「その希咲の親友って誰のことなの? 天津さんではないわよね? 彼女も同行しているはずだし、あの人にそんなことしたらそのまま殺されそうだし……」

「…………」

「どうしたの? 私には教えられないの?」

「いや……」


 隠したところで同じクラス内に女子は13名、希咲自身とその仲間を除けば10名。先程の口ぶりだと寝室たちを知っているようなので残りの候補は8名。

 調べればすぐに調べられそうなことなので、隠す意味もないかと答えようとしたが、口を開く寸前に強い違和感を覚えた。


(どういうことだ……?)


 眼に力をこめて白井の姿をよく視る。


「どうしたの?」

「……お前、さっき希咲のことを調べたと言っていなかったか?」


 希咲と水無瀬は普段から人目も憚らず隙さえあれば其処彼処でイチャついている。見ればすぐにわかることだ。

 希咲の体操服やスクール水着が学校にないことを知っていて、希咲が普段からそれとなく行っている周囲への気配りや立ち回りを知っていて、それなのに――


――水無瀬 愛苗の存在を知らない。


(そんなことはありえない)


 先程までの彼女の話から得た納得感や、上書きした白井への人物評の一切を消し去る。

 そしてこの一瞬で彼女を敵と見做した。


「そうね。調べたわ。でもそれっぽい子に見当がつかないのよ」

(よく言うぜ)


 彼女自身の発言ではないが、先日彼女が所属する組織である『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』と揉めた際に、代表者である法廷院 擁護ほうていいん まもるが『希咲の大切な人』だのと言及していた。

 知らないはずがない。


「本人の為人がわかれば、もしかしたら原因に思い至るかもしれないわ。その子の名前を教えてちょうだい」

水無瀬 愛苗みなせ まなだ」


 発言に矛盾がみられたので怪しみ、白井を敵として認定した弥堂だったが、ここはあえて情報を開示した。

 知っていて惚けているのはほぼ確定なので隠したところで意味がないからだ。

 それよりも、自分が素直に教えることによってどういう反応を見せるのかが視たい。そのような判断だ。


 何かしらのわかりやすい行動をしてくれれば、こちらもわかりやすい行動をとれる。


 白井は聞いた名前に該当する人物を思い浮かべようとする――フリをしている。


 そして――


「――水無瀬さんね……、知らない子だわ」


 そう答えた。

 その返答は弥堂にとってあまり面白いものではなかった。


「本当にそうか? よく思い出してみろ。本当にその返答でいいのか?」

「……? どういう意味? せっかく教えてもらったのに申し訳ないけれど、私の知らない子よ。間違いないわ」

「…………」


 重ねて惚けることにしたようだ。

 だが、その白井に弥堂はまた新たな違和感を感じる。


「というか歩きながら話しましょう。次の授業まであまりゆっくりしている余裕はないわ」

「……あぁ」


 自分の前を歩き出した彼女に続く。


(なんだ……? なにがおかしい……?)


 正体不明の違和感、だがどこか覚えのあるようなそれに囚われ、弥堂自身も白井に対する態度を曖昧なままにしてしまった。

 何か質問を投げかけて掴みどころを得ようと考えるが、それよりも先に白井が口を開く。


「そんなことよりも弥堂クン。さっきの話のことだけれど……」

「……なんだ」

「気のせい、ということはないかしら?」

「なんだと」


 ここまでしてきた話の全てを引っ繰り返すような彼女の言葉に思わず耳を疑うと、白井が首だけ振り返る。

 その彼女の顔を、目を、表情を見て、俄かに肌が粟立つ。


「よく考えたらそんな不自然なことが起きるわけがないし、考えすぎかもしれないわよ」

「…………」


 彼女の顔に何か目立ったものはない。

 嘘を吐いていることの後ろめたさもなければ、隠し立て企てる悪意も見られない。

 ただ、先程まで興味関心を持ってこの話について考えていた熱のようなものも失われていた。


 そして、そのことによって、この違和感の正体がはっきりした。


 これは同じものだ。

 今現在、弥堂の所属する2年B組で起きていることと。


 急いでつい何秒か前の記憶を記録から引っ張り出す。


(どこだ……、どのタイミングで変わった……?)


 急速でリフレインされた過去の映像から読み取ると、それは水無瀬の名前を出した時点がそれだったように思える。


 もしも仮に――


 先程『水無瀬 愛苗を知らない』と言った白井の言葉が嘘でないのだとしたら。

 どうしてそうなるのかという原理を解明することをとりあえず除外した場合、現在起きていることは『水無瀬 愛苗に対して周囲の関心が失われていく』という現象だ。


 仮にそれが正しいとして――


(水無瀬を知ったから関心が薄れた……?)


 もしかしたら、元々知っていたが既に白井にも同じ事態が起きていたのかもしれない。

 彼女の場合、B組の生徒たちと違って水無瀬本人と顔を合わせるわけではない。

 一度関心が薄れてそれで意識の外へ出て行ってしまえば、その場合に通常人はそのことについて――


(――忘れる……?)


 どうすればそんな現象が起きるのかはわからないが、現状この思いつきが一番しっくりときた。

 それは原因を解明することを諦めさえすれば、それで間違いがないという確信となる。


 そんなことはありえない、非現実的だと言ったところで、目の前で実際に起きている現象を超える事実性を持った論理には為り得ない。


 そんなものに、出来事に、現象に、つい最近出遭ったばかりだ。


 そう――


(――魔法少女のように)


 ありえないモノに既に出会っていて、それならありえないことが起きても不思議はない。

 現実に起こってしまう出来事たちは、弥堂如きの理解や納得など必要としていないのだ。


「どうしたの? 怒ったの?」

「いや」

「もしも何かがあるとしても、多分希咲と仲がいいからって調子にのるなって釘を刺しているとか、そんなところだと思うわよ」

「キミの言う通りだ」


 こうなってしまった以上、もはや彼女の話には聞く価値がないだろう。

 弥堂は自動応答に切り替えた。


 そして考える。


「今は軽く無視されてるくらいだったかしら? きっとそれ以上のことにはならないと思うわ」

「そうだな」


 とりあえず原因を考えることは止める。

 これはもう通常の事態ではない。まるで魔法のような理不尽で不可解な物事であると考えることにする。

 なにせ魔法少女に関わることだ。


「もしも希咲が帰ってきて元通りになるようだったら、今言ったことで間違いがないと思うわ」

「キミは素晴らしいな」


 そしてもう自分が関わるべきでないことなのかもしれないと考える。

 既に希咲から依頼をされたことの範疇を超えたように思えるし、依頼を続行するにしても弥堂にはどうにも出来ないことなのだとしたら、何かをするだけ時間の無駄だと思える。


 もしも水無瀬が直接誰かになにかをされるのなら、それは風紀委員として対処のしようもある。

 しかし、余人に関心を払われなくなる。興味を失われ、記憶から忘れられる。

 そんな事態の中で普通の高校生に出来ることなど何一つない。

 それでも何かをしようとしなければならないのだろうか。

 それはわからない。


 自分のような存在に出来ることなど――


「――ところで弥堂クン。紅月クン拉致計画の件は覚えているのかしら?」

「あぁ」

「もちろん実行に移すのよね?」

「キミの言う通りだ」

「彼らが旅行から帰ってきてからという話だったわね?」

「そうだな」

「それならちょうどいいわ。G.W明けてからの一週間。そこが私の生殖機能が最大ポテンシャルを叩きだせる期間よ」

「キミは素晴らしいな」


 弥堂のオートモードは今回も順調に地雷を踏み抜いていた。

 それが時限式でいつか大爆発を起こすことを知らずに思考に没頭していると――


『――2年B組の弥堂 優輝くん。大至急生徒会長室まで来てください。繰り返します――』


 学園内放送で呼び出しがかかる。


「あら? 呼び出し? 何かしたの?」

「さぁな」

「貴方の場合、心当たりが多すぎて見当がつかなさそうね」

「かもな。では、な」


 今はそういう気分ではないので呼び出しに応じるつもりはなかったが、この場を辞するには丁度いい口実が出来たと弥堂は歩調を速める。


「あ、待ってちょうだい」

「なんだ?」


 足は止めずに背後の白井との距離を広げながら返答する。


「計画の為に連絡を密にするべきだわ。IDを教えてちょうだい」

「計画……? あぁ……、それは仲介人を通してくれ」

「仲介人……? 誰よそれ」

「希咲だ。その為にキミと連絡先を交換させたんだ」

「は? なによそれ。気に入らないわね」


 背後からの声があからさまに不機嫌そうなものに変わったが、弥堂はもう彼女に関心がなかったので構わずに進んでいく。

 そうした自分を顧みると、現在水無瀬に起きていることも別にあり得ないというほどのことではないのかもしれないと、心中で皮肉げに嘯いた。


「ねぇ、弥堂クン。今日はここまでこんなに甲斐甲斐しくサポートをしたのだから――」

「――報酬についても仲介人に交渉してくれ」

「もう、ツレないのね。まぁ、呼び出しが入っていることだし、今日は勘弁してあげるわ」

「キミは素晴らしいな」


 優先権は理事長や生徒会長にあるという分別は一応持っているらしいと、分別を一切持たない男は一定の満足感を得た。


「ちょっとだけ止まって。最後にこれだけ」

「……なんだ?」


 面倒だと感じたが、このままいつまでも着いてこられると生徒会長閣下の呼び出しに応じなければならなくなるため弥堂は足を一時止めた。


「はいこれ。あげるわ」

「なんだこれは?」


 彼女が差し出してきたものを怪訝な眼で視る。

 ビニール製の小さな四角いパックのようなもの。

 最近似たようなものを華蓮さんに渡されたと思い出す。


「……避妊具か?」

「ふふ、貴方でもそんな冗談を言うのね。違うわ。そんなものなくても私は――」

「――失礼する」

「冗談よ! ハンドソープよ。試供品だけれど」


 何かにつけてナマでさせようとする女は危険だと華蓮さんが言っていたので即座に離脱を図ろうとしたが失敗した。

 手首を掴まれそのままそれを手渡される。


「ハンドソープ?」

「えぇ」

「何故こんなものを?」


 渡される覚えはないと問うと、彼女は表情を曇らせ言いづらそうに切り出した。


「……こんなこと言いたくないのだけれど……、手を洗った方がいいわ……」

「……?」

「……血って、汚いから……」

「あぁ」


 ようやく彼女の言わんとしていることに思い至る。

 死骸を運んだ際の血の汚れが手についたままであった。


「そのままで行ったら生徒会の人に引かれてしまうわよ」

「それもそうだな」

「……おかしな話よね。“いいこと”をしたはずなのにね……」

「別に。“いいこと”をしたから“いい人”だというわけではないからな。そういうものだ」

「どういう意味……?」

「さぁな。もう行く」


 今度こそ彼女を振り切って歩き出す。

 白井はもう追っては来なかった。


 これ以上は着いては来ないだろうとは思ったが、また絡まれては面倒なので校舎まで辿り着くと適当に角を何度か曲がって入り組んだ方へと進む。

 そして部室棟から外れ体育館裏の方へ向かった。


 特に何事もなくそこへ到着し、水場の前に立つ。


 先程埋葬してきた猫に、先日食い物を与えた場所だ。


 蛇口を捻って水を出す。


 白井から貰った試供品のハンドソープはその辺に放り捨て、手を流れる水に浸す。


 赤黒く汚れた自分の手は、この状態の方が常のことのように見えてしまう。


 透明な水ごしにその手を見下ろし、手と手を擦り合わせる。



 血は汚れている。


 人は身の裡からその穢れを全て流し切れば、神に迎え入れられ現世で犯した罪の数々を赦される。


 それは身の裡に穢れを溜め込まねば生きてすらいられないということにもなる。


 ならばやはり、生きていることはそれ自体が罪悪なのだ。


 血は汚れている。


 よく知っている。


 どれだけ洗おうとも、この罪も、穢れも、決して落ちることはない。


 記憶の中に記録されている通り、消えることはない。


 生きている限りは。

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