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1章 魔法少女とは出逢わない
1章47 -21グラムの重さ ①
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昼休み。
弥堂 優輝は学園の中庭に来ていた。
この中庭は美景台学園の敷地のほぼ中心点にあり、ここには教職員たちの詰めている職員室・事務室や、購買部に食堂などが入っている事務棟がある。
この中庭を囲むように生徒達の教室がある校舎がいくつか建っているのだが、それらの建物は二階建てとなっており、学園敷地内で唯一この事務棟だけが五階建ての高い建物となっている。
そして最上階の上には学園全体に音が響き渡るような巨大な鐘と時計がついており、その為この事務棟は学園内の者からは時計塔と呼ばれることが多い。
中庭の南側校舎を抜けた先には正門があり、北側に抜けていくと校庭やテニスコート・サッカーコートなどが設置されいる。
弥堂は現在この中庭の西側、部室棟の校舎近くの木の下にしゃがみこみ、必要な作業をしている。
早朝に行っていた作業の続きでもあり、今後必要になるであろうと思われる物の仕込みだ。
専門的な知識や技術が必要になるような難しい作業ではないので、考え事をしながらでも滞りなく進められる。
ちなみに専門的なそれらが必要になる作業は全てY’sに無茶ぶり済みだ。出来ればこちらが指示した作業予定地で張り込みをして、奴の正体を特定したいところではあるが、今回の作業は緊急性も高めで時間もない。自分の仕事を終えた上で余裕が残れば、といった優先順位になるだろう。
それはともかく、今ここで考えを巡らせていたのは、クラスメイトの水無瀬 愛苗のことについてである。
結局HRが終わって以降も水無瀬と他のクラスメイトたちの様子は変わらなかったし、戻ることもなかった。
そこの点は昨日と比べて変わったことと謂えるかもしれない。
休み時間になっても、希咲 七海から水無瀬のことを頼まれていたはずの野崎 楓を始めとする4名の女子たちは水無瀬の元を訪れることはなく、それは昼休みになっても同様だった。
ただ、ここでやはり異様に映るのは、そこに水無瀬を無視しようとするような意思や悪意が視えないことだ。
まるで希咲との約束なんてもの自体が最初からなかったかのように、彼女たちの振舞いは普段通りで普通のものだった。
希咲が旅行に出掛ける前の元々は、彼女たち4人は希咲や水無瀬とは別行動していることの方が普通で、先程教室で視た野崎さんたちの談笑する声・仕草・笑顔はその普段どおりのものと殆ど差異の無いものであると、弥堂にはそのように視えた。
わかりやすく異様な光景であり、現象ではあるが、その分こちらもわかりやすい対応をとりやすい。
出来れば彼女ら4名に個別に聴取を行いたいところではある。
しかし、これに関してもY’sの件同様に今は折り合い悪く、今日はそれよりも優先しなければならない作業があったため断念せざるをえなかった。
依頼を受けた希咲 七海よりも命令をされた郭宮 京子生徒会長の方が優先され、さらにその生徒会長閣下よりも廻夜朝次部長が優先される。
これは不文律だ。
プラスチック製のボトルからキャップを外し、内容液を二枚重ねの半透明ビニール袋の中へ注ぐ。
このビニール袋は元々このボトルなどを入れて、ここに運んでくるために使っていたものだ。
中身が零れないよう袋の口を強く縛り、持ち手の輪に頭上の木の枝から垂れさがるビニール紐を通す。
スルスルと紐を引っ張ってビニール袋を枝の高さまで上げたところで止める。
そして余った手元の紐を木の幹に巻き付けて固く縛り固定した。
作業が一段落したところで思考を戻すと、ふと水無瀬の顏が浮かぶ。
ここに来る前に教室を出る時に見た彼女の顏。
縋るような瞳。
身の置き所のないような、行き場のないような、迷い子のような様子で。
どこかで見た覚えのある、記憶にあるような、そんな瞳を向けられた。
今日の彼女は昨日の疲労から早起きをすることが出来なかったようで、ここ数日続いていた弥堂へ弁当を作ってくるという作業が出来なかったようだ。
「本当にごめんね」と、頼まれたわけでも義務付けられていたものでもないのに、真剣に謝られた。
弥堂としてはそれはむしろ好都合なことで、そしてその弁当がないからこそ、何も用事がなければ今日くらいは彼女の昼食に付き合ってやっても支障はなかったのだが、三度になるが廻り合い悪く、他に優先する作業があったのでそれはしなかった。
それを告げた時の彼女の顏が、今思い出した彼女の顏だ。
折り曲げた人差し指と中指の第二関節部分で目の前の太い木の幹をコンコンと叩きながら、その手を左から右へ移動させていく。
すると、ある箇所で軽く抜けるような中身のない音が鳴る。
弥堂は左右へ一度目線を振ってから、慎重にその箇所を動かす。
そうすると、明らかに人為的なものだとわかる四角い切り口で、木の幹の一部分が蓋のように外れた。
その中から取り出したのは加圧式のウォーターガンだ。
先程とは別のボトルからその中身を空っぽのウォーターガンへと注ぎ装填する。
注ぎ終えるとキャップを閉めたボトルを足元に置く。
それからシームレスに木の幹を蹴って跳び上がり、先程ビニール袋をぶら下げた太めの枝まで昇った。
地面に置かれたボトルには塩素系の漂白剤であることを示す文言が記されている。
引き千切りやすい細い紐で枝にウォーターガンを縛り付けてから飛び降りる。
中身の残ったボトル類を木の幹の中へ仕舞い再び蓋を閉めた。
そして今度は20ℓサイズの赤いポリタンクを持って再び木に昇る。
中身を揺らさないようゆっくりと枝まで移動し、こちらは簡単には外れないようにしっかりと縛る作業を開始する。
そもそもの話、別に飯を食うというだけの行動に、誰かと一緒でなければならないなどという決まりなどないのだと、思考を再開する。
要介護者ということであれば話は別だが、そうでもなければたかが食事などという煩わしい作業を熟すのにいちいち他人など必要ない。
だから一人で食事をすることに惨めさや寂しさを感じる必要もなく、だから気おくれする必要もなければ恥じる必要もない。
だから――水無瀬 愛苗はあのような顔をする必要もない。
だから――弥堂 優輝が特別に何かをしてやる必要もない。
だから――彼女のあんな顔に特別何かを感じる必要もない。
今ここで彼女の情けない顏を思い出したのも、特別印象に残っていたからなどではない。
一度見聞きしたものは全て記憶の中に勝手に記録され、そして弥堂はその情報を正確に引き出すことが出来る。
その出来事や人物や情景に何か思い入れがあろうがなかろうが、全ての事が同然に平等に只の一つの情報として処理がされる。
彼女に纏わる出来事を考察していたから、直近の彼女の姿が想起されただけのことに過ぎない。
だからこの出来事にも人物にも、特に何も思い入れも感慨もない。
もしもそういった、なにか感じ入るものがあるとしたら、現在の水無瀬の様を見た際の希咲の顏を見た時だろう。
気に食わないあの女がどんな顔をするのか、それを想像すると『いい気味だ』と、『ざまあみろ』と、そんな胸のすくようなものを感じる。
ポリタンクに紐を巻き付ける手が止まる。作業はまだ途中だ。
(本当に、そうか……?)
再び手を動かしつつ、眉を寄せて自身の考えに疑問を持つ。
実際にその光景を想像してみたが特にそういった感情は一切湧かない。
自分はあのムカつく女が嫌いなはずなので、そうならなければおかしいはずだ。
だが、実際にそうはなっておらず、それどころか――
(――ムカつくぜ……、気分が悪い)
何を信じようと何を願おうと何を思い込もうと。
目の前で起こっている現象との差異の前には、それらは全てが妄想に過ぎない。
目の前で起こっている現象以上に説得力を持ったデータも理屈も存在しない。
弥堂はそういう考えを持つことにしている。
だから、このことについてこれ以上考えることはやめる。
目の前の現象を認めなければならなくなるからだ。
(それに――)
自分は感情も感動も希薄で、それは年々悪化している。
だからそれだけのことに過ぎないと、そういうことにした。
そうであるはずのことがそうでないのは気分が悪い。
それだけだ。
弥堂はそのように結論づけた。
ポリタンクに紐を巻き付ける手が止まる。作業はもう終了だ。
終わったなら次の行動に移らなければならず、終わったから次の行動へ移るべきだ。
紐を縛り付け枝から地面に飛び降りる。
周囲を見渡す。
ここへ持ってきた物はもう見える範囲には残っていない。
足で土を数回払って足跡を消す。
そして次の目的地へと向かった。
時計塔の壁を右手にして校庭の方へ歩いていく。
時計塔と校庭を接続する中庭の北側の出口はちょっとした広場になっている。
学園の東門は来客用の出入り口となっており、そちら側からここまでが、中庭と校庭の間にある道で繋がっている。
なので、この時計塔の北側の出入り口とこの広場が、来客にとっての玄関口となっている。
その広場内、時計塔の建物の入口から少し離れた無駄に開けた場所には作者不明のオブジェがある。
円錐のオブジェ。
少し光沢のある黒い石を細長い円錐にしただけで創作物だと言い張っている代物で、台座を含めすぐ近くにある時計塔の一階半分くらいの無駄な高さがある。
視線を少し上げてその円錐の鋭利な先端に視点を合わせ、不快感で眉を顰めた。
芸術を解するだけの心の余裕を持たない弥堂のような野蛮な者には、こういった建造物の存在自体が鼻につき、そして許し難い。
無駄に広いスペースに無駄に金をかけて作らせ、さらに維持費もかかる。
特に装飾も何もなく、黒一色の大きいだけの円錐。
尖ってさえいればそれでいいという、そんな軽薄な芸術性と浅薄な思想を感じる。
きっとこれをデザインした者は拗らせたフリをして奇才を気取るだけの、ケツからクソを排泄するだけでは気の済まない傲慢なクソッタレ野郎に違いないと決めつける。
(いらねえだろこんなもん。駐車場を作れ駐車場を)
台座に乗ってガンっと円錐に蹴りを入れる。
あくまでも強度の確認であり、安全上必要な行為だ。
しかし、それが理解出来ない愚かな民衆はサッと散って居なくなっていく。
フンっと、満足げに、或いはつまらなさそうに鼻を鳴らす。
強度については中々のものだと評価した。
来客の多いイベントごとが学園で催される際には駐車スペースが足りなくなることが稀にある。昨年度の文化祭や球技大会の時などに、それで困っている保護者の方々の対応をしたことは記憶に新しい。
どこぞの馬の骨の自己顕示欲よりも大事な金ヅルどもの満足感を満たしてやるべきだと、善良且つ忠実な風紀委員である弥堂は考える。
(――だが待てよ)
一つ思いつく。
むしろ駐車スペースを減らすべきなのでは――
「――あら? 弥堂クンじゃない」
「……」
(――だが待てよ)
再度思いつきなおす。
むしろ駐車スペースを減らすべきなのではと。
これはビジネスチャンスだ。
イベントが開催される時にわざと来客の車が溢れるようにして、それらを全て有料駐車場に誘導すれば荒稼ぎが出来る。だが――
「こんな場所で出遭うなんて奇遇ね」
(そうだな……)
臨時のコインパーキングを設立するのがいいだろう。
駐車が出来ずに困っている者から車を預かり勝手にコインパーキングに停めてしまえばいい。
ただの有料の駐車スペースにした方がコストはかからないが、客の車を質にとらなければ逃げられて終わりだ。
それに必ずクレームを付けられることが予想される。しかし、クレームを聞く者が誰もいなければ問題はない。
コインパーキングならば金を払わなければ車を出すことは出来ないので、一度駐車してしまいさえすればこちらのものだ。
料金は泣き寝入りしやすい少額に設定をするべきだろうか――
「初めてね、昼休みに会うのは。ここいらにはよく来るのかしら?」
(そうでもないな……)
30分5000円くらいが適正だと考える。
どうせ通報されるだろうし一回こっきりのビジネスになるだろう。
ならば絞れるだけ絞るべきだ。コインパーキングではあるが支払いは札束で願うことに決める。
出来ればクレジットカードを使用できるようにもしたいが――
「私はいつも昼休みをどう過ごしていると思う? 当ててみせてちょうだい」
(それは難しいな……)
足がつく可能性が高い。電子の痕跡を残すのは避けたい。
やはり現金だけかっぱいでバックレるのが無難だろう。しかし――
「ふふっ。そうよね、難しいわよね。そんなことよりも、こんな所で立ち尽くして一体どうしたのかしら? 何か困りごとでも?」
(そう。問題もある)
設営と撤去の工事のスピード、それと場所だ。
まず場所だが、学園内の裏山を使うのが手っ取り早いが、それだと学園の関与を疑われる。
次点で敷地外周辺の土手だ。そこがいいだろう。しかしあそこは市の所有する土地だ。そこに勝手に駐車場を作ってバレない内に即日撤去するには圧倒的なスピードが求められる。
そこで次に工事の問題だ。
イベント前日の夜に突貫で仕上げ、イベント後のその日の夜には撤収しなければならない。
だが業者には当てがあるしどうにかなるだろう。
「もしかしてSNS用にそこのオブジェでも撮影していたのかしら? なかなか映えるって人気よね。あら、でも、それにはスマホを持っていないわね……?」
(そうだな……)
当日は検問も行って来客からスマホを奪っておくべきだろう。
今年から撮影禁止になったので一時的に預かると騙し、そのまま捨ててしまえばいい。
次に『よいこのスタンプカード』が埋まった時には、一般開放をするイベントでは撮影禁止のルールを追加するように進言しようと決める。
望外に降って湧いた儲け話に弥堂は口の端を僅かに持ち上げる。
弥堂が所属する部活動の偉大な部長である廻夜朝次は文化祭も体育祭もイベントは全てクソッタレだと以前に仰っていたが、これならば50人ほどをハメてやれば一日に100万円~200万円もの収益も見込めるだろう。
ちょうど今度設立予定の裁判所によって多くのクズどもを地下牢送りにする予定だ。そいつらに強制労働をさせれば人件費は実質無料だ。
非常に収益性の高いビジネスであると云える。
廻夜部長にとってもサバイバル部にとってもこれは間違いなく――
「なぁに? ずっと黙ったままで。寡黙なのね。嫌いじゃないわ。それとも意外な場所で出逢ってしまって緊張でもしているのかしら? 私? 私は今、とてもドキドキしているわ……。もしかして貴方も……」
(喜ばしい)
再びオブジェを見上げる。
なるほど、と納得を得る。
こんなどうしようもないゴミでも役立てることも出来るのかと考えを改めた。
もしかしたら学園の優秀な支配者たる郭宮生徒会長閣下は、こういったビジネスの展開も視野に入れた上でこのゴミをここに置いたのかもしれない。
そんなことを思いつく。
ならば自分はその意図を汲んで、期間限定の駐車場ビジネスを実行するべきだろう。
しかし、このオブジェがゴミであることには変わりはない。
このスペースを埋めるだけの物であれば別に何でもよく、たまたまこれが使われただけのことで、ここに置かれた瞬間に用済みになったことになる。
だが――
(ここに在る以上は学園の役に立ってもらう。俺が有効活用してやる……)
罪人を串刺しにする為の不吉な針か棘のように見える黒の先端を睨みつけ、胸中でそう話を締めた。
そして――
目線を下げて、ここでようやく対面でモジモジと動く不気味なオブジェをジロリと見下した。
弥堂 優輝は学園の中庭に来ていた。
この中庭は美景台学園の敷地のほぼ中心点にあり、ここには教職員たちの詰めている職員室・事務室や、購買部に食堂などが入っている事務棟がある。
この中庭を囲むように生徒達の教室がある校舎がいくつか建っているのだが、それらの建物は二階建てとなっており、学園敷地内で唯一この事務棟だけが五階建ての高い建物となっている。
そして最上階の上には学園全体に音が響き渡るような巨大な鐘と時計がついており、その為この事務棟は学園内の者からは時計塔と呼ばれることが多い。
中庭の南側校舎を抜けた先には正門があり、北側に抜けていくと校庭やテニスコート・サッカーコートなどが設置されいる。
弥堂は現在この中庭の西側、部室棟の校舎近くの木の下にしゃがみこみ、必要な作業をしている。
早朝に行っていた作業の続きでもあり、今後必要になるであろうと思われる物の仕込みだ。
専門的な知識や技術が必要になるような難しい作業ではないので、考え事をしながらでも滞りなく進められる。
ちなみに専門的なそれらが必要になる作業は全てY’sに無茶ぶり済みだ。出来ればこちらが指示した作業予定地で張り込みをして、奴の正体を特定したいところではあるが、今回の作業は緊急性も高めで時間もない。自分の仕事を終えた上で余裕が残れば、といった優先順位になるだろう。
それはともかく、今ここで考えを巡らせていたのは、クラスメイトの水無瀬 愛苗のことについてである。
結局HRが終わって以降も水無瀬と他のクラスメイトたちの様子は変わらなかったし、戻ることもなかった。
そこの点は昨日と比べて変わったことと謂えるかもしれない。
休み時間になっても、希咲 七海から水無瀬のことを頼まれていたはずの野崎 楓を始めとする4名の女子たちは水無瀬の元を訪れることはなく、それは昼休みになっても同様だった。
ただ、ここでやはり異様に映るのは、そこに水無瀬を無視しようとするような意思や悪意が視えないことだ。
まるで希咲との約束なんてもの自体が最初からなかったかのように、彼女たちの振舞いは普段通りで普通のものだった。
希咲が旅行に出掛ける前の元々は、彼女たち4人は希咲や水無瀬とは別行動していることの方が普通で、先程教室で視た野崎さんたちの談笑する声・仕草・笑顔はその普段どおりのものと殆ど差異の無いものであると、弥堂にはそのように視えた。
わかりやすく異様な光景であり、現象ではあるが、その分こちらもわかりやすい対応をとりやすい。
出来れば彼女ら4名に個別に聴取を行いたいところではある。
しかし、これに関してもY’sの件同様に今は折り合い悪く、今日はそれよりも優先しなければならない作業があったため断念せざるをえなかった。
依頼を受けた希咲 七海よりも命令をされた郭宮 京子生徒会長の方が優先され、さらにその生徒会長閣下よりも廻夜朝次部長が優先される。
これは不文律だ。
プラスチック製のボトルからキャップを外し、内容液を二枚重ねの半透明ビニール袋の中へ注ぐ。
このビニール袋は元々このボトルなどを入れて、ここに運んでくるために使っていたものだ。
中身が零れないよう袋の口を強く縛り、持ち手の輪に頭上の木の枝から垂れさがるビニール紐を通す。
スルスルと紐を引っ張ってビニール袋を枝の高さまで上げたところで止める。
そして余った手元の紐を木の幹に巻き付けて固く縛り固定した。
作業が一段落したところで思考を戻すと、ふと水無瀬の顏が浮かぶ。
ここに来る前に教室を出る時に見た彼女の顏。
縋るような瞳。
身の置き所のないような、行き場のないような、迷い子のような様子で。
どこかで見た覚えのある、記憶にあるような、そんな瞳を向けられた。
今日の彼女は昨日の疲労から早起きをすることが出来なかったようで、ここ数日続いていた弥堂へ弁当を作ってくるという作業が出来なかったようだ。
「本当にごめんね」と、頼まれたわけでも義務付けられていたものでもないのに、真剣に謝られた。
弥堂としてはそれはむしろ好都合なことで、そしてその弁当がないからこそ、何も用事がなければ今日くらいは彼女の昼食に付き合ってやっても支障はなかったのだが、三度になるが廻り合い悪く、他に優先する作業があったのでそれはしなかった。
それを告げた時の彼女の顏が、今思い出した彼女の顏だ。
折り曲げた人差し指と中指の第二関節部分で目の前の太い木の幹をコンコンと叩きながら、その手を左から右へ移動させていく。
すると、ある箇所で軽く抜けるような中身のない音が鳴る。
弥堂は左右へ一度目線を振ってから、慎重にその箇所を動かす。
そうすると、明らかに人為的なものだとわかる四角い切り口で、木の幹の一部分が蓋のように外れた。
その中から取り出したのは加圧式のウォーターガンだ。
先程とは別のボトルからその中身を空っぽのウォーターガンへと注ぎ装填する。
注ぎ終えるとキャップを閉めたボトルを足元に置く。
それからシームレスに木の幹を蹴って跳び上がり、先程ビニール袋をぶら下げた太めの枝まで昇った。
地面に置かれたボトルには塩素系の漂白剤であることを示す文言が記されている。
引き千切りやすい細い紐で枝にウォーターガンを縛り付けてから飛び降りる。
中身の残ったボトル類を木の幹の中へ仕舞い再び蓋を閉めた。
そして今度は20ℓサイズの赤いポリタンクを持って再び木に昇る。
中身を揺らさないようゆっくりと枝まで移動し、こちらは簡単には外れないようにしっかりと縛る作業を開始する。
そもそもの話、別に飯を食うというだけの行動に、誰かと一緒でなければならないなどという決まりなどないのだと、思考を再開する。
要介護者ということであれば話は別だが、そうでもなければたかが食事などという煩わしい作業を熟すのにいちいち他人など必要ない。
だから一人で食事をすることに惨めさや寂しさを感じる必要もなく、だから気おくれする必要もなければ恥じる必要もない。
だから――水無瀬 愛苗はあのような顔をする必要もない。
だから――弥堂 優輝が特別に何かをしてやる必要もない。
だから――彼女のあんな顔に特別何かを感じる必要もない。
今ここで彼女の情けない顏を思い出したのも、特別印象に残っていたからなどではない。
一度見聞きしたものは全て記憶の中に勝手に記録され、そして弥堂はその情報を正確に引き出すことが出来る。
その出来事や人物や情景に何か思い入れがあろうがなかろうが、全ての事が同然に平等に只の一つの情報として処理がされる。
彼女に纏わる出来事を考察していたから、直近の彼女の姿が想起されただけのことに過ぎない。
だからこの出来事にも人物にも、特に何も思い入れも感慨もない。
もしもそういった、なにか感じ入るものがあるとしたら、現在の水無瀬の様を見た際の希咲の顏を見た時だろう。
気に食わないあの女がどんな顔をするのか、それを想像すると『いい気味だ』と、『ざまあみろ』と、そんな胸のすくようなものを感じる。
ポリタンクに紐を巻き付ける手が止まる。作業はまだ途中だ。
(本当に、そうか……?)
再び手を動かしつつ、眉を寄せて自身の考えに疑問を持つ。
実際にその光景を想像してみたが特にそういった感情は一切湧かない。
自分はあのムカつく女が嫌いなはずなので、そうならなければおかしいはずだ。
だが、実際にそうはなっておらず、それどころか――
(――ムカつくぜ……、気分が悪い)
何を信じようと何を願おうと何を思い込もうと。
目の前で起こっている現象との差異の前には、それらは全てが妄想に過ぎない。
目の前で起こっている現象以上に説得力を持ったデータも理屈も存在しない。
弥堂はそういう考えを持つことにしている。
だから、このことについてこれ以上考えることはやめる。
目の前の現象を認めなければならなくなるからだ。
(それに――)
自分は感情も感動も希薄で、それは年々悪化している。
だからそれだけのことに過ぎないと、そういうことにした。
そうであるはずのことがそうでないのは気分が悪い。
それだけだ。
弥堂はそのように結論づけた。
ポリタンクに紐を巻き付ける手が止まる。作業はもう終了だ。
終わったなら次の行動に移らなければならず、終わったから次の行動へ移るべきだ。
紐を縛り付け枝から地面に飛び降りる。
周囲を見渡す。
ここへ持ってきた物はもう見える範囲には残っていない。
足で土を数回払って足跡を消す。
そして次の目的地へと向かった。
時計塔の壁を右手にして校庭の方へ歩いていく。
時計塔と校庭を接続する中庭の北側の出口はちょっとした広場になっている。
学園の東門は来客用の出入り口となっており、そちら側からここまでが、中庭と校庭の間にある道で繋がっている。
なので、この時計塔の北側の出入り口とこの広場が、来客にとっての玄関口となっている。
その広場内、時計塔の建物の入口から少し離れた無駄に開けた場所には作者不明のオブジェがある。
円錐のオブジェ。
少し光沢のある黒い石を細長い円錐にしただけで創作物だと言い張っている代物で、台座を含めすぐ近くにある時計塔の一階半分くらいの無駄な高さがある。
視線を少し上げてその円錐の鋭利な先端に視点を合わせ、不快感で眉を顰めた。
芸術を解するだけの心の余裕を持たない弥堂のような野蛮な者には、こういった建造物の存在自体が鼻につき、そして許し難い。
無駄に広いスペースに無駄に金をかけて作らせ、さらに維持費もかかる。
特に装飾も何もなく、黒一色の大きいだけの円錐。
尖ってさえいればそれでいいという、そんな軽薄な芸術性と浅薄な思想を感じる。
きっとこれをデザインした者は拗らせたフリをして奇才を気取るだけの、ケツからクソを排泄するだけでは気の済まない傲慢なクソッタレ野郎に違いないと決めつける。
(いらねえだろこんなもん。駐車場を作れ駐車場を)
台座に乗ってガンっと円錐に蹴りを入れる。
あくまでも強度の確認であり、安全上必要な行為だ。
しかし、それが理解出来ない愚かな民衆はサッと散って居なくなっていく。
フンっと、満足げに、或いはつまらなさそうに鼻を鳴らす。
強度については中々のものだと評価した。
来客の多いイベントごとが学園で催される際には駐車スペースが足りなくなることが稀にある。昨年度の文化祭や球技大会の時などに、それで困っている保護者の方々の対応をしたことは記憶に新しい。
どこぞの馬の骨の自己顕示欲よりも大事な金ヅルどもの満足感を満たしてやるべきだと、善良且つ忠実な風紀委員である弥堂は考える。
(――だが待てよ)
一つ思いつく。
むしろ駐車スペースを減らすべきなのでは――
「――あら? 弥堂クンじゃない」
「……」
(――だが待てよ)
再度思いつきなおす。
むしろ駐車スペースを減らすべきなのではと。
これはビジネスチャンスだ。
イベントが開催される時にわざと来客の車が溢れるようにして、それらを全て有料駐車場に誘導すれば荒稼ぎが出来る。だが――
「こんな場所で出遭うなんて奇遇ね」
(そうだな……)
臨時のコインパーキングを設立するのがいいだろう。
駐車が出来ずに困っている者から車を預かり勝手にコインパーキングに停めてしまえばいい。
ただの有料の駐車スペースにした方がコストはかからないが、客の車を質にとらなければ逃げられて終わりだ。
それに必ずクレームを付けられることが予想される。しかし、クレームを聞く者が誰もいなければ問題はない。
コインパーキングならば金を払わなければ車を出すことは出来ないので、一度駐車してしまいさえすればこちらのものだ。
料金は泣き寝入りしやすい少額に設定をするべきだろうか――
「初めてね、昼休みに会うのは。ここいらにはよく来るのかしら?」
(そうでもないな……)
30分5000円くらいが適正だと考える。
どうせ通報されるだろうし一回こっきりのビジネスになるだろう。
ならば絞れるだけ絞るべきだ。コインパーキングではあるが支払いは札束で願うことに決める。
出来ればクレジットカードを使用できるようにもしたいが――
「私はいつも昼休みをどう過ごしていると思う? 当ててみせてちょうだい」
(それは難しいな……)
足がつく可能性が高い。電子の痕跡を残すのは避けたい。
やはり現金だけかっぱいでバックレるのが無難だろう。しかし――
「ふふっ。そうよね、難しいわよね。そんなことよりも、こんな所で立ち尽くして一体どうしたのかしら? 何か困りごとでも?」
(そう。問題もある)
設営と撤去の工事のスピード、それと場所だ。
まず場所だが、学園内の裏山を使うのが手っ取り早いが、それだと学園の関与を疑われる。
次点で敷地外周辺の土手だ。そこがいいだろう。しかしあそこは市の所有する土地だ。そこに勝手に駐車場を作ってバレない内に即日撤去するには圧倒的なスピードが求められる。
そこで次に工事の問題だ。
イベント前日の夜に突貫で仕上げ、イベント後のその日の夜には撤収しなければならない。
だが業者には当てがあるしどうにかなるだろう。
「もしかしてSNS用にそこのオブジェでも撮影していたのかしら? なかなか映えるって人気よね。あら、でも、それにはスマホを持っていないわね……?」
(そうだな……)
当日は検問も行って来客からスマホを奪っておくべきだろう。
今年から撮影禁止になったので一時的に預かると騙し、そのまま捨ててしまえばいい。
次に『よいこのスタンプカード』が埋まった時には、一般開放をするイベントでは撮影禁止のルールを追加するように進言しようと決める。
望外に降って湧いた儲け話に弥堂は口の端を僅かに持ち上げる。
弥堂が所属する部活動の偉大な部長である廻夜朝次は文化祭も体育祭もイベントは全てクソッタレだと以前に仰っていたが、これならば50人ほどをハメてやれば一日に100万円~200万円もの収益も見込めるだろう。
ちょうど今度設立予定の裁判所によって多くのクズどもを地下牢送りにする予定だ。そいつらに強制労働をさせれば人件費は実質無料だ。
非常に収益性の高いビジネスであると云える。
廻夜部長にとってもサバイバル部にとってもこれは間違いなく――
「なぁに? ずっと黙ったままで。寡黙なのね。嫌いじゃないわ。それとも意外な場所で出逢ってしまって緊張でもしているのかしら? 私? 私は今、とてもドキドキしているわ……。もしかして貴方も……」
(喜ばしい)
再びオブジェを見上げる。
なるほど、と納得を得る。
こんなどうしようもないゴミでも役立てることも出来るのかと考えを改めた。
もしかしたら学園の優秀な支配者たる郭宮生徒会長閣下は、こういったビジネスの展開も視野に入れた上でこのゴミをここに置いたのかもしれない。
そんなことを思いつく。
ならば自分はその意図を汲んで、期間限定の駐車場ビジネスを実行するべきだろう。
しかし、このオブジェがゴミであることには変わりはない。
このスペースを埋めるだけの物であれば別に何でもよく、たまたまこれが使われただけのことで、ここに置かれた瞬間に用済みになったことになる。
だが――
(ここに在る以上は学園の役に立ってもらう。俺が有効活用してやる……)
罪人を串刺しにする為の不吉な針か棘のように見える黒の先端を睨みつけ、胸中でそう話を締めた。
そして――
目線を下げて、ここでようやく対面でモジモジと動く不気味なオブジェをジロリと見下した。
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しかし、学校での直接的な接触は無く、あってもメッセージのやり取りのみ。せいぜい、誰もいなくなった教室で一緒に勉強するか読書をするぐらいだった。
ところが今年の春休み──晴斗は渚から……、
「──私、ハル君のことが好きなの!」と、告白をされてしまう。
この告白を機に、二人の関係性に変化が起き始めることとなる。
他愛のないメッセージのやり取り、部室でのお昼、放課後の教室。そして、お泊まり。今までにも送ってきた『いつもの日常』が、少しずつ〝特別〟なものへと変わっていく。
だが幼馴染からの僅かな関係の変化に、晴斗達は戸惑うばかり……。
更には過去のトラウマが引っかかり、相手には迷惑をかけまいと中々本音を言い出せず、悩みが生まれてしまい──。
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